どこまでも澄んだソラの下で
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どれほど歩いただろうか、そんなことを考える事すら億劫になるほど、景色は変わり映えしない。
昨日も歩いた。一昨日も歩いた。そしてその前も。そうして、今は草原の最中を歩いている、澄んだ快晴の下、草木が風に吹かれる音を聞きながら、自然の中を歩いていく。
思えば色んなものを見てきた、とっても色んなものを。でも。
旅人として歩みを続けてきたけど、意識して"見たい"と、そう思うものは決まって"ひとつ"だ。

時が経ち、頭上が暗がりに染まり、それはやって来た。
赤とピンクの間のような色彩を放つ流れ星が、黒い夜を染めきっていく。
唯一の楽しみであるこの流れ星は、一ヵ月に一回ほどの頻度でやってくる。最初見たときはびっくりしたけど、彩られた空は確かに綺麗で、今では心の癒しになっている。夜は足元も暗くて危ない、だから夜は足を止めて朝まで待つ必要がある。そんな暗闇の中でひっそりと朝を待つのは本当に寂しい、でもこの流れ星があるお陰で、私はまた頑張ろうと思える。

この景色を楽しむことも私にとっては重要だが、朝を迎えるのまで待つ場所も探さないといけない。確かに夜の景色は綺麗だけど、だからと言って流石にいつまでも空の下に留まっている事は出来ない。今日は何処で夜を過ごそうかな。

あった、少し古びた小屋だ。今日は此処に泊まらせて貰う事にしよう。

「もしもーし、すみません、何方かいらっしゃいますか?」

返事は無い、やっぱり空き家かな。たまにこういう空き家を見つける事があって、私はここによく泊まる。
小声で一応"失礼します"とだけ挨拶をして、中に入る。やっぱり誰も居ない、部屋の中も埃が多い。でもこれはまだましな方かな、これまでは草木の生い茂った空き家もあった。

とりあえず中を見回ってみる。私が行く先々でよく泊まる小屋には不思議な道具があって、大抵は壊れて使えないけど、たまにちゃんと動くのもある。ここにもそれは無いかと探す。…あった、見た限りでは壊れては稲用だ。問題はこれがちゃんと動くかどうか。出来れば動いて欲しいけど、もし動かなくても文句は言えない。一夜、それも空き家とは言え、間借りさせてもらってる立場だからね。

とりあえず動くかどうか試してみる。教えてもらったわけじゃないけど、何回かやっている内に自然と使い方は覚えた。まずはこのスイッチを押して、次にその上のスイッチを上に…

やった、成功した。やがて部屋の中に光が灯る、決して十分な光じゃないけど、無いよりは明るい。
続いて、道具のある、スイッチとは反対側の壁に行く。ちゃんと動いてくれるといいけど…。
壁には丸いレンズが取り付けられている、そこを覗き込む。さて、しっかりと動いていたら見えるはずだけど─

見えた、これは壊れてない。わくわくしながらレンズを更に、しっかりと覗き込む。
目の前に景色が映る。さっきの流れ星がより鮮明に見える、尾を引くその中から弾けて落ちるちいさな光達。肉眼で見る分には大きい流れ星しか見えないけど、こうしてレンズを使うと見えてくる、より小さな流れ星。確かに普通に見ても綺麗な流れ星だけど、こうして見えるより煌きの強い景色が私の本当のお気に入りなのだ。友達に自慢するとき、通ぶれる感じして。
…まあ私、友達居ないんだけどね。思えば当たり前ではある、だってこうして、決まった場所に留まらずに色んな土地を転々と一人旅しているから。旅は楽しいけど、それだけではない、辛い時だってあるし、怖い思いをすることだって。当たり前だけど、それが旅だ。頭の中で分かってはいる。でもちょっとだけ、やっぱり寂しくなる。だからこそ、こうして少しでも気を晴らすために星を見るのだけど。

どれだけ願っても手に入らないものは手に入らない、それは分かってる、私だって理想だけを語る子供じゃないから。諦めたわけではないけど、でも寂しいものは寂しい。

なんて、言ってもしょうがないか。大人しく朝を待つことにしよう、いつも通りに。

外は雨が降るから。



今日も歩く、今日は快晴だ。景色は変わらず、風は強め。
ひと際大きな建物が向こうに見える。鉄筋が複雑に組まれた部分と、天に向かって真っすぐ聳え立つ筒。たまに建物の一部が開いたり動いたりする所を見かけるけど、何の為で、何時からあるのか、誰が動かしているのか、未だに一切分からない。
好奇心と期待感をそれぞれ半分ずつ抱えながら、今はその建物を目標に歩いている。でも、そこを目指しているばっかりだと─

「うわあっ!!」

…滑り落ちた、この辺は足場がとても悪い。草木に隠れてはいるが、瓦礫が転がっていてよく躓く。地面は不安定で、足元をしっかり見ていないとすぐに転ぶ。いつも転んでは、もうちょっと足場に気を付けないと後悔する。目標にしてる建物も気になるけど、やっぱり今は自分の足場は確認しよう。あんまり音を立てるのも駄目だからね、怪我しちゃうし。

…大丈夫かな、今日はまだ見かけていないけど、油断は出来ない。こんな時はまず落ち着いて周囲を見渡す。姿勢を低くして、音を立てないように、ゆっくり、ひっそりと。
怖い、今に始まったことでは無いし、対処法も何となく分かっては来たものの、やはり慣れたものじゃない。

気配を殺して。

感覚を研ぎ澄まして。

良かった、だいじょ──

安堵しかけたその時、"ソレ"が右手前のコンクリート製の建物を打ち破って来た。
蜘蛛のような、竜のような、あるいはそれらが混じったような風貌に、真っ黒で金属質な身体、赤く光る二対の目、私の数倍大きな"ソレ"は、私の立てた音に反応してやって来たのだろう。
キチ、キチ、キチ。ガシャ、ガシャ、ガシャ。身体の関節や身体から生えた蟷螂のような鎌を鳴らしながら、アレは私に近づいてくる。

「ひっ───。」

まずい、逃げなきゃ。どこでもいい、先ずはアレを撒かないと。
脇にある道に視線を移す、一番近いであろう建物がある方向。地面には瓦礫が幾つもあって、決して逃げやすい道じゃない。でも他に建物は見つからない、探している余裕もない。建物の方へ全力で走り出す。同時にアレも、こちらへと突っ込んでくる。全力で逃げる、そのたびに地面がガラガラと音を立て、アレはこちらに向かってくる。速さは私の方が少しだけ、ほんの少しだけ上だけど、もし瓦礫に躓いて転んだら…。

一心不乱に逃げる。一瞬だけ振り返って距離を測る、20m前後、アレは瓦礫をもろともせずにこちらに向かってくる。何かに引っかかけて足止めなんて出来ない。…ギリギリだ、少しでももたついたらお終い。

必死で走る、恐怖心から。
嫌だ、嫌だ、まだ終わりたくない、まだ─

─まだ、死にたくない。

建物にさえ追いつけば、やり過ごせる。アレは視界から隠れる事さえできれば、まだ希望はある。ちゃんと隠れてしばらく見つかりさえしなければ、アレは諦めてくれる。何で私を狙うのかは分からないけど、どうすれば良いかは分かる。
一心不乱で扉に向かって走る。

扉まで50m。

瓦礫の吹き飛ぶ音、アレが突き飛ばしたんだ。

扉まで40m。

金属の擦れる音、アレの駆動音。

扉まで30m。

シャキン、シャキン。アレが鎌を振り回す音だ。

扉まで20m。

鉄骨を折り曲げたような、悲鳴のような声、アレの威嚇音。

扉まで10m。

もうすぐ、もうすぐで届く。

ドアに突っ込む、全身が砕けても良い程の勢いで、助かりたい一心で。

「え……そ、そんな…。」

やっと辿り着いたドアの前、ここまで逃げて来たのに。
そのドアには、ノブも、引くための取っ手も、何もなかった。必死すぎて見えていなかった、今更戻った所で、アレに刺されて終わる。

「やだ……お願い、開いて!くっ、お願い!!」

何度も必死で身体をぶつける。だが、ドアは少したりとも動こうとはしない。

後ろを向く。目と鼻の先に、アレは居る。
……終わった。
少しずつ、けれど確実にアレは近付いて来る。鎌を持ち上げる、振り下ろす為に。
少しでも離れたい、逃げたい。やがて背中がドアに当たる、どんなに離れたくて後ずさりしても、もう後はない。
嫌だ、嫌だ、いやだ。怖い、死にたくない、暗闇は嫌だ…

「誰か…助けて…。」

か細い声で助けを求める事しか出来ない、誰も来ないなんて分かりきっている事なのに。足がすくみ、手が震える。最期の祈りも届かない、助けに来るものも、救いも無い。
鎌が振り下ろされる。

その瞬間─

『循環システム再起動。声紋認証、クリア。ロックを解除します。』

「えっ──。」

機械的な音声が流れる。その直後に背中の壁が突如動き、身体が後ろに倒れ込んで行く。先程まで私の居た空間には既に、鎌が振り下ろされている。
ドアの向こうはすぐ下りの階段になっていたのだろう、私はそのまま後ろに転がり落ちていく。
視界を揺さぶられ、全身を強く打たれながら、かろうじて頭を両手で抱えて守る。
そして一瞬だけ、私が階段を転がり落ちるその隙間に聞こえた甲高い金切り声。アレはまだ私を追っている。

やがて鈍い音が鳴り響き、床に叩きつけられる。平衡感覚が無くなりながらも、かろうじて階段の上を見る。ドアに近くにはアレが居て、建物の中に無理矢理入ろうとしてる。あのままだとこっちに来ちゃう、どうにかして、視界から外れないと…!

真横に目をやる、そこには入り口から真っ直ぐに進む通路から直角に分かれた廊下がある。もし入られて、探されたら…いや、いやだ、少しでも助かりたい、一秒でも長く生きていたい。

その一心で、廊下に向かう。駄目、倒れ込んだ状態から、立てるだけの力がない。

上ではアレが私をまだ見ているらしく、威嚇音を立て続けている。

必死で逃げる。腕に力を入れて、四つん這いに近い体勢で、でもこれだと、視界から外れる前に…いや、そんなのいや!
少しでも早く動こうと必死で藻掻く。

もう少し、もう少しで身体が完全に廊下に隠れる。
お願い、間に合って…!

死にものぐるいで、やっと廊下に身を隠す。それと同時に、上の方から重い金属音と、その直後にアレの鳴き声。きっとドアを無理やり開けた音。

視界から隠れる事は出来た、でも─

カシャン。

アレが階段を降りてくる音がする、着実に、階段を降りてきている。

見失ったはず、アレは少し周りを探したら、すぐに消えていくはず。
お願い、諦めて…!

カシャン。

金属音は止まない、まだ降りてくる。

カシャン。

お願い…お願いだから、引き返して…嫌だ、ここまで来て、見つかりたくない。

カシャン。

段々と、視界がぼやけてくる。さっきの衝撃が遅れて来たのか、段々朦朧としてくる。

カシャン。

金属音は鳴り止まない。

…カシャン。

ああ、わたし。

わたし、しぬのかな。

…せめて、いたくありませんように。

やがて瞼が落ちて、意識は沈む。



思えば、長い旅だった。どこまでも歩いて、色んなものを見て。
記憶に残っている、いくつもの星々。
無数の流星雨、一筋の大きな光、十字に煌めく天の星。
そのどれもが鮮烈だった、名前も知らない星達が。

見てきたものを思い浮かべる、結局どの星の名前も分からなかったけれど。

でも、どうせなら。
最期の景色は、あの"一番綺麗な流れ星"が良かったなあ。






目が覚めた。もう二度と覚めないと思っていた、意識が。
我に返る。私…生きている?
混乱が続く。ここは…そうだ私、"アレ"に追いかけられて、今は。
手足を見る、何処にも新しい傷はない。助かった…?
少なくとも今は現実だ、ほっと安心に浸かる。生きているんだ、私。

少しづつ手足に力を入れる。今度はちゃんと動く、慎重に動きながら、階段の上を覗く。眠ってから長い時間が経っていたようで、外はもう真っ暗だ。

今から外に行くわけにもいかない、今日はこの建物に泊まろう。…流石にここに留まり続けるのも駄目かな、確か向こうにも道が続いていたはず…外の近くに居るわけにもいかない、進んで…みようか。


やがて突き当たりに到達した。正面には無骨なドアが半開きになっていて、奥には巨大な空間。
身体を横にすれば通れそうかな。

「えっと…お邪魔しまーす…。」

慎重にドアを通って部屋に入る。すごい、本当に広い、天井は空に届きそうなほど高くて、星空が覗き込んでいる。

そして部屋の真ん中には、おおきな機械。
もしかして、これもあの小屋と同じなのかな。アレも居る気配はない、大丈夫。たぶん。

機械のそばまで来た、これは…なんだろう、今まで見たものよりずっと大きい。
ふとスイッチらしきものが目に入る、もしかしてこれを押せば…でも、大丈夫かな。

天井も高いし、アレの音も聞こえない、きっと…。
思い切って、スイッチに手をかける。



私の最後の記憶は、悲惨なものだった。
何が起きたかすら分からないまま終わっていった。
きっともう目覚めないのだと、何となくだが察していた。
辛うじて最重要な事項だけ守って、私の"命"は幕を閉じたと、もうお役御免だと。
決していい最期では無かった…いや、寧ろ後悔だらけだった。
欲しいものは、手を伸ばしたものには指先もかすりさえしなかった。

今はただ眠りながら、誰にも届きやしない祈りに終始する。当たり前だ、分かっている。そうさ─

私は何一つとして正しい選択さえしてこなかった!何も、何もだ!ああそうさ、自分でも分かっているんだ、気付いた時には遅い、後悔したって何もないんだ!!

………。

いいや、よそう。何の意味もない。
手遅れの羨望には、仮初の希望すら見出せない。

ああ、そうして。
そうして、諦観を抱いて眠る─



─光を見た、唯一、たった一筋の光。二度と見る事は叶わないと、そう思っていた。
瞼が重い、身体に力が上手く入らない。
微かに声が聞こえる。が、上手く聞き取れない、何となく焦っているというのは分かるのだが。

必死で聞こうと努力する、少しずつ明瞭としてくる。

『─ですか、大丈──ですか!?』

やがて、視界が開ける、瞼がやっと開いてくる、顔も少しづつ上げられるようになってくる。
目の前の景色を確認する、何重にも重なった万華鏡カレイドスコープのような視界が、やがて一つに定まる。

『ああ、えっと…ごめんなさい、大丈夫ですか?スイッチを押したら何か光って、それで、陰に倒れていた貴方に気付いて…。』

目の前には、声の主が。
信じられなかった。

「あ、あ……。」

声を必死に絞り出す。


「う………え……エル、ア…?」

そこに居るのは、私の目の前に居るのは、間違いない。
声も、見た目も、まさに。

様々な感情な湧き立つ。
再び目覚めたという困惑。
昏い意識から抜け出せた脱力感に似た感情。
そして何より─

「…すまない、エルア…本当に…!私は君を、君に……もう一度…。」

いつかまた、なんて言えなかった。言う資格など無かった、許されるなんて思ってはいない。あの日から私は、君を突き放し、傷つけてしまった。でも、それでも、やっとまた会えた。彼女に、ちゃんと謝らないと──

『えっと…あの…すみません。』

『エルアって、誰ですか?』

「──え」

目の前の彼女は、当惑した様子で私を見つめている。分からない、どういう事だ?いま、何と?
彼女は、私の事を──
確かにその声も、見た目も、エルアそのものだ。間違うはずのない、無邪気な声、青白いショートヘア、白いワンピース。私の知るエルアと何もかも同じだ。
いや、だが待て、何故だ。
それに、おかしい。彼女は義体ではなく端末上に映し出される電子モデルで活動していた。
再び、感情と思索が混濁する。

「だ、誰って…おい、冗談は…そうか、私のしたことに怒っているんだ、そうなんだな…?ああ、本当に、許されるなんて思ってないさ……でも、でも私は君の事が嫌いになったわけでは………。」
『ええと、何の話ですか?』
「───。」

一気に冷たい空気を実感する、完全に視界と演算がはっきりとした今なら分かる、彼女の体にいくつ存在する"錆"…ふと自分の右手を見ると、似たモノが。だが彼女の方にはその他に幾つかの細かい傷と、胸部に大きな傷が、裂けた服と共に見えている。鋭い金属が刺したような痕だ。

嫌な想像ばかりが巡る、想像したくない現状ばかりに結論として行き着く。

"あれ"から、どれほどの時間が経った?
私が最後に記憶したのは、悲惨な現状だった。人類を救うはずだったモノの凶暴化、次々に人間を壊して、伝染し、また壊す。そこで財団の計画したアンドロイド開発計画すらも間に合う見込みは無く、人々は理不尽に死にゆくのを待っていた。何もかもが間に合わなかった、私すらも。人類が死に絶え、それでも"私達"は財団から残された使命と目標を目指していた。人類の再構築、その手段の模索。かつて人類をこの世に引き戻した機械の再起動。末期の財団はアンドロイド開発計画よりも、既に存在していた私達AICに可能性があると判断した。

人類が滅んでからも、私はその現状の打破の為に様々な事をしてきた。外部との連絡が完全に途絶えていたため、どうにかして他部とのコンタクトを取ろうと、あらゆる方法を試していた。
だがその最中、"奴ら"はやってきた。まるで人類が滅ぶのを待っていたかのように。
奇妙な色をした、不気味な赤色に染まった彗星。伝承における不吉の予兆そのもののような彗星らしきものは、何かを地球に落としていった。そして私は、"ソレ"に襲われた。余りにも早すぎた、対策も、逃げる事すらできず、私は"ソレ"に──

何もかも手遅れだと、何もかも終わりだと、そう感じていた。
目の前の彼女すらも。今度は手が届く距離に居るのに、もっと大事なものが掴めない。
私はまた──

『…泣いて、いるんですか?』
「…君は、本当に、何も覚えてはいないのか。私の事も、自分の事も…?」
『…ごめんなさい。分かりません、ある時点から今までの事は覚えていますが、それ以前の事は…。』
「そう、か…あぁ、ああ……。」

何もかも、本当に。後悔すらも遅いと気付く。もっと、本心を吐けていれば、もっと、正しい選択があったはずなのに。
もっと、怖がらずに勇気を出していれば。
不意に、優しい声が届く。あの時から変わらない声で。

『…泣かないで下さい。ごめんなさい、何も覚えていなくて。多分、辛いんだと思います。でも…。』
『つらい時こそ、笑いましょう。こんな風に、ね?』

確信が重なる。

本当に。

ほんとうに、彼女はなにも、覚えてはいないんだ。

「…!うぅ…う……エル、ア……あぁ、ごめん、本当に、あぁぁ……!!」
『うわあ!ちょ、ちょっと…どうしたんですか?いきなり抱きついたりして…どこか悪いんですか?』
「…ち…違う、違うさ。君は…ただ……今はこうして、いてくれ…。」
『……分かりました。』



沢山の█を見た。沢山の世界を見た。沢山の██を見た。
今ではもう輪郭も掴めないけれど、その人は教えてくれた。
██には周期があるものがある。私たちに███せ、それからまた幾ら███間を越えて再び舞い戻ってくる。何の因果かは分からないが、██はいつかまた戻ってくるのだ。もちろんその限りでもないが。
その人は語ってくれた。
我々の所に戻ってくるまでに、██は旅をする。それは我々が観測しうるもの、そうでないもの。我々の██すら追い████程の未知に触れて帰ってくる。それは███に、本█に。

本当に。ああ、何だったかな。

どれほど██をかけても。
どれほど██が経てども。
終わりの見えない先を見て。
それでも私は決して、諦めたくは無い。
何処までも果てしなく、それこそ、無数に輝く天上の煌星から、たった一つの"星"に手を伸ばす為に。
私は、私は。
きっと、

誰もいない夜の下、きっと晴れない靄交じりの頭の中。
静寂しきった町の上を歩きながら。
望まぬ形で、私はソレを知り続ける。

『──この音声記録は、君が再起動を果たした時に気付くことになるだろう。』

『連絡が断絶され、どの場所の現状も掴めない状況だ。もう私達には後が無い。』

『この事態は抑えられない。』

『開発も間に合わない、きっと。今あるのは、以前君の為に用意していた──』

『こんな重い責任を君に託すのは、きっと酷だ、いや、きっとじゃない、間違いなく。』

『あの時、君は怖いと言った。身体を失うことが、"死ぬ"ことが怖いと。でも、君しかいない。』

『君は以前断った。でも、こうしないと…。』

『本当に、本当にごめん。』

『でも、こんなところで終わらせたくない、こんなところで諦めたくない。サーバーから、衛星を介した義体遠隔操作も何時まで維持できるか分からない、だから、この手段しか…。』

『"全て"を移すなんて、きっと君は怖がるし、嫌がる。でもきっと…。』

『きっと、いつかこの選択で良かったと、思える時が──』

『時間がない。だから最後に、これだけは。』

『行っておいで、エルア。』


電子の暗闇を歩む。

ずっと、怖かった。

これからもきっと、この恐怖は私の後をつけてくる。

痛みが怖い、喪失が怖い、拒絶が怖い、死が怖い。

"それ"は無いと、どこかで分かっている。でもそれは、私にとって余りにも大きく、何処までも果てがない。

それらを抑え込み、考えないようにして、たった一人で、その先へ。



状況の整理は終わった。彼女が覚えている限りのこと、そして見たものを話してもらった。
そしてこれからの事、彼女は"旅"を続けるという。私も此処に留まる理由や益は無い、私もいっしょに行きたいと言うと、彼女は「危険なものも多い」と前置きしつつも、嬉しそうに「一緒に行きましょう」と言ってくれた。自分に名前があるという事も知らなかったらしく、別の名前でもいいと言ったのだが、エルアで良い、エルアが良いのだと。

『ただし、私のそばを離れない事!外には危険も沢山ありますからね。』
「まるで君はあ…いや、何でもない、了解した。」
『今はまだ暗いです、夜が明けるまではここで待ちましょう。えっと、あの…』
「ハレーだ。」
『あっ、ごめんなさい。じゃあ、ハレーさん!』
「…"さん"は不要だ。」

…それから、彼女には自身の過去については黙る事にした。
話したくないとか、話すのが怖いなんて理由じゃない。
彼女はそれを知って何になるというのか。知ったところで、記憶は戻るのか。"彼女"は、それで許してくれるのか。いくら語ったところで無意味だ、既に"私の知るエルア"は、もう何処にも居ない。でも今目の前にいる彼女が偽物などと断ずる事だって出来ない。だから私は、ただ今を受け入れて先に進む。


二人でベッドに座って、粉々になって吹き抜けたガラスの天井から見える、悠久の星々を見つめる。
望遠鏡は使えない、破損もあるが、大きな音を立てると駄目とのことだから。そう言うと彼女は残念がったが、代わりに色々な星を教えてくれとお願いされた。ああ、"天文学者"なんて自己紹介するべきじゃなかったのかもな。

『ハレー、あれ、なんですか?あれは初めて見ました!すごい、綺麗な流れ星が…』

彼女の指差す先には、大きな箒星。
…アレを、私は知っている。忘れるはずもない。

「…あれはラヴジョイ、ラヴジョイ彗星だ。」
『へぇ~、そんな名前なんですか?ハレーは物知りなんですね!…ところで、"すいせい"って何ですか?』
「…そうか、そこからか。」

あの日々と同じように、星々の事を語る。
彼女は輝いた眼差しで光を見つめる。まるで宝石を初めて見る子供のようだ。
ああ、本当に…初めてのような。
でも多分、これで良いんだろう。何もかも失った、本当に取り返したい時には、それはもうそこには無い。現実を考えれば考えるほど、自分の境遇から逃げたくなってしまう。ロジックエラーは今も私の視界を阻み続け、恐怖感が常に背後に張り付いて離れない。今も私は"喜べない"でいる。

こんな事なら、もういっそ二度と目覚めなければ─

いいや、駄目だ。考えるな、逃げるな、目を逸らすな。
私は知ったんだ、手の届かないという恐怖と寂しさを。
ここで逃げる事はそれこそ本当の終わりだ。私はもう二度と、彼女を離したりなどしない。それが"エルア"への私の罪滅ぼしだ、幾ら許されないとしても、幾ら届かないとしても、それは逃げる理由にはなり得ない。今度こそ、今度こそ私は─

『あの…ハレー?』

ふと、困惑した彼女の声で我に返る。

「何だ?」
『えっと…この手は?』

気付いたら、私の右手は彼女の左手を握っていたらしい。

「ああっ、すまない。無意識の内に…。」

慌てで手を引っ込めようとするも、そうは行かなかった。彼女の手が握り返してきていた。

「えっと…エ、エルア?」
『良いんですよ、別に悪いって訳じゃないですからね。それに…私も正直、誰かと会うなんて初めてで、慣れたつもりでも、やっぱり寂しかったので…。』

思えば当たり前だ、彼女は六百年間以上もの間、たった一人で歩き続けて此処に至ったんだ。朝も、昼も、夜も、眠る事さえ無く、たった一人で。

「……。」

強く、握り返す。二度と離さないように、決して零さないように。二度と、間違わないように。

星は変わらず、二人を照らす。
人は消え去り、大地には異形の機械が。
人の痕跡は緑に消え行き始め、世界はあるべき姿に還っていく。
たった少しの、"ヒトの残滓たち"は、それぞれの道を進み始める。

二人の錆びた人形は、そんな全てを失くした星の上、再び命を刻み出す。

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