アブド・アッラシード・ビン・タノスは椅子の上でまた体勢を立て直した。準備されていたプラスチックの椅子は快適なものではなかった。しかしながらイスラム・アーティファクト開発事務局の活動予算は限られており、快適な家具のような贅沢品への浪費は避ける論理がはたらいているのだった。事務局局長が自分自身を例外扱いしている様子は見られなかった。言い換えれば、この局長がそのような例外扱いをしている様子は全く見られなかった。かつてはイスラム共和国空軍、それ以前はイラン帝国空軍に所属していたパーヴィッツ・ジャファリは軽率な言動を我慢できるような人物ではなかった。特に、陰謀論狂の退役大将という偽装を保つためにこの10年間恥をさらしてきた男としては。
局長にして元大将ジャファリはまもなく25分に及ぶ長電話を終えようとしていた — うわべではアドブ・アッラシードは考え込んでいた — この通話はテヘランのすぐそばに住んでいる孫娘かひ孫娘へのものに違いない。子供を持ったことがなく、欲しいと思ったこともないアブド・アッラシードにとっては、7歳の少女にとって大人の男と会話するのに25分費やすことが何になるのか想像することは原理的に不可能であった。ましてやその25分は、ジャファリ局長がアブド・アッラシードへの叱咤、活発な非難、降格に費やそうとしていた時間なのだ。彼は考えをまとめるのに必要な時間の猶予が与えられたことに感謝すべきか恐怖の時間を長引かせてくれた小さな少女を呪うべきか分からなかった。いずれにせよ別段道徳的な重みはなかった。
「ああ、今週末に会おう。うん? そう、そうだ。ゆっくりお休み」彼は朗らかに微笑みながら言った。「愛してるよ」彼は微笑みを崩さず電話を受話器に戻し、言った。「お前はクワス・ナーネ・ヘルセ・ゴトビする方法を本当に知っているんだな?」
自分が話しかけられたこと(そして自分はもはや子供ではないこと)に気がつくと、アブド・アッラシードは首を横に振った。「すみません、き—」
「ああ、そうだ。それでいい。確かにお前はペルシャ語が得意じゃないが、我々はお前を言語学者として入隊させたわけじゃないだろう? 我々は秘密作戦の指揮経験を持つ男として入隊させたんだ」ジャファリ局長は微笑みを残したまま続ける。アブド・アッラシードはこれがまずい兆候であることをとてもよく知っていた。「知っての通り、お前はアンカラで接触したときからとても推薦されていた。役職は……ああ、これだ。『フィールド工作員管理者』。これはどうもコミュニケーションが関わる仕事のように聞こえるんだがな。人と話す場はあったんじゃないか? 他人と一緒に働くのも仕事の一つだったのかもしれんなあ?」
ジャファリ局長はその後長い間押し黙った。黙ったのはアブド・アッラシードがこの椅子に座ってから初めてのことではなく、何か言うべきであるとは理解していた。単純に、血を流すことなくこの事態を終える方法はそれしかないのだから。「局長—」
「シロクマをファック」
アブド・アッラシードの顔に浮かぶ完全に当惑した表情は、このとき時間と空間を超えてあまねく広がっただろう。
「『お前はシロクマをファックする方法を本当に知っているんだな?』と言ったんだ。 ペルシャのことわざだよ。私がかつて会ったカーイダSCPの工作員は一度英語で似たようなことわざを使っていたな。ええと……」ジャファリはしばし考えたのち、言葉を続けた「『ベッドで小便する方法を本当に知っているのか』だな。翻訳は多分合っているはずだ。文字通り分かるように言うとだ、『お前は驚くほどに、信じられないほどに、未だかつてないほどに熟練した手腕でもって、完膚なきまでに私の仕事の邪魔をしてくれたな』」
アブド・アッラシードは自分のせいで上司が一言で4回も連用修飾を使うに至ったのだという認識から、この男の怒りの強さをただただ確信するのみだった。心の内で神へと祈る気持ちが一層強さを増す。
「さて、お前のサモスレースでの行動についてだが、私は少し行き詰まりを感じているよ。あの重大な任務に送り込んだ中ではお前は圧倒的に最年少だったし、今もそうだ。私はビジャンを指揮する立場としてお前を送り込んだ。頼むよ、奴はお前の3倍もキャリアを積んでいるんだ。ああいう気難しい自分勝手をなだめるのはとても容易な仕事じゃない。作戦範囲が制限されていることを考えれば、あの任務が許されることは決してありえなかったし、今だってありえん。カーイダSCPが既にアノマリーに工作員を送り込んだという確たる証拠がなかったら、そもそもきちんと許可が下りたなんて信じられなかったろうよ」
ジャファリ局長は腰を上げてピンと背筋を伸ばすと、アブド・アッラシードの眼底を睨みつけた。「では偉大なるアルブラクの御名に誓って言え。アフセニテスでお前が口を開かずにはいられなかったあの浮遊する球体は何だ?」
アブド・アッラシードはもはや恐怖を通り越し、その遥か向こう岸にいた。それは最弱のどもり声で発せられた彼の返答を聞けば明らかだ。「あの球体は悪魔です。神ではありえません」
静寂が部屋全体を包み込む。それはアブド・アッラシードに束の間の楽観を抱かせるものだった。無論、これで議論が過ぎ去るなどと考えるのは愚かなことである。しかしほんの一瞬だけ、彼はこの会話を大過なく終えられるのではないかと夢想—
「フクロウがお前のイン・ユーテロの脳みそに小便したのか? つまり、彼らはお前が産まれるのを辛抱強く待ってたのか?」
アブド・アッラシードの心臓は鎮まった。
「お前がそんな戯言を信じるのを受け入れてやるのはほぼ不可能だ。ここまで来てクルアーンに対するねじ曲がった貧弱な解釈を擁護する前にもっとマシな理屈を考えておく時間がなかったとは到底考え難い。ドファールの村マドラサの14歳の期末試験をカンニングしたかのような回答だ。お前はここに加わって — お前はスーラ・アル・ジンを読んだこともないのか? お前が理解できるお粗末なトルク・チャル方言で書いてあるクルアーンを持っていたか確かめてやろうか?」
羞恥と恐怖は怒りへと変わった。「お言葉ですが、あなたは私たちの民族を侮辱して—」
「おお、これは恥ずかしい。お前を民族誹謗が当たり前で、日常会話で気軽に使う人間だとばかり思っていたよ! ムハンマド、私がこの哀れな羊皮紙肌の男をまた傷つけることのなきよう、ジャンナから降り、私のこの愚かな舌にお宿りくださることにご感謝申し上げます」
ジャファリ局長は机の前へと回り込んだ。1「大悲者・大慈者アルラーハの名によりて 言え『吾は是くの如く默示せられたり。一群の幽鬼2、耳を側てて曰く「吾等は驚嘆すべき古蘭を聽けり そは直き道に導くものなり。吾等は之を信じ、何者をも吾主に配せざるべし 吾等は信ず、彼は——崇高なるかな吾主の稜威は——妻なくまた子なきことを 吾等は信ず、吾等のうち頑愚なる者は、アルラーハについて最も荒誕なる言をなせることを げに吾等は、人間と幽鬼とは、決してアルラーハについて荒誕なる言を弄する者に非ずと思いたりさ」』」
「局長、あの球体がクルアーンの72スーラで言及されているジンであるというのは彼らがそう言っているというだけの話でしょう」アブド・アッラシードは言った。「あ……あの物体は煙のない炎などではありませんでした。遠征の際に触りました! 私たちのような形ある実体でした」
「そうだな、阿呆。これについては件のアフサニテから良い報告をもらった」ジャファリ局長は眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。「それがお前の償うことになるもう一つの罪だ。いいか、それは幻覚なんだ、アブド。ジンはいかなる形でも物理的実体をもたない。その身はフィクラ、すなわち思念体であり、純粋なイデアだ。カーイダSCPなら『知的ミーム生命体』と呼ぶだろう。アラビア語には翻訳しづらい概念だ。こうとだけ覚えておけ、『ジンはお前の前に立ち、お前の心の中に外見に関する感覚を植えつける。そしてお前がジンの立っている場所に手を伸ばすと、ジンは形ある肉体の感覚を植えつける』とな。これがクルアーンの言う神に創造された第三の種なのか私が知っているだろうか? 答えはノーだ。私が特別気にしているか? ほぼ間違いなくノーだ。教義は革命防衛隊のものであり、成果はORIAのものだ」
アブド・アッラシードはしばし思案し、次の言葉を口にした。「局長、そ……そのお考えはほとんど—」
「ほとんど何だね? 冒涜? 異端? 背信? そのどれが今この祖国に存在するというんだ?」ジャファリ局長はまた机の裏にある椅子へと腰を下ろした。「最高指導者は私がどんな宗教や政治の信条を持っているかなど関係なく、私をここに配置し続けた。なぜか? 故郷イランザミンを外敵から守るという使命を成し遂げたからだ。我々はカーイダSCPに併合され、その反乱組織に完全に侵略されるだろう。国連の豚どもに疲弊させられ、資本主義の一味どもに食い物にされ、芸術家の一味どもに利用されるだろう。異端の狂信者どもは我々をどうしたいのかさえ分からない。
ジャファリはため息をつき、机に身を乗り出して続けた。「我々は境界線イニシアチブと協約を結んでいる。それが好都合だからだ。しかし信頼関係は良好とはいえん。お前はクロックワーカーズ(Clockworkers)に対する急襲任務の一つで彼らと共闘した、そうだろう? ここまでは良いな。この超常冷戦における我々の最大の強みは、絶対に間違いなく敵に我々の能力を著しく過小評価させるために乗り出した大規模な作戦活動、そしてジンとの協定だ。国民同士の信頼関係を傷つける行動一つ一つが祖国の地を傷つけているのだ。分かるか?」ジャファリの顔はやつれていた。怒りというよりは失望の表情である。アブド・アッラシードは彼がいかに歳をとったかということに気がついた。「お前はこれを正さなきゃならない。その過程で図らずして愚かな偏見を削ぎ落とすことがあったら、それは素晴らしいことだろう。そしてお前が傷つけた者たちも静まる」
局内の退役工作員の間ではよく知られていたことだが、パーヴィッツ・ジャファリは多くの部下にとって父親のような存在である — たとえそれがあまり大きな声で言われることがなかったとしても。このとき感じた自分を恥じる気持ちのおかげで、アブド・アッラシードはほんの僅かな苦労でそれができる方法を理解した。「やります。何をすればいいか教えてください」
弱々しい姿から再びてきぱきとした姿へと戻ると、ジャファリは机の中に手を伸ばし、薄いマニラ地のファイルを取り出した。彼はファイルをアブド・アッラシードに渡しながら言った「ここには接触対象にいつどこで落ち合うか指示が書いてある。ハウス・アフセネへの行き方に関する詳細は信頼のおける人間にしか教えられない決まりでな、そこにたどり着くには誰か一人付き添いが必要になるだろう。お前はハウスのイマームに直接謝罪することを期待されているはずだ。そうだ、お前が傷つけた彼の件だ。彼はもうじき別の場所に配属される見込みなんだ。もう片方の書類にはアフセニテスでコミュニケーションをするときの礼儀と作法について書いてある。全てのハウスに異なる規則と手続きがあるからだ。この手のことなら何でも知っているとまではあまり期待していないが、この3日間でルールを熟知する方が自分の尻拭いができるようにするよりも大切だろうから、読んでみるといいだろう。お前は明日対象と接触することになっている。それまでの時間は読むのにあてることを勧める」
「承知しました」アブド・アッラシードはそう言って立ち上ると、いつもの習慣で敬礼をしそうになった。彼はそのままファイルを持って部屋を出た。
ジャファリ局長は次のデスクワークへと向き直った。部屋の特に何もない場所に向けて英語で言った。「分かってると思うが、もう出てきていい。あと30分は誰も来ないだろう」
しばしの後、局長の本棚の隣に長身の、綺麗な色白の女が現れた。髪がほんのわずか白みがかって見えることを除けば、彼女は普通にストレスのある生活を送ってきた30代前半の女性と言っても容易に通用するだろう。100歳を超えているにしては悪くないなとジャファリは心の中で呟いた。
「彼は、あなたの評価にはあと一歩及ばないのではありませんか?」女は尋ねた。
「彼にはとても期待しているんだ」ジャファリは答えた。「失望させてしまったかね?」
ジョセフィンは肩をすくめた。「私はまだアラブの人たちのために働いておりますけど、あの子はあまり信頼できそうにないと認めなければなりませんね」
ジャファリは含み笑いをした。「どうも彼はハウス・アフサネのハミ・ファルハーを『堕落したイフリート』と呼んでしまったらしい。だからアフサニテスに行って謝罪してくるよう言ったんだ」
ジョセフィンは困惑しているように見えた。「あなたはどうやって彼を入らせる気……」彼女はしばし黙り込んだ。「あの子と一緒にちょっと旅行しに行けということでしょうか?」
ジャファリは微笑んだ。「ああ、君はしばらくテヘランを出たいと言っていただろう。奴らも前ほど本気ではなくなったはずだ。少なくともGOCはな。協定に従い、もしマギガセブが君を追ってきたら、我らの民が保護をすることになっている」
「マ — えっ、メイジキラー?」
「『魔術師殺し』だ。文字通り」ジャファリは言った。「まあ大して変わらん。アラブかペルシャ、もしくはその両方のために働いてくれ。もし必要ならテレパシーに頼ってくれ。だがアフセニテスでは奴の案内をしてもらうことになる。厚意に対する最初のお返しと思ってくれたまえ」
ジョセフィンの顔はほとんど見えないほどわずかに暗くなり、やがて普通に戻った。「公平ですね。特にこの辺りでは私は敵から無用な注意を受けているでしょうから」
「ああ、君もな」ジャファリは答えた。「我々は君を守り続けるが、今は……我々の作戦を手助けしてもらえると非常にありがたい」
「力にはなれます」ジョセフィンはそう答えると姿を消した。
ジャファリはデスクワークに戻った。