百万年か千万年、もしくは一億年の未来で。
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「将棋をまだ知っている人が居るとは」
「将棋は西暦文明の盤上遊戯でも高い完成度を誇るものです。私以外にも愛好家はたくさんいますよ」

パチ、と駒を指す音が静かに響く。部屋のストーブの薪が爆ぜる音とも似ている。

「それじゃあ、儂に教えてくれ。君がこの寂れた町の孤独な老人の下へ来るまでの地球旅行の全てを」
「勿論です」


十年前に、地球で大規模な遺跡が相次いで発見されたというのはご存知だと思います。しかも、ただの遺跡ではなく特異理解存在が遺跡内部に多数存在していたとか。

学者の端くれたる私も、当時驚いた一人であります。これまでの通説を覆すと同時に、人類史上最も混沌とした第一文明進化時代……つまり『西暦』に関するあらゆるものを解明する手がかりになるかもしれなかったからです。

太陽系中、いや、宇宙中からさまざまな学者が集まりました。降って湧いたような大量の特異理解存在たちを調査する私のような特理学者を筆頭に、西暦を解き明かそうとする歴史学者、遺跡が突如見つかるような異常極まる地殻変動を調べに来た地質学者、まだ見ぬロストテクノロジーを追い求めてきた科学者や技術者。その他にも様々な学者たちが居ました。また、彼らを支援するインフラ屋も非常に多かったです。

瞬く間に調査が始まりました。みんな、未知に飢えていたのでしょう。スタァライト62号船団が宇宙全ての端に到達してから5世紀も経ちましたから。

私たちは貪るように未知を発見し、理解し、既知としました。

発見した内容はブライト・レポートに纏められています。ご覧になられましたか?

……満足していただけたようで良かったです。私もあのレポートに執筆した1人ですから。担当した部分の内容は『N/A倉庫(仮称)における低特異度理解存在管理システムの再現と改良』です。

……次は君のを採用しよう?もしあなたがその立場にあったのなら私は今から質問責めしますよ。冗談がお上手ですね。

話を戻します。

結果から言うと、調査は大円団にて終了。西暦の辻褄が合わなかった部分が合い、消失したと思われていた多くの文化や資料が発見されました。特に、旧アメリカ大陸の『イエロォストーン公園』ではベテルギウス弩級博物館にも劣らないほどの物品が見つかりました。

私の分野でもある特異理解存在についても多数の画期的な発見がありました。詳細はレポートをご覧ください。

まさしく祭り、でしたね。

その後調査は五年ほどで終わり私たちは宇宙へ戻り、私は妻と出会い家庭を作って息子も産まれました。私は初めての家庭に苦労しながらもなんとか学者を続けられています。今では息子も大きくなり、プライマリ・スクールに通学し始めました。

そして1週間前、地球定例調査の任が私に下されました。この青い星をもう一度訪れたいと思っていた私に断る理由はなく、息子をレンタルしたメイド・ドロイドと祖父母に預け地球に再び来ました。


「王手です」
「ああ、これは……無理だ。投了するよ」

老人はあっさりと投了し、将棋盤と駒を片づける。重そうに腰を上げ、戸棚へ戻す。

「君、チェスは出来るか?」
「まぁ……一応ルールは把握しています」
「儂は負けず嫌いでね、再戦といこうか」

うっすらと埃の被ったチェス盤の上に、2人は駒を並べる。コツ、と小気味良く響く。

「それで、地球に来た君は何処へ行き、何を見たんだ?」
「まず最初に、アベル……古代の人々がSCP-076とナンバリングした彼に会いに行きました」

しんしんと雪が降り積もる。


調査というよりは家庭訪問みたいなもの……した事はただのアンケートですね。

困っていることはないか、何か変わった事はあったか、これこれについてはどう思っているか……後は昔の出来事について証言してもらうぐらいです。

ああ、彼の『特別収容プロトコル』は理解しています。まぁ彼の特異度は数万年前のチェルノ・パラベラムの基底次元レベル散布により極々低レベルに抑えられていたため、不死処置直後の人たちと大差ありませんでしたけどね。

彼は山奥で牧畜、農業、墓守りをしていました。要するに自給自足の生活です。

彼と定例調査のアンケートを済ませ、帰ろうとした時私は彼の管理する墓地に真新しい墓がひとつ増えていることに気付きました。

最初は触れないでおこうと思ったのです。私たち現代人は『死』というものを理解できませんし、誰かを失うという気持ちに寄り添うことは決してできないですから。

でも私はその墓を見つめていました。『死』というものを初めて感じたような気がしました。そんな私に気づいてか、彼、アベルは私を家に誘い、料理を振る舞ってくれたのです。

出た料理は家畜のステーキと生野菜のサラダです。初めて死体を食べました。いや、すみません。生きていた物、と言うべきでした。

唐突なその料理に戸惑いましたが、香りが良かったので口に運ぶのに抵抗はありませんでした。宇宙の人たちが思うような、野蛮な味や嫌悪感は全く感じません。私たちもまた命を食らう生物だったということでしょう。

特別美味しいというわけではありませんでしたが、あの味は一生忘れません。何故かは分からないです。

食卓を共にしていると、ポツリポツリと彼は話し出しました。

あの墓地は、友の墓であること。そして、新しい墓は長年会っていなかった兄のものであると。

アベルについての情報はもちろん読み込んでいましたから、彼にカインという兄がいること、そして決して良好な関係ではなかったということは知っていました。

なぜいがみ合っていた兄の墓を作ったのか。

私がそう聞くと、彼はしばらく押し黙り、「分からない」と答えました。たぶん、そういうものなのでしょう。

食べ終わり、去ろうとする私に彼は1つの紙切れを渡してくれました。そこにはある座標が書かれていて、私が次に向かう場所と一致していました。


ナイトを進めさせ、老人のクイーンを仕留める。

「君、もう少しこの老体に手加減してくれても良いんじゃないか?」
「すみません。私たち現代人には忖度という概念はもう存在しませんから」
「いや……良いよ。むしろ心地良い。私のような人間には得難い経験だ。で、君は次にどこに向かったんだ?」
「旧オーストラリア大陸のほぼ全てを覆う熱帯雨林『グレートロック』の中心に位置する太陽系最大の樹木。通称『破壊樹』、SCP-682の変異体であるかの巨木へ向かいました」


グレートロックの密林は想像を遥かに超えて濃密でした。かつては砂漠であったと言われても到底信じられません。しかもそれは1本の木から始まったと言われると更に。

チェルノ・パラベラムによる特異度希釈反応は地球全ての特別理解存在を無力化するのに十分なもので、かの大蜥蜴はオーストラリア大陸の中心で息絶えました。

……しかし、大蜥蜴は己の生存プロトコルを柔軟に組み替え、自らの頭部を植物と定義し身体の他の部位に根を張りました。自らの死体そのものを栄養にする悍ましくも眩むほど合理的なその樹は希釈反応を押し返し、道理が通る存在へと昇華されました。そして樹は永い時をかけてオアシスを生み出し、生命が溢れだして今のような大熱帯雨林を築き上げました。

ええ、そうです。その樹は数万年も費やしてオーストラリア全域の気候を丸ごと作り替えたのです。そうしてSCP-682だった樹は『破壊樹』を着名しました。

今も、SCP-682の細胞は死滅していません。あの大樹の中に埋もれ、生きているのです。その細胞の観察のため私は訪れました。

彼の細胞は分裂の様子は見せずとも、確かに生命活動を行っていました。今もみずみずしい生命に溢れる緑の神殿の中で彼は確かに息づいています。神々しさ……本物の神格存在たちはとうに全て堕とされましたが、そう感じざるを得ませんでした。畏敬と恐怖を同時に抱いたのはあの時が初めてです。

調査も終わり、あとは帰途に着くだけといったその時、紙切れが落ちているのを見つけました。

アベルが渡してくれたメモの紙とはまるで質が違う、決して腐らない特異スチールのような紙でした。しかし文字は消えているものが多く、表面に『財団』のマークが示されているのがかろうじて分かりました。裏返してみると、同じく文字が消えたような跡の上に何かが書き加えられていました。


「そこには、ここの住所が書かれていました」
「……」
「あなたは一体、何者なのですか?」
「……焦らないでくれ、君の番だよ」
「チェックメイト。……教えて頂けますか?」

老人は盤上を見つめため息をつく。仕方ないな、と呟きチェスを片付ける。そして机の下から2つの小さな革箱を取り出す。

「私が負けず嫌いなのは言った通りだ。だから簡単に教えてやるつもりは無い……。しかし、次も君が勝ったら今度こそ全てを伝える」

革箱の二つの内一つを私の前に置き、老人は蓋を開ける。中にはトランプが入っていた。

「ポーカーだ。運勝負をしようじゃないか。」

目を見開く。この老人の言っていることが分からない。

「運勝負はダメです。私たち現代人は誕生時に特別な処置が——」
「強いぞ、儂は」

有無を言わせぬ強気で、私を勝負の場に立たせる。

「何、ただのポーカーをするつもりはない。君と儂、それぞれが異なるトランプの山札から5枚引き、強い役の方が勝つ。ただそれだけだ。カードの交換もフォールドも無い、純粋な運勝負だよ」
「私に有利すぎます!」
「言ったはずだ、儂は強いと」

老人は私に山札を押し付ける。勝負から降りられるはずもなく、私はシャッフルを始める。

私のような現代人は、西暦の人々が病気に対抗するためワクチンを打つように、不測の事故に備え『ラックリロード』を行う。簡単に言うと、運を貯蓄している。その運は自動的に自分に利益が出るよう発動する。その効果は相当強く、ラックリロードを行なっていないであろうこの老人は恐らく相手にならない。

老人は『役無し』で、私は『ロイヤルストレートフラッシュ』となるだろう。

それほどまでに強力なのだ。

しかし、私はシャッフルの手を緩めない。手を抜くわけにはいかない。私だって知りたいのだ。

調査で何もかもが判明したわけではない。まだまだ未知の部分が存在している。特に、西暦2000年ごろはまだ恐ろしいほどの暗闇だ。暗闇を照らすランタンが目の前にあれば、それを持つのが人の性というものだろう!




「さて、引いたかね?」
「ええ……」

場に老人と私が引いたトランプそれぞれ5枚……10枚のカードが伏せて並べられる。表はまだ見ていない。

「では、オープンといこうか」

一切にカードを翻す。

片やロイヤルストレートフラッシュ、片や役無し。


そして、老人が微笑んだ。


「そうら、儂は強いだろう?」


信じられない‼︎


私が、役無しだ‼︎


「バカな…!」
「信じ難くても、現実は現実だ。さあ、お引き取り願おうか」

あり得るはずがない。あって良いはずがない。
もし私のラック・リロードが機能していないのならばここまでの人生でとっくに死んでいるはずだ。

たった今、無効化された…?

いや、それもない。そのように無効化できるものではないのだ。一度形成されたラック・リロードはそれ自身の性能により保護される。

『幸運』の名の下では『ラック・リロードが無効化される』という『不運』は起きようがないのだ。

老人もラック・リロードを処置していた?

違う。それは相殺されるだけだ。2人ともロイヤルストレートフラッシュを引いて差は付かない。

ならば、何故?

起きるはずもない事象が展開されている。

「怖いか?」

老人が私の目を見つめる。視力が存在するか怪しい、白濁した目を私に向ける。

「道理が通らず、唐突に世界が牙を剥く」

私はその目に、絶望と虚無を垣間見た。世界全ての深淵を覗き込んだようだった。

「もう一度聞こう。……怖いか?」




「全く怖くない」




断言する。

「危惧は抱けど、恐れは抱かない。恐怖は身を竦めさせます」

指を鳴らし、私有している次元端末を起動する。トァン・ナリォムを立ち上げ、5.5次元から『器具』——ⅩⅤ.verスクラントン合金で構成された手のひら大の楕円板——を取り出す。

「道理が通らない、常識が意味をなさない……その現象はもはや体系化された学問のひとつで、私の専門です」

慣れた現象で、慣れた手順だ。恐れることなど、何もない。

<トァン・カリギャラの名の下に器具を65ステージにて起動します。イア・ラダーン・ドラマチック・スクラントン・ギアーズ・タローラン。64ステージ完了。>

楕円板が可聴域にて振動し、淡く白色に輝く。

「ニーヒル」
<65ステージ認識。実行します>

触れながら実行コマンドを発言し、『器具』を65段階へと至らせる。

楕円板は一際大きく振動して気体へと昇華した。その気体は部屋全体を満たし、そうあるべきものをそうあれかしと宣託する。

トランプがあるべき姿へと回帰した。

老人の『ロイヤルストレートフラッシュ』は『役無し』へ。
私の『役無し』は『ロイヤルストレートフラッシュ』へ。

「あなたがやったことは、ただのイカサマだ。私の勝ちです、ご老人。」

老人は天井を向いて息を吐く。

「教えて下さい。あなたの知り得る全てを」
「分かった、分かったよ」

皺だらけの手を首に回し、何かを外す。

「持っていけ、これを」

首飾りであった。

首にかけるためのヒモと、恐らく特異耐性を持つ合金で作られた装飾物。

「儂の全てだ」

その装飾物は最早見慣れたものであった。

真ん中の円と、その中心を向く3本の矢印、それらを囲う更なる円形の図。

『財団』のマークであった。

無数の傷がついており、相当な年月をこの首飾りは過ごしてきたと考えられる。

そして裏面に何かが刻まれているのが分かった。

『O5-██』

後ろに続く1,2文字はくり抜かれており、判別できなかった。

「最後の頼みだ、それを君の首に掛けてくれないか?」

私の手の内にある首飾りを名残惜しそうに眺め、老人は消えそうな声で私に頼んだ。

「ほんの少しだけ、あとほんの少しだけで良い。君の強さを示してくれ」
「……」

私はこれが何なのかは知っている。莫大な情報を物理的に内包すると共に、『自我の上書き』というSCP-963と類似した性質を持つ特異存在だ。

もちろん、現代人には効きやしない。ラック・リロードだけでなく様々な対抗処置を誕生時に施しているからだ。

でも、いくら対策をしてるからと言って命の危険を晒すのは躊躇してしまう。自動停止機能がついていても往来で走る移動デバイスの正面に飛び出す輩はいないだろう?

逡巡する。

家で待つ妻と息子の姿を思い出す。

……危険は、犯せない。

首飾りを持つ手を下ろし老人の顔を見る。

すみません、できません。素直にそう言おう。

息子はまだ10歳にもなっていないんだ。




老人は、私をまっすぐ見ている。




ああ、そうか。


これが『大義』か。


自分の未来や家族を愛する気持ちよりもっと大きなもの……


『全ての生命が真っ当に生きられる』


これこそが、『大義』なのか。命だって、尊厳だって投げ出せるはずだ。その価値がある。


震える手でもう一度首飾りを持ち上げ、首へと持っていく。

「怖いか?」

老人は優しい声音で私に問う。先ほどまでとは異なる、見守るような穏やかな雰囲気であった。

「怖いです。今すぐ投げ出したい。一秒も早く家に帰って妻と息子に会いたい」
「それでいい……」

そうだ。そうでなきゃいけない。

ブルブルと震える手で首の周りに紐を通す。

次の瞬間、私は消えるかもしれない。二度と家族に会えないかもしれない。家に帰れず、息子の笑顔を見れないかもしれない。




でも、今は関係ない。関係ないんだよ。




そして手を離す。瞬間、全ての重さから解放された。

紐は私の首にかかり、首飾りは私の胸あたりで垂れる。

「……どうだ?」




は、ここにいます」




「おめでとう」

老人はパチパチと拍手する。彼の目から、何か力が抜けたような気がしたのは気のせいではないだろう。

「それは真に君のものだ。せいぜい、役立ててくれよ」

老人は手を出し、握手を求めてきた。私はその手を握る。

「ありがとうございます」


そして、私は老人の小さな手を握りしめて言葉を続ける。


「誠に勝手ながら、今この瞬間に至るまで誕生して生き抜いてきた全ての人間とこれから生まれる全ての人間……文字通りの全人類を代表して……」






「今まで、人類を守っていただき、ありがとうございました」






彼は目を丸くし、大いに笑った。

私は手を離し、別れを告げた。




そして、私は宇宙に帰った。

母星へと向かう星間ロケットの中で私は首飾りを掲げ、これから始まるであろう祭りのような大調査を想像してひとり微笑んだ。

地球は今も輝いている。








夕日で輝く浜辺に、星間ロケットを見上げる1人の老人がいる。

彼の手には、小石のような破片が握られていた。

それには老人がもはや忘れた数字が刻まれているが、彼は見ようともしない。

……日は沈み、ロケットは見えなくなった。

老人が顔を戻すと、ひとつの色褪せた彫刻がこつぜんと現れていた。

それはもうボロボロで、自らを引きずるように動いてきた跡が背後の砂浜にえんえんと続いていた。

やあ、と親友に話すように老人は彫刻に声をかける。

儂の方はやっと終わったよ。とおだやかに告げる。

老人は彫刻から目を逸らし、海を眺める。

沈みきっていない日の光がきらめいて夕焼け色に反射していた。

彼は破片を握る自らの手を見る。

ズリズリ、と何か引きずるような音が彫刻の方から聞こえるが気に留めない。

ひとつ、やり残していたなぁ。と老人は苦笑する。


彼は腕を振りかぶり……破片を海へ放り捨てた。


破片は着水し、しばらくの間揺蕩ったが、ほどなくして波に飲まれて海に消えた。

老人は立っていられず、砂浜で大の字に寝転がった。笑い転げていた。

軽い、なんて軽いんだ。涙を流しながら老人は笑う。

すっかり夜になった空には無数の星が輝いていた。この宇宙のどこかに若者の星があるのだろう。

彫刻は老人を見下ろす。老人は答える。儂は終わったよ、お前も終わりにしたらどうだ。

彫刻はぴたりと止まり……しばらくすると海へ歩み始めた。破片を探そうとしているのか。

相変わらずだな、と老人は健気な彫刻に苦笑し、彫刻の足元をつま先で小突く。

それだけで彫刻は倒れ、砕け散った。

老人が投げ捨てた破片のように、彫刻だった物たちは波に飲まれて消えた。

「感謝しろよ、終わらせてやったんだから」

そして彼は、星空の下眠りについた。








ある日、ひとりの亡くなった老人が浜辺で見つかった。




地球で1番大きい彼の墓には、星の数ほどの花が供えられた。

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