「いたっ!しみるってばー!」
8歳のアンソニーは、ジョセフィーヌにアロエベラ軟膏を背中の真っ赤な日焼け痕に塗りつけられてわめいた。
「おばあちゃん、いたいよー!」
彼女は叱りつけた。
「あら、もし日焼け止めをちゃんと塗ったならこんなことにはならなかったわねぇ、違う?」
「塗ったもん!」
「ふむ。ま、あたしが貴方のことをとても愛していて良かったわねえ…。」
「それは──」
アンソニーはジェルの刺すような感覚にたじろいだ。
「ありがと……。」
ジョセフィーヌは一拍して、穏やかにクスクスと笑った。
「まあ、あたしがいつでも貴方のお世話のためにここにいるってことは心しておいてね。その代わり、あたしがしわくちゃのババアになったときは、お世話してちょうだいね、アハ!」
アンソニーは笑い声をあげ、その暗い顰め面に眩い笑顔を咲かせた。
「もちろんだよ、おばあちゃん!」
「ジョセフィーヌさん?」
「……。」
「ジョセフィーヌさん、お薬の時間ですよ。」
93歳の老女は顔をあげると、その皺だらけの顔に温かな笑顔が広がった。
「ああ、ステファニー。久しぶりに会えて嬉しいわ……。」
目の前の看護師が近づいた。
「私はニーナですよ、覚えていますか?ステファニーは貴方の娘さんでしょう。」
老女は両手を合わせ、椅子から前のめりになった。
「あら……あたし──」
突然、彼女は激しく咳き込み始め、その肺は大きく膨らんだ。ニーナは駆け寄り、薬のカクテルでいっぱいのカップを下ろして、喘ぐジョセフィーヌを支えた。
彼女はしばらく荒く息を繰り返した。ひと呼吸ごとに乱れ、あたかもそのか弱い体に何度も突き上げるようだった。やがて呼吸は落ち着き、看護師は跪いて彼女を確認した。
目があった。
「ステファニー!貴方が来てくれるなんて知らなかったわ。」
ジョセフィーヌは心地の悪い、デコボコのベッドに座っていた。もはや咳は絶え間なく続き、やがて乾いた喘鳴と代わり、1人寂しい介護施設の中をこだました。
しかし、次の一瞬でそれは落ち着き、彼女は突如として……温もりを、感じた。
彼女は振り返り、隣の椅子に目をやった。そこに居たのは厳格そうな男だった。そして──その衰えた視力でも──彼女は、彼を認識できた。
「アンソニー。」
彼女の頬に、涙がハラハラと流れ落ちた。
「もう2度と会えないんだと思ったわ……。」
男は静かに佇み、その灰色のスーツのポケットに手を伸ばすと、1箱のタバコを取り出した。
ジョセフィーヌは──その体に平穏な重みのような奇妙な感覚が広まるのを感じながらも──叫ぶ力を発揮した。
「アンソニー!そんなもの、とっくの昔にやめたって言ってたじゃない!」
彼は静止し、それをしまいこんだ。男は立ち尽くし、彼女を見下ろしていた。
「貴方が来てくれて嬉しい──」
男は屈み込むと、彼女の唇に指を当てた。
「シ……」
彼女は突然、静寂の波を感じ取り、それは男の静かな瞳を見つめるごとに強まった。
「あたし……知ってるわ、」
彼女は囁いた。彼女がゆっくりと、落ち着いた呼吸を繰り返す音を聴きながら、男は彼女の手をしっかりと、大切そうに握っていた。
彼女の目から力が抜け、ゆっくりと閉じていった。思考の中で記憶が泡のようにこみあがり、そして優しい静音の世界へと沈んでいった。
ジョセフィーヌの魂がその命なき体から抜け出ると、世界に冷たさが響いた。男は、固く制限された器から解放された彼女が自分の周りを踊るのを見つめた。彼女は男を抱きしめ、振り返ると、彼岸へと駆けていった。
男は暫し立ち尽くした。
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彼は微笑み、そして消えた。