by pr0m37h3um and stormbreath
crewtime 10/19/04 (水) 10:29:03 #02927102
1968年1月4日、ジョージア州アトランタ発オレゴン州ポートランド行きデルタ航空4145便は乗客197名と搭乗員17名を乗せた。アトランタの天候は涼しく微風が吹いており、米国東部標準時午前3:24に飛行機はアトランタ市営空港(現ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港)を離陸し、数時間後にはポートランドに着陸する予定であった。到着地には二度と現れることは無かった。
この便に対する我々の関心は、とりわけとある二人の男についてである。彼らの名前と素性は現在も不明なままである。彼らは4145便の航空券を購入したのは確かだが、それはアトランタ住民から盗まれた、二名分の身分証明書を使ってのことである。その身分証明書の持ち主は後になって見つかったものの、フライトの日のアリバイはゆるぎなく、外見も便に搭乗した乗客とは似ても似つかなかった。
二人組は航空機に搭乗するために偽名を使った一方で、更に搭乗中に互いを示すためのコードネームを使用していた。成り済まされていた二名の身元を守るために、ここでは航空機で彼らが使用していたコードネームで言及することとする。一人は“ウォンバット”、もう一人は“ガラガラヘビ”である。彼らは飛行中、地上の法執行機関に名乗る際にそのコードネームを使用し、その名前に拘っていた。
1月4日の出来事は、四つの主な情報源から断片的な時系列が明らかになっている。第一にアトランタ市営空港の監視カメラ、第二に離陸する前に空港にいたデルタ航空の職員と別の目的地の旅行者からの目撃証言、第三に人質交渉中の警察官とのやり取り、第四にシカゴ・オヘア国際空港に強制的に着陸させられた際、機内から解放された数名の乗客からの直接証言である。この最後の情報源は最も直接的なものだが、後に触れるが、一方で問題のある証言でもある。
ガラガラヘビは最初にアトランタ市営空港に到着し、午前0時すぎにはチェックインした。空港職員は彼が極端に早くチェックインしたこと、到着してすぐに仮眠をしていたことを覚えていた。彼のチェックインを担当した職員の方はそれは夜間飛行に備えてだろうと思っていた。ウォンバットの方は彼の後に到着し、米国東部標準時午前2:30過ぎにチェックインした。空港内でウォンバットとガラガラヘビが接触したかを思い出せる者は誰もいなかった。
離陸は何事もなかった。ウォンバットは15C、ガラガラヘビはより前方の11Eの座席であった。生存者が記憶する限り、ハイジャック開始前は互いに言葉を交わしていなかったという。
crewtime 10/19/04 (水) 10:31:13 #03931719
離陸して二十分が経過すると、ウォンバットは自身の手荷物から銃を取り出しキャビンアテンダントに向け、機体の前方に向かうように指示した。ウォンバットは彼女の背中に銃を突き立てながら、前に進んでいった。最前列に到着すると同時に、ガラガラヘビも席を立つと、自身の武器を見せつけながらウォンバットの背後を見張っていた。ウォンバットはその後キャビンアテンダントにコックピットのドアを開けるように脅し、ウォンバットとガラガラヘビは中に押し入り、機体を乗っ取った。
彼らの最初の行動は航空機と人質の制御をするため、通信手段を確保し、要求を聞くであろう航空管制所に話しかけ始めることだった。彼らの要求はたった一つ、30万米ドル、現金。シカゴ・オヘア国際空港に配達すること。彼らの要求が速やかにFBIに伝わると、状況把握を担い、全ての手配を開始し始め、二人にオヘア行の飛行機に乗るように指示した。
交渉中、FBIはウォンバットとガラガラヘビとの取引をまとめることができた。シカゴ・オヘア国際空港での燃料補給、並びに機内の子供達とその保護者の解放と引き換えに、最初に一万ドル。機内には18歳以下の子供が21名搭乗しており、14名の保護者も同乗していた。ガラガラヘビが取引内容を機内の全員に伝えていた時、娘と孫と共に搭乗していた老夫婦 — エイムズ夫妻 — も説得の結果、何とか自分の家族と共に解放されることになった。
4145便に搭乗した乗客のうち、行方不明にならなかったのはこの37名のみである。しかしながら、彼らは事件の詳細な様子を説明することができなかった。子供達は全員幼く — 14歳以上は三名しかおらず — 保護者は全員緊張で張りつめていたためだ。更に殆どが機体の後方に座っており、一方でハイジャック犯達は殆ど全ての時間をコックピット内で過ごしていた。しかしながら、老夫婦はファーストクラスに搭乗しており、彼らから機内で何が起こったかを最も詳しく知ることができた。
勿論、その中にはコミュニティの間で議論を巻き起こした、悪名高い“メタルシリンダー”も含まれている。二人組が飛行機を乗っ取ってすぐ、ウォンバットは一旦自身の席に戻り手荷物の中から第二の道具を取り出した — それは銀もしくはプラチナ製の筒状の物体で、ウォンバットが片方の手で持っているリボルバー(第一次世界大戦中の軍役以降、銃愛好家であったエイムズ氏はS&W M10と確認した)よりも重そうに見えた。エイムズ氏はガラガラヘビの武器は特定することはできなかった。機内の子供達の何人かはそれが“光線銃”だったと言い張っていたが、彼はこれを否定し、不明なモデルだが普通のライフルであったと述べた。
エイムズ氏はこの件に言及された際、シリンダーに関して次のように述べていた。搭乗していた子供達の数人も同様に触れており、 — ここでの彼らの証言は一致している。
私の見た感じでは、そのシリンダーはおおよそ長さが18インチかそこらで幅が2インチから3インチの間かそれくらいだった。たしかに、横には使えるようなダイヤルやボタンなどはなかった。ただ、全体が純粋な銀色の金属で、滑らかで光っているだけだ。けれども、先に四個の小さなライトが付いていた。赤、緑、黄、青に。それが時々光っていたんだよ。
ハイジャック犯、デカいヤツはずっとそれを身に着けて、手にはリボルバーを握りしめていたんだ。かなり妙だと思ったよ。
その後のフライトは — 数人の生存者によって語られたように — 緊迫したものであった。ウォンバットとガラガラヘビのうちの一人がコックピット内に留まる間、交代でもう一人が通路を静かに巡回していた。生存者全員によると、ある男が歩いているウォンバットに体当たりをしようとして頭を撃たれたという — このことは航空機がオヘアを再び飛び去った後で初めて警察当局の知ることとなった。
crewtime 10/19/04 (水) 11:07:19 #02927102
航空機は四時間弱の飛行後、米国中部標準時午前6:38にオヘアに着陸した。連邦捜査官は滑走路を取り囲んで最初の身代金の一部を持ち出し、航空機の目の前でそれを開けて二名のハイジャック犯に人質を解放するように要求した。この時点で子供達とその保護者達は機内から脱出し、老夫婦もそれに続いた。エイムズ夫妻は今度は当局に拘束され — これはハイジャック犯がFBIに彼らがさらに二人の人質を解放していたということを伝え忘れたためであるが — そして残りの人質は空港内に保護されて行った。
最終的に、ウォンバットは拳銃を持ちながら機内から姿を現したが — シリンダーらしきものは見当たらなかった。エイムズ氏によると、ウォンバットは着陸の直後にガラガラヘビに渡していたとのことである。警察に下がるように伝えた後でゆっくりと姿を現し、身代金を漁ると、急いで機内に逃げ去った。身代金の方は直接の罠は仕込まれておらず — インクパックも無いが — 記番号が記録されており、ウォンバットとガラガラヘビのどちらかが使用した瞬間、追跡できるようになっていた。
その後乗務員が機体タンクへの燃料の補給を行い、再び空へ離陸した。
FBIの人質交渉人は(理性的に)残りの身代金と引き換えに残りの人質の解放するよう交渉を試み始めた。だがしかし、交渉は乗員の問題が浮上したことで暗礁に乗り上げた — FBIは乗客だけではなく乗員の解放も要求したが、ウォンバットとガラガラヘビのどちらも航空機を扱えず、逃走車両の入手も不可能であったからである。またウォンバットが乗客を殺したという情報によってFBIは二人組に歩み寄る姿勢を著しく欠くようになり、交渉はより大幅に難航していった。
人質交渉の記録内で最も印象的かつ詳細な情報の一つは4145便から受信した最後の通信であり、以下の内容である:
ウォンバット:旦那、俺たちは飛行機の操縦なんて知らねえんだぞ。上手くいく訳ねえだろ。
ガラガラヘビ: [押し殺した声で]それは想定内だろ?
ウォンバット: [押し殺した声で]この小道具を意味なく持ってきた訳じゃねえんだ、いや。こうなるとはずっと思ってたさ。
ガラガラヘビ: [押し殺した声で]じゃあ、何が問題なんだ?
ウォンバット: [押し殺した声で]ただコイツらからもう少し分捕れると思っただけさ。
ガラガラヘビ: [押し殺した声で]おい、お前—
通信が終了した後、4145便は西に進路を変え、本来の目的地であるポートランドへ向かって — 概ね — 飛び出ていった。航空機は航空管制で追跡され、様々な空港、受信塔と空軍基地の区域と呼出符号の範囲内に常に留まりながら飛んでいた。これはパイロットがハイジャック犯に抵抗しての機転であったと考えられており、飛行経路が不安定且つ混乱であったことに著実に表れている。
しかしながら、米国東部標準時午前9:41 — 航空機が離陸してから六時間が経過 — にマウンテン・ホーム・エアー・フォース(領空ではないが)のレーダー範囲内に航空機が突入、4145便の到着を知り、状況を把握していた基地はレーダー上の機体を監視していたが、突然、区域の真ん中で忽然と消失したのである。
基地は便が再び反応するのを待ったが、何も発生しなかった。4145便はレーダーに反映されることはなく、どこにも着陸することは二度となかった。それはまるで、空中から消えたかのようであった。以来36年、何も発見されていない。機の残骸、乗員乗客の遺骨、何もである。公的には、航空機は未確認の場所 — FBIによると湖の可能性が高い — に墜落したということにされているが、実際は誰もそれを見つけることができなかったという点で疑問符が残る。
crewtime 10/19/04 (水) 11:40:20 #02927102
勿論、この出来事の最後の情報は、論争の的となっているメタルシリンダーである。
4145便はアイダホ州マウンテン・ホーム(基地と同名の街であり、基地そのものではない)上空のレーダーから消失した。捜索のため、調査隊が消失地点から半径30マイル以内とその下全体を探索したものの、何も発見されなかった。その地域にいた誰一人として、墜落の音を聞いたり見たりした覚えがなかったのである。飛行機は目に見える残骸を残しているはずにも関わらずだ。ブラックボックス送信機も完全に機能しなくなったようである。
しかし1990年、あるものが見つかった — 滑らかな銀色のメタルシリンダーである。長さが25インチで、直径が2.5インチ。先端に四つのライトが付いていた。それは町はずれの住宅地で掘削作業員が井戸を掘っていた際に見つかり、土に埋まっていたのである。50フィートもの硬い土壌の中 — 数千年前の地層 — に埋まっており、危うく見落とされるところだったが、作業員の一人がわずかに突き出ているのを見つけ引っ張り出した。このことは公表され、警察当局が4145便と結び付けるのに時間はかからなかった。
エイムズ氏は当時92歳、人生の終盤に差し掛かっていたがまだ存命であり、頻繁にハイジャック犯やいかに航空機から脱出できたのが幸運であったかを語っていた。回収されたシリンダーは彼の下に運ばれ、彼は汚れて傷んでいる状態であったものの、目の前のそれがまさに機内で見たのと同じ物であるとすぐに気が付いた。傷つき汚れていること以外、同じだった。
警察当局はシリンダーの使用用途については検討が付かなかった。結局のところ、機能を調べるため、開けて中身を見ることになった。しかし、見つかったのは銀箔で覆われた、石化した木の塊だけであった。シリンダーは機械や複雑な器具の一部などではなく、ただの小道具だったのだ。
ならば、それは何だったのであろうか?有力な説としてはこの事件に熱中する何者かが証拠を捏造して作ったただのレプリカだというものであるが、腑に落ちない。地下の奥深く、数百年前の土壌から見つかったのである。私が見つけた報告書では改ざんや土壌の変化の痕跡は発見されなかったとある。ならばどうやって地中深くにあったのだろうか?他に別の証拠がないため、それが航空機からのものであるはずないのだが、エイムズ氏は機内で見たそれと同じであると確信していた。彼曰く、それそのものであると。
もし本当にシリンダーが航空機から来たものであるならば、今まで発見された唯一の遺留品である。もしそうでないならば、その何者かは何故そこまでの偽装をしたのであろうか?