いつまでも一緒に
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花が咲いていた

超高層のビル群から喧騒が消失した
塵に溢れたスラム街から全ての汚れが消失した
燃え上がる熱帯雨林から炎が消失した
あらゆる紛争地帯から闘争が消失した

雨は止み、あらゆる曇天に光が差す
大気は澄み渡り、本当の世界の色が姿を現し出す

そして世界のあらゆる場所に、花が咲いていた

其はこの星が今際の際に見せるひと時の夢
真に「うつくしい世界へ」の到達
鳩は飛び立ち、無垢なる異常は解き放たれる

人類は漠然とその意味を知るだろう





「我々と異なる世界線でのみ観測されていたイベントだ。この現象が発生した世界は24時間後、残滓すら残さず消え去っている。例外は無い。発生するメカニズムも、24時間後に起こるイベントの詳細も一切不明。確かなのは、世界が終わるというその一点だけだ。…何者かにそうあれかしと望まれた様に、ね」

古今東西全ての花が咲き誇る丘の上で、白衣の男と全身に寂れた機械を取り付けた巨体の青年が立ち話をしている。事実上の死刑宣告とも呼べる内容とは裏腹に、男の顔は実に清々しく、安らかなものであった。

「という訳で君は私たちの管理から外れる事となった。今までの協力に感謝するよ、SCP-1687-JP。…いや、もうこの名前も使えないな」
「それで良いよ。もうすっかりその呼び方に慣れてしまったからね」
彼らはかつて「財団」という組織の下で管理し管理される関係にあったが、世界の終焉が訪れた事で財団は解体。全ての柵が捨て去られた今は「対等な友人」として暫しの雑談に興じていたのだった。
「…美しいね」
機械の青年は目の前の景色を見て呟く。
常に周囲を覆っていた霧は晴れ、吸い込まれそうな蒼穹がどこまでも続いている。地平線の果てまで花が咲き誇り、彼の植えた花々に混じって風に揺れている。
それは、まさに「楽園」と呼ぶにふさわしい光景だった。
ややあって白衣の男が口を開いた。
「全くだ。だがここの美しさは他のものとは比べ物にならないよ」
どうしたんだ急に、と青年は問いかけた。
「君の生み出した花はただ美しいだけのものでは無いという事さ。ここには君の『思い』が詰まっている。君の愛したという不死身の女性への後悔と、そして愛がね」
今まで聞いたことのなかった彼の人間味のある発言に面喰らったのと気恥ずかしさとで、青年はしばらく無言を貫くことしかできなかった。
「今でこそ言える話だけど、俺はこの花畑が好きなんだ。初めて見た時は…何というか、こんな夢の様な場所があったのかって感動したんだよ」
「…君は意外とロマンチストなんだね」
「今頃気付いたのかい?仕事じゃなければ俺だって少しは面白みのある男になるさ」
「…でも、そうか。君にはそう見えるのか」
「うん?制作者には違って見えるのか?」
「まぁね」
決して”美しくない景色”とは言わない。ただ、何かが。大きな何かが欠けている。
青年にとってこの場所は、”始りの地”であり、”思い出の場所”であるのと同時に、”後悔と懺悔の溜り場”でもあるのだ。白衣の男は「そうか」と一言返すと、それ以上何も詮索はしなかった。

「最後に一つ…。この花を持っていっても構わないかな?」
そう言って白衣の男が手に取ったのは、淡いピンクが美しい小さな花だった。
「…確か、君の故郷にはそれとよく似た花が咲いているんだったね。…『サクラ』だったかな?」
「…あぁ、あっちで俺を待ってる人がいるんだ。その人が好きな花なんだよ」
そう語る男の顔は、青年が見たどんな顔よりも優しかった。
「そうか…良いよ」
「ありがたい」
そう言うと、男は花を傷つけないよう丁寧に引き抜き、それを大きなケースの中にそっと仕舞った。
「じゃ、そろそろ行くとするか。…じゃあな友人。またどこかで」
「…あぁ。またな」
青年は、男が去っていく様をずっと見ていた。


日が沈み、夜が訪れた。辺りには花がサワサワと触れ合う音だけが響き、上を見上げれば、ただそこに有るだけの深い宇宙の一端を両手に収まらないほどに覗くことが出来た。星たちは人間という種の途絶など知る由もなく、極彩色の光を放ち続ける。
青年は地面に座り込む。ふわりと周囲を花の香りが包んだ。

「ーー待ってる人がいる、か…」
ふと、白衣の男が口にした言葉を呟く。
青年は少し自嘲めいた笑みを浮かべながら、花の絨毯に蹲った。流星だろうか。金属に覆われた頬に一筋の細い光が伝った。


一体どれほどの時間が経っただろう。星は巡り、東から白い光が漏れださんとしていた。

「やあ、久しぶりだね」
ふと、後ろから声がした。どこかで聞き覚えのある落ち着いた男性の声だ。
振り返ると、そこにはダークグレーのスーツに身を包んだ老紳士が立っていた。
青年は驚愕した。目の前の人物は不死となる方法を探しに彼女と旅を続けていた時に偶々出会い、気まぐれと言いながらも旅の手伝いをしてくれた男。そして彼女が自分の元から去った際に彼女の意思を伝えてくれた男だったのだ。

「…貴方は…あの時の…?」
驚きを隠せない青年が恐る恐る話しかける。
「覚えておいてくれて嬉しいよ」
男は50年以上も前に出会った時と全く姿が、年齢が、背格好が、凡ゆるものが何一つ変わっていなかった。だが、老紳士の一言で不思議と動揺は消えていた。
「如何してここに?」
「…まぁ、そうだね。世界が終わりを迎えただろう?私も“役目”を終えたのでね。こうして君に別れを言いに来たのさ。それと…」
老紳士はそのまま辺りをゆっくりと眺める。
「ーーそうか、幾万の夜を超えても君は…」
「…今となっては、意味なんてありませんよ」
「そんな事はないさ。何一つとして無駄では無い」
瞬間、優しくも威厳のある声が響き渡った。
「…小さな君。何か望む物は無いかね?」
「望む物…?」
「私はね、大抵の事は叶えられるのだよ」
老紳士の瞳が、その言葉に嘘偽りなどない事をこれでもかと告げていた。
しばらくの沈黙の後、老紳士は口を開いた。
「是非、聞かせてくれ」
二人の立つ丘に穏やかな風が吹く。暫しの静寂の後、青年は口を開いた。
「ーーいえ、僕はこのままで良いんです。望むものはありません」
「ほう、君は彼女との再会を望むものだとてっきり思っていたのだがね」
青年は、沈み行く夜の闇を噛みしめながら、寂しげな面持ちでこう続けた。
「…彼女は、ここにいるんでしょう?」

「ーーいつから?」
「財団が僕を収容して暫くした時…担当医の先生が僕に協力のお礼って花をくれたんです。一輪のフタリシズカを『本当にすまない』って申し訳なさそうに」
足元には、青年が埋めたフタリシズカの花が靡いている。
「何となく…気付いていたのかもしれません。この世界にもう、あの人はいないんじゃ無いかって」
錆切った金属と自分のものでは無い、彼女の肉体で作られた手が軋む音が聞こえる。青年の自由意志によって動く肉体が、酷く重く感じた。

「…彼女は、結果として君を不死にする方法を見つけられなかったのだ。酷く苦悩していてね。君に言われた事が相当に嬉しかったのでは無いかな。理由までは私の知る由も無いが、結果として彼女は自らの身体をバラバラに刻み、君の体に移植する事で擬似的な不死を実現させたのさ。自らの命を顧みずにね」
老紳士の語る真実に、青年はただひたすら耳を傾ける。

彼女は、自分を憎んでなどいなかった。

頭では理解したつもりでも、その事実は青年の心に喰い込んだ後悔と懺悔を取り除くに足る力を持っていた。

「彼女も、君の事を心から愛していたよ」

その場に崩れ落ちた。嗚咽が叫びに変わる。
それは悲しみではなく、如何しようも無い喜びと、その喜びを伝えられない虚無感への慟哭だった。

夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。


「素敵だ。…あぁ、本当に素敵だ」
老紳士はそう呟き、疲れ果て寝てしまった青年の涙を拭き取ると、懐から一枚のメモ用紙を取り出し涙の雫を染み込ませた。彼はポケットに挟んだペンでメモ用紙に何かを記すと、それをその場に置いて歩き始めた。
「ーーそんな事をして何になる?」
背後から男とも女ともつかぬ様な声がする。老紳士は歩みを止めた。
「物語は既に閉幕したのだ。貴様が介入する理由など無い筈だが」
老紳士は溜息と共に声の主の方に振り返る。
「ーー私はもう君たちの手の中で踊るピエロでは無いのだよ」
「…何?」
実体の無い、しかし圧倒的な存在感をもって言を放つそれは、老紳士の言葉に動揺する。
「異常が跋扈し、魍魎が蹂躙するこの世界に終わりを見出した君には分かるまい。全てを見た気になっているなよ」
老紳士は
「私は君に反逆するよ、リーダー(reader)。最後くらい私の好きな様に救わせてもらうさ」
パングロスと呼ばれたその男は、声を大にして言い放った。

メモが光に包まれ、辺りを飲み込む。


青年は重たげな目蓋をゆっくりと上げる。

大地を朝焼けが照らし、黄金に染めていた。

すっくと彼は立ち上がり、ふと違和感に気づく。
何故だかいつもより花の香りを強く感じた。
視点も何か妙だ。いつもより地面との距離が近い気がする。

何気なく手を見ると、錆びれた金属とケーブルが構成する腕は無く、人が生来有する肌色で温もりをもったそれが肩からすらりと伸びていたのだった。

青年の後ろから声がした。

ーー綺麗ね。

光が駆け巡る。

どれほどの夜を越えただろう。

この瞬間を幾度願っただろう。

そこには、恋焦がれた想い人の笑顔があった。

「ーーあぁ、綺麗だろう?…ずっと…君の為に!」





終わり行く世界、その片隅に楽園と見紛う花畑がある

蒼天の下、百花繚乱のその中心で、
二人の美しい男女が肩を寄せ合い愛を囁く

繋がれた手の中には、
フタリシズカの白い花がしっかりと握られていた

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