今際の花
花、花、一面に花。気が付けば、見渡す限りに極彩色の世界が広がっている。空は青く爽快に晴れ渡り、夏の訪れを感じさせる。ひとつ違和を挙げるなら、その花模様は支離滅裂だ──春夏秋冬すべての季節の花が全力で咲き乱れているように思われる。今はきっと七月の頃だろう。それにもかからわず、私の傍らに咲いた花はコスモス、少し離れたところにはナノハナ。頭上にあるのは恐らくウメ(時期が合わないために、その花を見るのは初めてだった)。どれも満開の笑みを浮かべるように、太陽のある方へ顔を向けている。
ギラギラと照りつけるような日の光は、存外優しく葉緑素を刺激しているように感じられる。どこにあるかもわからない心の在処を明らめるような、それでいて包み込むような強さと柔らかさをもって、私たちを照らしている。きっとすべての生命体が同じような、落ち着いた心持でいるのだろう……そう思わせられてしまうような、普段とは違う仄かで不思議な暖かさがあった。
しかし、私 (あるいは私たち) にとっては違う。花はただ地表を彩るために咲くわけではなく、連綿と続いてきた種の保存のために咲かなければならない、重大の使命を担う器官なのだ。それは自身の意思で開閉をどうにかできるものではないし、花が咲くことによって初めて、今がどの時期なのかを把握できる。だから今はきっと七月の頃なのだろうと私は思ったし、だからこそすぐ傍に咲いた花々に酷く困惑した。何が起こっているの理解できていなかった。私が人間ならば、横にいるコスモスに直接質問しただろうに。それすらできなくて、植物に生まれたことが口惜しくなる。
花が咲いたからには、今は全力で種の存続に精を出さねばならない。そしてそのことに必死なのは私だけではなく、他の植物たちも同じだろう。生きとし生けるもの、子をつくることには全力になる。
◆◆◆◆
幾らか時間が経ち、ひとつふたつと足音がして、人間がこちらにやってきた。俯きながらも柔らかい微笑みを携えて、彼は私の前にしゃがみこんだ。彼はまだまだ若い青年であるように思われた。私たちと同じように、まだまだ未来のある人だ。
彼は私の花にそっと手を添え、一言呟いた。
「ラベンダー、本当に綺麗だな」
瞬間、鋭い痛みが私の体を走る。彼は花を手折ったのだ。痛みに耐えながら、彼の語る言葉に耳を傾ける。
「いい香り。ずっと嗅いでいたいくらい」
憎らしい。お前のために私の花は咲いたのではない。
「もしも世界が終わるのなら、なんて語る歌はたくさんあるけど……俺の答えは」
よくわからないことを彼は言う。世界が終わる?
「まあ、花束でもつくろう」
らしくないけどと独り言ちながら、彼は辺りを見渡す。
「これもいいな」
彼はコスモスも手折った。次から次へと、視界に入る花々を摘んでいく。
「これくらいあればいいか。しかしなるほど、まったく四季折々で死に際もいいもんだ」
満足げな笑顔とともに、彼は立ち去る。彼は、今から死ぬのか。
◆◆◆◆
風の音が鳴るばかりで、あとには静寂が残る。晴空とは対照的に、酷い嵐が過ぎ去ったような気分だった。彼がいなくなってなお花は溢れんばかりに辺りを満たしているが、私の花はいなくなってしまった。心の底から、彼のことが許せなかった。世界の終わりだとかは私には理解できなかったが、私たちが全力で子孫を残そうとしているなか、彼は死ぬために私たちの花を摘んでいったのかもしれない。そう考えると、悲しくなる。どうか、二度と戻ってこないことを祈りたい。
ただ、生きることを諦めたものに、生きるために咲いた私たちの花を手折らないでほしかった。もし本当に世界が終わるのだとしても、あなたは私たちのありえたかもしれない未来を文字通り摘んだのだと伝えたかった。そして私たちに心の底から謝ってほしかった。それから死ぬなりなんなりすればいいのに。だけれど彼は清々しい気持ちのままで、花束をこさえるのだろう。何もできなくて、悔しくて悔しくて、たまらなかった。
終わるとかどうでもいい。私にとっては今が大事だったのに。やけに太陽の熱が鬱陶しく感じられた。