今の状況に至った経緯を筋道立てて説明するのは難しい。
ほんの2時間ほど前までラトーナ・"ロックス"・ラディオーナ・ヴァシレフ中尉の率いるA-10Cの2機編隊、『セプター2』は、ドゥジャイルを中心にしたキルボックス内で、当該区域で情報・監視・偵察ISR活動を行っていたリーパー無人偵察機の統制官と直協しつつ敵の車列を探し出し、攻撃する任務に従事していた。
そこに幾つもの集落や村が存在するという制約から、コクピットの片隅に配置された多機能表示装置MFDに表示されている搭載品管理システムSMSには、付随的損害を最小化しつつ対象に確実な無力化をデリバリーする為の物から、広範囲に展開する敵陣地を纏めて吹き飛ばす為の物、そして何より重要なのは、目標へそれらを確実に到達させるために必要な照準情報を得ると共に、それが確かな破壊対象であるかどうかを見極める為に用いられる目標指示ポッドがどのステーションに搭載されているかどうかを示している。
ウォートホグの搭載する2基のTF34-GE-100ターボファンエンジンは同世代のジェット戦闘機が搭載するものよりも遥かに効率が良く、それは彼女たちにとっては不幸なことに、相当に長い時間飛び続けられる事を意味していた。SMSの示す通り、ステーション4と8には600ガロンの増槽が搭載されており、飛行可能時間は8時間近くに及ぶ。キルボックス内で自ら目標を捜索し、それを特定・識別するにはそれだけの時間と燃料を消費するという事でもあり、その長い滞空時間は作戦指揮官にとっては兎も角、パイロットにとっては忌々しくもあった。
A-10のコクピットはF-16や、訓練生時代に搭乗したT-38に比べれば遥かに広々としており、それ故に高高度を巡航している限りはその静かなエンジン音と相まって乗り心地の良い機体ではある。但し、A-10のミッションプロファイルの大半は横風に揺さぶられる低空であり、その恩恵を授かる機会は決して多くは無い。
何しろその間に尿意を催した場合、機体を自動操縦に切り替え、狭いコクピット内で他のコンソールに一切触れる事の無いよう注意深く体を捻りながら、フライトスーツのジッパーを下げ、"ピドル・パック"と呼ばれるビニール袋を使う――但し、これを使うのは男だけだ。ラトーナ達女性パイロットは、尿吸収パッドを使う。後者の方が楽であるという話もある。何せよただ垂れ流すだけで済むからだ。
男性パイロットであっても、女性用のそれとは異なる形状の――何しろ男性の排尿器官には余計な出っ張りが多い――尿吸収パッドを愛用する者も多い。女性用の"ピドル・パック"も試作はされたが、少しでも乱流で機体が揺さぶられればコクピット内にぶちまける可能性がある。そしていずれにせよ、排尿中はパイロットも機体も完全に無防備であり、故に脅威が存在しない状況で僚機に見守られながら事を済ませるのだ。大便の場合はもうどうしようもない。国防高等研究計画局DARPAの天才たちが主導し、一般企業の公募という集合知の結集によって開発された、排泄物と皮膚の常在菌の相互作用による刺激性の分解産物を中和するシート付きのオムツが唯一の味方となる。大小を問わずコクピット内で躊躇いなく排泄できる事が優秀なパイロットの条件だ、と冗談交じりに語られる事もあるくらいだ。
彼女が所属する第5211地上攻撃飛行隊は、他の第521戦闘航空団の分遣隊と共にNATOが主導する有志連合軍の一員として合衆国中央軍USCENTCOMの指揮下に入っており、彼らは『突き刺す細剣Incisiving Rapier』作戦の一環であるキルボックス・阻止・近接航空支援KICAS任務に従事している最中だ。
それは彼女たちがムワファク・サルティ空軍基地に展開したその日から毎日のように続くルーチンの一環だった。
だが、数分前に入った通信は、それが全く変わってしまった事を彼女に告げた。ラトーナが今、愛機を向かわせている先に居るそれは、そのような対立とは全く別の世界にある脅威だった。
ジェフリー・"フィル"・フィリップ・ガイスト連邦国防軍大尉は、t分遣隊指揮官という立場である。それと同時に今の彼は、CRITICS1のみならずJFCC-SIID全体でも至上最大規模の作戦であり、その為に編成された統合任務部隊JTF『デスペラード』の現場指揮官を命じられているにも関わらず、単独でバグダード国際空港に降り立った。
彼を含む『デスペラード』のスタッフはその前の2週間、ムワッファク・サルティ空軍基地にある空軍の情報・監視・偵察ISRエプロンの一角を間借りし、そこで作戦調整を行っていた。その大半はデスクワークだったが、同時に安保理決議2797に基づいてイラク国内での人道的介入を目的としたNATO連合軍主導による"Incisive Rapier"作戦の進捗にも目を向ける必要があった。JTFデスペラードがこれから投入される作戦は敵には勿論、味方にも決して明かされない本物の『非公式作戦Black Ops』だったからだ。
だが、敵とは?
彼は今の立場に就く前からその疑問をずっと抱き続けてきたが、今回は特に複雑で不安定だった。
直接的にはORIAとSCP財団のロシア支部で、その尖兵となっているのはイスラム革命防衛隊IRGCと、その潤沢な支援を受けたメソポタミアの聖戦改革戦線MJRFに与する有象無象の民兵組織だろう。MJRF部隊は神出鬼没で、その総体も明らかではない。だが、これらが急速に勢力を拡大した時期は恐らく2011年以降である事は概ね共通認識となりつつある。生来の決意作戦に於いて有志連合はISILの排除という本来の目的は達成できたが、一方でロシアのシリア内戦介入による中東へのプレゼンス拡大を阻止する事は出来なかった。これは西側諸国が未だ『対テロ戦争』という名の束の間の平和に囚われていた事を如実に示すものだった。
ロシア軍による潤沢な支援の下、シリア政府はよりその統治を強固なものとし、一時はISILとの戦いに於いて政府軍と共闘してきたはずの反政府組織への弾圧へ転換する過程でそれらから逃れてきた有象無象の民兵組織の緩やかな連合体が現在のMJRFの基盤になった。
そして、それらの少なくとも一部、恐らくは大半がロシア対外情報庁SVRの意向を受けている。
『他の連中』が確証を提示しない限りそれを受け止めていないのとは別に、我々の目の前にはその可能性を高く見積もるだけの根拠は積み重ねられており、フィルはこの作戦でそれを確証に変える何かが見つけ出される事を待ち望んでいる。
『他の連中』とは即ちSCP財団やGOCに名を連ねる108の議席に座す者たち、イニシアチブによって構成される対サーキック・カルトの共同戦線、『三頭政治』についての言及である。彼らの指揮系統に於いては、元来異なる目的と理念を持つ彼らの意志を統合し続ける事であり、僅かな情報が波紋を呼ぶことを彼らは何より恐れている。故に確証を求める事そのものは、彼らの立場からすれば当たり前の事だった。
MJRFを構成する諸々の軍閥、更には個々の構成員さえも利害関係を共有している訳ではない。彼らはその名とは裏腹に、組織ではなく単なる集団に過ぎない。イラク国内に於いて唯一の例外であったクルド人さえ、クルド人民防衛隊に根源を持つ人員がイラク国内に流入した事によって分断されている。そしてその直接の原因はオリーブの枝作戦であり、彼らの怒りはトルコと、ISILに対する共同戦線を構築していたシリア国内の親トルコ派反政府勢力、そして最終的にはその介入を阻止しなかった米国に向けられていた。クルディスタン自治区のクルド人政府とシリア反体制派クルド人勢力が相容れる事は無いだろう。
まるでその時を待っていたかのように、イスラーム・ダアワ党系軍閥の活動が急激に増加し始めた。表向きは宗教派閥間の闘争であるようにも見えるそれは、イラン、そしてシリアとロシアによる政治工作の結果だと我々は考えていた。敵味方が日単位で、或いは時間単位で入れ替わり、対立構造そのものに何者かの意図が絡んでいる。
恐らくは彼らを扇動し、顧問として活動しているゴドス部隊2やザスローン3が直接介入してくる可能性も排除できないが、それは前述の問題に比べれば些細な事だった。彼らが介入してくるのであれば、それは明確に識別できる敵としてであって、戦闘中でさえ日和見的な寝返りを厭わないMJRFに比べれば、少なくとも『背後からの一撃』を気にしなくて済む分楽な筈だった。
彼がバグダード国際空港に降り立ってからというもの、野戦憲兵旅団に所属する一介の一等軍曹に過ぎなかった頃にこの地を訪れた記憶を喚起せざるを得なかった。イラク国内で活動していたIRGCの司令官をヘルファイアで始末した後も続く米大使館や米軍施設へのテロ攻撃に対する反応の一環として、彼を含む軍事情報中隊の分遣隊は攻撃に関与した人民動員軍所属の民兵組織を特定し、外国の勢力がそれらの支援に関与している証拠を入手する為の特殊作戦に従事していた。そして、アサイブ・アール・アル=ハクやカタイブ・ヒズボラといったテロ組織がIRGCやヒズボラだけではなく、クルディスタン自治政府が支援するクルディスタン労働者党PKKと、それと対立している筈のトルコ人軍事顧問からも支援を受けていた証拠を得る代わりに、2人の部下を喪った。彼は今でも彼らの顔を覚えている。
強制力の伴わないルールの下で組織がどのように振舞うのか、それは『ヴェール』の表裏など関係なく人間という意識体の根源的な特性だった。彼自身は自分をマキャヴェリアンだとは思っていなかったが、ナラティブは常に利害関係によって形成されるものであり、超常コミュニティに於いてもそれは例外ではないと解釈している。
"ヴェール"の表でも裏でも政治的力学が『最大公約数的な最適解』を変化させるのは法による秩序を目指す限り避けられない。
安保理決議2797が採択されてもなお、イラク政府は国連の武力平和執行部隊APES4と国連の指揮下にある諸々の機関やスタッフを除き、バグダード国際空港には如何なる外国軍の駐留どころか、輸送機の離発着さえ認めなかった。バーレーンからここまで彼を運んだのはガルフ・エアの定期便で、この空港を警備するのは国連と契約した民間軍事会社PMCsとイラク兵、そして、ここからアル・ハリール空軍基地まで移動する為に乗るのは、まるで民間旅客機の如く白と空色の2色でに塗装され、限りなく黒に近い灰色で"U.N"の文字が描かれた輸送機だ。その間、腰の9㎜拳銃の存在を意識しない事は無かった。
彼が窮地に陥った時、助けてくれる者はここには居ないのだ。
何もかもが気に食わない。今の彼は以前と異なる立場でここにいる事を改めて実感せざるを得なかった。
その日のブリーフィングは、ラトーナを含む全てのパイロットにとって悪いニュースが含まれていた。つい数時間前、戦術偵察任務中だった海軍のF-14がイラク北部で"スノー・ドリフト5"のレーダー波を捉えていた。情報の確度を上げる為に続けて差し向けられた別のF-14が搭載するTARPS6がSA-11ギャドフライの移動式レーダー装備発射機TLARの鮮明な画像を捉えた。その後の数時間で有志連合軍の様々な空中電子偵察アセットが送り込まれ、中でも最も不幸な目に遭ったドイツ空軍のトーネードECRは"ファイアー・ドーム7"の照射を受け、少なくとも2発の地対空ミサイルSAMに追尾され、搭載するチャフを殆ど使い切った状態で帰投した。空軍のRC-135は逃げ回るトーネードを支援する過程で、更に高性能な"ハイ・スクリーンB"捜索レーダーの電波も記録しており、これはつまりMJRFがSA-11を取得し、それらが私たちに対する脅威リストに書き加えられたという事を示している。
第5211地上攻撃飛行隊が任務に就く前、MJRFはシリアとイランから供与されたと思われるSA-6ゲインフルや、より射程の短いSA-8ゲッコーやSA-9ガスキンを多数保有している事は既に明らかであった為、その脅威を軽減する為、有志連合軍の航空戦力はその大半が、恐らくは湾岸戦争以来となる大規模な敵性防空破壊作戦を実施していた。それは確かにデコイを含めた多くのSAMシステムを破壊したが、それ以降MJRFはそれらを地形を利用して巧妙に秘匿し、滅多にレーダーを発振する事は無くなった。それに加えて彼らはそれらのSAMシステムを頻繁に移動させていた為、果たしてどれほどの数が存在しているかを特定する事も困難だった。その為、我々に対する脅威の多くは未知な部分が多く、それらは我々に悪いニュースを齎したF-14の様に、危険が潜んでいるかもしれない場所に誰かが踏み込む事で確かめるしかなかった。
3日前、進軍する連合軍第一師団に近接航空支援CASを提供する最中、まさに彼らの進軍ルートを射程に収める範囲に敵の中隊規模の機甲部隊を捕捉した直後にレーダー警戒受信機が"ストレートフラッシュ8"のレーダー波を探知した時、彼女と彼女の僚機は眼前の獲物をみすみす見逃し、ワイルドウィーゼル9がそれらを吹き飛ばすまで、ただ低空に逃げ込むしかなかった。
彼女たちはもしワイルドウィーゼルが撃墜された場合のRESCORT10に備えて低空で待機するよう命じられ、その間に彼らの通信を聞いていた。対空砲火を回避する為の急激なGに耐えながらの通信は殆ど唸り声の様に聞こえる。彼らの任務がどういう任務なのかは良く知っているつもりだったが、自らケツの穴に飛び込み、降り注ぐクソを避けるのはどういう気分か、その片鱗を目の当たりにするのは初めてだった。
旧式のSA-6でさえ、その存在は全ての連合軍機の活動に大きな障害となった。地形にレーダー波が遮断されない限り、A-10は一定の高度以上に上がる事さえ出来ないのだ。より新しいSA-11が現れた事は、キルボックス・ノヴェンバーでの作戦行動がより一層危険なものになった事を示している。今でさえ攻撃の為に降下する際にはMANPADS11やSA-8、SA-9、それに23㎜や57㎜の対空砲の脅威に晒されている。長射程のSAMが存在するという事実、それを避けようとすればより短射程の対空兵器の射程内を飛ぶ必要が生じるかもしれないという可能性を生むだけで、とりわけ彼女たちの様に"泥臭い"任務に従事する部隊の活動を大きく阻害している。
"Incisive Rapier"作戦に参加している連邦国防軍の航空戦力はラトーナの所属する第521戦闘航空団分遣隊の他に第522戦闘航空団のF-16CG/DGがおり、いずれもその任務はCASと戦線近傍の戦場航空阻止BAIだ。戦域級SAMが覆う空域で何かが間違えればA-10は文字通り搔き消されてしまう。それでもキルボックスへの攻勢は続けなくてはならない。MJRFが彼らの意図する活動そのものが命取りである事を理解させてやる為には、ここで退くわけにはいかないのだ。
彼女は自分の愛機である"ウォートホグ"――正式なペットネームは"サンダーボルトⅡ"だが、乗り手からそう呼ばれる事は多くない――の能力を疑った事は一度もない。その武骨な外観は、まるで1940年代のナチスドイツ時代に描かれた設計図から飛び出してきたかのような印象を与える。F-15やF-14と同じ時期に設計されたという事実が信じられないほどに野蛮で、空気力学的洗練からは程遠い。
事実、A-10Cは戦術空軍の存在意義そのものを具現化したような存在であり、それ故に空軍からは疎まれ、陸軍からは羨まれる機体だった。A-10は米空軍そのものの戦略的機能に影響を与え得る如何なる能力も有していない。彼女に出来るのは地上にいる味方の兵士を殺そうとする敵の地上資産を叩き潰す事だけだった。そしてその能力は、元々はポーランド国境を越えて迫り来るかもしれなかった地を埋め尽くさんばかりのソ連軍地上部隊を磨り潰す為に要求された圧倒的な対地火力と生残性に基づいていた。それ故に、連邦国防軍は空軍に次ぐA-10ユーザーとなり、空軍からは徐々に退きつつある現在も100機近くを保持している。
1943年のパリ近郊上空で、機体を放棄せざるを得ない程の損傷を受けた状態から制御を取り戻し、その後にエースの駆るフォッケウルフから弾が尽きるまで銃砲弾を浴びせられても基地まで辿り着いたという伝説に比肩するタフネスさ、そして圧倒的な火力を併せ持っているという点に於いて、A-10は初代のサンダーボルトであるP-47からその愛称を受け継ぐ資格がある。しかしP-47と異なり、A-10は戦闘機ではなく、それどころかクリーン状態でさえP-47とさして変わらない速度でしか飛べない。その代わりに低空での対空砲火に晒されたとしても、素早いが脆いF-16と違って足を引き摺りながらも帰って来られる。事実として彼女たちの機体は幾度となく外板が穴だらけになって帰ってきたし、彼女の愛機にもDShK12の銃弾が正面の風防に直撃した事さえあった。彼女が跨るのは生まれ持ったタフさを維持しながら、誕生から60年近くが経つ中で遥かに老獪になったイボイノシシだ。
アル・ハリール空軍基地に降り立つと、フィルの目にナイトストーカーズ13のチヌークやブラックホークの姿が映り、彼はそれで漸く幾らか落ち着く事が出来た。MH-53N『ブラックアウト』の姿も少し離れた区画に見える。その名称とは裏腹に砂色の迷彩を施された特殊作戦用ヘリコプターは、彼が中心となって立案した作戦―Tainted Glory―に於ける切り札となる予定だった。
彼を出迎えた空軍兵は、機密の判が押された封筒を手渡すと丁寧に自室とオフィスに案内し、基地の施設を口頭で説明した。聞けば、それまでナイトストーカーズと空軍特殊作戦部隊ASOFの分遣隊が駐留しているだけだった小規模な施設が、ここ数か月の間に急激に拡張されたのだという話だった。あの灰色のヘリコプター達が到着したのは数日前、その前にはAPESの輸送機が入れ代わり立ち代わり飛来し、中には識別票を着けていない様々な格好の武装した連中も含まれていたと。彼は案内した伍長に例を言い、ベッドと小さな机以外は何もない自室を見渡しながら、これから起きる事に思いを巡らせる。
妙な格好をした連中、それが俺たちと一緒に仕事をする事を考えると気が進まないのは事実だ。少なくとも奴らに背中を預けるような状況には絶対にするまい。
敵と味方が不明瞭なのは何もこの地に限った話ではなかった。
財団のロシア支部は実質的に国家機関の一部、超常脅威任務総局GPUの研究開発部門であり、他支部或いは本部との交渉は、それが利害を共有できる場合を除き失敗に終わる事が殆どだった。オリガルヒに選ばれなかった新興財閥はマフィアと癒着し、その中にはロッジも含まれている。腐敗構造はGPU/ロシア支部とロッジの奇妙な共生関係を生み出している。
財団の保有するサイト126での反乱とプロデュースした張本人、イヴァン・アンドレエヴィチ・イヴァノフIAIはその尖兵に過ぎなかった。ヴェールの内側より外の方が遥かに広く複雑である事を彼らは認識するべきだった。しかし、気づいていたとしても彼らにそれを止める事は不可能だっただろう。
一言で言えば、彼らは理想主義に逃避したのだ。即ち、SCP財団は共通の使命を持った組織であり、各国に配置された支部は高い独立性を維持しつつ、何よりもその使命に忠実である筈であってその地政学的影響を受けることは無い、と。
彼があの後に姿を見せたのは今までに3度、クリアカンとカルタヘナ、そしてブルックリン。IAIの消息はずっと逸脱性事件対応部DIRGEとi3分遣隊が追跡していた。3度目、フィルの率いるチームがブライトン・ビーチにあるロッジの拠点を襲撃した時、彼らはよく訓練されたロシア人達からの反撃を受けた。その後に彼らが見つけたのはごく僅かな二酸化ケイ素の結晶だけだったが、少なくともそれの存在自体がIAIが居た事実を証明している。そしてつい1か月前、国境付近を偵察していたリーパーがオシュナビーエ郊外で4度目のコンタクトを確認した。
2019年のコーサカス演習にも関わらず、『Xデー』は来なかった。いや、そもそも来ると妄信していたのは奴らだけだった。我々は少なくともあの時に物証を得ている。聖地を巡るイベントそのものが仕組まれたものである事を。恐らくはロシア支部も同じ結論に至っただろう。
そもそも『あれ』がなぜあの場所で発生したのか、財団やGOC、イニシアチブの連中がそれに疑問を抱かなかったのは何故か。第4062機動ミサイル航空団のサーベラスICBMのうち、少なくとも1個飛行隊分が今でもあの場所に照準を合わせているのは、それが我々なりの解答だ。恐らくIAI、若しくはその断片を叩きつけてやらない限り、『三頭政治』の意思決定系統は、自分達が奴らの手の内で踊らされていた事実を受け止められないのだろう。
少なくとも彼らはIAIの足跡に関する情報を共有し続けてきた。『三頭政治』とはいささか皮肉めいた命名に思える。時期も場所も大いに間違った場所で、彼らはようやく腰を上げる事に決めた。
その狂った作戦とはこうだ。『三頭政治』の選抜チームと我々は有志連合軍の作戦領域のすぐ傍を通り、ザグロス山脈の国境線を超えてオシュナビーエにあるIRGCが管理するORIAの施設を強襲、そこにいる筈のIAIの身柄を確保する。
APESも有志連合軍も地上部隊をまだイラク北東部には展開させていないし、仮にさせていたとしても越境作戦は許可されないだろう。そして、財団やイニシアチブが調達できるような民間車両だけで目標に到達した所で、帰路の安全を確保する手段がない。よって、国境付近まではクルディスタン愛国同盟PUK派のペシュメルガ装甲部隊が随伴する。問題は、彼ら自体が『ヴェールの表側』で行われている作戦のターゲットと区別がつかない事だった。ペシュメルガはクルド人政党の派閥ごと、或いはそれ以外の利害関係に基づく忠誠心によって分裂し、それらの中には連合軍によって攻撃対象とされている軍閥も含まれている。キルボックスに一度でも入り込めば、連合軍の容赦ない攻撃に晒されるのは間違いないだろう。
1つ目のチームはPUKペシュメルガと同行して退路を確保し、連合軍からの攻撃対象とならないよう双方の調整と観測を行う。
2つ目は先行して予備目標地点の観測と、もし主目標にIAIが存在しなかった場合の即応部隊QRF誘導、3つ目のチームは主目標の抵抗を排除し、『三頭政治』の合同収容チームがIAIを確保するのを支援し、4つ目のチームはQRFで、主目標にIAIが存在しなかった場合の対応を行う。
QRFの出番は無い方がありがたい。ブラックアウトは普通のヘリコプターより遥かに敵に見つかりにくいが、絶対に見つからない訳ではない。越境作戦が公になるリスクが少しでも上がるのは避けたいのは、理念と指向性、ナラティブ、そして利害関係を異にする彼らの数少ない共通した認識の一つだった。
「セプター2-1よりスプライト、マーシャルに到着。セプター2は2機のA-10、任務の準備良し」
"スプライト、セプター2-1、現在西側の国境付近に多数のイラン・イスラム共和国空軍IRIAF14機の活動が確認されている。WP3ノヴェンバー。高度11000にて右旋回して待機せよ。ブルズアイ120、20マイル、17000に戦闘空中哨戒CAP中の味方機、トムキャット。高度制限を守るように」
「セプター2-1」
了解、の意を告げるのとほぼ同時に、レーダー警戒受信機RWRが幾つものレーダー波を検出、電子戦システムが脅威ライブラリから該当する表示を電子戦ディスプレイに表示し、電子音で彼女にそれを警告する。MFDのもう一方に映るナビゲーションシステムとヘルメット装着ディスプレイに表示される次のステアポイントを恨めしく眺めながら、彼女は僚機である"セプター2-2"を駆るセドリック・"ダイムバッグ"・スコット中尉に編隊間通信チャンネルで呼び掛ける。
「『ダイムバッグ』、聞こえてますか?」
"2、感度は良好。2時上空を見てみろ。F-14が見える"
「方位220にも14の反応、IFFは応答なし。邪魔しに来たのもトムキャットでしたっけ?」
"革命前、IRIAFはF-14Aを80機近く購入した。今思えば成約しない方が良かった商談だったのは間違いない。奴らはあらゆる手段でそれをレストアし、今でも50機近くが飛行可能な状態だと"
「奴らのはどうか知りませんが、海軍の奴は本当に速いですね」
"それに目もいい。D型はラプター並みだ。幾らA型を弄り回した処で差が埋まる事は無いだろう。言っておくが、前半は内緒にしておいてくれ"
「了解、最大の敵は空軍と海軍であると肝に銘じます。で、背後にはロシア人がいると」
"恐らくは。なあ、どうして君はロシアを嫌悪するんだ?自分のルーツだろう、『ロックス』"
『ルーシ人の女』の意味を持つ『Roxelana』、スレイマン1世の皇后の渾名に由来するそのTACネームを考えついたのは彼だった。存外に博識な男であるという印象を持ったのはその時からだ。
「それは否定しません。ですが、それに拘る必要性も感じない」
"理由を聞いても良いかな?"
大したことは無い。ロシア系ベラルーシ人であり文化人類学の教授だった父、ウクライナ出身でベラルーシに移住した後、証券会社で働いていた母を両親に持ち、2人が家族―私と妹のオリガ―を連れて出国した時、彼女は12歳、妹は6歳だった。直接的な理由は父が発表したある論文が「ベラルーシ国民に民族主義的精神を扇動し、反政府運動に根拠の無い動機を付与した」と看做され、職を追われた事に端を発する。ウクライナ出身の母を持つこともそれを助長したのかもしれない。彼女は2年間ポーランドで過ごしたが、その後アメリカに移住した。
両親と同様、そして恐らくは多くのベラルーシ共和国民と同じように、彼女もまたベラルーシ(白ロシア)人としての民族的アイデンティティというものを意識する事は殆ど無かった。それはオーストリア=ハンガリー帝国に於けるルーシ人とポーランド人のような民族的対立構造を経験しなかった事、その後のロシア帝国時代に行われた強力な同化政策など様々な背景があるのだろう。彼女は父の影響でそれらの知識を断片的に得てはいたが、それが自分の世界観ナラティブに影響を与えたとは思っていない。ベラルーシ人の殆どはベラルーシ人国家、及び自身を含めたそれを構成する国民を『旧ソ連の巨大な忘れ物』くらいにしか思っていないのかもしれない。少なくとも彼女の周りはそうだった。
「巧く説明できません。ですが、今祖国が吹き飛んでも、何の感情も抱く事は無いでしょう」
"友人は居ないのか?彼らが祖国ごと吹き飛んだとして、その時は何を思う?
「考えた事も無い。ですが、恐らくはあなたと同じでしょう。まず世界が変わった事への衝撃が短い恐怖に変わり、それが怒りに固定化される。その場にいた者達の運命に思いを馳せるのは、それをCNNで見た時です」
"では、君は自分を何者だと思っている?"
「アメリカ人であり、合衆国連邦国防軍人であり、今はイボイノシシのデカいケツの穴に押し込まれている事を喜ばしく思う間抜けの一人です」
"なるほど、明解だ。なぜ軍人になろうと?"
「あなたと同じですよ。他に行く場所が無かった」
スコット中尉が軍に入った経緯は以前に聞いた事がある。ブルックリン出身の彼はアルコール中毒のタクシー運転手だった父に嫌気が差し、物心ついた事には家に帰らず働いていたバーで寝泊まりしていた。そこでギャングのメンバーに気に入られ、気が付いたらその小間使いになっていた。当時の恋人がオーバードーズで死の縁を彷徨うまで、彼はその生き方を疑う事も無かっただろう。
彼女もまたギャングの一味だったが、売り物の一部に手を出していた事がバレた事で彼らはブルックリンを離れる事を余儀なくされ、恋人の治療費を稼ぐために半ば自棄になっていた所を偶々リクルーターに声を掛けられて志願する事になった。彼曰く「もう少しで俺たちは『レクイエム・フォー・ドリーム』の3人と同じ運命を辿る所だった」との事だった。彼のTACネームは著名なギタリストの名ではなく、彼の過去に由来するものだった。
米軍によるシリアにある親イラン武装組織の拠点への空爆、IS指導者の殺害、中東でのプレゼンス拡大を目指すロシアの政治指導部にとっては面白くない事態だっただろう。にも拘らず、シリアで一時的にロシア軍と我々が協調したのは、そういった既存の枠組みからは全く外れた"外なる脅威"が、そういった地政学的にも純軍事的にも微妙な地域で顕現したというただ一つの事実に基づくものだった。
私が『逸脱戦対応軍DEVWARCOM』という軍の非公式なコマンドから下された特殊作戦に初めて参加した後、私は自分の世界がそういう"外なる脅威"に囲まれているという事、そしてそれさえも国際政治という巨大な力学に組み込まれた1要素でしか無い事を知らされた。フメイミムを代替飛行場として使用する許可をロシアが下したのは不可解極まりなかったが、それもあの作戦の異例さなものだったかを象徴する一つの事象に過ぎない。『SCP財団』というふざけた呼び名の組織の要請の元──彼女はそれが『ビビリ散らかして混乱した奴らShitless,Confused People』の略であると信じている──、ロシア軍特殊部隊との合同作戦で奴らの尻拭いをした。その後のISILに対する空爆はそこで起きた事の目くらましに過ぎない。それは世界の外側から私たちの脅威を投影する何かであり、今我々が対峙している敵とは全くの別物だ。
一方、今の私たちが置かれている事態はそう簡単ではない。
安全保障理事会では3か国に対してクルド人の保護とクルディスタン地域の自治権回復を目的とした決議が発案されていた。ロシアが明示的には反対せず棄権に回った事は、NATOの戦力を中東に釘付けにしておく事が彼らにとってより利益になると彼ら自身が判断したのだと西側諸国には解釈された。軍事参謀委員会はAPESの投入できる戦力がMJRFの保有する戦力に対して質・量共に対抗し得るものではない事、そして早期の投入は死傷者の増大を招くと警告し、効果的な作戦にはより有力な軍事同盟による支援が必要不可欠であるとの結論に至った。それは2003年の米英を中心とした有志連合を名指ししているのと同義であった。
2003年と異なっていたのは、アラブ連盟の反応がほぼ無関心に近いレベルであった事だった。MJRFが少なからずロシア──そして潜在的には中国も──の影響下にある事は公然の秘密であり、2000年代のOPECプラスに於ける機能不全やアラブの春を切欠とした西側諸国の在来型石油需要を背景として、彼ら自身が不均衡を理解しつつも『中立的な』態度を示さざるを得なかったのだろう。
西へのプレゼンス投射に失敗した後、ロシア人達は更に孤立を深めていった。しかし彼らは既にシリアで中東への進出の足掛かりを得ている。中東を常に不安定な情勢に維持する事で、NATOにこの地域への関心を失わせない事、それが彼らの核心的な利益だったに違いない。
ロシアがこの大局まで見据えたシナリオを描いていたかどうかは定かではない。だが、私たちがこの空を飛んでいるという事は、過程はどうあれ、未来は彼らの望む方向へと進んでいる何よりの証拠だった。そして、IRGCがゲインフルに加えて大量のSA-10グランブルと、恐らくはSA-21グラウラーをもロシアから入手したという事実は、APESどころか、我々さえもイラン・イラク国境付近での活動は危険である事を示していた。
『神の真実』とイニシアチブの連中が看做している新たなる道、それを指し示すものがIAIから得られるなら、奴らは躊躇なくそれを持ち去るだろう。財団やGOCは目の前の異物についてもっと客観的に見る事が出来るかもしれないが、両者とも『X-デー』とされていた日が何事も無く過ぎ去った後、その事について深く考えるのを忘れてしまったように見える。
奴らが『邪怪技術』と呼ぶ妙ちくりんなデバイスを満載した、戦闘装甲車両AFVより目立ち、より鈍間かつ脆弱で、より限定的な火力しか持たない木偶の棒BUUF。12.7mm徹甲弾で無力化され、SWORD15と違って大口径火器と弾薬を長時間運搬する能力も無い不格好なスーツ。
不可視化迷彩を使いたいならASMAT16を使えば良く、敵をビビらせて何かを壊したいならジェット機を超低空で飛ばし、誘導爆弾を投下すれば済む話である。彼らは最新技術へのアクセスに投資するよりもその方がコストパフォーマンスが高いと判断したのだろう。GOCはAPESの武力を扱える分、財団より幾らかマシだったが、APESにしても"外科手術的な打撃"に使えるようなISR構造や長射程の火力投射手段は有していない。それを無理に実現しようとすれば理外に手を出さざるを得ないが、それは警察がテロ組織から対戦車兵器を購入するようなものだとフィルは思っている。
奴らが持ってきたそのデバイスもその類の一種だ。小銃のハンドガードに取り付けられたそれは、朝鮮半島でよく見られる金属箸を幾つかのスマートフォンの様なパネルの集合体に組み合わせたような形をしており、それはCotBGの連中が肉の尖兵を殲滅するデモンストレーションの際に使用した電撃兵器の技術提供に基づいて開発されたもので、摩擦発光励起解離増幅システムFIDESと呼んでいた。曰く、基礎理論そのものは癌治療で用いられる重粒子放射線照射療法と同様らしいが、そこにイニシアチブの連中が鉱物を用いた"奇跡論"とやらで対象のサーキック由来要素──HESICs17特有の、ある種の細胞内小器官或いは感染したウイルスのようなものに対する沈静効果──に最適化された電磁パルスを投射するものだという。
フィルはつくづく、誰が彼らをその役割に適任だと認めたのだろうと疑問を抱かざるを得なかった。平行宇宙の実在性、或いはマクロな事象に於ける量子的振る舞い、彼らがアノマリーに相対する時の態度は"収容、収容、収容"だ。彼ら曰く『アノマリーの"配慮に欠ける扱い"は世界を破滅に導きかねない』という。
観測可能宇宙の遥か外側に存在するかもしれない並行世界との相互作用とは、即ち因果律を超えて事象が顕現する事を意味する。少なくともそれがこの宇宙ではない事だけは断言できる。もし彼らの言が事実ならば、彼らが適切な取り扱いを策定するまでにこの世界は何度滅亡したのだろう。少なくともオブジェクトを元の場所から移動させ、檻に閉じ込めておくのは良くて銃弾を撃ち込むのが駄目な理由を聞いたことが無い。彼らはGOCほどにはヴェールの表に無配慮な武力行使を行う事も同意していないし、単独でそれを阻止する能力も持たない。一方で彼らの動機はターゲットが『脅威』であるかではなく、『異常』であるか、だ。彼らの間で『異常性』についての物差しを共有出来ているかも定かではない。では財団は一体何を研究しているんだ?
IAIの確保計画そのものは『三頭政治』が立案する。イニシアチブは兎も角、108評議会も本件に対して結論を出せなかったのは意外だったが、それはアブラハムの宗教のみならず超常コミュニティに参加している非国家主体の多くがロシア側の様々な思惑に影響を受けている事を暗示している。兎も角、三頭のうち二つで意思統一が図られていない以上、その理論的、技術的分野についてはSCP財団が主導権を握る事になるのは必然だった。
彼らの"独創的な"発想には頭が下がるが、その度にフィルは電源付きのコンテナを目立つ事なく運び込める立地ではない事、ヘリがその種のコンテナを吊り下げた際に取り得る飛行領域とそれによって喪われる低観測性がイラン側の防空システムを掻い潜るには余りに不十分である事を説明しなくてはならなかった。何しろそのコンテナは10t以上あり、それを彼らはAPESが運用する巨大なヘイローD18で運び込むつもりだったのだ。彼らも彼らで壁に頭をぶつけるのに飽き飽きしたのだろう、結局はCotBGに技術供与を求めざるを得ず、それがこの"女神様FIDES"という訳だった。彼らにダクトテープは通風管の修理以外にも使える事を誰も教えてやらなかったのは不思議でならないが、彼らは彼らなりの考え方がある。リスクの見積もりに口を出すつもりはないし、その権利も無い──こちらの資産を無駄に浪費しない限りは。
我々は飽くまで主目標がいる筈のIRGC関連施設の確保と、その為に必要な作戦――即ち彼らへの戦術的なタスクの割り振り――が仕事だ。その後は彼らの好きにさせる。
だが、ブリーフィングの進行役がイニシアチブの高位職者が身に纏う正装でもGOCの野戦服姿でもなく、スーツに脂肪を無理やり押し込み、カードケースを首から下げた中年の女性である事は想定していなかった。
"インシデント3989-4以降、我々の7年間に及ぶ情報活動によって、PoI-3989/U01、イヴァン・アンドレエヴィチ・イヴァノフの居場所が明らかになった。ロッジはロシア支部の末端組織として組み込まれているが、それがどの時点からだったのか、或いは初めからそうだったのかは不明だ。財団コミュニティ内に於ける彼の立ち位置は飽くまでアラビア語支部の職員であり、それ以外の痕跡は一切残されていない。だが、彼がインシデント3989-4後に残した物証は、我々の共通の敵であるところのサーキック・カルトの概念を大きく覆す可能性がある。よって、我々『三頭政治』合同司令部は諸君らを招集し、その確保に務めるよう求めるものである。これが本作戦の目的だ"
何が『我々』だ、クソッタレ。彼はプロジェクターを背に話す小太りの女を睨みつける。彼女は財団MSA19支部の渉外部長であると名乗っていた。つまり、少なくとも今次作戦に於いては技術分野以外に於いても財団が主導権を握っているという事だ。作戦目的がIAIの殺害ではなく拘束と確保にあるのもそれが理由かもしれない。それよりもGOCが実働指揮まで手放した理由の方が気になる。財団ロシア支部と本部の連携が絶たれている中、財団は超常コミュニティ内で極めて厳しい立場にある筈だった。
静かな怒りを留めようと、フィルはブリーフィングルームを見渡す。t任務群のチームリーダーが6名、それと"タスクフォース・トライデント"と命名された三頭政治の実行部隊メンバーが大勢。4色の砂漠用DPM20のユニフォームにレンジャーグリーンのSPCに似たボディアーマー、そしてフィル達が彼らを"ミゲル21"と呼ぶ切欠となったガスマスクは腰のポーチに収められている。財団の機動部隊が使用するその大半がセルビア製AK-47クローンの短銃身5.56mm仕様を2点スリングで首から下げており、見渡す限り全ての銃にサプレッサーが、また多くにはピカティニーレールを介して等倍の光学照準器が取り付けられている。つまり、彼らは肉眼で見える距離の物しか撃つつもりがないという事だ。
財団、GOC、イニシアチブ。理念を異にする3つの組織がサーキックに対して共同歩調を取る事が出来ているのは、奴らが人類共通の敵であるという認識を共有しているからだ。それでも本質的な違いは変えられない。彼らは各々が異なる定義で『異常/正常』の線引きをしている上、そこに加わった『壊れた神の教会CotBG』を名乗る連中とは前提の共有自体が怪しいものだ。
フィルは『子飼い』と呼ばれる財団自体が管轄し、保有する機動部隊の訓練を調整した事がある。彼らのやり方はSWATチームのそれに非常に似ていた。つまり、現場に到着してからが状況の始まりと考えており、到着するまでに行う事は文字通り座って待ち、おしゃべりSit,Wait And Talkに興じている。そして時間を掛けてでも慎重に、隊列の間隔は短すぎ、そして射撃は正確だった。そして無線交信は過剰なまでに密で、想定外の事象に対処する臨機応変さに欠ける。SWATチームが装甲車や対戦車火器に遭遇する事を想定していないのと同じように。それは予め周辺の安全が確保されている限られた範囲での戦闘であれば問題にはならないが、しかし問題はいわゆる『直接行動Direct Action』と呼ばれる任務――正に今回の様な――に於いては滅多に無いという事だった。彼らが現地に馬鹿でかいヘリやトレーラーで乗り付けようと夢想したのも頷ける話だった。
そして何より、我々はその認識を共有していない。我々にとっての敵は兵器化された異常技術による暴力及びその脅威の行使、それを行う個人或いは組織であり、変態カルトそのものは監視対象でこそあれ、手を下す必要性は状況に応じて変動する。つまり今回はIAI絡みだから一時的に協調できるだけだ。奴らがそれを忘れていない事を祈りつつ、彼は自分の出番を待つ。
「我々はPoI-3989/U01の居場所を突き止めた。可能性があるのは3か所、いずれもIRGCの管理下にあると思われる施設だ。現在、CRITICSの情報収集部隊が3か所を監視しており、その内最もPoI-3989/U01がいる可能性が高い目標を主目標アルファ、他2か所をそれぞれブラヴォー、チャーリーに指定している。ここにいるCRITICSの戦術チーム指揮官、ジェフリー・フィリップ・ガイスト大尉から強襲作戦についての説明を行う」
室内が数秒の沈黙に包まれる。
突き止めたのは俺たちだ、"我々"じゃない。
苛立ちを隠そうと奮闘しつつ、フィルは口を開く。
「あー、それでは作戦レベルのおさらいだ。まず一つ訂正しておく。これが"強襲"になるのはプランB、つまり主目標アルファに対象が存在しなかった場合に限定される」
彼を導いた男がそれを聞いて気まずそうな表情を浮かべたが、フィルは彼に恥をかかせるつもりは無かった。とはいえ、『タスクフォース・トライデント』、つまり『三頭政治』側の部隊が文字通り『強襲』のつもりで喧しくされればこちらまで危険に晒されるのは目に見えている。神経質そうな目の前の中年女性の機嫌を多少損ねた所で、微かでも注意喚起が出来るなら安いものだ。
彼は、作戦の各段階やチェックポイントに割り当てられた符号、それに併せて作戦が変更になった場合の手順についておさらいする。ブリーフィング前にブラヴォー、チャーリーを監視している前哨観測チームは、共に目標の500m以内にIRGCの監視拠点が存在している事を知らせてきた。もしプランB、Cに移行した場合、敵側の対応はより迅速かつ強力なものになるだろう。
「続いて現状の確認だ。アルファ周辺はIRGCのバスィージによって確保されており、恐らくアルファの施設内部も同様だろう。加えて過去24時間に行われたHUMINT22では、クッズ部隊の一部がシューシから移動した兆候が確認されている。想定される脅威は小火器、RPGの他にテクニカルの車載火器、加えて数両のBTR、BRDMと迫撃砲を含む重火器が作戦予定地点の周辺に展開中である可能性がある。つまり最短で10分以内に迫撃砲による砲撃が、30分以内に装甲車を伴った中隊規模の戦闘群と交戦する羽目になる。我々は大口径の自動火器と携行型対戦車兵器が幾つかあるが、それで君たちを守り切れるとは限らない。君たちの車列を護衛するPUKペシュメルガの"タスクフォース・リベリオン"も同様だ。よって襲撃は完全に隠密下で実施される。TFリベリオンに随行する連絡員はくれぐれも彼らの手綱を握っておけ」
メモを取るペンの音以外は何も聞こえない。再びの沈黙。
頼むからそのメモは暗記したら出撃前までには破棄しておいてくれよ、と願うばかりだ。
「外見上、施設は通常の2階建ての家屋だが、アクティブ式の検出装置を使用できない為、内部の防護状況は不明だ。その為、想定され得る準備はしていった方が良いだろう――正面から突入する君たちは特に」
背景に建物の見取り図が映し出される。
こちらのチームは4名。故に人数――即ち同時に発揮できる衝力と火力――が勝るあちらが正面から、我々は側面に穴を開けて入る。仮に防護が無ければ目立つのは我々だが、そうでなければあちらが目立つ。
「最後に、君たちも知っての通り、現在イラク北部全域で連合軍による空爆が行われている。如何なる事情があろうともルート47より北へは立ち入らない様に。また、モースルを起点にルート1より西側には連合軍の地上部隊が展開している。抜け道は我々の『タスクフォース・ローグ』が誘導するので、その指示に従うように」
"対象の異常性は?"
"ミゲル"の一人が挙手しながら問いかける。フィルは思わずため息をつきそうになるのを堪え、一番マシな回答を探す。素人Noobめ、とは思わなかった。彼らは軍隊ではない。視座パラダイムが決定的に異なるのだ。SWAT隊員が突入対象の建物からRPGや機関銃の集中砲火を受ける事を想定していないのと同じ様に。
「その質問は我々の不安を誘う」
6名を除く全員が呆気に取られた様子なのを気にせず、彼は続ける。
「我々は、君たちが"アノマリー"についての専門家だと信じている。"アノマリーの『収容』"ではなく、だ。実際にそうであるか、そうであったかについてはこの際どうでもいい」
誰かが咳払いをする。聞こえた方に視線を向けると、リコ・ガルシア一等軍曹がにやにやしながら彼を見ていた。
フィルは溜息をつき、睨み返す。
「我々の見解を知りたいか?全てのHOBOs23は"未解明"の――くれぐれも勘違いしないでほしいが、"不可知の"ではない――プロセスを経て創造された有機生命体だ。つまり運動器系を破壊されれば運動能力を、循環器系なら生命維持機能を、神経系なら外界の認識機能を失う。そして破壊された組織の修復は代謝系に依存し――生物である以上は当然だが――、その速度は最終的には生合成の化学反応に依存する。もっと分かりやすく言うなら、"血が出るなら、殺せる筈"だ。後は君の上司に聞くといい。他に質問は?」
彼は自分の役割を終わらせた。後はこの場を一刻も去り、自分たちの仕事の準備を始めるべきだった。これ以上この場にいる必要はない。
"あー……それでは続きだ。PoI-3989/U01が現在非異常性のヒトと同様の性質を維持しているかどうかは不明、それは彼がインシデント3989-4に於いて最後に目撃された際、『何か』を摂取した可能性がある。故に……"
彼らは既に当の昔から知っている情報の断片が伝達されていくのを背にしながら、彼はそういうとさっさとその場を去る。6名の部下がそれに続く。
「ヴェールを捲ったら花嫁がまともに見ていられないような不細工だったとして、ショックを受けるのは?」
若く、自信と多少の驕りを含む声が後ろから聞こえる。
「新郎だけだ。来賓にとっては他人事」
「来賓の人数は?」
「新郎と新婦を合わせたよりは確実に多い――でなきゃやる意味がない。次に茶々を入れたらお前も『SCP財団被害者の会』に仲間入りだぞ、軍曹」
この種の作戦でアマチュアが口を挟む時、彼らは決まってこのやり取りを口にするようになった。恒例の慣例句。
「その頃にはあなたは寝たきり老人になってますよ、大尉。"倉庫番"24が作戦全般を仕切るのは妙ですね。どちらかと言えば"愚連隊"25の得意分野では?」
振り返ると、――思った通り――アジア系の顔つきに白い歯を覗かせた若い男が話しかける。
「彼らは建付け上、国連の関連機関だ。世界中のパトロンに監視されている。平和強制活動の枠を超えて越境活動をした事がバレれば国連の威信は地に落ちる。本国もそれは望まないだろう」
「それだけでしょうか?他に何か隠したいか、或いは『共有されていない秘密』があるのでは?」
元フィリピン陸軍の砲兵だった父親と、CIAの情報分析官だった日系アメリカ人を母に持つリコが幼い頃から軍人を目指したのは当然の流れだった。その成立経緯から、連邦国防軍は亡命者やその子息が多い。11thFYBから特殊作戦部隊への転属を希望する若者にありがちな『自分を限界まで押し上げる』という動機で特殊作戦連隊へ、そして連隊付の備品こと特殊戦術阻止部隊という典型的なプロセスを経て特殊作戦コミュニティの仲間入りを果たした。彼は同僚よりも一回り以上小柄な肉体にも関わらず野戦猟兵ではSAW手を担当、彼が逸脱戦に関わる事になったのは運悪くE小隊に配属された為であり、フィルはそれからの半年の間に15回、彼と行動を共にしている。その中で彼を副官とするに足りる人物だとフィルは判断した。
「俺たちはいずれにせよ蚊帳の外だ。"三頭政治"Triumviratusがどうなったか知ってるだろ?で、奴らの装備は?」
「概ねいつもの『ミゲル』とそう変わりません。例のデバイス以外は小火器のみ、化学防護はレベルD、ロシア製暗視装置、ブリーチング用の機材は色々持ってきたようですがウォーターチャージやC4はありません。直接防護は直接行動部隊というには聊か貧弱ですな」
「彼らは軍隊じゃないんだぞ。SWATごっこには十分すぎる」
「何か悪いニュースはありそうか?」
「ペシュメルガの民兵はRPGと軽機関銃を持った奴らが何人かいるようです。装備も銃もバラバラ、テクニカルにはZPU26とPKM27、SPG-928も。そして、『赤毛のスラブ人』が大勢混じっています」
彼らはイニシアチブを経由して協力するが、それは彼らの流儀に則って行われる。つまり我々と同じように思考し、行動する訳ではない。そして、彼らが今までどう振舞ってきたかは嫌というほど知っている。
「アフガン以来の『お友達』だな。留意しよう、彼らには静かなままでいてもらいたい所だ。他には?」
「30分ほど前よりIRIAFの活動が活発化しているとの事です。海軍のF-14がCAPに向かっており、脅威が去るまでキルボックス・ノヴェンバーでの航空阻止作戦は中断、運が良ければ雄猫同士の対決が見られるかもしれません」
「俺たちには音しか聞こえないだろうさ。どっちにしろ対決には成らないだろうが、目晦ましになってくれる事を祈ろう。こちらの準備はどうだ?」
「i3分遣隊からの定時連絡は『3目標共に変化なし』と。ALSAV29のロードアウトも完了済みです」
「では、ドアを叩きに行こう」
"シェパード03より全部隊、状況は『アンバー』。繰り返す、『アンバー』"
それはプランAの開始を告げる符号だった。
"ライン・ジャッジ、了解。トライデント、こちらはデスペラード指揮官アクチュアル、スリープウォーカー6だ。状況は?"
"トライデントは全て了解。全車両は『オブシディアン』まで30分"
"スリープウォーカー6よりデスペラード全ユニットへ、行動開始。ライン・ジャッジはピューマを発射、軌道に乗った。『スリープウォーカー』は移動中。IRビーコンを起動し、MAVフィードで俺たちと自分たちの位置を確認してくれ"
ミラ・オルブライト少尉の率いる前哨観測班、"ナイトウォッチ"は、主目標アルファを3か所から監視していた。うち2班はアルファの周辺を監視できる建物の屋上から、1班は民間人に紛れて行動する。
SERPA30としては典型的な編成、計8名。その任務は目標から"荷物"が運び出される兆候が無いか、及びその警備体制を監視する事だった。監視を開始してからの12時間に関する限り、警備兵はバスィージらしき民兵だけのようだった。
彼女にとって気がかりなのは、監視を開始してから4時間ほどが経過した頃にやってきたBRDMとT-62を含む車列だった。もし彼らがこちらの動きに反応した場合、襲撃チームはジャベリンを含む全ての火力を使わざるを得ないだろうし、ペシュメルガの連中も重機関銃やRPGを撃ちまくるだろう。
彼女は亜音速弾が装填されている338ラプア・マグナム仕様のボルトアクション狙撃銃に取り付けられた光学照準器越しに、哀れな民兵の体の中心を捉えた。6.5~20倍まで倍率を変更できる照準器は、今は最も低い倍率に設定されている。ターゲットは300mも離れていない。よって照準の補正は最小限で済む。
「MAVフィードを受信。『スリープウォーカー』をWP1に捕捉。予定通りだ。全チームに通達、全ての窓には鉄格子が掛けられている。ナイトウォッチ各班、状況を」
ミラの傍に伏せているアイシャが告げる。
"ナイトウォッチ1-2、こちらにターゲット無し"
"ナイトウォッチ3、2名の民兵らしき対象が北東の対面にある建物から出てきた。AKを視認。1名は約10秒でナイトウォッチ1-2の射界に入る。1名は立ち止まっている"
「ナイトウォッチ1-1より1-2、10秒後に交戦を開始。初弾以降は自由射撃。3は待機せよ」
"1-2、コピー"
呼吸の頻度を可能な限り下げる為、ミラは口を開く。鼻と口の両方で呼吸する事で身体の動揺を可能な限り抑制する。亜音速弾による狙撃では300m先でさえ着弾まで1秒近くを要する。1秒後のターゲットの動きを予測するには、ターゲットだけではなくその周辺に彼の気を惹く何かが存在しないかに注意を向けねばならない。
永遠にも思える10秒の後、彼女は引き金を引いた。
恐らく近くで誰かが聞いていたとすれば、彼の胸部が弾けた音の方が発砲音より遥かに大きかっただろう。トレーニングで使用するシミュニッション銃と同じくらいの音しかしない。その時には既にハンドル操作を終え、次のターゲットを探している。自身に割り当てた自由射撃界にはターゲット無し。
「ナイトウォッチよりスリープウォーカー、WP2まで移動せよ」
"スリープウォーカー6、コピー、
手元のPDAにFLIR越しの映像が映り、赤外線パルス発振によって捉えられた自分たちと襲撃チームの位置がアイコンで示される。襲撃班は既にアルファを目視できる位置まで接近しているように伺えた。
「ライン・ジャッジ、こちらナイトウォッチ、画像を確認、フィードは安定している」
"3、1-1、そちらの射界に2名が徒歩で接近中。フラッシュライトに小銃"
「スリープウォーカー、フラッシュライトを持った歩行者Foot-Mobileを視認できるか?」
"スリープウォーカー6、肯定アファーマティヴ"
「光源が動かなくなったら直ぐにゴールポストへ移動」
"了解、合図を待つ"
「ミラ、サポートが必要?」
援護手を務める隣の女性は自身の祖国で非合法作戦に従事する事についてどう考えているのだろうか。ミラは一瞬その手の考えが頭に過る。狙撃の合間に何かを考えるべきではないとは理解していても、無意識まで支配できるほどの賢者では彼女は無かった。
「大丈夫、両方とも私が対処する。引き続き周囲の監視を」
2射目、哀れな男の胸腔がはじけ飛ぶ。隣にいた男は異音に気付いて振り返る、0.5秒。彼の死を理解するのに1秒、慌てて伏せるのに更に0.5秒。地面に2つの光源が落下。そこで彼の頭部が吹き飛ぶ。
"スリープウォーカーはゴールを決めに行く"
主目標アルファは壁で囲まれている。彼らはゲートではなく側面から壁を越えて侵入し、中庭の警備を制圧する。
つまり、狙撃手が支援できる範囲は大幅に限られる事になる。
ミラはその様子をスコープ越しに見守りながら、フィルが率いるチームがサプレッサー付きの11.5インチ銃身から放たれる300BLK亜音速弾で誰にも気づかれずに中庭の敵を無力化していくのをPDA越しに眺めるだけ。
彼女たちも同じ300BLK弾の武器を携行している。それは秘匿携行用低視認性強襲火器CLAW31と呼ばれ、元々はタイプ・グリーンやタイプ・ブルーといった連中を悟られぬ内に確実に殺害する為の近接狙撃武器として作られたものだった。セレクティブ・ファイア機構を除けばほとんどがAR-15用のサードパーティ製部品で構成され、ロアレシーバーに至ってはDWARFSのバックヤードで製造されている。
t分遣隊の原隊はSOCOM隷下の連邦国防軍特殊作戦連隊、通称「COBRA」であり、故に彼らは.300BLK口径の火器の場合、SOCOMが採用しているSIG社製のMCXを好んで用いる。そしてそれは、今の襲撃チームが使用しているカービン長モデルだけではなく、RATTLERと呼ばれるCLAWよりも更に秘匿しやすい4.5インチ銃身モデルも選択する事が出来た。
彼らは本来、グリーンやブルーといった、普通の人間に混じって生活している異常存在を、その能力が発現する前に見つけ出すのが主任務であり、その際に携行する火器は基本的にはそれに手を出したがる他の悪者共から身を守る以上のことは要求されない。もしその際に本来殺害を担当する他のチームが到着できない場合にのみ、それに適した火器が用いられる。それがCLAWであり、その前に用いられていた44マグナム弾を使用するRinkhalsであった。
CLAWが7.5インチ銃身を採用した理由は、それを撃つ対象の特殊性にある。CLAWでは通常、110又は125グレインの超音速弾を使用する。それは、対象に発砲音が到達する前に確実な意識の意味消失を伴う殺害を目的としている為であり、CLAWに要求される100mで1MOA以下の精度と同射程に於いて超音速とどの角度からの貫入であっても脳幹を破砕するのに十分な運動エネルギーを発揮し、尚且つ上着の下に隠せるだけの携行性を両立させる為であった。高精度な小銃弾を如何にコンパクトなプラットフォームから発射し、かつその残存運動エネルギーを高く維持するかがCLAWの本質的な命題であり、その相反する命題をトレードオフした結果が7.5インチという銃身長であった。
大振りではあるが一般的な拳銃と同程度のサイズでありながら50mで2MOAの精度を発揮できるRinkhalsはその役割を十分に果たす事が出来たが、より汎用性を高め、セカンダリと役割を統合する為に選定された10㎜ノーマ・オートの自動拳銃についてはその役割を十分に代替するには至らなかった。DWARFSの連中が言う通り、拳銃サイズのプラットフォームとそれから発射される弾薬では精度の限界を覆す事は不可能であったのだ。
しかし、今回の様な隠密下でモータルを相手にする強襲作戦であれば、その様な能力は要求されない。
今のナイトウォッチチームがt分遣隊と同じRATTLERではなくCLAWを使用している理由は、単純にそれが彼らの装備リストに含まれておらず、かつ彼らが使用できる装備のうち、300BLK弾を使用する銃の中で最も携行性に優れているという理由でしかない。
市街地のような射界の制約が多い環境でボルトアクションライフルを用いるのは、原則論に基づけば不合理だった。にも拘らず彼女たちがそれを選択したのは、第一に308や6.5㎜の亜音速弾を用いる銃の場合、それ専用に調整されていない限りは手動で排莢と装填を行わなくてはならず、また民兵が愛用するテクニカルへの対応能力が不十分だと考えられた為だった。本来長距離狙撃用に開発された338ラプアで亜音速弾による静音射撃を行うのは初期段階に於いてのみであり、その真価を発揮するのはその後になる筈だった。
できればその機会が訪れないでくれた方が望ましいが、特にこの種の敵地に於ける隠密作戦は不確定要素が高い。彼女はその事を良く知っていた。
不幸にも息の残っている敵兵の喉笛にナイフを突き込む。苦しませない様に、恐怖を感じさせない様に。それは"慈悲の短剣ミセルコディア"ではなく、彼らは時間が許す限り静かな殺しを好む、ただそれが理由だった。
「クリア」
部下達がそれに応じ、中庭から脅威が去った事を告げる。
エッジが肉を押し開き、主要臓器に達すると手に伝わる抵抗が変化するその感覚は好きではなく、その様に殺される敵に憐れみを感じないわけではないが、兵士であれば仕える相手を間違えればいずれ訪れる結末だし、そのリスクは承知して然るべきだ。戦場に於ける死とは即ち彼にとってそういうものであり、自分たちがそうならない事を祈るばかりだった。故に、戦闘による高揚感が去った後に彼は自分の死に様に思いを馳せる。どうせ戦場で死ぬのであれば、せめて最期まで抵抗したい。間違っても表の連中や今手に掛けた男の様に、自分を殺そうとする者の顔さえ見られずに死ぬのは御免だった。
彼が敵兵に止めを刺す時、可能な限り銃ではなくナイフを使いたいと考えるのはそういう理由もある。自分が殺されかけている場面では、残っている弾は1発でも多い方が良い。
ピカティニーレールに等倍の照準器とレーザー照準装置が取り付けられたAEK-971に西側製のタクティカルベスト、FADCAM32の砂漠戦仕様に良く似たデジタルパターンの迷彩服にはIRGCのパッチが張り付けられている。クッズ部隊か、ORIA直属の不正規戦部隊か。
「全部隊、マフィック、マフィック、マフィック」
TFトライデントへの行動開始を告げる暗号が告げられる。
"了解、トライデントは行動を開始する"
TFトライデントの連中が壁際まで小銃をストレート・ダウンで保持し、敷地に入ると同時に各自が割り当てられた範囲に銃口を指向する。入ってくる間に誰かに撃たれるかもしれないという警戒感を持っている様には思えなかった。もちろんそうならない様にするのが自分たちの仕事だったし、その成果に不安を感じる訳ではないが、それを当然の様に振舞われるのはいつも困惑させられる。
扉のノブは鎖で雁字搦めになっている。彼らの一人が散弾銃を構え、別の隊員がボルトカッターを取り出す。お手並み拝見だ。鎖を切断しても更にドアにロックが掛かっている可能性はある。二段構えのブリーチングは良い判断だ。但し、物凄く騒がしくなる。
「総員、突入準備」
指揮官らしき『ミゲル』がそう告げる。ここからは彼らが主導権を握る。そして、事前の打ち合わせ通り、彼らは正面から、我々は側面から突入する。
「リコ、爆破準備。トライデント・アクチュアル、タイミングは任せる」
"了解"の応答を待つ事無く、リコが背中からゴムボートのミニチュアの様にも見える物体を取り出した。ゴムチューブ内部には塩水が詰まっており、爆薬の破壊力そのものではなく、その爆発と相互作用する事によって生じるバブルパルスによる衝撃波で突入孔を開くための装置だ。それは少ない量の爆薬でも高い破壊力を持ち、コンクリート壁さえ破砕する。その上、霧状に飛散した水によってこちら側への爆風が抑制されるため、安全距離はごく僅かで済む。
散弾銃の銃声が数度に亘って響き、本来は正面からのステルスエントリー、僅かな時間差を置いて側面からダイナミックエントリーを行う事で敵の意表を突く意図があったが、それは恐らく失敗に終わったであろう事をフィルは理解した。リコに目配せをし、彼は正面に向かった。
僅かな肉声でのやり取りに続き、くぐもった破裂音が響く。
「トライデント・アクチュアルよりスリープウォーカー6、支援に感謝する。突入開始」
その声を聞くと同時にフィルが起爆装置を起動、煉瓦が崩れ落ち、幼稚園児が書いた人の様な形状の隙間が出来る。部下たちが肩に手を置きながら続く。
"スリープウォーカー6、こちらナイトウォッチ。アルファ周辺で動き有り。北東からテクニカル2両、西側から武装した民兵を乗せたトラックが移動中。北側5ブロック手前に複数の敵兵"
「了解。こちらは手間取りそうだ。時間を稼いでくれ」
"スリープウォーカー6、了解。西側のT-62が動き出すと厄介だ。早急な対応を。アウト」
これだけ大騒ぎしたにも関わらず、建物の中は静かだった。まるで誰も居ない様に。そしてそれが事実である事を間もなく彼らは知った。メインホールに複数の奇妙な遺体。それは金属光沢を帯びた肌に変質し、砂鉄の様にも見えるカビ状の何かで覆われている。トライデントの隊員はそこから何かサンプルを採取している。
彼は入り口が厳重に封鎖されていた理由を理解した。あれは外からの防護の為ではない。
「ブルー、ブルー」
友軍である事を告げつつ彼らはメインホールで合流を果たした。
残りのトライデント隊員は既に他の部屋の捜索に移行している。突入後の整然とした動きに関しては、流石と言わざるを得ない。隊列の間隔が短く、速度が遅い点を除けば我々のやり方によく似ている。
不意にフラッシュバンの炸裂音が響くと共に、ヘッドセットから若い声が聞こえる。
「トライデント1-6、ターゲットを発見。正面通路の先、食堂らしき部屋です」
「行こう」
ダニエラ・リントハート少尉にとって、自身の意識構造体を正確に定義する事は難しかった。
それは決して外洋にまで漕ぎ出せない孤島の住民が、海の果てに別の陸地がある事を想像出来ないのと似ていた。
或いは、地球の裏側の住人は自分の足元の遥か先で別の誰かが歩いているかもしれないと実感できないのと。
情報そのものに指向性は無い。
指向性を付与するのはその情報にアクセスした意識構造体の心的作用によるものであり、それによって情報は知識へと変換される。
だが、情報には連続性がある。
故に、「自己同一性」を担保する連続した情報群に指向性を付与するのが「意識」である。
それは『メタスフィア』と呼ばれる次世代の汎地球量子サーバー間ネットワーク上に生じた、本来は無意味なノイズとして除去される筈だった疑似的かつ断片的な情報の投影であり、少なくとも彼女にとってゴーストの基盤となり得るかもしれない何か。開発者の一部が仮説として命名した"コアレッセンス"の領域。
閉じているか開いているか、それが平面であるか球状であるか、今の彼女の意識レベルに於いては観測できない"場"、彼女の知り得る情報で幾つかの仮説を立てる事は出来るが、その為に基底現実に存在する筈の自身の演算能を費やすべきではない。少なくとも今は。
彼女はそこで確かに異物の存在を確認した。自分とは明らかに異なる構成の意識体の集団、その中には幾つものハブとなった構造があり、その中に『聖ゲイツ』として識別される潜在脅威を見出す事も出来る。
しかし、彼女や彼女の上官が知りたい情報はそこには存在しない。
やがて彼女はその中で、"既に発現済みの敵意"を確認した。それは赤く、金属的で、鼓動しているような質感を彼女に齎した。それは基底現実に於いて自身の意志、即ち意図的に指向性を与えた情報を言語化し、それを複数の帯域によって発信しようとしている。
故にそれは妨害されねばならない。
介入可能な電子戦アセット、直接打撃手段、いずれも間に合わない。文字通りの強時間的制約目標TST。
その為、彼女は自身の利用できるストリームを用い、ある意味では『ゴースト波形』の能動的操作によって伝播するであろうそれそのものに干渉する事にした。
基底現実に於いてそれは思考或いは外部認識系を妨害し、一時的に麻痺させる事が可能な筈だった。
一種の層状を為すように感じられる観測可能領域、その一角で活発に活動する"それ"の末端を、彼女は掴むことが出来た。
小枝を折るように。
掌に捕らえた小蜘蛛を潰すように。
TADSとヘルメット照準表示装置を同期させるように。
変幻自在な砂塵の集合体に30㎜HEIを撃ち込むように。
彼女は攻撃を基底現実上の質感で名辞する事は出来なかった。
だが、為すべき事は為される。
ノイズの集合体、『それ』に対する形而上の悪意が指向される。
続いて彼女はその意志を伝える為、ある閉じられたループにアクセスする。
基底現実に適合する言語化工程を経て、人間の可聴領域に調整された音声を生成、発信する。
「『グラインダー』より『レジーナ』、対象の一時的な無力化に成功、別命あるまで攻撃行動を継続する」
指揮官の『ミゲル』が例の妙ちくりんなデバイスを向け、"それ"の顔を小銃に取り付けられたフラッシュライトで照らしながら告げる。
「イヴァン・アンドレエヴィチ・イヴァノフ、我々が何者か分かるか?」
照らし出された顔を見て、"何て醜いクソ野郎だ"とフィルは心の中で呟く。
何本もの腱で織りなされた鎖が全身を覆い、歯質の様に鈍く光る棘が不規則に体から突き出している。その隙間には汚物溜めの様に蠢く肉質が広がる。顔のごく一部は写真で見たIAIそのもので、忌々しい事に丁寧に撫でつけられた金髪さえも同じだった。
「随分とノイズが酷くて正確には分からないが、財団の機動部隊とその仲間たち、そうだろう?」
電子的な響きの濁声がそう答える。フィルはリコの肩に置いた手の人差し指で2回叩く。弾倉を亜音速弾から超音速弾に交換、その合図。続いて親指から小指までで順番に叩く。計5回。
「では、我々が何の為に来たかも知っているな?」
「正直なところ、それは分からない。何しろつい先ほどからやたらとノイズが入るようになった。お陰でORIAの連中に現状を伝える事も出来ない。私はどうしたら良いんだ?」
お道化た口調と仕草でそう告げる"対象"の様子を見て、リコは続いてカウントの3回が終わるのを待ち遠しく感じる。
同時に発射された300BLK弾、計10発の速射。うち1発はIAIの人間らしい部分を吹き飛ばし、4発はそうではない顔の他の部分を、そしてリコの撃った5発は胸腔にワンホールを作った。
「何をする!」
『ミゲル』の隊長が騒いでいる。
「さっさとそいつをぶち込め、隊長さん」
リコが銃を構えたまま、一瞬だけ視線をTFトライデント指揮官に送った。
「奴が我々の正体を事前に知っていた時点で、この作戦が失敗する確度が上昇したとなぜ理解できない?今必要なのは時間だ。そしてそれをたった今稼いだところだ。"為すべき事を為せ"、隊長さん」
何か大きな衝撃音が響き、銃弾を受けて昏倒しつつも痙攣のような不規則な動きを見せていたIAIが動かなくなる。
「そうそう、忘れてました。その銃は部下の誰かと交換した方が良い。もしその女神様が必要な時に、あなたの死体ごと何処かに置き去りにされてたらあなたの部下が困るかもしれません」
手動操作による射撃姿勢の変動と次弾発射に費やされる時間によって、手動連発式の狙撃銃は初弾以降の交戦効率が著しく低下する。
亜音速ではない通常装薬の338ラプア・マグナム弾は極めて長い射程と遠距離での存速を持つが、射界が限定される今の状況に於いてそれは必ずしも敵に対する利点とはならない。
故に、目標選定の重要性は他の火器に比較して遥かに高い。
彼女に割り当てられた標的の位置は、MAVが手元のPDAに送信してきている。しかし、それはまだ射界には入ってきていない。彼女はそれを一瞬もどかしく思う。
舗装されていない路面を走行するトラックは不規則に速度が変化し、最初に撃つべき狙点は離散的に振舞う。
最初の襲撃が開始された直後、彼女は薬室に収まっていた最後の亜音速静音弾を排出し、弾倉を"通常"の、つまり弾頭重量300grのフルメタルジャケット弾が装填されているものに換装した。あれだけ騒がしくすれば、敵のQRFが活動を開始するのも時間の問題だろう。次の標的はそれらである事が予測された為である。
運転手はハンドルを握っている限り、射撃を受けてもすぐに反応できない。荷台に乗っている連中はトラックが止まらない限り行動できない。故に最初に撃つべき標的は助手席の奴だ。次にドライバーを撃ち、余裕があればエンジンブロックに1発、それで車両は動かなくなる。後は荷台から降りてきた連中を、こちらの位置が露呈する前に撃てるだけ撃つ。もし300m以内にまで近づかれれば、CLAWで応射しながら射点を移動する。
"ナイトウォッチ1-2、RPGと機関銃班に対処中、北側の建物、C字型の――クソッ、10時方向にRPGチーム、排除しろ!"
遠くで爆発音とバラバラと鳴り響く小火器の射撃音が聞こえる。
"1-2、こちらは捕捉された。3、援護可能か?"
"3、1-2の支援の為に射手を送りたい。許可を"
「1-1オスカー、了解」
射撃開始のタイミングを待ち焦がれているその時、アイシャが問いかけてきた。
「ミラ、TFトライデントは少し手こずった模様―予想通り。もう少し余計に時間を稼ぐ必要があるかもしれない。どうする?」
ナイトウォッチ3のハイラックスは現地で手に入る資材を使って可能な限り防御力の向上に務めていたが、防弾仕様ではない。この後国境まで悪路を走り続ける必要がある為、下手に重量を増してサスペンションに負担を掛ける訳にもいかなかった為だ。故に、彼らの行動は自分たち自身だけではなく、ナイトウォッチ各班全員の脱出手段を失うリスクもあった。
「3、許可する。ナイトウォッチ各班へ、合流地点は1-1オスカーに判断を委ねる。1-1シエラ、アウト」
彼女はそう言ったきり、無線機のヘッドセットを外す。今はリスクを天秤にかけている時間はない。出来る事を全てやるだけだ。
あちらはあちらで忙しくなりつつあるようだ。
程なくして、彼女は聞き慣れた自動火器の射撃音――M60E6機関銃の低く鈍いそれと、より鋭く高音寄りのM249、共に消音機付きとはいえ、100m先で銃声が聞こえなくなるわけではない――を聞いた。
アイシャは元財団職員であるが故に、彼らの手際については信用していない。個々のメンバーは現場指揮官も含めて外部の戦術スクールに通うなどして練度向上に務めているのは知っている。何より彼女自身が同じ立場にあったのはそこまで昔の話ではない。だが、作戦レベルに於ける上位の指揮系統は全く異なる。彼らは機動部隊の作戦行動を特別収容プロトコルの施行と同じに捉えている。
つまり、現場で問題が発生した時に彼らは現状が維持されると、つまり保安要員や現場の研究職の努力によって事態はそれ以上悪化しないという前提で考えている。
彼女はかつてエリア126の保安部長であった頃、その施設が取り扱うものが如何に危険で取り扱い困難なオブジェクトであるかを嫌という程聞かされていた。彼女はかつてはグラント・レポートを始めとする様々な事故調査報告書に目を通していた。根本原因とそれに対応した再発防止策に言及されたものが殆ど存在しない事に気付いた時から、自分の足元が今にも崩れ落ちるかもしれないという事実に気付いた。
最新モデルのHK416、PN21K、ディスプレイと防護マスク、通信機器が一体化された統合型防護ヘルメット、そういった物はすぐに届くのに、だ。
その仄暗い恐れがが顕現化したのが彼女にとってのあの日だった。そして腹立たしいが同時に予定調和的に、中東汎アラブ支部は彼女に責任の一端があると判断し、サイト管理官と共に左遷の憂き目を見た。"チーフ"は今頃マグリブのどこかでクーラーも無いオフィスに閉じ込められているのだろう。彼女が拾われたのは幸運だった。
ミラは3発目まで予定通りの射撃を終えた。ここからは自由射撃だ。
トラックは道端のごみ箱に突っ込んで動かなくなり、民兵共は未だにどこから撃たれたのか掴みかねている。
サプレッサーは発射音と共に銃口炎を抑制し、それが功を奏している。
まず体を晒している奴を撃ち、続いて身を隠し切れていない奴の覗いている一部を撃つ。足先、肩口、或いは顔の上半分。奴らは一刻も早くこちらを見つけたがっているに違いなく、その為には完全に身を隠している訳にはいかない。
「ミラ、MAVが南側の建物から出てくる集団を捕捉、恐らく20名ほど。AK、RPG、機関銃を確認。そろそろ潮時ね」
刹那、銃弾が掠める音。その建物はどうやら民兵共の溜まり場だったようだ。部屋から撃ってくる狙撃手が居る。居場所を掴まれた。
「了解、移動しよう。援護を」
"こちらライン・ジャッジ、交戦する。君たちは下がれ"
暗視スコープ越しに光の雨がその建物の2階部分とトラック周辺に降り注ぐのが見えた。金属や土と銃弾がぶつかり合い、弾ける音、そして火花、直後に轟く様な銃声。"スリープウォーカー"の8名を乗せてきたATVにはMG338とM2が1挺ずつ装備されており、それらが計4両、全8挺が一斉に射撃を開始した。
「スリープウォーカー6、こちらナイトウォッチ1-1、シエラは50名程度の敵兵と交戦中、捕捉されつつある。そちらの状況は?」
"ナイトウォッチ、よく時間を稼いでくれた。離脱行動を開始して構わない。基地で会おう」
「ラジャー、ナイトウォッチ全班は離脱する。1-2、3は合流地点に移動、幸運を"
"3、了解。こちらはやや早く着きすぎたようだ。全火力で応射中。急いでくれ"
「1-1、アウト」
他愛もないお喋りの時間は不意に中断した。電子戦ディスプレイにずっと移り続けていた北東の"14"の表示が消えるのを見て、彼女は僚機に注意を促す。
"スプライト、セプター2、ピクチャーはクリーン、脅威は排除された。マーシャルへ向かい、右旋回で待機。ナイフエッジにコンタクト。高度11,000を維持せよ"
「スプライト、コピー。マーシャルで右旋回、高度11,000、セプター2」
"2、コピー。ケツを蹴り飛ばしに行こう。順番通り君がストライク、俺が上空援護、必要に応じてTSTにレーザー照射Buddy Lase、問題ないか?"
「2-1、ソリッド・コピー」
2機のA-10C、『セプター2』編隊に与えられた任務は、8個に区切られたキルボックス内の敵部隊を統合航空打撃指令ネットワークJASONの指示の元で捜索し、それを痛めつける事だった。我々に割り当てられているのは北西のキルボックス・ノヴェンバー・チャーリー。前線に移動中の敵部隊や拠点化された施設を叩く、典型的な戦場航空阻止。
別のセクターを割り当てられた他の機体が順次目標に向かっていくのがMFDの統合マッピングディスプレイ上でも肉眼でも分かる。西側の2セクターが我々第5211地上攻撃飛行隊と、第1640戦闘攻撃飛行隊のF-16CGの担当だ。A-10はF-16より遥かに遅いが、より低空で長時間飛び続ける事が出来る。その為、我々がマークした目標はJASON上の目標リストに追加され、そこにF-16が差し向けられる。他のセクターは有志連合各国の作戦機、更に空軍のF-15が戦闘空中哨戒CAPを、海軍のF/A-18Fがキルボックス全域の敵性防空制圧SEADエスコートを担当している。それら全てが今までWP3にて待機していたのだ。暫くこの空域は相当に混雑するだろう。
F-16の2機編隊が颯爽と彼女の上空1000フィートを飛び去るのを見て、その速度だけは羨ましく思う。だが、彼らは2発のCBU-87を搭載しているだけだ。車列を一つか二つ破壊できればそれで彼らの仕事は終わり。我々はそれよりも遥かに多くの兵装を搭載している。但し、P-47と異なりA-10はどれだけ身軽になっても敵の迎撃機と渡り合う事は出来ない。
「2-2、JASONと交信する。チャンネルを合わせろ」
"2-2、セット"
「ナイフエッジ、ナイフエッジ。セプター2編隊はマーシャルに到着。タスク準備良し」
"セプター2、タスクの開始を許可する。リーパーがキルボックスNCを監視しており、爆撃損害評価BDAと航空統制を管轄する。到着したらスプライトに報告後、47.8MHzでFAC-A33、ゾディアック3-4へコンタクトせよ"
「了解、ナイフエッジ、ゾディアック3-4、47.8」
"2-2、準備良し"
先ほどとは打って変わって無線の使用は編隊間交信も含めて最小限に留める。キャノピー越しに低く垂れこめた雲が見え、次の経由点はその中にある事がHMDに示される。
雲中での編隊飛行は危険を伴う。故に彼女は僚機にナビゲーションライトが雲中でも目視できる距離まで接近するよう告げる。何か一つでも間違えれば接触し兼ねないが、僚機が長機に従う限りこれが最も安全な雲中飛行のやり方だった。
「セプター2、スプライト。間もなくNCに到着する。侵入許可を」
"セプター2、NCへの侵入を許可する。警告、少なくとも1基のSA-6、及び西と北でSA-8の兆候あり。警戒せよ」
「セプター2、コピー。これよりゾディアック3-4とコンタクト、攻撃を開始する」
"了解、間もなくSEADエスコートが到着する。コールサインは『サイクロン2-7』だ。到着したら当チャンネルにてコンタクト可能。スプライト、アウト"
「ゾディアック3-4、セプター2編隊がキルボックスNCに接近中。ナイフエッジより任務開始を許可されており、これよりそちらの指揮下に入る。兵装はAGM-6534、GBU-1235、CBU-8736、照準ポッドTGP、機関砲GUN」
"セプター2、確認した。キルボックスNC及びその周辺に友軍は存在しないが、現地人の居住地が複数存在する。指定された目標以外の脅威が確認された場合は報告せよ"
「セプター2、コピー」
建物はそれが何であれバンカーとして機能する。目視しただけで現地人の住居か、民兵の即席陣地なのか判別する事は不可能に近い。故に事前からの継続的な観測情報を持つFACの指示に沿った交戦が必要不可欠となる。それは付随的損害を抑止する為だけではなく、限られた弾数を効率よく運用する為でもある。
「サイクロン2-7、こちらセプター2-1」
"セプター2-1、こちらはF/A-18Fの2機だ。1時間の待機と2回の交戦が可能。兵装はAGM-8837が2発、AGM-65が2発、NCの西側で待機する。サイクロン2-7"
「サイクロン2-7、了解。スプライトよりSA-6及びSA-8の脅威情報提供あり。何かあれば頼みます。セプター2-1,アウト」
"セプター2-1、ルート・アイダホ上の谷を越えた地点に防衛陣地、セクターNC1147、1179、南300mに集落が存在する。確認できるか?
「ゾディアック3-4、待機せよ」
彼女は伝達された位置情報をニーボードのコード表に照らし合わせ、座標をナビゲーションシステムのコンソールに入力する。MFDとヘルメットのバイザーにその位置を示すシンボルが表示される。ゾディアック3-4が言う通り、南のすぐそばに給水塔と幾つか平たい屋根の建物があるのを視認した。
「ダイム、確認できますか?」
"2、確認した。位置を同期する"
「受信しました。セプター2は両機とも目標を確認」
"セプター2-1、タイプⅢ管制38が有効だ。9-LINE39に備えてくれ"
「9-LINEの準備良し。通達を」
"ゾラーヴァ発電所北側の交差点、280、5マイル、機関砲対地高度AGL50、T-55及びBMP、セクターNC1145CRより北へ400m、マーク無し、N/A、270"
「AGL50、NC1145CRより400yd北、友軍は不在」
彼女はナビゲーションシステムに新しい座標を入力し、それが新しいシンボルとなって表示されるのを確認しながら復唱する。
"復唱は正しい。目標を視認後に報告せよ。MANPADSの脅威が予想される。AGM-65の使用を推奨"
「ダイム、BMPを攻撃してもらえますか?」
"2、了解。既に捉えている"
「セプター2は両機とも目標を視認」
"セプター2、こちらも確認。Cleared Hot"
「セプター2-1、Going Hot、ライフル40、ブルズ北西、10マイル、T-55」
"セプター2-2、ライフル、ブルズ北西、10マイル、BMP"
TFリベリオンの位置を示すプリップは、もうあと数分で転進予定のWPに到着する。もうこの忌々しい任務はほぼ終わった様なものだ。後はザーホーで三頭政治の収容班に『荷物』を引き渡せばいい。
TFナイトウォッチは車両を放棄してTFデスペラードの隊員とALSAVはと共に収容され、現在このアル・ハリール空軍基地に帰投中。先ほど数発の迫撃砲が敷地内に着弾したが、ナイトストーカーズのDAPと地上部隊がそれを追跡し、ミニガンとハイドラでそれらを『散らかして』いる所だろう。イラク国内に存在する米軍の拠点としては最も北部に位置し、それ故に北部を中心に活動する武装組織の攻撃を受けやすい場所でもある。彼がこの地に足を踏み入れて1週間、その間に小規模な攪乱部隊による重機関銃や迫撃砲による攻撃は既に3回目だった。
しかしナイトストーカーズの連中曰く、以前はほぼ毎日だったらしい。その間に彼らの貴重な特殊作戦用ヘリコプター2機が修復可能だが重大な損傷を受け、5名が負傷した。現在空軍、海軍、連邦国防軍、英空軍の航空戦力はクルディスタン自治区の東側に設定されたキルボックスにBAIを集中している。
有志連合の地上部隊は4方向から北部へ侵攻を続けている。イギリス陸軍第7装甲旅団を基幹として第2海兵遠征軍MEF2の装甲及び航空戦力によって増強されたパルメニオン戦闘群が今の所トップだ。続いて陸軍第1騎兵師団を中核とするクラテロス戦闘群が東から、サウジアラビア陸軍第12機甲旅団、第20機械化旅団、及びアメリカ陸軍第81ストライカー旅団戦闘団と第7歩兵師団の師団歩兵及び戦闘航空旅団を組み込んだフィロタス戦闘群が南から進撃を行い、更にフランス陸軍の第7機甲旅団と連邦国防軍第130歩兵師団を中核とするデュムノス戦闘群が後詰として控えている。
後方にはAPESのアジア及び太平洋小島嶼開発途上国グループGAPSIDSと西ヨーロッパ及びその他の諸国グループWEOG待機戦力管理群に加え、国連緊急即応待機旅団SHIRBRIG、及びUAE、オマーン、クウェートから派遣された部隊を含むNATO地上部隊を中核とした有志連合軍が制圧した地域での治安維持及び確保を担っている。
本国のオフィスよりもずっと狭く雑然としているデスクだが、席を立って10秒で表に出られるのは、ウィリアム・アール"ビル"ドリスコル合衆国連邦国防軍少将が未だに断ち切れずにいる悪習の一つを後押ししてくる。
CRITICSという組織にとって、単一の作戦としてはこれは史上最大規模だった。動員される部隊のみならず現在進行中の有志連合による攻勢との調整、作戦立案、後方支援体制、拠点の確保、等々。そこに『三頭政治』という足の引っ張り合いを趣味とする連中の集団が大手を振って介入したがり、そこにはメカノフィリア共の意図まで見え隠れしている。更に言えば、ヴェールの内外を区別したがっているのは彼らだけだという事を彼らは理解していない。表ではロシアとイラン、シリア、そして恐らくはトルコ政府の一部とイラク国内外の政党もそれに同調している。そして、彼らは他人のヴェールなど気にはしない。
あと数分で彼は自分の寿命を縮める可能性のある毒素に満ちた煙を胸いっぱいに吸い込み、それと引き換えに一瞬の平穏を得るつもりだった。
そのささやかな希望が打ち砕かれたのはたった今、彼の見るJSOP上で転進予定のWPを通過しても直進を続けるTFトライデントの車列を示すアイコンを見た時だった。
「ルート権限による緊急通信、ヴァンガードよりデスペラード=アクチュアル、聞こえるか?TFトライデントの行動について報告せよ」
"ローグ6よりヴァンガード、こちらでも確認しています。こちらの呼びかけに応じません。接近して音声による警告を実施しましたが、TFリベリオンの指揮官は『これが命令だ』と"
「ローグ6、君たちは既にキルボックスに侵入しつつあるぞ。直ちに離脱」
"了解・・・待て、上空に航空機!C2、ジェット機が上空を旋回しています。恐らく2機、早急に確認願います"
悪者共があの場所にBM-21を展開させていた理由は分からないが、それらは既に燃える鉄屑に過ぎない。ゾディアック3-4から次に指示された目標はそれだった。ラトーナは1航過で2発のCBU-87を投下し、準備されていた弾薬と砲員、警備要員までまとめて切り刻んだ。
空から地上を捜索し、目標となるべきそれを発見し、特定し、追尾し、そして目標として捕捉するには、
現代の最新技術を以てしても困難である。これはF-16に乗っていたら絶対に理解できないパラダイムだろうと彼女は思う。
我々の上空にはグローバルホークに加えて各キルボックスに1機ずつリーパーが居り、これらはいずれも相当に長時間滞空し続ける事ができるが、一度に走査できる範囲や精度には限りがあり、その間にも時計は進んでいる。それらの隙を埋められるのがA-10のような速度の遅い有人機だった。そしてその過程でA-10は敵の自動火器の射程に踏み込むかもしれないが、そんな状況であっても何とか足を引き摺って帰ってこれるタフな機体だった。ヴァイパーはFAC-Aや我々が発見・特定した目標を攻撃する事は出来るが、自ら敵を探し出して攻撃するのはウォートホグほど得意ではなかった。
今しがた破壊し尽くした自走ロケット砲陣地を後に、ロックスは次の目標を探す。
"セプター2-1、新しい目標だ"
「続けてください、ゾディアック3-4」
"北よりCRに侵入した車列を確認、東に向かっている。MBT、APC、HWMMV、テクニカルとSUV、トラック、計12両。戦車は恐らくT-55、周辺に民間施設は無し。タイプⅢ管制、自由交戦だ"
「ゾディアック3-4、了解。位置を教えてください」
"ルート・アイダホ上、バラーナ南西の交差点を見てくれ。そこからルート・アイダホに並行した道路があり、そこを西に6マイル進んだ地点で移動中の車列だ"
TGPで指示された道路をなぞる。見つけた。舗装路面であるにも関わらず砂埃を上げながら進む車列。HWMMVに識別用パネルは見えない。イラク治安部隊からISILが鹵獲したものか、或いはペシュメルガから流出したものか。どちらにせよ標的であることに変わりない。
「ダイム、見つけました。上空で援護を」
"2、了解した。MANPADSがいたら吹き飛ばしてやる"
「ゾディアック3-4、目標を視認。東より侵入します」
"セプター2、Cleared Hot"
「セプター2-1、Going Hot、GUNs!GUNs!GUNs!」
機首から白煙を吹き出しながら、毎秒60発近い30㎜HEIとAPの『コンバット・ミックス』が放たれる。比率は4対1、恐らくは世界で一番キツいカクテル。最初は1秒ほどの連射、捉えきれなかった目標に射線を微調整し、更にもう一度連射を行う。TGPのディスプレイが地面に幾つもの爆発とそれによってまき散らされる様々なもの、そして直撃を受けた車両が炎上するのを映し出す。機首を引き起こすと、その光景はTGPの追従可能範囲の外へと過ぎ去っていく。代わりに彼女は操縦桿を引きつつ肉眼でその様子を見届ける。4両ほどは炎上し、他の車両も動かなくなっている。一航過での射撃としては教科書に載るレベルの成果だろう。速度を失わない程度に緩く上昇しながら、おまじない代わりのフレアを手動で放出し、安全高度に達すると再び攻撃開始点IPへの侵入開始点を目指して旋回を開始する。
"ロックス、ガードチャンネルに切り替えろ"
それは緊急用のチャンネルだ。我々でもUAVオペレーターでもFACでもない誰かがこの攻撃を見て何かを伝えようとしている。嫌な予感がした。
"上空のA-10パイロット、直ちに攻撃を中止しろ!"
それは焦燥感と怒りの両方を押し殺しているような響きを秘めているように感じられた。
「こちらはセプター2-1、所属を教えてください」
"米軍特殊作戦部隊だ、直ちにこの空域から離れろ"
「クソッ、何が起きてる?」
彼女は浮かんだ言葉をそのまま口にした。
"お前は味方を攻撃したんだ、クソ馬鹿野郎が"
「ゾディアック3-4、こちらセプター2-1」
"続けてくれ、セプター2-1"
「ゾディアック3-4, 現在の目標地点周辺に連合軍の地上部隊は存在していますか?」
"ネガティブ、セプター2-1。ここまで北上している部隊は存在しない"
「再度確認願います、ゾディアック3-4。ナイフエッジ、ナイフエッジ、こちらセプター2-1、CRのルートX-RAY周辺で友軍の作戦が行われていますか?」
"セプター2-1、キルボックス周辺10マイル以内に友軍は活動していない。友好的なペシュメルガに関しても同様だ"
「ナイフエッジ、車列を攻撃した所、緊急用チャンネルより米軍特殊作戦部隊を名乗る何者かが友軍誤射との呼びかけあり」
"待機せよ、セプター2-1"
彼女は自分が動揺している事を把握した。たった今切り刻んだのが何だったのか、想像するだけで吐き気がする。
"ゾディアック3-4、セプター2は現在高度を維持し、右旋回で待機せよ"
促されるまま同じ高度を維持しつつ周回軌道に機体を乗せたが、様々な思考の断片が浮かんでは消え、得体の知れない焦燥感を煽る。
頼むから早く次の指示をくれ、頭がおかしくなりそうだ。
"あー、セプター2-1、こちらナイフエッジ。現体制支持派の民兵部隊が移動中らしい、待機してくれ。あー……ナイフエッジ、その民兵部隊には連邦国防軍の特殊作戦部隊、及び彼らに雇用された民間軍事企業の車両が同行していた模様"
「クソッ」
彼女は無線がオンになったまま、再び何も考えずにその言葉を口にする。
「セプター2-2、セプター2は帰投許可を申請する」
"セプター2、了解した。マーシャルに到着後、スプライトにコンタクトせよ"
ザーホーの街路は、幾つもの派閥から寄せ集められたペシュメルガ部隊の兵士と車両で雑然としていた。市内に存在する20のカトリック教会の一つが突然瓦礫の山と化した事象は、イヴァン・アンドレエヴィチ・イヴァノフの意識が継続的に途絶えた事を引き金にして引き起こされた。SCP財団はロシア支部との関係を断ち切る事に成功していた筈だったが、それは本部と支部の関係に限られている。財団は人員も武力も限られているが故に、紛争地帯での活動にしばしば地域の有力者が保有する私兵を雇用してきた。そして、ペシュメルガの中に赤毛のチェチェン人達が紛れている事に気付く事は無く、彼らが教会に出入りする事を制止する者もいなかった。これも身元が明らかではない私兵に警備を依存するという事のリスクが顕現したに過ぎず、チェチェン人というアイデンティティを財団の活動から隔離した所でどうにもならなかっただろう。
そしてまた、これはGPUにとって計画の前段ではなく、一部を為している。即ち彼らの装置が、『意識の地平』と彼らが呼ぶある種の領域に接続し、そのシグナルを得て基底現実にフィードバックさせる事が出来る事を証明した為だ。もはやロシア人達にとってイヴァンの役割のうち、半分は終わったも同然だった。実際に爆発したのは3BK15M弾頭4個を組み合わせたIEDの一種で、チェチェン人たちはそれに必要な部材の大半をザーホー市内で手に入れる事が出来た。唯一、彼らが国境を越えて持ってきたのがそれを起爆する為の装置だった。彼らは良く知った手順でIEDを組み立て、ロシア人に訓練された通り起爆装置を接続し、何事も無かったかのように姿を消した。
彼らの同胞が為すべき事を為せば、目的は達成される。それで皆の家族が救われるのであれば、ロシア人やイラン人たちが何を考えていようが、どうでも良い事だった。そして、彼らの指揮官は自分たちの敵――それが米軍特殊部隊を伴った民兵組織のアドバイザーという名目で雇用されたPMCsを自称する正体不明の小集団という事以外は何も知らなかったが――に紛れた同胞が為すべき事を為した事を知った。
燃え燻る残骸から金属質の鎖とも管とも思える何かが他の残骸の中を漁っている。
繰り返し撃ち込まれた銃弾からのダメージから回復し切っていない上に、30㎜HEI弾の至近弾による破片と、彼を載せていた車両の爆発の双方が彼の肉体に深刻な損傷を与えていた。
それを回復する為に必要なのは"食事"である。
そして彼の周りには、先ほどまで生きていた新鮮な肉塊が豊富に存在していた。一部は焼け焦げていたが、この際贅沢は言っていられない。
何本ものチューブ状の何かが残骸の中から死体を探し出し、それを通して肉を溶かしながらまだ暖かい血液ごと啜る。
一時期は発揮する能力こそ違えど同じ志を持った誰かである事は、その黒ずくめの恰好からも明らかだった。
顔を覆うマスクはひび割れ、内側から噴き出した血で顔は窺えない。
ひっくり返ったSUVから這い出ようとする誰かがその異物に気付き、拳銃を向ける。
その男の顔面は片側の皮膚が殆ど焼け落ち、切れ目から赤に染まりつつも白が伺える頭蓋骨が覗いている。
腹圧に押されてプレートの腋から臓器が僅かに覗いているのを見て、彼は溜息をつきたくなった――せっかく新鮮な肉を見つけたというのに、これでは腐り落ちる直前ではないか、と。
それでも鮮度は高いに越したことは無い。彼は最初の襲撃の後、動かなくなった車両から逃げ出した者たちが相当数いる事を知っていた。
惜しい事をした、もう少し目覚めるのが早ければもっと良いご馳走にありつけたかも知れないというのに。
元々は財団の高位職員である彼は、自分の体の制御系と代謝系を混乱させている原因が忌々しいFIDESである事を理解していた。
よくよく見てみれば、目の前で死にかけている男が手にした小銃にはそれが取り付けられている。尤も、発信機も増幅装置も焼け焦げ、ねじ曲がってはいるが。
彼はそのプロトタイプがある事案で用いられたが、期待される効果を挙げなかったことを知っていた。故に、自分がいざその攻撃を受ける時の効果についても甘く見積もっていた。
その結果がこれだ。劇的に増強された筈の代謝機能は抑制され、彼を救出に来るはずの同胞たちとの通信機能も回復していない。お陰で彼はハゲタカの物真似をする羽目になっている。
だが、予定は変わったが、奴らの拘束から解放されるという目的は達せられた。
もし自分を拘束していたのが財団の連中ではなく、忌々しい米軍の超常戦対策部隊であればこうはいかなかっただろう。奴らは自分が目を覚ます兆候を見せる度に頭に銃弾を撃ち込み続けるだろうから。
ともあれ、迎えが来るまでの間、彼は久々のディナー――彼の好みからは幾分ウェルダンに過ぎたが――を堪能する事に集中する事が出来る筈だった。
"ヴァンガード、我々を現地に向かわせてください"
「スリープウォーカー6、ネガティブだ。現地の安全が確保されていない。現在シリア国境付近とクルディスタン自治区内にイレギュラーな動きがある。一旦基地に戻れ、既に対応は開始されている」
僅かな間を置き、『了解』の返答。
オペレーターの会話を背後で意識しながら、ビルは相手との通話に向き直る。
「外交保安部が直々でこちらにコンタクトを取ってきたという事は、きっと悪いニュースなんだろうな、少佐」
"彼らが確保した対象の背景について、我々は独自の―ある種の電子戦或いはサイバー戦、或いは認知領域戦アセット―を用いて情報収集を行っていました。過去IAIとの接触事例に於いて、我々は『あれ』がロシア政府によるORIAへの浸透用ツールとして運用されており、IRGCは実質的にそれを黙認している可能性が高いと考えています。2014年以降の財団ロシア支部が行っている逸脱性兵器化計画の一環でしょう。ここ数年のイランへの軍事供与の見返りとして、です。"
「つまり、シリアからイラク国内に浸透中の地上部隊はロシア軍部隊か?」
"彼らは認めないでしょうが、恐らくはGPUの指揮下にあると考えて良いでしょう。そちらのELINTアセットは?"
「つい先ほど、国境付近でSA-21の活動が確認された。ほぼ同じタイミングで空軍のワイルドウィーゼルとドイツのトーネードECR、及びKICAS中のF-15Eが撃墜された。加えて我々のリーパーも、だ。現在当該キルボックス内の航空作戦はUAVに拠るものを除き全て中止された。そして撃墜される寸前にリーパーはBMD-4を含む車列を確認した。更に、空軍のJ-STARSは国境付近にシリア軍のものではない旅団規模の戦闘群を確認している。フランカーによるCAPの援護下でだ。リベットジョイントはロシア語の無線を多数傍受している。確かに君の情報とは矛盾しない」
"肝心なのはこれからどうするか、です。IAIは我々の仮説――彼らが事案2217-14と呼ぶ領域でのHESICsの発生と、その後のマシニスト共のストーリーの関連性――を立証するまたとない機会です。我々は既にIAIの構成が操血術とシリコン素子の融合体である証拠を掴んでいますが、我々の秘匿性を維持する以上、それを彼らに明かす訳にはいきません。IAIの確保無くして彼らとパートナーシップを築く事は出来ないでしょう。そしてマシニストは別のストーリーを彼らに信じ込ませる事に成功しています。IAIが生きたまま彼らの手に渡れば、その証言はそれを更に助長するでしょう"
『X-デー』に備えていた2019年のコーカサス演習が空振りに終わって安堵していたというのに、10年越しでそれが到来しつつある事は既に公然の秘密だった。しかもそれは当時彼らが予測していたものと異なり、高度に電子化され、単なる肉の奔流では済まない規模の軍事的脅威になり得る。恐らくそれらは主力戦車を撃破するほどの火力を備え、砲弾片を防ぐ装甲で覆われ、地形をものともせずに侵攻し得る異形の戦域軍。恐らく今のロシア軍に本来2019年に備えていた規模と同じ戦力を動員する事は出来ない。何しろザーパド2021演習から1年余りをかけてようやく30万人をウクライナとの国境付近に終結させる事が出来たに過ぎないのだ。そしてそれらは無意味な『特別軍事作戦』で消耗し、『X-デー』への備えを根底から覆した。ロシアがヴェールの外だけではなく、内側でもどうやら我々と、そしてGOCと協調するつもりが無い事はそれよりも10年ほど遡った時点で明らかではあったが。今ロシアが"収容"に失敗したとして、我々が、そしてNATOが介入できるのは彼らがポーランドの国境に達してからだろう。カザフスタン、タジキスタン、インドネシア、イランといったかつてコーカサス演習に部隊を派遣した国家も、各々の理由から『本番』に関わる事は消極的だった。
しかし、今彼らが考える事は眼前の脅威への対処だった。目の前の少しでも遅れれば、精兵とはいえ本質的には軽歩兵部隊でしかない彼らは文字通り引き裂かれてしまうだろう。彼自身は部下の命を引き換えにするつもりはなかったが、その後に控えている脅威はそれ以上に深刻だ。IAIはその引き金に成り兼ねない。そうでなくとも奴を逃がす事はいつか訪れるX-デーへの備えに致命的な遅れを生じさせる。
「『ジョーカー』、聞いていたか?」
"はい、ボス"
「ハデス戦闘群の待機状態は?」
"インジルリク、リファー、アル・ウデイド、シゴネラにて航空戦力は30分待機状態です。キルボックスへの空爆に参加していたA-10とF-16も投入可能です。但し、現在キルボックスが封鎖されている為、全ての要素を我々のアセットで賄う必要があります。早期警戒機、戦場監視機、電子偵察機、空中給油機、戦闘捜索救難CSARを含む全てのパッケージが揃うには少なくとも2時間を要します。時間的余裕は極めて限られています"
「どうにかできると思うか?」
"海軍と空軍の偵察機がGPU部隊に関連すると思われる情報を受領しました。敵の大隊戦術群は1個が国境を超える動きを見せています。直接的にはSA-13とSA-19が脅威ですが、リーパーを落としたのは恐らくシリア側に展開しているSA-21でしょう"
「時間以外に今我々に不足しているのは何だ?」
"越境攻撃の許可です。SA-21を何とかしない限り、全ての航空攻撃部隊は活動が著しく制限されます。もしフランカーが侵入してくればこちらの航空アセットは一方的に叩き落されるでしょう。そして生憎、F-35Cは直ちにSEADストライクに差し向けられます。つまり、必要なのは手続きだけです"
「その次は?」
"キルボックス外にいる我々の航空アセットは活動を継続しているので、地上目標の評定と航空管制、ELINTと空中給油機は持ち駒だけで維持できます。BTGへの阻止攻撃はアル・ウデイドからF-15Eを、シゴネラからF-16CGを差し向けられます。上空援護はキルボックス外でCAP中のF-15Cに十分な弾薬が残っている為、引き続き彼らに頑張ってもらう必要があります。MJRF部隊の存在を考慮すると、現場は早期に確保する必要があります。ローグ部隊は早急に現場の確保と、キルボックスから退避中のA-10部隊をCASに差し向ける必要があります。彼らにとっては特にタフな一日になるでしょう。ここにいるMC-130から空中給油を受けられれば、CSARにはTFデスペラードと彼らが乗るブラックアウトを差し向けられます。ですが、現在キルボックス内でMJRFのものと思われるSA-6とSA-9の活動が確認されています。全ての航空攻撃にはSEADエスコートが必須です。加えて回収対象が存在する周辺の地形は複雑です。A-10はGPU部隊を自力で見つけなくてはなりませんが、狭い場所に入っていけるのは彼らだけです"
「使えるものは全て使うしかない、そういう事だな」
"肯定です、ボス"
「では、TF201指揮官と少し会話しなくてはならないな」
"彼は機嫌を損ねるでしょうね"
「いつだって私たちは厄介者だ。貴重な戦略資産を食い散らかす、な。ただ、彼らもCNNは見ているだろう。イルクーツクで何が起きているのか知っていれば、以前ほどに嫌な顔はしないだろうと信じる」
"如才無き事ながら敢えて申し上げます。それは『合衆国暫定ヴェール・クリアランス』違反です"
"それは解釈次第だ。我々は合衆国戦略軍STRATCOM直属で、この地域を担当している訳ではない。だが、実際に部隊を動かそうとするならばCENTCOMの許可が居る。それくらいは彼らだって知っているだろう"
"ロックス、気分はどうだ?"
「最悪です」
"君のせいじゃない"
あんたが撃ったわけじゃない、という言葉を飲み込んだ結果、無線は再び沈黙する。自分たちは査問に掛けられるだろう。だがそんな事は大した問題じゃない。私がミスをしたわけではないのは分かりきっている。それでも味方を撃った事実は変わらない。
「スプライト、こちらセプター2、マーシャルに到着。離脱許可を請う」
"セプター2、ステートを宣言してくれ"
「セプター2-1はベースよりマイナス0.3、セプター2-2はプラス0.7」
"ストレージは?"
なぜ帰投するのに兵装残量を問われるのだろう。今の自分が更なるタスクに対応できるとは思えない。AWACSも先ほどのやり取りは聞いていた筈だ。
「1はGBU-12が2発、AGM-65が4発、TGP、GUNです。ダイム、通達願います」
"セプター2-2、こちらはGBU-12が2発、AGM-65が4発、CBU-87が1発、TGP、GUNだ。スプライト、まさか俺たちに追加タスクの要請が?"
「セプター2、先ほどの件は誤認とトップから通達があった。WP2に向かった後にチャンネル・パープルでコールサイン: グラインダーと交信せよ。現在キルボックスCR全域はSA-21の脅威に晒されており、KICAS任務中だった全機は退避を余儀なくされている。この特殊作戦支援は君たちとSEADエスコートのみに限られている。高度1,500ft以上には上昇しない事」
"誤認とはどういうことだ、スプライト"
彼女が心に抱いた疑問をダイムが先に口にする。無線越しでありながら、その語気には戸惑いと共に怒気が含まれているように思えた。
"本タスクは『スナーク狩り』に指定された。現時点で利用可能な追加情報は無し。グラインダーから直接ブリーフィングが提供される"
『スナーク狩り』、つまりこの瞬間から彼らの敵はMRJFから『スナーク』に変わったのだ。考えている余裕はない。
「セプター2はWP3に向かう。高度1,500、チャンネル・パープルでグラインダーと交信する」
"良い狩りを、セプター2"
ガイスト大尉が機内に響くエンジン音を遮るほどの大声で『3つのFFuck the Fuckin' Fucker』を全身から絞り出してから暫く経った。真正面のリコは久々に見る彼の感情の発露を見た事に少し驚いた。
この統合作戦が立案された時点で建前通りに帰着すると信じていた者は、少なくとも彼らの中には誰も居なかった。
だが、タイミングが悪すぎる。
もしパッケージを引き渡した後に『想定外』が生じるのであれば、それは寧ろ望むところだ。奴らの高位職員ががこっそり集めているポルノムービーのタイトルを羅列したリストをばら撒いてやる口実にもなる。
だが、奴らはよりによって100機以上の連合軍機が飛ぶキルボックス内でそれをやらかした。ペシュメルガと一緒なら撃たれないとでも思ったのか。
キルボックス内を移動する全ての車両は敵と看做される。それはクルディスタン地域政府KRGに通達済みだった。当然タスクフォース・リベリオンも、それに同行する『三頭政治』の連絡員もそれを知っている。
ローグ部隊が巻き添えを受けなかったのは不幸中の幸いという他なかった。もし生存者がいるなら、一番近くにいる彼らがCSARを展開できる。但し、その為には彼らはキルボックス内に足を踏み入れるがある。
ところが、不意に彼のヘッドセットに入った無線はそれを覆すものだった。
"デスペラード=アクチュアル、こちらはグラインダー。聞こえるか?"
冷徹で機械的な響きは、どこかIAIのそれを連想させ、一瞬彼に応答を躊躇わせた。
「こちらはデスペラード=アクチュアル、スリープウォーカー6だ。感度良好。グラインダー、氏名と階級、所属を述べよ」
"こちらはダニエラ・リントハート少尉、IASSだ。君たちが直面している問題について緊急の通達がある"
「グラインダー、続けてくれ」
"三頭政治はCotBGへの態度の違い、及びSCP財団ロシア支部を含む幾つかの関連組織が制御下に無いことが顕在化した事で共同歩調を失いつつある。タスクフォース・リベリオンの作戦手順違反も恐らくその一環であると推測される。それを知っているのが我々だけである限り、『X-デー』に協調して臨む事は出来ない。現在"Incisive Rapier"作戦に参加中の航空戦力のうち、利用可能な全戦力がCENTCOMから逸脱戦対応軍DEVWARCOM隷下に入った。君たちには彼らの航空支援の下でIAIの本体を回収してもらいたい"
「想定される脅威は?」
"IAIはGPUのエージェントだ。シリア国境を越えて大隊戦術グループBTG相当の地上部隊が北部から浸透しつつある。これに呼応して幾つかのMJRF部隊が、恐らく寝返ったペシュメルガ戦力を動員して支援しており、BTGの前哨支援戦力を増強している"
「ウクライナの時とは違うな。当然、その正面に降りろとは言わないよな?」
"BTGに随伴する防空部隊はF-16CJヴァイパーが、近接航空支援はA-10ウォートホグが対応する。DEVWARCOMはこの地域で使用可能な全ての航空戦力を動員しているが、戦域SAMの状況が現地に到達可能な地上アセットは君たちとタスクフォース・ローグだけだ"
「先ほどC2からは現地の安全は確保されていないと聞いたが?」
"A-10は空中給油を受け、現場に引き返している。追加で2時間ほどは上空待機が可能だ"
「IAIの状況は?」
"奴は食事中のようだ。移動はしていない。BTGの到着を待っているのだろう"
「最後にもう一つ。あんたの主張が事実であると誰が証明する?」
"後ほどヴァンガードから指示がある。そこで確認してくれ。必要な情報はこれで全てだ。グラインダー、アウト"
『グラインダー』を名乗るその情報部員らしき人物は、セプター2編隊を率いるラトーナ・ラディオーナ・ヴァシレフ中尉に対してもガイスト大尉に伝えたのと同じ情報を伝えただけではなく、彼らのタスクに必要な行動を全て一人で指示してきた。彼女たちはたった一人でそこまで空域を俯瞰し、リアルタイムで情報を処理できる存在はJASONにも居ない事を良く知っていた。だからこそ管制官や末端攻撃統制官、FACといった役割分担が為されているのだから。
しかし事実、彼女の指示通りに事は運んでいる。
最初に受けた指示は、マーシャルで待機するKC-137タンカーからその後のタスクに必要な1,500ガロンの燃料を受け取る事――それは進出と帰投時間を含めれば更に3時間近い飛行に必要な量――、そして次に彼女たちが『友軍誤射』と通知された地点に最短ルートで向かい、それを告げてきた地上部隊に近接航空支援を提供する事だった。南から彼女たちにSEADエスコートを提供するF-16CJの4機編隊"ダスティ6"が高度2,500で合流予定、それまでにSA-21は別のSEADストライクパッケージによって無力化される予定だったが、彼らが活動する周辺でSA-6とSA-9が活動しており、更にSA-10もその射程に入っている。前者はシリアから、後者はIRGCから提供された後にこの時の為に巧妙に隠匿されていたのだろう。複雑な地形はSAMコンプレックスに必要な早期警戒/捜索レーダーの視程を狭めるが、それでも本来A-10が飛ぶべき環境ではない。それでも彼らが飛ばねばならない理由であるところの『スナーク狩り』は、つまるところスナークはブージャムであるという事であり、直接的、間接的を問わず別の連中の言葉で言えば『Kクラス』に関わる事物である事を示している。
キルボックス・ノヴェンバーの最もシリア国境に近いセクターであるCRには非武装のリーパーのみが飛んでおり、それもSA-21に1機が撃墜され、追加で投入されたリーパーもいつ同じ運命を辿るか分からない。そして、それは彼女達自身も同様だった。
SA-21の不意打ちでシリア国境沿いに位置するキルボックス外周のSEADエスコートが撃墜され、ほぼ同じタイミングでイラク領内で行われるあらゆる作戦行動の妨害行為も敵対行為と看做すとの決断が下された。ペルシャ湾上の第24艦隊から発艦したF-35Cは、我々の支援の為にSA-21を叩くのではなく、飽くまで"Invincible Rapier"作戦の安全を復旧する為にそれを行う。故にスタンドオフ・ジャマーを除けば、彼女たちを護衛するのは自らも撃墜されるリスクを負う事になる4機のF-16CJだけだった。
"セプター2、54.9MHzでローグ部隊のASGARD41とコンタクト"
澱んだ機械音声が再び聞こえ、ロックスはその指示に従う。
「セプター2、ローグ、聞こえますか?」
"ローグ6、あんた達だったんだな。良く聞こえる。先ほどは済まなかった"
「状況は聞いています。気にしないでください。そちらから敵性目標は確認できていますか?」
"ロシア人の前哨偵察チームと思われる存在を確認した。ここから北に2マイル。奴らをブージャムに近づけたくない。そちらの武装は?"
「30㎜、GBU-12、AGM-65、CBU-87が使用可能。こちらも車列を確認、BRDMを先頭に複数のSUVとMRAP。間違いありませんか?」
"ターゲットに相違なし。奴らに来た事を後悔させてやるには十分過ぎる武器だな。タイプⅡ管制で交戦、9-LINEの準備が出来たら教えてくれ"
「賛成です。9-LINEの準備良し」
"ピット13、280、5マイル、AGL359、BRDMが2両とSUVに乗車した随伴歩兵、37SGA0952624948、レーザー目標指示あり、目標より南500mに味方の前哨観測班、110、リマーク有り"
「リマークどうぞ」
"北西から友軍のヘリコプター2機が接近中。コールサインはシェパード07、11だ。GUNの使用を要請する。最終攻撃進路は240から280"
「BRDM及びSUV、随伴歩兵、目標指示コードは120、南500mに友軍、最終攻撃進路は240から280」
"セプター2、復唱は正しい。IPに到着したら報告せよ"
間もなくしてコクピットの左上に位置するEWディスプレイがそれまでの『10』表示に加えて北北西に『8』の表示を映し出す。先行する『ダスティ6』の4機が散開し、その内の2機がアフターバーナーを点火しながら急上昇する。
"セプター2、こちらダスティ6リード、SA-8の脅威となる活動を確認。WP4より220、10マイル。交戦する。頭を下げていてくれ"
「ダスティ・リード、了解しました。頼みます。ダイム、500まで降下してピット13に向かいます」
"ダスティ6-3、マグナム42、ブルズ210、40マイル、ランドロール"
"ダスティ6-4、マグナム、ブルズ220、45マイル、ロングトラック"
事態は刻一刻と変化し続ける。そして、それは最早ヴェールの内側で起きている事など簡単に吹き飛ばしかねない方向に進んでいた。
キルボックス・ノヴェンバーが封鎖される直前、ホルムズ海峡周辺を偵察中だったUSSベロイトに向けてケシュム島から地対艦ミサイルが発射された時、それは頂点に達した。
タングステン・レディことウェンディ・J・クルーソン合衆国大統領は激怒し、『Incisive Rapier作戦に対する如何なる妨害行為をも実力を以て排除せよ』との通達をバーレーンのアメリカ海軍第5艦隊司令部に設置されたJTF-201司令部が受信したのは、それから僅か1時間後の事だった。
海軍のF-14はペルシャ湾で活動する全ての米軍艦艇への上空援護と脅威の捜索に、F/A-18とA-6、そしてF-35Cはイラン側の地対艦ミサイル陣地に対する空爆に投入される事となったため、同じくJTF-201隷下にある連邦国防軍第24艦隊航空団の大半はもう一つの脅威であるシリア国境沿いに配置された長射程SAM陣地――それらにはSA-21が含まれている事が明らかになりつつあった――に対処しなくてはならない。既にUSFSエクリプスから4機のF-35Cがシリア国境付近に展開するそれらへの空爆に向かっているが、それも全ての位置が特定できている訳ではない。撃ち漏らしが発生した場合、彼は最新鋭の多重防空システムに対して、F-35よりも遥かに脆弱な他の機体を差し向けなくてはならなくなるかもしれない。
妙な気分だった。
イルクーツクは文字通り焼き払われたが、それでもコーカサス山脈の北側から始まった『肉の氾濫』が留まる事は無く、ガーナではi3分遣隊の隊員が2名、KIAになった。それでもロシア政府中枢は中東へのプレゼンス維持の為にイラクを不安定化させる事の方が重要だと考えており、イランは彼らとの同盟関係を重視している。ロシアの政府系メディアは『国内に存在する反政府組織による内乱の試み』を鎮圧する為の特別治安作戦の為に軍が動員されたと盛んに報道しているが、独立系メディアでは断片的ながら肉色のゼリーがこびり付いた町の映像が盛んに報道され、それを抑え込むために第20諸兵科連合軍と第1親衛戦車軍が展開している事は――それにどの程度の確信を持つかは別として、もはや誰もが知り得る情報となっている。
NATOStratCom=COENATO戦略コミュニケーション中枢機関は既に何が起きているのかをより正確に把握し始めている。サーキックという名を知らずとも、未知の脅威に欧州が晒されつつある事はロシアから間接的に齎される様々な情報で明確になりつつあった。合衆国欧州軍USEUCOMは隷下の全部隊を即応体制に移行させ、第6艦隊には100機近くの作戦機を搭載したUSSセオドア・ルーズベルト空母打撃群が向かっている。欧州連合軍最高司令部SHAPEもブリュッセルもそれぞれ『オーレリアン』『マリウス』『パーメニオン』『クラテルス』と命名された4つの戦闘群をルーマニアとモルドヴァの国境沿い、及びトルコ国内に展開する決定を下したばかりだ。
本国が月を目指すのに必死な一方、東南アジアで血みどろの戦いを繰り広げていた我々の祖父達も似たような感情を抱いたのかもしれない。
少将はただ眼前のディスプレイに映し出された共通戦域マップに映し出された脅威に集中する。とはいえ、F-35Cは既に味方からも姿を消している。彼に出来る事は最初の空爆によって少なくともSA-21が全て沈黙してくれる事を祈るだけだった。
"ダガー4、行動開始"
先行する2機の機内兵装ベイにはJSOWが2発収められており、リベットジョイント並みの能力を持つF-35Cの電子情報収集能力ははSA-21の火器管制用及び早期警戒用レーダー群の位置を特定し、兵装を指向するのに十分な精度でそれを捉える事が出来る。後続の2機は同じく機内にSDBを8発搭載しており、先行するSEAD役の2機が捉えたELINT情報の支援を受けつつ母機の電子光学センサーが発射機を捕捉、SAM自体を破壊する。ワイルドウィーゼル部隊がAGM-88とAGM-65、CBU-87の組み合わせで実施する事を、F-35Cは遥かに高い安全性と効率性を担保された状態で行える。
"ダガー4-1、Pigs fly、グレイヴストーン、ブルズ080より12マイル、予定通りAs fragged"
Pigsという米軍共通の滑空型誘導爆弾――これは動力機構を持たないミサイルと言い換える事も出来る――の呼び名と共に、その発射がコールされた。仕事を終えた2機が引き返しはじめ、数分後にはより小さいながらも同じ飛翔形態を持つ爆弾を抱いた2機が攻撃の完了を告げた。
"ダガー4-2、Pigs fly、SA-21、ブルズ130より40マイル、As Fragged"
ミラの率いるナイトウォッチ部隊はアル・ハリール空軍基地に帰還した後、主目標が予期せぬトラブルで喪失しつつある事、そしてその地域をシリア国境沿いに配置された長射程SAMの傘が覆っており、それらが排除されるまでスリープウォーカー部隊はその軌道修正の為に送り込むことが出来ない事を知らされた。自分たちの出番がまだ残っている事を悟り、基地に割り当てられた彼らの領域にある小さな武器庫で次の舞台により適した装備を探していた。
それは50BMG弾を使用するブルパップ構成のセミオート対物ライフルで、ミラの知る限り普通の小銃とはいかなくとも、軽量級の機関銃の様に扱える唯一の対物狙撃銃だった。長距離の堅い目標を撃つなら同じセミオートでもより精度の高いイギリス製のAW50を選択するが、あいにくここにある大口径狙撃銃はこのリンクスGM6だけだった。尤も、AW50があったとしても、無線から伝えられる状況を加味すればそれを選択する事は無いだろう。今求められているのは1マイル先にある車両のエンジンブロックを狙い撃つ事ではなく、せいぜい数百m、若しかしたら100m未満の距離から50口径弾を撃ち込む事だからだ。
アイシャを含むスポッターは、CLAWからより射程の長い6.5㎜口径、16インチ仕様のSR-25に持ち替えていた。それは本来、市街地の偵察狙撃ミッションに最も適した武器の一つで、彼女たちがこれを持っていかなかった理由は唯一、完全な隠密性が要求されたが故にであった。そしてそれは良好な弾道特性と精度、射程を併せ持っており、これから向かう戦場に於いては自分の身を守るにも、また狙撃手を援護するにもCLAWより優れている。
市街戦から野戦、全く異なる戦闘環境に見えるが、本質的には何も変わらない。つまりは自分が戦闘に用いる事の出来る時間と空間、そしてその制約をどれだけ有効活用するか、それだけの違いでしかない。
だが、敵が逸脱存在であれば話は別だ。恐らく文字通り50口径弾を普通の小銃の様に撃ちまくる事になるだろう。故に大量の弾薬を持っていく必要がある。ミラが先ほど撃った338ラプア・マグナム弾は亜音速弾と超音速弾を合わせて15発に過ぎない。彼女はこのような前哨偵察狙撃任務の時には4本の弾倉を携行していくが、それを使い切る事はまずなかった。だが、これから遭遇する脅威はそれでは足りないかもしれない。
彼女たちはそれまで着用していたバイタルエリアのみを覆う最小限のソフトアーマーを脱ぎ、複合効果を持つMk211弾が装填された10発入り弾倉を収めるポーチが取り付けられたチェストリグを身に着け、同じ型のポーチをベルトに取り付ける。銃に装填されている分を含め計7本。
彼らi3任務群の隊員は、CRSAにアサインされた時でもない限りプレートキャリアを身に着ける事は殆ど無い。銃火に身を晒すのはt分遣隊の役割であり、また逸脱性存在との交戦で防弾プレートが役に立つことは殆ど無いからだ。
スリープウォーカー部隊のALSAVには50口径と338口径の2種類の機関銃が搭載されており、更にAT4もある。機甲部隊でも相手にしない限り、その火力は十分すぎるほどだったが、IAIが異常な肉体変成技術で強化されたサイボーグ、つまりハルコストとメカニトのハイブリッドである事を考えると、それで十分とも思えなかった。彼女たちは基地の在庫からもっと強力な武器が無いか探し、辛うじて2基のAT4を見つけ出す事が出来た。
正にその割り当てを終えた時、ナイトウォッチ部隊を招集する声が無線越しに届いた。
正にフィル達が着陸地点LZに到着する寸前、民兵の連中が設置していた迫撃砲陣地が弾薬と共に派手に吹き飛ばされ、フィルはその爆圧を全身で感じ取った。
リコや他の何名かが歓声を上げるのを聞いたが、彼はそこまで喜ぶつもりにはなれなかった。
あれはここに近づきつつあるBTGの前哨偵察班に過ぎず、もしその射程に捉えられたら最後、我々は誰も生きては帰れないだろう。上空を旋回する2機のA-10が居る事は、その不安を多少は和らげてくれる。
ローグ部隊が放ったMAVから送られてくる映像には、幾つもの焼け焦げた車両の残骸と遺体、その中をうろつく鎖の群れの様な物を見た。ここから数キロ程度しか離れていない場所の筈だった。
その鎖は滑りを帯びた金属質とも肉質ともつかない質感を持ち、不規則に動き回っては何かの破片をまき散らしている。
「こちらデスペラード=アクチュアル、ローグ部隊はCCM43チームを展開、スリープウォーカー部隊は前進に備えろ、乗車!C2、増援は?」
"ヴァンガードよりスリープウォーカー6、ナイトウォッチがルートを変更してそちらに向っている。到着まで15分。ローグ部隊は北に4㎞の地点で待機中。2機のA-10、セプター2がCASを提供している"
「了解した。こちらデスペラード指揮官、シェパード07、聞こえるか?」
"シェパード07、感度良好だ。現在ジェベル・ジュライバの南東を通過中、ETAは10マイクス"
「LZはセクター945-214に変更、最優先目標の目の前だ」
"LZの状況は?"
「LZは脅威あり、ナイトウォッチを降ろしたら直ちに離脱を」
"了解した、シェパード07はLZの変更を了承、セクター945-214"
「最優先目標を捕捉した。こちらは突撃機動を行う。北西から支援を」
"スリープウォーカー6、了解した。
「デスペラード=アクチュアル、スリープウォーカー各員は300m地点まで前進、こちらの合図で射撃開始」
"了解"
A-10のものとは異なるつんざくようなジェット音が彼らの上空を切り裂くのが聞こえた。見上げると2機のF-16がHARMを発射してからチャフとフレアをばら撒き、その後にミサイル回避の為のジグザグ機動を開始するのが見えた。BTGの本隊は彼が思っているよりも遥かに近くにいるのかもしれない。
束の間、彼らが目指す地点の周りから白煙が立ち上り、次いで砲弾が空を切り裂く音が聞こえた。
友軍の物では無いのは明らかだ。
"スリープウォーカー6へ、こちらセプター2-1、東10㎞に自走砲が展開中。中隊規模の戦車部隊を伴う増強大隊は北東より5㎞の地点に移動しつつあり"
「セプター2-1、良い知らせをありがとう。奴らを阻止できるか?」
"6、そちらへの支援が途絶えますが、宜しいですか?"
「セプター2-1、我々は自力で対処可能だ。それよりもロシア人の砲弾を何とかしてくれ。TYPE-3管制で交戦」
"セプター2、了解。敵機動部隊を攻撃します。自由射撃"
"ダスティ6-3よりグラインダー、聞いているか?"
"グラインダー、聞いている"
"こちらは2機のF-16で30分の上空待機が可能だ。武装はGUNのみだが、地上のどの連中よりも強力な武器だと思う"
"ダスティ6-3、許可する。セプター2が戻るまでの間上空支援を提供してくれ"
"コピー、デスペラード、こちらはダスティ6-3だ。F-16の2機で30分の上空援護が可能。兵装はGUNのみ、セプター2が不在の間はこちらが支援する"
「ダスティ6-3、よろしく頼む。俺のコールサインはスリープウォーカー6、こちらのASGARDはスリープウォーカー4-2だ。TYPE-1管制に備えて待機してくれ」
BTGと呼ばれるロシア人たちの増強大隊を先に発見した"ダイムバッグ"ことスコット中尉はスナイパーポッドの画像を見て震え上がった。BRDMを先頭に並ぶ車列の最後部にSA-13が見えたからだ。平べったい装甲車の上に短射程のSAM発射機が1対備わっているので、電子光学センサーの画像でもその違いははっきりと判る。そしてその後ろには同じ形状の車体に特徴的な金網状のレーダーアンテナを備えた車両も居る。
数キロ東にM1990自走砲が並んでおり、それらは味方の地上部隊に脅威を与えているのは分かり切っていたが、それを排除するにはまず自分にかかる火の粉を払わなくてはならない。
間もなく電子戦画面に『13』の表示が現れる。FLIR画面にはSA-13が停車し、発射機が起き上がるのが映る。
「1、マッド13、ガスキンだ。降下しよう」
"2、了解。こちらでも確認。ダスティ6-1、排除してもらえますか?"
"ダスティ6、了解。交戦する。マグナム、ブルズ230、60マイル、フラットボックス"
"2、自走砲をCBUで攻撃してください。ZPUはこちらで引き受けます"
「2、コピー、ブレイクフォーメーション」
『13』の表示が消え、電子戦ディスプレイの表示が友軍の物だけになった。
「2、RPまで3マイル」
"セプター2、こちらダスティ6-1、スプラッシュ2、スプラッシュ2、フラットボックス"
「2、RPまで1マイル、上昇する」
急激なGに耐える為、彼は腹に力を込め、頭に血を登らせる。操縦桿を引き、速度と引き換えに高度を得る。だが、今までほどに高く上る事は出来ない。先ほどSA-21への攻撃は成功したとの通達があったが、依然として我々は長射程SAMの傘に入っている。複雑な地形が我々を隠してくれているが、それでも1,000ftよりも上には行けない。まるで頭を押さえつけられているようだ。
"1、スプラッシュ2、対空砲AAAを破壊"
「2、投弾地点RPに到達!」
唸りと叫びが入り混じった声で、彼は僚機に投弾シークエンスの開始を告げると共に、操縦桿を左に倒して機体を半回転させ、降下に入る。再び機体の上下位置を戻せば、あとは機体を地上に並んだ砲列の真ん中に指向し、CCIPモードの照準点がターゲットに重なるのを待つだけだ。急激なGの変化に全身の肌がぴりぴりと刺激され、頭がふらつく様な感覚を覚える。
目標指示ポッドが目標地点に照射したレーザーで得られた極めて精密な距離情報と機体そのものの航法システム、姿勢制御システム、エアデータコンピューターがHUDに予想着弾点を示す。
「2、投下!」
小さな爆発が無数に巻き起こり、砲撃準備の為に作業をしていたであろうロシア人達が細切れになると同時に幾つものM1990が火花を散らすのがキャノピー越しに見えた。
後ろを振り返ると、少なくとも黒煙を上げながら炎上するM1990が3両、うち2両がほぼ同時に車内の弾薬に誘爆して派手な爆発を起こすが見えた。
それは彼が一番待ち望んでいた光景だったが、同時に一番見たくないものも見えてしまった。
薄く白煙を引き、尾部を燃え上がらせながら自分を目指して飛んでくる何か。
"2、SAM発射、SAM発射、ブレイク!"
僚機の警告を聞くまでも無く、彼は機械的にフレアとチャフを射出しながら5Gで降下しながら左旋回を開始、高度は500ftも無い。緩やかに降下しながら速度を稼ぎたかったが、使える空間は限られている。故にジグザグ飛行を行ってミサイルの運動エネルギーを浪費させ、回避不能圏から脱する事は難しいようだった。
ミサイル接近警報装置の警告音が数秒に亘って続き、次いで背中から押されるような衝撃と金属を裂く嫌な音が聞こえた。
後ろを振り返ると、キャノピー越しに左の水平尾翼とエンジンポッドが鉄屑と化しているのが見えた。一瞬目に移った左翼のフラップもボロボロになっている。
マスター警告ランプが点滅し、耳障りな警告音声が続けざまにコクピットを満たす。操縦桿の操作に機体は一切反応しない。機体の制御系は全てロスト。ミサイルの弾片がコクピットに飛び込まなかったのは幸運だった。
悩む間もなく、彼は決断を強いられた。彼は5,000時間を超えるA-10の操縦経験の中で唯一、それまで一度も触れた事の無い装置である黄色い射出ハンドルに手を掛ける。
これら全てが数秒以内に行われた。
「2、脱出。イジェクト!イジェクト!イジェクト!」
その瞬間、20G近い加速度が彼を空に放り上げる。
最後に見えたのは、彼のシュートが開くのと同時に愛機が地面に突っ込んで火の玉と化す光景だった。
ラトーナは僚機の航跡沿いに地上を見渡していた。稜線越しに姿を現したSA-13はたった今、マーヴェリックで破壊されたが、既に敵前に姿を晒しているセプター2にとって脅威は未だ残っている。先鋒のBMPは破壊されたが、この複雑な地形は幾らでも姿を隠す事が出来る。彼女は多機能ディスプレイのコンソールを操作してターゲティングポッドの視野角を自ら破壊したBMPの近くにある隠れやすそうな地形をなぞった。
それは一瞬だけ遅かった。
何か閃光を伴う白煙が視界の隅で巻き起こり、彼女はターゲティングポッドの視野角をそちらに同調させる。数名の兵士が稜線の先に伏せているのが見えた。
彼女は意図せず絶叫に近い警告を僚機に向けて発し、同時にレーザーを照射、機首を向けて30㎜を指向する。
IPに到達した時、彼女は空中で僚機が炎に包まれ、ゆっくりと裏返しになるのを見た。直後にキャノピーが脱落し、"ダイム"が射出されるのを。
「セプター2-1より作戦中のユニットへ、2番機が撃墜された。37SGA0673024271、開傘を視認!こちらは脅威と交戦中!」
"セプター2-1、こちらはヴァンガード、了解した。シェパード19がCSARに向かう。ETA、10マイク、そちらのステートは?"
「GBU-12、AGM-65、GUNが使用可能。滞空可能時間は残り30分、タンカーを要請します」
"了解した、現在地上の状況は不安定だ。敵地上部隊を阻止した後、君にはRESCAPを頼むかもしれない"
「セプター2-1、望むところです」
"ヴァンガード、セプター2-1、まだ今の仕事は終わっていない事を忘れるな。ヴァンガード、アウト"
リコはAT4から放たれたHE448Aが確実に直撃する瞬間まで目標に注視していたが、その結果を見て驚きの声を上げた。至近距離で炸裂した弾頭は、今や彼の目の前100m足らずの距離にいるその実体から無数に生える筋肉繊維と腱で出来た鎖の様なものを幾つも引き千切ったが、それでも生き残った鎖や棘は未だ蠢いており、その中心にいる人の形をした本体は彼らの方に向かってきている。
「ファック!あの醜いmofuはまだ動いていやがる!」
それはAT4の名称とは裏腹に戦闘装甲車両の装甲を貫いて撃破する為の物ではなく、爆風効果によって施設内や非装甲車両の内部を破壊する用途に最適化されたものだったが、至近距離でその爆発を受けてなお動ける"生物"を目の当たりにしたのは彼にとって初めての経験だった。
50と338、異なる2種類の途方もない威力の弾丸が車載機銃から続けざまに撃ちこまれ、奴はそれを避けようと飛び退き、またそれが直撃する度に火花を散らしながらよろめいたが、それでも残りの距離を縮めようとする努力を止めようとはしない。
今の状況を生んだのは、ロシア人たちが榴弾砲でRP弾をそこら中にばら撒いてきた為だ。その煙幕が彼らのNODS、及び目標指示用のレーザー、CCMチームのジャベリンを使用不能にし、奴に200mの接近を許すには十分な隙を生んだ。最初の迫撃砲弾が発射された直後、彼を含む全ての隊員は白煙の先に見える影を目掛けて手にした火器を撃ち込み、恐らくその多くは命中したに違いないが、期待した効果は得られなかった。飛来したのは最初の数発だけで、A-10がそれらを無力化したのは明らかだったが、その間に状況は遥かに悪くなっていた。
これが『逸脱戦』という奴の正体だ。
HE弾の直撃に耐える実体が居ても、武装し、訓練された1個小隊にとってそれ自体が脅威となる訳ではない。問題は知性を持ったそれが現代兵器によって強化され、通信し、諸兵科連合に組み込まれる事だった。彼はそれを繰り返し学び続けてきたはずだったが、いざそれを目の当たりにする前と後では言葉の意味が変わってくる。
奴は幾つもの手に様々な小火器、恐らくはタスクフォース・トライデントとそれを護衛していたペシュメルガ民兵の連中が使っていたであろう物を手にして、適性射撃弾数を無視した乱射を行っている。A-10の『誤射』を受けた後も使える状態の物が残っていたのは予想外だった。小銃からT-55の車載銃であるダッシュKまで、ありとあらゆる自動火器の弾丸が彼らの頭上を通り過ぎていく。だが、少なくとも先ほどのHE弾の炸裂は、それらと奴が食事がてらに拾い集めた弾薬や防弾プレートの類の大半を吹き飛ばしたようだった。お陰で今の脅威は奴が振り回す全長50m近い鎖と奴自身の質量による突進だけにまで低下した。
「6、スリープウォーカー全隊員は車両まで後退!ナイトウォッチ、状況は?」
"こちらナイトウォッチ、そちらの800m北に降下した。60と狙撃でそちらの後退を支援する"
「了解、6、アウト!」
先ほどナイトウォッチを降ろした2機のブラックアウトがドアガンで更なる銃撃を加えながら離脱していく。
「リコ、CASを要請しろ。ブロークンアローを宣言!」
彼は上空のF-16に目標を指示する。
「ダスティ6、こちらはスリープウォーカー4-2、主目標に対する近接航空支援を要請する。状況は?」
"スリープウォーカー、ダスティ6-3。滞空可能時間は残り15分、残弾はせいぜい1航過分が限度だ。そちらの状況を教えてくれ"
「ダスティ6-3、先ほどの砲撃でプージャムの接近を許してしまった。現在全ての火力で抵抗中だが奴はこちらを捕捉しつつある」
"ダスティ6-3、もっと大きな砲が必要だな"
「その通りだ。ターゲットは我々の先鋒より100m以内に居る。タイプ1制御が有効だ。9-LINEに備えてくれ」
それから彼は空から降り注ぐ破滅的な一撃を呼び寄せる為の9つのキーワードを口にする。それはさながら現代の魔法に必要な呪文だった。
「セクターNZ、280、4マイル、50、ブージャム、37SGA0886124437、マーク無し、我々は目標の100m手前、北西300m地点に友軍の車列、及び47号線の北に狙撃班、270、ブロークンアローを宣言する」
"ダスティ6、50、友軍は目標付近100から300m及び47号線上、ブロークンアローを了承"
「ブロークンアローを確認、IPで目標を捕捉したら通達せよ」
呪文を唱え終えた直後、彼は何かが超音速を超えて飛翔する時に特有の音を聞いた。それは銃弾よりも遥かに大型の何かだ。同時に目の前に凄まじい勢いで土煙が上がる。
真っ黒な棘上の破片が、彼のたった10mほど先で伏せ、リコの後退を援護していた隊員の顔、肩、手にした銃の至る所に突き刺さっている。彼は銃を構え、照準器に目を当てたまま事切れていた。
振り返ると、IAIの体の一部から体液らしき何かが漏れ出しているのが見えた。全身を覆う棘上の何かを射出したのは明らかだった。局所的に体液を集め、その圧で棘を撃ち出した上で、更に内圧によってそれをフレシェット弾の様に飛散させたのだろうとリコは推測した。全身が感覚器官でもある奴にとって、それは銃よりもよほど扱い易い飛び道具なのであろう事も想像がついた。
リコは咄嗟に伏せ、接近するF-16の姿を捉える。あの攻撃が続けば、俺たちは車列に辿り着く前に細切れにされてしまうだろう。
"ダスティ6、目標を視認"
「ダスティ6、Cleared Hot」
"ダスティ6、Going Hot"
双眼鏡を覗くと、奴の全身を覆う棘のうち幾つかは、その根元が脈打っているのが分かった。
あれさえ吹き飛ばせれば、味方が後退する余裕が生まれるだろう。
たった200mのランニングであるにも関わらず、ここまでゴールが遠く感じるとは思わなかった。
20㎜機関砲弾の機銃掃射が立て続けに2機分、あの醜いクソ野郎がいた所を着弾の土煙で覆い尽くして視界の多くを奪ったが、それでも数えきれないほどの火花が飛び散り、恐らくは射出寸前であっただろう棘の幾つかが砕け散るのが見えた。
「ダスティ6、こちらスリープウォーカー4-2、良い当たりだ、ターゲットに効果有り」
"ダスティ6、こちらは燃料と弾が尽きた。帰投する"
結果を見届けた彼は立ち上がろうとしたが、目標指示装置に手を掛けたままの自分の右腕が自分の肉体動作についてこない事に気付いた。非現実的過ぎて理解できない光景だった。肩から先には何もない。彼の意識を維持するには血液が余りに足りない。
フィルが彼の名を叫ぶ声が聞こえ、そのまま視界が暗くなる。その数舜後には音も聞こえなくなり、ひりついた熱さだけが残った。
彼は飢えていた。
彼の治癒能力を上回るほどの数えきれない程の銃弾と砲弾片を浴び、それは彼の生命維持にさえ危険を及ぼすレベルにまで及んでいた。
それによって喚起される飢餓感は、一刻も早くより手っ取り早い獲物を探すよう、彼の意識に指向性を付与した。
そして幸運にも、それはそう遠くない場所にありそうだった。
量は足りないが、少なくとも追っ手を振り切り、再び彼の雇い主の元に戻るには十分だろう。
何よりそれはまだ生きていて、新鮮で、先ほどの焼け焦げたディナーよりもよっぽどに芳醇であるに違いなかった。
落下傘は彼を典型的な礫砂漠の斜面へ、つまり最も望ましくない領域へ彼を導いた。
激しく背中を打ち、彼は斜面を滑り落ちる。地形の状態を把握し、衝撃に備える間もなく落下した結果、彼は動けなくなった。
フライトスーツに覆われた右足に血が滲み、痛覚と共にどうやら足首のどこかを骨折している事を彼に知らせた。
痛みを堪え、自分の身体状況を確認した後、彼はニーボードの地図を開き、どうやらルート・アイダホと命名された国道47号線の支道の付近に降り立った事を把握した。
あと2時間ほどで日暮れが来る。失血と相まって体温を失う事は避けられないだろう。
彼はサバイバルキットに辛うじて手を伸ばす事が出来たので、中から止血体を取り出して患部に巻きつけると、
いつ現れるかわからない敵に備える為にHK社製のPDWを手にした。装弾数20発、予備弾倉は銃に装填されている分を含めて4本。
空軍のA-10パイロットの様に556のサバイバルライフルがあればもっと心強かったかもしれないが、負傷し、身動きの取れない状態で分解された状態のAR-15を組み立てられる自信はない。そう考えれば、片手でも取り合えず撃つ事は出来るこのPDWが支給されている事は最大公約数的な最適解なのかもしれない。
そう遠くない距離で凄まじい密度の銃声と爆発音が聞こえ、そのすぐ後に2機のF-16が爆音を轟かせながら上空を通過するのを見た。
やがて音が止み、黒煙が東の空を覆っていくのを見て、彼は自分の僚機が仕事を為したであろう事を想像した。
彼は無線機を通じて救援を求める。
「こちらセプター2-1、地上に居る。墜落地点から500mほど北だ」
"ヴァンガード、セプター2-1、状況を伝えてくれ"
「こちらは負傷し、身動きが取れない。周辺に敵の動きは無し」
"セプター2-1、了解した。CSARは30分以内に到着する。コールサインはシェパード1-1、友軍地上部隊もそちらに向っている。安静にして待機していてくれ、オーヴァー"
「ヴァンガード、了解。昼寝でもしながらゆっくり待ちます」
通信を終える間もなく、彼は、視界の隅で砂煙が上がるのを、そして背中が捲れ上がるような衝撃が走るのを感じ取った。
一瞬の静寂、そして銃声。訓練の時にAK小銃のそれは嫌と言う程聞かされたが、自分に向けられたそれは記憶とは全く違う音に感じる。間もなく背中の一部が冷たくなり、彼は自分の身体に穴が開いた事を知った。
彼は辛うじて正常に機能する腕で這い、岩の裏側に転がり込んだ。
遅れて、恐らくは彼を撃った狙撃手が仲間を呼び寄せているであろう叫び声が木霊するのが聞こえる。そして、そのピッチが3オクターブも上昇し、悲鳴に変わるのも。
苦労して体を起こし、岩陰から覗く。ちょうど鎖めいた鈍色の何かが、まだ自分より10歳以上は若く見える狙撃手の体を絡め取り、次いで棘だらけの塊がそれを包み込むのを見て、彼はただ生き残る事だけを考える訳にはいかなくなった事を理解した。
「ヴァンガード、寝ている訳にはいかないようだ。化け物を見つけちまった」
奴が不意に攻撃を止め、移動し始めたのは単に痛打を浴びた事だけが理由ではないだろう。
奴は餌を求めている。彼らよりも無抵抗で、邪魔の入らない餌を。
"ヴァンガード、こちらスリープウォーカー6、複数の死傷者あり、ASGARDは機能を喪失。MEDEVAC44を要請する。LZはローグが確保中"
「スリープウォーカー6、ヴァンガード、了解した。ロシア軍部隊の先鋒はセプター2が排除、別のセクターはクリアだ」
SA-21の傘が取り払われ、この地域の航空戦力は再び自由を得た。轟音と共に地平線の先に向けてマーヴェリックを放つF/A-18の姿は、さながらステレオタイプな映画のクライマックスに於ける勝利を連想させる。ホーネットが、ロシア人達の侵入に呼応して活動し始めたより古いSAMを狩り出し、すぐ後にはF-16CJが続く。近接航空支援のF-16CGとA-10も程なく到着するだろう。
だが、少なくともその演出は彼らの物ではない。
ドリスコル少将はスリープウォーカー部隊のASGARDが誰であったかを知っている。故に、通話相手の心中を容易に察する事が出来た。彼自身、同じような経験をしている。タスクの進行中に部下を失った時に感じるのは無力感と驚きだ。それが悲しみという形に変わるのは、きっと全てが片付いた後の事だ。
"ヴァンガード、我々はセプター2-2へのCSARを実行する為、徒歩での移動許可を要請する"
「ネガティブだ、フィル」
ビルは、それが部下に不興を買う指示である事を良く分かっている。彼らの窮地を救ったA-10パイロットが撃墜され、最も近くに居る部隊は彼らなのだ。
"何ですって、もう一度言ってください"
困惑と僅かな怒気は、それが無線越しであっても十分に伝わってきた。
「君たちの主目標はIAIだ。奴の捕捉と無力化、物的証拠の回収を最優先しろ。CSARにはQRFが対処する」
作戦の目的は常に明確であり続ける必要がある。そうでなくては、我々は彼らと同じ失敗をする事になる。
そして、SA-21は断末魔の代わりに撃破される前、捕捉したリーパー全てに槍を放った。
現在目標周辺に存在する航空ISRはたった1機のA-10、セプター2-1で、それもあと30分もしない内に帰投しなくてはならない。
「落ち着け、フィル。ターゲットは墜落地点付近に向かっている。君たちが目的を達成すればセプター2-2のCSARはそれだけ容易になる」
"ヘリはどのくらいで到着するので、少将?"
「QRFはモースルからタル・アファルに移動中、ETAは……そう長くはないだろう」
"あー、了解。最善を尽くします"
「フィル、無茶はするな」
"もう散々してきましたよ、スリープウォーカー6、アウト"
無茶をするのが我々の、いや、現場に居る彼らの仕事だ。
少将は自分の口をついた言葉に不条理を感じながら、部下に次の指示を下す。
傍でこのやり取りを聞いていた『リンクス』ことピーター・アッシュダウン少尉もまた彼なりの想いを抱くが、それを吐露する場は今ではない。
彼は努めて機械的にコンソールに向き合い、セプター2-1を呼び出す。
「セプター2-1、こちらヴァンガード。状況を」
"セプター2-1、T-90、BMP、BRDMから成る車列及び砲兵部隊を破壊。セクター周辺はクリア。後続部隊が西30㎞に接近中、恐らくは本隊と思われる"
「セプター2-1、よくやった。現在こちらの指揮下に入った第24艦隊のアルファ・ストライクが向かっている。武装と残燃料は?」
"GBU-12、GUNが使用可能。滞空可能時間は残り25マイクス"
「セプター2-1、セプター2-2のビーコンは捕捉しているが、我々は全ての近接監視手段を失っている。君と現地の地上部隊だけが有効な情報源だ」
"セプター2-1、ダイムとの交信は全て聞いていました。CSARが到着するまでの間、セプター2-2への上空援護を許可願います"
予想通りだ。戦士はみな同じことを考える。即ち『誰も見捨てない』だ。逸脱戦領域に従事する人間は、時として自身や部下の命よりも優先しなくてはならない事がある事を知っているが、助けられる可能性がある仲間についてそれが適用されるわけではない。
「セプター2-1、CSARヘリはモスールから攻撃ヘリの護衛を伴って移動中、ETA30マイクスだ。それまでセプター2-2の周辺を確保できるか?」
"肯定です、ヴァンガード。正確な位置を教えてください"
「セプター2-2のビーコン位置は37SGA2689927651。全ての敵対脅威に対して自由交戦を許可する。為すべき事を為してくれ。地上部隊からの報告に拠れば、ブージャムはそちらに向っている可能性が高い」
ふと、子供の頃に図鑑で見た石炭紀の巨大な節足動物の想像図を思い出しながら、彼は光学照準器の赤い点をその頭部に重ねる。
距離は50ヤードも無いだろう。秒間15発の連射を行えば、少なくとも最初の何発かは当たる筈だった。
だが、彼は墜ちる前にFLIR越しに見た奴の姿を覚えている。
あれは末端に過ぎない。その中心には、確かにヒトの形を留めた異形がふんぞり返っているに違いないのだ。
奴は30㎜の斉射でもくたばらなかった。
一般に考えられているのとは裏腹に、A-10の"主砲"たるアヴェンジャーことGAU-8が毎秒60発近くを放つ30×173㎜弾は、例え徹甲弾であっても主力戦車を確実に撃破するのに有効な武器ではない。だからこそ、ポーランド国境を越えて押し寄せる旧ソ連製の鋼鉄で出来たローラーを受け止める先鋒であるA-10は、それにもっと適した武装を山ほど搭載できる。
30㎜の出番はそれらがマヴやCBU-97などで狩り尽くされた後も生き残ってしまった哀れなBMPやBRDMを見つけた時、或いはバンカーに籠る敵兵を外壁ごと串刺しにする時だった。幸いにして―或いは不幸にして―想定された役割を果たす機会は訪れる事は無く、専ら爆弾を使うには余りにも味方に近すぎる目標をスクラップに、或いは焼け焦げた挽肉に加工するのに使われてきた。彼らの様な『逸脱戦』に関わる者にとって、それは相手がターバン野郎ではなく、逸脱性脅威を示すブージャムと呼ばれる存在に変わっただけで、本質的な在り方は変わらない。
比べて彼の震える右手に収まる4.6㎜口径のPDWの何と心細い事か。グリズリーに20本の縫い針で立ち向かうようなものだ。故に彼は発砲したいとは思わなかった。チタン製のバスタブに収まっている訳でも、砲弾片に耐えるキャノピーに覆われている訳でもない。彼が、様々な形で支援してきた彼は銃を手から離し、代わりにポケットに忍ばせた煙草とライターを取り出そうと試みる。身体を僅かに捻るだけで苦痛が走るが、それは徐々に遠ざかっていくような気がした。失血が自身の思考力を奪いつつある事を理解し、彼はサバイバルキットに収められた発煙手榴弾に書かれた「RED SMOKE」の文字を目に焼き付け、それを握りしめると、携帯型無線機を胸に抱いた。何があってもこの2つは手放してはならない。
彼は自分の状況を正確に把握しつつあった。
CSARが到着する前にブージャムが自分が見つけるだろう事を。幼い顔の狙撃手が放った7.62㎜弾が恐らく自分のバイタルエリアを傷つけ、背骨に損傷を与えている事。
出血を止める手段は無く、故に生き残る事は出来ない事を。
彼は最期の意志を言葉に変換し、それを戦友に伝えるべく、無線のチャンネルを切り替える。
「ロックス、聞こえるか?」
"ダイム、こちらセプター2-1、無事ですか?"
無線越しでも隠し切れない動揺を感じ取ったダイムは答える。
「落ち着け、ロックス。こっちは砂塗れで岩陰に寝そべってる。母親だって気付かないで踏みつけるだろう」
"嘘だ、ダイム。位置を示してください。IRレーザー、スモーク、何でもいい"
通信を遮るような轟音が響き、彼はその発生源がどこにあるのか視線を巡らせる。
崖の上に除く4つの砲門と、その上に皿の様な形状のアンテナを備えた車両が何かに向かって長い連射を放っていた。
「こちらセプター2-2、見えて動くものは全て敵だ。落ちてくる途中でジハーディスト共を伴ったシルカが見える。俺は隠れているから気にせず吹き飛ばしてやれ」
"ダイム、了解。伏せていてください"
冷静になれよ、ロックス。ここで死んだら何も残らないぞ。彼はその言葉を飲み込み、煙草を口に咥えた。
"セプター2-1、ガンディッシュを探知、ライフル、ブルズ南東235、22マイル、ZSU-23"
バラバラになったシルカの残骸が彼のすぐ近くまで降り注ぎ、そのすぐ後に爆風と派手な爆発音が到来する。
"スプラッシュ2、スプラッシュ2、ZSU-23"
何かが至る所に這いまわり、残骸と共に吹き飛んだ民兵やロシア人共の遺体、或いはまだ生きているかもしれないそれらを探している。そしてそれは彼の隠れている岩陰のすぐ後ろにまで迫っている。
その時が来た事を彼は実感した。
「ヴァンガード、こちらダイム、シェパード1-1のRESCAPは?」
"こちらヴァンガード、セプター2-1が担当している。何か問題が?"
「何もない。セプター2-1、聞こえるか?」
彼女に辛い仕事を任せてしまう事になったのは、全て俺のせいだ。すまない、ロックス。
そう思いながら、彼は震える手でライターを灯す。
後しばらくすれば、発煙剤が辺りを満たし、煙草の味も分からなくなるだろうから。
「ダイム、続けてください」
頭に血が昇り続ける自分とは裏腹に、ダイムの声は今までと同じくリラックスしているように感じた。
"済まない、ロックス。俺はもう終わりだ。しくじったんだ。背骨が折れている。あのクソ野郎はそこら中に居る。奴は俺を餌にCSAR部隊を誘ってる"
「ふざけるな、ダイム!諦めるな、置き去りにはしない!」
"スモークを炊く。赤色だ"
クソッ、クソッ、クソッ。駄目だ、ダイム。
彼女はHUDの照準点を腱と肉で覆われた鎖が敷き詰められた一角に合わせ、30㎜の斉射を放つ。
まだ何とかなるかもしれない、そんな微かな希望を抱きながら。
無情にも機関砲弾は尽きた。残る兵装はGBU-12が2発のみ。
"やってくれ、ロックス。今すぐにだ"
先ほどとは打って変わって、彼の声は震え、途切れ途切れだった。
彼の心中を察する事は、ロックスには出来ない。
"もし俺が君の立場なら、同じようにするさ"
一瞬の逡巡。
その通りだろうと思う。一度でも『逸脱戦』に関わった戦士であれば、それは当然のことだった。不条理に追いつかれた時、抱くのは諦観であるべきではない。生き残るよりも優先すべき破壊目標が唯一存在する、それを末端の兵士が理解しなくてはならない。
この領域を戦場とするというのは、つまりはそういう事なのだ。
私たちは奴らとは違う。逸脱戦に立ち向かう意志と能力がある。
「その通りです、ダイム」
"感謝する。あばよ、クソ野郎アルファ・マイク・フォックストロット"
予想通り、煙草の煙を胸に吸い込む感覚を味わえたのは最初の一口だけだった。
煙草にも血が染みつき、紫煙は風に流される。
スモーク越しに、F-16とは異なる低く静かに唸るようなジェット音と共に反転して機首をこちらに向けるA-10の姿を見る事が出来た。最期に目にする光景がブージャムの姿ではない事を、彼は幸運に思った。
そのウォートホグの渾名の由来となったその姿、或いは『双眼鏡を背負った蜥蜴』とも形容されるシルエットを、彼はその機体に搭乗するようになってから始めて、美しく感じた。
主翼の下から2発の爆弾が切り離され、それが自分のいる場所に向かって落ちてくる様子を、彼は意識が消し飛ばされる瞬間まで見つめていた。
フィルは木っ端みじんになったセラミックと肉と腱の重合体の欠片を手にし、それを証拠として突きつけてやった後に三頭政治の統合執行部に顔を連ねる連中がどんな顔をするのだろうかと想像した。
次いで彼は、砂塵に埋もれた個人携行火器をすぐ近くで見つけた。弾倉は滑らかに抜く事が出来たし、チャージングハンドルを引くと薬室に送り込まれていた弾薬は何の問題も無く排出された。光学照準器の電源は入ったままで、レンズは歪み一つ無いように思われた。
自分たちは逸脱状態への移行を完了した後のIAIに様々な個人携行火器を放ったが、上空援護機に目標を指示するまで対象に何の損傷を齎す事も出来なかった。事を為したのはFast Moverだ。
彼はここに役割を果たした男が居た事を胸に刻む以外に出来る事が無い事を知っている。
「ヴェール越しに幾ら酷い顔の女が見えたとしても、ゲストの大半は気にもかけない。そして世界は常にゲストの意志によって動いている」
"何か言ったか?フィル"
「ネガティヴ、ただの独り言です。ヴァンガード、奴らが何を知っていたのか分かりましたか?」
『レジーナ』ことロザリー・ハイド=ホワイト連邦国防軍少佐は、本件だけは自分の手で決着をつけると心に決めていた。あの憎たらしいチェチェン人共を差し向けた"ドラガン"という男――名前など最早どうでもいい――を捕まえ、生まれてきた事を後悔させてやるつもりだった。
『グラインダー』と違い、今の自分は基底現実に於いて自由に行動できる肉体を残している――尤も、脳をはじめとする神経系の半分近くは人工物に置き換えられ、その代わりに分散型自律DAO量子サーバーによって実現した情報処理と通信、記録を統合化した次世代ネットワーク空間への完全なアクセス機能を獲得した――事で、彼女は自らの意思を現実に相互作用させる能力を有している。『グラインダー』に用いられる予定の技術は更にその先にあり、恐らくはスフィアの演算機能を身体制御に用い、確率論的な未来予測さえ高い精度で行う事が出来るようになるかもしれない。彼女はそんな事を考えながらも、あの憎たらしいチェチェン人共を差し向けた奴を捕まえ、生まれてきた事を後悔させてやることができる自分に感謝した。
ウェポンライトを装着した10mmノーマ・オート仕様のP220は、服の下に秘匿携行するにはギリギリのサイズであったが、これを撃つ機会が訪れた場合、当たりさえすればこれが一番確実であり、装填されている分と予備弾倉4本、計50発で事は済むはずだった。
赤毛のスラブ人共は誰もシリア国境まで辿り着けなかった。ザーホーにいた連中は裏切りが知れ渡るとすぐに連合国側に友好的なペシュメルガ達と、彼らの支援を受けたt分遣隊の別グループによる狩りの標的となった。彼らは幾つかのグループに分かれて国境を目指し、"ドラガン"はそれを無視した。元より彼らの動機であった彼らの家族がどうなったかにも興味は無かった。気に入った若い女だけを自分の、或いは自分の信用する部下に報酬として与え、残りは彼の商売相手の一つである"黒い血"共の変態的儀式の生贄にされるか、変態の情婦として慰み物になるか、或いはその両方か。哀れなチェチェン人達は追い詰められた結果、自分を殺す相手を選ぶ以外の選択肢を失った。そして、自死を選ぶことが出来た者は殊の外少なかった。
彼女はたった一人で哀れな彼らに対する"尋問"を指揮し、ドラガンの情報を得ると直ちにグロズヌイに向かった。どんなパルクールの達人も敵わないであろう、人間の身体動作に於ける物理的限界を大きく拡張された脳の演算領域を用いる事で克服し、郊外の森に囲まれたけばけばしく悪趣味な豪邸を襲撃した彼女の行動は文字通り苛烈なものだった。
ドラガンの4人の妻と12人の子供、その全員の指を切り落とし、命乞いをしながら喉を掻き切られる様子を録画して、そして彼の一番のお気に入りであった残る1人の妻と生まれて間もない娘だけを生かしたまま拉致した。3人の妻の指はドラガンが彼女たちに贈った指輪を嵌めたまま、子供たちのそれと録画データを記録した記憶媒体と共に玄関にばら撒いた。現地での指揮を執っている体裁を整える為にジョージアにいた本人がそれを知ったのはそのすぐ後だった。彼女はドラガンのいるホテルのエントランスで、前日に撮影した光景を今度は連れ去った母を使って再現した。護衛が武器を手に姿を現す度に片手で放たれる10㎜が非人間的な精度でその脳幹を粉砕し、空いた手で淡々と"作業"を進めていく。3分後、身を隠している者とドラガン、そして苦悶と恨みに満ちた表情を残す切り刻まれた若い女だけを残し、ただ一言。
「残りを取り戻したければ、追ってこい」
ホテルに向かう警察の車列を見送りながら、彼女は自分の行為を反芻する。
座席越しに聞こえる幼子の泣き声をBGMにしながら、いつから私は露悪趣味になったのか、と考えた。
フィルに対しては――共に同じ領域で戦い過酷を経験してきた戦士の間に特有の戦友意識ブラザーフッドこそあれ――1人の同僚であり、戦死した彼の部下に対して特別な思いを抱く事も無い。では、この深い憎しみと激しい怒りという相似ではあるが同一ではないこの感情は何に由来するのだろう?
ああ、そうか。
「これは私のものではない」
意図せず口をついたフレーズ。それは彼女がスフィアを媒介として何かに触れ、それでもなお自己同一性を維持しようとする心象作用が言語化されたものに他ならなかった。それでも情報は常に流れ込み続け、同時に流出し続ける。彼女は今の肉体に備わった機能に未だ不慣れである事を悟った。
"グレイヴ2-1、目標まで1分"
仕上げの開始を告げる無線音声が彼女の脳内に響くと同時に、彼女は刹那の思考を並行処理しながら、再び現実と向き合う。
"グレイヴ2-1、こちらシエラ・ゴルフ・チャーリー。ターゲットは黒とシルバーのSUVでこちらを追尾中。路肩に地元住民の車両あり"
"グレイヴ2-1、了解。目標を視認、黒のランドローバー、シルバーのサバーバン"
ブラックホークの右舷銃手は、猛スピードで傍を掠めながら通過したハッチバックと、そのすぐ後を乱暴に追い縋る2台のSUV、そして自分達の乗るヘリの爆音と姿という立て続けの情報に狼狽えながらも上を見上げる哀れな農夫と目が合ったせいで、少しばかり罪悪感と気まずさを感じた。
「皆、仕事を終わらせるぞ!」
チーム内無線に彼は接続していないが、それでも機内の爆音に負けないよう大声でメンバーに呼びかけるチームリーダーの事は良く知っている。先日の作戦で部下を亡くした事も、他の仲間から聞いていた。ブリーフィングでは、『ドラガン』は殺すなと厳命されており、故に自分の操作するミニガンをあのSUVに放つ事は無いだろうと思っていたが、当事者も同然のチームリーダーが標的を殺してしまうのではないかという考えが頭を過らないではなかった。
その男、フィリップ・ガイスト大尉は小銃のチャージングハンドルを僅かに引き、薬室を覗き込む。仕上げにフォワードアシストノブを掌底で勢い良く叩くと、先ほどよりやや落ち着いたトーンで続けた。
「いいか、標的は殺すな。だがそれ以外は何をしても構わない」
機内のメンバーが親指を上げ、ほぼ同時に"了解"と告げる。
「ソードフィッシュ6、聞こえたか?」
ブラックホークのやや後方、右舷を飛ぶリトルバードの側面ベンチに座る、彼らとは異なるマルチカム・ブラックの迷彩服――それはSEAL19が逸脱戦任務に従事する時特有のパターン――を身に包んだ部隊の隊員に告げる。
"ソードフィッシュ6、了解!"
存在しない"19"のナンバーを割り当てられたSEALチームの隊長が、フィルに見えるよう大げさに手を振りかぶってから親指を立てた。
「敵はビビってるが、それと同じくらい怒り狂ってるはずだ。各員、構えておけよ」
更に後方にもう1機のブラックホーク、ミニガンと70㎜ロケット弾で武装したキラーエッグが続く。
「30秒!」
"リコの為に!"
チームメンバーが返事代わりにそう告げる。
"グレイヴ2-1、攻撃開始"
他の3機が左に旋回し、フィル達の乗るブラックホークがハッチバックと車列の間に入り込んだ。
"右舷だ、警告射撃開始"
ミニガンが唸り、銃口からは途切れる事の無いマズルフラッシュ。毎秒50発の7.62㎜NATO弾は舗装路面を砕きながら地面を掘り返し、破片と土塊が先頭車両のフロントガラスに降り注いだ。
"シエラ・ゴルフ・チャーリーは停止。車内で待機"
"了解、離れてろ"
"2-1、ターゲットは回避した"
"2-2、了解。左から回り込む"
"ソードフィッシュ6、エンジンブロックを撃ちます"
DEカラーに塗装された308口径の小銃を構えながらSEALSのチームリーダーが告げる。
「了解、やれ」
"シエラ・ゴルフ・チャーリー、危険は冒せない!手綱を握っておけ!
「各自、無線は切れ」
"了解"
急ハンドルを切った先導役を務めるSUVのフロントガラスがオイル塗れになりながらスリップして停車、続くランドローバーの運転手は一瞬戸惑ったに違いない。同時にもう一機のブラックホークとキラーエッグが挟み込む。
「2-1、俺達を降ろしてくれ」
"2-1、了解。アレグロ4-1は援護してくれ"
"1-4、了解。移動する"
"2-1はファイナル"
ドラガンに忠誠を誓った命知らずが助手席から身を乗り出して、軽機関銃の銃身を突き出していた。
"2-1、後席に銃火器を視認、掃射する"
"了解"
"アレグロ1-4、Going Hot、GUNs!"
キラーエッグに搭載されたM134Dが、先ほどグレイヴ2-1の銃手が行ったことを、今度は正面に向けて行う。目的はドライバーと、願わくは他の同乗者たちを慌てさせ、次の行動への決心を遅らせる事だ。
ほぼ一直線のそれは、軽機関銃とそれを握る腕の双方を粉砕し、彼らは『慌てる』という次元を超えて混乱したようだが、それでも敵意を収める事は無かった。
"チーム、右斜線陣エシュロンで主目標デルタへアプローチ"
その間にブラックホークから降り立ったフィル率いる計8名のチームが陣形を形成し、停止した車列に向かう。
"ソードフィッシュ6よりエコー6、車両から武装した人員が出てきた。計3名"
「了解、ソードフィッシュ6は援護を継続、怪しい動きが見えたら教えてくれ」
先ほど片腕の大半を失った男がこちら側のドアを開き、既にそれを撃つ手段を失った事を理解していないかのように破孔だらけの機関銃に腕の残った部分を伸ばそうと、そして漸く辺りに散らばった自身の一部を目にしてそれが叶わない事を把握すると、腰の拳銃に手を伸ばそうとした。
脅威ではないが、邪魔だ。
サプレッサーを取り付けた状態でも、彼らが今使用しているM4A1小銃の派生型は、300BLK口径のそれに比べれば圧倒的に喧しく、その代わり不規則に動く100m先のバイタルエリアを撃つのに十分以上の精度を――いつも通り――実証して見せた。
万能に思える300BLKも、弾道低伸性という精密射に要求される性能に於いては、未だに556の方に分があるケースもある。今回の場合はそれが適合する数少ない状況の一つであった。
一方、車両の反対側に居る連中は、上空から監視されているという事がどういう事かを理解しつつ、それ故に行動を起こす事が出来ずにいた。恐らくアメリカ人たちであろう自分たちを襲撃してきた奴らは、ヘリだけでなくあの忌々しい無人偵察機で姿も見えない程遠くからこちらの動きを追っている筈だった。つまり、どうやってもこの場を脱する事は出来ないだろう。
彼らの忠誠心は――それが歪なものあったとしても――本物だった。しかし、それだけではどうにもならない事がある。
「チーム各員、車外の敵は全員殺害して良し」
フィルが部下たちに念を押す。こちらはこちらで制約付きだ。
"エコー6、後方の車両にいる奴らにターゲットは含まれていない。交戦して良し"
「了解、スケアクロウ、カブキ、左から回り込め。他は俺に続け」
タイヤの間から何かの影が動いたように見え、彼はすぐに伏射の姿勢を取る。他の隊員がすぐ後ろで停止。光学照準器越しにその陰の正体であったブーツの踵に狙いを定め、撃つ。
短い悲鳴が聞こえ、向こう側に倒れ込むのとほぼ同時に他の隊員が制圧射を行いつつ順次前進を開始。但し車内にターゲットが居る可能性を考慮して、慎重に撃つべき箇所を選択する。
飽くまでこの射撃は車の反対側や、車内で反撃の機会を伺う奴らをビビらせておくためのものだ。前席に別の動きがあり、側面から回り込んだ2名の隊員はまずフロントガラス越しに銃を構えようと試みる間抜け達に556を見舞った後、エンジンブロックを盾に、上体のみを覗かせてダブルガンでの急射。
"スケアクロウ、4名排除。フィル、こいつらはターゲットではありません"
「了解、合流しろ。エコー6より全コールサイン、こちらは2台目に向かう。2-1は引き続き上空監視、2-2はチームを降ろして包囲線を形成、アレグロ4-2はサバーバンを牽制しろ。4-1は旋回して待機。チームは横隊で前進」
"4-2、了解。移動する"
"2-2、ファイナルまで30秒"
着陸と同時にブラックホークから飛び出したSEALS隊員が横隊で近づき、前の車両のすぐ目の前でリトルバードがホバリングした事で巻き上げられた砂塵が目晦ましとなった。
"後席に動き有り"
SEAL隊員からの警告とほぼ同時にリアガラスが剥き出しの銃声と共に破られる。敵はまだそちらに気付いていないようだが、代わりに車内からこちらが頭を上げられないよう――或いは単に興奮しているだけか――自分たちの視界いっぱいに小火器の射撃を絶え間なく続けている。
"後席に小銃手2名、間に非武装に見える人員1名を確認、主目標の可能性あり"
「射手だけを排除できるか?」
"肯定アファーマティヴ、数秒ください"
数発の押し殺された308が後席のドアと、窓のあった空間を突き抜け、それきり銃撃は止んだ。そこからさらに数秒を置いて飛び出してきた男は、誰に命じられるわけでもなく勝手に地面に伏せ、両手を手の後ろで組んだ。SEAL隊員が前席で血まみれになりながらも拳銃を構えようとした男を射殺、唐突に戦闘は終わった。
フィルは英語で助けてくれとしか口にしない哀れな男を引き摺り、荒々しく横腹を蹴り飛ばし、覗いた顔がドラガンである事を把握した。
"シエラ・ゴルフ・チャーリー及び全コールサイン、作戦完了だ。荷物を運び出すぞ"
"エコー6、その必要はない。一歩下がれ"
目の前で喚いていた男の顔面が弾け飛び、恐らく銃声はその破裂音に掻き消された。それでもそのセクターを監視する全員が訓練通り反射的に銃弾が飛来した方向へ銃口を指向し、それはフィルが制止するまで続いた。いつの間に近づいたのやら、ローザが片手で拳銃を構えている姿が見えたからだった。
その距離は100ヤード――光学照準器の助け無しに、片手かつ立射で、1発必中を狙える距離ではない――を超えている。
フィル自身は部下に命じたのとは裏腹に、僅かでも銃口を上げれば彼女を狙える状態を崩さない。それが新たな『逸脱性脅威』の出来ではないと確信が得られるまで、少なくともそれを維持するつもりだった。照準器のクロスヘアが、何気ない足取りで近づく彼女の頭部を追随して左右する。心臓の鼓動と呼吸がその動作に影響を与えている兆しが無いことを、レクティルの動きから読み取った。自分はまだ冷静でいられる証拠とみるべきだろう。そうでなくては困る。
「ブルー、ブルー。私の顔を忘れたのか?フィル」
「顔が変わらない奴なんて幾らでもいる」
フィルは銃口を向け、引き金に指を掛けた状態のまま問う。レクティルは彼女の脳幹を指し続けており、それは本能射撃で為されるバイタルエリアへの射撃では『対象』を無力化できない可能性をフィルが感じている事を暗に示している。
電子的な青い眼の女が返答する。
「良い答えだと思うよ。だが、あいにく臨界不可知型術式に身を預ける趣味は無い。変態共と一緒にしないでくれ」
「では、こいつを殺した理由を言え」
自分の声が震えていないか気遣う余裕もない。今の彼女は、自分の知る彼女ではない事だけは理解しつつ、同じ顔立ちを張り付けている事に脳が追いつかない。
「目的は全て果たされたからだ」
「どうやって?」
「これはクリアランスの問題じゃない。メアリーに空の青さをどうやったら説明できるか、そういう話だ。すまない」
彼女の声色とテンポに、機械的ながら確かな表情が混じる。
その回答は彼の動揺に対する回答であり、今の彼女は、彼には見えない物を見ているのだ、と暗に告げている。
「では質問を変えるぞ。この作戦を立案したのはあんただ。これは復讐か?」
「否定ネガティブ。脅威は実力を以て排除する、それだけだ。ただ、私は君と同じように、ザック、ノアを、ダイムやリコ、そしてジョーと同じく忘れる事は無いだろう」
その名前たちを聞いて、彼は漸く銃口を下ろす気になった。
「2-1、2-2、作戦終了だ。チーム、撤収するぞ」
彼は部下たちに指示を出すと、再度彼女の方を向いて、最後の質問を投げかけた。
「これで終わりか?」
「いや、始まりだ。『神格化』を目指す奴は、その手段が何であれ阻止されなくてはならない」
リーパーの搭載する電子光学センサーを『レジーナ』から指示された座標に移したオペレーターは、続く指示通りにその車両――つい先ほどまで『レジーナ』が搭乗していたフォード・フォーカス――に目標指示用レーザーを照射した。通達されたゲームプラン45は"AGM-114を2発、最小間隔"。
隣のデスクに座る上官がその指示に相違がない事を確認し、彼女は『ライフル』の符号を口にすると共に、スティックコントローラーの兵装発射トリガーを引く。9㎏のサーモバリック弾頭が文字通りに粉々に目標を吹き飛ばす様を画面越しに確認し、『レジーナ』にそれを告げる。
その車内に何が乗っていたのかを彼女が知る必要は無かったが、いずれにせよその体重とほぼ同重量の弾頭が至近で炸裂した事で、彼女だけではなく、ただ一人を除いて他の誰もフォーカスと共に何が破壊されたのかを知る機会は永遠に失われた。
彼女の興味を惹いたのは、寧ろその後に告げられた別の座標だった。複数の人影が確かにその場所にはあった。ドラガンの手下にしては良い装備を持っているように見えるが、復唱した座標に相違はない。『レジーナ』からは、ヘルファイアよりも小型の弾頭を備え、故に殺傷範囲の小さいAPKWSでの攻撃を指示されたという点に疑問はあったが、いずれにせよ排除されなくてはならないターゲットである事に違いは無かった。再度の『ライフル』コールから数秒後、それらがまとめて吹き飛ばされる見慣れた光景の後、彼女はまだ数名が動いている事を報告したが、『レジーナ』から機械的なアクセントの響きで告げられた指示は、”そのままにしておけ"だった。
かつて自ら――或いは他者の肉体を工芸品として加工し得る術を学び、後に虜囚として敵側の術式を施されるという辱めを受けてなお、それによって生きながら得た者――の粗悪なコピーであるそれらは、いずれ貴重な物証として確保される。
それこそが本当の戦いの開始点となる筈であった。