ん、どした?12番の実験室?ここであってるけど…君は?ああ、研修中の新人さんか。今日は記憶処理の実践研修をするから、ここへ来るように言われた?そうか、ずいぶん早く来たな。まだ開始には30分も…まあいいか。そこへ座ってなよ。俺、研究員の██。よろしく。え?いや、指導員じゃないよ。俺、実験台。君らは今日、俺に記憶処理をするんだよ。
大丈夫、大丈夫。俺、記憶処理はする方もされる方も慣れてるから。なんかあったら教えてあげるよ。え?いや本当だって。俺は実験台。今日で財団、辞めるんだよ。だから記憶処理がいるの。ほら、いきなり一般人を使う訳にもいかないからさ。記憶処理の研修では、だいたい退職希望者を使うんだ。知ってる?財団を途中で辞めるやつはみんな記憶処理を受けて、財団の事全部忘れんの。だから、そんなにかしこまらなくて良いよ。どうせ君の事もすぐ忘れちゃうからね。ハハハ。
俺が何年目かって?15年目だよ。今年で40。だから、15年分の記憶が無くなる事になるな。いや、ただ無くなる訳じゃないんだ。ちゃんとカバーストーリーってのがあって、偽物の記憶が…そのぐらい知ってるか。これから記憶処理の実践やるんだもんな。俺のカバーストーリー、君が考えたの?ちゃんといい話考えてくれた?楽しみにしとくよ。
そんな哀れむような顔すんなよ。まあ俺だって、15年分の記憶が偽物になるのは嫌だけどさ。いろんな事があったし、消したくない思い出もたくさんあるよ。でも、自分で決めた事だから。それに俺には、文句を言う資格なんか無いんだ。ちょっと聞いてくれないかな。今日で全部忘れちまうんだし、誰かに話しておきたいんだ。俺の財団での思い出をさ。
今から、5年くらい前の事なんだけど。ある人型オブジェクトの確保作戦に参加したんだよ。敵対的でも無いし、そんな厄介なやつじゃ無かったんだけど…まずい事に、一般人と一緒に暮らしてたんだな。しかも、夫婦としてだ。一般人の男と結婚して、50年以上一緒に暮らしてたらしい。相手はもう80歳くらいで、立派な爺さんだよ。爺さんは、そいつが普通の人間じゃない事は知ってた。知ってて結婚したんだ。それで俺は、その人型オブジェクトを確保して…爺さんの方は、記憶処理した。20歳で知り合ったと言ってたから、60年分だな。その爺さんは、60年分の結婚生活を全部忘れちまったんだ。爺さんはなんにも悪い事なんかしちゃいないのに、愛する奥さんの事を全部忘れさせられて、俺が作った架空の女の記憶を埋め込まれたんだ。ひでえ話だろ。だから、たかだか15年分の記憶が無くなる程度で文句を言う資格なんか俺には無いんだよ。
…すまんな。湿っぽい話して。え?いや、違うよ。財団を辞めたくなったのは、それが原因てわけじゃない。まあ理由の1つではあるかも知れないけどな。じゃ、話そうか?辞める理由の方も。聞きたい?そうか。じゃあ聞いてくれ。俺、今日はなんでも話すからさ。
さて、どっから話すかな。あ、そうだ。さっきの、人型オブジェクトを確保した話なんだけど。あれ、俺としてはいい思い出じゃ無かったんだけど、財団的には結構でかい手柄だったんだよ。それで俺、配属替えになったんだ。栄転ってやつかな。それまでは下っ端だったんだけど、研究員になった。オブジェクトの実験計画とか、自分で作れるようになったんだな。
で、担当してたオブジェクトの実験計画を作って、いざその日が来たんだけど。ちょっとトラブルがあって、Dクラス職員が1人死んだんだな。まあ、この財団じゃよくある事だよ。実験計画に問題は無かったし、わざわざ気にするような話じゃない。でも、俺にとっては違った。だって、人が1人死んだんだぜ。俺のせいで、俺の目の前で、俺の目を見ながら、助けてくれーって叫んで、人が死んだんだよ。相手が犯罪者だとか、そういうのは問題じゃない。理屈じゃないんだよ。俺の目の前で、俺に助けを求めながら人が死んだってだけで、俺の心は十分参っちまった。もう二度と実験なんかしたくないって、そう思ったんだ。
記憶処理も受けたよ。知ってるか?職員でも記憶処理が受けられるんだ。診断書を貰って、任務中に得たこの記憶のせいで私は心的外傷を受けていますって申請したら、記憶処理が受けられる。でも、だめだった。自分で気付いちまうんだ。この財団で何年も研究員をやっていて、1人もDクラスを殺してないなんて事はありえないんだよ。記憶ではそうなってても、なんかおかしいって思うんだ。疑心暗鬼になって、同僚や上司を問い詰めたりして…結局真実に辿り着いちまうんだ。何回かそういう事があって、もう記憶処理はするなって上司に言われた。記憶処理は、Dクラス1人殺したくらいで受けるもんじゃないってさ。
そんなことがあってさ、ここ5年ぐらい、ずっと悩んでたんだ。おかげで酒の量は増える一方だったし、イラついて家族に当たったりして…女房にも逃げられたよ。でも辞める決心は中々つかなかった。理由はやっぱり記憶処理だな。財団で仲良くなった同僚も、世話になった上司もいるし、全部忘れちまうってのはな。それに、俺が思い出を奪った爺さんや死なせたDクラスの事も、忘れたくなかった。他人の人生を奪っておいて、自分は罪悪感から逃れようなんて、卑怯だろ。
でも、もういいんだ。俺はもう十分に苦しんだと思う事にしたんだ。卑怯だっていい。全部忘れて、穏やかだった元の暮らしに戻りたいんだよ。元々、向いてなかったんだろうな。財団てのはさ、人類のためならDクラスごとき何人犠牲にしたっていいって、そう割り切れるようなやつじゃないとやっていけないんだよ。俺には無理だ。今はもう、早く全部忘れたくて仕方ないよ。
悪かったな、新人さん。こんな暗い話に付き合わせちまって。最後に色々話せてスッキリしたよ。これから記憶処理を受けるのも、全然…どうした?なんか表情が暗いな。え?自分も同じようになるかも?財団でやってく自信が無くなった?そうか。長く勤めてから辞めるほど忘れる事も増えるから、辞めるなら早い方がいいぞ。…いや冗談冗談。そんな怒るなよ。今の話、聞かない方が良かったかもな。君も記憶処理、受けとくか?