UVしました。一つ気になったのですが、SCP-476-JP-1の説明部分の
紀元前███年前
これは"紀元前"と末尾の"前"が重複してしまっています。
UVしました。一つ気になったのですが、SCP-476-JP-1の説明部分の
紀元前███年前
これは"紀元前"と末尾の"前"が重複してしまっています。
一つ疑問なんですが、このオブジェクトによる確率改変は
「予定されている相手がオブジェクト担当の財団職員として雇用される」という結果を招いたりはしないのでしょうか?
初期にあった中規模の収容違反にそれも含まれていたのでしょうか?もしそうでしたら早とちりして申し訳ありません。
御質問を頂きまして誠にありがとうございます。
SCP-476-JP-2Rが財団職員として雇用されSCP-476-JP-2と対面する、という方向に確率改変が行われる可能性は確かにありますし、実際そのような事が起きたかもしれません。
しかし同様に、他の経過を辿っての対面、という方向に確率改変が行われることも考えられます。
その選択肢は恐らく無限大であり、その無限大の中に、「予定されている相手がオブジェクト担当の財団職員として雇用される」という選択もあるでしょう。
そして本記事では、具体的な事象の内容にはあえて触れていません。
二人の対面が実現するために一体何が起こったのか。それについてより多くの可能性が残っていた方が良い、と私が考えたからです。
なので、miaiさんが思い描いたその展開は、この記事に於ける「設定」というよりも「物語」に近いでしょう。
それについて私が明確に何らかの答えを提示することは、恐らく出来ないはずです。
強いて言うとすれば「それも正しい」というぐらいでしょうか。
ご返信ありがとうございます。
「そういうことが起こりうる」なら、収容プロトコルにはそれへの対策の明記が必要なのでは、と感じます。(異性かつ同年代の職員を担当に回しちゃダメです、とか)
またそれが完全な対面の阻止に当たり、故にそのあたりに制限は設けられない、として……
出生時から確率変動をかけ続け、時には対面のためだけに歴史的イベントを起こすオブジェクトに対して
「『運よく』収容している80年の間にそんな物語は起こらなかった」という風になるのだろうか?むしろその確率は相当低いのでは?という疑問があります。
(当たらないなら、やはり対策の明記は必要だと感じます。)
上記の疑問に至ったきっかけとしてそもそも、博士が「80年後に解放することを誓う」ということですが「誓ったけど偶発的な事故で死んじゃったよごめん」という事態も有りうるのに
わざわざそんなものをこのオブジェクトが看過するのだろうか?という疑問があります。仮に80年後に解放されるのが事実だとこのオブジェクトが未来予知的に認識していたとしても
それはそれとして確率変動はかけ続け、80年もあればその間に実を結ばせようとするのではないか?と。
財団職員は基本的に全員が心理的なカウンセリングもしくは精神鑑定を受けるだろうと私は考えていますので、その段階で何らかのSCPオブジェクト(SCP-476-JPに限らず)との関連性が発見されれば、然るべき対処がされるでしょう。
それは「SCP-476-JPの特別収容プロトコル」というよりも、財団の全体的な人事の問題なのでは、と感じたので特別収容プロトコルへの記述は避けました。
はっきり言ってしまいますと、通常は異性かつ同年代の職員が担当に回る前に、その人物はフィルターにかけられているわけです。
それと、言外の意味合いながら、この記事全体が匂わせている財団の方針として「出会わせないようにするのが最善だが、完全阻止による大事故が起きるぐらいなら出会わせてしまった方がマシ」というものがあります。
もちろんそのような方針は明記されていませんが、端々の表現にはその方針への支持が見てとれます。そもそもプラン:リサイズ自体が、裏を返せば、財団によって両者をわざわざ引き合わせているようなものです。
記事中には
最終的には両者がその人生に於いて必ず対面するよう確率の改変が発生します。
と書かれています。
つまり「将来いつか必ず出会う」という状態が常時維持されていれば、大規模な確率改変は起こらないという研究結果が出ているということです。
両者の繋がりを維持するための小規模な確率改変自体は、常時起き続けているでしょう。しかし両者の繋がりを完全に絶ってしまう状況が発生した場合には、その状況を覆す何かが起こります。逆に言えば、そういった状況が起こらない限りは、確率改変は連続した小規模の、ごく影響の少ないものに留まるという事です。
確率改変は、あくまで両者の運命的な繋がりを維持するだけで、積極的かつ強制的な出会いを実行するものではありません。
プラン:リサイズについても、完璧であるかどうかは分かりません。
これまでの傾向と観察と記録の解析から、この方法が最も影響を抑えられるのだと結論づけられているに過ぎません。80年もあればその間に実を結ばせようとするのではないか? という問いに対しては「これまでそういう事態は起こっていない」という回答しか、財団は返せないでしょう。
しかし少なくとも80年後の解放は、自動化された機械がプログラムに従うことで確実に実行されると思われます。それまでの間に偶然死んでしまったのなら、それはそれで良し、でしょう。調査は要するでしょうが、最も影響が少ない形で事態が収束したのですから。
尤も、対面の前に偶然死ぬということはあり得ないとは思いますが・・・
ご返信ありがとうございます。
「普通はそういうことをしている/していないはずだから、それらのことを収容プロトコルに書く必要はない」というのは違うと思います。 いえそれが公式的に定められているなら別ですが、「財団は全職員に雇用前あるいは定期的カウンセリングを行っており、あるオブジェクトに対する振り分けもこの段階でフィルタされて決まっている」というのは「やっているだろう」という段階ではあっても、「やっている」という共有される事実認識に届くものではないと考えます。やっているならやっていることを示す単語なり文章が欲しいです、いきなり具体的に何をやってるのかの説明なく「財団の雇用前カウンセリングに引っかかった人間は~」という形でもいいので。
そしてフィルターがどのようなものかを決めているのがこのオブジェクトである以上、そのフィルターの方向性はやはり収容プロトコルに記載されるべきだと考えます。また精神鑑定においてJP-2らしき特徴に好意を感じると判明した人間=新たなSCPオブジェクトの可能性があるという以上、その人間が発見された場合における対処法も関連するこのオブジェクトの報告書に記載されるべきだと考えます。然るべき対処法というのは、関連するオブジェクトごとによって違うものだろうと思うので。
将来必ず出会う状態を維持されていれば確率改変の程度は小さく収まるということですが、そもそもとして必ず出会うように誘導するオブジェクトなんですよね?これ。
例えば(初期プロトコルを勝手にイメージするとして)冷凍カプセルにでも突っ込んでかつ密閉状態に置くのと、遠く離れたところに隔離して育て一定期間経ったら解放するのとでは、確かに一見すれば確率が違うように見えますが
結局のところ、オブジェクトが勝手に確率操作して「必ず出会うようにする」以上、オブジェクトが存在する限り「どんな収容プロトコルだろうと関係なく、必ず出会う状態は維持されている」ように思えます。
(また現収容プロトコルが「必ず出会わせることを確約できている」ということですが、どうやら博士の記述から察するに、JP-2Rの確保は出来ていないようです。見つけてないのに必ず出会わせられるというのも個人的には財団として楽観論に過ぎると思います。居所を調査していて確率を高めているなら収容プロトコルにその旨を書くべきだと思います。)
また両者の繋がりを維持したのが現収容プロトコル、断ったのが先ほど自分が書いたような旧プロトコルだと思うのですが、結局収容している最中には特定条件の職員や人物がフィルタされるのは同じであるなら、特定人物同士の繋がりの断ち具合は同じだと思うのですが、それ以上の何でもって「現プロトコルはJP-2と2R同士の繋がりを維持できているが、旧プロトコルは維持できていない」と判断されているのか不明です。後者に比べ、前者は世話になったDクラス職員や担当職員の親戚や、彼らが住んでいた場所にJP-2Rがいたりするということでしょうか?それだとJP-2Rの居場所の特定は比較的容易になりそうですが……。
確率改変は、あくまで両者の運命的な繋がりを維持するだけで、積極的かつ強制的な出会いを実行するものではありません。
いや、そこに至るまでのイベントの程度が状況によって違うというだけで「必ず対面させる」という性質である以上、オブジェクトにとっては積極的かつ強制的な出会いの実行ではないでしょうか……
運命的な繋がりを維持するというのは、例えばJP-2および2Rが収容されていないと仮定した時、同じ会社の同じ部署に配属されるくらいのものなんでしょうが、そこで出会うための確率改変が終わるわけではないんですよね?
尤も、対面の前に偶然死ぬということはあり得ないとは思いますが・・・
何故そう判断できるのか疑問に思います。報告書にも「JP-2か2Rが偶然死んだ場合、確率改変現象は沈静化する」と書かれているようなのですが。書かれているということは、そういう事例が確認されているということですよね?それともこのケースは「二人が結ばれた後」ということでしょうか?でしたらそのあたりについても報告書に詳細が欲しいです。
また対面の前に偶然死ぬことはないのであるなら、蒐集院の資料にあるという異常な長命の事例と合わせ、どのような収容プロトコルであっても結局はオブジェクトが必ず出会わせるのは変わらない=状態が維持されているのは変わらないのではないか?という疑問が更に補強されるように感じます。
見当はずれな指摘であったり、失礼な表現がありましたらごめんなさい。
不躾ながら、ほんの少しでも文章を短くするために挨拶は省略させていただきます。ご了承下さい。
これが言葉として、単なる"収容プロトコル"であるならばその辺りを更に細かく注記しなくてはならないのですが、"特別収容プロトコル"とは、そのオブジェクトに対してのみ課せられる特別な手順でなくてはなりません。
であるならば「他のオブジェクトにも当然あてはまる手順は省略可能」ということでもあります。2RがSCP-476-JPの担当職員に割り当てられないようにする、というのは「囚人Aの家族を、囚人A担当の看守にしてはいけない」というようなもので、それは「囚人Aが特別だから」ではなくて「そこが刑務所であるから」です。
同様に、何らかのSCPオブジェクトと関連している職員が、そのSCPオブジェクトと再接触しないようにする(あるいは非常に慎重になる)のは財団全体の運営方針であり、SCP-476-JPに於いて特別的に行われている措置ではない、と考えています。
とはいえ、SCP-476-JP-2Rの特定に成功した場合の特別収容プロトコルについては、確かに何がしかのものを考えておく必要があるでしょう。今回の設定では2Rの特定については財団はほぼ諦めている、というものでしたが、偶然特定出来てしまった場合については手段があって然るべきですね。
完全なネタバレになってしまいますが、その「80年後に必ず解放するように収容プロトコルが制定される」ことも確率改変によるものであるというのを、私は想定しています。
積極的かつ強制的な出会いを実行しない、という点については「両者が産まれた瞬間に局地的な二つのハリケーンが突如発生して両者を吹き飛ばし、どこかの一地点に着地させる」というような事は無い、という意味です。
つまり両者が「ごく自然に」「運命的に」出会ったかのように「演出」するのがこのSCPオブジェクトの肝だと言えます。つまり「財団に収容されている状況」から「ごく自然に」両者が出会う手段が、プラン:リサイズなのです。
「JP-2と2Rは必ず対面する」「どちらか片方もしくは両方が偶然死亡するまで(少なくとも子の二個体に関わる)確率改変は続く」。この両方を満たして確率改変が終了する状況は「対面後」しか考えられません。この「偶然死亡」については、財団内部でも確率改変によるものなのか、確率改変の終了によって「普通に死ねるようになった」のか意見が割れている所でしょう。しかし少なくとも、対面後であることは今の記事からでも伝わると思っています。
また「長命」は「不死」ではありません。SCP-476-JPは本来両者の出会わせ方が一定ではありません。「財団による収容」という状況が加わることで今は一定(であるように感じられている)ですが、長命も歴史的イベントも、単なるSCP-476-JPの"気まぐれ"としか思えない選択です。
目的地に着くのに、自転車も電車も飛行機も車も何を使ってもいいが、どれか一つを選ばなければならない。その選択の理由が不鮮明。何故車を選んだのか? 何故電車を選んだのか? どこにその選択の意思が存在するのか? 誰も分からない。それがSCP-476-JPです。
そう、SCP-476-JPは「収容できていません」
明らかに何れかの人種
”何らか”ですかね。恐らく、誤字かと思われます。
(解釈が間違っていなければ、)2人とも本来の運命の相手(-1,-2)とは出会えず、それぞれがほどほどの生涯を送ったのち、人生最後のしばらくとなってやっと二人は出会い、そのわずかな時間を一緒に過ごす といったプロトコルの流れなのでしょうか?
二人にとって幸せ…な事なのかもしれませんが、なんとも言えません。
記事自体、なんとも言えぬロッカーさん的不条理な空気があって好きですし、上記のような背景の人間感情の流れも感じられ僕個人は好きだと思いました。
>映像による監視は24時間体制で行い続けてください。
少し文章がおかしいかもしれません
>一日に最大6時間の教化訓練
漢数字ではなく半角数字のほうがいいかもしれません
>一日に最大6時間の教化訓練、保育士による情操カリキュラム、精神科医による無制限のメンタルケア、記憶区画の再調整、模範的態度のDクラス職員複数名を用いた社会生活訓練、コミュニケーション訓練、専属護衛要員
「、」ではなく「・」のほうがいいかもしれません
>ブナの木です。
学名の記載がないようです
>異常存在ですが、
オブジェクトのほうがいいかもしれません
>子供を持つという欲求も一切見られなくなります
もつではなくほかの表現のほうがいいかもしれません