UVしましたが、個人的に気になった点があるので指摘させていただきます。
檀家
記事内で繰り返しこの表現で呼ばれていますが、浄土真宗では基本的に「檀家」という表現は用いず、この宗門に属する人は「門徒」という言葉で呼ばれます。
これは浄土真宗の教義上、阿弥陀如来の前においては一切衆生が等しく同じ立場(一切皆苦)にあることを意味しており、浄土真宗の寺院は「(立場上は)阿弥陀如来の救いの教えを聞きたい人達(門徒)が共に聞き合う場である」ことに由来しています。
とはいえ、宗教に対する一般認識の形で財団が見て記述しているとするなら「檀家」も「門徒」も特に気にしていないのかもしれないので、そこまでこだわる必要があるかは分かりませんが、一応気になったので指摘いたしました。
またもう一つ。
大曽根氏: 我々とは、「浄土真宗本願誇負派」の信者や教祖たちのことです。
インタビュー内で大曽根氏が自身や浄土真宗の宗祖のことを「信者」「教祖」と称していますが、先の指摘の通り、宗門者は「門徒」、真宗を開祖した親鸞聖人は「宗祖」と呼ばれます(親鸞聖人は開祖こそしましたが教祖の立場を取ろうとは生涯しなかった)。
(本願誇負派の教義のズレなどがあることを考慮したとしても)浄土真宗について深く考える人間がこれらの語を用いないのは些か不自然かなと思いました。