詩歌の内容と筆談でのインタビューの結果により、SCP-2000-JP-Aは"山上憶良"として知られる人物の右腕であると判明しています。
「知性は存在するが不可視かつ接触不可能であり、現実への作用力を持たない霊的実体」である謎の右腕を「山上憶良」だと断定するには、書いた内容やインタビューの結果のみでは難しいように思います。「山上憶良を自称し、詩風をも完璧に模倣する何らかの霊的実体」、あるいは「山上憶良と全く同じ特徴である何らかの実体」とまでしか書けないのでは。
他に使えそうなのは筆跡、あとは特殊な機材で視認して得られた情報くらいですが、同じです。なにか決定的な根拠がない限り、「山上憶良そのもの(が霊的なものに変化した実体)」であるか、「山上憶良を完璧に模倣する何らかの実体」であるか、この識別、ましてや断定は難しいように感じます。「作用力が希薄である」、また一度はAnomolousアイテムに登録されていたとの記述を信じるならば、たとえば財団への破壊的行動を企図するニセモノを山上憶良として迎え入れてしまった可能性があるなどとは考えにくいですが、ともあれ私にはこの断定は不自然に見えます。
霊的実体に関するオブジェクトとして私にパッと浮かぶのは、たとえばSCP-2996などですが、この記事でも、
SCP-2996は自身を1929年、インディアナ州ナッシュビルで殺害された8歳の少女Emily Nashであると主張しています。
このように、断定を避ける表現になっています。霊的実体の正体を断定するのは、やはり困難があるのではないでしょうか。(引用中の下線は引用者による。)
表中に示される「筆記用具」「紙」「文机」も同様です。「天平年間に使用されていた」とする根拠が分かりません。もちろん記述の外に想像される様々な鑑定の結果が「天平年間に使用されていたような筆記用具・紙・文机に類似した実体である」ということは示してはいるのでしょうが、この記事に書かれているかぎりの根拠を使うのであれば、それまでです。
たとえば霊的実体の年代測定や正体の特定を可能にするような技術があって(状況証拠に頼るではなく)、「偽物ではなく、紛うことなく当時の山上憶良と同一である」とか、「文机に無限に生成される紙は、天平年間に製造されていた紙と同等のものであるが、何らかの理由で霊的実体化した。なおかつこの結果は、実体の特性に欺かれたものではない」などの結果を示しているのであれば、私はようやく納得ができます。
私はSCP-2000-JP-Aが「自身が山上憶良であると主張する実体」でもよい、この記事の価値は失われないと思いますが、山上憶良そのものであることに意味があるとする読者も少なくないと思います。また、「史学的見地をもとに研究の継続が提言され、改めてSCP-2000-JPに指定されました。」という文言は明らかにSCP-2000-JP-Aが "本物" であることを前提としている記述です(「自称」の道を選択する場合、本物かわからないものに史学的な価値を見出しちゃうのはどうなの、ということになりそうです)。それでもやはり、「本物である」ということを示そうと思うのであれば、一工夫が要ると思います。
ともあれ、こんなことに記述を割くのもなぁというのは、自ら指摘したことではありますが思います。適度にぼやかすとかがいいんですかね。ちゃんと鑑定できてます、詳細な鑑定結果は別紙、みたいな。