元記事: scp-cn-426:坠入
著 者: Freedom Koo
翻 訳: fish_paste_slice
査 読: snoj
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作成者: pmvchamara
公開日: 2015/4/8
ライセンス: CC0 Public Domain (注記を参照)
補足: 上記画像を編集して掲載しています。
注記: Pixabayは2019年1月より独自のPixabay Licenseに移行しましたが、2019年1月以前にアップロードされていた画像には引き続きCC0が適用されています。詳しくはこちらを参照。
黒字:原文
赤字:書き下し分
青字:現代語訳
昔在封帝,八荒为臣,中山之东,壤陵越而连五岭;百川齐汇,多崎崖而绕巉岩,是为诸海。大海之水,朝生为潮,夕生为汐,其水苦咸,风波俱兴,故非通天之力不可渡,为往九虚之阻。亦有外族世代不绝,其民白肤披发,涵泳无碍。东海内有神兽,名曰甾峳,状如鲛鲨,无眼目,终年梦寐,凡动皆因其息而起,无一物能动得之,时为之止。
昔在帝が封じ、八荒を臣と為す、中山の東、陵壤越えて五嶺に連なる;百川斉(ひと)しく匯(めぐ)り、崎崖多くして巉岩を繞(めぐ)り、是れを諸海を為す。大海の水、朝生まれ潮と為り、夕生まれ汐と為り、其の水苦く鹹(から)し、波風倶(とも)に興り、天の力を通さざるべからざる故に渡り、九虚の阻みに往くを為す。亦た外族世代絶えず有り、其の民は白膚被髪、涵泳碍(さまた)げる無し。東海内に神獣有り、名を曰く甾峳(さいゆう)、状は鲛鲨の如く、眼目無し、終年夢寐、およそ動くものは皆其の息の起こるに因よるのみ、能く動き得る物一つとして無く、時之を止めるを為す。
その昔皇帝が封じ、四方八方を臣下とした、中山国の東、国土は五嶺山脈陵を超えて連なる;多くの川は全て一所に集まり、傾く崖が多く切り立った岩を取り囲み、これを諸海とした。大海の水は、朝に生じて潮となり、夕に生じて汐となり、その水は苦く塩辛く、波風が共におこり、必ず天の力を通じるために渡り、九虚の抵抗へ向かわせた。また外の部族は何世代にも渡り存在し、その民は肌が白く髪はざんばらで、水泳では及ぶ者はいなかった。東海に神獣があり、その名を甾峳(さいゆう)、形は鮫のようで、目は無く、常に微睡んでいて、動くものと言えば呼吸によって起こるもののみであり、何者も之を動かすことができず、時が止まっているかのようだ。
天启十年,中史殷昌上书谏曰:“古者天下散乱,莫能相一,今夫以封鼎之疆而不为,何也?昌闻得时不待,今怠而不急就,虽有其贤,不能并也。”孝武晒曰:“卿岂不知轻神者必将为神所轻,视其报,皆流离满途,盖难善终,子无复言矣。”
天啓十年、中史殷昌するを上書し諫めて曰く:“古の者の天下散乱し、能く相一する莫し、今夫れ鼎(かなえ)の疆(さかい)を以て封と為さざる、何ぞ也?昌(さかん)に聞き得る時待たず、今怠けて急がざれば、其の賢有ると虽(いえど)も、能く并せざる也。”考武晒して曰く:“卿豈に神を軽んずる者は必将ず神の軽ずる所と為るを知らんや、其の報せを視るに、皆流離(さま)よい途に満ちる、蓋(けだ)し善く終わり難し、子復た言うこと無かれ。”
天啓十年(西暦849年?)、中国史において隆盛を誇っているところを諫めて申し立てた。:「昔から天下は散乱し、互いに等しいものは無い。今、新疆に帝位を封じないのは、何故だろうか?熱心に聞くことの出来る時間は無く、今怠けて急がなかったなら、もし賢者がいたとしても、共に肩を並べることは出来ないでしょう。」考武帝は冷たくあしらって言う。:「卿は神を軽んじる者は必ず神も軽んじるということを知っているだろう、その報告を視るに、皆彷放浪し道に満ちている、きっと碌な終わり方はしないだろう、貴方は二度とそれを言ってはならない。」
及至乾元年初,宣帝祁曌合七族之力已并天下,将三十万众戮海皇少昊于归渊,赤水所至,莫不服从。甾峳既惊且怒,行波作浪,并使力牵,帝遂遣善术者擒而镇之,其声极哀,闻者戚戚然。
及(し)く乾元年初めに至る、宣帝は祁曌合せて七族の力を以て天下を併せ、将に三十万衆(おお)し戮し海皇少昊(五帝の一、落日の太陽神)を淵に帰さんとす、赤水の至る所、服従せざる莫し。甾峳既に驚き且つ怒り、波を行かせ浪を作り、併せて力を使い引く、帝遂に善き術者を遣り捕らえて之を鎮める。其の声極めて哀れ、聞く者戚然(せきぜん)す。
乾元年(西暦758年?)初めに至る、宣帝は祁曌の合せて七つの部族の力によって天下を併合し、三十万人以上を殺戮して海皇少昊を深淵へと追い払おうとした、赤い水がある所に、服従しない者は無かった。甾峳は驚き怒り、波を走らせ浪起こし、その力を用いて引いた。皇帝はとうとう善良なる術者を派遣して捕らえ、これを鎮めた。その声は実に哀れで、聞く者は憂い悲しんだ。
乾元七年,岁行将暮,潮汐迭起,枯荣有序,泽民皆以为奇。然自孝武携世登玄,封统世衰,宗性奢靡,势星群散。尝有人得见少昊复归,乘鲛泛海而去,歌曰:“哀哉弱羽,厥心空宛,水暗无穷,日冥未曙,朝生夕死,不知晦朔,海将续而完璧,何挣扎而徒力。”其后罕有知者。
乾元七年、歳将に暮れ行かんとす、潮汐迭(たが)いに起こり、栄枯序有り、澤の民皆以て奇と為す。然り考武より世を携さえ深みに登り、封じ統べる世衰う、宗の性は奢靡(しゃび)、勢星は群散す。嘗(かつ)て少昊の復た帰るを見得る人有り、鮫に乗り海に泛かべて去る、歌いて曰く:“哀しい哉羽弱く、厥(そ)の心空へ宛て、水暗く窮まり無し、日冥く未だ曙せず、朝生暮死、晦朔(かいさく、日暮れから夜明け)を知らず、海将に続き璧を完(まっと)うとす、何れ挣扎し徒に力する。”其の後知る者は罕(まれ)なり。
乾元七年(西暦764年?※乾元は3年まで)、年は暮れようとしていた。潮汐は交互に起こり、栄枯に順番があり、澤の民は皆怪しいと考えている。考武帝から数世代を伴い北方へと登る、統治する世は衰え、先祖の性分は贅沢を極め、勢星は散り散りになる。かつて少昊が再び帰ってくるのを見た者がいて、彼は鮫に乗って海に浮かび、そして去った。歌によれば「哀しいことだ羽は弱く、その心は空に向けられ、水が暗いことは限りなく、日は暗く未だに昇らない、朝に生まれ暮れに死す、日暮れから夜明けを知らない。海は続き完璧であり、いずれ苦労し徒に努力する。」その後のことを知る者はいない。