最初に読んだ際の印象は「丁寧で多い情報量が魅力の作品」でした。
乗ったこともない満員の通勤電車の様子を疑似体験したかのようにさえ感じる、丁寧な描写。主人公の諦めと仄かな世界への絶望感を序盤の描写で伝える描写力。とても素敵です。
「ずっと寄っかかっている訳にはいかない」この一文で、もう主人公が他人へ迷惑をかける事を避ける、責任感のある方なのだと分かることが出来て、とても良いと思います。
上司の理不尽さもよく描かれていると思います。何をしても、何を言っても通じない相手なのだと諦めている様子。そして諦めるにまで至った心労も推し量る事が出来ます。会社も上司もダメだから諦めて膨大な量の仕事へ従う事しか出来ない。疲れ果てた人の心理描写がとてもしっかり出来ていると感じました。
「粘膜を殴りつけるような炭酸の刺激を頼りに意識を繋いだ」この表現の仕方はとても素敵ですね。ただエナジードリンクを飲み干した事を描写するよりも、より刺激的に感じる事が出来ます。個人的に好感を抱いた一文でした。
エレベーターでの描写もとても良かったです。押し潰されそうな絶望感がとてもよく描写されていると思います。必要な場面で必要なだけ、絶望を描写されるのが上手い方なのだなぁという印象を抱きました。
緩やかな幸福を抱いた上司とのやりとりは、ゾッとするほど不気味に描写されていて、とても良かったです。前半でどうしようもないほどの諦めを抱かせるにまで至った存在が、たやすく態度を変えた恐ろしさがよく伝わってきます。
違和感に耐えかねた主人公が抱え込んでいた感情をぶつけて殴りかかっても、穏やかに笑っている様子が恐ろしさを増していて良いと思いました。そして同僚の様子も変わっていることに気が付いた時の恐ろしさも、読者が推察して共感してしまうような、とても良い描写だと思います。
緩やかな幸福を抱いている人々の描写を瞳に灯った光で表現しているのもとても良いと思いました。それと対比させる死んだ目をした魚、そしてそれが泳いでいるという比喩。この一連の表現はとても素敵です。
素敵な作品をありがとうございました。