複合的な要因によりDVです。
世界観設定の無理
まず、2150-JP事象は屋根が無い環境においてのみ発生するものですが、収容から2年後の2050-JPが屋外に存在するとは考えにくいです。「2050-JP-Aに発生したのは2150-JPではなく2150-JP-Aである」との指摘も受けていますが、本文中で「かすかに強い光が視界に入る昼下がり」等という表現があり、2050-JPが今現在置かれている状況が不明瞭なため判断できない状況です。
2150-JP本文には「2150-JP及び2150-JP-Aは太陽を崇拝する者をより優先して対象者とする」との記載があります。自信も太陽と考える2050-JP-Aが恐怖や怒りならばともかく崇拝の念を持つとは考えにくいことですが、それらしい描写を行うことで屋内における異常性発現の説得力は付くかもしれません。屋外放置であれば財団が杜撰すぎます。
ついでに、2150-JP本文中では相当数の被害者が計上されているにも関わらず人型アノマリーや自我を持つアノマリーに対する被害は報告されていません。そもそもに人間ではなく、2050-JP本文では実体すら存在しなかった思念体じみた2050-JP-Aが対象になるものか? とも少し考えます。物理的な肉体を持たなければ太陽の燃料も何も無いですからね。
胸糞成分の薄さ
「エージェントが気にかけていた2050-JPが、それに気づかぬまま2150-JP事象下での太陽と融合した結果S.D.ロックの提言と化し、人類を溶融させる中でエージェントの真意に気付き悲しむ」というストーリーライン自体はアリだと思います。
しかし現状では、ストーリー冒頭でのエージェントと2050-JP-Aとのやりとりの描写がエージェントの発言6回という一方的かつ少ないものであり、これでは作中序盤の2050-JP-Aが思っている通り「事務的に作業をこなすエージェント」とも見る事が出来てしまい、終盤で2050-JP-Aがなぜエージェントの真意に気付けたのかの説得力がやや薄まります。
序盤でもっと「エージェントが2050-JP-Aを心配している」or「もっと2050-JP-Aをよく知りたいと考えている」などの描写をし、「ブチ壊されて悲しい気持ちになるような2人の尊い関係性」としての要素を強めるべきだと考えます。
また本記事終盤の描写は、文章からは想起しづらい「音の感覚のみ」で情景を想像させる形式がとられており、タイトルや状況からこの理由は察せるものの、これもまた結果的に胸糞としての実感を薄れさせていると考えます。終盤に視覚を確保し、「絶対に自分のことなど見ていない狂った瞳で太陽を見つめ朗唱する、かつてエージェントだったもの」を鮮やかに短く描写するなどすると、印象が強くなるのではないでしょうか。
記事の採用理由
1010-JPが登場した理由がわかりません。「渇望の声」として、明らかに世界線が異なる日の出の刻へのリンクを設定した意味もわかりません。ストーリーに大きく関係するでもなく、単に「太陽に関係するアノマリーだから」という理由で挿し込まれたように見えてしまいます。また、短めの記事における本筋に関係ない作品へのリンクは、読者の手を止めてしまい読破のテンポを阻害しかねないと思います。
例えば、日の出の刻の千鳥・升・鳳林の提言部分に登場する「サイト-8181に収容されているレーザーを撃つアノマリー」とは510-JPのことです。しかし本筋からブレる雰囲気を持つ彼の登場は緊迫感あるシーンを阻害しかねないとし、レーザーを撃つ異常性を書くのみに止められています。
例えば、誰そ彼と太陽では1010-JPや179などの具体的なアノマリーが登場します。しかし、あちらは「『2050-JPがいないあいだに現れた太陽を名乗る何者か』として存在が軽く示され2050-JP-Aが不安を感じる」という描写のためにほんのわずかな情報と共に存在が示唆されるのみに止まっているのに対し、こちらは異常性と人々の行動などにも不要な描写が漏れています。蛇足ではないでしょうか?
心理描写に重きを置くべき胸糞系記事などでは、可能な限り不要な情報を削ぎつつ主要な登場人物の描写を厚くしたほうが良いと考えられるため、これらの記事を採用する意味は薄いなと感じました。
メタ的な意味と内容への影響
例えば、読者にあらかじめ「2050-JP-Aとエージェントの間には絆が存在する」という認識があれば、現状薄い関係描写の理由もうっすら察しがつきます。想定される読者や批評者がその認識を持っていると考えたのではありませんか? これも記事単体で見た時に描写が不十分になっている理由ではないでしょうか。全体的に描写の想起や脳内補完を読者に頼っている部分が多いように感じます。
この理由として、執筆の動機があると考えています。Twitterで拝見しましたが、watazakanaさんがこの記事を執筆した理由として「著者Mistertakoを情緒的に殺すこと」「『日の出の刻』への返歌」が挙げられるそうですね? その思考回路自体理解に苦しみますが、これに固執した結果「Mistertakoや、2050-JPや日の出の刻を知る者にのみ刺さる描写」を集めただけになっているのではないでしょうか。
おそらく、この作品をTwitterなどで「これこれこういう筋書きのTale」としてツイートされたなら「ぬわー! Aちゃんが可哀そうやんけやめれ!!!」ともがいていたことでしょう。ある意味それで私を殺すことはできたかもしれませんが、中途半端に作品級の長さに伸ばしたことで粗が出てきた印象です。
先に書いた通り、筋書き自体はべつに悪くありません。今一度自身の作品世界を見つめ直し、読者全員を殺す勢いで胸糞描写を煮詰めれば、作品としてのクオリティは高くなるのではないかなと思います。
以上です。