夜のコンテスト2021参加作品です。
SCP-893-JP-EXの異常性は主流科学により完全に解明され
個人的に重要視している部分がさらりと流されたことで、この記事がEXである必要性が感じられなくなりました。ストーリーラインは見事でしたが、EXでなく、Euclid、或いはSafeオブジェクトであったとしても問題がないように感じます。
nemo111さん、読んで頂きありがとうございます。
私としてはEuclidまたはSafeオブジェクトのままの場合、物語の肝の補遺2以降の話が破綻するのでEXは必要なものだと考えています。このようなメタ的な必要性は関係なくて、例えば特定の遺伝子異常でどうのと言ったそれらしい非異常の説明を付けるべきと言う話でしょうか。
いわゆる"財団は冷酷だが残酷ではない"という部分が作品のテーマなのかなと読み取ったのですが、類似した内容の記事は他にも多数あると感じており、この作品としてのオリジナリティーが薄いように思いました。
highbrikuさん、ありがとうございます。
私としましては財団は冷酷だが残酷では無いと言う話ではなく、組織として倫理を当てはめる事で逆に個人的な感情に反するより救いの無い結末に至ると言う倫理観の話をテーマにしたつもりです。
一読してSCP記事としての強い新奇性と魅力を感じましたが、考えるごとに現状この記事で演出できている倫理の不条理さが現実の非異常な医療倫理が抱える不条理に相似なものであるように思えてしまい1、今の所差し引きでDVです。
現実の医療倫理を前提として、異常性を扱うことによるならではのもつれた「倫理的結論」が描かれていて欲しいなあと感じます。
また現実の医療倫理との比較で考えても、現実では医療者が患者を殺す行為の是非は「患者の意志」「苦痛の程度」「苦痛の回復可能性の有無」といった様々なファクターを通し考慮されます。しかし、この記事では財団が「患者の意志」の一点から極めて断定的に「正しい倫理」を規定しており、違和感があります。
Sansyo-do-Zansyoさん、ありがとうございます。
ご指摘の内容を受けて倫理憲章第5条は財団の理念に反しない範囲で適用するという条件を加え、当人の意思以外に代理人として家族の意思表示も加え、家族は収容の過程で引き離したという描写を加えました。
現実との比較ですが、当人及び代理の家族が死を望む意思がある事が大前提なので、それが確認出来ない状態であれば苦痛の程度や回復可能性は論じても意味がないと思います
うーーん、ちょっと古臭いと思いました。
QOLに関する考え方はここ数十年くらいで散々議論され、生きてりゃいいというような考え方が正しくない事は今や日本人の共通認識になりつつあるかと思います。
昔の医療漫画にはよくむやみに延命治療をしたがる医者が出てきますが、最近はリアリティが無いのであんまり出てこないかと。
なんで財団の倫理委員会だけ昭和みたいな考え方なんだ、と思ってしまいます。
現実との比較ですが、現実の医療界では本人も家族も同意を取れる状態に無い場合の考慮はあんまりしていないと思います。多分、今の日本の法律ではその状況での延命治療中止は難しいのでは。
しかし財団という組織は法律の外にあり、倫理委員会は倫理に則って判定をする組織です。だから、倫理委員会が我々の倫理から離れた決断を下していると違和感があります。
確かにRhapsodyyyyyyさんのおっしゃる通り、現代は延命のみを最重視する時代ではないと思います。
無理な延命治療は行わず消極的な死を選ぶとか、当人の意思で安楽死を選ぶと言った考えはあると思います。
ただ、無理な延命治療を積極的に行って成功した後に、死にたいと言う意思表示を行わなかった患者に対して、医療者側が生きていても辛いだけだと判断して延命措置を打ち切るのは間違いなく殺人です。少なくとも日本では当人が意思疎通取れる時に希望したり家族が希望しても無理です。
もしも当人が生きる事を希望していた場合、死を選んでは取り返しが付きませんし、倫理的には患者を苦しめる以上の大問題なので、この問題をうまく線引きするルールは作れないと思います。
この話では当人に意識がある段階では治療に対して積極的ですし、オブジェクトとして財団の理念があるからこそノンブレーキで無茶な延命治療を完遂させてしまったと言う事で自分なりに財団の文脈に落とし込んだつもりです。