出典: SCP-6815
著者:Veralta
作成日(EN): 2021/08/23
備考: Rev.20(2021/09/01)まで反映
ソース: https://www.flickr.com/photos/jordan_wooley/3539435510/
ライセンス: CC BY-SA 2.0
タイトル: Golden Light
著作権者: Jrwooley6
公開年: 2009年
補足: 著者によるトリミングあり。
ソース: https://www.flickr.com/photos/jirka_matousek/12431226465/
ライセンス: CC BY-SA 2.0
タイトル: Pingxi Sky Lantern Festival 2014 in Taiwan
著作権者: Jirka Matousek
公開年: 2014年
補足:
著者によるトリミングあり。
ソース: https://www.flickr.com/photos/sunxez/8249449955/
ライセンス: CC BY-SA 2.0
タイトル: Seoul Lantern Festival 2012 8
著作権者: Jordi Sanchez
公開年: 2012年
補足: 作者によるトリミングあり。
ソース: https://blogs.loc.gov/maps/2018/05/maps-of-seoul-south-korea-under-japanese-occupation/
ライセンス: パブリックドメイン/CC0
タイトル: Keijyo (Seoul) pamphlet back.
著作権者: ジャパン・ツーリスト・ビューロー
公開年: 写真: 2018年 パンフレット: 1913年
補足: 1913年発行の団体による書籍であるため、1943年に著作権が切れている。記事の著者によるトリミングあり。
ディスカッションより抜粋。
文化の抹消には弾丸や都市・村の破壊だけでなく、「正常性」、「体制」、「教育」、そして「法律」が必要です。
朝鮮半島はその地での大日本帝国による経済的・軍事的支配の確立に続き、1910年から1945年までその領有下に置かれていました。日本軍は韓国の皇帝その人である高宗を、協定に合意するまで実質的な人質として拘束し続けるという方法で脅迫し、1905年に第二次日韓協約を締結しました。これにより、大韓帝国の港や外交業務は日本に接収されました。5年後には公式に韓国が日本に併合されることになります。
当時、これらの出来事は基本的にすべて世界列強からは無視されました。
占領中、日本は朝鮮の経済を自国の益のために束縛しました。多くの朝鮮人土地所有者が日本人地主の借地人にさせられ、極めて高額な家賃に苦しむこととなります。これは多くの人々が子供たちを工場での労働や売春に従事させなければならなかったほどでした(Wei, 2019)。このため、経済的・農業的開拓は全て日本人に支配され、同時に朝鮮人起業家は故意に高められた金利のために事業を諦めることとなりました。これによって大日本帝国は戦時中に有用であると証明された奴隷制や搾取の屋台骨を組み上げることが可能となったのです。
続いて、明らかに朝鮮のものである天灯の意味を、財団が如何にして盗み取り日本人の愛国心の象徴へと捻じ曲げたかということに見られるように、文化の併合という概念は既に十分に試行がなされている戦略です。同時に、朝鮮半島内で新羅や伽耶といった国々の支配地域と領域が重なっていたとされる任那(Atkins, 2010)の「植民地」を通して、さらに「半島の日本人」という概念が宣伝されています。
神道は残虐な暴力によって半島を支配する宗教になり、朝鮮人に英霊たる軍神や死した天皇の崇拝を強制しました。その中には彼らに攻撃を加え、征服した者もいました。また同時に、朝鮮人の84%には日本人の名を名乗ることが「寛大にも許可」され、そうしなかった場合には、国家が朝鮮人の名前を認識しないようにしたために郵便や配給切符を遮断されることとなりました。
1938年、占領中もほぼ許容されていた朝鮮語が教育課程において排除され始めました。朝鮮人と日本人の双方に向けて開講されていた朝鮮語の講座はほぼ廃止され、同時に朝鮮語を教えること、話すことは禁じられました(Hopfner, 2019)。朝鮮人学生は学校の内外で朝鮮語を話すことを許可されませんでした(Coutry Studies, 2021)。
また、大量の朝鮮の工芸品が持ち去られ、日本に移動されました。うちいくつかは当時の日本に朝鮮を「文明化」させる必要があったことを示す証拠として現在用いられています(Blakemore, 2020)。幸いなことに、アジア太平洋経済協力首脳会議で条約が締結されてから、その多くが返還されました。
本質的には、とりわけ戦争に必要な資源が増加した際に、大日本帝国の理念が「朝鮮人のアイデンティティは存在しない」という考えを決定づけたと言えます。日本人と朝鮮人の一体化は強く望まれました。幸いにして、大日本帝国の敗戦はこの束縛からの朝鮮の脱却を意味するものでした。
日本が大戦に勝っていたら、あるいは少なくとも枢軸国側についていなかったとしたら、このイデオロギ―がどれほど極端なものになっていたかは想像するしかありません。
6815は、それが発生させる天灯の華々しさすべて――統一、家族観、未来への希望の象徴――とともに、そういった極端な結果の1つを代表するものです。
Salamander724氏へのリプライより抜粋。
この記事はあるたった1つの原則に基づいて書かれています。ドイツが中国と非常に仲が良かったという原則です。
この時間軸では、軍隊の動員、鉄道網の強化、融資、産業再編成といったことへのドイツの支援を確保するために、中国が枢軸国側に加入しています。このカノンのタイムラインでは、Westad (2012)によれば、ドイツは戦前で最大の政府による融資を行っていた国家であり、同時にLiang (1999)によれば中国の軍隊のエリート部隊はハンス・フォン・ゼークト大将などのリーダーの下で訓練を受けたとされています。
この並行時間軸では、世界恐慌による中国経済への被害がより大きくなりました。したがって蒋介石のドイツへの依存度が上がり、さらにナチスが牛耳っていたにもかかわらず中国はドイツとの同盟の構築に成功しました。ドイツは、この時間軸では極めて強く恐れられている日本に対抗する中国軍を補助し、一方で中国は資源の輸送を補助し、ソビエト連邦と戦う戦線を追加します。これにより、彼らは理論上モスクワを両側から挟み撃ちにすることができるようになります。
これによって、「中国が強大な敵に変化するのを阻止する」という、日本が連合国側に加入する口実が生まれます。結果的に、基本的に兵士の死と資源の消費の軽減、そして帝国の力を信用することと引き換えに日本を支援するように説得されたアメリカは、日本に対しアメリカの支援と資源を携えて中国を蹂躙する完全な自由を与えてしまいました。一方で、米国は当時アメリカ領だったフィリピンなどの他国については日本の残虐行為の矢面に立たされることなく存続させることに成功しています。
この事実は韓国におけるより侵略的な日本化の開始の原因が第二次大戦だけであることに対するあなたの疑問の解明にもつながります。日本も大戦には参加したものの、この時は「(日本人から見て)正しい」側としての参戦でした。
それでは、なぜ米国はファシズムを受け入れているのでしょうか?歴史学者ブラッドリー・W・ハートによれば、このカノンの時間軸では、全体的に見て、実際のところあなたが思っているよりも多くのアメリカ人がファシズムを支持していました。6815の時間軸では世界恐慌の被害がより大きく、チャールズ・リンドバーグやチャールズ・カフリンなどといったカリスマ的ファシストの隆盛がより起こりやすく、かつずっと大きなものとなりました。
しかし、ソビエト連邦がより積極的な親米路線を取るようになった結果、ファシズムの隆盛はアメリカを完全にドイツ側に転向させるまでには至りませんでした。一方で、ソ連は第一次大戦以前から既に自分たちと同様にアメリカの近代化を見習っていた日本の「仁義」の思想に自分たちと通じるものを見出していました。
一方、アメリカは巨大産業に物を言わせ、日本の中国での軍事作戦で利を得つつ、同時に軍を送るのを回避することに成功しました。オランダ領インドネシア/オランダ領東インドに対して圧力をかけたアメリカは、さらに他のアジア諸国を侵略する必要に駆られることなく必需品であった石油を日本に供給する補助を行うことも可能でした。
結果として、日本はこの時間軸における"英雄"たる国家の一つとなりました。日本には韓国と壊滅した中国の支配権が与えられました。これは私が南京事件などといった恐ろしい事件に言及しなかった理由でもあります。アメリカとソ連が隠蔽に携わったことによって、それらはこの時間軸では単に"存在"しなかったことになったのです。
6815の時間軸における現在では大日本帝国が今も存続しています。そこでは大規模な近代化が進み、第二次大戦の被害を事実上受けることなく、かつ極めてファシズムが浸透しています。アメリカとソ連が日本の韓国への仕打ちを完全に看過したことによって、韓国は今や完全に日本の一部となっています。
一方、中国はソ連と日本の間で、新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区、青海省、チベット自治区、甘粛省からなり、ソ連の影響下にある"東中国"と、その他日本の支配下にある"西中国"に分割されました。両国は日本との協定に基づいて、征服者とは思えない民族集団に対するナチス的政策の結果として発生した、後の中国人大虐殺に加担しました。
私たちの時間軸では日本に侵略されたフィリピン、シンガポール、マレーシアなどの国は、日本の支配に苦しむことこそありませんでした。しかし、アメリカと英国の支持により、これらの国もまたファシストによる全体主義的統治のもとにあります。連合国は日本との取り決めの一環としてシンガポール系中国人やマレーシア系中国人を快く引き渡し、彼らは"再教育"に送られていきました。
アメリカは日本の忠実な支持者allyです。なぜなら、6815の世界における両国は大規模な軍国主義的国家であり、権威主義的国家であるからです。彼らは協力して日本側の支配のあらゆる痕跡を焼き払いながらも、一方では韓国・中国の文化の残滓に対する文化的虐殺を下支えしていたのです。
アメリカと日本による指導の下に運行される財団は、これらの事象を正常であると宣言しました。結局のところ、彼らの正常性に対する視点は人類のなすことを中心として展開され、また実際のところ、最終的に戦争には何の異常も絡まなかったのですから。したがって、ここに"正常性"が再定義される運びとなりました。
それでは、昇りゆく太陽の下に桑のランタンが舞う世界へようこそ。