率直に申し上げますと、SCP財団を題材とした作品として見た場合に様々な個人的減点要素が挙げられます。
1. 特別収容プロトコルがすぐに破綻する危険性を孕んでいる
これはあくまでもある英語支部の書き手による私論に過ぎないのですが、マッケンジー博士の「SCPのよくある落とし穴」講座という文書が存在し、そこでは
財団世界の内部では、特定の人物に依存する手続きは上手く働きません。その人物が怪我したり、殺害されたり、その他の理由で職務を遂行できなくなれば、収容プロトコルが破綻してしまいます。また関連書類の膨大な書き換えも必要になり、財団の職務に大きな混乱をもたらすでしょう。"シニアリサーチャー"や"サイト管理者"のように、名前でなく役職名を使うことが推奨されます。
とあります。今回の作品では特定の5名の職員に「超常的気象を予測、終了」させるという危険な任務が課せられていて、死亡リスクがそれなりに高そうである事が窺えるにもかかわらず、いざ特定の職員が再起不能・喪失となった場合の事が考慮されていないように見受けられます。残念ながら、まさに上記の私論通りの状態となってしまっています。
なおSCP-3740のように特別収容プロトコル中に何名もの職員を名指しで組み込んでおきながら成功している例外的な事例も存在しますが、この事例では職員の役割に綿密な(文字通りの)設定が練られており、これにギャグ満載の会話ログを附す事により勢いで押し切るという手法が取られています。更に、個人的な考察は混じりますが、収容対象のオブジェクトも直接人間を殺害する行動は辛うじて取っていない事も左記プロトコルの成立が許容される土台となっている可能性も存在します。対しまして今回の作品におきましては、左記の事例と比べてしまいますと各人の設定や描写、そして全体の展開のどれを取りましても、どうしても淡泊なものに留まってしまっていると申し上げざるを得ません。
2. 一部用語の用法について疑問を覚える
こちらはずばり、「超常的気象を予測、終了」の箇所の事でございます。財団世界における「終了」は解釈が分かれる用語ではありますが、いずれもヒトを含め生命ある存在に対して使用するのが基本的通念であると私は捉えております。これに対して「気象」は現象の一種であり、用いるのであれば「終了」ではなく「無力化」辺りであると存じます。
3. コードネームを用いる必然性が確認できない
1. で検討した範囲と被るのですが、わざわざ職員にコードネームをあてがう必然性が見られません。これまたSCP-3740を引き合いに出しますと、〈オブジェクトを欺くため〉という明確な動機が存在しています。
本サイトでシリアスな性格の作品執筆を希望される場合、今回のようなコードネームをはじめとしてあらゆる要素に関して、「なぜこれが存在して、なぜそうなるのか」という必然性が求められる事になると存じます。
4. 「ひねり」と呼べる箇所が見えない
これは私自身もいざ突き付けられた場合は悩む事になってしまうのですが、記事の「ひねり」、つまり面白みとなる箇所が見られない事は最大の問題であると存じます。今回の場合、オブジェクトがThaumielとして財団に有効利用されており、その履歴が淡々と報告されています。財団世界に存在する報告書としては現実的ではあると存じますが、SCP報告書はメタ的に見れば小説であり、その読者は様々な面白さを求めていると想定されます。かくいう私はその面白さを実現するための方法を日々模索中でございますが、理屈の上では話として面白くなる要素を主に以下の二つと分析しております。
最後の方に今までの話の流れを裏切るような展開を置く。たとえば、
・ほのぼのした始まり方をする場合は読者に恐怖を抱かせる展開としてみる(例: SCP-1048、SCP-439-JP)。
・最初がシリアスな開始であった場合は読者が拍子抜けする様な展開としてみる(例: SCP-4290、SCP-4338)。
・パニックホラーものであれば問題を解決できたと見せかけて、最後に不穏な要素を入れてみる(例: SCP-6668)。
題材の選択によっては、ここまで述べてきた要素のいずれかが欠けていたとしても高評価を得られる場合も存在します。例を挙げますとSCP-7127等です。左記作品は報告書の形式の必然性やオチの強さという観点からは若干疑問符が付きますが、一定数の人にとって身近なとある題材を選択する事により、一定の読者が想定する現実世界における恐怖を刺激する事に成功していると考えられます。