ページ内で使用したアイコン画像は自作です。
なんというか、メタな話をそのまま言われているような感じです。
登場人物の察しが良すぎるというか、「この世界は報告書がメインなんだ!」とか、「シェアワールド型の創作活動かもしれない!」とかをその登場人物に言われると大分醒めます。
一応財団内で最高水準の外部アクセスからの保護が行われているサーバー上でアクセス違反が発見され、調査しても原因が一切わからなかったという事実を元にした個人の推論という形にしてはあります。そしてその個人は財団の人間であり、現実改変などの存在を当たり前に捉え、自分たちの世界が作りものであるという可能性を排除できない環境下にあります。
またこれはあくまで個人の推論であり、財団としては最高機密サーバー上の消そうとしても消せない異常なマルウェアとしてしか扱っていません。
その上で、メタな視点を利用した読者参加型の物語を展開するというのがこのオブジェクトの狙いとなっていますので、作中の人物がこの推論に至るという部分は変えることはありません。
気付く事というよりは(それもどうかとは思うけども)、「シェアワールド型の創作活動」のようなあまりにも直接的な表現の使用が問題だと思います。懸念の一段落目は特に、推論と言うかまるでこのサイトを見てきたかのような詳細な情報ではないでしょうか?
シェアワールド型であるというのは、ブレヒト博士の懸念の中での一つの前提です。それはあくまで作中の登場人物の立場に立った上で、想定され得る最悪のパターンを述べているというだけの部分です。本作では報告書一覧中のギミックの示唆という目的のために、わざとこのような極端な仮定の推察を載せてはいますが、あくまでこれは作中の世界の人物が考え得る仮定の中の最悪のパターンを提示しているだけに過ぎません。現実のこの世界ですら、そのような仮定に立つことは可能であり(現に私はそのような仮定を行うという前提でこの記事を執筆しています)、そのような考えに至る人間が居るという可能性を否定は出来ないと思います(ましては、前述のように現実改変などという荒唐無稽な概念が成り立つ世界なので、そういう前提に立つという視点もあり得ると思います)。
以上の理由よりシェアワールドという推察を行っていますが、なかなか受け入れ難いという意見が多いようなら、並立する世界として他の可能性についての示唆を行うように改稿を検討したいと思います。また、この主張が受け入れやすいように、最後のブレヒト博士の提言の改稿について検討もしたいと思います。
私はこの報告書の核であろう、ブレヒト博士の提言に辿り着くまでの内容における"単語"の選び方のせいで非常に盛り上がりを失っていると考えます。
特にSCP-639-JP-Aの名前が顕著で、メタ的視点をオチとする報告書としては致命的なミームを含みすぎていると感じました。"わかる人にはわかる"単語を用いる手法が幼稚なわけではありませんが、盛り上がりにもっていくにあたっては登場が早く、そして彼はあまりにも知られすぎていると思います。
また、ブレヒト博士が仮定の1つとして辿り着いた"創作活動"という言及にしても、あまりにも的を得すぎており、ソースを2回浸けて食べているような"もたれ"を感じました。
クリティカルなパンチを打つのであれば"メタ"の要素は最後のとっておきとして上手く隠した方が良い評価を得られるのではないかと、私は考えます。
botの名称については、仰るとおりであるので削除しました。
しかし、創作活動への言及は"報告書"中のガスパール博士のたどり着いた結論であり、その後のブレヒト博士の提言についてはその仮定を前提とした上での推論という形で本質的な部分は全く異なる内容です。
ただ、メタへの言及という部分が二重になることによって食傷気味になっているという点については承知しましたので、異なる表現方法への転換を考えてみたいと思います。
シェアワールドなどのメタ要素の強い単語への言及についての意見や、最後のブレヒト博士の提言が直前のガスパール博士の主張と方向性が被っているという指摘を受けて、ブレヒト博士の懸念の内容をガスパール博士の主張内に組み込む形に改稿しました。
これによりメタ的な言及の二重性については解消できたと思いますので、再度ご評価お願いします。
001の提言は世界あるいは財団の成り立ちに関わるオブジェクトというイメージだったので、登場人物が個人的な見解の元作成した文章である本作の場合はちょっと違うかと思い通常ナンバーとしました(あくまで個人的なイメージですが)。
メタ的な部分で実際に世界に対する保証足り得るというのはこちらの世界のから見た場合の話であり、作中でそれが事実であるという完全な証明は示されてはいません。また、リンクが世界崩壊のトリガーになるというのも、作中の言及はあくまで最悪のパターンの予測であり、実際に作者がそれを行うという確証は得ていません。
つまり"世界に対する提言"というより一個人が世界についての成り立ちを考え、それを元に文章を書いてサーバーにおいて置いたら、たまたまそれが当たっていたというのがこの記事のスタンスです。
その「たまたま」が本当にたまたま過ぎて面白さを損なっていると感じました
博士がその結論に至る事は有り得るものの、その範囲が狭過ぎて単に博士の思考が作者の意図に操られているように見えます
博士の思考が限定されるように、「最高クラスの現実性保護が施された報告書の管理サーバーにおいて、本来あり得るはずのない基底時空外からのアクセスが見つかった」という設定を入れてあります。これだけでは完全な証拠にはなりませんが、何らかの超常的な存在が報告書という媒体をピンポイントに観測しているという事実だけは作中で提示しており、それを出発点に博士はその観測者と報告書の関係の仮説に至っています。
たまたまというのは、この前提に立った上で博士の仮説が(作中の人物にとっては)偶然事実であったという事に対する表現です。
この前提がもう少し強調されるように、また他にもなるべくご都合主義的な飛躍がないような形への改稿を検討します。
>実際に試みましたが、あらゆる試みは失敗しています。
試みが二度続けてあるのがきになりました
>一切の複製を持たない状態に維持します。
状態を としたほうがいいかいいかもしれません
>かねてよりある一つの事実が気になっていた。
>パズルのピースが一枚の絵を描いたのだ。
>私は愕然とするよりもまず一つの計画を思いついた。
漢数字ではなく半角数字のほうがいいかもしれません
>れを詳細に表した報告書こそその源泉なのではないだろうか
れを詳細に表した報告書こそ、その源泉なのではないだろうか としたほうがいいかもしれません
>報告書を&"観測者"が観測した事によって
誤字があるようです