機動部隊て-0(“第四軌条”)の個人的オリエンテーション
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「えっと……登山博士の部屋はここだったか」

『事前通告書』を手に持ち、サイト815Lの暗い地下の廊下に俺は立っている。書かれた彼の部屋の位置は確かにここ周辺の部屋だ。壁は無骨なコンクリート、床は無機質なリノリウム、明かりは蛍光灯。空気はやたらと肌寒い。あの日和が数十メートル上にあるとは思えない。本来は資料や資材の収納スペースらしい。

しかしまあ、なぜこんな湿っぽい場所にこの登山という人は部屋を構えているのか理解できない。俺たち機動部隊隊員の一部の管轄を任されている上級研究員らしい。財団には変わり者が多いと聞くが、地位が高い研究員がこんな場所に部屋を置くとはとてもじゃないが思えない。コンクリートの壁にお似合いな冷たい扉の前に手を伸ばす。

唾を飲み、三回ドアを叩く。
「はーい」と耳に残る優しく高い声が聞こえ、その男、登山博士は扉を開けた。綺麗に纏められた髪の毛と身の丈に合っていない白衣、光のない眼、どことなくぎこちない微笑。前に見かけた姿と全く同じだった。



「えっと、君は新人の橋本君だったかな。何か分からない点でもあったかい?説明会なら来週にあるけど」
「そうです。あの、この部隊の存在意義とか、部隊にいる上での心構えとか、そういう基本的なものを教えて頂けたらと思い来たのですが」
「なるほどな、いいよ。うちはちょっと特殊な部隊だし、わざわざ足を運んできてくれてくれてありがとう。こんな湿っぽい所で申し訳ないね。まあ入って」


無機質な外からの外見とは異なり、部屋はまさに普通の仕事場という感じだった。多少の散らかりはあるもののそれらはしっかりとまとめ上げられているのが一目で分かったし、報告書のファイルらしきものは壁の本棚にナンバー分けされて置いてあった。「まあまあ、そこに腰かけて」と俺をデスクの椅子に座らせた彼は紙コップの熱い茶を手渡し、早速スクリーンを降ろして前で話し始めた。





「ちゃんとした自己紹介がまだだったね。じゃあ改めて挨拶から。
ではこれより、機動部隊て-0 ("第四軌条")の事前オリエンテーションを始める。これからの職務や心構えなどを話させて貰う、て-0-1 回収部隊隊長、登山だ。”とざん”と書いて”とうやま”。よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」


登山の声色は、いつしか最初とは全く違う気迫のあるものに変わっていた。




「さて、突然だけど、我々『第四軌条』の使命は何か答えられる?簡単でいいよ」
「えっと、『日本全国における鉄道及び駅構内での確保、収容、保護及び隠蔽工作』ですよね」
「正解。前私が言ったことを覚えててくれて嬉しいよ。その通り、我々の活動場所は鉄道路線、それと副次的にだけど駅構内だ。基本的に路線に出現したアノマリーを、我々が確保し収容する。それが機動部隊としての職務だ。でも不思議に思わないかな?『なんで鉄道なんて狭い場所専門の部隊なんかあるんだ?』ってね」

財団に入った時から俺は第四軌条に加入することを既に胸に決めていた。すぐにさらりと言えるようなものではない。見透かすように登山は続ける。

「まあすぐには難しいかな。分かりやすく話すために、まずは日本での鉄道の状況について話すよ」
「よろしくお願いします」

彼は微笑んで話し始めた。

「日本の一日における鉄道利用者数はね、大体7000万人くらいいる。具体的に言うと九州の人口の3倍以上だ。日本は狭いからね、いくら分散しているといえど東京とかの密集地ではとんでもない数になる。そんな所に突如、危険な異常が現れたら?」
「大惨事が起こる、ということですか」
「良くてね。最悪の場合ベール崩壊。しかも地下には未知の異常がまだまだ跋扈してるときてる。だからそんな事態を防ぐために私達がいる。ここまでは分かった?」

頷くと彼の顔が再び綻ぶ。

「では次に、君たちの活動について確認させてもらうね。まだ聞いてないことも多いと思うけど、来週しっかり話すから今回はあっさり行くよ」
「わかりました」
「しっかり聞いて欲しいし分からないことあったら教えて。言ってくれればメモ取る時間も作るし」

ありがとうございます、とつまらない答えを返しながら考える。
俺には、あの日から決まっていた決意がある。そのためならば教えを乞い、知識を盗み、喰らい、誰よりも先に進まなければならない。あの惨劇のような事態を、二度と起こさないためにも。

「次に君たち、機動部隊隊員の普段の職務について。これは分かるかな?」
「えっと、普段は巡回で異常が発生した場合隠蔽と収容活動に移る、で合ってますかね」
「その通り。でも私たちは、普段からレールトラストとかの兵器を使って巡回してる訳じゃない」
「レールトラストって、あの四足歩行の戦車みたいなやつですか?」
「そうそれ。正式名称は『多目的高速軌条上自律車両』だ。つまりレールの上を走るバイクみたいなものだね」

彼が腕を振ると、どういう理屈かは分からないがスクリーンに画像と映像が出現した。
あの頃、何年前だったかも思い出せない昔、確かに脳裏に焼き付いているあの金属の獣は、確かにそこにいた。高速で駆け的を狩る姿はまさに獣であった。


「何回か見たことがありますがほとんど話は聞きませんね。報告書でも見たことありませんし」
「そうだね、基本的にレールトラストは最終兵器、GOCのスーツみたいなものだ。当然普段使いできない。そこで基本は我々回収部隊が一般人に紛れて毎日巡回し、異常を探す。地道な作業だ。でも、敵対アノマリーの処理部隊との連携にはそれ用に訓練された回収部隊が不可欠なんだよね。だからこればかりは他の部門に任せっきりという訳にはいかない」

だから2つに部隊が分けられているのか。オブジェクトを地道に脚で探す回収部隊と、万一の事後処理をする処理部隊。ややこしい仕組みだと最初は思ったが、やはり同じ部隊でもかなり役職が違う。

「さて橋本君。君はどちらの部隊を志望する?希望は来週聞くけど、とりあえずでいいから考えてみて」
「俺は」


分かり切ったことだ。俺の目的は。



「処理部隊に、行きたいです」
「なるほど」

彼は意外そうな顔をした。

「理由は何だい?」
「昔、財団に拾われるより昔、俺はこの部隊に助けてもらったことがあって。そこで出た化け物を捕まえたのがレールトラストだったんです。それで、あんな風になりたいと」




20年程前。あの日、小学生だった俺は両親と電車に乗り込んだ。昨日友達と何をしたとか、知らないはずのゲームの話でも耳を傾けてくれる両親だった。何のために乗り込んだのかなんて覚えていない。直後に起きたことに比べればそんなちっぽけなことなど覚えている暇なんて無かったのだ。その事件は——


「昔って……23年前の『インシデント:2X4U-JP』のことだね?ほら、███線運行中に地下で危険なアノマリーが発生したけど、第四軌条が収容してカバーストーリーで無事隠蔽できたっていう」

それだ。名を思い出そうとした矢先に言われた。

「そして、そのインシデントに君とその家族も巻き込まれた。そうだよね」
「……はい」
「君は両親を失い、日常を壊された。一人暮らすうちに、異常存在を収容し君や一般市民の生命と正常を救ったここに憧れてこの部隊に入隊した。と、こんな流れだと私は勝手に想像しているけど、どうかな?」



図星だ。不気味なほどに的確だ。




「それで君の日常は壊れた」




俺の人生は既に脱線していた。
あの時期の俺は、大人になったら普通の仕事に就き、普通の人生を送り、そして死ぬ。そういうビジョンを幼心に描いていた。
それは容易く壊された。


その日、列車内に現れた怪物は電車を壊して停め、人を貪った。見境は無い。怪物にそんなものを期待するのは間違いだ。そしてその矛先は。


両親の死。身体の部位が消え運ばれていく両親の姿が脳に焼き付き、体験したことのない空虚感が幼かった俺の身体を蝕んだ。俺の描いた夢や未来なんてものは容易く塵と化した。財団フロントの孤児院にいた同じような境遇の子供が俺を救うことなどなく、俺は育っていった。

俺を2つの意味で救ったのは、他でもない彼らだった。1つは俺の命を、もう1つは俺の理想を。あの肉塊の猛攻を避けつつ、ワイヤーで捕らえた四足の軌条上の獣は、他でもない俺にとっての英雄だったんだ。だからこそこれまでに貪欲に得られるものを食い尽くしてきたんだ。意欲と実力が認められ、事前通告書が来た時は文字通り狂喜したものだった。

だが。



「本当に悪いけど、君はまだ処理部隊に来ない方がいい」

唐突に、あっさりと、その言葉は放たれた。

「えっと、どういうことですか」
「君はこのままじゃ多分あっという間に死ぬ。そんなタイプに見える」
「博士?……俺を馬鹿にしてます?」

堪えられずに立ち上がる。椅子の倒れる喧しい音。

「落ち着いて。あくまで『今は』だから。働いてるうちに分かってくるはずだよ、私の言いたいことが。それに」
「それに?」
「それにさっき君、私に『部隊にいる上での心構え』を教えて欲しいって言ったよね?」

確かに言ったが。それと何の関係がある?見透かすように登山は口を開いた。

「さっきも言った通り、私は回収部隊のエージェントだった。だから教えられることがある」

そっと置き直された椅子に再び座る。冷めかけた茶を一気に飲み干した。
登山博士は白衣のボタンを外し始めていた。

「これを見てよ」

思えばぶかぶかの白衣に隠れ一度も見ていない。
彼の、剥き出しの腕。




両腕から鈍い金属光沢が露出した。ロボットアームとは明らかに違う。完全に機械の外見な癖、構造は人体模型で見るような筋繊維が露出しているのが関節の隙間から見える。その全てが、脈を打って蠢いていた。


「そんな顔しないでくれ。私だって好き好んでこんなものを付けてる訳じゃない。両腕をやられたのは最悪だった。そこから私はエージェント職を事実上無理矢理降ろされてサポートに回されたんだ。ほら、腕振れば色々動かせたりするし便利だよ意外と」

本能的な気持ち悪さというのは、どうにも誤魔化し切れないものらしい。白衣を再び羽織りつつ話す彼の表情が徐々に曇り、光のなかった目がさらに黒ずんだ。

「昔の私は、今の君とは真逆に近かった。意欲はなく、教わろうなんて考えは皆無だった。周りの同僚や先輩たちは大体君に似たタイプだったけどね。仕事に熱心で、私の前で嫌な顔一つ見せず毎日狭い電車内へ出向かうようなタイプ」
「はあ」
「でねその日、23年前。その日も同僚と巡回してたんだ。休日の昼間だったから、やたらと人がいて大変だった。本部へ『異常無し』の連絡をしようとしたその時、アレは起きた。

『インシデント:2X4U-JP』。今じゃ平成最悪と言われる地下路線アノマリー出現事案だ。地下で起きたから隠蔽が楽だったのが不幸中の幸いだったけどね。同僚は逃げ遅れて死に、私は腕を失った」

あの日、俺と同乗してたのか。計算上少なくとも40は超えているだろうが、印象が若いから正直驚いた。

「そう、私は23年前、君と同じ電車に乗っていたことになる。偶然にもね。君が見たのは多分私の先輩が駆るレールトラストだろう」
「先輩って、どんな人だったんですか」
「あんまり覚えてない。だけど、世界の為必死に戦った人たちだったのは間違いない。レールトラストごと食われる同僚を目の前で見ていたにも関わらず全力を出してたのが証明してる」


レールトラストが、食われる?あの強固な戦車が?記憶が朧げではっきりしない部分もあるがそんなことは—

「ちょっとショッキングな画像だから注意して」

画面が再び動く。


ぐしゃぐしゃに潰れ肉に塗れ返り血に染まった四足の獣。どう見ても後ろの肉塊はあの日見た化け物だ。
乾いた笑いしか出ない。



「信じたくないのは分かる。君はレールトラストを無敵の最終兵器だと思っていた。前提としてそういうものだと。それを壊されたんだからね」

あの金属の不死身の獣と、それを華麗に乗りこなす騎士。それらは単なる幻想で、ただ複雑なだけの機械と武装した人間であった。壊せば壊れるし、殺せば死ぬ。そんな簡単なことすら俺は分かっていなかった。


「すまないね、こんな希望のない話をしてしまって。でも君もよく知ってるだろう?財団というのは決して希望に満ちた職場ではないし、やりがいだけでやっていける仕事をしている訳ではないということは」

そんなことは元から分かっていた、と数分前の俺なら言うだろう。

「それに、君だって私の同僚や先輩と同じような、いやもっと酷い目に遭う可能性だってある。その覚悟は、できてる?」

憧れなんてものだけで生きられる世界じゃないのは知っていた。はずだ。覚悟もできている。なのに。

「何も無理にやめろって言ってる訳じゃない。ただ私には、君と私たちの認識に齟齬があるように思えてね。一度入ったらすぐには変えられないけど、一応異動は途中からでもできるし」
「認識の齟齬とは」

同期の誰よりもこの部隊について知っている自信ならあった。それは、それだけは幻想なんかではない。部隊の場所も人数も、最終兵器の兵装も、クリアランスが許す限り調べ尽くした。なのに。


「しばらく働いてみれば分かるけどね、この部隊はそんなに特別じゃないよ。ちょっと範囲が広くて、使う道具が違うだけ。それを抜きにすれば全て普通の機動部隊と全く同じ。確保収容保護を徹底することにはね。君が分かってないのは多分それだ」
「特別、じゃない」

ああ、そうか。
かつて助けられたってだけで特別だって思い込んで。他を下ろしてまで進みたがって。大義名分に隠れて希望を通したがって。本質は財団の部隊ってことには変わりないのに。


馬鹿馬鹿しい。



「……はっ。馬鹿みたいですね俺。自分で無駄な夢見て現実見たつもりになって。勝手に自分は特別だって勘違いして。本当に俺は」
「えっと、何回も言うけど我々は君の才能と意欲を認めているよ。じゃなきゃ部隊の希望なんて聞かないし。だからこその忠告ってだけだからね」

希望は潰えた。

「夢だけ見てても、私の同僚と遅かれ早かれ結末は同じになる。でも、希望とそれに見合う実力を持った君をみすみす下ろすのはもっと勿体ない。だから私は、君に伝えたいことを正直に伝えた。酷い言い方をしてしまった部分があったかもしれないけど許してほしい」
「い、いえ全然大丈夫です」


いや違うか。潰えたのは希望じゃなく、幻想だ。
勘違いしたまま進んで生きていけるなんてそんな虫のいい話はない。「ああなりたい」だけでなんとかなる訳はない。俺はとにかく経験を食らうしかない。死んだ情報を食うだけの時は終わりを告げた。

「これから君には、沢山経験して、その中で自分なりにも生き方を見つけて欲しい。以上だ。何か質問などはあるかな?」
「いえ、特にありません」
「そうか。君の活躍を期待しているよ。どちらの部隊でもね。個人的オリエンテーションは以上だ。お疲れ様でした」

彼は腕を捲り、金属繊維剥き出しの腕で手を差し出した。金属に似つかわしくない暖かい感触が手を包んだ。

「ありがとうございました!」
「こちらこそ、こんな長話に付き合わせてしまって申し訳ないよ。ありがとう」

ふと見た彼の眼には、薄く光が戻っていた。

立ち上がり、椅子をそっと戻す。散らかりはあるが綺麗に整えられた資料の間を抜ける。
ドアに手をかけて回す。ふと声が後ろからした。

「とにかく、君がどこに行こうと私は応援しているよ。くれぐれも死ぬような真似をしないで」
「分かってますよ。死んだら元も子もないですからね」
「四肢欠損もなしだからな。本当に分かってくれてるならいいんだけどさ」

顔に張り付いた微笑とは本質的に違う表情で、登山は笑っていた。それは親が子の誕生日を祝う時の顔に似ていたし、あるいはクリスマスプレゼントの玩具を初めて弄る子供の表情にも似ていたかもしれない。

ドアを開き、リノリウムの床とコンクリートの冷たい道を進む。
「来週の普通のオリエンテーションにもちゃんと来るんだぞー」と呼ぶ登山に振り返り、手を振る。
エレベーターのガラスの向こうから義手を振る登山を、俺は下へと見送った。




背中の痛みを誤魔化すために湿ったトンネルの縁に座り煙草に火を着ける。ハンドガンなどの武器はあったといえ異常性持ちの危険人物に格闘戦なんか仕掛けるんじゃなかった。お陰でアイツの腐肉のような腕で叩きつけられてボロボロだ。

列車内での異常による無差別テロ。列車という密閉空間では社会への不満も充満しやすいらしい。
レールトラストから射出されたワイヤーで簀巻きにされればもう動けはしない。殺られるギリギリで処理部隊が来て助かった。あとはトンネル内に記憶処理剤を撒いて、カバーストーリーを流布すれば完璧だ。巡回中の俺が駆けつけて押さえ込んだ瞬間、野郎は大人しく手元のナイフを使えばいいものを右半身がボコボコ膨らんでアンバランスな化け物と化した。どんな奴だったのかは知らんが、大人しく手元のナイフを使うことすら思いつかないアホだったのは確かだ。なぜ俺がよりにもよってこんなけったくそ悪い奴に巡り会ってしまったのかは不運としか言いようがない。

とかく、電車が止まって一般人がみんな逃げ出してから弱らせることができたのはラッキーだった。電車の外に誘導したはいいが、でかい図体のせいでスタンガンも麻酔弾も効きが悪くぶっ飛ばされたのだ。なんとか拳の直撃は避けたのと防護スーツを着ていたお陰で痛いだけで済んでいるが、何の対策もない一般人がまともにやられたら即死だろう。やはりギリギリだったなと思う。


吸い殻を携帯灰皿に入れる。ふと、横を見る。

メガネの少年が立っている。歳は中学生くらいか。

「おいボク。警察に避難誘導されなかったか?早く帰んな」
「あの、見てたんです、僕」
「何をだ?」
「あなたたちが、バケモノと戦って足止めしてるとこを。あ、あと通信で『部隊』とか『異常』とか何やら話してたとこを。見間違いじゃない、ですよね?」

溜め息。目撃者が少なかったためまとめて記憶処理をしてカバーストーリーを流布する予定だったが、このガキだけは別途で行う必要があるらしい。全く面倒なことを。しかしいきなりとっ捕まえて騒がれたら更に面倒だ。

「どこで見た?それ」
「電車の外に逃げる時、何か騒がしいと思ったんです。それでこっそり見たらあのバケモノとあなたが」
「……なるほどな。避難中か」
「あのバケモノは?最後に捕まえたあの戦車みたいなのも何なんです?」

話を聞くまでは地獄の果てまでついて行くという面をしている。付き纏われても面倒だし、周囲にも一般人はいない。異常についての話も知られてしまっているしどうせ記憶処理を施すのだ。多少なりとも話してやった方がこちらとしても後味が悪くない。

とりあえずは大雑把なことだけ話す。異常の存在とそれに関係する機関、レールトラストについてなど。もちろん機密に繋がりそうなものは一切話していないし、『財団』の名前も出していない。
彼は話の節々で目を見張りながら「凄い」などと呟き、話が終わると彼は何やら考えている様子だった。しばらくして彼の口から出た言葉に後悔する。


「あの、いつか僕も一緒に働きたいです。あなたたちと一緒に」

余計なことを言うんじゃなかった。更に面倒なことになった。少なくとも後味が更に悪くなること請け合いだ。悲しいが現実を知らせなければならない。

「無理だな」
「なんで」
「お前こそなんでだ?いきなりとんでもないこと言い出して」
「さっき、目の前で人が刺されたんです」

目の前で異常を見て傷ついた人を見たらしい。それでも普通に会話できるということは相当肝が据わっているようだ。

「僕があなたたちみたいだったら……何とか助けられたかもしれないのに」
「ボク、君の今の心情を当ててやろう。『化け物に襲われた僕だけじゃなく、怪我した人も助けてくれた。あなたたちはヒーローだ』ってね」
「……」
「それで憧れたって訳だな」

視線が下がっていくのが分かる。

「残念ながら、俺たちは君の想像しているようなアベンジャーズみたいなヒーロー集団じゃない」
「いやっ、でも僕を助けてくれて、憧れて、かっこよくて、ほんとなんです」
「あん時お前がもしも戦いの邪魔になるようだったら、俺は間違いなくお前を撃ってた。刺された一般人はまだ意識不明の重体だ。ラッキーだったな逃げられて」
「でも、いやそんな……」


黙りこくってしまった。まあ仕方ないだろう。こんな子供の胸に燃え上がった熱と憧れに氷水をぶちまけられたような気分なのだろうから。
折角だ。話せることは話してやろう。氷水なんかよりさらに冷酷な現実も、残酷で18歳未満にはとてもじゃないが見せられないような惨劇も。万が一でも財団で働くなんて気を起こさないようにショックが染み付いてくれればいいのだが。

「昔の話だ。俺は28年前、いや29年前だったか、俺はあの野郎なんかよりやべえ怪物に出くわした。家族でな。君は1人だったな?俺は目の前で両親が死んだ。ギリギリで俺だけは助かったがな。その光景を今直視できるか?」

彼は俯いている。少々言い過ぎたかな、と思った時通信機が鳴いた。



「橋本隊員、まだ動ける?」
「はい、こちら橋本、動けますよ。背中を強打しましたがね」
「無理はしなくていい。できればでいいんだが他に異常はないか調べてきてくれないか?処理部隊はまだ待機してるし、他の隊員にも頼んであるけど」

高く優しく、初めて見た時と全く変わらない声が聞こえた。背中はじんじんと痛むがほぼ治ったと言えるレベルになっていた。答えは決まっている。

「行けます。何かあったら連絡させてください」
「勿論。じゃあ出口と反対方面に向かってくれ。他の隊員も待機してるはずだから」

意思のある異常が現れ、その直後に全く別の異常が出るなんて確率は限りなく低い。しかし相手は異常だ。そもそもアイツが生まれつきの異常なのかさえ分かっていない。限りなく低い確率でも潰すための回収部隊なのだ。


「俺の上司だよ。行かないといけないらしいな。あっちの出口に向かって、警察に従って行ってくれ。後始末は何とかしてくれる」
「僕はまだ、諦めてません」

彼の手を取り「行くぞ」と声をかけた。記憶処理は隠蔽担当に頼むことにする。
手が振り払われる。



「嫌です、帰されちゃうんでしょう?これを逃したら僕は」
「ただ巻き込まれただけだろ?事情は知らんが家族もいるはずだろ?ここに首突っ込むってことは、俺なんかよりもっともっと酷い目に遭う可能性もあるぜ?人を助けられないことだってザラだ。その覚悟はできてんのかって話だよ」
「酷い目、とは」
「さっきの俺の上司は両腕がない。食われちまったんだとよ。さっきの通信はハイテク義手を使ってやってるはずだし、助ける対象の一般人と実の妹を異常のせいで殺す羽目になった奴だって知ってる。助けるなんてのはある意味戯言みたいなもんさ。耐えられるのか?そんな面には見えねえけどな」

手を再び取り直し引っ張る。


「今ならただの『事故』で済ませられるんだ。戻るなら今のうちだぞ」
「あの」

もっと抵抗してくるかと思ったが意外にもそんなことはなく、彼は寧ろ澄んだ瞳でこちらを見つめている。その顔は諦めがつき完全に吹っ切れた奴の表情にも似ていた。反射的に手を離しかけ身構える。少年は口を開いた。


「僕たちを助けてくれて本当に、本当にありがとうございました!」

立ち上がった彼は綺麗に一礼した。本職のはずの俺のそれとは比較できない程、綺麗に。しばらく唖然とするが、すぐにふっ、と笑みが漏れた。

「そう言ってくれりゃあ嬉しいねぇ。でもそりゃ俺を助けた連中にも言うべきことだな。後で伝えといてやる」
「あと、僕はあなたたちがかっこよくて、強くて、凄い人たちだと思ってます!これからも頑張ってください!」

しばしの沈黙。相手の顔は真っ赤になっている。手から伝わる温度が上がっていくのが分かった。

「いやあの、僕は忘れちゃう前にお礼を言いたかっただけで、その」
「はいはい。お前は忘れても、俺たちは裏で働いてる。応援してくれてありがとな」


空いた左手で敬礼を返す。歩いているうちに出口の目の前まで来ていた。
その場に立つ隠蔽担当のオールバックに手を渡すと、オールバックは素早く記憶処理剤のエアロゾルスプレーを彼の顔に吹き付ける。少年はふらりと倒れ込んだ。

「橋本さん、この子どうしたんです?あと顔ニヤけてますよ、何があったんですか」 
「ニヤけてんのは気のせいだろ。こいつ取り残されてたから記憶処理しといた。まだ仕事があるから頼むぞ。カバーストーリーもよろしく」
「まだあるんで?」
「登山博士に頼まれちまったもので。休みてえが一回安全確認しないと電車は動かねえ」
「大変ですねえ。ま、頑張って」

サンキュ、と言うとオールバックは髪をさらにかき上げ、少年を背負い光のある出口へと消えていった。闇に慣れると出口の太陽光は目に少々悪い。煙草を一本取り出し火を灯す。


さて、もう誰も残されていないことを祈ろう。
後ろへ振り返り足を運ぶ。奥には部隊が待っている。さあさっさと終わらせよう。

「そういやさっき対応したガキがさあ、……」


闇の中幾つかの小さい笑いが起きる。
闇の奥へと、俺達は進む。

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