

時を遡る
— - —

その会議は、ソマリの放棄された倉庫裏の部屋にて行われた。
カルヴィンはプラスチックの折りたたみ式長机の端に座り、静かに爪をいじった。反対側では7人のデルタコマンド、カオス・インサージェンシーの最高評議会のメンバーが集まっていた。部屋へ案内された時、カルヴィンは思わず呆れかけた──連中は高慢なレトリックで、未だにビジネスをする場として古く埃まみれた建物と安物のプラスチック家具以上のものを用意できないのだ。
彼は知っていた、デルタコマンドは、かつて「インサージェンシー」と呼ばれた7つの分派を集わせるためにエンジニアによって構成された。各グループ各はデルタに代表者を送り込み、合わせてより大きな反乱分子を作り上げた。名前はもちろんジョークだ。噂によれば、エンジニアは派閥同士の言い争いを止める事をほぼ諦めており、「歴史上これ程までに混迷したchaotic反乱insurgencyを起こすような失敗はないだろう」とのたまっているという。この呼称が定着したが、デルタは「カオティック・インサージェンシー」では個性が足りないと思った。故に「混沌の反乱カオス・インサージェンシー」である。
彼らの誰もが互いを嫌っていたが、カルヴィンはどうでもよく思った。自身は嘗ては財団の利益の為、今は財団へのより大きな攻撃を画策するCIエージェントとして独自の経歴を持っていた。他のインサージェンシーの者と同じく、世界での自分達の立場を理解していた──インサージェンシーの目的は財団の破壊ではなく、あくまでも抑止力となる事である。財団が決して悦に浸りすぎぬようにする為に、常に針を向ける荊棘である。もし彼らの目がインサージェンシーに向き続けたなら、論理的にそれ以上のダメージは与えられなくなる。これまでにこの戦略が報われた事はない。
しかしカルヴィンは例外的に優秀であり、財団にとって荊棘どころか腹を切り裂く弓鋸程度の存在となっていた。彼のインサージェンシーの目的への貢献度はその地位を一気にのし上げるに至り、近年は彼の派閥のデルタとして選ばれる話すらも浮上した。ところが少し先んじて、彼は魔術的な文書を保有すると思われる財団サイトへの奇襲の折にインサージェンシーの資源──限られたものだが──を不正に使用したとして非難された。
彼の行動に対する調査は特筆するような結果を出さなかったが、この事案は最悪の時に上がってしまい、デルタへの格上げどころかニュージャージーの代表若手議員ハワード・コワルスキの後釜としての中級官僚とされてしまった。
奇遇にも、ハワード・コワルスキが最初に声をあげたものだった。
「こんばんは、えっと、カルヴィン、」
尖った鼻先に薄い眼鏡をかけた恰幅のいい男は喋った。
「君がここに来てくれた事を、えっと、我々は歓迎するよ。知っての通り、我々はちょうど、デルタ総司令部の、その、改装の最中でね…」
無論、ジョークだ。エンジニア自身によって建てられた正式な司令部は改装中であり、故に無人の倉庫と煤けた路地裏会議をしなければならないとデルタが主張しているだけだ。30年前に建物が世界オカルト連合によって破壊されたというのは周知の事実だが、デルタはそれを認めていない。
「──というわけで、十分だと思いたいね、うむ。」
彼は頷き、デスクにある紙束の山を叩いた。
「ここで特に大事なのは、カルヴィン、この、あー、うん、君が回収したというこの書類だな。」
彼は前のめりになり、書類を覗きこむと同時にそのメガネがランプに照らされた。
「手帳。手に入れたかい?」
カルヴィンは頷いた。
「お時間をいただけましたら、手帳について話すと約束しますよ。」
デルタのメンバーの1人──ノリスと言う名の、長身で、長髪の女だ──は、低い声を出した。
「我々を怒らせない事よ、坊や。我々が足繁くここまで来る事が既に最悪だったわ、でもこれでもし貴方がニセモノの本で我々を弄ぶ為の徒労だったというのなら、立場を変えてもらうと神に誓ってわよ。」
怒りに対しカルヴィンが眉をあげる横で、コワルスキは引きつった笑いを上げた。
「まあまあ、プリシラ、」
コワルスキは慎重に言った。
「まずは彼の話を聞こうじゃないか。カルヴィンは、その、我々の組織の為によく頑張ってくれている、きっとみんなも知ってると思う──」
周りが恨めしげに頷いた。
「──そして彼はきっと、その、信頼くらいは望んでいいと私は思うよ。」
彼は続けるようカルヴィンに促した。
カルヴィンは自分の書類を拾い上げ、開いた。
「さて、ここにあるのは私がここ数ヶ月、数人の仲間とともに調べたものです──目的説明書と考えてください。我々はシドニーのヴァーノン・アルダーマン博士の研究室と合同し調査をし、チームの調査結果は…なかなか厳しいものでした。財団の異常実体および現象への継続的な実験は同実体によって齎される問題を悪化させています──傷の掻痒です。ホーヴァー補佐官のチームから得たここ数年のスクラントン錨のキャリブレーション調整に関する情報と組み合わせると、証拠は明らかでしょう。」
一旦言葉を止め、ページをめくった。
「もはや後戻りできない段階にあります。」
ページのさらに先へと視線を滑らせた。
「さて、我々の現行モデルでは2020年までを大規模で公的な超常現象なしで切り抜けられないと計算され、そこから5年も経たぬうちに財団にも手に負えない程に事態は大きくなるでしょう。それは非常にマズイ事態です。故に我々は今ここで対処せねばなりません──これ以上待てば、我々は有意義な事を何も果たせないままとなります。」
デルタ最年長のシルヴェスター・スローンは突然奇妙な声でケタケタ笑った。
「我々の価値は財団の成果を阻害する事にあるんだぜ。お前は奴らを完全に妨害したいとでも言い出したそうに聞こえるな。」
カルヴィンはわずかに後ろにもたれた。
「それ以上です。私は財団を根こそぎ引き抜くつもりですよ。葉も、枝も。」
まるで誰かがエレベーターに腐った卵を投げ込んだかのように、重苦しい沈黙が彼らに降りかかった。デルタの古参の1人、ヘルマン・ヴァン・ガンドリーが最初に笑い出した。残りも続けざまに同じく笑った。
コワルスキはなるべく真顔を維持したが、それでもしばらくして目元を擦り始めた。
「カルヴィン、いいか。君の言いたい事はよくわかる、そして我々の信頼を十分に得ているとはわかっている。しかしよしてくれよ。そいつは骨折り損だ。」
プリシラは見下すように鼻で笑った。
「世界で最も強力で、機密で、影響力を持つ組織を揺るがす程の資金と機材の用意ができるならね、殿方の皆様、教えてくださいな。クソお山の大将にしてあげてよ。いかがかしら?」
カルヴィンは今度は両眉をあげ、深いため息をついて目の前の紙束を次々とめくった。
「この目的の為、」
彼は続けた、
「私は作戦Summa Modus Operandiに記載の手順の実行を進言します。」
デルタは沈黙した。数人は混乱の眼差しで、互いを見合わせた。シルヴェスター・スローンの目は急にとても鋭くなった。
「本気か?」
「ちょっと待て、」
デーン・ブランクは手元の紙をせわしなくめくりながら言った、
「どういう事だ?そんな話聞いていないぞ。重要な話に聞こえるが。実際に重要な話か?」
最年少のデスデモナ・ヴァンスは横に置いていた鞄から分厚く小汚いバインダーを取り出した。それをこじ開け、彼女は序文を飛ばし数ページをめくってゆき、読み上げ始めた。
「我々は以下を逃れようのない真実として捕捉している…。」
カルヴィンは手をあげた。
「お手は煩わせません。この文書はエンジニア自身の命により、最初のデルタコマンドによって書かれたものです。この文書を言葉通り解釈すれば、財団を破壊する為に財団を破壊する事は不要です。ただ監督者を破壊すればいいのです。」
プリシラはまた大声で笑い出した。今度は他の者達は追従しなかった。
「ええ、当然それは簡単な事でしょうねえ。13人の不死の半神ども、明らかに魔術や外法に身をうずめて長い連中を。とっても簡単じゃない。」
しかしシルヴェスター・スローンはまだカルヴィンをじっと凝視していた。
「13番目の監督者は他の者達に不死性を与えた、彼が残る限りは。最初に見つけるならば奴だ…まあ、いずれは全員を見つけねばならんが、それは不可能だろう。お前が…」
彼の目が細められた。
「お前が、手帳を持っていなければ話は別だ。」
カルヴィンは頷き、ジャケットの胸ポケットへ手を伸ばし、部分的に茶色い紙に覆われた、小さく、青い、革装丁の本を取り出した。
「なんてこった、」
コワルスキが言った、
「いったいどこで手に入れた?」
デスデモナは不思議そうにそれを見つめた。
「それは?」
「数年前、」
コワルスキは言った、
「連合の最高峰のエージェントの1人、何か妙なコードネームの輩が、財団の監督者について情報を集めていたという報告を得た──奴らが何処に住み、何処で頻繁に出没し、どのような活動や生活をしているかだ。言い換えれば、監督者を見つけたければ、最高の出だしという事だ。」
「まだよくわからないわ、」プリシラは言った、「監督者達の事は把握していたんじゃなかったの?連中が何処にいるのか、わかっていたんじゃなかったの?違う?」
シルヴェスターは冷笑した。
「いいや。エージェント達には知っていると伝えていて、不定期に奴らの誰かが通りかかって一目見る程度の報告を受けるだけだ。必要であっなら、半々の確率でリアルタイムの居場所を突き止められたかもしれない。運が良ければもう少しマシだろう。」
彼はその節くれだった指を手帳に伸ばした。
「だがそれが重要なのは監督者どもが理由ではない。重要なのは、これには少なくとも2人の監督者の情報を持つ事だ──13番目も含めてな。奴の事は今まで誰も見た事がない。この書が書かれるまで、存在すらも確証がなかったのだ。」
コワルスキはこめかみを激しく拭っていた。
「まあまあ、ちょっと落ち着こうか。ちょっと──ちょっと考える時間をくれ。」
彼はまた手元の書類に目を通した。
「よし、つまり連中を見つけられるという事だな。そいつはいい、そいつは、うん、いい出だしだ。しかしもっと肝心な事あるだろう。契約だよ──奴らは死神と契約した。契約ある限り奴らは死ねないぞ。Summa Modus Operandiが書かれた時、それは確たる事実ではなかった、だからこそそれは明確で確実なプロトコルとしてよりもただのガイドラインとして認識されてきた。死神を殺せないからだ。」
カルヴィンは頷いた。
「そうです、死神は殺せません。しかし死神を殺す必要はないと思いますよ。ただ契約を解除すればいいのです。」
シルヴェスターは前のめりになり、今度は慎重に言葉を選びながら問うた。
「契約を解除したいならば、死神から何者かを奪い返す為の道具が必要だ。必要なのは…そうだな、もう100年は失われたものが必要だ。」
カルヴィンはポケットに再度手を入れ、透明な液体の入った小さなガラス瓶を取り出した。それをテーブルに置き、トンと音を鳴らした。
「契約を解除させられたなら、どうします?」
カルヴィンを囁き声が包み込んだ。突然、凄まじく、恐ろしいものの存在に気がついた──一瞬にして獲得したのは激しい関心だった。倉庫内の静寂、霊薬の背後、頭上の世界の下に、その存在感は通り過ぎた──そしてそれは消えた。
そして、これまで何度もあったように、デルタは混乱に陥った。
「なんてこったカルヴィン、お前──」
「それは一体──」
「泉はとっくに干上がっている、奴らが抜ききって──」
「──関係ない、たとえ彼が──」
「知られている、知られている、我々は行き過ぎた、我々は──」
「──13の財団監督者達を抹殺させられる。」
「Summa Modus Operandiが果たされるようになる。」
コワルスキは書類の束に集中させる事の維持を諦め、むなしくそれを広げた。
「一体全体どうやってそんなものを手に入れた?」
カルヴィンは瓶をポケットに戻した。
「バングラデシュにある財団の倉庫を襲撃した時、私がインサージェンシーの資源を不正に使用していると言われた時、」
彼はコワルスキを横目で睨みつけた。
「我々はこれを探していたのです。確かにそこにはなかった。しかしこれは──」
彼は目線の高さまで瓶を持ち上げた。
「これは、手帳を見つけた時と同じ手法で見つけました。すなわち運です。」
シルヴェスターはゆっくりと頷いた。
「それが我々全員の想像しているものであれば、カルヴィン、お前は正しい。それがあればやれるだろう。」
彼は顎に生えた針金のような髭を撫でた。
「連中はお前がそれを持っている事を知っているか?」
カルヴィンは躊躇した。
「いえ。」
デスデモナは前に寄りかかった。
「ではあなたの作戦は?」
カルヴィンは手帳を前に出し、隣に瓶を設置した。
「これを使って、あの腐った連中を1人残らず見つけ出します──」
手帳に指を叩きつけた。
「まずは13番目、そこから順に。ひとたび奴らが地に堕ちれば、財団は統治力を失い崩壊します。その後欠片を片付け、そして監督者の消えた世界は癒される事でしょう。」
彼は後ろにもたれた。
「そして将来的に、あらゆる超常の脅威の消えた世界で我々は朝目覚められます。自由な選択のできる世界で、です。」
コワルスキは、カルヴィンの用意した書類を、今はゆっくりと、めくり続けていた。そしてある文章で止まり、顔をあげた。
「よし、納得した。我々の資源が限られている──もし君が、例えば、20年前に同じ事を試みたならば、我々はもっと君の事を支援できた事だろう。」
彼は指でテーブルを叩き始めた。
「もちろん、これまで君は手帳を持っていなかった。それこそが盤をひっくり返す鍵だったのだが。」
コワルスキは、仲間たちを見回した。
「さて、反対意見はあるか?やるとしたらやり切らなくてはならない──出し惜しみはナシだ。最初に言っておくと我々は大幅に不利だ、だがカルヴィンの言葉が本当なら少なくとも連中の度肝を抜くものを持っている、それは一要素になるだろう。」
彼は頷いた。
「皆賛成か?」
全員がユニゾンで答えた
「賛成。」
コワルスキはカルヴィンに振り返った。
「何が要る?」
現在
— - —

カルヴィンは3人の仲間を要求した──特化しており、経験のあるエージェントだ。理屈は筋が通っている。財団は巨大で、容赦のない機械だ。インサージェンシーの財産をぶつける事は失敗に終わり、これまでそのように失敗を繰り返してきた。インサージェンシーはこれまで財団に散々壊されて回復しておらず、派閥や分派の小競り合いの絶えない中でデルタによって辛うじて形を保たれてきたに過ぎなかった。そんな障害を無理に動かすのは壊滅的な結果をもたらす。
だが4人構成のグループなら、財団の全てを見通す監視の目を掻い潜るに十分小さなグループならば、上手くいく可能性がある。インサージェンシーには資源があった、少なくとも必要な場面で財団の目を逸らし、彼らを補強をするぶんには十分だった。しかしデルタははっきりしておいた──できる事に限りがあると。もしもデルタのサポートできる範囲を越えたならば、自分達だけで乗り越えなければならない。
1人はアンソニー・ライト、よく習熟した50代のイギリス系エージェントだ。彼は今まで授かった栄誉とほぼ同じ長さのキル・リストを保持する。デルタが権力を得た時、インサージェンシーは所詮ひとすくいの追い詰められ無秩序の理想主義者達に過ぎなかった──だが、その歴史の中で、アンソニーは理と方向を唱える声であり続けた。彼はインサージェンシーの従来の目的を見失わず、人々が忘れずにいる限りはその指標を示し続けた。デルタに空きがあると、彼がその席を取るだろうと思われてきたが、彼はいつもそれを拒否してきた。
2人目は女性、カルヴィンよりも僅かに若いが、そこまで離れていなかった。彼女はオリヴィア・トレス、しかし数年前までは異常コミュニティの中で有名なアナーティスト「アイボリー」として知られていた。彼女の作品はよく知られており、特に彼女が「故郷」と呼ぶスリーポートランドの中では大きかった。財団は長らく彼女をAWCY?サークルの一員であると信じ込み、しつこく付きまとってきた。ついに差し迫った時、彼女はインサージェンシーに逃げ込み全てをいちからやり直す事にした。
3人目はアダム・イヴァノフ、彼はデルタの意表を突いた人選だった。アダムは若く、経験も浅く、戦闘員ですらなかった。コンピューターについては秀でていた──神童ですらある──が、銃を持たせたなら役立たずより一歩マシに過ぎなかった。しかしカルヴィンは、断固として譲らなかった。彼は出会う前からアダムの事を知っていた。ここ数年、アダムをウクライナの分離主義団体から離しインサージェンシーの手元に来るよう行動を起こしてきた。
カルヴィンはアンソニーとオリヴィアと行動を取ってきた──数十年間の大半をアンソニーの傍らで訓練を受け、戦場に立ってきたし、オリヴィアは彼の左遷以前、よく襲撃作戦で共に戦った。どちらも喜んで彼の要求に応えた。しかしアダムは躊躇いがちだった。むろん納得いく理由はあった。それでも、カルヴィンは彼の隠れた気持ちを察した。アダムは少年時代を財団のDクラスとして過ごし、両親がウクライナの政治犯罪者であった事からSCP-610に割り当てられていた。財団の労働キャンプへの襲撃により彼を束縛の恐怖から解放し、アンソニー自身が連れ出してやった。若者が自分の恩人が今後所属する側にあると知った時、すぐさま要望に応えたのだ。
こうしてわずか3ヶ月後、彼らの乗る小さな船が南大西洋の荒波の中、静かな悪意をたたえて聳える鋸状の黒槍を目指し、波と格闘していった。その塔が見えてくる中、カルヴィンは船の舳先に立っていた。記憶補強剤が脳を焼くのが感じる。塔の異常性によりちらちらと光るのが見えた。疵だ、そう思った。
「何あれ?」
オリヴィアが横に立って話しかけるのが聞こえた。
「魔法、よね。認識災害かしら?」
「いや、認識災害じゃない。反ミームだ。財団がこれを建てたんじゃない。もっと違うものだ、ずっと昔にな。そしてこれを建てた理由となったものはとっくにないから、財団が使い回したってわけだ。」
彼は笑った。
「自分が入っているとすら気づいてない監獄からどう脱出するんだろうな?というか、俺たちの場合、地図にすらないものをどうやあって見つけるんだろうな?地図に載る事すらできないものをさ?」
オリヴィアは肩をすくめた。
「同じ事を考えていた。どうやってこの地点を見つけたの?」
カルヴィンは小さな青い手帳を取り出した。
「これは監督者とその在り方を何十年も調べた、誰かの個人手帳だ。」
手元で裏返し、また表紙に戻した。
「数年間、誰かがその正体に気づくまで、箱の中に収められていた。スキッター・マーシャルが見つけた時、とんでもないお宝にぶち当たったと気づいたというわけだ。」
「で、いくらしたの?」
カルヴィンは肩を竦めた。
「無料。盗んだからな。」
オリヴィアは頷き、塔へと視線を戻した。
「綺麗ね、それにしても。異界の美しさだわ。」
「そうだな。」
波が船の横を叩きつけ、彼らの前で凍える氷の泡のブランケットのようにせり上がった。カルヴィンは本能的にオリヴィアを庇った。オリヴィアは後ろに下がったが、笑顔を返した。
押し殺されて弱々しく鳴る霧笛の音が背後から聞こえた。カルヴィンは振り返り、急ぎ操舵室へと階段を駆け上った。そこでアンソニー・ライトが舵を力強く引いていた──合間合間に、口の端から垂れた太い葉巻から長く濃い煙を吐いていた。
「馬鹿げてるぜ、カルヴィン、」
アンソニーは乱暴に葉巻を噛みながら言った。
「上陸できる場所がねぇ。そもそもかれこれ16年は船なんざ乗っちゃいなかったんだぜ。これがお前の計画か?」
カルヴィンは塔を見て目を細めた。記憶補強剤の効果は長くない。しばらくすれば、塔を認識する事すら出来なくなるだろう。急がねば──一方で海は逆境となっていた。
「入り口は上の方だ、」
カルヴィンは、岩だらけの地表にある空間を指した。
「あそこまで行けそうか?」
アンソニーは彼を怒ったように一瞥した。
「何かしらは行けるだろうよ。そっから先は船が不要ならいいが。」
カルヴィンは彼の背中を叩いて満面の笑みを浮かべた。
「船ならいつだってたくさんあるよ。」
アンソニーは目を見開いて舵を回し、船を転換させた。
「次の回転で、ぶっこむぞ。連中にはしっかり掴まってるよう言ってこい、なにせ船をぶっ壊してくしかねえんだ。わかったな?船がぶっ壊れるぞ。」
カルヴィンは頷いた。
「よーし、んじゃいっちょぶっ壊すぜ。」
カルヴィンは階段を駆け下り、他の者達を探した。オリヴィアとアダムは通路にいた──アダムは吐きそうな顔をしていた。カルヴィンは2人を掴み、厨房に引き摺り込んで柱に掴まらせた。
「ここでしっかり掴まってろ!」
身を翻し、上に戻った──ちょうど船が巨大な波に雷鳴の衝撃で叩きつけられた。船全体は大きく傾き、上下、そして前へと揺れた。その一瞬、カルヴィンは自分の胃袋が喉から飛び出そうな気分になり、歯を食いしばって押し戻した。階段の上に辿り着いた頃には、船体は悲鳴をあげていた。鉄と木材が荒々しく無慈悲な岸壁に擦り付けられた。
船体は何度か無様な軋みを鳴らして弾け、そして止まった。カルヴィンはデッキに転げ出た。船全体が見事に塔の入り口へと「入港」していた。背後では、海が引き続き唸っていた。
カルヴィンの背後で最初に這い出たのはアダムだった。しかし彼は単に胃の中の物を柵の向こうに吐き出したかっただけだった。
アンソニー──奇跡的に全く濡れていなかった──は、アダムを通り過ぎ、錨を下ろして横に投げ込んだ。ゴツンと鈍く、金属的な音を立ててそれは乾いた岩に落ちた。
「陸だぞー。」
彼は言った。
アダムは口元の残りカスを袖で拭った。
「イかれてる、まじ頭おかしいって。こんなのおかしいって。僕、かろうじて…ウップ…ここにいるとなんか気持ち悪い。」
彼は立とうとしたが、後ろによろめいた。
「あんたら、年寄り達はさ、もう先が見えてんじゃん。僕はまだ人生先が長いんだよ、だってのに山の横に突貫とか。ああ思いやりがあるねぇ。」
彼はまた柵に戻って嘔吐した。
カルヴィンはアダムの背中を叩いた。
「落ち着きなって、アダム。お前はここでオリヴィアとアンソニーと残れ。俺1人で行く。」
アンソニーに振り返った。
「誰もついて来させるなよ。」
アンソニーは頷いた。
「俺の言った事を忘れんなよ。奴らの言葉に耳を貸すな。奴らは何でも言ってくる──歯の隙間から嘘を垂れ流す。気をつけろよ。」
カルヴィンは先輩の背中を叩いて改めて保証した。
「勿論だ。お前の力が──お前達全員の力が──必要になる。でもここは…俺1人でやれる。」
カルヴィンは柵を飛び越え、岩の上に着地した。入り口はトンネル上に細まっていた。彼は暗闇に続く道を辿った。
40メートルほどで、貨物エレベーターにたどり着いた。まだ遠くに海の唸りが滑らかな岩を反響するのが聞こえた。微かな光の中、カルヴィンは辛うじて岩の深く狭い切り口を抜け出した──まるで裂傷だ。鉄格子をこじ開け、中に入ってボタンを叩いた。動き出す前に、ふと入口がまるで塔に切り込まれたよりも、叩き込まれたようだと思った。
降下がどのぐらい続いたかはわからなかった。数分して、シャフトの滑らかな金属が岩肌に変わった。エレベーターの中は寒くなっていった。下で何かが微かに脈打つ音さえ聞こえてきた。カルヴィンはポケットに手を伸ばし、瓶がたしかにそこにある事を再確認した。
エレベーターは止まった。籠は震え、そして──唸りとともに──ゲートが開いた。エメラルド色に燃える松明が煙もなく照らす巨大なチャンバーに着いた。壁は古代の文字を刻み込まれ、大口を開けた暗闇へと螺旋を描いていた──足元に大口を開けた暗闇と、同じ闇だ。それと彼の間には何者もなかった──エレベーターと、そこから伸びる、鋼鉄の、節の別れた通路を除いて。
通路はチャンバーの中央へと伸びていた。そこではわ、穴から岩の柱が伸びていた。カルヴィンが踏み出した時、小石がブーツの端で弾き飛ばされ、穴へと落ちた。着地音をしばらく待った。
2分ほど待って、待つのをやめた。
深遠にかかる通路を渡った。足音のみが唯一の音だった──下から聞こえる鼓動を除けば。高座に近づくにつれ、その所有者がぽつんと存在するのが見えた。小さな、平凡な金属の折りたたみ椅子に座し、細い金の鎖で縛りつけられたそれは、人間の死体だった。
カルヴィンは声を出そうと口を開いたが、突然響いた音に遮られた。ガタガタと無機質な──おぞましく、空虚な音だ。空間をコーラスのように満たし、壁に反響した。それは笑い声だった。嘲笑だった。
死体に近づき、観察した。腐って空っぽの眼窩だけの眼。だというのに、凄まじい威圧感を伴って睨みつけていた。覚えのある悪寒を覚えた──そして突然、鼓動は止んだ。
「来客か。」
死体の口は動かなかった。にも関わらず、声はまるで墓の底から漂う風のように響いた。
「妙だな。あまり来客はないのだが。」
カルヴィンは躊躇した。
「あんたがO5-13だな?」
ひどく不快な笑い声がまた流れ出た。
「ある意味ではな。この体はかつてはフェリックス・カーター博士──干渉者のものだった。彼が13番目だった。私はここに宿る、彼のこの地位に。」
カルヴィンは頷いた。
「つまり肯定だな、うん。よし──語らおうじゃないか。俺はあんたとの契約を改めて交渉したい。」
視界に何かが過ぎった。果てしない死体の野──炎、血。赤い恐怖の行進、そして上から眺める静かな影。カルヴィンは首を振り、光景を払った。振り返ると、まるで死体が笑っているようだった。
「ここでお前に権限などありはしないよ、カルヴィン・ルシエン。」
カルヴィンは驚愕に一歩下がった。
「ああ、お前の名前を知っている。お前は契約を交わした13人に含まれない。お前では契約を断ち切る事はできない。」
カルヴィンは気を落ち着けた。
「そうだな。だが良ければ、どうか話を聞いてほしい。あんたの契約──内約はなんだ?何を約束した?」
死体の中のどこかで、何かが唸った。
「よろしい。死にゆく者の機嫌取りに危害はなし。契約は13人を運命の手から逃す事だ。永遠に尽きぬ命だ。」
「奴らはすでに若さの泉を所持していた。何故あんたを必要とした?」
「泉は乾いてしまった。あったとしても、彼らは私からは逃れられない、ただ離れるだけだった。彼らが死にゆき始めた時、1番目が私に取引を持ちかけてきた。私は手を引く事を約束した──彼らの円卓の席と引き換えに。」
腐った声は再び笑った。
「単純な取引だ。」
カルヴィンは死体の後ろに歩み寄った。自分たちを包みこむ、壁に刻まれた印を目で辿っていった。
「それで契約の一部として、この男を差し出したと?男の命を?」
「いや、彼の命も保証された。契約の内としてな。彼らはこの男の体を私によこした。彼は永遠に死の淵を彷徨う──心は死の寸前のこの上ない絶頂に捧げられたのだ。」
カルヴィンは首を横に傾けた。
「死んでいないのか?」
死体は嘲笑った。
「死んでいない。」
カルヴィンはポケットから瓶を取り出し、コルクを外した。
「よろしい。んじゃ飲めよ、クソッタレ枯れ木ジジィ。」
背後から死体に手を伸ばし、顎を掴んだ。軽く握っただけで口をこじ開ける事ができた。そしてもう片方の手で、瓶の中身を喉奥に注ぎ込んだ──一滴も落とさぬようにしっかりと。瓶が空になって、彼はその顔を離し正面に立った。
「なんだ今のは?」
声が囁いた。
「どこで手に入れたのだ?どうやって──」
変化は一瞬だった。死体の顔に色彩が戻った──血が全身を駆け巡ったのだ。ピンク色の細胞が皮膚の剥がれた空隙を埋め尽くした。白く潤んだ隆起が眼窩で膨れた。痩せ衰えた胴体が痙攣し、膨らんだ──死体は突然上に大きく跳ね、共に喘ぐような、咽ぶような息をした。長い時をかけて溜まった埃を肺から迫り出す為に、激しく痛々しく咳き込みながら痙攣した。両腕が椅子を掴む為に下に伸びた。
わずか1分の時間で、死体は裸の男にかわった。引きつけが収まってきた。男の眼は──ヘーゼルゴールドで、今は恐怖に満ちている──素早く前後した。
「何をした?」
男は叫んだ。長らく発せられなかった声は掠れていた。
「何をした!?」
暗く銀色の物体が、男の眼、鼻、口から滲み出た。煙のようだが、もっと濃い。空中で雲のようにゆらめいた。男はその煙に目を剥いて、混乱した獣のように叫んだ。
「待ってくれ!置いていかないでくれ!置いていかないでくれ、置いて──」
カルヴィンは銃を男に向け、トリガーを引いた。1発はこめかみに。もう1発を心臓に叩き込んだ。
フェリックス・カーター博士はガクンと動き、最後の息を吸った。体は椅子にもたれ、頭は後ろに倒れた。頭上の暗闇を見つめていた。
カルヴィンは折りたたみ椅子の背もたれを掴み、高座の端へと引きずった。そして足で強めに押し、椅子を──人を乗せたまま──穴へと落とした。鎖が軽く鳴って──その後、無となった。
カルヴィンはまたその存在を感じた。振り返ると傍に、暗闇の中を佇む銀色の女性を見つけた。彼女は深淵を見つめていた。その目は、どこか悲しげだった。
「13番目の生者の体か。」
彼女は呟いた。
「契約は無効だ。私は義務から解放された。」
カルヴィンは息を飲み、頷いた。
「残りの12人に死の危難が待つ時、あんたはもうその手を引く事はないか?」
「しない。」
彼女は穴から目を離さなかった。
「死ぬに任せる。」
カルヴィンはため息をついた。
「よろしい。十分だ。」
エレベーターに振り返り、一歩踏み出した。そこで何かが彼を踏み留まらせた。青ざめた影を見返し、追加で聞きたい事について少し迷った。
「何故止めなかった?あんたにはその力も権限もある。何故ただ立ち尽くして何もしなかった?」
ついに彼女は振り返り、彼を注視した。カルヴィンは膨れ上がるような、圧倒的な孤独──哀愁──が押し寄せるのを感じた。
「評議会の心臓部にて、何かが膿んでいる。死なない何かだ。私は、もし彼らの円卓の席についたならば、それを見つけ出し、死なせられるのではないかと思った。だができなかった。この世には、私の手も及ばぬものもあるのだ、カルヴィン・ルシエン。」
彼女は穴へと視線を戻した。
「もしかしたらお前ならうまくやれるかもしれない。しないかもしれない。」
デルタコマンドは新たな船を送り、彼らを迎えにきてくれた。搭乗間も無く、デスデモナがカルヴィンに駆け寄り、ブリーフィングを渡した。
「トラブルでもあった?」
彼女は聞いてきた。
カルヴィンは首を振った。
「ここに来る時と、入る時かな。」
彼は塔のあった場所へと振り向いた。
「もう何も見えない。まるで何もなかったようで、それでも…」
ポケットに手を伸ばし、手帳を取り出した。
「こいつは、10年も前から知っていたんだな。」
デスデモナは笑った。
「そうね。まあ、その謎めいたエージェントにはやりたい事があったようね。ちょうど我々が貴方を必要とするように。計画は動き出したわ、カルヴィン。皆貴方の務めに任せるわ。」
彼女は頷き、今はなき塔へと向いた。
「運が良ければ、残りもこのくらい単純にいけるかもね。」
カルヴィンは笑って首を振った。
「そうはいかないだろうよ。今回は連中が見てない好きにひと舐めしたが、次はサプライズというわけにはいかないよ。」