フライ・ディ・イン・リトルメキシコ
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 新宿の歌舞伎町、大阪のミナミ。そして、金城外国人街。これが日本の三代歓楽街だ。メキシコ大通り、南京大路、そしてロサンゼルス大通りに囲まれたその街がほんとうの意味で目を覚ますのは、日も沈み始める午後の六時である。
 メキシコの詩人として、この場所には大きく注目していた。名古屋市とメキシコシティが姉妹都市であることは周知の事実ではあるが、ここはメキシコと日本というまったく異なる文化が唯一交わる場所である。
 さっそくであるが、詩を一編詠ませていただく。

ネオンサインの輪はあなたを天使にする
聖なる死とのひととき
私は天使と踊る
天が遣わせた死と


リコ・カストロ著『詩集: ナゴヤリトルメキシコ』 序文 (2008)

[2010/11/8 06:24]

 二日酔いのネットリした空気が残るメキシコ居酒屋「バカ! アホ! ヤー!1」の中には、客がまばらにいた。前日に飲みすぎたメキシコ系日本人の港湾労働者は梅粥をすすり、これから仕事が始まるであろうサラリーマンは景気づけにニンニクを効かせたカルネアサダ2を貪っている。
 こんな気だるげな空気に飲み込まれないように、注意深く店内を観察しながらカモミール茶片手にスペイン語で話す男と女がいた。

「あとちょっとが埋まらねえんだよな。俺たちの今月のノルマまで」
「このままだとまた財務の連中にどつかれちゃう」
「だが見てみろ、この店内」

 大小差があれど、店内の人間の目には疲れが浮かんでいた。港湾労働者はもちろんのことながら、こんな朝っぱらからタコスをがっつかなければいけないサラリーマンのストレスも、推して知るべしだ。

「これにつけこめばいいってわけ?」
「ああ。それでノルマ達成。晴れておれたちも昇進」
「でもここでビズはするなってお達しがあったよね」

 男は呆れた様子でマグカップを持ち上げ、中身を一気に飲んだ。カモミールのしずくが、男の口の端からベタついたテーブルに落ちる。

「関係ねえ。中立地帯になったとか知らねえよ。この街では夢が叶うんだろ。叶えるチャンスが目の前にあるってのに」
「……でも、叶えた奴から死んでいくって話もあるじゃない。私は嫌よ」
「死んだらそこまでってことだ。さあいくぞ」

 女も茶を喉の奥に流し込んだ。彼女は店内を観察する。港湾労働者とサラリーマンはもういない。かわりに、疲れ切った二人組の女がコロナ・ビールを片手にチチャロン3をつまんでいる姿が見えた。
 片方は二〇代、もう片方は四〇代。親子だろうか。その二人を囲むようにして、隣の席に陣取った。

「サンタ・ムエルテの舎利あるよ。興味?」

 男が精一杯の日本語で言った。その二人の女は同時に顔を上げ、ギロリとその男を睨んだ。


[2010/11/5 15:37]
 二人の女。大澤帥香と鬼弦千世。大澤はポルノ・スターがごとき肢体をパンツルックのスーツで包んでいる四十代、鬼弦は赤と黒のチェックシャツにショートパンツ、サイハイソックスと革のブーツを着込んでいる二〇代。鬼弦の首元には「悪い女」のタトゥーが太めの明朝体で彫られていた。
 名古屋の道は広い。広い道を、様々なドライバーが思い思いに走っていた。二人が乗るタクシーは粛々と進んでいく。ぷしゅっ、と炭酸の抜ける音がする。車内に甘くてスパイシーな香りが広がった。鬼弦がコカ・コーラを開けたのだ。

「……コーラの味って国ごとに違うらしいよ」
「そうなんですか? 帥香さん」

 ペットボトルの口を咥え、喉奥に流し込む。コーラの味はどこも変わらないと思っていた。元いた日本と、この日本のコーラの味はそっくりなのだ。

「そう。その国の料理の傾向に合わせて作ってあるらしいわ。じゃあ、一番うまいのはどこだと思う?」
「アメリカじゃないんです? 本家本元なんだから」
「違うわ。実はメキシコなの」

 大澤帥香が鬼弦に体を寄せて耳打ちをした。女ながらも羨むほどのスタイルに距離を詰められれば、秘め事を暴露されているかのような気分になる。鬼弦の視界の端で、大澤の結婚指輪がキラリと輝いた。

「理由、知ってる?」
「さあ……使ってる砂糖がいいとかァ?」
「うん、正解! よくわかったねえ! メキシコのコーラはサトウキビの砂糖を使ってるけど、アメリカのは異性化液糖なの」

 鬼弦はコーラを飲む。記憶の中にあるコーラの味とまったく同じだった。
 二人はこの世界の人間ではない。この財団のない世界の調査をするために、別の世界の財団から送り込まれたエージェントである。

「でも、このコーラは私の知ってるコーラですよ」
「だって、世界が違ってもここは日本でしょ? コーラの味も同じになるわよ」

 タイヤノイズに携帯の着信音が混ざる。大澤のiPhone 4が鳴ったのだ。

「もしもし? 第四営業部第四班の星川さん? あらま。熱が出たの? ちょっと今出張先で手が離せないのよ。えっと、いま向こうにいるのって第三営業部第三班とうちの部長嘉瀬よね? わかったわ。申し訳ないけど部長に行ってもらいましょう」
 保育園からの電話だった。どうやら子どもが熱を出したらしい。大澤は二児の母であった。

「大変ですねえ、ビッグママ」
「……そんなこと言ってられるのもいまのうちよ。今日からはあなたの実地試験」

 大澤は鬼弦の首元に刻まれている「悪い女」の文字を見て、呆れ気味に言った。「良いじゃないですか。これもセルフプロデュースってやつです」「何をプロデュースしてるのかってのは気になるところね」

 名東区から出たタクシーが熱田神宮の横を抜け、のっぺりとした工場が立ち並ぶエリアも抜けると、凡庸な数階建ての建物にカラフルな看板や色鮮やかな植物のテクスチャだけがのっぺりと貼り付けられたストリートに出る。タクシーが路傍で止まる。

「お姉さんがた、本当にこんなところに来て大丈夫なんですか」

 タクシーの運転手が心配そうな表情を浮かべた。彼がこの質問をするのはすでに四回目だった。

「大丈夫です。今は休日の昼でしょう? さすがに治安もそこまで悪くはないはず」
「とはいっても、ここはリトルメキシコですよ。何が起こるかわかったもんじゃない」

 なおも心配げな運転手に、大澤がまとめて支払いを済ませて、二人は街中に繰り出した。

 現在時刻は午後四時少し前。片道三車線のだだっ広い道の片側には工場、もう片側にはびっしりと低層ビルが詰まっている。そのビルたちの間を通る人通りはまばらである。この街はまだ眠っている。

「やっぱり、私はこんなところ知らないわ」
「……アタシもですよ」

 こんなところは、二人の世界には存在しない。本当ならばポートメッセなごやが大部分を占めているはずの場所なのだ。ここは高度経済成長期に埋め立てられたこの金城ふ頭に、出稼ぎにやってきた外国人が作った場所だという。最初は戦後の闇市のごとくバラック小屋が並んでいたが、ある時期を境に再開発の手が入り、低層ビルの群れに作り替えられた。この場所の治安が悪化したのも、その時期からである。

 ビルの隙間を埋めるようにして、所狭しと店が出ている。クミンシード、コリアンダー、クローブなどの王道系スパイスから、悪魔の糞と大仰な名を戴くもの、よくわからない乾いた草なども売っている。店主の方を見れば、当たり前とでも言いたげな顔でジョイントをふかしていた。タバコの香りではなかった。

「これ、ペヨーテ幻覚サボテンじゃないですか?」
「……多分そうね。植物自体は合法とはいえ、ここまで大々的に売られているとは」
「冷やかしなら帰ってね」

 店番の男に話しかけられてしまった。鬼弦は笑顔を作る。少し怖いけれど、「悪い女」のタトゥーが勇気をくれる。このタトゥーのおかげで、財団主催の全国射撃コンペで優勝だってできた。大丈夫、少しおかしい場所だけど、これはいつもの仕事に違いないわ。心のなかで唱える。

「あら、ごめんなさいね。じゃあ、このワヒージョ、アンチョ、アルボルと、アボカドの葉をいただける?」
「……羊肉の唐辛子煮込み作るならパシーヤもあったほうがうまいよ……あとおれはローリエのが好きだね」

 何種類かの乾燥唐辛子の名を挙げてみれば、店番の男の態度も少し柔らかくなる。世界が違っても人は人なのだ。

「あら。じゃあそれも!」
「はいまいど」

 変わらずジョイントをふかせながら、店番の男は手早くスパイスを袋に詰めた。なにやら緑の塊も一緒に。思わず天を仰いでしまう。視界に入ったのは黄色のサンタ・ムエルテ。横浜中華街の店がレジ上に関羽を置いているのと同じで、リトルメキシコの店はレジ上に黄色のサンタ・ムエルテを置いているのだ。

「全部で八〇〇円。ペヨーテもおまけしといたよ。巻いて吸ってね」
「……あ、あざっす」

 少し顔をひきつらせながら、店から離れていく。大澤のほうを見てみれば、余裕ありげな笑みを浮かべていた。

「よくやったじゃない。グッド・ジョブよ」
「当たり前ですよお。仕事なんですから」
「でもこれは没収」

 袋の中からペヨーテを持っていかれる。吸えばLSDに似た感じでトリップできるらしい。言うまでもないことであるが、鬼弦は試したことがなかった。

 日本人は名前を重視する民族だ。中華街といえば誰も彼もが中国の飾りを身につけていたり、点心を食べ歩きしたりしているし、歌舞伎町といえば傾奇者が集まる場所に違いない。その例に漏れず、メキシコ大通りでは当然のごとく(合法違法に関わらず)薬物の取引が行われているのだ。
 時刻は午後五時を回ろうとしていた。太陽が沈むと、リトルメキシコは昼間とは違う姿を見せる。カラフルな看板に、同じようにカラフルなネオンが灯る。赤と緑の光は、ここが年中クリスマスだとでも言いたげだ。人も増える。表通り  すなわちメキシコ大通り、ロサンゼルス大通り、南京大路には港湾労働者や工場労働者の人のみならず、名古屋市街から飲みにやってきた普通のサラリーマンもいる。しかし、一度裏路地に入ってしまえば、立ちんぼやドラッグの売人などが立ち並んでいるのだ。誰も彼もが一度は夢を追いかけて、そして破れている。
 鬼弦と大澤はとりあえず近くのホテルにチェックインをして、夜のリトルメキシコに一歩踏み出した。

 名古屋といえど、十一月には冷え込んでくる。冬の足音が聞こえているにも関わらず、リトルメキシコの裏路地には、やけに薄着で露出度の高い女が何人も立っていた。よく見てみれば、わずかながら男も立っている。

「新宿のあたりとは違って、けっこう小綺麗な見た目ね」
「……そういう物言い、どうかと思いますよぉ」

 ふと、路地の奥からなにかの気配を感じる。見られている。品定めされるような視線は、決して心地よいものではない。薄暗がりの中から現れたのは、黒スーツ姿の男だった。隈が深い以外は比較的に健康そうに見えるが、ねっとりとした視線を鬼弦と大澤に向けている。

「一晩いくらだよ」
「そういうのはやってないよ」

 男の問いかけに、鬼弦は食い気味に答えた。男は苛立ちを見せる。

「ちげえよ、お前の方じゃねえよクソガキ。でけえ方だよ」

 大澤は無言、無表情だ。対応を鬼弦に丸投げしている。クソガキとは失礼な。私は二十二歳で、ちゃんとした大人だ。心のなかで文句をいいつつも、表情には一切出さない。感情抑制の訓練の厳しさを思い出す。

「アタシはそうじゃありません」
「いいじゃねえかよ。メスもあるぜ」
「メス?」
「メタンフェタミン」

 鬼弦が男の言葉の意味を取りかねて聞き返すと、大澤が耳打ちをしてくれる。この男はヤクの売人なのだろうか。もしそうならば、絡まれるのは少し面倒だ。

「もっとよく観察しなさい」

 大澤に再び耳打ちされる。私が班長をやっている”Dawnbringer”の第二班は情報担当だ。鬼弦自身は戦闘職上がりではあるが、様々な手段  暴力を含む  を用いた交渉術から、房中術の類、それに各種のコールド・リーディングやプロファイリングの訓練を受けている。観察。鬼弦は心のなかで大澤の言葉を繰り返した。
 男はアジア人で、三十代後半に見える。健康そうな風体から、薬物乱用者ではないだろうことがわかる。スークの色は地味だが、よく見るとかなり細い糸を使っており、生地は色とりどりのネオンサインの光を反射してきらめいていた。襟のステッチや、本切羽の袖からも、作りがそれなりに良いことがわかる。最低でも八万はするであろうスーツだ。不自然な姿勢の崩れは、どこかに拳銃でも仕込んでいる証だろうか。隈は深く、目もギラついている。日頃の疲れか、ストレスだろう。少し前まで彼の目には知的な光が灯っていたに違いない。そして、いくらリトルメキシコだろうと、メタンフェタミンの入手が容易いとは思えない。実際、通行人がやっているドラッグを見ても、大麻が関の山だ。つまりは事情持ちだ。この男は薬物へのアクセスがしやすい場所にいる。そうでありながらも、薬物を常用しているわけではない。つまりは、何らかの組織のそれなりの立場にいて、半ばヤケになってしまうようなことがあったということになる。

「……まあ、話くらいなら聞いてあげるよ」


[2010/11/5 18:34]

 金城外国人街のメキシコ大通り側はリトルメキシコであり、南京大路側は中華街となっている。二つの通りをつなぐロサンゼルス大通りにはメキシコ料理店と中華料理店が入り混じり、Chino-Mexともいわれる独特なスタイルを確立している。そんな中でも、名古屋料理との高い調和を見せている有名居酒屋である「バカ! アホ! ヤー!」に三人は来ていた。それなりに並んではいたが、店員が男の顔を見た瞬間、人が一人通れるかどうかの廊下を抜けて、奥の方の個室席に通された。

「まあ、お疲れのようですし  

 男の表情が少し尖った。見逃すわけにはいかない。いたるところに黄金色があしらわれている、赤と緑と黒でギラギラした内装がやけに目に刺さる。

「ええと、おすすめはなんですか?」
「……青岛啤酒青島ビールとダック・タコスにサルサ・ハッチョ4だ」

 それはうまいのか? という疑問が湧いたが、現地民が言うなら間違いないだろう。日本人ではなさそうだが、日本での生活歴は長そうだ。味覚がそう違うということもあるまい。男は「構わんな?」と言って、タバコを取り出した。缶入りの両切りピースだ。彼は淀みのない手付きで火をつけて、一服した。
 繁華街の中だと、たばこ店は五十メートルおきに一軒しかないし、開業の手続きも面倒であり、タバコそのものにも税金がかかる。しかし、ペヨーテや大麻には消費税しかかからない上、ほとんどすべての店で売られているのである。需要もタバコより多いので、大量に生産して大量に売られているのだ。質に目を瞑れば、タバコより安く手に入るものさえある。
 店員が注文を取りにやってきた。とりあえずダック・タコスにサルサ・ハッチョを三人前と、コーラ一つに青島二つ。コーラは大澤帥香のぶんだ。

「あんた、飲めねえのか」
「子供が出来てから酒はきっぱりやめたの」

 男はちらりと大澤の左手に目をやった。彼は一瞬申し訳無さそうな顔を見せて、ビールを呷る。

「……そうか、すまねえな。暗かったもんで、よく見えなかった  おれはシャオ・ユンだ。あー、一応、黄赤幇の流通部長だ。あんたらもカタギにはみえねえが……」
「まあ、部分的に正解ね」

 大澤が答える。黄赤幇とは中国系のヤクザであり、メキシコ系ヤクザである黒墨會と双璧をなして金城外国人街を支配していることはあまりにも有名だ。

「我々はサリヴァン・コロンボー・アンド・プロファチー・ファミリー。アメリカ系よ。営業部からの出向で、ここを調べに来たの。私は副本部長の大澤帥香で、こっちが第二営業部長の鬼弦千世」
「よろしくねえ、ユンさん」

 まるっきりの嘘ではない。元の世界では、アメリカの五大犯罪ファミリーのうちの一つを買っていた。裏社会とのコネクションを持つためだ。世界の壁を超えても、財団は財団だ。切れるカードはこっちのほうが多い。早くも交渉とは名ばかりのパワー・ゲームの予感がしていた。

「だろうな、そんな気がしていたぜ。ああ、クソ。とんでもねえことになっちまった……」

 ユンはうなだれた。タバコの煙が所在なさげにあたりを漂った。
 


[2010/11/5 18:42]

 薄いコーントルティーヤに包まれたアヒルの皮がライトを反射して、魅惑的な光を放つ。甘辛く味付けされたサルサ・ハッチョを塗る。待ちきれずに口の中に放り込めば、とうもろこしの香ばしさに、パリパリを超えてサクサクのアヒル皮、ジューシーな肉と甘辛いサルサ・ハッチョの相性は抜群だ。

「本場の北京ダックは薄い春巻きみたいなもんに包んで食うんだ。コーントルティーヤで包んでもうまいに決まってる」
「へえ! 確かにこれはうまいですねえ」


 空になった皿も片付けられて、机の上には三杯のお茶が並んでいた。福建省の龍井村なるところで生産されたものらしい。かなり濃く淹れられているようだ。恐る恐る舐めてみれば、苦味に驚くが、それよりも豊かな香りに驚かされる。

「さて、本題に入ろう。あんたらはここを調べて、何がしたい?」
「そうやすやすと教えられるわけがないじゃない」

 大澤が答える。やすやすと教えられないのは、まだ何をするかも決まっていないからだ。嘘のような事実、事実のような嘘、そして嘘のような嘘。交渉における最低限のカードとは、この三つであると口酸っぱく教えられた。
 鬼弦はスマホを取り出して、後ろ手で長野に駐屯している本部にメールを飛ばす。「カバー: サリヴァン・コロンボー・アンド・プロファチーを使用。第一班デプロイの可能性あり。準備せよ」

「アタシが見た感じですけどォ、この金城外国人街って警察あんまりいないんですねえ」
「ああ。マッポの連中もやすやす手出しはできねえ。俺たち黄赤幇と黒墨會を合わせれば奴らがここに割けるくらいの武力は余裕で超える」
「ふゥ~ん……」
「今のおれたちの戦力はカスだがな。ここだっていつ襲われるかわかったもんじゃねえ」

 どうやら、ここには独自の秩序が息づいているらしい。財団の足がかりとするには悪くないのではないだろうか。首が挿げ代わっても大した差はないのではないだろうか。しかし、元の世界でやっていたようなパワープレイは出来ない。総合力は間違いなくこちらの方が上だが、それを十分に発揮できる環境が整っていない。
 今、我々がデプロイできる戦力は一個分隊に毛が生えた程度。情報の優位性もない。唯一のアドバンテージは、他人の記憶と認識を少しだけ操れるという点だ。

「じゃあ、ユンさんが今日本当は何をしようとしてたんですか?」

 鬼弦の質問に答える前に、ユンは茶を舐めるように飲んだ。ユンは苦々しい表情を浮かべた。茶がまずいというわけではなかったようだ。

「ああー、その。すこしヤケになってたんだ」
「ヤケに? あなたのような立場の人がヤケになるって、かなりヤバいことでもあったんですか?」
「……このゴタゴタには関係ないだろうからゲロっちまうが、営業と経理を廃人にされて、おれの部下もほとんど丸ごと黒墨會に引っこ抜かれた。それでテキトーな立ちんぼとヤッて、もろともってわけだ」

 ユンは懐から拳銃を取り出した。ほとんど新品のグロック17だ。拳銃程度では驚きを感じなくなった自らに失望を覚えつつ、鬼弦は大澤と目を合わせた。大澤は頷いた。

「もしかすると、助けになれるかも」
「……へえ、あのコロンボー=プロファチー・ファミリーが。裏を取らせてもらっても?」
「……ええ。アメリカのデスクに繋ぎます」

 まずは長野に用意した電話番号に繋いで、そこから世界を超えての通信を試みる。世界間時差はない。アメリカに繋がったら、そのまま電話をユンに手渡す。彼は二言三言会話をして、スマホを鬼弦に返した。

「すまんな。今の今まで疑ってたんだが、どうやらマジっぽいな」
「納得してくれたようでなにより」

 ユンは顔に安堵の色を浮かべた。とりあえず、山は超えた。


「これが問題のブツだ」

 ユンがそう言って取り出したのは、極小のプラ袋に入った白い塊だ。水酸化ナトリウムのペレットのようにも、骨の破片のようにも見える。

「サンタ・ムエルテの舎利。大体二年前から金城に出回りだして、そこから急速にシェアを伸ばしていきやがった」

 黄赤幇もサーバールームに偽装した大麻栽培室や、自家醸造クラフトビールバーに併設された覚醒剤精製所を金城外国人街の中に持っているらしい。しかし、最近では違法な稼ぎよりも合法の稼ぎのほうが多くなってしまっているとのことだ。

「聞いたことないか? ここでは夢が叶うって噂。あれはサンタ・ムエルテに魂を売るから夢が叶うんだ。叶えた奴から、次々に死んでいく。おれ以外の幹部は全員それをヤッたツケをいま払わされたってことか」

 ユンはサンタ・ムエルテの舎利を一粒飲んだ。ユンの存在感が少し増したような気がする。彼は十円玉を取り出した。コイントスをする。コインは机に落ちる。表にも裏にもならず、コインが立つ。それを五回繰り返す。五回ともコインが立った。六回目でようやく表が出る。
 サンタ・ムエルテ。聖なる死、あるいは死の聖母。メキシコの土着聖人だ。アステカ神話時代の死に対する信仰がキリスト教と習合して形を持ったものである。どんな願いも叶えてしまうという。

「大澤さん、異常ですか」

 鬼弦は小声で聞いた。大澤はいつもの微笑を浮かべているだけだった。そして、その笑みも消えて真顔に戻っていく。

「なんだよ、異常って。お前らがなんか決めるのか?」
「いえ、こちらの話です」

 異常ならば、収容しなければならない。それが財団だからだ。少なくとも、鬼弦はそうあれと教えられた。そして、それで世界が順調に回っているならば、それでいいとも思う。

「で、どうする」
「……手っ取り早いのは、暴力です。暴力はすべてを一旦解決します」
「マジで言ってるのか、おまえ」

 しかし、それは一過性の解決に過ぎない。暴力で解決させたあとは、腰を据えて話す必要がある。
 にわかに店の入口が騒がしくなる。スペイン語と中国語の入り混じった罵声、皿の割れる音。爆音、悲鳴。余裕そうな表情を浮かべている大澤とは反対に、ユンはそれ見たことかとでも言いたげに頭を抱えていた。

「畜生、思ったよりも奴ら早えな」

 ユンがつぶやき終わるか否やといった瞬間、店員が部屋に飛び込んできた。「早くお逃  」言葉を言い終わる間もなく、彼は頭から血を噴いて倒れる。暴力で解決するということは、暴力で解決されてしまうかもしれないということだ。

「あの店員、やらかしちゃったわね。あとは任せたよ。鬼弦千世。射撃コンペ優勝の力を見せなさい」

 言われなくとも、と鬼弦は思った。店員は真っ先にここへと飛び込んだのだろうか。それではここに重要人物がいると言っているようなものだ。VR訓練の成績は優秀であるが、鬼弦に実戦経験はない。正直怖い。しかし、「悪い女」のタトゥーが勇気をくれる。鬼弦はノイズキャンセル機能付きのイヤホンを着けた。財団謹製だ。
 

「帥香さんは応援要請をお願いします」

 鬼弦は決断的に言い放った。重苦しい足音が聞こえる。机においてあったグロックを掴み、音のする方に三発撃つ。イヤホンは銃声のみをキャンセルする。静寂。人が倒れる音は聞こえない。机をひっくり返して遮蔽物にしつつ、前転を決めて廊下に躍り出る。脚を怪我したメキシコ人の男が、一瞬前まで鬼弦がいた場所を撃っていた。銃はMP7  貫通力に優れたサブマシンガンだ。それなりの防護もしてあるから、胴体を撃っても致命傷にはなりにくい。息を吸う。拳銃の重さを感じる。狙いをつける。そして、撃つ。男はこめかみに小さな穴を開けて、倒れた。

「げえ。グレネードなんか持ってきてやがるよ。こいつらここを吹き飛ばすつもりィ?」

 財団の機動部隊員は、感情抑制ミームの接種を義務付けられている。戦闘状態になった時に、迷わずに撃つためだ。戦いの場においては、迷えば死ぬ。鬼弦は口酸っぱく教えられていた。
 鬼弦はシャツの中に手を突っ込んで、ブラジャーに仕込んでおいたワイヤーを取り外した。それを手榴弾のピンと壁に空いた穴に結びつけて、簡単ながらもブービートラップを作った。もちろん、大澤とユンがいる部屋からは十分な距離を置いている。

「いいですか? 二人とも、絶ッ対に! 部屋から出ないでくださいね!」

 大澤はひらひらと手を振っていた。いつもの曖昧な笑顔を浮かべて、彼女は「がんばってね~」と言った。鬼弦は息絶えたメキシコ人から装備を剥ぎ取り、身につける。少しサイズが大きいが、使えないことはない。ユンは唖然としていた。アメリカ系ともあれば、銃の扱いをここまでのレベルで訓練してもらえるのか。資本主義の無情に驚きながらも、極めて冷静を装ってタバコに火をつけた。
 鬼弦は迷いのない足取りで廊下を突き進む。突き当りで曲がり、出くわしたメキシコ人を撃ち倒す。メインのホールに差し掛かったあたりで、敵の増援が来た。素早くキッチンに飛び込む。スマホのインカメラをオンにして、メキシコ人たちを観察する。装備の質はたしかに良いが、人の質は良くない。急ごしらえだ。
 キッチンに鬼弦が隠れていることを察知したのか、メキシコ人たちは怒声を上げながら銃弾をばらまく。体を出そうものなら、一秒もしないうちにチリコンカンにされてしまうだろう。手榴弾を投げる。カラコンカンと音がして、爆発、爆音、そして閃光。鬼弦が投げたものの他に、フラッシュバンが投げ込まれていたようだ。部屋を制圧しようとキッチンから躍り出ると、そこには大男がいた。彼の後ろから、ぞろぞろと武装した男たちが建物に入ってくる。大男は隊員に二階に行くよう指示を出した。二階がひときわ騒がしくなって、そしてすぐに静かになった。”Dawnbringer”第一班であった。

 鬼弦は彼らを引き連れて、大澤とユンがいる部屋に戻った。途中でブービートラップを解除するのも忘れない。入口付近を男たちで埋め尽くして、鬼弦は言い放った。

「先程もお話した通り、一分隊くらいならすぐにデプロイ出来ます。建物一つを制圧するくらいなら、まあこんなもんです。そのサンタ・ムエルテの舎利の精製プラントなり流通の中継所なりの場所さえ分かれば、すぐにでも」


[2010/11/6 17:22]

 流石のユンも具体的な場所までは知らないらしい。また、ユンいわく、サンタ・ムエルテの舎利は毎週土曜の夜八時に中継所から売人に引き渡されるとのことだ。そういうわけなので、鬼弦と大澤は人海戦術でそのあたりにいる売人から聞き出すことにした。

 鬼弦は適当な裏路地に入り、あたりを見回して売人を探す。黒人のそれっぽい人影を見つけた。「Hey, how are you?」と問われる。鬼弦は「I’m fine thank you」と答える。鬼弦は決断的な足取りでその男に近づく。「サンタ・ムエルテの舎利はどこで扱ってる?」「教えられるわけねえだ  」ピカッ! 鬼弦は懐から記憶処理フラッシュを取り出し、「尋問モード」の光を浴びせかけた。男は悲鳴を上げて足を縺れさせる。鬼弦は男の襟を掴んで顔を寄せた。男の視線が首元の「悪い女」のタトゥーに吸い寄せられる。「サンタ・ムエルテの舎利はどこで扱ってる?」鬼弦は再び問うた。「お、おれは知らねえ! あっちの奴に聞いてみろ!」

  大澤は売人がいそうな裏路地にあたりをつけて入る。人影を探す。東洋人がいた。「姉さん、薬買ってかない」と問われる。大澤は「目が醒める薬かしら」と答える。大澤は優美な足取りでその男に近づく。「サンタ・ムエルテの舎利はどこで扱ってるの?」「教えられるわけねえだ  」ピカッ! 大澤は懐から記憶処理フラッシュを取り出し、「尋問モード」の光を浴びせかけた。男は悲鳴を上げて足を縺れさせる。倒れた男からは大澤の顔が見えない。胸に邪魔されているのだ。「サンタ・ムエルテの舎利はどこで扱ってるの?」大澤は再び問うた。「お、おれは知らねえ! あっちの奴に聞いてみろ!」

 やがて、二人は小綺麗な土産店の前にたどり着いた。メキシコ大通りの端にある「ラ・ニーニャ・ボニータ」という店だ。カラフルでメキシコらしい外装の店で、観光客向けの当たり障りのない土産物も売っている。金城外国人街では珍しいことに、ドラッグのたぐいは見当たらない。少なくとも、表には。

「相手は超常よ。遠慮しないでやっちゃっていいわ」
「わぁかッてますよお」

 異常ならば、財団の出番だ。この世界には財団がないから、異常が野放しになっている。それを認めてしまえば、この世界がどうなるかはわからない。だから、異常を見逃してはならないのだ。
 土産物店であるのは一階だけで、二階はアパートのようだった。階段を上がってしばらく待つと、奥の部屋から一人の男が出てきた。そのメキシコ人は扉の前で立ち止まり、何かを待っている様子だった。

「舎利を貰いに来たわ」
「合言葉は」

 鬼弦はすかさず懐からフラッシュを取り出し、男に浴びせかける。「入れてね」その言葉に男は頷き、扉を開けた。六畳ほどのリビング・ダイニングに部屋が二つの簡単な部屋だ。目がつく範囲で、男が三人いた。一人は扉のわきで立っていて、もうひとりはソファで寝ており、最後の一人はテーブルで食事をしていた。全員東洋人だった。おそらくは日本人だろう。鬼弦は大澤とアイコンタクトをした。大澤は部屋の奥の方にあるキッチンに向かう。これで互いの死角がカバーされた。

「ねえ、何食ってんの?」
「え、ああ。受け取りか。今日は早いな」
「いや、質問に答えてほしいんだけど」

 鬼弦は声に怒りを少しだけ含ませる。男は少し引いた様子で、皿を鬼弦に見せた。

「タコスだよ。カルニタスで、サルサ・ハッチョ」
「へえ! 一口もらってもいい?」

 男は少し逡巡して、皿を鬼弦に差し出した。手をつけられていないタコスを一口かじる。八丁味噌のコクが豚肉の甘さと合わさり、かなりうまい。「帥香さんも要ります?」「いや、いいわ」

「うまいじゃん。飲み物は何飲んでんの?」
「……コーラ」
「おう、サイコーね」

 男に許可も取らず、鬼弦はコーラを一口飲んだ。タコスの脂と塩気を腹に流し込んで、代わりに口の中には爽やかな甘さが広がる。

「……お前ら、舐めてん  

 鬼弦はブラジャーの裏に隠してあった拳銃を抜き、ソファーで寝ている男の両膝を撃ち抜いた。ソファーの男は跳ね起き、痛みに悶絶する。

「コーラの味って、国ごとに違うの知ってた?」
「え? 何?」
「知ってたかって聞いてんの」

 鬼弦は冷静に聞く。恐怖よりも困惑の感情が勝っているであろう男は、反射的に立ち上がろうとした。鬼弦はそれを手で制する。

「……え、ああ、まあ」
「なんか料理に合わせて味を作ってるんだって」
「そ、そうなのか。なあ、あんたらの分の舎利はキッチンの上の棚に  
「いつ勝手に喋っていいって言ったっけ」

 男は黙る。彼は両手を机の上に乗せて、頭を小刻みに横に振っていた。

「じゃあさ、一番うまいコーラってどこの国のか知ってる?」
「さあ、アメリカじゃないのか」
「実はメキシコなんだよ。なんでか知ってる?」
 男は少し考える。その間に、大澤はキッチンの棚からアタッシュケースを取り出した。中を開けてみると、サンタ・ムエルテの舎利がぎっしり詰まっていた。「ハッピーですか」「ハッピーよ」鬼弦はうなずく。

「なんだろ、使ってる砂糖がいいとか?」
「う~ん、やっぱり頭いいよね、あなた。じゃあ、このサンタ・ムエルテの舎利の仕組みも教えてよ」
「え?」

 鬼弦はタコスとコーラを丁寧に全部回収してから、テーブルをひっくり返した。無造作にそうしたわけではない。ちゃんと扉に被せて、バリケードにした。

「え? じゃあなくて、答えてくれる? 質問に」
「し、知らないよ。ただ上から言われるままに  

 顔に青筋を立てて、言葉に怒りを混ぜ込んで、銃を男に向ける。しかし、鬼弦の心の中は極めて冷静であった。すべては演技である。男は両手を上げて顔を背ける。しかし、目は鬼弦の方を向いていた。「悪い女」のタトゥーの方を。

「じゃあ、いつから流通していたの?」
「か、開発に成功したのは一七年前だって聞いてる!」

 一七年。この世界の嘉瀬と元いた世界の嘉瀬が入れ替わった時期だ。それに合わせて、僅かながらも超常技術が流出したのであろう。鬼弦は推測を立てる。

「飲めば願いが叶う薬。代わりに寿命が短くなる……これはまごうことなき異常よ。まだこの世界には存在させてはいけない……」

 鬼弦は懐からサングラスを取り出した。大澤もサングラスをかけ、二人で記憶処理フラッシュを掲げる。最大出力で部屋を光で満たせば、呆けた顔をした三人の男が残った。あとは第一班に任せておけばいい。薬の入ったアタッシュケースを持って、二人は部屋を出た。


 鬼弦と大澤は、見知らぬ東洋人の男たちから銃を向けられている。二人は為すすべもなく両手を上げた。男たちの後ろに控えているバンから、シャオ・ユンが降りてきた。

「騙して悪いが、これでおあいこさまだ」

 彼は東洋人の男らに指示を出した。銃声が聞こえる。悲鳴は聞こえない。部屋にいた男たちは呆けた顔のまま射殺されたのであろう。多少の無念を感じつつも、ここはそういう場所だと自分を説得する。

「……どういうつもり?」

 大澤が質問をする。ユンは大きなため息を吐き、懐からタバコを取り出して、口に咥えた。
「おまえら、何様のつもりだよ」
「は?」

 タバコに火をつけて、ユンは言う。鬼弦は反射的に返事をしたが、ユンに反応はない。

「おれにだってコネはあるんだよ……コロンボー=プロファチーはお前らのことなど知らねえらしい」
「あらら、切り捨てられたかしら」

 大澤がとぼける。ユンの顔に浮かぶ疑いの色は晴れない。鬼弦は相手の戦力を推測する。練度はそこそこ、装備の質は昨日のメキシコ人たちとほぼ同じ。力で突破するのは無理だ。記憶処理フラッシュを取り出そうにも、そうした瞬間に撃たれるだろう。

「まあ、てめえらが誰かってのはどうでもいい。問題はてめえらがこのサンタ・ムエルテの舎利を取り締まろうとしてるってことだ」
「いつ気づいた?」

 ユンは目を伏せる。言うか言うまいか悩んでいるのであろうか。やがて彼は二人の方に向き直る。

「なぜおまえらがここにすんなり入れたと思う? コネがあるんだよ。おれには」
「……早まったか」

 大澤が小声ながらも悪態をつく。ユンはタバコを吸いながら、注射器にサンタ・ムエルテの舎利を入れた。その注射器で腕から血を吸って、薬物を溶かしてから、再注入する。ユンは恍惚とした顔を浮かべた。

「需要があるんだよ。だから捌く。救世主気取りの淫売どもめ。あんたらはここじゃ外様だ畜生め」

 ユンの存在感が強くなる。鬼弦は後頭部に衝撃を感じて地面に倒れた。最期に聞こえたのは、大澤が男たちに連れて行かれる音だった。


[2010/11/7 20:42]

 なにかの上で跳ねた気がして、鬼弦は目を覚ました。ぼやけた視界が焦点を結んでいき、聴覚も段々と明確になっていく。何やら自分は、足を開いた姿勢でベッドか何かに寝かされているようだ。そして、足の間には何かが居る。
 それを自覚した瞬間、鬼弦は光の速さで跳ね起きて、足の間で何かをしている何者かに蹴りを浴びせかけた。情けない男の悲鳴が聞こえる。当然のように鬼弦はそれを無視して、男の腕、肩、そして首の関節まで極めて拘束した。男が脱ぎ捨てた服で、男自身をがんじがらめにして、身だしなみを整える。銃や貴重品の類が奪われていないことを確認すると、鬼弦は外に飛び出した。化粧はボロボロで、体はあちこちが痛いが、致命的なものではない。幸運だったのは、ほぼ丸一日放置されたことだ。そして、それは同時に不運でもあった。すでに丸一日が経過してしまったからだ。

 大澤はユンに連れて行かれた。場所を割り出す程度なら容易い。スマホが常に位置情報を垂れ流しているからだ。それによれば、大澤は「バカ! アホ! ヤー!」にいるらしい。
 空腹でどうしようもないほどに悲鳴を上げている体にムチうって、ネオンで眩しい金城外国人街を走り抜ける。
 「バカ! アホ! ヤー!」の前には、メキシコ人と東洋人の男たちが何人か立っていた。重心の感じからして、おそらく全員武装しているであろう。早撃ちで解決するには少々荷が重い。
 店の裏に回る。歩哨は立っていない。妙だと思いつつも、遠慮せずに中に入る。一昨日に銃撃騒ぎがあったにも関わらず、一階は相変わらず賑わっていた。胡乱げな視線を向けてくる店員を無視して、二階に上がる。

 二階席の奥には、大きな両開きの扉があった。脇には二人の東洋人の男が立っている。鬼弦は拳銃を抜き、片方の男の股間を撃ち抜く。もう片方に銃を向け、地に伏せさせる。これでひとまずの無力化が終わる。
 扉にタックルをして、中に入る。椅子に囲まれた長机の向こう側に、ユンとツーブロックで筋肉質なメキシコ人がいた。大澤は手を後ろで縛られて、椅子に座らされていた。ユンに銃を向ければ、護衛の男たちが一斉に反応する。
 マッチョのメキシコ人の合図で、護衛の男たちのうち、メキシコ人が銃を下ろした。東洋人は相変わらず鬼弦に銃を向けている。

「マアピリピリせずにまずはアイサツしましょう」

 メキシコ人は片言の日本語で言った。鬼弦は銃を下げない。ユンに向けたままだ。鬼弦に向いている銃口もそのままになっている。

「ワタシはホセ。ホセ・ゴメスです。ドーゾよろしく」

 黒墨會の幹部に違いない。ホセは徐ろに立ち上がった。ユンが取引をしていた相手だろうか。

「申し開きワ?」

 ホセが鬼弦に問うた。いまいち状況を飲み込むことが出来ない。しかし、口八丁は鬼弦の得意とするところでもあった。

「……サンタ・ムエルテの舎利には持続性がありません。願いが叶っても、その後すぐに死んでしまうなら意味はないです」
「正しい」

 ユンが怪訝な表情を浮かべた。ホセは目線で続きを促す。

「……暴力はすべてを解決します。しかし、その後には必ず報復がある」
「それも正しい」

 ユンは震える手付きでタバコを吸った。

「ワタシにもコネはあります……黄赤幇は大陸から人員を派遣するそうです」
「な……ッ」

 ユンの口がぽかんと開く。タバコがこぼれ落ちて、ユンのスーツに焦げ目を作る。

「……なあ、ホセ。裏口の警備はおまえんところに任せたはずだよな」
「……たまたまよそ見をしていたのでしょう」

 鬼弦はなんだか呆れてしまって、銃を下ろした。部屋の男たちは、依然鬼弦に銃口を向けている。

「暴力で解決する前に、話し合いの場所を設けたらどうです? そうなれば今回のような暴走も減ることでしょう」

 大澤が椅子に縛られたまま言った。

「……誰が間に立つ?」
「……我々には、この店を買収する用意があります、そして、黄赤幇と黒墨會の間に立つことも」

 金城外国人街には独自の秩序がある。すなわち、黄赤幇と黒墨會の微妙なバランスで成り立っているのだ。しかし、このような暴走が起これば、二者での解決が不可能になってしまう。なんにせよ、鬼弦にとってもこの話は初耳だった。

「……その前に」

 ホセは部屋を見回して、再び手を上げた。東洋人も銃をおろした。

「貴女には報復の権利があります」
「お、おい  

 鬼弦は銃をユンに向け直し、一発撃った。ユンは頭から血を流して、事切れた。いい気分ではない。むしろ最悪に近い。裏切られたとはいえ、関わり合った人を撃つのは良い気分ではなかった。

「よし、では商談をしましょう」


[2010/11/8 06:17]

 諸々のことを取り決めて、結局二人が開放されたのは朝の六時になってからだった。二十四時間営業の「バカ! アホ! ヤー!」の一階席には、まばらながらも客がいる。前日に飲みすぎたメキシコ系日本人の港湾労働者は梅粥をすすり、これから仕事が始まるであろうサラリーマンは景気づけにニンニクを効かせたカルネアサダを貪っていた。ほかには、メキシコ人らしい二人組がスペイン語で何かを捲し立てている。鬼弦と大澤は二人でチチャロンをつまんでいた。

「やっぱり、うちらの外交って下手くそなのよ。本質的に」
「……そうですね。いつもの癖でやっちゃいました」

 財団の外交は、パワープレイが基本だ。元いた世界の裏社会では、財団といえば泣く子も黙る巨大組織だ。超常由来のリソースを使って、暴力で片を付けることもしばしばある。財団の名がそのまま抑止力になることもある。しかし、別の世界ではそうもいかない。特に、財団のない世界に対する経験は殆どなかった。

「やっぱり無茶ですよ。三十人なんかで世界を一つどうにかするなんて」
「……我々はあくまでも初期対応。こっちの嘉瀬くんも頑張ってくれてるようだし、そんなに悲観的になることはないわよ」

 ガタリ、と近くで音がした。振り向いてみると、メキシコ人の男女二人がいる。彼らは白い塊の入ったジップロックを持っていた。

「サンタ・ムエルテの舎利あるよ。興味?」

 男のほうが言った。鬼弦と大澤は二人して彼らの方を睨んだ。

「それは今日の朝からご禁制になったわ。ご禁制。もう駄目ってこと」

 鬼弦は懐から銃を取り出して、二人に向けた。「まあ座りなよ。帥香さんはアタシの隣に」大澤が移動したあと、メキシコ人の二人はおずおずと向かいに座る。

「それはね、異常なの。異常。わかる?」

 「異常?」メキシコ人の男が聞き返した。「あなたたち、これがどういう仕組みかしってる?」鬼弦が聞いてみれば、二人は頭を振った。「でしょ?」大澤は記憶処理フラッシュを取り出した。

「私たちはね、そういう異常を取り締まるのが仕事なの」
「マッポってこと?」

 メキシコ人の女が聞いた。今度は鬼弦が被りを振る。頭の振動に合わせて、銃口も僅かに揺れる。「そんなんじゃないよ。マッポじゃない」鬼弦はチチャロンをつまんだ。「あなた達もどう?」メキシコ人がそれぞれチチャロンのかけらを口に放り込んだ。

「いままではね、我々が超常と普通の線引きをしていたの。でもね、それはここじゃその考えは通用しない。決めるのはアタシたちじゃないの。異常は普通にあるし、普通は異常にもなる。必要があるなら、異常も流通する」
「つまりどういうことだよ」

 メキシコ人の男が聞いた。鬼弦は残りのチチャロンをすべて口に流し込む。サルサをスプーンですくって、チチャロンと一緒に流し込んだ。

「つまり、環境に合わせろってことよ。ご禁制なものはご禁制なの。昨日まで白くても、今日から黒なら黒なの。わかる?」

 鬼弦は銃をしまった。記憶処理フラッシュを取り出して、大澤と一緒に光らせた。「とにかく、今日からご禁制。それは渡しなさい」メキシコ人はサンタ・ムエルテの舎利を鬼弦に渡した。
 呆けた顔になったメキシコ人を置いて、大澤と鬼弦は金を払って外に出た。財団の所有物になった店で食事をして、金を払うのはよくあることだ。

 安定してこの世界の金を稼げる場所が手に入った。これを元手にして、あとは拡大してゆけばいい。異常があるところに、財団も居る。いまは、それでよいのだ。


 

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