不仲
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人が反射的に嫌悪感を持つもの—たとえば人にもよるが芋虫や蜘蛛、百足や蛇といったもの—というのは誰にだってあるものだ。見た目が特段気持ち悪い訳でも、人に害を及ぼす訳でもないのにかなりの割合の者に忌み嫌われる哀しい存在。
その対象がヒトであることも、まあ珍しいことではない。私にとっては、例えば彼のような。

彼にサイト内の喫茶店に行くのを誘われた時、まさにそんな気持ち悪さを感じたのを覚えている。
彼の性格が悪い訳でも、デリカシーが無い訳でも、喋り方が気に食わない訳でも無かった。彼のそれらは常人と比べて大差無い。
だが、何故だかそれらの全てが、私の神経を逆撫でするのだ。


「お前をここに誘ったのは、残った仕事とかの話をしたいし、いつも世話になってるからなんか奢ってやろうと思ったからだ。好きなの頼め」

落ち着いたジャズ音楽の流れる、暖色で包まれた店内。言われなければあの味気ないサイト区域の店だとは分からないだろう。
その窓際の席で説明口調のぼそぼそとした声で呟く彼は、今となっては財団の研究職、所謂”博士”である。窓から入る逆光に照らされ、ボサボサの髪とアライグマのごとく広がった隈さえ何とかすれば悪くは無い顔を見ていると湧き上がる苛立ちを取り繕う。
エージェントとしては同じく悪くはない評価を貰っている私には、彼に心の中ででも文句を言う権利がある筈だ。

私達が確保した異常を、彼らは研究し、収容する。
そのプロセスに一切の感情は要しない。私と彼はここに来た時からこのプロセスに組み込まれている。真逆なようで、本質は全く同じ。だからこそ、私は彼が嫌いになったのかもしれない。所謂同族嫌悪というやつだ。だったら皮肉にすらならないが。
うだうだ考えても気まずい空気は変わらない。とりあえず私は紅茶と小さめのケーキ、彼は抹茶パフェとコーヒーを注文した。

「この間収容されたヒト型オブジェクトの収容プロトコルについて話させて貰っても」

「アレの件か?もう済ませて送ってあったはずだが」

「え、いつの話ですか」

「大体1時間前ぐらいだな。お前とも落ち着いて話したいし」

大きなため息を圧縮して肺に押し殺す。全くこの男は手際が良いのか悪いのか分からない。落ち着け、私。さっき注文した美味しい紅茶とケーキが来ればこの気分も何とか誤魔化せるはず。大丈夫、大丈夫。
一息を落ち着いて、溜息を声に変換して、吐き出した。

「ありがとうございます」

「もう数日前から進めてたんだが、あいつの関係者、情報中々吐かないから困ってたんだ。自白剤使ったらあっさり吐きやがった。今日になってやっと終わったんだ。他に何かあったか?」

「いえ、私達の班には無かったはずです」

「そうか、ならゆっくり話せるな」

ゆっくり話す?話題も無いのに?こいつの辞書に気まずいという言葉は無いのか?洒落た店内音楽も、差し込む光も無意味と化した。

「お、来たぞ」

若い店員の女性がトレーに私の紅茶とケーキ、どんぶり一杯分ほどもある特大のパフェを持ってきた。無論パフェは彼の注文したものである。こんな細い体でなんでこんなでかい物が収まるんだ。ほれ、砂糖。ありがとうございます。彼から手渡されたスティックシュガーを熱い紅茶に混ぜ込んだ。
私は味を最早感じない紅茶を啜り、彼はパフェをまさに丼もののようにかきこむ。

「なんか言いたいことがあれば言ってくれ。遠慮しなくていいから」

「……」

しばしの沈黙。
言いたいことなど腐るほどある。今日の残り時間全部潰したってまだ足りないほど。
羨望。嫉妬。哀れみ。嫌悪。無数の感情が、胸の中で揺れる。

「そんなに言うなら、じゃ、言わせて貰います」

私の中で、何かが切れた。




溢れんばかりの羨望を声色に載せ、表情に嫉妬をこれでもかと塗せる。哀れみを込めた視線は外さないまま。仕上げにあらんばかりの嫌悪の言の葉を思い切り投げつけてやった。



気がつけば大半のものは吐き出した後だった。


紅茶は冷めて単なる温い液体となり、パフェのグラスが空になったころ、スマホが思い出したように震えだした。そうだ、今日はまだ少し、残業が残っているのを忘れていた。
冷めた液体を一気に流し込み、最後に私は捨て台詞のような無意味な言葉を投げ捨てることに決めた。

「じゃあまたね。お兄ちゃん」

「その呼び方、もう止めろっつったろ」

私の、物心ついた時の唯一の家族。それが兄だった。感情の無い、流れ作業。それに順調に乗っていく兄を見ていた。そのうち顔を合わせることも減り、気がつくと会うこと自体に気持ち悪さを抱くようになっていた。

「どこで間違えたんだろ」

そんな呟きも、どうせ無感情のまま流されてしまうのだろう。
ちりん、と軽快な鈴の音を立ててドアが開く。もうこんな時間だ。空は灯に中途半端に照らされたせいか、真っ黒に染まっていた。
肚の中にかかったもやと、それを上回る程の妙な爽快感を覚えながら、私はサイト本部への帰路につくのであった。


「全く、実の妹にあそこまで言われちゃおしまいだな」

夕飯の喫茶カレーを食べながら、俺はぼやいた。
まばらにしか客も店員も居なくなった店でコーヒーも飲まず飯なんか食ってるのは俺ぐらいなものだ。ぼそぼそした独り言なんて他の輩にとっては有って無いようなどうでも良いことだろう。それよりも気になるのは、

「まさかあいつの本音があそこまでとはなぁ」

あいつの飲んでた紅茶に、スティックシュガーに見せかけた余剰分の自白剤を混ぜさせたまでは良かった。問題はそれの量が多すぎたらしいことだ。お陰で角が立って言い争いがまあまあ目立ってしまった。サイトの店だったからそこまで怪しまれなかったのが唯一の救いだった。

思い返してみる。
ガキの頃、俺とあいつは財団フロントの”こどもセンター”から財団に拾われた。後から知ったのだが、両親はどっちも逮捕されたかららしい。なんでもドラッグかなんかの疑いで捕まったとか。親が世話してくれないせいかどうやらあいつにとっちゃ俺は親以上のものになっていたらしく、学校に行く時など抱きついてきて行くのを止めてきた。生意気な物言いをすることも多くて鬱陶しかったが、あの頃はまだまだ可愛かった。

そのうち俺は成人して就職し、財団で地位を固めていく。あいつが成人する頃には俺とあいつはかねがね5年は会って無かった。
あいつがエージェントとして一人前になってから久々に会って話しかけ、言われた一言。「誰ですか?」

5年も会ってなけりゃそりゃ見た目も変わる。髪は最近纏められていないし、寝不足のせいで隈も酷い。
だけど流石に言っていいことと悪いことがあるってもんだろう。自分の兄貴に対して「誰ですか?」なんて。

これじゃまずい。俺は上がった地位を利用して作戦を開始した。
まずあいつの人事ファイルを確認して今までにした仕事を分析、あいつが得意な仕事を入れまくった。数撃ちゃ当たる理論でたまたま来たあいつを部下に迎え入れ、都合のいい舞台を用意し、ついに二人きりで話し合いが出来る場を作ったのだった。
お互いの本音を知れば、また仲も戻せるかもしれない。
その考えが間違いでしかないことに気づくまで、計画から1年半も掛けてしまった。


昔から貴方はずっとずっと私の事なんて全く見てくれてませんでしたよね?その自覚あります?やる気なんて無い癖に、周りの人達には猫を被って。いつもいつもそうだ。気持ち悪い。上から押さえつけられる人の気持ちなんて考えたことないんでしょうねあなたは。

そもそも何で私をわざわざ指名してまで側に寄せようとしたんですか?5年も会わずに興味も失くしたはずなのに虫が良すぎますよ、そんなの。云々。

まあ、それらの罵倒に対して俺はほとんど反論できなかったのだが。昔からそうだ。あいつの話は説得力がありすぎる。
カレー皿の中身が無くなった。会計に向かう。

「何処で間違えたんだろうな」

誰にも聞かれない独り言を呟きつつ、俺は帰ることにした。
からん、と今の俺の気分とは清々しいほどに真逆な軽快な音を立ててドアを開ける。
外は真っ暗になっていた。あいつ、暗いの苦手だったよな。大丈夫か。
もしかして、こうやっていつまでもガキ扱いしたからこんなことになったのか。もしそうなら、いつか素直に謝りたい。
また素直に話せるのは、いつになるだろう。



鈍色の空は、俺たちを嘲笑うが如くこちらを覗いてくる。
溢れかえって狂いそうになる感情を押し殺し、俺は帰路についた。

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