岩場(がんば)博士の友人
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「ここに魚はいないんじゃないですかね。」

橋架下の河川敷にて、お手製の釣竿を用いて食料調達に勤しんでいる男に岩場は話しかけた。その相手は見るからに世捨て人という風貌で、土と煤で汚れた青色のジャージと所々が敗れている野球帽を身にまとい、顔には昔ながらの大きな黒縁メガネがかけられている。なお、メガネの左側に位置するつなぎ目は既に破損しており、それをセロテープで応急修理している状態だ。

「……ザリガニぐらいは釣れる。」
「なら、今夜はボルシチですか。」
「食えたもんじゃないがな。」

岩場のその一言に対し、ホームレス調の男は鼻で不満を伝えた。肝心の岩場といえば、そんなこと意にも介していないようでそのまま彼の隣に腰掛ける。

時期は夏真っ盛りと言ったところか。雲一つない晴天を空に掲げ、今日も平和であること体現するかのような当たり前の日常が時と共に流れている。1つ問題点を挙げるとするならば、外見上はあからさまにホームレスである男とそれとは対を成すようなスーツ姿のは初老の男性が並んで佇んでいることぐらいだろうか。唯一の関係性を見出せるのだとするのならば、恐らく2人は同一の目標を心に抱いている、そんな目をしている事だろう。

「食は生きる人間にとっての最大の渇望だ。本能のままにたんぱく源を求め、それを貪ることこそに生命という物の実感と、改めての確信を得られる。譬えそれが苦みを伴う物であろうともな。」

ホームレスの方が口を開いた。その顔は日々の生活の中での汚れが目立つが、しっかりとした知性を匂わせる。

「……死に一番近い場所にいる我々だからこそ、感じる哀愁という奴ですか。」
「そんな高尚な物じゃない。腹が減ったから食う。食い物を買う金もないから命を捕らえる。生物として備わっている当たり前のルーティンを、人は文明の中に捨ててきただけの事だ。今の生活をして居るからこそ、私は自分が生きている事を確かめている。ただそれに過ぎない。お前はどうなんだ。お前は、何をもって自身の生を感じる。」

男の質問に対し、岩場は小さく唸りながら思案する。大した時間は掛からなかったが、答えを見つけたようにほくそ笑む。

「……誰かと、淡々と会話をしている時、ですかね。」
「お前らしい。その年になっても、なおまだ青臭いことを言うもんだ。」
「……ええ、本当に。まあ、単に人と言う物に依存しているだけですよ。誰かと一緒にいないと、時々そこが本当の現世といえる場所なのか、心底分からなくなるんです。自分が今、ちゃんと生きてい居るのか、それとも気づかずに死んでいるのか。自分を誰かに認識してもらうことで、それを再確認するのが癖になっているんです。情けない話ですがね。」
「死者に依存してしまうよりましだ。その境遇も含め、お前自身がそう言う行動を取れるだけの交友関係を築いている事に意味がある。真に孤独な人間はそれすらままならんさ。」
「そういうもんですか。」
「ああ。そういうもんだ。」

男の表情は一切変わらず、多少の皺を眉間に寄せながら水面を見つめている。それに引き換え岩場と言えば、どうにもばつが悪そうに後頭部を搔いているばかりである。何らかの分野においての碩学であろう2人の会話を聞くものは、当の本人達しかおらず、本当の意味での2人の時間を共有している。方や既に世間を見限ったであろう人物に対して、岩場の放った「自己の生死の確認」とされるこの会話劇は、本人の雰囲気を見るに多少なりとも満足のいく結果に落ち着いているのであろう。

しかし、どこか話の着地点を見失っている様子の岩場は明らかにバツの悪そうな態度を示しつつ、どことなく次の会話のきっかけを探している。

「……煙草、要りますか?」
「銘柄は。」
「セブンスターを買ってきました。最近600円近くに値上がりしたんですよ。知ってました?」
「……喫煙も最早、高級志向な奴ら向けの時代か。昔とは偉い違いだな。」
「ええ。本当に。……世間の移り変わりはいつも早いです。」

岩場の差し出した煙草の箱からはこれ見よがしにフィルター部分が一本だけ飛び出し、男の方へと向けられていた。男はそれを一瞥しながら、両手で持っていた竿を片方の手に任せた後に慣れた手つきでスッと引き抜く。それを迷いなく口へと運び、先端を岩場の方へ向ける。岩場も既に用意はできていたようで、背広の内ポケットからライターを取り出し、自分自身に指し向けられた煙草に火をつける。着火時のブスブスという独特の音が水音と相反して静かに耳に残る。

「……それで、今日は何の用だ。まあ、お前が私のところに来るのは大抵碌な事じゃない。今度はどんな面倒に巻き込まれるんだ。」

ホームレスは煙を吐き出しながら自ら本題に足を突っ込む。それに関しては岩場は準備ができておらず、見るからに動揺する。

「そ、そんなつもりじゃ……。私はただ……。」
「昔は昔だ。今じゃお前の評価は、気が付けば名も分からない秘密結社の一員になっていた男という一点に尽きる。俺も今じゃ世間を見捨てたが、お前も大学の仲間達を捨てたのに変わりはない。」

その一言に対し、岩場は言葉が詰まる。その言葉を放った張本人は、無精ひげを蓄えた顔面に白い煙を絡ませながら口内の全てを吐き出している。そして再び煙草を口に運び、釣れるはずのない河川をただただ真直ぐに見つめる。

気まずい、という言葉がこの場の空気を表現する最適な言葉だろう。双方の態度は見ても分かる様に相対的で、肝心の岩場に至ってはどうして良いのか、現状をどう打開して良いのかが分からないを体現させたような仕草でどぎまぎしている。

しかし、ここでホームレス側ははっきりと聞こえる程の声量で溜息を吐く事で、またも周囲の空気が一変する。

「……呆れた。」
「え。」

この時、初めてホームレスの男は岩場の方へと視線を移し、『会話』と言う物を行いだす。その表情は本当に心から呆れたという心情が伺えるほどに眉尻が下がり、しかしどことなく親しみの気配が残る印象を受ける。

「秘密結社の職員が、この程度のやり取りで交渉相手の手玉に取られるなんて。大分前に私の所に来たエージェントの方が何百倍もましだったぞ。それ位の交渉術も身につけないで何をやっているんだお前は。」
「えっと、その……はい、すいません。」
「……まあ、お前は基本、馬鹿の付く程実直な奴だ。誰かに嘘をついたり、誰かを騙したりするのが苦手だというのは十分わかってる。だが、そんな感じじゃあどうせ今いる部署も窓際なんだろう。大体の予想は出来るさ。」
「……はい、すいません。」

この会話を最後に、2人はしばしの沈黙に耽る。岩場も煙草を一本取り出し、こっちはあまり慣れていない手つきでそれを咥えた後に火を付ける。何度か2人が交互に煙を吐き出し、時折それが重なる事でどこかしらで一体感の様なものが生まれている。ホームレスの男は釣り針が沈んでいる水面を見つめ、岩場は黄昏るように対岸の方を眺める。

ふと、頭上からのゴーという音が背後側から前方に抜けていく。おそらく橋の上を大型のトラックか何かが走っていったのだろう。そのような音が周囲を支配する程に、今の2人は静かに、ただ静かにそこに佇んでいたのだ。

遠くからは、けたたましさを伴いつつも遠くで鳴いている蝉の音が聞こえてくる。日の下にあるコンクリートの河川敷は白色に光り輝き、その表層部分から少し離れた箇所に局所的な蜃気楼を生み出す程の暑さだ。生憎、二人の座っている場所は大きな日陰であるため、そんな暑さと無縁の空間へとなり下がってはいる。が、ある意味日陰者である二人組を象徴するかのような涼しさがそこにあるのだ。

「……今はなんの研究をしている。」

ホームレスの方から口を開いた。岩場はそれに対して、少し嬉しそうに視線を向ける。

「霊的異常実体に関する研究と検証、分析です。」
「成果は。」
「芳しくはありません。外的要因やそれの対処法、行動原理や行動基準、そういった外堀ばかりが埋まっている状態ですが、根本的な部分の証明には至っていません。規定現実を1と仮定した場合の観測や検証も儘なりませんし、そもそもサンプルの採取自体が出来ていない。あれが生物なのか、エネルギー体なのか、将又全く別の存在なのか、それを確かめる為の術すら分かっていない状態です。」
「……要は、昔から何も変わっていないという事か。研究のテーマも、現状も。」
「はい。……大学時代から相変わらずで。今の組織に入れば、何か変わるかもと思ったんですが。」
「だが、外堀が埋まっているという事は、それらに対する実用的対抗策、謂わば霊実体を含む『リンボ』への技術構築は出来ているという事だろう。日本の古来より伝わる陰陽理論や、星、暦、寺社仏閣や八百万の神々に対する交神法。それを現代版へと更新するだけでも大したものだ。」
「ですが、それの実用性を示すための原理究明もまだできていないんです。何せ、私たちが扱っている存在は私たちのいる世界の物理法則を度外視した存在ですから、こちら側の理屈を当て嵌めて行くということ事態がそもそもナンセンスなんですよ。あちらにはあちらの理屈、こっちでいう『普遍』がある訳ですから、対処法もそれに則った物に置き換わっていく。でも、それが理解されないのが世の常です。」
「いつだって頭の固い上の連中は納得なんてしないさ。自分たちの頭でもわかる、端的に言えば『馬鹿』でも分かるように理屈を捏ねて持って来いといったところだろう。自らの無知を晒しながら、それを得意げとしてる当たりどこの業界も変わりはせんな。なあ、岩場。」
「そ、そこまで強い事は思ってませんよ。」
「だが。」

ここで、男が言葉を一旦溜める。

「それでも、お前が救った命はあるんだろう。違うか。岩場。」

この一言に対し、岩場は一瞬だけ思考が止まり、その直後少しだけ頬が緩む。しかし、すぐさま何かを思い出したかのように唇をかみしめ、その場で俯く。心なしか、背中も丸くなる。

「……犠牲は出る。医学だって同じだ。先の大戦がなければこれ程までの医学躍進はありえなかった。それでも、お前が構築した理論で救った命はいくらでもあるだろう。きっとお前の事だ。未だに現場至上主義なんだろうからな。」
「……私は、そんな立派な人間じゃないですよ。周りからは『死地送り』だって呼ばれています。」
「言いたい奴には言わせておけ。少なくとも、お前がそれを嬉々としてやる奴だとは思わん。逆に、お前はそれを背負いすぎるきらいがある。」
「……そうなんでしょうか。」
「そうだよ。私が保証する。」

気が付くと、ホームレスの男の方が岩場の方へ向き直っていた。釣竿を地面に置き、糸が引いているのも無視している。先程まで吸っていた煙草もいつしか彼の膝元で火が消され、数回ねじられた形で吸い殻となっている。

「そして、今日も誰かを助ける為に私の元に来た。そうだろ。」
「……源さん。」
「受けてやる。言え。」

そう言い、岩場から『源』と呼ばれた男は片手を彼の前に差し出した。掌を上に向け、早くよこせと言わんばかりに無言で要求する。しかし、そこに邪な感情などは一切なく、あるのは純粋な正義感のみだ。

「……ありがとうございます。」

岩場は改めて彼の方へと体を向け、その場で深く頭を下げる。それに対し源は「いいから、よこせ。」とぶっきら棒な物言いで彼を急かした。


川の傍から離れた二人は、橋柱に隣接する形で建てられた源の自宅前に集まっていた。家とはいっても4つほどの大型段ボールをつなぎ合わせただけの仮初めの寝床であるため、傍から見ればゴミのたまり場にしか見えない様な状態だ。

そこで、岩場は源に6枚の写真を手渡した。源はそれの一枚一枚を注意深く眺め、それぞれの細かい映り込みも見逃さない様子で視線を動かす。

「例の実体が出現したのが約1か月前です。主な出現場所は車の通りが多い交差点。目撃者や奇跡的に生還した人物の証言から、対象は9歳から12歳の少年の姿をしていると予想されます。」
「被害の規模は。」
「ほぼ全国。様々な交差点に出現しては交通事故を引き起こす。そういった実体です。」
「場所に潜む霊、というにはあまりにも広範囲だな。相当思いが強いのか、何かしらの縁で転移をしているのか。いや、そのどちらともか。お前の見解はどうなんだ。」
「源さんと大体同じです。ですが、あまりにも出現場所のランダム性が強すぎる為、影響の中心は未だ割り出せていません。つながっている交通機関や道路、下水道の配管位置まで調べましたが、有益な情報は得られませんでした。共通する点は交差点というだけ。なので、それに関連する交通事故等の情報も調べたんですが……。」
「あまりにも類似する事件が多すぎた、か。」
「はい。ですが……。」

源は写真をめくっていき、最後の一枚に到達したあたりで手を止めた。そこには、交差点に設置されている電信柱の根元に多くのお供え物や花が置かれている様子が映し出されて、故人に対する思いいれの強さがそこから伝わってきた。

「これは。」
「事故後の現場写真です。被害者は皆、年齢、性別、仕事も様々で、目立った共通点は見られません。しかし、被害者は皆、多くの人間から親しまれている。奇跡的に生き残った被害者も皆、子供が道路に飛び出したのを助けようとして事故に巻き込まれたと証言しています。」
「つまり、彼ら彼女らの最大の共通点は……。」
「はい。超が付く御人よしばかり、という事になります。」

源は岩場のその発言を聞き、2、3秒経ってから鼻で笑い出した。

「岩場博士さん。それは、あまりにも範囲の広すぎる推測と違うかい?」
「ええ。だからこそ、組織の中でも相手にされませんでした。」
「だろうな。だが、あながち間違いじゃないかもしれん。」

冗談交じりの表情で岩場の顔を見ていた源も再度その顔をしかめ、真剣な空気に切り替える。当の岩場本人は一切顔色を変える事は無く、己の主張と同様に真直ぐな視線を維持している。

「はい。恐らく、この実体は自身を認識し尚且つその身を挺してまで救助活動を行う人間を標的にして襲っています。要はお人よし、そこから導き出せるのは被害者は皆善き人物であり、尚且つ人望も一定の水準で得られている者という事になります。この事案はそう言った『誰からも愛されている人物』を狙った無差別殺人。つまり犯人は……。」
「誰からも愛されなかった餓鬼、もしくは何者かという事か。」
「はい。」

いったん結論が出たことろで、源は岩場に写真を返却した。しかし、その枚数は3枚のみで残りの3枚は未だ源の手元に残されている。岩場はその様子に何の疑問も抱くことなく、返された写真を懐に仕舞う。

源は自身が選び出した写真を、眉間にしわを寄せながら凝視する。しかし、その目は彼の限界であろう程まで見開かれ、写真の隅々までを調べ上げるために細かく眼球が右往左往している。

「その3枚の方が、探しやすいですか。」
「ああ。一番念が篭っている。特にこの交差点と、被害者の血痕、極めつけはこのお供え物の数だな。事故当時よりも事故後の写真の方が強烈だ。奴さん、相当ムカついてるんだろうよ。……だが、岩場。お前これが、本当に12歳の餓鬼がやったことだなんて、思ってないよな。」

源はぎょろっとさせた視線のまま、岩場の方を見る。それに対し、岩場は堂々とした態度で返す。

「ええ。勿論。」
「ならお前は、これの犯人は何だと見る。霊か。魔物か。別次元の何かか?」
「……私の予想は、そのどれでもありません。」
「根拠は。」
「……まず初めに、こういった場所や特定の条件下に合致した人間をターゲットとする霊実体の特徴として、己の領域に引きずり込む、または対象の精神と同調する事で誘導するというのが挙げられます。ですが、今回の実体は数値的には霊実体と表現される存在であるにも関わらず、それに依存していない。つまりは精神同調も領域の展開を行使できない浮遊霊レベルの存在と考えられます。残留思念や滞留する人間の負の感情、それらを蓄積できていない『生まれたての存在』と言っても良いでしょう。ですが、そのレベルの実体にしては影響範囲が異常にでか過ぎる。大抵は自身が死んだ場所に停滞するか、どこかしら関係性が認めらられる場所にしか移動できないというあちらの世界での常識と一致しません。そこから導き出される結論は、あれの出現には所謂第三者による介入が行われており、それが意図的にあの事案を引き起こしている、と導き出されます。」
「なら、別次元の存在、または上位存在の仕業だとお前は主張するのか?」
「いえ、それも違います。」
「何故だ。」
「……動機が、あまりにも人間的だからです。」

しばしの沈黙が流れる。

「……それだけか?」

源の声色が若干低くなる。岩場自身も、その変化に多少の狼狽えが窺える。

「上位存在達が共有する常識の分析に関しては私もまだ完全には出来ていません。あまりにも我々とはかけ離れていますし、そも、それらを理解した時点でそいつはもう人間じゃない。ですが、今回の霊実体は……あまりにも人間的な動機で動いています。もっと端的に言えば、所謂、嫉妬です。幾つになろうとも性別の垣根を超えようとも、優しい心根が育つに十分な環境を与えられて生きた一人の人間に対する羨望と憎悪、それを私は感じます。現に対象実体はその人間を試すような事を態々行って事に及んでいる。これは一種のソシオパス的な要素を含んでいると思われますし、犯罪心理の観点からもよく言えば健全な方の犯罪同期と一致します。決して、非人間的思考から導き出される結論じゃない。理解できるからこそ、違和感なんです。」
「では、お前はあの実体の正体はなんだと結論付けるんだ? そこが重要だろ。」

浅く、岩場は固唾を飲む。

「……生霊、所謂生きた人間の念。『霊能力者』の仕業だと、私は結論付けます。」

一瞬、周囲の時が止まった。音も、風も、何もかもが2人を置いてきぼりにした、そんな感覚だ。

岩場の言い放った『霊能力者』という一言は、あまりに荒唐無稽すぎる発言であった。特に、超常現象や異常な実体を確保・収容・保護する財団という組織においても、今の岩場の発言はタブー中のタブーだからだ。

異常な能力、現象、細分化するなら現実改変を引き起こす人間というものは一種の人型実体であると財団内では分類される。それはあくまで財団内で定められた「異常実体とは何たるものか」という今日まで培われてきた知見と蓄えられてきた知識に由来する客観的な分類からで、それを保有している事こそがある意味財団を財団たらしてめている所以でもある。しかし、ここには決して、霊能力者という括りは存在せず、否、存在してはならないという暗黙の了解がある。何故なら、それは対象の解明という行為をあきらめる事に他ならないからだ。

根本的な話を持ち出すのならば、人間というものは未知なる存在に対して一種の細分化を行うことでそれらを知り、分析し、既知たる存在へと落とし込もうとする習性がある。それは細分化のさらなる細分化に伴い専門性を強め、よりその未知なる存在に対しての真理を解こうとする人の本能の様なものに近いからだ。

しかし、これは裏を返してしまえばその細分化に伴っても結局の所、「何も判らないまま分析が続く」という現象に他ならず、分からない物を分かった物であるというバイアスに掛ける事で一種の安心感という物を得ようとするその場凌ぎの行為に過ぎないのである。

であるならば、今まさに財団が行っている所謂「研究」という行為自体、一体何なのであろうか。そう言った疑問が浮かんでくるのが世の常であろう。しかし、それを率直な言葉で説明するにはあまりにもその場では憚られ、下手をすれば迫害を受けるほどのリスクを負う根本的問題なのである。

要は、財団は研究と分析を継続しているという建前を残して、実の所本当の意味での根源には到達出来ていないのが現状なのである。日々研鑽を積み重ね、その中で新たな理論が構築されている筈の毎日ではあるが、果たしてそれが人類にとっての前進なのか、それとも同地点をぐるぐると回っているだけの停滞なのか、当の本人達にもそれは定かではないのだ。そして、霊能力者と称される存在、具体的に言えばそう言う安直な言葉でしか表現できないような「原因不明」の特異性を有した存在の分類自体、財団自体が一旦は匙を投げているという現状なのである。

それらを明言化することは特に研究者の間では禁忌として認識されている事柄であり、何故ならそれは自らの存在意義を失わせかねない暴論だからである。理由は明白である。研究者が研究を諦めてる。その現実を突きつけられてしまうからだ。

「研究者の尊厳を剥奪させる。今のはそんな発言だぞ。岩場。」

源は岩場を睨むようにさらに目を見開き、彼を射貫いている。

「ええ、分かっています。ですが私は……。」
「私は、なんだ。言え。」

少し俯き、しかし再度顔を上げ、岩場は源の目を見る。

「ですが私は、そこにあるであろう真実を否定してまで科学者という肩書を守りたいとは思いません。万に一つの可能性があるかぎり、それが事件の解決に繋がるのであれば、私はいつだってこの肩書を、いや、もはやレッテルでしかないこれをこの場で捨ててやる覚悟です。たとえ認められなくとも、学者擬きだと馬鹿にされようとも、その信念だけは決して曲げるつもりはありません。科学者とは、研究者とは、本来そうあるべき存在だからと私は確信しているからです、……源さん。私はあの日から、それだけは、決して変えているつもりはありません。」

またも、沈黙が2人の周囲を支配する。空気が張りつめ、今にも何かが勃発してしまいそうな独特の緊張感が空間を支配している。

しかし、それも束の間、源の盛大な笑い声でそれも消し飛ばされてしまう。岩場はそれを予想はしていたにせよ、一旦は肩の緊張を解きながら安堵の息を、悟られぬよう静かに漏らす。きっとそれがバレたら、源に馬鹿にされる。

「それを聞いて安心した。お前は科学者である前に、一人の暑苦しい熱血漢だ。その歳になってもそれは変わっていないという事は、さてはお前、窓際も窓際で出世コースからも見捨てられた場所で働いているな。そうだろ。」
「……それに関しては、最初から諦めてましたから。別に問題は。」
「だが、学者としての結果は残せずとも、人としての結果は残している。そこだけ分かれば十分だ。」

源のその発言に対して、岩場はついはっとした表情を向けつつ再び一瞬だけ頬が緩む。しかし、すぐさまそれを片手で抑え、口元を撫で下ろす仕草で誤魔化す。

「……恐らく、お前の予想は大方当たっているだろう。生霊であるかは置いておくとして、恐らくは自身の想定する実体を任意の場所に投影する能力を持った人物。それが意識した上でか無意識の内に行っているかは定かではないが、霊実体にしては明確な意図が見え隠れしている。そんな中でも、言ってしまえばその場に姿を現せるだけの現象。外的要素と現場での事実、その上でお前の霊実体に関する知識とをかけ合わせれば自ずと結論は導き出される筈だ。だが、他の学者連中は己の利権とプライドで、お前の意見を全面的に認めるわけにはいかない、そんな状況か。」
「まあ、そんな所です。」
「で、お前自身もこの事件の首謀者の居場所が掴めない、だからこそ昔の伝手で私の所にやって来た。そうだったな。」
「はい。正直、事件の予想はついても、そこから犯人に辿り着く手段は未だ得られません。死んでいる人間なら事件の記録や関連する事案から導き出せますが、ましてや相手は生きている人間。死人以上に情報が足りないんです。だからこそ、あなたに頼みたい。奴の居場所を、探ってください。」

源は不敵に笑い、手元の写真を纏めた。

「ああ。任せろ。一時間後にまたここに来い。分かったら連絡する。」


岩場が降りて行った橋架下のずっと上、正確には橋に差し掛かる手前の河川敷沿いに設置されている道路上にて、この前、霊実体の研究部門に異動してきたばかりの新垣研究員が待機していた。この場所まで来るのに利用した車をそこに停め、丁度、雑草生い茂る坂に腰を下した状態で煙草に吹かしている。

新垣自身、趣味嗜好として以前から煙草を嗜んでいた人物ではあるが、異動して早々に霊実体に攫われるという体験をしてからはそれが手放せなくなっているのが現状だ。

煙草の煙で霊実体から身を守り、それによって生き残るのが先か、煙草の吸い過ぎで息絶えるのが先か。最近はそのことばかりを考えている。

「おーい、新垣君ー。」

下の方から、聞きなれた男の声が聞こえてくる。新垣は一旦口から煙草を離し、空いている方の手を振りながらそれに応える。

「博士ー。お疲れ様でーす。」
「いやはや、初老の男にはこの河川敷の坂は堪えるよ。」

多少の疲れを見せながら坂を上ってくる岩場を見かね、新垣が彼を迎えに行く。手を伸ばし、岩場をひっぱり上げるような形で彼を迎える。

車の側まで彼を誘導し、一旦その場で腰を下す。

「で、どうでしたか。」
「ああ。依頼はちゃんと受けてもらえた。犯人の居場所がわかるのも時間の問題だ。」
「そうですか……。良かった。」

新垣は安堵の表情を浮かべ、緊張が解けたように息を漏らす。そして、恐らく彼自身、安心からか先程から吸い始めた煙草の存在を忘れてしまっているようで、岩場に指摘されることで慌てて喫煙を再開させる。

「博士も、一本吸いますか?」
「ああ、それじゃあ……いや、やっぱり自分のを吸うから、大丈夫。ごめんね。」

そう言い、岩場は新垣から差し出された一本を断り、またも慣れない手つきで先端に火を付ける。その様子を、新垣は微笑ましく眺めている。

「博士、長く吸っている割にはどこかぎこちないですよね。」
「別に好きで吸っている訳じゃないからね。どっちかと言うと嫌いな部類だ。」
「あ、じゃあ……。」
「いや、良いんだ良いんだ。人が吸う分には全然。要は味がそんなに好きじゃないって事だから。これは、趣味というよりは義務だね。魔よけの効果を実感しているからこその所作だ。」

弁解を続けながら、岩場は少しづつ煙を口内に含ませた後に溜まりに溜まったそれを盛大に吐き出す。恐らくはあまりそれを肺に入れたくないのだろう。それに引き換え、新垣は目一杯に煙を肺に入れ、深くそれを吐き出している。それに伴って、2人の煙のくゆり方にそれぞれの個性が生まれている。

晴天の夏空の下、成人済みでかつスーツ姿の男2人がどこか黄昏ながら喫煙に勤しんでいる。事情が事情じゃなければどこか和やかな風景にも見て取れるし、穿った見方をすれば良い大人が仕事をさぼっている様子にも見える。

「確か、 みなもとさんでしたっけ。博士の旧友だとは聞いていますが……。」
源 静香みなもと じょうこう 。私の、大学時代の先輩であり、外部に籍を置きつつ財団や各組織の実態を把握している数少ない人間の1人だ。よそではブラックリストにも登録されている。稀有な人生を歩まされている人だよ。」
「……何か、話せましたか。」
「ほんの少しだがね。あの人は、全く変わってない。私と一緒に走っていた時のまんまだった。それだけが本当に、私は嬉しい。……本当にね。」

再度、岩場は煙草を口に運び、深呼吸とも溜息ともつかない吐き方で白煙を外に送り出す。

「……けど、なんで源さんは……。」
「君自身、霊実体の脅威はわかっているだろう。」
「ええ。……そりゃ、身をもって……。」

新垣は、自身の発言でほんの少し身震いを起こす。

「財団もそこまで馬鹿じゃない。霊実体の脅威性や実害については十分に理解している。だが、それらを調査分析したとしても、本当の意味での物理学的な見地を得られる訳じゃあない。端的に言えば正体不明な要素の方がはるかに多く、今ある知識だけであれらを証明し解明することには一種の限界がある。」
「だからこそ、博士はあれらの存在の立場に立って、あちらの世界の常識や影響を肯定したうえでそれらの活動や傾向を分析し、実用化を行っている。そうですよね?」
「ああ。所謂統計学的な見地でのアプローチと言っても良いだろう。だが、それには原理の究明という、一種の財団にとっての本懐が伴わない。だから現状、それらの存在や実害は認めているものの研究という一定水準を満たしていない物に対しての待遇は低くせざる負えない。それ以上に大事な案件が多いからね、この業界は。」
「……ですが、それと源さんと何の関係が?」

新垣の呈したその純粋な疑問に対して、岩場はどこか愁いを帯びた眼差しでそれに応える。新垣の顔は見ないものの、その表情がありとあらゆるしがらみを物語っているようにも窺る。

「ならば、逆に聞くがね、新垣君。君は、霊実体というものが見える人間が、世間一般、ましてや学会という場でどういう扱いを受けるのか想像できるかね。」
「霊実体が見える……ですか。」
「そう。君が遭遇した実体というものは、長い年月の末に多くの人間を殺め、取り込み、増長していった存在だ。そう言った強い情念の元に集まっていった実体というものは、そう言った尖った感覚を持たない人間の目にも鮮明に映ってしまうことが多々ある。だが、そうではない霊的実体、所謂『浮遊霊』とも称される存在に対しては、認識もされなければ観測自体も難しい。それが視える人間がどういった扱いを受けるか。君には分かるかね。」
「そりゃ、そんな物が見えるなんて言い出せば……あ。」

ここで、新垣は何かに気が付き言葉を失う。そして、それと同時に過去の自分がその場で想起され、何とも言えない罪悪感にも似た感情が彼の心情を染め上げる。

「厳しい言い方をするが、嘗ては君も世間や学会と呼ばれる側の人間だった筈だ。ならば、彼が一体どんな扱いを受けてきたか、想像に難くはないだろう。」

新垣自身、この霊実体の研究部門という現場に異動になるまでそう言った存在を扱う部署の事を鼻で笑っていた当人であった。勿論、普段は人間の目に映らない存在というものを軽視していたわけでは決してない。だが、そういう『幽霊』等という存在も、いつしか自分が扱う科学の範疇で解明出来る日が来る筈であると、漠然とはしながらも確信的な信念を持ち合わせてはいたのだ。だからこそ、それを実直に信仰し、その分野で成功もしてない部署を見下してきたのである。

だが、その日に彼は目の当たりにしたあまりにも現実離れした現実に酷く打ちのめされてしまった。自分がその被害に合い、己が信奉してきた科学の知見が悉く覆されるような存在や世界の現状を目に焼き付け、一種の啓蒙を得たのである。財団や人間の科学すら匙を投げた領域。原理の究明や真理への到達を夢見、いつしか全てのオブジェクトがExplainedオブジェクトへと変わるその日を求めて日夜邁進してはいた筈の若者が、たった一夜にして変わってしまったのである。

それを知ってしまった今では、無心に科学というものを信仰している人間の方が新興宗教にのめり込む信者の様に見えてくる。

新垣はそれを自身の苦い体験だとして痛感し、もしかしたら自分自身もその領域に挑む者たちを攻撃する側だったかもしれない事実に戦慄した。嘗て、自身の恩人を『死地送り』等と揶揄していた時の様に。

「……つまり、源さんはあれらが視える、人物である、と。」
「ああ。それも高水準でかつ、的確に。たとえ写真越しであろうとも、相手の居場所を正確に割り出せるほどの精度だ。」
「でも、そんな能力があるのなら、財団が黙っていないんじゃ……。」
「そう……そこだよ。そこなんだよ。新垣君。」

もうそろそろ、煙草の火も尽きかけているタイミングで、岩場は道路に煙草の先端をこすりつけ火を消した。そして、その吸い殻を携帯用灰皿にそれを入れてから話を切り返すのと同様に再び紙箱から一本を取り出し、相変わらずの手つきで再び火を付ける。

「新垣君は、人型オブジェクトの基準がどう言う物なのか知っているかね。」
「……財団が支給しているマニュアルでは、『人間に近い形状をし、かつ超常的な現象や事象を引き起こす異常実体である』、とされてますが……。それが何か?」
「それには一種の『現実改変者』も含まれる。そして、超常現象を引き超す人間型の実体の多くは、規定現実強度を1と設定したうえで、通常よりも高いか、通常よりも低いかで分類される事の方が多い。だが、ヒューム値が通常と大差がないからと言って、異常性が発現していない存在がいない訳じゃあはない。あくまで、人であるからこそ異常性に苛まれている者もいる。しかし、そう言った者たちに共通している事項はただ1つ。『異常性に苛まれているか否か』だ。」
「……要は、それを使いこなしているかどうか、という事ですか。」
「財団は、多くの人型実体を収容し研究してきた。だが、そこで得られた結論とは、実際問題原因不明なものばかり。そして、その大半はその異常性を外的用によって付与され、自身のコントロール下に置けていないのが大半だ。厳密にそうだと言い切れない事象も幾つか報告されてはいるが、それも少々毛色が違ううえ、人の形をしたナニかだ。」

新垣の煙草の火は当の昔に消えている。しかし、岩場の話に聞き入っているため、最早意識の中には存在しない。

「であるならば、現実改変者とは何かと言えば、財団内で提唱されているスクラントン博士の理論に基づいたあくまで物理学の範疇で起きる現象であると言い換える事が出来る。それゆえに、現実描を用いた対抗策も講じやすい。だが、それの規範も満たさず、かつ特殊な能力を使いこなしヒューム値も通常の人間と変わらない存在をどう表現する。それは人か? 人の形をした怪物か? 遺伝子構造上も何の問題もないそんな存在を我々はなんと呼称すればいい。」
「……所謂、霊能力者、ですか。」

これに対し、岩場は一言「そうだ。」という返答をし、簡単にこの問答を終わらせる。

だが、この話には続きがあるらしく、岩場は構わずにそれを続ける。

「ならば、その力の源は一体どこにある? 現実強度も問題は無い。遺伝子上の異常も見られない。まるで、我々の扱っている霊実体と同じような状態じゃないか。」
「……確かに、言われてみれば……。ですが、そこはあくまでロジックとしての共通点というだけで、厳密にそれらが同様の起源に由来する何かという……。え?」
「……そう。そこなんだよ。新垣君。私にはある仮説がある。そして、その仮説があるがゆえに、財団は彼ら彼女らを野放しにしているんだ。」

「新垣君は、『リンボ』という言葉を知っているか?」
「……キリスト教圏でいうあの世と現世の狭間にある土地、ダンテの神曲に置いてはキリスト教が発足する前に亡くなった者達が死後に行きついた場所、とされていますね。」
「仮に、私が提唱している空間領域の名前をこれを当てがって話を進めていくとして、私は霊実体の正体と言う物を一種のエネルギー体であると予想している。それは言ってしまえば全ての人間に備わっている感情や情念、そう言った人が思考したうえで発生する余波のようなものだ。生物の神経上では高速で情報が交換され、その際には放電を伴ってそれらの活動を維持している。その際に生じる余波が、所謂霊実体と呼ばれるモノの起源になるのではないのかとね。」
「ですが、そんなエネルギーが存在しているならば、何故観測ができないんですか?」
「そこで、リンボだよ。私が観測してきた強力な霊実体は、どの個体も自身の領域と言う物を保有していた。そして、その中では彼らは一種の支配者であり、そこでなら、人間に対する物理的なアプローチも可能になった。だが、裏を返せば、あれらはそれらの領域を広範囲に展開できなければ我々には一切手を出せないという事だ。しかし、もっと裏を返せば、あれらは我々の感情を読み取って、それの隙を突いて領域に引きずり込む。同調する。それを、私は『縁』と呼んでいる。だから、あれらは感情というエネルギーの塊であり、だからこそ我々の精神に対して侵入を試み、そこから自身のリンボへと誘う事が出来る。と、私は仮定している。」

どことなく、話の着地点が見えてきたような気がする。だが、新垣はただ黙って、その結末を待ちわびている。

「そして、最も強大な霊実体になりうる感情というのが、『憎悪』や『恐怖』、特に『死への恐怖』に依存するのではないのかと、私は考えている。そして、一種の憑りつき、祟り、殺すという霊実体のプロセスは、それらの負の感情を取り込む事によって更に増大していく為の食事に近い。所謂、場所に呪いや恨みが溜まっていってしまう『呪怨』と呼ばれる現象の裏付けにもなる。そして、リンボとは謂わばこの私達が生活している世界や現実と表裏一体、というよりはほぼ同様の位置に重なっている世界線であると仮定すれば、いくら現実性を検証してみた所でそれを観測できるわけがない。何故なら、元々非異常性を有する世界線に備わっている機能として、リンボが存在しているからだ。」

であるならば、それを視る事の出来る人間とは一体。新垣は考えた。そして、1つの結論のような物が頭に浮かんだ。

「じゃ、じゃあ、それが視える人間というのは、つまり……。」
「……誰よりも、死に一番近い存在、という事になるね。」

岩場の発言に対して、新垣は再度、彼が言った「財団が霊能力者を見逃している」という現状に対しても、1つの結論を出した。

「……私はね、新垣君。現実性も遺伝子情報も通常の人間と変わらず、ただ単に特殊な能力を発現させる人物達に関して、その力の源と言う物がどこから来るのかと聞かれたら、恐らくだがそれは、リンボにあると見ているんだよ。」
「……ポルターガイストや、強力な霊実体が物理的な干渉を可能にしている所以、ですか。」
「そう。そして、彼らはあくまで死者。肉体を失い、この物質世界との『縁』が消えた者たちだ。だが、能力者たちは生きて、この物質世界ともリンボとも繋がっている。しかしだ、新垣君。そんな、言ってしまえば死後の世界に片足を突っ込んでいる存在が、果たして普通の人間としての寿命を全うできると思うかね? 言ってしまえば、彼らは常に死にかけている。もしくは、一度臨死体験をして、能力に目覚めたという症例も存在している。そして、財団が保管してる霊能力者の記録では、その殆どが……。」
「……死亡している。」
「……一部では、自殺や組織的な殺害計画の末、という場合もあるが、大半は自然死だ。能力が発現してから、最長で五年。最短ではおよそ2ヶ月あまりで天寿を全うしている。財団が彼らを見逃しているのはね。放っておいてもすぐに死ぬからさ。能力が発現したとしても所詮は短い命。収容する、研究する価値は見いだせない。GOCが手を下さないのもそれが原因だろう。」
「……ですが、一部の例外も存在しているんですよね? 源さんの様に、能力を発現させながら生きながらえている人が。そう言った人々には、財団はどのような処置を……。」
「……私のような、特殊な部門で働いている者だけには知らされているが、利用価値があると見出された存在に関しては常に監視を。それ以外の能力者は、大半が人類の脅威とはなりえない体質止まりの者達ばかりだから放置、と規定では定められている。症例でみられる超帯電体質や、生まれ持った絶対音感などがそれに該当する。生まれ持ってそう言った能力を発現させる者達も、出産時に無呼吸状態が続いた状態から蘇生された等の経緯を持っている。そして、全員が共通して、何かしらの身体的疾患を持った者達が大半で、若くして亡くなる。つまりは、そういう事だ。」

匙を投げるなどという話ではない。新垣は愕然としたまま、真にそう思った。

自らが手を下さずとも死ぬ。だから動く事はない。酷く合理的かつ、冷酷な判断。財団が財団である所以。それを、淡々と突きつけられた彼は、それ以上の言葉を発する気力を失っていた。

「だからね、新垣君。私は時々考えてしまうんだ。我々は、何のために、誰のために、真実を追い求めているんだろうとね。」

嘗ては己のため。岩場の言葉に対して新垣は自分自身にそう言い放った。

「まあ、これはあくまで机上の空論だ。財団が定めている収容基準の規定に関しては事実だが、それが霊実体の存在と本当に絡んでいるのかなど定かではない。一部では、人の脳の不使用領域が関わっているなどとも言われている。だが、読心術も、念動力も、瞬間移動と言われる現象も、全て霊実体が可能としている現象だ。そこから私は、推論をもとに理論を構築しているに過ぎない。言ってしまえば、これは私の頭の中にある設定、ヘッドカノンに過ぎないんだよ。……そろそろ、時間だな。」

彼がそう言うと、謀ったかの様なタイミングで岩場の携帯電話が鳴った。

「さっき、源さんに渡しておいたんだ。儀式の様子は誰にも見られてはならない。いつもこうなんだ。じゃあ、行ってくるよ。ちょっとだけ待っててくれ。」

岩場はそう言い、どこかぎこちない笑顔で坂を下りて行った。肝心の新垣はと言えば、その背中を黙って見ていることしかできなかった。


源の協力もあって、実体の原因となっていた存在が突き止められた。その正体を知った時は、岩場自身も酷く驚いていた。

「介護放棄された老人の生霊、と言ったところですか。」
「ええ……まあ。」

財団サイト内の食堂で、野呂井と向かい合わせになるように新垣は座っていた。長机には幾つも椅子が設置されている筈なのに、彼らの周囲にはあまり人が寄り付かない。サイト内の喧騒とは裏腹に彼らの周りは静かな物だ。

「確かに、生霊の出現という事例は幾つも当部門では保管されています。今回もパターンは大変稀ですが、改めて考えてみると該当する点は多いですね。」
「はい。流石、岩場博士だなと改めて思います。」
「……当の本人は、今日も実地調査の予定を忘れて遅刻しましたがね。」

そう言いつつ、野呂井は自らが頼んだサバの味噌煮に箸を突き立て、苛立ちをぶつける。それを見る新垣は、内心恐怖に近い感情を覚える

「……そういうあなたも、以前とは大分変りましたね。前は論文の事と、上司の顔色の事しか考えていませんでしたのに。」
「そ、それは……。まあ、人間、一回は死にかけてみないと……! なんて……。」

新垣の発言に対し、野呂井は一切のリアクションを見せることはなく、食事を続ける。

「……す、すいません。」

すぐさま、新垣は謝罪を述べる。

「いえ。逆に感心しています。」
「え。」
「一度死にかけた人間は、それを冗談に使ったりなんて中々出来ませんからね。」
「……ははは……。」

先日まで続いていた事件は、あまりもあっけのない最後で幕を閉じた。源の霊視のより発見された、少年の霊実体を生み出していた存在、それが生命維持装置に繋がれた高齢男性だったからだ。

現状として、家族からの送金はあるものの、誰も面会に来ないという状態だったという。それがどういう経緯でこの異常事件を引き起こしたのかは未だ明らかにはなっておらず、そもそもが当の本人が発見と同時に息を引き取った事で現象自体の観測が出来なくなったからだ。

財団調査部の見解としても、今回の事案と岩場博士の行動との関連性は証明できないとして、現象自体が経緯不明のまま無力化されたとして処理された。

「結局、あの現象はなんだったんですかね。……何人も犠牲になったあの事件が、こうも何もなく終わるってのも、何だか釈然としないというか……。」
「何かに意味を見出す。それは決して悪いことではないですし、科学者としては十二分すぎる素養ではありますが、私達の部署では禁物ですよ。引き連ればそれが隙になる。」
「……すいません。」
「別に怒ってる訳じゃありません。本当に、ただただ、貴方も変わったなと思うだけです。」
「そ、そんなに変わりましたかね? というか、どこが変わりましたか?」

野呂井の口角が、ほんの少し上がったような気がした。

「大変、人間らしくなったなと。少し思っただけです。冷めますよ? チャーハン。」

野呂井に言われ、新垣は慌てて焼き飯を掻っ込む。それにより米粒の一部が器官に入り、酷くむせてしまう。

「何をやってるんですか。貴方は。」
「す、すいません……!」

ふと、先日岩場と話していた会話の内容を思い出す。

彼の老人も、もしかしたら。

そんな考えが一瞬浮かびもしたが、喉に流し込んだお冷と共に忘れてしまった。

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