地響きを立てながら、分厚く巨大な扉が軌道に沿って開いていく。
周りの七つの影に促されて扉を潜ると、また扉が立ち塞がる。
その後も続くのは、扉、扉、扉……百枚目を超えたあたりで数えるのを止めた。扉を守る衛兵でさえ、扉が幾つあるのか知っている者は一人もいない。ただ、扉の大きさが段々と小さくなっていった事だけは確かだった。
「傾注」
鋭い声に、ぼんやりとした歩みが止まる。
周りにいた七つの影は、最後の扉の前に整列した。
最後の扉は、今までの重厚なモノと比べ物にならないくらい、小さく、貧相だった。
「こちらを潜れば、総旗艦の御座となります」
「こちらを潜れば、後に戻ることは叶いません」
「こちらを潜れば、貴方の存在は全ての海から抹殺されます」
「こちらを潜れば、父御も母御も友垣も貴方を思い出すことはないでしょう」
「こちらを潜れば、貴方は永劫に自身を取り戻すことはできません」
「こちらを潜れば、貴方は全てを背負います。栄光も、怨恨も、全て」
「こちらを潜れば、貴方の全ては捧げられ、その代わりに全てを得るでしょう」
七つの影はこちらを覗き込みながら自分へと問いかける。全てを投げうつ者への最後の情けのつもりなのだろうか。それとも、天上人にも人並みに罪悪感が沸いたのだろうか。
そんなもの、何を今更。
「波の音が、聞こえるんです、今も。私は、そのためにここへ来ました」
「おおっ」と、影達は感嘆と嗚咽を漏らした。それと同時に、最後の扉は開け放たれた。
海。水平線に至るまで何もない海。蒼い空と碧い水面が混じりあう海。
扉から一歩踏み出せば、砂浜の熱が足の裏に伝わってくる。
「……総旗艦は」
「あちらに」
隣に寄り添った影が指す先。砂浜から伸びる桟橋の横に一隻、繋がれていた。
浮かべる城たる戦艦でなく。
荒鷲達の巣たる空母でなく。
劫火を宿した潜水艦でなく。
……丸木舟。
船の歴史において原始的とも言える形。それこそが、総旗艦と宣う。
意を決して桟橋から船縁に足を掛けた。波に揺られて態勢を崩しそうになりながら、倒れこむようにして乗り込む。ささくれの無い、磨き上げられた木の肌触りが心地よかった。
船底から体を起こした途端、何かが自分の中へと流し込まれる感覚を覚えた。頭骨が脳髄ごと締め付けられる。眼球が押し出されそうなほど圧迫される。再び船底に蹲り、自身の中に現れた嵐が過ぎ去るまで、じっと耐えた。
やがて、頭の中で荒れ狂っていた波は過ぎ去り、凪のように穏やかになった。
そして、理解してしまった。
自分が際限の無い海へと希釈されてしまった事。
前任者から果たし得なかった願いを託された事。
自身が連綿と続く大河をこの身に引き継いだ事。
顔を上げると、丸木舟の船尾に誰かが腰掛けている。"私"はそれが誰かを知らないが、"我々"は知っている。
『着任報告が遅くなりました。謹んで御役目承ります』
船尾へ頭を垂れると、その誰かは微笑みながら頷き、ある物を差し出した。
"私"の背丈よりも長い黄金色に輝く杖。精緻な天鵞絨で巻かれたそれを、両手でしかと受け取った。
『元帥杖、確かに拝領いたしました』
──御安航と御武運を──
水柱が崩れ落ちる様に、誰かは消え去った。
舟を降り、桟橋から砂浜へと戻る。その間にも"私"は徐々に薄くなり、"我々"へと成っていく。
砂浜には、七つの影が平伏して待っていた。ぼんやりとしていた影は、今やその輪郭をはっきりと浮かび上がらせている。
「御帰還、お待ちしておりました、閣下。再びお仕えできる事、無上の喜びでございます」
『瞬きする程度の短い時間でしたが……息災でしたか、五総二院のお歴々』
「過分なお言葉、恭悦至極に存じます」
刹那、消え去りそうな"私"が顔を出した。
「私の事は、覚えていて、くれますか。忘れないでいて、くれますか」
七つの影はゆっくり立ち上がり、各々が"私"の手を取った。
「忘れるわけございません。今までも、そしてこれからも、我々だけは覚えております」
安堵した"私"は、今度こそ霧散した。
「御命令を、閣下。我らが戴く唯一の最高司令官……」
"艦隊大元帥にして大提督"
『相分かった』
黄金の元帥杖を掲げ、"我々"は命令する。原初にして究極の命令を。
征け、我らが戦友達、果てなき海の果てまでも。
命尽きるまで、魂擦り切れるまで、ゆきゆきて。
往けども、往けども、尽きぬ路。
昇れども、昇れども、遠き蒼空。
果てなき、果てなき、海の果て。