クレジット
タイトル: 少女探偵小百合 大正を駆ける
著者: Snowy-Yukinko
作成年: 2024
http://scp-jp-sandbox3.wikidot.com/draft:8062398-35-3c9c
宮澤みやさわ家当主夫人 邸宅にて殺害される
警察は少女探偵へ依頼状を送付
去る大正一五〇年六月十五日 第三地区宮澤家邸宅に於いて 宮澤家当主夫人たる宮澤 ツグミ夫人(三五)が何者かに依て殺害された。此事件重要なれど至極難解にして 警察は「少女探偵小百合さゆり」なる人物へ事件解決の依頼を送つたさうだ、件くだんの少女探偵は 迷事件を度々解決せしとして 最近有名なれど 正体不明謎多き少女であり、我が社は 記者浦田うらた君を現場に派遣し 殺人事件と謎の探偵に就て密着特集を⋯⋯
◇広告
宮澤グルウプ 広報部依り御知らせ: 社長夫人逝去に伴ひ当社は暫く自動人形および義躯の製造を停止させて頂きます。御不便御迷惑お掛け致します。
帝都に佇む大屋敷、夫人の私室で事件は起こった。窓のない絢爛豪華な事件現場を、シャンデリアが煌々と照らし、ゴテゴテとした機械が付けられた部屋の家具を、警察がコツコツと調べていた。
「オイ記者君、そこの線は踏むんじゃないぞ」
すみません警部、と頭を下げて、一歩引いて現場を眺む。事件記者に成ったといえど、やはり死体というモノは、老若男女人躰電躯、身の毛のよだたぬものはない。それに本件は話が違う。電信テレビ・新聞にイヤと見た、宮澤夫人のホトケである。ツンと整う顔貌は、恐怖の化粧を施され、義躯の隙間の身体から、真っ赤な潮が飛散していた。
「通報が起こったのは五日前の午後十時、警察が駆けつけたのはその十分後。それまで出入りは無いそうだ。当然、今も我々警察が厳重に屋敷を見張っている」
「ヤハリ刃物を用いた殺人でしょうか、一体誰が⋯⋯」
「おそらくは、だ。まだ凶器は見つかっとらんから、なんとも言えんな。それに、下手人を見つけるのは俺達の仕事じゃアない」
少女探偵小百合。数々の事件を一刀両断解決すると新聞社でも話題の的、「女装した警官さ」と言う者も、「高度な自動人形に違いない」と言う者も居る。流石は謎の少女探偵、素性も得体も誰も知れぬ。記者浦田も一人の男である。謎の探偵に魅せられて、真っ先に新聞社を飛び出したのだ。
一体どんな風体だろう。少女と名のつく全ての物を頭の中で並べて見せて、浦田は密かに口角を上げていた。
細いピンヒールの靴音が、外の廊下に響き渡る。少女探偵のお出ましだ。死体を囲んだ二人の男は、件の少女を迎えるため、扉の近くへ移動した。男等の前に現れたのは、先ほど記者の想像した、どの姿にも似つかない、ある種奇怪な少女であった。
ヴェネチアンマスクで目を隠し、フリルで飾られたコートの下に、軽く靡く赤いスカート。体全体を支えている、白磁のような華奢な義脚。その体つきもミステリアスで、溌溂とも婉然とも、陽気にも冷静にも見える身振りであった。警部も姿を見るのは始めてだったのだろう、浦田と共にビックリ仰天、口を開閉させていた。
「ハハア⋯⋯貴方様が⋯⋯少女探偵⋯⋯」
少女探偵はまさに百合のような微笑を浮かべ、長い髪を揺らして一礼した。
「如何にもワタクシが、少女探偵小百合。ワタクシが来たからには、全ての謎を花の如く散らしてみせますわ」
少女探偵が屋敷に現れる少し前のこと⋯⋯。
帝都の外れに建てられた療養所。その真っ白い病室の、これまた真っ白いベッドの中、一人の背の高い少女が眠るように目を瞑っていた。彼女の長い黒髪は、どこからか吹いた風を受けて花びらのようにふわりと揺れた。静かな日の光が、窓から覗いていた。
激しく開く扉の音が病室を包んでいた静寂を破ってしまった。少女は目を閉じたまま動じず、婉然と微笑を浮かべて言った。
「あら、病室の騒音は御法度よ⋯⋯一体誰かしら?」
「ごめんなさい、カノコお姉様、でも一緒に探偵ができるのが嬉しくって⋯⋯! アタシです。イトハです。依頼状が届いたと聞いて、やって参りました」
"お姉様"とは対照的な、陽気で溌溂そうな小さなおかっぱ少女がベッドの前で目を輝かせている。ベッドの上の少女──カノコは、冷静さの窺える黒い目を大きく開いた。
「ええ構わないわ、私もずうっと静かなのに飽き飽きしていたし、ホントは貴女が扉を開けるのをずうっと待ってたのよ⋯⋯」
これで役者は揃った。イトハとカノコ、彼女たちこそが二人で一人の名探偵。少女探偵小百合、ここに幕開けである。
「ところで、事件についての報道はもちろんご覧になって?」
溌溂な少女──イトハはしまった、と言わんばかりに額に手を当てた。「そうだと思ったわ」とカノコはベッド横のテーブルにあった新聞をイトハの方へと遣った。イトハは両手でそれを広げ、一面に目を通した。
「これが今回の事件なのね、宮澤夫人、気の強いお方として有名でしたから、やはり誰か妬む人によって殺されてしまったのかしら?」
「ウフフ、そうね。でも、思い込みは禁物よ。難事件の背後には、得てして一目では見抜けないストーリーが隠されているものですから⋯⋯」
カノコは近くの封筒を取り、イトハを上目遣いに見上げた。
「こちらに依頼状があるから、その住所へ向かって、推理のために情報を集めて来てくださる?今回も、一人で行かせることになってしまうけれど⋯⋯その分、いつまでもなく冴えた推理を見せてみせるわ」
「全ッ然! いいのですよ! アタシなんて足と眼しか取り柄のない女だし、それにお姉様が恢復かいふくなさるコトが一番ですもの! それじゃアタシ、少女探偵の衣装に着替えてきますッ!」
上目遣いに魅せられたイトハは跳ね上がり、依頼状を受け取って懐にしまうと、またもや大きな音を立てて病室を出ていってしまった。
残された方の少女は、彼女の影を見送った後、静けさの戻ったベッドに再び横たわった。病室の窓から、騒音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「デハ小百合嬢、今回の事件の被害者についての説明ですが⋯⋯」
「被害者は宮澤 ツグミ、三十五歳。宮澤家現亭主・現社長である宮澤 タダシと結婚してから気弱な社長に代わって宮澤グルウプの運営に携わっている。グルウプの抜本的改革を進めていた故、前社長であり現社長の父、宮澤 剛蔵ごうぞう氏を筆頭とした旧体制派からは白い目で見られていたわ。そして、大勢の自動人形をメイドとして管理していて、身の回りの世話は全て彼女らに任せている。そのため殺害の瞬間を見た者は誰一人いない。そうでしょう?」
説明しようとした全ての事項をそのままピタリと言い当てられ、警部は口を開きっ放しにしていた。
「大きな傷が一つだけ、服を貫いて義躯の隙間を通り腹部深くまで達している。これが致命傷かしら。夫人のお身体について良く知っている方でないとこうはならないわ。そして警察の方々の顔つきから見るに、まだ凶器は見つかっていなそうね」
義躯と一口に纏めても、装つける部分やその種類は、人によって千差万別である。服の上から一ト刺しで義躯の隙間を通し、夫人の急所を刺す事は、彼女を深く知らなければ、確かに無理な試みだろう。
しかし現場に着いて十五分も経たぬうちに、これほどまでの事を見抜くとは。「さ⋯⋯流石は名探偵。いやはや、少し見くびり過ぎましたなァ⋯⋯」
「そして片手には本が一冊。おそらく、そちらの本棚のものでしょう」
そう言って少女探偵は屍体の向かいにある本棚を指した。ぎっしり本が詰められた内に、ちょうど一冊分隙間がある。「こちらの本、中身を確認してもよろしいかしら?」
「はあ、確認する分には問題ないのですが⋯⋯」
夫人の手にある白表紙の本。少女探偵の来る前に、警察も当然目をつけていた。夫人のダイイングメッセージがあるやもしれぬと、中身も確認したのだが──
「あら、この本全頁ペエジ中身が空ね」
夫人の持っていた本の中身は、全くの白紙であったのだ。殺人事件を取り巻く大いなる謎の一片として、白い本もまた、警察の頭を悩ませていたのであった。
お姉様へ
お姉様の見立て通り、事件を目撃した人物はいないみたい。社長のお父様が、防犯カメラを置いたらしくって、夫人の廊下にもカメラがあったわ。いつか調べておこうと思います。
夫人の屍体についてのメモも、走り書きだけど乗せておくわ。夫人、右手に白紙の本を持っていたの。警察はこの本から頁を幾枚か抜き出して、薬品をかけたり、火に炙ったりしてみたらしいけど、何のメッセージも読み取ることが出来なかったらしいの。手紙を書きながら考えても、ヤッパリアタシの頭じゃわけがわからないわ。事件には関係ないかもしれないけど、特別にここに書いておいたわ。
傷痕の分析から、凶器は事件の日の夕食で出されたナイフだ、と聞いているわ。まだ警察は凶器を見つけていないから、犯人がどこかに持って行ったのかしら?
そうだ。事件現場に帝都新聞の記者がいたの。多分新聞にあった「密着特集」の件だと思うのだけど⋯⋯そのせいでアタシ、名乗り口上を挙げる時、本ッ当に緊張しちゃった。幸い、少女探偵の頭脳が現場に無いコトに気づかれる様子はなかったわ。ああ、アタシの口がお姉様のものだったら、スラスラお上品な言葉が出てくるのに! また何かあったら報告します。
追伸: お姉様の診療所で電信だったり、超文転送網が使えないのは、仕方ないけど少し不便ね、私の拙い字が、お姉様に読めるといいのですが⋯⋯
イトハ
かわいいイトハへ
まずは、調査お疲れ様。こうしてお手紙の上でお話しするのも、浪漫があってすてきよ。イトハの字は純粋で、お手紙を読んでいるとまるで私がイトハの体とピッタリ密着して、一緒にお屋敷を調べているように思えてくるの。
屍体の写真に、警察の検分も送ってくださってありがとう。かなり服に血液が飛び散っているようだから、ナイフは刺した直後に勢いよく引き抜かれたもの、だと思うわ。この分だと下手人も返り血を相当浴びているはずだから⋯⋯とにかく、もう少し情報が欲しいわね。夫人の持っていた本についても気になるわ。
少女探偵の密着記事のことだけど、緊張せずいつも通りにやればいいのよ。貴女も頭は回る方よ?屍体のメモを見たけど、短い時間でよくここまで調べ上げられた、と思うと私も誇らしいわ。自信を持ってちょうだいね。
書き振りからすると、次は事件の関係者に聞き込みをするのかしら?ステキな捜査を待っています。今日の朝刊にも少女探偵の特集が載っていたわ。少女探偵の外見は、長髪長身の別嬪さんだとか⋯⋯それで、イトハが頻りに私の身体の大きいのと、髪の長いのを褒めていたことを思い出したの。短髪で小さなイトハも、私は好きですのよ?
追伸: 手紙が思ったより早く届いて、少し安心しています。帝都の物流技術は、やっぱり目を見張るものがあるわ。手紙の往復でたったの半日しかかからないのは助かるわね⋯⋯
カノコ
脚躯の軽快な足音が、廊下のカーペットに吸い込まれてゆく。少女探偵小百合⋯⋯に扮したイトハは、彼女のために用意された控え室を出て、聞き込みのために屋敷を歩き回っていた。
少女探偵の手紙が早く届くのは、何も百五十年の栄華がもたらした技術の発達のためだけではない。以前少女探偵の推理によって助けられた郵便会社が、彼女らの手紙を特別扱いし、少女探偵の手紙が送られるや否やいち早く郵送してくれるのだ。
通報から警察の到着までに、人の出入りはなかったそうで、少女探偵の推理と合わせても、やはり下手人はこの屋敷にいる、夫人の義躯を熟知した誰かだろう。
屋敷は二階建てであり、一階は応接間や調理場、二階には屋敷の住人らの私室があった。お姉様のように振る舞いたくて、コスチュームに気合を入れたのだが、脊せいの高い慣れない足で広いお屋敷を歩くのは、少々イトハには大変だった。
それに加えて、イトハは後ろを付けている新聞記者に少し辟易していた。廊下を十歩歩くごとに、やれ小百合様探偵業は大変ですね、だの、やれ推理の方は上々でございますか、だの話しかけてくる。最初の方は律儀に答えていたが、流石に少しうんざりが勝っていた。
自動人形を束ねるメイド長は、厨房で今も働いているようだ。凶器と同じナイフを見ておく、という点でも、真ッ先に調査すべき場所は厨房であった。この見解には浦田も賛成であった。もっとも浦田は、上流階級の料理、という全く個人的興味においても厨房のことが気になっていたのだが⋯⋯
厨房の扉を開けると、捜査はあらかた仕上がり、厨房を使う許可が出たため、部屋全体が忙しなく動いていた。煙を上げる調理器具に、辺りを回る自動人形、厨房そのものがグルグルと音を立てて廻っているようであった。
イトハは黒いメイドエプロンを着た自動人形の中、一人だけ紫色の服を身に纏った自動人形に話しかけた。彼女こそが、自らも自動人形でありながら、屋敷で稼働する人形等を束ねるメイド長であった。
「失礼、お時間よろしいかしら?」
「少女探偵小百合さま、でござりましょうか。私めに聞きたいことがございましたら、何なりと⋯⋯」
私めも古い型ですから総ての事を記録に入れられるわけではないですが、と前置きしつつも、彼女はここの自動人形たちについて詳しく語ってくれた。
「⋯⋯ここの自動人形は、完全にプログラムで制御されているわけではないのです。ツグミさまからの呼び出しや日常の家事などがタスクとして追加されると、逐一私たちは任意の場所に振り分けられて業務に向かうのです。それ以外の時はランダム──いや、ここは『自由』、と申しましょうか──に動いております。最初に通報なさった自動人形は自由時間中、偶然ツグミさまの私室に入って屍体を目撃した、と記録されています⋯⋯」
イトハは彼女の語った情報を後でカノコへと届けるためのメモに書き下ろした。メイド長の自動人形は、下のような言葉で証言を締め括った──
「早くに実の家族を亡くし、自動人形を育ての母にもつツグミさまは私たちのことをまるで子供のように愛されておいででした。もちろん、私たち自動人形の全員も、ツグミさまをまるで母親のように慕っているはずでございます」
自動人形であるメイド長に涙を流す機能はない、しかしイトハには彼女が仕事に戻る時一瞬だけ目元が光ったような気がした。
──横に目をやると、自動人形のごった返す厨房の中で浦田はもみくちゃにされていた。ふと、このうざったい新聞記者を撒いてしまおうかしら、という考えがイトハの心中で浮上した。
浦田が厨房の景色に夢中になっている隙をついて、イトハはさっとしゃがみ、近くの自動人形の影に隠れた。少女探偵のフリルのコートはエプロンドレスに囲まれて、さながら花畑の中の花束のように、姿を隠していた。周りの自動人形と一緒になって、イトハは厨房を抜け出し去っていった。
セレブの厨房を自動人形に揉まれながら一通り見物した浦田は、再び少女探偵の取材に戻ろうとした。⋯⋯が、厨房中何処を見渡しても少女探偵の姿が見当たらないのである。
「オヤ?小百合様は何処だ──ナンテコッタはぐれてしまったぞ⋯⋯小百合様! 少女探偵小百合様! 一体どこへおられるのでしょうかア⋯⋯」
浦田は人いきれ──いや、自動人形いきれ、と言った方が正しいだろうか──にもみくちゃにされながら、その場をすでに去ってしまった少女探偵を呼び続けていた。
所変わってイトハは、前社長の部屋へ入らんとしていた。屋敷の他の部分と比べて一際古めかしい雰囲気が、部屋の前の廊下からも染み出していた。
扉を開いて最初に目に入ったのは、正面の壁に大きく掲げられた書額であった。「我らが造るは人形に非ず 一人の真人間を造るべし」といった、如何にも社訓らしい文が毛筆ふでで書かれて架かっていた。その壁の下、回転椅子には大企業のお偉いさん、といった風貌の、初老で小太りの男性が座っている。男は黒光りする煙管を握っていたが、少女探偵の姿を認めると眉を顰め、大きな機械の鼻先からシュッと紺色の煙を吐いた。
この男こそが、宮澤グルウプ前社長、宮澤 剛蔵氏である。社長の椅子こそ息子に譲ったが、依然グルウプでの地位は高い。社内の保守派の大将として、夫人と舌戦を繰り広げていた。彼女に比べると頻度は低いが、彼の姿もまた、新聞で屢々しばしば目にしていた。
「失礼致しますわ。ワタクシ──」
「貴様が例の少女探偵かね、警察から話は聞いておるわ。ここで何を詮索するつもりだね?」
イトハの自己紹介の声を遮って、剛蔵氏は質問を投げ返した。
「宮澤グルウプ前社長の剛蔵氏、でよろしいかしら。事件の起こった時、何処で何をなさっていたのか教えてくださる?それに、そのアリバイがあるかどうかも⋯⋯」
「フン、警察には話をしたのだがな、これで二度目だ。夕飯を食い終わってあの女が自室へ帰ったのが九時。その時はまだ夕食を食べていた、この部屋に帰ったのが九時の半だ。その後に目を真っ赤に光らせた人形が殺人だ事件だとて屋敷中を走り回るまで、ずっと此処にいたはずだ。外の廊下のカメラ映像でも見れば、嘘なぞ吐いとらん事がわかるだろうがな」
彼の話振りにはどことなく高圧的な何かを感じた。夫人亡き今、グルウプの実権を握る事になるのは彼になるのかしら──と考えると、その態度の大きさには納得できないわけではなかったのだが。
剛蔵氏は最近の宮澤グルウプの派閥争いや、宮澤邸の歴史などを次々にイトハに証言したが、話が現在の方へと近づいていくにつれ、彼は目に見えて不機嫌になっていった。殊に、自身の息子についてはほとんど愚痴ばかりを垂れ流していた。
「⋯⋯ハッ、あのドラ息子は社長の仕事もロクにせず、毎日家に引きこもって遊び呆けておる。あんな下劣な趣味にウツツを抜かすなぞ、社長として在るまじき態度だ。嫁でも娶れば亭主として、立派になるやもとそう思い、渋々縁談を承諾したが、飛んだマチガイだった──」
剛蔵氏は息子への愚痴からどんどん話を逸らしていき、いつの間にかツグミ夫人への恨み言にスイッチが入っていた。
「あの女狐め、体制一新と抜かして、グルウプの伝統を滅茶苦茶にしやがった。この屋敷から執事どもを放逐して自動人形に挿げ替えたのもあの女の仕業さ。いずれ社員の中で気に食わない者も自動人形に挿げ替える算段だったんだろう。きっと、この宮澤邸も改造という名目のもと滅茶苦茶にするつもりに違いない。奴は死んで当然だ。バチが当たったのだ」
死んで当然、という言い口が、イトハの口に火をつけた。「おや?ワタクシの知る限り、夫人が体制を一新してからグルウプの業績は上がり続けているそうですが──」
フン、と剛蔵氏はただでさえ大きな鼻を大いに鳴らした。「大体、女のくせして亭主より出しゃばるなど考えられぬ。若いものは伝統の何たるかを知らんから困るのだ──」
「お言葉ですが、ワタクシも若い女の一人である以上その言には反駁させていただきますわ。大正も百五十年のこの時代、男女の違い、年の違いで何かを決定するなど時代遅れだと思いませんこと?」
そう言い放った少女探偵。暫しの間、少女探偵と剛蔵氏は互いに眼光光らせ、火花が出るほど睨みあった。
「ハッ、せいぜい探偵ゴッコでもなんでもするが良い。下手人が見つかったらすぐに追い出してやる!」痺れを切らした剛蔵氏は不機嫌そうに言い放つと、回転椅子をくるりと廻し、そっぽを向いてしまった。少しムキになってしまったか知らん、とイトハは恥ずかしく思ったが、今更態度を和らげる必要もあるまい、もう聞くことは聞いたのだから、とそのまま部屋を出て行ってしまった。
お姉様へ
屋敷の方達への聞き込みだったりを、途中だけど報告しようと思って筆を取っています。アタシは手紙を書くのがすきだからドンドン手紙を送ってしまうけど、もし返信するのが煩わしかったら無視してもらっても構いません。
警察は、事件の日の夕食に使われたナイフが凶器だと目当てをつけて、同じ種類のナイフを片っ端から調べていたわ。まだ警官たちは難しい顔だったから、凶器はまだ見つかったわけじゃないと思うけど⋯⋯それと同じ型のナイフの写真を、手紙と一緒に送っておきます。
メイド長の自動人形にも話を聞いたの。彼女、夫人が宮澤邸にきて初めて雇った自動人形らしくって、色々聞かせてくれたわ。自動人形のシステムが完成した今では彼女でさえも把握しきれないほどの人形が屋敷で動いているんですって。ヤッパリお偉いさんの豪邸ってのは賑やかね。
厨房といえば、新聞記者の浦田とかいう方、私を質問攻めにしてきて少し煩わしかったから、その厨房で自動人形に紛れて撒いてしまいましたの。今頃もみくちゃにされてるハズよ。明日の朝刊が楽しみですわ!
社長のお父様は事件当時ずっと部屋にいた、っておっしゃってたわ。その他に、宮澤邸の歴史とかも。あの方、夫人に凄まじい憎悪を持ってたわ。
一応は社長の妻である夫人が、何故あんな二階の端っこの、それも夫のタダシ様の部屋とは別々に私室があったのか疑問だったのよ。あれはきっとお父様の嫌がらせね⋯⋯夫人のバンバン新作を打ち出して話題になろうとする姿勢が保守派のお父様にとっては受け入れ難いのかしら。それとも、単に若い女が企業のトップで活躍するのが気にいらないってだけ?
アタシ達少女探偵のコトにも文句を言っていたの⋯⋯女子供に探偵なんて早いだの云々言われて、少し頭に来ちゃった。アタシは別に馬鹿にされても構わないのよ、でもお姉様の頭脳までお疑いになるなんて! 思わず、少女探偵であるコトを一瞬忘れそうになってしまった程よ。とにかく、動機から考えるにあの前社長が一番怪しいと思うわ、アタシ。あとでまた部屋に潜入して何かトリックが隠されていないか探してみようかしら。
イトハ
かわいいイトハへ
こまごま連絡をくださって、私はとっても嬉しいわ。療養所の生活も貴女のお手紙のおかげで全然退屈じゃあありません。別に無理してお返事しているわけじゃないから、そこは安心して欲しいわ。最近、文字を書くのが楽しくなってきちゃって、筆がすらすら進むってだけよ。
ナイフの写真、確かに受け取ったわ。あと屋敷の自動人形のシステムも。やっぱり夫人の考案したシステムなのかしら?夫人が亡くなって尚、多くの人形が変わらず動き続けている。そう考えると、やっぱりツグミ夫人は有能な仕事人、という感じがするわね。
イトハは昔から授業を抜け出すのが得意で、よくこっそり私のところに会いに来てくれたわよね、そんなイトハに撒かれてしまうなんて、浦田様も可哀想。⋯⋯でもあんまり意地悪するのは良くないわ。私も朝刊を楽しみにしているのだから⋯⋯
社長のお父様が下手人、というイトハの推理は、残念ながらきっと間違いね。
確かに夫人が死んだことで社長のお父様の権力は強くなったはず、でも、パッと見の動機だけで殺人鬼を決めるのは冴えない小説家のやることよ。現に、そこまで夫人を毛嫌いしていたら、夫人の身体の構造は知る由もない──急所にナイフを差し込むことは不可能ですもの。
イトハは次は社長さんに話を聞くのかしら?「白い本」についてやっぱり気になるの。よろしければ社長さんにそのことを尋ねて欲しいのだけれど。
カノコ
イトハは次に、現社長であり、夫人の夫、宮澤 タダシ氏に話を聞かんとしていた。彼の私室の扉を開きかけると、背後から「何か御用でしょうか」と男の声が聞こえた。声の方へ振り向くと、右肩からいくつも義肢を生やした、細身の男がそこにいた。男は少女探偵を見つめ、勝手に入られては困りますね、と冷ややかに呟いた。
「あら御免あそばせ⋯⋯貴方が宮澤 タダシ様でしょうか?」
「いえ、私はタダシ様の執事に御座います──そちらこそどなたでしょうか」
イトハはこの男、社長の執事から少々の威圧を感じた。尤も、その威圧感は前社長のようにこちらを見下すようなものではなく、むしろこちらをできるだけ遠ざけようという様なものであったのだが。
「ワタクシの名は小百合。探偵として社長に事件について話を伺うために来たのですわ」
相手が少女探偵と知り、執事は先程の冷たい態度から一変、義躯の右腕のうち一つを下げ一礼した。
「成程、貴女が少女探偵小百合様でございましたか。ご無礼誠に申し訳ございません」
「生憎ですが、タダシ様は今お取り込み中なのです、手がおすきになったら連絡が来られるので、少し経ってからまた来ていただければ⋯⋯」
「⋯⋯でしたら、先に貴方について話を聞きたいわ。お時間よろしくて?」
社長につききりであったとはいえ、執事もまた事件当時屋敷に居た人物である。執事は少し意外の顔を示したが、少しの間首に手を当てて考え込んだ後、ええ構いませんよ、と彼女を案内した。
応接室は警察によって占拠されていたので、二人は執事の部屋に行くこととなった。執事の部屋には、多くの二段ベッドが置かれていた。以前はもっと多くの執事が屋敷に抱えられていたのだろうが、今でも使われていそうなベッドは唯一つである。ほとんど彼の私室と化したその部屋の壁には、義躯の右腕が所狭しと掛けられていた。執事は部屋の奥からティーポットにティーカップを持って現れた。
「人間の召使、というと自分だけですね。他には自動人形しかおりません。夫人が住み始めてから多くの方は追い出されてしまいましたが、私は社長の御恩でここに残らせていただいているのです⋯⋯」自身は首を覆う詰襟のボタン一つも外さないまま、執事はどうぞごゆっくり、と紅茶をカップに注いだ。
執事の入れた茶を口に運びながら、イトハは壁に掛った腕躯を眺めていた。標準的な義躯から、異様な装置のついた物、女の腕のように見えるものなど、実に様々な種の右腕が揃っていた。
「ここに来る前はエンジニアーでしてね、その名残りで義躯を自作しているのです。いずれもタダシ様の、まさしく右腕として遜色ない働きをいたしますよ」
そう言うと執事は、左手でレンチを器用に回し、右腕の一つを取り外してみせた。その右腕は肘から先がネオン管になっていた。執事はこの腕について、自分の意思で自由に色を変えられるのですよ、と義躯をはめるソケットを右肩に露出させながら語っていた。イトハは、何の必要があって右腕を光らせなければならないのかしらん⋯⋯と内心では当惑していたが、ひとまず彼にアリバイを尋ねることとした。
執事は事件の起こったであろう時間は、自分の部屋で夕食を終わらせて社長と共に社長の私室の中にいた事を証言した。
「⋯⋯正直なところ、夫人については自分もあまり知るところが少ないので御座います。もちろん、タダシ様を接点とした繋がりはあるのですが⋯⋯兎にも角にも勤勉で、仕事一筋の方だと感じていました。それだけに、趣味を楽しまれるタダシ様と結婚されたのは少々意外でしたが、ね」
また執事は最初イトハにあった時に見せた冷たさについても幾分かの釈明をした。
「先ほどは冷淡な態度をとってしまい申し訳ありません、夫人が会社を取り仕切るようになってからというもの、剛蔵様がタダシ様に頻りに女性を紹介するのですよ。タダシ様はすでにご結婚されているにもかかわらず、傍迷惑な話で御座います。マア、今度こそはタダシ様を思い通りに動かしたい、と言う魂胆でしょうね、貴方様が最初にいらっしゃいました際、剛蔵様の連れてきた娘ではないかと疑ってしまいましてですね、それでいち人間の執事としてタダシ様を守ろうとつい⋯⋯」
その時、執事の肩に接続された右腕の一つが、アラーム音を立てて光鳴した。彼はその手を耳にあて、頷きながら何かを呟いていた。
「どうやら、タダシ様のご用事が終わったそうです。小百合様。部屋に参りましょう」
社長の私室の中は妙に暗く、電化製品の放つ燐光のみが怪しげに光っていた。入った少女探偵を迎えたのは、可愛らしい少女の声であった。
「貴方の電枢コアを、狙ひ撃ち! 華愛はなまな娘シロエに、お任せあれ!」
この文句、イトハには聞き覚えのある物であった。幼い頃に夢中になった、華愛娘の名乗り口上である。かつてのように電端を見つめることこそなくなったが、華愛娘シリーズの新作が今年も放映されたことぐらいは耳にしていた。声と共に、部屋の奥から蜘蛛のような脚躯をそなえた一人の男が進み出た。
「ワタクシ、少女探偵小百合と申します。社長の宮澤 タダシ様でよろしいかしら?」
「如何にも、小生こそが宮澤グルウプ社長、宮澤 タダシです。して、小百合嬢、小生に何か聞きたい事でも?」
その男は体型や顔に剛蔵氏の面影を残しており、一目で彼の息子だと分かった。しかし表情はだいぶ柔和であり、両腕の義躯には、ハイカラな格好をした華愛娘のホログラムが浮き上がっている。ははあ、剛蔵氏はこの趣味が気に入らないのだな、とイトハは察した。
目を凝らしてよく見てみると、壁にはメイド服様の衣装がずらりと並んでいる。「この衣装は⋯⋯華愛娘の衣装かしら。タダシ様が着なさるのですか?」
「ううん、小生には似合いませぬからなあ、もっぱらこの子たちは展示用、といったところですぞ、」と言いかけたところで、急にタダシ氏の様相が豹変した。
「ムム、小百合どのもしや華愛娘シリーズを知っておいでか!? イヤア良いですよねェ華愛は。幼子向けのアニメーションでありながら、その物語は子供騙しじゃアない本格派。新シリーズの滑り出しも上々で──」
急にタダシ氏に迫られて、イトハは慌てながら首を振った。
「あ、アタ、ワタクシはその、子供の時に電端で一寸ちょっと見たくらいでそんなに詳しくはないのですわ⋯⋯その、夫人が亡くなったときどこにいたかを教えていただきたいのだけれど⋯⋯」
タダシ氏は我に帰って縮こまったように肩を落とした。深い溜息が口から洩れた。
「⋯⋯ああ、小百合嬢はその事を聞きに来たのでしたな、小生の悪癖が申し訳ない⋯⋯」そう言葉を継ぐと、タダシ氏は事件の日、ツグミ夫人のすぐ後に夕飯を終え、私室でずっとアニメーション鑑賞をしていた、という、あらかた執事の証言と合致することを話した。
加えてタダシ氏は、夫人との出会いから結婚に至るまで、そして夫人がここにきた後のことを事細かに話してくれた。
「ツグミは元々グルウプの社員でしてなあ、マア、ワーカホリックのような性分でして、仕事以外には特に興味がないのですよ。もちろん趣味に恋愛なぞ以ての外。それが華愛娘以外に興味のない、仕事に恋愛なぞ以ての外の小生と利害が一致したわけです。彼女がこの家に来てからは、いわば冷え切った夫妻の真似事をしつつ、ツグミは仕事係、小生は趣味係、とキレイに分業をこなしているのですぞ。勿論、ツグミを愛していない、と言うわけではマッタクないんですがな」
そう聞いてイトハは、一生の伴侶が死んだ、という沈痛さがタダシ氏の口調にまるで見られなかったことに合点がいった。この夫婦にとって、結婚というのは彼らの好きなことをするための隠れ蓑に過ぎないのだ。イトハは結婚、という文字の持つ高尚さが甚だしく下がったような気がして、心の中で幻滅していた。
「もともとあの部屋はツグミの執務室で、ツグミと小生の私室は別の所にあるのですがな、仕事をするのに不便だ、と執務室に篭り切りなのですよ。小生も同じくこの部屋に篭り切りでして、あの部屋に最後に行ったのはいつだったか⋯⋯マア今頃は倉庫にでもなっているでしょうな」
どうやら、夫と妻の私室が分かれていたのは剛蔵氏の嫌がらせでもなんでもなく、ただ両名が自由に動き回った結果らしい。イトハはこの点についても拍子抜けしていた。
「だから、マア夫とはいえ、小生もツグミの生活についてカンペキに把握している訳ではないのです。一度ツグミに諸用があって私室に行ったものの、私室どころか屋敷の何処を探しても居ない、自動人形に聞いても行方が知れない、なんてことがありましてな、執事に探させようとしたが運悪く彼も取り込み中だったらしく見つからないと来た、イヤあの時は大変疲れましたなあ。あれほど足を動かしたのは去年の株式総会のときぶりだったか⋯⋯」
「そ、そうだわ、あと最後に一つだけ、ツグミ夫人の持っていた白い本について、何か心当たりはあるかしら?」
社長はううむ、と少し首を傾げながら答えた。
「イヤ、小生には見覚えありませんなあ、ツグミは元来本など読まぬ性分でしてな、私室にあるあの本棚もほとんど飾りみたいなものですぞ。以前ツグミの部屋に行った時も、本の詰まった棚に白い装丁の本なぞなかったような気がするのだが⋯⋯」
お姉様へ
タダシ社長に会う前に、社長の執事とも話をしておいたわ。彼は事件の時はずっと社長のそばに居たんですって。彼は自分用の右腕の義躯をたくさん作って、装けていらしてたわ。アタシの目には、用途がピンとこないものもあったけど⋯⋯
社長のタダシさん、華愛娘のヲタクだったの。お屋敷のメイド服を改造して、自分で衣装まで作ってしまったのですって。事件当時も、撮り溜めていた華愛娘のアニメを執事さんと一緒に夢中で見ていたそうよ。
覚えてます?私とお姉様が小さい頃、よく華愛娘ゴッコをして遊んだのを⋯⋯そのコトを思い出して、お姉様とアタシの半生について想いを馳せたの。少女探偵を結成した時こそ二年前──アタシが女学生になった時だけれど、アタシがお姉様と一緒になるのは、それよりずうっと前に神様が定めてくださったのだ、なんて思ってしまうわ。
社長に白い本について聞いてみたのだけど、夫人が持っているところも見たコトがない、そもそも仕事一筋の夫人は本なんてあんまり読まないって言ってたわ。社長の代わりの仕事に加えて、あの剛蔵氏との戦い合いもするなんて、アタシならきっとストレスでおかしくなってしまうわ。仕事だけが人生の楽しみ、だなんてあり得るのかしら。
これで、事件の起こった時にその場にいた方の話は全部聞き終わったわ、本当にこの中に下手人がいるのかしら?アタシには、知れば知るほど犯人が掴めそうもないって思うのだけど⋯⋯その部分はお姉様の頭脳に頼るコトにするわ。何か他に情報が必要だったら、なんでも知らせてくださいね。
イトハ
かわいいイトハへ
華愛娘シリーズ、懐かしいわね! ステッキとヘッドセットを昔持っていたハズだけど、今はどこにあるのかしらん⋯⋯
夫人が読書家でもない、白い本もタダシ様が見たことない⋯⋯白い本の謎について、まだ全体像は見えないけど、少しずつ筋は見えてきた気がするわ。それに、夫人の仕事熱心ぶりも。でもどんなに好きなことでも、ずうっとやっているといつかは気が滅入るものよ。夫人も別の何かで息抜きくらいはしていたのだと思うわ。
少し確かめたいことがあるの。廊下についている監視カメラ、警察の方は何にもない、って仰ってるらしいけど、一寸調べてきてくださらない?イトハならきっと警察が発見できなかったものを見つけられる、そんな気がするの。
カノコ
モニタールームでは、元々の部屋主であろう自動人形が脇にどかされ、モニターの正面は数人の警官によって占拠されていた。しかしながら当の警官はとっくに調査は終わってしまった、という様子で浮かび上がる映像をしかたなしに眺めているだけであった。イトハが入ってくると、警官は思い出したように背筋を伸ばし、一礼した。
「ごきげんよう、監視カメラの映像を調べさせていただけるかしら?夫人の部屋の前の廊下のカメラなんだけど⋯⋯」
「ええ、構いませんよ」そう言って警官はモニターをいじり、夫人の私室へ続く廊下の監視カメラ映像をクローズアップした。
モニターには、多くの自動人形が夫人の部屋に出入りする、画質の悪い映像がクルクルと早回しで映し出された。解像度の荒い自動人形が入って──出て──入って──そして最後に、体を赤く光らせた緊急モードの人形が慌てて部屋から駆け出していった。その後の顛末は皆も知るところであろう。通報を受けた警察が到着し、少女探偵へと依頼を出し、話題目当ての新聞社がどこからともなく集まってきた。
「マアこんなモンでございます。ご覧の通り、廊下の出入りは自動人形だけですなあ」
「⋯⋯少し、じっくりと見ても宜しくて?」
イトハは早回しの光景に微かな違和感を覚えた。
彼女はモニター席に座り込み、再び最初から映像を再生した。やはり、何か引っかかる。こういう時、イトハはどこまでも愚直であった。違和感の正体に気がつくまで、何度でも映像を繰り返す。果てしない追求こそが、彼女を少女探偵たらしめる要因なのである。
数十回繰り返した頃、イトハは分析の一手として、夫人の部屋に出入りする自動人形たちの数を全て数え上げていた。すると、夫人の部屋に入った自動人形が合計で三十五体に対して、部屋から出てきた人形は三十四体しかいなかったことに気がついた。イトハが感じた違和感の正体はこれだったのだ。
「これだわ!」とイトハは声を挙げ、跳ね上がった。半ば眠っていた警官は、何やら間抜けな声を上げ我に帰ったが、隣にいたはずの少女探偵は、もう部屋から去った後だった。
お姉様へ
監視カメラの映像をモニタールームで調べさせてもらったわ。そしたらね、自動人形の出入りした数が合わなかったのよ! 入った数よりも出た数の方が一つ少なかったの。何遍も数え直して、間違いがないことは確かめたわ。これがお姉様の言っていた警察の見逃しかもしれないわ。夫人の部屋の中で自動人形たちに何かがあったのかしら⋯⋯
できるだけ速く伝えたいので、手紙は一旦これでおしまいにします。もしこの発見がハズレだったら、恥ずかしいので破って窓から投げ捨ててくださいな⋯⋯
イトハ
かわいいイトハへ
モニタールームの発見、外れどころじゃない、大当たりよ! よくやったわ!
イトハのおかげで、私の中で白い本についての謎が綺麗に晴れたわ。もしかしたら、凶器の謎、犯人の謎も絡げて解決できるかもしれないわよ。夫人の部屋に皆様を呼んで、今から私の書くことを発表してもらいたいの。私の推理はこうよ⋯⋯
少女探偵が夫人の部屋に関係者を集めたのは、手紙を受け取ってすぐのことだった。厨房をなんとか抜け出した浦田も、少女探偵の華々しい推理が披露されるとあって、ペンを取りながら彼女を見つめていた。
「皆様方、御足労いただいて本当に感謝するわ。ワタクシが皆様をお呼びしたのは、他でもない、この事件を取り巻く謎を解決して見せるためよ。凶器の謎、そして白い本の謎をね」
集められた一同は唾を飲みながらイトハの言葉に期待していた。集まる注目のせいで少し語尾を震わせながらも、イトハは華麗に指を鳴らした。
「まず一番に解いて見せますは、消えた凶器の謎。警察の方々は、部屋だけじゃなくて屋敷の中をくまなく調べ上げたけど、凶器は見つかっていない。犯人が凶器と一緒に逃げ出した、現状、そう考えているのでしょう?」
「そうなりますなあ、それでも警察が囲む中、犯人が逃げ出したとは考えにくいですが⋯⋯」最前列の警部は、顎をさすりながら答えた。
「私はあえてこう考えるわ、凶器は、まだこの部屋にある、とね」
その言葉を聞いて、皆は一斉に夫人の部屋を見回した。もちろん、警察が捜査を始めてこの方、家具をバラしても絨毯を裏返しても、部屋の中から凶器は出なかった。部屋中に散らばった彼らの視線は、やがて再び少女探偵の方向へと収束していった。
「ワタクシは廊下の監視カメラを見て、夫人が自室に戻ってから出入りした自動人形の数を数え上げたわ。その結果、事件の起こる前の二時間、自動人形が入った回数が三十五回に対して、出てきたのは三十四回。一人、部屋から廊下に出てきていない娘がいるの。あいにく、カメラは彼女の型番までは映してくれなかったけどね⋯⋯」
皆は驚きの声をあげた。尤も、その声は自動人形の数が合わない、という新事実への驚きと、少女探偵が出入りする自動人形を一つ一つ数え上げた、という執念への驚きとが半分半分に入り混じったものだったのだが。
「部屋の中から自動人形さえ出てきていない──それよりも小さな凶器が、まだ部屋の中から出ていない、なんて考えるのは、可笑しいかしら?」
しかし、事実凶器は部屋から見つからなかったのだ。ましてや、少女人形の姿など部屋のどこにも見当たらない。これでは謎が一つ増えただけではないか、と警部が文句を垂れた。
「そこで、もう一つの謎についてお話ししましょう」少女探偵は遺体を形どった線の側にあった白い本を拾い上げた。「ズバリ、この白い本の謎よ」
「その白い本が、自動人形やら凶器やら何か関係があるのかね?」
警部は白い本をツグミ夫人の最後のメッセージだと思っていた。結局のところ、警察らは今までその夫人のメッセージを読み解くことはできていないのだが⋯⋯
「社長のタダシ様から、ツグミ様は交際の間もあまり本を読むことがなかった、と聞いているわ。現に、こちらの本棚をじっくりと調べさせてもらったけど、ほとんどの本は一度も開かれていないような新品だったし⋯⋯いくつかは本の種類が被っていたわ」
「そして、こうも聞いているわ。あの本棚の中に白い本が収まっているのを見たことがない、とも⋯⋯」
「これは『本』じゃないわ。敢えて言うのだとしたら⋯⋯そう、これは隠された空間につながる『鍵』よ」
少女探偵は指を鳴らし、本棚の側へと回り込んだ。
「壁の本棚も、敢えて言うのならば『扉』。剛蔵様が夫人が宮澤邸を改造しようとしている、なんておっしゃっていたけど、おそらく、この本棚は白い本を隙間に差し込むことで動くカラクリよ。だから、タダシ様も白い本が本棚に嵌っていたのを見たことがなかったのよ」そう言うと、少女探偵は拾い上げた本を、棚へと差し込んだ。
本棚の隙間に白い本が差し込まれた瞬間、本棚と、棚の埋め込まれた壁の周辺がガチャガチャと音を立て始めた。並んだ本が左右に割れていき、背板は下へ下へと降りていった。差し込まれた白い本は、もはや本棚ではなくなったそのカラクリから押し出され、それが最初に見つかった場所──ツグミ夫人の屍体の、ちょうど手の近くに落下した。
果たして、少女探偵の見立てに違わず、本棚の裏には隠し扉があった。
「本当に、こんな所に隠し部屋があるとは⋯⋯」扉を開けた先には、黒洞々とした闇が滲み出ている。開かれた闇を前にして、一同は驚いたり、眉を顰めたり、さまざまな反応を見せていた。
闇を前にしてもなお凛とした少女探偵を先頭に、一行は恐る恐る隠し部屋に入って行った。
階段を下り中に入ると、空気のじめりとした感触が腰から胴、顔へと這い上がってくるような気分がした。
少女探偵が照明を探して歩き回っていると、にわかに足元でガチャリと音が出た。
「あら何かしら──」そう言いかけてイトハはしゃがみ、足元に目を向けた。その瞬間、イトハの背筋は発条バネのようにギュッと縮み上がった。
イトハの足元には、血まみれの自動人形が、カッと目を見開いていたのである。
「ツグミさま⋯⋯ツグミさま⋯⋯」その自動人形は足を引っ掛けた衝撃で目覚めたのか、囈言うわごとのようにそう繰り返しながら身を起こして少女探偵の元に縋ってきた──
「きゃああああっ⋯⋯」
イトハの絹を裂くような悲鳴が、闇の中に響き渡った。彼女の白磁の足は縺れ、後ろに倒れそうになったのを、間一髪後ろにいた浦田が支えた。
「ふ、夫人殺害の疑いで、貴様を逮捕する!」
勇気ある警官の一人が、イトハの前に立って血濡れの自動人形と対峙した。夫人殺害、という言葉を聞いて、その自動人形はかすかに震え始めた。
「ツグミさま⋯⋯ツグミさまが⋯⋯」
警察が自動人形を取り押さえ、地下室の外に持ち出す間中、少女探偵は浦田の腕の中で朦朧と抱かれていた。
宮澤夫人殺人事件に急展開 下手人見つかる
叛逆の自動人形 宮澤夫人を殺害か
我が新聞社が密着取材を続ける宮澤夫人殺害事件に於て、衝撃の事実が明らかとなつた。宮澤邸の隠し部屋より小刀ナイフを其右手に所持する自動人形が発見された模様。 自動人形のメイド服は夫人の物と思しき返り血を一杯に浴びてをり、警察は自動人形が何らかの癲狂バグを発し、主人たるツグミ夫人殺害に至つたのだらうとの見解を示した。
隠されし地下室に佇む血濡れの自動人形の形相は筆舌尽くし難き恐ろしさであつた。場に居合わせた小百合嬢も甚く驚きの様にて、平生の婉然たる態度も消へ唯恐怖の叫を発して居た⋯⋯
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イトハは、探偵の控室として使われていた一室のベッドに寝かせられていた。彼女が目を覚ますと、向かいのソファーに座って居た自動人形のメイド長と目が合った。メイド長はイトハの目が開いたことに気づくと、たまらず彼女の元へ駆け寄ってきた。
「小百合さま⋯⋯! お目覚めになったのですね⋯⋯」
「ア、アタシ⋯⋯」イトハは自分が少女探偵であったことを思い出すのに少しの時間を要した。「そうだわ、ワタクシ、隠し部屋に入って、それで⋯⋯」
「ええ、血塗れのあの子の姿を見て、お倒れに⋯⋯それで、取材にいらしていた記者さまが、小百合さまを担いでこの部屋まで持ってきてくださったのです」
「記者⋯⋯浦田さんが⋯⋯」イトハは厨房で撒いた記者のことを思い出した。彼女は記者に対して心の中で感謝しながらも、無様な姿を見せてしまったことを後悔していた。
「そうだわ、あの自動人形はどうなったの!」状況的な証拠から、犯人があの自動人形であろうことは決定的であるように見えた。⋯⋯それでも、イトハの脳裏には夫人殺害、と聞いた時の哀しそうな自動人形の目が焼き付いていた。あの目をするものが犯人だとは、到底思えなかったのだ。
「それが⋯⋯」メイド長は申し訳なさそうな、悲しそうな顔を浮かべ、言葉に詰まっていた。
突然、控え室の扉が強くノックされた。メイド長は、はい只今、と言いながら扉から外に出ていった。残されたイトハは、扉の外の話し声を聞こうとその扉へ近づき、耳を当てた⋯⋯
「あの探偵とやらは起きたのか、ではさっさと追い出してしまえ!」ダミ声が扉を震わせてイトハの耳に届く。おそらくは剛蔵氏が扉の外にいるのだろう。
「は、はい⋯⋯でも、まだ完全にはお元気にはなっていない様子で⋯⋯」
「フン、最後の仕事ぐらいさっさと済ませるのだな」
「か、かしこまりました⋯⋯」メイド長の声は次第にか細くなって、扉越しには聞こえなくなってしまった。
メイド長が控え室に戻ってくるや否や、イトハは彼女に詰め寄った。
「どうなさったの?『最後の仕事』ってどういうこと?」
「お聞きなさったのですね、実は⋯⋯剛蔵さまが先程、自動人形はいつ叛逆するか知れないから、この屋敷の召使を、全て人間に戻す、とお決めになったのです」メイド長は、自動人形とは思えないほどの憂いを帯びた表情で答えた。
イトハは自動人形の処遇に雷が落ちたほどのショックを受けた。
「なんて横暴な! 自動人形は危ない、なんてきっと建前よ! 剛蔵様が都合のいい人間をタダシ様に近づけたいだけの方便に決まってるわ!」
「どちらにしても同じことです。私たち自動人形は分解されるか、はたまたどこか別のところへ売り飛ばされるか⋯⋯ともかく、この屋敷ともいずれお別れになるでしょう」メイド長は首を振った。
「そ、そんな⋯⋯」イトハは自分の発見が屋敷に与えた影響に気付き、悄然とするほかなかった。
その時、再び扉が鳴った。今度の客は警察であり、イトハに向けて一冊の新聞と一通の手紙を届けた。
イトハは新聞に目を通した。その新聞には、宮澤夫人殺人事件の犯人らしき自動人形の姿を見てイトハが探偵らしくない叫び声を上げたことが大っぴらに書かれていた。イトハは、恥ずかしいやら悔しいやらで、思わず視界がぼやけてしまった。
もう一つの届け物である手紙は、カノコから来た物だった。
かわいいイトハへ
推理を披露してくれて、ありがとう。やっぱり犯人は地下室に隠れていたのね。犯人が夫人に仕えている自動人形だった、というのは予想外だけれど⋯⋯
それにしても、彼女の動機は一体何だったのかしら?新聞では癲狂の末の事故だ、って書いてあるけれど、仕事人の夫人がそんな癲狂を放置しておくかしら、とも思っているわ。とにかく、それは警察が分析しないとわからないことかもしれないわね⋯⋯
残った謎も多いけど、犯人は見つかったし、少女探偵の任務はひとまず完了、といったところかしら。イトハが帰ってくるのを待っています。
カノコ
証拠は揃っている。そして、警察も、新聞も、お姉様でさえ自動人形が犯人だと思っている⋯⋯それでも、イトハの直感は、彼女が犯人だということをどうしても信じられずにいた。彼らが皆"犯人"を見つけたイトハを称賛していただけに、彼女の自動人形の無実を信じる心は、悲しく揺れ動いていた。
イトハは無我夢中でカノコに手紙を書いた。それは文章の推敲も碌にされていない、彼女の心の迷いをまるでそのままぶつけただけの訴えであった⋯⋯
お姉様へ
今朝の新聞、ご覧になったのですね。アタシって本当にダメね⋯⋯せっかく少女探偵を演じていたのに、あの人形を見た時あんまりにも背筋が凍ってしまって、皆の前で思わず悲鳴を挙げてしまったの⋯⋯これじゃ少女探偵失格よね。
お姉様の推理は正しかった。確かに夫人の部屋には隠し扉があって、その向こうには血まみれの服に凶器を持った自動人形がいた。それでも、⋯⋯夫人が亡くなった、と伝えられたときのあの人形の目、とても哀しそうだったわ。人間であれ自動人形であれ、夫人を殺した方があんな目をするとはとても思えないの。
でも、警察はもうあの自動人形を下手人だと断定して捜査を進めているし、自動人形自体も警察が屋敷のどこかに持って行ってしまった、お姉様の言う通り、少女探偵はお役御免なのかもしれないわ。
正直、アタシにはこのままお姉様の元に帰るべきか、それともまだ捜査を続けるべきかわからないの⋯⋯ごめんなさい、こんなコトで手紙を送ってしまって。
イトハ
イトハは震える手で手紙を警察に渡した。もし、自動人形の無実を自分がただ思い込んでいるだけだったら⋯⋯?もし、お姉様がイトハの思い込みをはしたない物だとお思いになったら⋯⋯?そう考えると、イトハの胸は嫌に締め付けられた。「ちょっとだけ、時間が欲しいの⋯⋯もう少しだけ、この部屋を貸してくださらない?」そうメイド長に頼み、イトハは縋るように返事を待っていた。
返事は割合に早く来た。そして、それはイトハにとっては少し意外な物であった。
イトハへ
新聞を見たけど、あれくらいのことで少女探偵のヴェールは剥がれないはず。謝らなくても大丈夫よ。もし急に目の前に血のついた人形が現れたなら、私だって叫んじゃうかもしれないもの。
ねえイトハ、貴女がまだ気づいていない、貴女が私よりも優れている部分って何かわかる?それはね、直感よ。貴女の直感は、いつも不思議に当たるの。私は、貴女の直感をいつも信じているわ。
もちろんイトハの直感が信じられない方達のために、証拠や推理で味付けしなければいけないわ。彼女が血のついた服に、凶器を握ってなお、犯人じゃあないかもしれない可能性、それを追求していきましょう。
怖いでしょうけど、地下室をもう一度調べてくださるかしら。もしその自動人形が無実だとしたら、彼女のいた場所にきっとその証拠はあるわ。警察は迷惑な顔をするかもしれないけど、元々少女探偵の見つけた部屋です、なんて言って構わず突撃してしまいましょう!
そして、その自動人形の無実を信じている人が他にいらしたら、その方にコッソリ自動人形の行方を聞いて見るのがいいわ。私も、少女探偵の一人として、彼女が犯人でない可能性を推理してみるわ。
大丈夫、少女探偵は、事件が完全に花と散るまで終わらない。自信を持って、行ってきなさい!
貴女の姉 カノコより
⋯⋯お姉様が自分を褒めてくれた。自分の直感を肯定してくれた。自分の推理を曲げてまで、自分を信じてくれた。イトハにとって、それがたまらなく嬉しいとともに、是が非でも彼女の無実を証明しなければならないという使命が心の中で燃えた。
「ワタクシ、夫人の部屋に行ってくるわ」イトハはメイド長に呼びかけた。「彼女の無実を証明するため、証拠を集めるのよ」
「小百合さま⋯⋯」メイド長の顔はまるで闇の中に光を見つけた時の如く光り輝いた。「では、小百合さまは、信じてくださるのですね! あの子の無実を!」
イトハは花のような笑顔を浮かべ、頷いた。
イトハが夫人の部屋に入ろうとすると、まさに隠し部屋を見回していた警部が、「オヤ小百合様、探偵の仕事はもう完了したはずですが一体なんの用です?」と問いかけてきた。
そのカラクリは、一度鍵を開けてしまえば内外両側から閉じることができた。
そのため警察は早くも、自動人形が癲狂バグを発して夫人を殺害したのち、偶然白い本を棚に戻して隠し部屋を開き、そしてカラクリをウッカリ内側から閉じた事で電波が遮断されて行動不能になった、という夫人殺害の物語を完成させようとしていた。自動人形が偶然カラクリを作動させうるかとか、電波が遮断されたくらいで即刻自動人形が気を失うかとか、色々粗のある物語ではあったが、殺人現場の現状から組み立てられるものとしてはこれ以上に妥当なものは無いように思えた。
そこに少女探偵の推理が加わるのを、幾分好ましく思わぬ者もいたのだろう、警部は、「ここから先は警察の仕事ですから小百合様が調査するのはチョット⋯⋯」と、イトハを隠し部屋に入れさせまいと誘導していた。
「あら、この部屋を見つけたのはワタクシの手柄ですのに、調査もさせてくれないのは意地悪じゃないかしら?」
イトハは、お姉様の言葉を借りて、自分の隠し部屋に入る正当性をビシッと主張した。しかし、警察も食い下がる。「イヤ、それとこれとは話が違います、犯人が見つかった今、ここからは警察の仕事ですから⋯⋯」
その時である。廊下の方から、新聞記者の浦田が歩いてきた。彼は夫人の部屋の前に着くなり、
「オヤ! 警察もなかなか強情でございますねェ。少女探偵の特集には、お陰様で沢山の読者がついているのですが⋯⋯その少女探偵を隠し部屋に入れないなんて、まさか警察は、市民に何か隠し事があるんじゃアないでしょうねえ⋯⋯?」とイトハに加勢した。
思わぬ助力を受けたイトハも、押し切るのは今しかないと思い、「見つけた謎が全て解決できるまで、この少女探偵小百合、引き下がるわけにはいきませんわ」と探偵らしく威勢を張った。
結果的に、それは大分功を奏したらしい。警部は勢いに押され、「イヤ我々は隠し事など⋯⋯ウム確かに、小百合様の見つけられた部屋ですから調査をしないのは不公平かもしれんですなあ⋯⋯」と自分の中で納得したようなことを呟きながら、イトハと浦田を部屋の中へと案内した。
イトハと浦田は並んでその隠し部屋に入っていった。
「ありがとう、助かったわ」
「イヤア、自分も隠し部屋に取材をしたかったものの、警察から追い出されてしまいですね、小百合様のついでに入ることができて幸運ですよ。探偵の手助けというものも助手になったみたいで気分がいいものですなあ」
本当はアタシがカノコお姉様の助手みたいなものだけどね、とイトハは心の中で呟いた。
それにしても、この隠し部屋は夫人の華やかなイメージとは似ても似つかない不気味な空間であった。警察の用意した明かりがあってもなお、少し身震いしてしまうほどだった。焦茶の殺風景な板張りの上に、警察が隠し部屋から押収した鞭だの首輪だの、なんとも猟奇的な道具が並べられていた。この不穏な部屋は、表では仕事一筋な夫人の持つ、恐ろしい裏の面を語っているように思えた。
見ていく内に、イトハは部屋に飛び散っている血の乾き方からして、古い血痕と新しい血痕、二種類があることに気がついた。新しいものは自動人形が倒れた時に飛び散っていたものであろう、しかし古いものは、下手したら夫人の死ぬ何日も前に飛び散ったのではないか、と思えるほど乾き切っていた。
そして、イトハの見つけたもう一つのものは、黒い布の端切れだった。端切れには針で開けたような穴が空いており、強い力でその穴は広げられていた。その黒い布には見覚えがあった──この屋敷のメイド服のものだ──イトハは、これがあの自動人形を救う証拠かもしれない、とその端切れをギュッと握りしめた。
ふと、イトハは浦田が床の一点を張り付いたように見つめていることに気がついた。「あら浦田さん、どうかなさって?」
浦田は彼女の方を振り向きもせず、唸っていた。「ウウン、この床の傷が少し気になりましてですな、まだ傷口からして新しい。何か重いものを引きずったような跡なのですが⋯⋯」
浦田の視線の先の床には、確かに新しそうな傷ができていた。しかし、この部屋にある重いもの、というと、先ほど連れて行かれた自動人形のほかはない⋯⋯ここまで思って、イトハは突然閃いた。誰かが自動人形を引きずってここまで連れてきたのだとしたら、真犯人は人形ではなくその引きずった人間だわ──
「⋯⋯ちょっと、この傷は重要かも知れないわ。写真を撮っておきましょう」そう言ってイトハは写真を撮り、「ありがとう。さすがは記者、情報収集のプロですわね、ワタクシも負けてられないわ」と浦田に感謝の言葉を述べた。
浦田は、この短い時間で二回も少女探偵から感謝され、心の中で小躍りしていた。それと共に、チョット前まで自分を厨房に置き去りにするほど冷たい彼女が、どうしてこんな血の通った感謝を自分にしてくれるのだろう、とも疑問にも思った。しかし、彼は少女探偵が急に暖かくなったのが、気を失ったイトハをせっせと控え室まで運んだ献身のためだ、とは終ぞ思うことがなかった。
櫻-25號。その自動人形の型番号だった。警察の分析班は、まさに彼女の被服を剥いで、白磁の裸体を解剖せんとしていた。
突然、倉庫の扉がバタンと大きな音をたて、警察らはビクッと手を止めた。
「ちょっと待った! 解剖の前に、ワタクシが調査させていただきますわ!」
開け放たれた扉の前にいたのは、メイド長に連れられて倉庫にやってきた少女探偵だった。
少女探偵は、警官らが答えるのを待たず、脱がされたメイド服に、彼女の右腕についた血の痕、その他諸々の情報を迅速ながら正確に見定め、テキパキと写真を撮り、また嵐のように去っていってしまった。少女探偵に返答をしようとしていた警官も、側にいたメイド長でさえ、あまりの速さに呆然としていた。
「⋯⋯確か、ここに下手人が居る、というのは、機密だったはずだが⋯⋯」しばし呆れの間が続いたのち、ようやく警官の一人が口を開いた。
「ええ、小百合さまには知らされていなかったはずですのに、私も少し驚いてしまいましたわ」メイド長も、呆然とした表情のまま呟いた。もっとも、自動人形の無実を信じる少女探偵にコッソリとこの場所を教えたのはまごうことなき彼女自身であったので、この台詞は単なるすっとぼけである。もちろん機密ということは知っていた。それでも、あの子の無実を心から信じてくれていた、私たち自動人形が追い出されることについて本気で怒り、そして悲しんでくれた。そのためには少しの機密違反も気にならないわ、そう彼女の演算装置は導き出していた。
イトハは控え室に飛び込むや否や、集めた情報を便箋に綴じ、カノコの元へと送り出した。
しばらく経って、警官の一人がイトハに手紙を取り次いできた。イトハは夢中で封を切り、カノコの書いた文字を一通り読み切った後、手紙を懐に入れ警官に伝えた。
「今度こそ、謎は全て解けたわ。皆様を夫人の部屋に再び呼んでくださるかしら」
彼女はカノコの推理を完全に体の中に取り込んだ。手紙を懐に抱え、夫人の部屋に皆を集めるその少女は、イトハであり、また同時にカノコでもあった。もはやそこにいるのは、一人の名探偵、少女探偵小百合であったのだ。
再び夫人の部屋に集められ、屋敷の人々は騒然としていた。皆下手人があの自動人形だと思い込んでおり、さらなる謎は自動人形の分解によってのみ解明されると信じていたからだ。部屋には彼らを呼んだ少女探偵がシャンと立っていた。
「良い加減この屋敷から出ていきたまえ!小娘の推理ゴッコに二度も時間を割く程、此方も暇ではないのだよ」雑乱とした騒ぎの中、最初に少女探偵めがけてヤジを飛ばしたのは元社長の剛蔵氏である。
「まさにその通り、皆様の大切な時間を再びお借りする無礼、心よりお詫びするわ。でも、一時は解決したかに思える事件でも、ワタクシ小百合、推理の手を引くわけにはいかないわ。──そう、真犯人を告発するまではね」
「真犯人、と言いましても、今のところ疑わしきものは、あの自動人形くらいじゃあないですか。監視カメラにも、怪しい影は見つかりませんでしたし、いくら小百合様でも流石に無理があるかと⋯⋯」警部は思いもよらない可能性を提示され、少し困惑していた。
「──花畑の中に隠れるなら、一束の花束になればいいわ。真犯人はきっと、自動人形に変装して部屋に入ったのではないかしら。お屋敷の監視カメラは少々画質が荒かった──メイド服とヘッドドレスを着けさえすれば、かのカメラを欺くのは簡単よ。そして、夫人を殺めた後、次に部屋へと入ってきた不幸な自動人形に血のついた服を着せて、彼女をあの部屋に閉じ込めて素知らぬ顔で出ていけば、キレイに自動人形だけに罪を着せられるわ。現に、隠し部屋の床には何かを引きずったような傷がついていた。あの自動人形は誰かの手で隠し部屋に連れ込まれたのよ」
「しかし、血に汚れていたのはその服だけではない! 人形の右腕、凶器を握った右腕も血に塗れていたではないか!」
「そう。自動人形のメイド服は半袖だったから、どうしても右腕に返り血がついたのでしょうね。でも不思議なことに、その右手以外、あの自動人形の素肌は血に濡れていないのよ?」
そう、かの自動人形は右手の血痕はいやでも目についたが、刺した時に弾けた細かな血飛沫などは、右手以外のどこを見てもさっぱり見つからなかったのである。
「右腕の持ち主こそが、きっと夫人を殺したのでしょう。でも、この右腕の持ち主が、ずうっとあの自動人形だったとは限らないわ」
そう言い放つと、少女探偵はビシッと指をある一方向に向けて突き出した。
「アナタ、エンジニアーをやっていたそうね。アナタなら、自動人形の右腕をバラバラにすることも、そして自分の腕とすり替えることも出来たのじゃあないかしら?そうでしょ、執事さん」
少女探偵の指の先には、社長の執事が立っていた。執事は、少し驚いた顔をしながらも、
「小百合様は私を犯人と告発するおつもりですか。前職のせいであらぬ疑いをかけられるのは少々心外で御座いますが⋯⋯」
となお平生の口調を保っている。
少女探偵は微笑すると、パチンと一回指を鳴らした。すると、扉が開き、何やらヴェールに包まれたものを警官二人組が室内へと運んできた。
「特別に、刑事様方に頼んで右腕を持ってきてもらったわ」
ヴェールを外すと、血に染まった白磁の右腕が顕になった。
「この『右腕』がアナタのものになり得るか、その右肩で試しても宜しくて?」
執事は少し苦い顔をしたが、血濡れの右腕をもった警官に詰め寄られ、渋々右肩を差し出す事となった。
結果として、彼の右肩に露わとなったソケットのうち一つに、その腕はピッタリと嵌ったのである。
「どうかしら?その右腕、元々はアナタのモノだったのじゃあないかしら」
「⋯⋯可能性は認めましょう。しかし、私がメイド服を着る機会など御座いませんし、その上、本棚に隠された部屋など知る由もなかったわけです。そもそも、私は事件当夜はタダシ様の部屋に居たのですよ」執事も食い下がった。が、少女探偵は全く動じなかった。
「それも、順に崩していく用意があるわ」
自信たっぷりに言い放った少女探偵は何やら黒い端切れのようなものを取り出した。
「こちらの端切れは、夫人の隠し部屋から見つかったものよ。中央に針のような穴が空いていて、無理に引きちぎられたものだ、とわかるわ」
「そして、あの自動人形のメイド服の一部に、この端切れとおんなじような大きさの穴が空いていたの──そう、ヘッドドレスの右側よ。ヘッドドレスの右側に針で止めるアクセサリー⋯⋯タダシ様なら、わかるわよね?」
名前を呼ばれたタダシ氏は、少し考えたあと、一つの閃きに至った。
「なるほど⋯⋯華愛娘の通信バッジですか⋯⋯」
「タダシ様、屋敷の自動人形用の服を改造して華愛娘の衣装を制作していたのですわよね。そうしたら、タダシ様の壁にかかっている服から装飾を除けば、執事さんにだって自動人形のメイドに変身することができるわ」
「おそらくタダシ様は華愛娘を夢中になって見ていらした、だから、執事さんが着替えて部屋を出ていたとは思わなかったのじゃないかしら?⋯⋯バッジごと布を引きちぎったのは、おそらくメイド服を着せ替える時に気づいて、慌てていたから、でしょう?」
執事は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。少女探偵は、もう一押し、という様子で話を続けた。
「最後に、ワタクシが最初に白い本を差し込んで、隠し扉を開けた時、執事さんが少し顔を顰めていたのを思い出したの。これは私の憶測に過ぎないのだけど、もしかしたら執事さんは隠し部屋のことを予め知っていたのじゃあないかしら?」
「な⋯⋯私は⋯⋯」執事は明確に動揺の色を見せていた。
「隠し部屋には鞭だったり、首輪だったり、恐ろしい拷問器具が並んでいたわ。そのうちの幾つかには血もついていた。夫人が殺される前についたであろう、古いものが、ね。もしかしたらだけれど、以前に誰かに向かって使われたものじゃあないかしら──」
「ハハ、まさかそんな⋯⋯」執事は首を手で抑え、少女探偵の追求を笑い飛ばそうとした。しかし、彼の無意識の癖を少女探偵は見逃さなかった。
「フフ、執事さんはよく首を気にする仕草をされるようね。今も首を抑えていらっしゃる。その詰襟のお洋服といい、首周りに何か隠しておきたいものでもおありかしら?──そう、例えば、隠し部屋で夫人につけられた傷痕、だったり、ね」
執事は一瞬ぎょっとした表情を浮かべた後、少し息をつき、観念したように首を横に振った。
「もう、結構です」
「私が、ツグミ夫人を殺したのです」
周囲の人間はザワザワとどよめいた。一番衝撃を受けていたのは夫人の夫、宮澤 タダシであった。「まさか、君が⋯⋯」
執事はタダシ氏の前に向き直り、「タダシ様には申し訳ないことをした、と思っています。しかし、これには重大なわけがあるのです」と釈明した。
「兎にも角にも勤勉で、仕事一筋の方⋯⋯冗談じゃあない。ツグミ夫人、いやあの女は悪辣な加虐嗜好者サディストだったのですよ」
夫人は確かにまるで仕事こそが使命かの如く働いていたが、決して仕事にストレスを感じていないわけではなかった──そのストレスこそが、彼女の加虐嗜好者としての一面を生み出し、他人への加虐のための隠し部屋を作り上げたのだった。
「最初にあの部屋に呼ばれたときは一年ほど前だったでしょうか──私は夫人の裏の顔を知り戦慄したものです、しかし、夫人は、私が働くのに不可欠なのよ、アナタもタダシが遊べるのなら反対じゃないでしょう、なんておっしゃいましたから、この一年耐え忍んできたので御座います」
そういうと、執事は上半身のシャツを脱いだ。彼の首には、少女探偵の推理通り、頸を絞められた痕が赤黒く残っていた。おまけに彼の脇腹には、鞭で叩かれた傷が古いものや新しいもの、何本も残されていた。隠し部屋に残っていた血は、まさに執事が流したものであった。
「しかし、彼女はまだ欲求不満であった。私への加虐は次第にエスカレートしていき、ついには私に不貞関係を結べ、と迫ったのです」
「あろう事か、タダシ様の執事である私に、タダシ様を裏切ろう、という計画を投げかけてきたのですよ。その瞬間、強い直感を得たのです。この女は生きていてはいけない、と。それで、あの女を殺そうと決意したのです」
「最初の内は殺人を遂げたら正直に自白しようと思っておりました⋯⋯ただ、夫人が死んだ後のタダシ様の事が気がかりだったのです。夫人が亡くなったら、彼女の請け負っていた業務が全て突然タダシ様の元へ飛んでいくわけで御座います。社内の派閥も荒れるでしょうし、もしかしたら、前社長の剛蔵様がタダシ様を傀儡にしようと試みるかもしれない。私がいなくなったら、タダシ様はたった一人になってしまいます。⋯⋯私は、その時タダシ様のお側にいなければならなかった⋯⋯そこで、あの忌々しい隠し部屋と屋敷に大勢居る自動人形に目をつけたのです⋯⋯」
執事の語った夫人の殺人と偽装の計画は、まさに少女探偵の語ったものと一致していた。
「隠し部屋に凶器も血のついた衣装も隠して仕舞えば、犯人は見つからない。よしんば地下室が見つかったとして、不幸な自動人形に罪を被って貰えば、誰も悲しまない、そう思ったので御座います⋯⋯」
「いいや、君は重大な事を忘れているようですなあ」
何者かの声が、執事の告白を遮った。声の先には、宮澤グルウプ現社長、宮澤 タダシその人が立っていた。
「もしあの自動人形がツグミを殺した、と決まってしまったらどうする?あれ、いや、彼女は、自分がツグミを裏切ったという濡れ衣を一生着せられたままになる。その苦しみは、小生を裏切りたくない、といった君なら理解できたはずですぞ」
「し、しかし、彼女は自動人形で⋯⋯」
「フフフ、我が宮澤グルウプの経営理念、まさか忘れたわけじゃあるまいね」
「『我らが造るは人形に非ず 一人の真人間を造るべし』⋯⋯嗚呼っ⋯⋯」
執事は膝をついてその場に崩れ落ちた。社長は彼の目の前に手を出し、続けた。
「その通り。自動人形といえども、そこに宿っているのは真人間と同じ一つの魂。現にかの自動人形も、君が小生に恩義を感じているように、大変ツグミに恩義を感じていたのですぞ。誰も悲しまない、と言うのは君の見当違いになりますなあ」
「それに、」社長は続けた。
「ツグミが亡くなって気づいた事があるのですよ。今まで、小生は他の人の働くのに甘え、遊んでばかりいた。現に、ツグミのもう一つの顔と、君の小生への献身について今の今まで知る事が出来なかった。小生は、父上の言う通りまさしく社長にあるまじきドラ息子だったわけですなあ。しかし、ツグミ亡き今、ツグミの捌いていた仕事を引き受けるに決めたのです。自分は社長としてやってみせる。妻に丸投げもしない、父親の言いなりにもならない、自分自身で、この宮澤グルウプを発展させてみせますぞ」
その言葉を聞いて、執事は涙を流した。警部は、執事に優しく手錠をかけ、警察署へと連行する手続きを進めていた。
「必ず償います。それまでどうか、ご達者で⋯⋯」
「イヤイヤ、玄関までは見送りますぞ。御一緒しても、差し支えないでしょうな?」
社長は執事の側に立ち、警官たちと共に夫人の私室を後にした。
さてここで気に入らないのは前社長の剛蔵氏である。少女探偵が事件を解決してしまい、おまけに息子の独立宣言を鼻の先っぽに叩きつけられ、憮然としたまま立っていた。人々は続々部屋を出ていって、彼だけが最後に残った。
「小娘の呆れた探偵ゴッコ、如何だったかしら?」少女探偵は剛蔵氏に笑いかけ、花弁のような足取りで部屋を出た。剛蔵氏は、返す言葉も見つからず、身体をプルプルと振るわせて、持っていた煙管をボッキリ折ってしまったのだった。
イトハが屋敷を出た先に、新聞記者の浦田が立っていた。記者は彼女を見るや否や、一目散に駆け寄ってきた。
「いやはや、ステキな推理でございました! 早速事件解決の報をですね、編集部に入れたのですが、其方でも感動の嵐でございます! うちの上司も私を激賞してくださって⋯⋯コホン、とにかく、お疲れ様でございます、少女探偵様⋯⋯」
「其方こそ、密着取材お疲れ様、浦田さん。して、私に何用かしら?これから少女探偵小百合の私生活でも詮索なさる?」
浦田は首を振り、「イエイエとんでもない、パパラッチなぞ私は致しません! あれは記者の中でも特別賤しい部類の人間がやるものでございますよ!」と胸を張った。事実、彼は少女探偵に質問攻めこそすれど、その正体について聞くのはグッと堪えていたのである。
「私はただ感謝を伝えたかっただけなのです、今回の一件で私はかなり事件記者としての手腕を認めていただきまして、方々の事件をグングン回って欲しい、と仕事も増えたのですよ。これも小百合様のおかげでございます。それで、これから多くの事件現場を渡り歩いて取材をするようになるんですが──」
そこまで言って、あの地下室で少女探偵を抱き止めたとき、平生の少女探偵と違った何か柔らかい雰囲気があったのをふと思い出した。浦田は少し顔を赤くした。
「──また、どこかの事件で会えますかねえ?」
「サア、どうかしらねぇ⋯⋯」
少女探偵はそう言って、ヴェネチアンマスクの下、ミステリアスな笑顔を浮かべたまま去っていった。
どっちつかずの返事を喰らった浦田は、しばらく赤い顔をポカンと浮かべていたが、こうしてはいられない、と我に帰り、新聞社に向けて歩んで行った。
療養所の白い一室では、二人の少女が今回の事件について話に花を咲かせていた。
「と、言うわけで、事件は綺麗さっぱり解決したの。ヤッパリお姉様の推理は天下一だわ!」
ベッド前の少女はいたく興奮した様子で事件の行末を語っていた。
「ウフフ、ありがとう。でも私はてっきり隠し部屋にいる誰かこそが真犯人だと思っていたの。貴女が人形の少女の無実を想っていなかったら、この事件は絶対に解決できなかった。私もイトハには負けてられないわ」
ベッドに横たわった少女も、静かながら興奮冷めやらぬ様子でもう一人の少女の手を握っていた。
「アタシ、お姉様が手紙でおっしゃってた、お姉様がアタシの体とピッタリ密着して一緒に探偵をやってるような気がする、ってコト、何だかわかった気がするのです。アタシが二回目に推理を披露する時、アタシの体と、お姉様の頭脳が一緒になった気がして⋯⋯」
「嬉しい、きっと私の気持ちがイトハに届いたのだわ。まさに二人で一人の名探偵、ね」
カノコは、まるで元気な子供になったみたいに目を輝かせていた。
ふと、イトハの観察眼がベッドの側にある原稿用紙を捉えた。「そうだ私、最近小説を書き始めたのよ。イトハも読んでみる?」カノコは笑いながら、原稿を差し出してきた。
お姉様の書いた文章。是が非でも読んでみたい。イトハは用紙を受け取り、目の前で広げた。どうやら、ある少女が主人公の物語らしい。その少女は短髪で可愛いおちびさんながら、長髪長身の女に変身し、探偵としてとある事件を追う⋯⋯
「これ、もしかしてアタシについてのコトですか!?」
イトハは耳まで顔を真っ赤にし、慌ててページを手繰っていった。
「ええ、そうよ。手紙で見た貴女があんまり愛おしくて⋯⋯つい物語にしてしまったのよ。許してくださる?」
「いやですわお姉様! こんな恥ずかしい⋯⋯それに、少女探偵のイメージが崩れてしまいます!」
「あら、そこは問題ないわ。だって私は貴女のことしか書いていないもの、私だけのかわいいイトハのね⋯⋯」
「よ、余計恥ずかしいです! ⋯⋯ま、まさかこの原稿、他の方には見せてないでしょうね!?」
「ウフフ、サア、どうかしらねぇ⋯⋯」
「どっちつかずの返事では困ります、お姉様!」
「そうだ、言い忘れていたわ、次の依頼が来ているのよ。少女探偵は、まだまだ忙しいわ」
カノコは真っ赤な顔のイトハから目を逸らし、にやにやしながら警察からの封筒を開けた。
「アッ、今アタシを煙に巻こうとしましたね!?」
「ウフフ、どうかしらねぇ⋯⋯さあ早く、読んでみましょう!」
二人は頬を寄せ合い、顔を揃えて次の依頼状を読んでいった。
少女探偵 宮澤邸殺人事件を解決
世間を大いに騒がした宮澤邸殺人事件、遂に解決之報が伝わつた。下手人は宮澤 タダシ社長之執事、宮澤夫人依り度々不貞を迫られし事が動機との供述を致してゐる。一度は自動人形の異常な叛逆と思はれども、少女探偵の美しき推理に依り 見事真まことの下手人を特定。無垢たる自動人形の潔白を証明した。
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