地獄を見なかった、自分でない自分
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「ウチが通訳、ですか?」
「せや、まずはこれ見てくれんか?」

彼女本来の任務からすると突拍子もない依頼をされキョトンとする咬冴に、タブレットを差し出すのは彼女の保護者のようなポジションにある嶽柳研究員であった。
タブレットに表示されているのは、オブジェクト報告書。SCP-1342-JPとある。

「えーと…ナンバーは1342-JP、んでもって、なになに…へえ、つまりはよその世界から難民連れてくる軍艦もどき、って事やね?」
「そそ、んでもってまーたこいつが難民連れてきよったんやけどな、そいつらサモア語喋っとるらしいんよ。んで、たまたまその出現場所が今ウチらの乗ってる『いしづち』がいる海域に近いらしくてな、ヘルプコールが回ってきたってワケよ」
「ふーん、でもウチ、こんな見てくれやけど問題無いん?」

さて、後出しになるが、彼女はホモ・サピエンスではない。
では何なのかというと…鮫系の獣人であった。
かいつまんで彼女の経歴を説明させていただくと、元々は人知れず存在していた海底国家『サミオマリエ共和国』の住民だったのだが、SPC…サメ殴りセンターと称する要注意団体による侵攻により故郷は消滅。1人生き残った彼女は財団に保護され、紆余曲折を経て職員となったのである。
咬冴が言うのも無理はない。

「あっちは外見なんぞどうでもいい言うとるね、なんでもサモア語喋れる奴が2人しかおらんくて、誘導したり呼びかけたりで手一杯でインタビューがちっとも進んどらんらしいわ。ありゃもうヘルプって言うより悲鳴やね、もはや」
「なるほどなあ、なら引き受けて来ますわ」

とまあ、そういうわけで咬冴は臨時に通訳をする事になったのである。


「いや、ホントに助かりましたよ」

数時間後、SCPS『いしづち』からSCPS『つくば』…今回SCP-1342-JPによりこの世界へ連れてこられた難民たちが一時的に保護されている財団艦だ…に向かうヘリコプターの中に、咬冴はいた。
無論彼女が操縦しているわけではない。SCPS『つくば』から派遣された連絡員だ。

「一応アメリカ領サモアから、本部所属のサモア語を話せる人員がダース単位で来ることにはなってるんですが、なにぶん時間がかかるもので…」
「確かにそれまでほっとくわけにもいかんしね。ところで、どのくらい難民たちはおるん?」
「確か200人くらいと」
「わお…」
「1342-JP案件だと、今年に入ってからは一番多いみたいですね。ああ、『つくば』が見えてきましたよ」

咬冴が窓から見下ろすと、そこには『つくば』を中心にした小艦隊が見えた。
艦種的にはヘリコプター揚陸艦に分類される『つくば』には、ヘリコプターなどが着艦できるよう広い飛行甲板が存在する。
そこに咬冴の乗り込んでいるヘリも着艦するわけだが、今そこには、難民たちが収容されているらしいテントやプレハブがいくつも設置されている。
というわけなので、堂々とした着艦というよりも甲板の片隅にお邪魔させていただくような格好での着艦となった。

「ここが『つくば』かあ…って、え…?」
「どうしました?」
「…ううん、なんでもない」

着艦する直前、プレハブの近くに、咬冴は見た気がした。自分に似たものを。
もっとも、着艦するスペースは事故防止のため工事用の仕切りで仕切られており、艦上に降り立ってからは見えなかったが。

「こちらへ。通訳してる人のところにお連れします」


数分後、咬冴と連絡員は現在臨時オフィスとして利用されている『つくば』の食堂の一角に来ていた。

「ミスター・タヌヴァサ、例の通訳さんをお連れしました」
「ああ、それは助かる…うん?」

タヌヴァサと呼ばれたのは、財団の艦上勤務士官の制服を着込んだ、ガッチリとした体格のポリネシア人だった。
疲労困憊といった様子であり、苦労がしのばれる。
そんなタヌヴァサは怪訝そうな顔で連絡員を見つめている。

「で、通訳さんというのはどこに?それとその子はどうした、何か問題があったかね?」
「いえ、この子がその通訳です。たまたま『いしづち』に乗り合わせてまして、わざわざ来てくれたんですよ」
「うん?ちょっと待ってくれ、つまり…その子が例の、サモア語を話せる財団職員、ということか?」
「ええ、そうです」
「ふむ、そうか…」

一瞬何かを考え込むような表情をしていたが、すぐに咬冴のほうへ向き直り、サモア語で話し始める。

『私はトゥプア・タヌヴァサ。本当はSCPS『ノーラン・ロックウェル』の砲術長なのだが、この通りサモア語と英語、あと日本語も話せるものでね。こうして駆り出されてるわけだ。君は?』
『機動部隊さ-21所属、咬冴 舞波と言います。本名はニーフォ=ママナ。調査などのため他の職員と一緒にSCPS『いしづち』に乗り込んでいたのですが、お声がけがありましたので参上致しました。どうかよろしくお願いします』
『ニーフォ…なるほど、『力強き牙』ね、いい名前だ。こちらこそよろしく頼みたい。なにしろここでサモア語を話せるのは私と今彼らの相手をしているリチャーズ博士、それから君だけなんだ』
『はい、頑張ります!』
『ああ、それと…もし何かあったらすぐに言ってほしい。これは君の精神的なものも含めて、の話だ。つまり辛くなったらすぐ相談してくれ』
『どういう事ですか?』

タヌヴァサは咬冴に何枚かの手書きのレポート用紙を見せる。
内容こそレポートというよりもメモや覚書の類であったが、伝えるべき事…少なくともタヌヴァサがそうと思った事はそこにすべて書かれていた。

『ろくにインタビューはできてないから詳しくはまだわからないが、彼らが言うには彼らは『サミオマリエ王国』という国家の住民だったそうだ』
『…え?』
『そこに何らかの武装勢力が侵攻してきて、多数の国民が殺害され、いよいよ自分たちも…というタイミングでSCP-1342-JPがやってきて、彼らを救助した、と言っている』
『え…?』
『次に、彼らの容姿だ。こいつに書いてあるとおり、サメの獣人とでも言うべき容姿をしている。採取した遺伝子…まあ要するに唾液の事なんだが、そいつを簡易検査にかけたところ、ホオジロザメのDNAと概ね一致した』
『それって、まさか…』
『…つまり、そうさな…君が鏡を見た時に見るような感じ、ということになる』

困惑、不安、その他諸々。
ヘリに乗っていた時にはかけらも感じていなかったような感情に飲み込まれ、咬冴は天を仰ぐしかなかった。


それから1週間。
咬冴は難民たちから事情を聞き続けていた。
容姿がほぼ同じな上、使う言葉も同じだったため、おそらく彼らも話しやすかったのだろう。実に多くの情報を得ることができた。

彼らが暮らしていたのは南太平洋海底に存在していた『サミオマリエ王国』なる国家だったこと。
メガロドンを信仰する、半ば以上自給自足の、平和そのものな国だったこと。
ある日突然地上人…『戒厳司令部』を名乗る謎の武装勢力が侵攻してきたこと。
申し訳程度しかなかった警備隊は瞬く間に全滅したこと。
首都も数時間で陥落し、国王一家も全員公開処刑されたこと。
なんとか国を脱出した人々も、別働隊に追われていたこと。
あわやこれまで…というところに、突如大きな船…SCP-1342-JPが現れたこと。
大きな船はタラップや縄梯子、はては航空機…SCP-1342-JP-2と-3だ…で自分らを引き上げ助けてくれたこと。
全員を収容すると、いつの間にやら船はこの世界に来ていたこと。
そして今度は財団により保護され、この船…SCPS『つくば』へ移されたこと。

確かに咬冴のいたサミオマリエ共和国に似ていた。場所も、文化も、そして滅ぶまでの経緯も。
だが少しずつ違った。故郷には王室なんかなかったし、攻めてきた奴らは『戒厳司令部』などという連中ではなかった。ついでに公開処刑なんてまだるっこしい事をする奴らでもなかった。
それより何より、大きな船が助けに来てくれなどしなかった。

ある日、夢を見た。
まだ故郷が健在だった頃、友達と遊びに行った時の夢だ。
友達の顔は、仲の良かったあの子の顔ではなかった。その日の昼、SCPS『つくば』の食堂で聞き取り調査をした家族の娘の顔をしていた。

自分の失われた故郷ととてもよく似た、それでいて少し違う「世界」は、少しずつ、しかし確実に咬冴をすり減らしていった。
そして、ついに破綻が訪れた。


『コッチ、キテ、ドーゾ!』

『つくば』の乗組員…大急ぎで必要最低限のサモア語を教え込まれたらしい…が、片言の、お世辞にも上手とは言えない発音のサモア語で呼びかけるのが聞こえてくる。
最初は滑稽に感じていたが、今ではもうなんとも思えない。

『つくば』乗組員により連れられてきたのは、3人の家族だった。父親と母親、そして幼い娘。
両親の顔を見た時、咬冴は頭を思い切り殴られたかのような衝撃を受けた。
だが表向き冷静に、何もなかったかのように振る舞う。

『…こんにちは、そこにかけてください』
『はい、よろしくお願いします』

咬冴は自分がガタガタと震えているのをはっきり自覚していた。

『……では、まず、お名前を…』

父親が自分と妻、そして娘の名前を答えた。
限界だった。

『ごめんなさい、すぐ、別の者が来ますから…!』

咬冴は席を立ち、食堂を飛び出す。
父親も母親も娘も、そして立ち会っていた『つくば』乗組員もあっけに取られて見送る事しかできなかった。


『いったいどうしたんだね!?何かあったか、まさか襲われでもしたのか!?』

飛び出してしまった咬冴は、『つくば』甲板の片隅で蹲りすすり泣いているのを発見された。
そして乗組員の連絡を受けたタヌヴァサが駆けつけ、事情を聞き出すことになった。

『いえ、何も危害は…でも、もう無理です、ごめんなさい…』
『どうしたんだね?何か辛いことが?』
『…さっきやってきた人、家族だったんです』
『なんだって!?』
『正確には、よその世界の同じ人だから、私本人の両親じゃなくて、私本人の両親はSPCに殺されてて、あとあっちにはまだ幼い私もいて…!』

泣きながら答える咬冴。

『…しばらく船室で休んでいなさい。今日の午後には援軍も来る、そうしたらもう帰って大丈夫だ』
『はい…』

数時間後、財団本部から多数のサモア語通訳が援軍としてやってきた。援軍は通訳だけではなく、文化やら何やらの専門家もいる。
つまり、専門家ではない間に合わせのサモア語通訳はもう必要なくなり、各々の本来の居場所に戻ることを許された。
咬冴もヘリに乗せられ、『いしづち』へ戻った。


「おかえり咬冴、大変やったな、辛かったな」
「………」
「話は聞いとる、無理に話さんでええよ」
「話させて、でないと頭ん中グチャグチャになってまうから…あの人ら、ウチのいたのとはちょっとだけ違うサミオマリエの人らだったんや」
「ふむ」
「でも結構似てて、ちょいちょい何の話してるとか、どこの話してるとか、わかっちゃう事も多かったんや。ウチの思い出と混ざっちゃう感じだったんや。怖い夢も見た」
「夢?」
「友達と遊びに行った時の夢なんやけど、その夢の中では友達が友達の顔してなかったんや。あの船の上で会った難民の女の子の顔してたんや」
「そりゃ、怖かったな」
「とどめに、ウチのおとんじゃないおとん、おかんじゃないおかん、ウチじゃないウチと会っちゃったんや」
「並行宇宙同位体ってヤツやな。確かに可能性は0やない…」
「思い出はかき回されちゃいそうだし、それに何より家族じゃない家族、ウチじゃないウチが、両親と一緒にいられてるウチがこの世界にいるのを知ってるのがなんか辛いんや、もう忘れたい…」
「そっか…記憶処理、受けとくか?承認なら出すから」
「うん、ありがと…タケナギ、ウチ、財団職員、向いてないんかなあ…?」
「そうは思わんで」

簡潔な、だが確固たる答えは咬冴が想像していたものとは違った。

「さすがにこれはしゃーない事だと思うで…咬冴、阪神淡路大震災って知っとるか」
「ヤブから棒になんや…?本で読んだから知っとるけど…」
「ウチはその時ちょうどそこに住んでてな。そん時ウチは助かったが、オカンは死んだ。自衛隊の人らがなんとか瓦礫の下から引きずり出してくれた時にはもうあかんかった。学校のクラスメートも何人か死んだわ」
「………」
「別の、ウチらのとは微妙に違う世界からオカンやリョーちん、アケミにミヤタンが五体満足でやってきたら、その上そいつらに囲まれて幸せそうな自分自身見たら…ウチかて正気でいられる自信ないわ」
「…そっか」
「安心して記憶処理受けてこいな。恥ずかしくもなんともない事やから」


「ああ、あんさんが咬冴の話しとったタヌヴァサさんですか、お初にお目にかかります」
「はじめまして、嶽柳主任研究員。私もあなたのことは彼女から聞いている。今回の件は済まなかった、もっと早くメンタル不調に気づいてしかるべきだった」
「いえ、リチャーズ博士もあなたも良くしてくれたと言うとりました。特にあなたはかなり目をかけてくれてた、と」
「そうか、とはいえここまで追い込まれるまで気づかなかったのは事実だ。何を言われても文句を言う権利はあるまい」
「彼女もウチも悪くは思ってないですって。もっとも、ろくに情報よこさず依頼してきたボンクラにはきつく言わせてもらうつもりですがね」
「私からも強く言っておこう。それはそうと、彼女は?」
「記憶処理受けたい、と。承認はもう出しとります」
「そうか…それがいいだろう。必要もないのに心に傷を残し続ける必要はないからな。それが大切な思い出にまで及んでいるならなおさらだ」
「同感ですな」
「だが、少し気になる話があるのだ。彼女はこの先も苦労することになるかもしれない…こいつを見てほしい」

タヌヴァサが差し出すタブレットには、財団内部の通知が表示されていた。ついさっき閉会した倫理委員会の会議録と議決結果だった。

議案第67号 SCP-1342-JP-1の安楽死に関する提案:賛成少数により否決
議案第68号 SCP-1342-JP無力化に関する提案:継続審査

「なるほど、難民連中は処分したりせずこのまま保護、んでもって船の方は結論出すのは先送りだから当分現状維持ってことやね」
「そのとおり。つまり…また似たような事例が起きるかもしれない。可能性は小さいだろうが…」
「0じゃあ、ありませんわな…」

咬冴よ、お前いったいどんな星のもとに生まれてきてもうたんや?
胸中でひとりごちるしかない嶽柳主任研究員だった。

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