「今日の買い物で言いたい事があるんですよ。みんな五分でいいので聞いて下さいよ。」
アレはこの町に引っ越して来たすぐ後だったから、ちょうど今から14年前、9歳の頃だったと思うんです。その日は土曜日で、銀座で昼食に焼肉を食べたり、買い物に付き合ったりした後の帰りだったんですけど、駅の直ぐそばのスーパーに夕ご飯の材料やら洗剤やら買いに行ったんですよ。あ、今はどこにも行ってない訳ですから言わなくてていいですよね、ごめんなさい。
この男の話を何故俺が黙って聴いているのかと言ってしまえば、単なる万引きの事情聴取である。
その筈なのだが、既に頭が痛くて限界であると言わざるを得ない。
つい二時間前のことだ。
大量に豚肉や野菜、魚を買い物かごに詰め込んだまま店の外に出ようとしていたのと、いきなり周りの人に変なことを喚きたててたのを俺が急いで止め話を聞こうとした。
したのだが、要領を得ない。店長とサシで20分前後対面していたのだが、結局何も分からなかったらしく、すぐに俺に預けさせられた。まったく給料が安いくせに人使いが荒い。
なので店長が少し話をしようとして失敗してから、裏の部屋に留めて警官が来るのを待ちながら事情を聞いている、というのが今の現状だ。
ただ、話している内容は意味が通っていない。
あっちこっちに場面が移り変わっていたり意味が分からないことを捲し立てているので苛立ってくる。それに唾が直接顔に掛かる勢いで喋るので急ぎで顔を拭きつつ、マスクをつけながら話を聞くほかない。
加えて漂わせているのは服も何日も洗ってないのが分かるような饐えた匂いであり、恐らく浮浪者とかに該当するのだろう。
苛立つ気持ちを抑え、口の奥のかゆみを我慢しつつ話に付き合ってみる。
で、ですね、ですね、家帰ってご飯の材料を冷蔵庫に入れてる最中に、ふと喉が渇いてお茶を飲んだんですね。いつもならそれくらいで満足してたんですがその日は何故か妙に喉が潤わなくて、バカみたいに、いやバカじゃないんですよ?水をがぶ飲みして心配させてました。あ、2人家族だったんですよ母さんは会社の営業で母さんは聞いたらすでもここじゃないスーパーでしたはい。
おかしいことにそれからずっと喉が渇いたままだったんですよ。何してもダメ。寝ても覚めても喉が渇いて渇いて仕方なくて、病院で診てもらっても治らないし学校でも常に水道から離れ慣れなくて次第にいじめられるようになっちゃって。
ここまで訳が分からない客を相手にしたことがないからなのか、つばを飲み込むたびに嫌な感覚がする。
刺激しないように、先に相手していた店長に近寄る。
「コイツ、薬物とかやってんじゃないですかね。」
「うん……これはちょっとぉ、うちじゃ何ともできねぇなぁ………。」
「取り敢えず話だけ聞いたら暴れたら俺が力ずくで取り押さえるから、ごめんだけど。」
咳き込みながら、店長は俺に丸投げした。
最初は少し乾くくらいだったのが、次第に耐えられなくて暴れすぎちゃったんで。学校もやめちゃって家もめ、めちゃくちゃになりましていつも仲良かった母さんも邪魔者扱いしだして。喉が渇いて痛いっていうと怒鳴ってうるさい、耐えろといつも怒ってたんです。でも何とか治そうとしたんですよ。お薬をいっぱい飲んだり、冷やしたりして。結局ダメだったんですよ、でも解決しました、ご飯を食べ続けなきゃだめだったんですよね、でもただのご飯じゃだめなんですよ。
…何言ってんだ?
先ほどから頭のおかしい、気色悪いことこの上ないことをスピーカーのように捲し立てているのを横目に、店長に視線を送る。
何か用件でもあるのか、「まだ相手してて」とでも言いたげに顎で指した直後に俺を残して部屋を出る。
……喉から口が引っ付く感覚がする。
───でもただのご飯じゃだめなんですよ。色々と混ぜ物しないと。最初はたまたまだったんですけどね。
店員さん、ペットて飼ってますか?自分は飼ってました。コーギーなんですけどね凄く懐いてくれてて、茶色の膝下くらいの部屋飼いで。でいつもみたいに母さんが包丁とか箸を俺に投げつけるんですけど、その時はたまたま包丁が前足に刺さっちゃって。殆ど骨を切っちゃってたぽくって。
俺は何とか抜こうとして血だらけの足を掴もうとしたんですが、勢い余って引っ張っちゃったんですよそしたら取れちゃって。まるでけんけんでもするみたいに残った足でパランスを取って血がリズムよく垂れてて。もうキャンキャン泣きながらと母さんたちの悲鳴で耳が痛くてつまづいちゃって。
ちょうど血の水たまりに口をつける形で倒れたんですけどすごいことが起きちゃって。ずっと続いていた喉が渇いてたのが治ったんですよ嘘みたいにすぐに母さんに言いました。
でも聞こえてなくて何度も大声で教えたら母さんがさっきまで真っ赤な顔だったのがもとに戻って、
「じゃああんたが作りなさいよ」
って自分の喉をいきなり箸でついたんですね。
「…そういうのいいからさ、何で万引きしたの?でどこに住んでんだよ?」
もう聞きたくない。
早く警察に突き出してやる。
大声で、いつの間にか部屋から出ていた店長を呼ぶ。
「今三人分持ってくるからいてくれ。」
そんな間の抜けた返答をしり目に時計を見───
いや、ちょっと待て。今。
遠くから悲鳴が聞こえる。
ドアが開く。
店長は何を手にしている?
何でそれを俺の前に置く?
浮浪者がくぐもった声で笑い、まるで頼んだ料理が来たのかのような顔で。
でまあ喉が渇いて仕方がないんで少しずつ飲んでいきました。最初は出てくるものを飲んでたんですがお腹減っちゃって少しずつ切り取りながら料理してたんですよ。で、全部飲み干して食べちゃったんでお茶飲んでたんですけど飲んでも飲んでもダメで困ってたんですけど最初はセミとかネズミとかも入れてたんですが活きが良くないとだめなんで野良猫捕まえてたんですけどばれて家も見られてどっかに閉じ込められてたんですけど出たんで喉が渇いてお腹もすいてたんですよ。
でももうほんとにほんとに喉が引っ付いて仕方なくて急いでこのお店に来て頼んだんですよ。本当に助かりましたありがとうございます。
それでなんですけど、一緒に飲みましょうよ。
そうだ、俺は、俺達の前になんでこれがあるんだ?
それになんで店長は犬みたいに椀に顔を突っ込んで何を飲み込んでいる?
店長の掲げるように向ける腕は、そがれたようにところどころ肉が見える。
そもそも何でここから動けないんだ。
この接着剤を流し込まれたようにひっついた、激痛を伴う喉の渇きは。
椀に入っている、この生臭い、硫黄と魚を混ぜた匂いのする、肌色の粒の混じった、赤黒いドロドロは───
「店員さん」
マスクが無理やり剥がされる。
目の前にいる、小汚く、そして全身から内臓が腐ったような気を発する、しかし愛玩犬のような目と歯を剥き出して笑う男は、更に目の前に押し出してきた。