最期の一杯、最後の一人、最後の弔い
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「このメッセージの送信を以て、Dクラスを含む全職員を名誉退職とする。諸君らは光の中で死ぬことを許されたのだ。」

突然届いたO5理事会からのメッセージに、俺の頭は一瞬真っ白になった。何かの間違いか?すぐに気を取り直し、添付ファイルを開いた俺の目に飛び込んできたのは対抗ミームと、そして機密とされていたハズのオブジェクト番号だった。SCP-001。ソイツによれば、地球は死の運命を悟った、という事らしい。ファイルの内容と地球の未来を知った今、サイト管理官である俺のやるべきことは決まっていた。俺は……歩き慣れた月面サイトの廊下を、管理室に向かって歩き始めていた。


それからの数時間は驚く程早く過ぎ去った。本部と慣れない英語で連絡を取り、このサイトに勤務する全ての職員を集め、つい先刻まで虎の子のように大切に守ってきたアノマリーの殆どをブチ壊し、そして残しておいた使用可能なアノマリーと資材の全てを使って、職員と知性のあるオブジェクトを地球に送り返した。希望者はサイトに残ってもいいことにしたが、誰も残りはしなかった。

「当たり前、か。」

そう呟いて、座り慣れた管理室の椅子に、地球の6分の1の重力に引かれゆっくりと腰を落とす。かつてはどの画面にも誰かが映っていた見慣れた監視モニターは、静止画のように寂れたサイトの様子を映し出していた。そりゃそうだろう、誰もこんな寂しい所で、母星が滅んでものうのうと生き続けたいとはまさか思うまい。それにやがて食糧も尽きる。なら故郷の星と運命を共にしたいと願うのが性だろう。
だが、俺にはどうしてもこの月面サイトを離れる気にはなれなかった。地球で研究員として下積みを続け、オブジェクトの長期研究のため月に渡ってきてからどれほどの年月が経っただろうか。最早曜日感覚なんてものは消失していた。何時しか俺はここでの研究にやりがいを感じていたし、ベタな言い方だが第2の家だと思っていた。前任者が不慮の事故でポックリ逝き、思いがけず俺が管理官に任命された時は嬉しくて天井に頭をぶつけてしまったこともあった。母親が危篤と聞いた時も、月から出ることは能わず、休憩室の窓から地球を睨んで泣き叫んだこともあった。地球に帰還した途端に体調が崩れに崩れて結局月に送還されたことなんかもあった。この月面サイトには俺の人生の思い出の多くが染み付いていて、それだけにここを捨ててしみったれた地球に戻る、なんて事は考えられなかった。

が、ここでただ餓死を待つのも癪だし、他の全人類全生物全植物エトセトラが死滅して俺だけがのうのうと生き続けたいとは思わない。そんな苦行を強いられるくらいなら、この灰色の岩の惑星を侍らせる青色のあの星と添い遂げてやろうじゃないか。半ばヤケになりながら管理室の扉を蹴り飛ばし、食料庫から酒と肴を、武器庫から一丁のピストルを拝借する。対岸の火事を見ながら呑む酒ってのは嘸かし美味いんだろうな、なんて不謹慎な事を考えながら地球が見える大窓のある休憩室の扉を開いた先に……他にいるはずの無い人間……スーツ姿の男がいた。

男は丁度地平線から昇ってくる地球を眺め、静かにタバコを蒸かしていた。向こうはまだ此方に気づいていないらしい。と、俺の脳裏に何かが鮮明に浮かび上がってくる。俺はこの男を知っているような……そんな気がした。数瞬の後、答えは出た。俺が下積みだった頃に貪るように読み漁っていた報告書で見た男だ。SCP-4999。死を目前にした孤独な者の前に現れてソイツを看取るオブジェクトだった筈だ。だが、何故そんなオブジェクトが此処に居るのかは分からなかった。
と、向こうがふっと後ろを振り向いた。相手のサングラス越しの眼と眼が合う。一瞬身が竦んだ。睨まれたら死んでしまうのでは、と一瞬脳裏に警戒信号が走った。が、そのような素振りはない。そりゃそうだ、かの蛇の王でもないんだし。4999は直ぐに地球の方を向き直ると、ついと手招きした。他に手招きの対象になる者も居ないだろうし、俺は4999とテーブルを挟んだ隣の椅子に腰掛ける。と、相手は俺に火のついたタバコを差し出してきた。有難く受け取り、煙を口に含む。美味い。そういえば、最後にタバコを吸ったのは何時だったか。9ヶ月に1度届く支給品にもタバコは少ししか入っていないから直ぐ奪い合いになっていたし、サイト管理官になってからは忙しく、満足に吸えていなかったな。煙を吐き出し、4999にビールの缶を1本差し出す。戸惑う様子を見せた4999に、

「どうせ地球が滅んじまうんだ、安全圏のここで高みの見物でもしねぇか?ほれ、一杯どうだ?」

と声を掛ける。向こうの表情は変わらなかったが、黙って缶を受け取り、プルトップを開けた。倣って俺も缶を開ける。炭酸が弾ける音が耳に心地よい。間もなく俺達の母星も、こんな風に弾けてしまうんだろうか。そんな暗い想像を掻き消すように、俺と4999は缶をぶつけ合わせる。

「乾杯。」

一気に黄金色の液体を喉へ、そして胃へと流し込む。心地よい苦味が喉を駆け抜け、腹へと奔流となって迸る。美味い。隣に目をやれば、4999も缶を呷っている。何時しかツマミとして持ってきたスルメも開いていた。俺は暴食の悪魔にでも取り憑かれたように酒を呑み、スルメを歯で噛み潰し、タバコの煙を肺に循環させ続ける。気づけば地球も水平線からその半分以上を擡げていた。「地球の出」まで、目測で……あと、20分。

「なぁ……ひとつ、聞いていいか?」

タバコが半分ほど燃え尽きた頃、俺は4999にずっと気になっていた質問をぶつける事にした。

「お前は……どうして孤独死者も居ないはずの……こんな所にいるんだ?」

その質問に答えは無かったが、その代わりに彼は俺に向けていた目線を地球に向けた。その仕草は、俺にとって答えとして十分すぎた。広い暗黒の宇宙に浮かぶ、生命の星。その寿命が、今まさに終わろうとしている。それはまさに、真っ直ぐに生きた人間が孤独に朽ちて行くのと同じなのだ。多くの生命を育み、その営みを支え続けてきた我々の母星に対して、彼はささやかな敬意と弔辞を述べるため、ここに現れたのだろう。……そして、もう一つの理由は。

「俺、なんだろ?」

4999は黙って俺に新しいタバコを差し出した。まるで俺に「正解だ」と告げるように。テーブルの上に無造作に置かれた拳銃の意図を、彼はしっかりと覚っていたらしい。タバコを受け取り、口に含む。きっと今生の吸い収め。目から涙が零れるのはタバコの煙のせいだ、多分。地球は既に昇っていて、全体がはっきり見える。マンハッタンの夜景が、俺と4999を照らしている。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったタバコが、ぽとりと床に落ちた。
しばらくして、アメリカの辺りからピンクの光が溢れ出した。ああ、これが最期なんだな、と本能的に覚った。その頃にはお互いのタバコも燃え尽きて、酒もつまみも空になっていた。光は光度を増し、地球全体を覆う。地球はやがて桃色の光球となり、無数の破片となって砕け、散って行った。思わず立ち上がり、厚いガラスに手をついて滅びゆく我らが母星を目に焼きつける。ああ、地球が滅んだのだ。俺の生まれ育った田舎の家も、旧友も、犬も、猫も、母校も、ただのサラリーマンも、売れない芸人も、財団も、GOCも、死の石像も、不死のトカゲも、全て等しくピンクの光に包まれて消えて行く。

「……さようなら、地球」

そんな言葉が、口を突いて出た。4999もただじっと、地球「だったもの」を見つめていた。光の破片となって散ってゆくソレはとても綺麗で、儚くて、そして……悲しかった。
気づけば4999が此方を見ている、何かを促すかのように。ああ、分かってるさ、クソッタレ。
俺は銃口を口に含み、そして……いや、その前に。

「最期にお前みたいなヤツに看取って貰えたこと、心から嬉しいよ。ありがとう。……あばよ。」

もう悔いは無い。地球人各位、今追いついてやるさ。
瞳を閉じ、静かに引き金を引いた。

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