さよならハーミット
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Prologue.赤錆剥げる少女(RedOut Lady)

 骨の髄を鉄に変えてしまったような、冷たい雨の夜だった。

 泣き喚く私は、ただ必死で。深夜三時、東京にしては人の居なすぎる路地を裸足で駆けている。右足、親指の爪は何処かから折れてしまって、けれど足を止める方が恐ろしくて。

 痛む頭で思い出すのは、雨が降り出す少し前のこと。

 眠っていた私たちを、まず孤児院の庭で轟いた音が叩き起こして。その次に、窓から入ってきた鉄の塊に、職員の杵田さんが押しつぶされて。その次は窓際で目を擦っていたさんちゃんが居なくなっていて。その次はもう──覚えているのは、ただ、錆によく似た赤色だけ。

 どうやって逃げ出したのかも、今どこまでやってきたのかもわからない。絶えず頭痛がする。雨と暗さで何も見えない。痛い。私の頭を、肩を、翼を、角を、雨粒はひたすらに打ち続けていて。望んでなんていないのに、痛くて苦しいのに、私の体はいやに早く、私も知らなかった体の動かし方で、どこかに逃げ続けている。

 足を止めると、機関銃の銃声が近づいてくる気がして。この果てのない大通りを、私は飛ぶような想いで駆けている。

 泣き喚く私は、ただ必死で。深夜三時、東京にしては暗すぎる路地を裸足で生きている。無地のパジャマは血濡れでぐしょ濡れで背中から裂けていて、けれど足を止める理由が見つからなくて。

 そんな雨の夜、行き止まりの作れない道の果てに、幼い私は一つの灯りを見つけたのだ。小さな看板と、それを照らすランタン。『Dining Bar Coward』という文字列の意味を、その時の私は知らない。

「いらっしゃい。そろそろ店じまいのところだったんだけど、君はきっと運がいい」

 声も出せず、血まみれで、人の姿に見えるかもわからない私に──彼は。酷く呑気に、ロックのウイスキーを店の前で傾けながら一つ、何かを仕方なく諦めるみたいな顔をして尋ねたのだ。

「お嬢ちゃん、鬼ごっこは好きかい?」

 泣き喚きながら、鼻を啜り、肯定とも否定とも取れない声を漏らした私に、彼は笑って、その店の扉を開く。

「僕もだ」

 それが、いつも見る光景。六年前の、錆色の悪夢で。

 そしてきっと、これから見る夢の始まり。



 俺が故郷に帰ってくるのは、おおよそ6年ぶりのことだった。中央線を降り、改札を抜け、サラリーマンの脇を縫って北口へ。冬の朝特有のささやかな日差しに目を細め、少し立ち止まる。
 と、衝撃。後ろからぶつかってきた男がこちらを睨み、舌打ちをしてまた去って行く。全く、感慨のあるふりなんてするもんじゃない。軽く左胸を押さえながら溜息を吐く。

 駅前のバスロータリーをややふらついて、人気の少ない高架下で壁にもたれ、伸ばした髪に隠した、つけっぱなしのワイヤレスイヤフォン──そう見えるが、実際はその何倍も高い通信機──に手を寄せ、ボタンを押す。

 実際のところ、この街に愛着なんてものはない。育ててもらったとすら思っていない。孤児院でもらった名前すら、この街を出た時とうに捨てている。

「こちら"ジェリーフィッシュ"。目的地付近に到着しました」

『……任務先ではコードネームではなく偽名を用いるように』

 上司は小さな失望を隠そうともしないし、俺は今更それに何か言うこともない。

「すみません。とにかく、これより評価を開始します。最終確認があればよろしくお願いします」

『特にない。健闘を祈る』

 それで通信は切れる。「秘匿回線の維持にも予算はかかっている」という説教がなかっただけ、今回はマシだろう。通話を待っていたようなタイミングで、頭上の列車が発車してやかましくなる。
 ……実際、なるべく通信は控えるよう、口を酸っぱくして言われている。ミーティング不足で少し心配性が出てしまった。

 世界オカルト連合極東部門、評価班73E所属。コードネーム"ジェリーフィッシュ"。それが今の俺。六年前に孤児院を出てから、二十一歳になる今日までに、俺が手に入れた居場所。上司は好きではないし、同僚とも大して仲良くはないが、仕事にやりがいは感じている。

 駅前を通り過ぎて、道沿いに歩く。今回の任務に必要な情報はすでに頭に入れていて、街の地図も当然その一つだ。パワードスーツの脳筋どもと違って、俺の物覚えはそれなりに良い。今回調査すべき複数のポイントを、最短ルートで回れるように順路も組んだ。

 最初の目的地は、一つのダイニングバーだった。ここらにバーは数多いし、客は漏れなく酩酊していて、超常存在の隠れ蓑としてはちょうど良い。おまけに店主はこのビルの二階に住んでいるらしく、今回のターゲットの潜伏場所として申し分ない。

 死にたくなければ気を引き締めろ。今回の案件は腐っても『三桁』──過去の先輩方が取り逃がし続けている大捕物だ。


脅威存在データベースエントリ

脅威ID:

KTE-0144-Blue "青の隠者"

認可レスポンスレベル:

4 (重度脅威)

概要:

実態の起源は不明だが、少なくとも第一次オカルト大戦以前から存在が確認されているタイプブルーである。肉体は奇跡論の行使により頻繁に変化しているが、ほとんどの場合は人型であり、最も多く確認されているのは20〜30代のコーカソイド男性の姿。

KTE-0144-Blueが最も得意とする奇跡論はバックラッシュを利用したアポーテーションであり、魔法陣等の予備動作を用いずに自身および物体を転移させることが可能である。

民間人への直接的被害はこれまで確認していないが、交流したタイプ・ブルーに自身の知識を与えていることが確認される。これにより他タイプ・ブルーの能力が向上し、粛清に失敗する事案も数多く発生している。

交戦方式:

陽動ののち、即座に狙撃手によるヘッドショットが望ましい。対象は非常に慎重であり、敵対が察知された時点でアポーテーションにより即座に逃亡する。一方で狙撃手単身での暗殺も全て失敗しており、奇跡論による危険察知能力を持つ可能性が高い。

付記01:

……

「あの……こんな相手に、若造一人で良いんですか?」

 作戦を伝えられる前に、事前に送られてきたデータベースエントリ。連合より前から生き、連合から逃げ延びているタイプ・ブルー? 察知されたら即転移? 任務失敗の四文字以外浮かばない。

「確認だが、資料は全て読んだか?」

 やべ。

「ざっと……」

 太古のタイプ・ブルーなだけあって、付記は洒落にならない量がある。加えて一つ前の任務の後遺症で、何日か泥のように眠る休暇を過ごしていて、資料は今日の朝しか読めていなかった。

「第一目標が対象の無力化、そのための調査であることは変わらないが……近年ではKTE-0144-Blueに対しては、間接的な対処が殆どだ」

「間接的な……?」

 おうむ返しの問いかけに溜息を吐いて、上司は義手の人差し指で資料を指差す。六年前の突入作戦で欠損した彼の手を見て、俺は気を引き締めて資料に集中する。

付記23:
KTE-0144-Blueの潜入場所付近には多くの場合、対象によって知識を与えられたタイプ・ブルーが存在し──

「"青の隠者"と違い、その弟子はバックラッシュの制御まではできない場合がほとんどだ。……野放しにし続けた場合を除けば。そしてそれこそが、常に一般社会に潜伏していて問題を起こさない対象を、『重度脅威』としている理由」

 流し見した付記を思い出す。燃える小村や滅びる国。長く"青の隠者"の教えを受けたタイプ・ブルーが起こした大規模な事件群が、そこには書かれていたはずだ。

「間接的な対処──常に弟子を無力化し続ければ、対象は脅威にはなり得ない、と」

「そうだ。今回の評価班導入の第二目標は、"青の隠者"の弟子、その存在と脅威度を確認すること」

「……なるほど」

 そこまで言われて、ようやく理解した。若造を──それも俺を投入する理由を。どれほどの脅威かも、そもそも居るのかもわからないものに、最初から精鋭は送れない。連合の中でも命の軽い奴を単身で、という妥当なロジック。

「弟子が存在して、こちらに対して敵対の意を示した場合には、即座に粛清しても構わない」

 そう、"青の隠者"の危機察知能力を考えれば、即敵対の可能性だってあるのだ──。


 コートの布越しに銃がそこに差さっていることを確かめたのち、あくまで何食わぬ顔で角を曲がる。朝一番にここに来たのは、調査対象のバーが閉店しているからだ。店主への調査は夜にまた行うとして、店主が店内に居ないうちに内装の確認をしておきたかった。

 角を曲がってすぐ、そのバーの看板は見えてくるはずだった。事前に確認した資料、『Dining Bar Coward』という青い看板。

「……あれ?」

 看板はない。道を間違えた? いや、駅からはそんなに複雑な道を通っていないし、確認した写真とも風景は合っている。怪訝に思いながら、店の前まで歩いて、立ち止まり。ガラス張りの中を覗き込む。

 バーだったはずのその場所には、酒瓶の一つもなく。机や椅子はなく、タイル張りの壁と床に、いくつか痕跡として傷があるだけ。がらんとしたその部屋は、夜逃げしてもこうはならないほど徹底して全てが無くなっていた。まるで空きテナントのようだが、昨日まで、いや今日の閉店時間である深夜2時までこの店がやっていたことはすでに他の評価班員が調査済みだ。

 まさか……一発目で当たりを引いて、逃げられた? 明らかな異常事態だ、そうとしか思えない。試しにビジネスバックに仕込まれたEVE量子測定器を起動させる──ビンゴ。基準スレスレの、けれど確かな変動を、ワイヤレスイヤホンが耳元で読み上げる。

 ひとまず、この現状を報告しなければ──そう思い耳に手を添えたところで、物音に手を止める。店の二階から、確かに人が歩く音が聞こえた。店主が住んでいるはずの、二階から。

「!」

 息を押さえて、跳ねないように心臓を抑え。入り口脇、八段の短く急な階段を登る。白い扉のドアノブに手をかけようとして、慌てて離す。焦りすぎだ。一階のがらんどうを思い出して深呼吸。上に報告するのは、現状の証拠で充分なはずだ。わざわざ踏み入る必要なんてない。


 手を離したドアノブは、しかしひとりでに回り出して。


 思い出の面影を宿す少女が、パジャマ姿でドアを開いて問うてきた。


「……さんちゃん?」

 六年前から変われなかった俺は、応えられずに彼女を見上げていた。




さよならハーミット


1.見つからない角(Lost Horn)

 そろそろ切ったらいいのにと、面倒そうに言いながら彼が髪を梳く。やだね、と、彼の脇腹に、ちいさな腕でちいさな肘鉄を入れる。お風呂上がりの、暖かな温度で過ごす時間。

 面倒そうな態度の割に、いつだって髪の扱いは丁寧で上手かった。何故だか聞いたその時の私に、「ちょっと前は、僕も肩まで髪を伸ばしてたんだ。ヨーロッパあたりにいた頃かな、もう塔の上から降ろせるくらいには伸ばしてたね──」なんて、御伽話よりも嘘くさいエピソードを嘯いた。幼い私はただけらけら笑って、彼の膝に背を預けている。

 自分に向ける丁寧さと、人に向ける優しさは違う。そんなこともわからない子供に吐くには酷すぎる嘘だと、今はちょっと思う。

 乾かし終えた髪を、ヘアバンドで束ねる。装飾のサファイアは偽物なのに、もらった時から本物より綺麗に光り続けている。彼が見せてくれた、私を守るための魔法。

「めんどくさいなら、髪も魔法で乾かして、梳かしてくれればいいのに」

 鏡の中、青い輝きを見て私はそんなことを言ってみる。彼は頭を撫でて、ちょっと笑う。

「いいの?」

 そんな意地悪に、私は彼の脛を殴って振り返る。

「やだ。馬鹿」

 ごめんごめんと苦笑する彼が、マグカップを取りにキッチンへ立った。



 お茶でも出すね、と、キッチンに小走りする彼女の背を見送る。サファイアの装飾を持つヘアバンドが、忙しない動きに揺れていた。

 ちゃぶ台の前で座布団に座らされた俺は、リビングダイニングの真ん中で部屋を見回す。一階に比べれば生活感のある部屋だが、ところどころ不自然に空いたスペースがある。

 中身のない写真立てに視線をやった所で、彼女がコップ二つと二リットルの緑茶を持って来たので、人の家をじろじろ眺める無礼は辞めなければいけなくなった。前髪で視線は分かりづらいだろうが、首の動きは明らかにわかってしまう。それに何より、部屋より見るべき人が目の前にいる。

「久しぶり、だね」

 ペットボトルの2L緑茶は、淡いピンクのプラスチック製のコップに、一人分きっかり注がれて空になった。少女はしばらく、コップとこちらの間で視線を往復させて、諦めたようにコップをこちらに滑らせた。

 彼女の目を見る。多分俺と同じ目。困惑と気まずさを、少し隠そうとしている目。

「ああ、うん。よく俺だってわかったね」

「わかるよ。さんちゃ── 燦我さんがくん、髪型まで昔と一緒だし」

「……だよね」

 六年前に日立燦我という名だった、内気で前髪を伸ばした十五歳のガキは、一センチも身長を伸ばすことなく生まれた街に帰って来ている。

 体質の問題で学校にはほとんど行っていなかったし、孤児院はもう土地ごと無くなったから、俺を覚えている人間はこの街にはもういないはずだった。けれど少女はここにいる。なら、この少女が何者かなんて。頼りない記憶の面影なんか探さなくても、何度も見た資料に書いてあることだった。

ようちゃんは……随分、変わったというか。大きくなったね」

「そう、かもね」

 日立羊。同じ孤児院で育った、同じ苗字の妹との、こんな状況じゃなければ感動的な再会。いや、疑問を飲み込めば、きっと俺にも真っ当な感動はあるのだ。足元で泣いていた少女が、自分の背を追い越したことに、ちゃんと心動くと思う。
 けれど、今やるべきは同窓会ではない。

「「あのさ」」という話の切り出しが、彼女と重なる。ちょっと詰まって、すぐに話し始めたのは彼女だった。

「どうして、私の部屋の前に立ってたの?」

 当然の疑問。焦らない、もちろん返答は用意している。

「それは──」

「あと今まで何してたの? 他のみんなももしかして一緒なの? 本当に全然昔と変わらないね、あ、もしかして大怪我でコールドスリープとかしてた? 寒くて大変だったね」

「ちょ、あの、一つずつ説明させてほしい」

 手を挙げて彼女の言葉を静止する。変わらない所もあったらしい。そういえば、昔の彼女はこんなふうな忙しない子だった。不覚にも、この街に帰ってきて初めての懐かしさを覚えてしまう。

「今は関西で訪問販売の仕事やってて。たまたま、出張でこのへんに居るんだ。仕事しようとしたら、ちょうどドアが開いた」

 連合をはじめとした正常性維持機関の隠れ蓑として、最もよく使われるのが訪問販売だ。「ある日突然知らない家に押しかけても不審がられない」という仕事なんて、これくらいのものだろう。
 訪問販売によるトラブルが多いのに現代まで大きな規制がされていないのは、正常性維持機関の息がかかっているから、というのは連合所属の新人の間では有名な噂になっていた。

「そうなんだ。でもごめんね、今はちょっと私しか居なくて、契約とかはわかんないからできないや」

「俺が言うことじゃないけど、分かっても未成年一人で契約するべきではないと思うよ。──今はってことは、ずっと誰かと住んでたの?」

「うん。六年前に、私を拾ってくれた人と」

 マニキュアの塗られた指先をもぞ、と動かして、その質問に彼女は目を伏せる。緩い話の流れが、欲しい核心に一気に近づいていく。

「今は、その人はどこに?」

「わかんない。……起きたら、その、本とか宝石とかT-falとか、大事そうなもの全部無くなってて」

「宝石とT-falって同格なんだ……」

 彼女はきょろきょろと、まるで他人の部屋のように忙しなく、物の少ない部屋を見回している。俺は床、正確にはそれより下を指差して伝えてみる。

「そういえば下の階のバーも、来る時見たらもぬけの殻だったけど」

「えっ、嘘! やっぱり?」

「うん。もしかしてその住んでた人がやってたバーだった?」

「そうなの。そっか、バーの方まで……」

 知っている情報を白々しく吐く緊張から解放されて、出されたお茶を飲む。冬に胃に入れるには冷えすぎているが、それ以外は変わったところもない緑茶だ。

「羊ちゃんはさっき起きたばっかりって感じかな」

「そうだね。起きて着替えて、家じゅう見て回った後、バーも見に行こうとしてたとこでちょうど鉢合わせたから」

 かなり慌てていたのだろう、来る途中に通された廊下では、全ての扉が開きっぱなしだった。

「でもバーにもいないのか、そっか、となるとどうしよう……。書置きもなしに急に出ていくなんて、あの人はしないはずだし」

「前もこういうことは無かったの? 突然居なくなるとか、荷物が減ってたとか」

「あったけど……そういう時は必ず教えてくれてた」

「スマホとかで?」

「ううん。あの人スマホ持ってない。機械音痴だから」

「へー、このご時世に珍しい。お年寄りだったの?」

「……そうというか、違うというか……その……いや、まあ、おじいちゃんって感じではないよ」

「……そういえば聞いてなかったけど、その人の名前は?」

「アルトゥ・ロド。でもお店のみんなとか私は"ブルー"って呼んでた。青色が好きだから」

 雑談に表だけ見せた事情聴取をその後も適当に続けながら、しかしもう仕事はほとんど終わったつもりでいた。この部屋にターゲットが居たのはもう確定でいいだろう。あとは適当にコイツを保護して上に報告。
 上司あの野郎ビビらせやがって、と思ったが、これは単に運が良いだけか……最初からターゲットの信頼を得られているのがこんなに楽とは。捨てた街、数年前の置き土産。……今更、罪悪感なんてあるわけが。

「……それで、羊ちゃんはこの後どうするつもりなの?」

「何か知ってる人がいないか、ブルーの知り合いに聞いて回ろうかなと思ってる」

 タイプブルーの知り合い。油断していた所、その言葉でふと過ちに気づく。任務内容、『対象の影響を受けた人物の特定』は、何も一人とは限らない。口ぶりから羊も奇跡論については知っていそうだが──弟子は別にいてもおかしくない。

「羊ちゃん」

「うん?」

「それ、俺も着いていっていいかな」

 ターゲットの同居人を確保する──もちろん十分な成果だろう。だが足りない。既に大捕物には逃げられたのだ、出世の足掛かりには弱すぎる。──ここら一体の、タイプ・ブルーの残した足跡、根こそいでようやく60点、だろう。

「え? ……仕事は大丈夫なの?」

「理解ある職場だから。生き別れの妹に会ったって言えばわかってくれるよ」

 連絡の文面は簡潔、かつ、覗かれてもいいように。日立燦我です。顧客は消えましたが、生き別れの妹と暮らしていました。妹と行動を共にして顧客を探します。以上。これだけで、十分すぎるほど理解してくれる職場だ。

「じゃあお願いしようかな。一人で外に出るのも随分久しぶりだし、燦我くんがいれば安心だ」

「……うん」

 あの孤児院を出た後助けてもらったと、彼女はそう言っていた。きっとそれは事実なのだろう。取り残された調度品や部屋数からも、彼女を不自由なく生活させていたことはわかる。けれど──手元の端末に目を落とす。EVE量子の動きは規定値内に戻っている。

 日立羊。六年前の少女と、見た目は大きく変わったけれど。その内側がどう変わっているのかは、まだ何も見えてこない。何か隠しているようではないが、何か隠れてはいるのだろう。

「じゃあここで待っててね、準備してくる」

「ああうん、わかった」

 よく考えたらずっとよくわかんない柄のパジャマ姿だった。自室らしいところに戻っていく背中にまで、猫だかミーアキャットだかわからない生き物の柄が書かれたよくわからないパジャマだった。

 ターゲットのセンスなのだろうか。よく見ると部屋の端にも、熊なのかコヨーテなのかよくわからないぬいぐるみがある。いや、取り残されているならむしろターゲットじゃなくて羊の趣味なのか……?

 ぬいぐるみに近寄って、抱き上げてみる。

 噛まれた。

「痛ってぇ!?」

 慌ててぬいぐるみを突き放す。が、ぬいぐるみは所詮ぬいぐるみでピクリとも動かない。EVE量子も基準値で、俺の右手の歯形だけが今起きた出来事を伝えていた。

 ……よく考えたら、魔法使いの家でよくわからないものに触るほど命知らずなことはない。もっとよく考えたら、年下の女の家の物を勝手に触るほど命知らずなこともそうない。

 痛む右手を庇いながら、正座で彼女を待っていると、ややあってジーンズとニットに身を包んだ彼女が戻ってきた。

「じゃあ行こうか。まずはここからそんな遠くないバーからかな」

「わかった。あのさ」

「うん?」

「あのぬいぐるみって何?」

 俺が突き飛ばされたまま動いていない奴を指差すと、彼女は首を傾げて言った。

「何って、あーちゃん」

「……あーちゃんね」





 
「南口からすぐのところだから、そんな遠くないよ」

 家を出る前にそう言っていた通り、目的地にはすぐ辿り着いた。

「『Bar RED ALERT』ねえ。営業時間外だけど、この時間に人なんているの?」

 時刻は昼前。店のある場所は飲み屋の多い通りで、この店に限らず一つ残らず閉まっている。

「うーん、2割って感じかな。ダメ元で来てみた」

 ホットスナックの揚げ鳥、その最後の一口を齧りながら(朝ごはんを食べ損ねたらしい)、彼女はその店の扉を強くノックする。

「すみませーん。羊です、遊びに来ましたー」

 ほとんど期待していない俺の警戒心を、扉の開く音と、即座に鳴り響く耳元の警告音が叩き起こす。

「こんな早くから何の要件? 私ちょうど寝てた所なんだけど」

 赤いドレスの女性は言葉通り眠そうに扉を開け、羊を睨む。

べにさん、腰にも良くないんだから家で寝た方がいいですよ」

「うるさいねえ、ブルーの箱入りが生意気な口を──あら。そういえばブルーは?」

「そのことなんです! ブルーが今朝から居なくなっちゃって。紅さん、何か知りませんか?」

「ブルーが! それは大変じゃないか」

 紅と呼ばれた彼女は、わざとらしく口元を抑える。

「とりあえず入りな、言われてみれば、ちょうど心当たりもあるんだ」

 言いながら彼女が開いた扉の奥に続く階段は、朝には似つかないほど暗い。

「ほんと!? わかった、ありがとう」

「羊、ちょっと待って」

 二人でいそいそと階段を降ろうとするので、俺は慌てて彼女を呼び止める。

「あ、ごめんね燦我くん。忘れてた」

「忘れてたって……すみません、コイツの兄です。いつも羊がお世話になってます」

 会釈程度に頭を下げる。赤いドレスの女は、警戒を隠さない目つきで俺のスーツ姿、その全身をくまなく睨む。

「この子の……?」

 しばらく睨んで、俺のことを信頼できると判断したか、あるいは──戦力にならないと判断したか。鼻を鳴らし、顎で階段を指す。

「まあいい、あんたも入りな」

「失礼します」

 紅と呼ばれた女の先導で階段を下り、カウンターのある大部屋に通される。どこもかしこも赤い内装は正直あまり好みでは無かったし、大抵の庶民はなんなら目が痛いだろう。

 どっかりとソファに座る羊に対し、店の主はカウンターにもたれかかるだけ。俺は──緊張を抑えるように、深呼吸を一つして、テーブルに手をつく。

「で? 居なくなったってのはどういうことさ」

「そのまんまだよ。朝起きたら、ブルーが居なくなってて。家のものとかも色々無くなってた」

 耳元の警戒音は鳴り続けている。腰の拳銃に、相手の死角で触れた所で気付く──このままじゃあ、一発目を撃った後、二発目の銃口を俺は別の場所に向けなければいけない。

「本当かい? 旅行に行ってすぐ戻ってくるとかは」

「紅さんも知ってるでしょ! 私を置いてそんなことしないよ、だから何かあったんじゃないかって」

 ──判断ミスだ。警戒音が鳴った時点で、理由をつけて羊と逃げるべきだった。拳銃を出せば羊からの信頼は揺らいでしまうが、出さないと目の前の危機を脱せない。バレないよう狙撃手を手配するのも15分はかかるし、何よりここは地下だ。

「……じゃあ、もう我慢する必要もないか」

「紅さん?」

 そもそもターゲットの知り合いという時点でこんなの警戒して然るべきだった。ああ、くっそ。こんな凡ミスで、こんなチープな危機に陥るなんて。

「箱入り娘。自分がどれだけ守られていたかも実感せずに、のこのこ箱から出てきたんだねえ」

 羊は既にソファから立ち上がっていた。その程度の危機察知能力はあるらしい、でももう遅い。

 目の前の老婆は既に、ドレスを引きちぎって、その奥に眠っていた毛皮を纏っている。

(イエロー──人狼ウェアウルフかよ、ババア)

 タイプ・イエロー、変身能力者。単純な身体変化故に露見しづらいが、対面で測定すれば骨格の歪さですぐわかる。自動で脅威存在を検出した装置が、耳元でずっとうるさかった。

 出来れば変身前に撃ちたかったし、本当はそのつもりだった。強化された身体は、銃弾を通すか怪しい時がある。

「紅さ──」

 言い切る前に振るわれた爪を、存外機敏な動きで羊は回避する。ステップで距離を取ろうとするが、そこはすぐに壁。狭い店内、おびき寄せられた相手のホームグラウンド。

「騙してたんですか!?」

「騙しちゃいない! 客として来てたからもてなした。餌として来てるあんたに優しくなんてしないさ!」

 右、左、カウンターに飛び乗って向こう側へ。羊は振るわれる爪を軽やかに避け続けたが、きっとこれは遊ばれているだけだ。人狼はバーカウンターを挟んで、獲物を笑って見ている。

 羊は──避けているうちにヘアバンドが切れたのか、いつのまにかポニーテールが解けたロングヘアになっていた。乱れた前髪を直すように額に手を添えて、彼女はじっと、相対で店主を睨んでいる。

「さあ、行き止まりだよ」

「どうかな。私にはそう見えないけど」

 俺は息を詰めて、腰の拳銃に手を伸ばす。こうなってしまっては仕方がない。狙うのは狼の首筋、気を取られている隙に。

"Coward"


 覚悟を決めて見据えていた狼の背。横入った黒い髪が、文字通り場違いに、ふわりと揺れる。


「なっ──」

「やあっ!」

 羊の華奢な体から放たれる、ノーモーションの飛び蹴り。店のカウンターに並んだ酒瓶に、狼は顔面から突っ込んだ。派手な音、派手な蹴り、酒を含み重くなる毛皮。しかし──有効打ではない。

「この──」

 怒りに満ちた声と共に、振り向きざま爪を振り回す。その腕を避けた彼女を見て、狼の動きが止まる。

 きっと正確には顔の上──彼女の額に生えたソレを見て、だろうと理解する。何故なら俺も、背中の銃から手を離し、今はただソレを見てしまっているから。

「──そんなのをずっと隠してたのかい、アンタ」

「ええ。隠していてくれたんです、私じゃない人が」

 額から伸びるのは、鋭い瘤のような、赤々とした肉の塊。痛々しい血の滲む、異形の角。

 肉眼で見るのは六年ぶりのそれは、紛れもなく彼女があの地獄に──俺が幼少期を過ごした孤児院にいた少女であるという証だった。

脅威ID:

KTE-5335-Sakura-Black "鉄錆の五番"

 タイプ・ブラック。彼女の体の半分は、異形の神でできている。

 俺が日立羊という少女に感じていた違和感。彼女が──半神が目の前にいて、測定できるEVE値が基準値付近なんてことはまずありえないという、当然のロジック。半神というのは本来、それだけの重みを持つ存在だ。

 彼女に似合わない赤い角は、この部屋の他全てより"重い"。

"Coward""Coward""Coward"!」

 一文、それも詠唱のみでの短距離転移連続使用を可能にしているのはきっと、その重みだろう。自身の額から漏れるエネルギーに指向性を持たせて使い潰し、バックラッシュ揺り戻しのアポーテーションを悪用する。

 それはまさに、"青の隠者"が得意としているやり方だ。

「このガキ──ちょろちょろ飛び回って!」

 薙ぐような攻撃だろうと、フェイントを混ぜようと、そもそも手の届かない場所に逃げ続ける。店内の酒瓶という酒瓶、装飾という装飾を割ろうが、彼女は捕まらない。速度の意味は既に崩壊している。

"踊れ紫"

 反撃。マニキュアが光る指先は銃口となり、放たれる魔弾はマニキュアと同じ紫色。

「効かないねえ!」

「──"Coward"!」

 しかし。逃げ回りながらの短い詠唱で放たれる紫炎の魔弾は、当たっても毛皮を少し焦がすだけ。
 そう。少女は未だ爪や牙を喰らっていないが……狼の体にも、大した傷はない。最初に入った蹴りも、所詮少女の筋力と体重で放たれるそれだ。致命打には足りなすぎる。

"天の白霜は──」

「させないよ!」

「──"Coward"!」

 有効打がいる。おそらくそう判断した少女が、先ほどからより長い詠唱を始める。良い判断だが、しかし、狭い部屋では狼の爪がすぐに追いつく。攻撃を避けるため転移の詠唱を強制され、生まれるのは膠着。

 とはいえ、本当はこの戦いは羊が有利のはず。自在に転移できるなら、すぐにこの部屋からは逃げられる。彼女がそれをしないのは──気付いたのは、きっと、狼と同時。

 その獣と、目が合う。

「あの子の兄とか言ったかな? 坊や」

「さんちゃん!」

 逃げ回る獲物を仕留められないなら、逃げ回らない獲物でおびき寄せる。合理的だ。俺が標的じゃなけりゃ、腕を組んで頷いているところだ。

 狭い店内を二歩で飛んで、怪物は爪を振るう。俺は、ただ、叫ぶ。

「大丈夫──」

 ビジネスバッグを胸に寄せて、初撃を避けずに受ける。金属製の机すら切り裂いて来た爪を。

「──やって!」

 自分でも地面を蹴り、過剰なほど後方に吹き飛ぶ。後ろ──ふっかふかのソファに叩きつけられ、衝撃を受けた胸には鈍痛。だが、一撃は耐えた。さすがウチの技術の結晶。ゾウが機関銃を撃ってきても無傷、という触れ込みは嘘じゃなかったらしい。

 俺の肉体のほとんどはGOC製じゃないので、普通にゾウに、いや、狼に踏まれている。けほ、と、咳き込む息に何が混じっているかとかは考えたくない。左胸は叫びたいくらい痛い。でも大丈夫、もう終わりだ。

 この1秒で、もう間に合わない。詠唱は初めから聞こえている。

"天の白霜は今日まで溶けず"──」

「ガキどもが──」

「──"地の氷塊を貴方の胎に"

 現れた氷混じりの風が、少女の眼前を蹂躙する。不条理は毛ひとつ残さず壁面に磔にし、酒で濡れた体を身じろぎもさせぬ氷塊へ変えていく。顔だけ空いていなければ、狼の凍結死体でしかない。バックラッシュにより光る氷の美しさが不釣り合いなほどに、圧倒的な暴力。

 決着。パラパラと表面の氷だけ剥がれる音以外、一瞬の静寂。項垂れる狼が、人の姿に戻る。

 羊はふう、と息を吐き、戦闘の余波で倒れていた椅子を起こして座る。ポケットに入れていたらしいヘアバンドでポニーテールを括り直すと、角は静かに収まっていく。

 伏せた目で、女の目を見ないまま問い始める。紅いドレスの破けた女は、その様子をただ見ていた。

「紅さん。あの人が私を『守っていた』ってなんですか?」

「……無知な半神が一人で彷徨いてみなさい。科学者の被験体か、維持機関に撃たれるか、神を食べたい狼の餌よ」

 内心、全面的に同意だ。彼女一人ならおそらく一日保たずに死んでいる。だからこそGOCは、あの日逃げた彼女のEVE量子が観測できなくなった時、追跡を打ち切ったのだし。

「……じゃあ最初に言ってた、心当たりがあるっていうのも嘘か」

「それに関しては本当」

「本当!?」

 座っていた彼女が立ち上がり、安直な喜びを示す。その姿に毒気を抜かれたのか、化粧の取れた女は小さく笑った。

「昨日の昼だったかな。ここの近くの墓地でブルーを見たって奴がいたんだよ。随分と熱心に祈っていたらしくてね」

「ブルーが……?」

「あの性格だ、儀式じゃなけりゃよほどのことがあるってんだろう。それで、お前に奴が居なくなったと言われてピンと来た、あの墓地はここ最近出来たんだ、元々何だったかわかるかい?」

 羊は全く理解していない様子で首を傾げたが、俺はその答えを知っていた。この近辺の墓地で、今の俺たちに関連するものといえば、一つしかない。

「……孤児院」

「よく知ってるね。あんた、この街に来たのは久しぶりだろう?」

「調べたんですよ。生まれ故郷だから」

 出すつもりのない声が出てしまい、仕方なく弁明した。息を吐く。

「孤児院が、あった場所……?」

 羊は呆然とただ繰り返す。意味を捉えかねているように。

「今思えばあれは、別れの挨拶だったんだろうね。この街にか、お前達の兄弟にかは知らないが」

 それは。羊が求めていた心当たりとはきっと、きっと真逆の情報だっただろう。この街を離れた理由でもなく、彼の居場所でもなく、ただ──彼が戻ってくることはなさそうだという、そんな推測の補強。

 彼女は椅子に座ったまま、縋るように紅を見て、そのあとこちらを見る。

「さんちゃん……あの、さ」

 ゆっくりと何か話そうとしている彼女に、ただ頷いて言葉を待つ。握りしめているビジネスバックが、やたら重く感じる数秒。

「あの人はどこに……どうして、いなくなったんだろう」

 首を振る。

「わからないよ、まだ」

 突き放すように言ってしまってから、後悔。ほとんど泣き出しているような彼女の顔に、慌てて付け加える。

「でも、あの墓で祈っていたならさ。少なくとも、羊ちゃんのことがどうでもよくなって出ていったとかじゃないと思うんだ」

「……うん」

「だから、その……ブルーさん? その人が出ていったのは、きっと仕方ない理由があったはずで」

 そこまで言って、これまで培った世界オカルト連合評価班としての理性が冷たく告げる。ターゲットの代弁で、別のターゲットを励ます? 随分とお優しいことで。それとも、伏せた目を上げさせて、額を狙いやすくでもしているのか?

 首を振り、そこで気づく。インナーイヤー型のイヤホンが、黙りこくっている。耳元、髪の毛越しに感触を確かめる。外れてしまったわけではなさそうだ。

 まさか──恐る恐る、手に持っていたビジネスバックを振ってみる。がらごろと、鳴ってはいけない音が鳴った。

 ゾウが機関銃撃ってきても大丈夫な筈なのに……と言いたいが。こいつが保証しているのは防弾性能だけで、衝撃を吸収するわけではない。内部がこうなるのは当然といえば当然のことだった。

 とはいえ、もうさして問題にはならないだろう。連絡は手元のスマートフォンで取れる。むしろ、機械が壊れたことで「頃合い」だと教えてくれていると言って良い。適当に理由を付けて上司に電話をかければ、今回の任務はすぐに終わる。

 終わってしまう。

 それでいいのだと、理性は告げていた。心臓も限界を知らせているように、酷く痛む。もう、仕事は十二分に終わっている。
 両耳のイヤホンを外し、スマートフォンに耳を寄せる。ワンコールで、聴き慣れた声が出る。

『どうした?』

 けれど、この街にはやり残したことばかりだ。

「すいません、まだ戻れそうにないです。──兄弟の墓参りがしたいので」

『そうか。……終わったら戻って、仕事をする気はあるんだな?』

「もちろん、はい」

『……気が済むまで、好きにしろ』

「すいません、ありがとうございます」

 言い残して電話を切り、イヤホンと一緒にポケットに滑り込ませ。俺は、妹に向き直る。

「羊ちゃん」

「……うん」

「行ってみよう。あいつらの墓参りに」

「……そうだね」

 泣き出しそうな顔に、けれど涙はないまま、彼女は俺の言葉に頷く。あの頃走り回っては泣いていた少女から彼女が変わっていることを、俺はまた思い知って、地上へ続く扉を開く。



2.逸脱者達の爪痕(Posthumans Hurt)

 角はいらないとあなたは言って、ヘアバンドをくれた。もう誰も、傷つける必要はないのだと。

 翼はいらないとあなたは言って、ペンダントをくれた。己が身だけで飛び立つなんて、そんな危険を犯す必要はないのだと。

 それなら爪は? 無くしてしまえば指先は常にじくじく痛むだろう、ちいさな刃物は?

「研いで、削って、飾ってあげるよ。君に似合うように」

 最初の夜、雨の日の風呂上がり。あなたは膝に乗せた私の髪を梳いて、膝立ちで私の首にペンダントをかけて、眠りこけていた私の爪に、丁寧にマニキュアを塗ってくれた。

 だから、私の爪はいつも色付いている。彼お手製のラメ入りマニキュアが、室内灯できらりと光る。

 バックラッシュ代償の踏み倒し。身に余る力の指向性を、『偽物の宝石を本物にする』ことに使い続け、副次的作用で力を常に抑える。
 優しい枷だと思った。けれど、彼は何を考えていたのだろう。どこまで見据えて、私にどのくらい教えたのだろう。

 傷つける必要はないと言ったその口で、あなたは私に、目の前全て凍らせる魔法を教えてくれた。
 翼は要らないと捥いでおいて、あなたは空間を飛んで、どこかに行ってしまった。

 紅さんは私を「箱入り娘」と笑っていた。でも、それでよかったはずなのだ。私が一人でこの街を歩いたことは、今日を除けばただの一度もない。このまま、この枷で彼と繋がったまま生きていくのだと思っていた。

 昨日のお風呂上がりに自分で塗り直した、淡い紫に輝く爪を見る。似合うようにと飾ってくれたのに、あなたは私にマニキュアの作り方を教えている。紫、青、赤、ピンク。どんな色にでも、私は一人で爪を染めることができてしまう。

 こんなにたくさん枷を付けておいて。鍵も同様に全て、あなたは置いていってしまっている。どうして? 脳内で、あなたの顔に問いかける。

 記憶の中、あなたはずっと優しくて、ずっと楽しそうにしてくれている。

 ──少しは、私の前で寂しそうにしていてほしかったな。




 戦闘のせいで剥がれかけたマニキュアを、彼女は爪よりさらに下を見ているように俯いて塗りなおしている。元孤児院──目指す墓地までは、それなりに遠い。高架橋沿いを、二人で歩いて目的地に向かっている。

「助けてくれてありがとう。羊ちゃんがいなかったら、あの人に食べられちゃってたかも」

 実際は羊がいなければ、おそらく排撃班の狙撃か、拳銃での奇襲が間に合っただろうが。あくまで無力な一般人を装ってお礼を言う。彼女は塗り終えたマニキュアをちいさなポーチに仕舞って、寂しそうな顔でゆっくり首を振る。

「ううん。紅さんは……その、普段はああいう人じゃなかったんだけどな」

「狼になれるってことは知ってたの?」

「知らなかった。私たち以外に、この街に魔法使いがいるなんて」

 正確には奇跡論を使うタイプ・ブルー魔法使いではなく、おそらく先天的なタイプ・イエロー変身能力者だが、彼女にとっては些事だろう。大事なのは知り合いに食われかけたことだ。

「魔法なんて使えるようになったんだね。その……どうやって?」

「……私を育ててくれた人が教えてくれた。必要だからって」

「そうなんだ」

 わかりきった問いに、やはりわかりきった答え。悠久の時を生きる魔法使いの弟子が、目の前に立っていることの再確認。

 わかりきっていたけれど、それでも、彼女が積極的に奇跡論を使うとは──あんまり、思いたくなかった。

「そういえば。テレポート? みたいなことしてたけど、あれで孤児院まで行けばよかったじゃん」

「それは……その、あの時から一度も行ってないから、どうなってるかわからなくて」

「それだとテレポートできないんだ」

「……うん。『姿くらまし』みたいな感じで、ちゃんとイメージできないと体がばらばらになるかもだから」

「え、こわ……というか、昔は本なんて読まなかったのに、ハリポタなんて知ってるんだ」

「え? いや、映画で……。よくDVD借りたりして、ブルーと見てたんだ」

 なんとなく変えた話題の先は、結局能力の詮索。これはもう、ほとんど評価班としての手癖だった。

「なるほどね。そういえば、あの角がないとテレポートは使えないの?」

「そういうわけじゃないけど……そんなに知りたい? 多分、さんちゃんには使えないと思うよ」

 あの店を出てから落ち込んでいる彼女が、眉をひそめる。しまった、少しいらない詮索をしすぎたか。ここまで付いてきてくれているし、命懸けでサポートもしたから、致命的な疑いは抱いていないと思っているが。余計なことは今気付かせないほうがいい。慌てて言い訳する。

「いや、テレポートできるならお墓までテレポートすればよかったかな、と思って」

「うーん。目立つかもだし、出来てもやめた方がいいと思う」

 彼女は自販機の前で立ち止まり、がま口財布から幾らかの小銭を取り出す。

「喉乾いちゃった。さんちゃんはなんか飲む?」

「え? いや悪いよ、自分で買うって」

「100円ちょっとくらいいいでしょ、ここまで付き合ってくれた分」

 すでに自分のコーンポタージュを確保して、彼女は言う。

「じゃあ……ココアもらおうかな」

「わかった」

 指差したミルクココアのボタンを彼女が押す。すぐに落ちてきたホットの缶を、彼女は取り出してこちらに手渡しする。

 先輩との任務中は、なんとなく見栄張ってコーヒーを頼んでよく投げ渡されていたな、と思った。だからだろうか。ココアの甘味は、任務中という感覚からは少し遠い。

 とはいえ、気は引き締め直さなければ。彼女を先導して、墓場までの道を睨む。向かっているのはただの墓場だから、先程みたいなことにはならないとは思うが、それでも。

 隣では羊が一息でコーンポタージュを飲み干していた。熱くないのだろうか。というかコンポタを一口って。それはもう、喉が渇いているというよりお腹が空いているのではないだろうか。

「……あっつい!」

 飲み干して、羊が叫ぶ。大声に通りすがりのおばあちゃんが振り向いて、怪訝な顔でこちらをじっと見ているので、少し足を早めた。

 熱いのかよ。何がしたいんだ。

「羊ちゃん、その、目立つしあんまり大声は……」

「うん、ごめん。なんかやりたくなって」

 氷魔法を使った後は芯から体が冷えるんだよねと、彼女はそう付け加える。一応、ちゃんとした理由はあったらしい。一気に飲む必要はないだろうと思うが。

「ならいいけど。──この曲がり角を曲がったら、そろそろ墓に着くよ」

「そっか。わかった」

 曲がり角の自販機横ゴミ箱に、俺たちが飲み干した缶を入れる。悼むためにも手は開けておかなければ。俺は胸元で、手を握りしめる。

 羊は空いた手を、ジーンズのポケットに突っ込む。

「さんちゃん。ここを真っ直ぐでいいんだよね? 地図アプリも開かなかったけど」

「え? うん。なんとなく見覚えもあるし」

 質問の意図はわからない。道は間違えていないはずだ。地図は暗記しているし、何より──口には出さないが、この辺りの明らかな新築の多さは、かつての事件の爪痕に他ならない。

「そっか。なら──さんちゃん。もしお墓で何かあったら、すぐに逃げて」

「逃げてって……さっきみたいに、誰か襲ってくるってこと?」

 俺は事前資料で、この墓では六年何も起きていないことを知っている。加えて、通行人一人おらず、家の灯りも付いていないことから、人払いも終わっているのだろうということも。

 ここはもう、全ては解決済みの場所。文字通り、俺たちの墓だ。そこまで警戒する必要はない。だからこそ、俺は次の目的地をここに選んだのだから。

 この墓に来たのは彼女と二人で、かつてここで死んだ彼らの話と──これからの話をしたかったから。本当に、それだけ。

 けれど彼女は、油断なく辺りを見回して、ゆっくりと目指していた場所──霊園の入り口に、足を踏み入れる。

「嫌な予感が、ちょっとだけするから」

「……気のせいだといいね」

 油断しないに越したことはない、か。ふと、評価班として初めての任務出撃前、上司とした会話を思い出す。

『なあ。お前みたいな隠密役の評価班が何故、拳銃を持たされるかわかるか?』

『……護身用、ですか?』

『そうだが、違う。身を守るための選択肢なんて考えでは、間に合わない』

 霊園に、二人で足を踏み入れる。かつての孤児院の面影はすでになく、石畳以外はすでに雑草が茂っている。墓は新しいものが多く、少ない。そんな数少ない墓所が、入り口から離れたところに群れている。そこは確かちょうど、孤児院の建物があった場所──俺たちが、一日を過ごしていた場所。

 そこを目指して、二人黙って歩く足が、止まる。そこにいたのは複数の人影。けれど、何かおかしい。快晴の昼だと言うのに、人影の輪郭は霧の夜更けのように不確かだ──一つを除いて。

 それは冬だというのに半袖素足にスカート姿の、少し年上だろう女。赤い髪や顔は明らかにこの国の人間ではなく、しかし、どこの国でも見覚えはない。
 墓場における、冬における、社会における明らかな異物が。こちらには目もくれず、羊を見て嬉しそうに笑った。

「待ってたよ、青の弟子」


『銃は、撃つために持っていくものだ』


 背中の銃が、存在を主張するように冷えている。

 ──羊に遅れて直感が理解する。コイツの前にいるのは、不味い。

「──さんちゃん!」

 こちらを振り返った羊に頷いて、入ってきた入り口に引き返す──もう、遅かった。ブロック塀の隙間、二つの不確かな人影。顔は見えない。だが、背後の女の笑顔にあった敵意から考えると──無視して突っ切っていいものなわけがない。

 迂回しようと走った俺の出足を、入り口の石柱に座った人影が見つめている。ただそれだけの動作に、俺の体は固まったように動けない。

"舞い""踊れ紫"!」

 少し立ち止まった羊が、即断即決で放つ二つの紫炎は、もう一つの人影がほぼ同時に放った赤い花弁に相殺される。

 ヘアバンドを解き角を生やした羊が、めげずに次の詠唱を唱える中で、俺は、放たれた花弁と俺を拘束した視線の既視感に、固まる。
 すでに足を止めた拘束は解けている。本当は動けるはずだけれど、今、俺は動けない。頭だけ、不必要に回っている。

 目の前の情報が、机の上で得た情報と繋がっていく。羊を狙う女。墓場。人影は全て低身長の俺よりも背が低い。──この状況はもう、俺にとっては答えに等しい。

 振り返る。ここを動けない俺たちに悠々と近づいて、その女は、ずっと笑っている。

「ワタシに背を向けて、即逃走とは。臆病な馬鹿どもだよ」

 待ち望んでいたパーティに居るような顔で、純粋な敵意を、苛烈な殺意を剥き出しにして。笑みを崩さなかった口が動く。──詠唱!

"我等は夜に生きているBlack sheep nightmare"──」

"Coward"

 羊が、後出しで、しかし先に詠唱を終える。先の人狼戦でも見せた、短距離転移からの飛び蹴り。短文詠唱でほとんど事前動作なく死角に飛ぶそれは、羊にとっては即決できる最善策の初見殺しだろう。

 けれど、動けない俺は知っている。──初見ではないその女には、きっと、通じない。

「……あれ?」

 その場で無理に飛び跳ねた羊が、石畳に尻を打つ。"青の隠者"直伝の短距離転移が、封じられている。相手の隙を突くどころか、自ら大きな隙を晒した彼女を、容赦なく小さな人影は蹴り飛ばす。近くの墓標に叩きつけられながらも、彼女は咳き込みながら前を見据えるが……もう、遅い。

「──"故に、我立つ此処は夜であるWhite goat daydream"

 詠唱が完成する。女の細い手を中心に広がるのは、奇跡論により生み出された夜。偽物の月明かり広がる空間はただ、太陽から身を隠すだけの結界だが。
 それだけでここはもう彼女の──死霊術式のホームグラウンド。

脅威ID:

KTE-3149-blue-bluebuster "安息日の欠落"

認可レスポンスレベル:

4 (重度脅威)

 タイプ・ブルーの 死霊術師ネクロマンサー。どこにも馴染めないような服と笑顔のこの女に付けられた認可レスポンスレベルは、かの"青の隠者"と同等。しかも、この状況、"青の隠者"の弟子である羊と一緒にいるのが最悪だ。

 修飾子「buster」は、異常を殺す異常に付けられる。つまり"安息日の欠落"は、タイプ・ブルー魔法使いを殺すタイプ・ブルー魔法使い。しかも──"青の隠者"との、複数回の交戦記録がある!

「待ちくたびれたよ。邪魔者を数匹屠って飽きてたとこなんだ」

 嵌められた。今考えれば、人払いの時にGOCがコイツに気づかないはずもない。なのにスマホは一度も揺れなかった。それはきっと、すでにもう俺の同僚が全滅しているから。──対衝撃用のブラック・スーツに袖を通した、排撃班の同志たち。

 拳を握る。背中の拳銃に手を伸ばそうとして──その手が、黄色く細い花弁に切り刻まれる。

「──っ!」

「さんちゃん!?」

「大丈夫、皮膚だけで肉までは切られてない。だから──」

 だから振り返らないでくれ、羊ちゃん。狼狽は自分に向けたままで、決して周りの人影に、その正体に気付かないでくれ。

 "安息日の欠落"に相対した奴の、一番大きな死因がそれなんだ。

「え、あ、うそ……!」

「気付いたかい? 思い出したかい? あの日のことを。あなたの大事な兄弟たちの末期を!」

 諸手を広げ、悪趣味な女が笑っている。俺たちを囲んでいるのは、四人の人影。夜を生む結界により、朧だった輪郭が、顔を確認できるほどに形を持ってしまったそれ。


 ──俺は知っている。周囲に浮かべた花弁をこちらに放つ少年が、かつてここにあった花壇で、スコップを持って微笑んでいたことを。

 花弁を紫炎で迎撃しながら、羊ちゃんが叫ぶ。

「みどりくん!」

脅威ID:

KTE-5331-Sakura-Black "鉄錆の一番"


 ──俺は知っている。墓碑に座り、俺たちの様子をただ見ている少年が、ジャングルジムの頂点で笑っていたことを。

 発動しない転移の詠唱を繰り返しながら、羊ちゃんが叫ぶ。

「もんちゃん!」

脅威ID:

KTE-5332-Sakura-Black "鉄錆の二番"


 ──俺は知っている。たったいま羊を殴り飛ばした少女が、かつてここにあった庭で、両手をあげて走り回っていたことを。

 地面に転がって、それでもまだ立ち上がった羊ちゃんが叫ぶ。

「まいちゃん!」

脅威ID:

KTE-5333-Sakura-Black "鉄錆の三番"


 ──俺は知っている。銃を抜こうとした俺の動きを目で止めた少女が、かつてここにあった部屋で、楽しそうに本を読んでいたことを。

 固まった俺を庇いながら、羊ちゃんが叫ぶ。

「いとちゃん!」

脅威ID:

KTE-5334-Sakura-Black "鉄錆の四番"



 日立みどり、日立もん、日立まい、日立いと。──六年前のここで、世界オカルト連合と"財団"に多数の死者を出しつつも無力化された、"鉄錆の果実教団"に飼われていた半神たち。そして、俺と羊が同じ孤児院に通っていた兄妹たち。

 心臓が、拍動して痛む。死んだはずの彼らが。あの日の地獄が。この墓地で、酷く無造作に呼び起こされていた。



Interlude.追憶、あるいは毎日見る悪夢(Every Day Dream)

 "鉄錆の果実教団"は、当時急激に勢力を伸ばしていた異常宗教らしい。

 らしい、というのは。俺が世界オカルト連合に入った時にはもう壊滅していたから。……当然か。だって俺がいた施設は孤児院の皮を被った、"鉄錆の果実教団"の実験施設で。あの場所の崩落が、彼ら教団にとっての致命傷となったのだから。

 孤児院に当時いた子供は六人。計画的に産み落とされたタイプ・ブラック──異常カルトのデザイナーズ・ベイビー達。あまり思い出したくもない計画だ。"鉄錆の果実教団"の黎明期に生まれた、子供達の中でも最年長の俺は、この六人の足元にある何十人もの犠牲を全て見送ってきている。発話できるようになる前に、名付けられる前に、いなくなった兄妹達を知っている。

 ──いや。生きている俺たちだって、計画の犠牲者なのか。それぞれに定められた役割を以て「世界を救済する」ための道具として、人生を使い潰されるために生まれているのだから。

 一番、翠は彼らの神を"育てる"。神木を依代とする原始神格は、木々と共に信仰を重ねていき、本来真っ当な力を得るのに数千年を要する。彼が持つ植物操作の権能は、時間を無視して神を育てる。
 二番、門は彼らの神を"汲み上げる"。神は本来人類が持つEVEの根源から、多数の信仰というイメージにより汲み上げられ、ようやく意志を保つ。彼が持つEVE吸収の権能は、制約を無視し直接神を汲み上げる、
 三番、舞は彼らの神と"話す"。本来人類と充分に育った神格との対話は、EVEの質量差により人類の自我が押し潰される。彼女が持つ肉体強化の権能は、ヒトの身分を無視して神と話せる。
 四番、絃は彼らの神を"操る"。単なる衝動──生存欲求と破壊衝動のみで動く原始神格に、彼女の持つ思考誘導の権能により、都合の良い自我を与える。
 五番、羊は神に捧げる"贄"。彼女に宿る神の力に、指向性はない。不完全な神格であれ、角、爪、翼は確かに神である。彼女を原始神格に喰らわせることにより、彼らの計画は完成する。

 これが孤児院と同時期に襲撃された"鉄錆の果実教団"の本拠地で、主導者がゲロった計画だ。もう実行に移されることはない──首謀者も、実行者も、道具も。みんな、死んでしまったから。

 あの日、最初に財団とGOCがしたのは、庭にある神木を切り倒すこと。投入されたオレンジ・スーツはその役目を果たし、その巨大な機体に見合うブレードによって、ブランコの下がった大木を一撃で切り裂いた。

 最も、こんなのは後日資料で見ただけに過ぎない。俺が覚えているのは──眠っている時に鳴り響いた轟音と、目の前で殴り飛ばされ、機関銃を浴び、倒れた大人の姿。

 奇襲は概ね成功していた。ただ、わずかな猶予も与えてしまった。──俺は、ホワイト・スーツのGOC隊員に首根っこを掴まれ、窓から引き抜かれながら、部屋の中を見る。
 眠っていたり、目を擦っていたり、さまざまな子どもたちの後ろで──俺たちを育ててくれた「おとうさん」が、地面に手を付け、叫ぶ。

紅き錆、青い森、神よどうかお目醒めをコード:ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ!」

 ──子供達が目を覚ます。正確には、子ども達の中に眠る神の力が。そこからはもう混戦だった。

「伏せろ!」

 排撃班隊員はそう叫び、暴れ出した兄妹の力で飛び散る瓦礫から俺を庇う。俺は伏せて、目を瞑り、目を開いて──地獄を見た。

 かつての兄弟達が、無造作に奮った拳で、庇ってくれた排撃班隊員の右手を吹き飛ばす。血に濡れた地面から生えた木々が、ホワイト・スーツを貫通して貫く。歪んだ空間が、他の兄弟の四肢を捥ぐ。直ぐに左手で目を塞がれ、戦場から離されたけれど、忘れられるわけもない血と鉄の匂いがする一瞬。

 それから俺は一度も、この街には来ていない。来れるわけがなかった。──GOCが最初に広範囲兵器を用いなかったのは、孤児院内に、救助可能な児童がいたから。半神であろうと保護するというのが、もう一つの組織、"財団"の方針だった。
 けれど、俺だけが生き残った。本当は、みんな生きているはずだったのに。

 俺が生きている理由──仮初の父親が、俺を『起動』しなかった理由も分かりきっている。俺は孤児院で最初に作られた半神。試作品で失敗作。戦力になどならないと判断したのだろう。

 それから、俺はずっとGOCで生きている。失敗作なりに、あの日救ってくれた恩義に報いるために。そして、異常存在を一人でも殺し、次の俺を産まないように。それが、俺ができる兄妹達への贖罪だと思っていた。そう思って、俺は銃を握っていた。
 
 なのに。

『──さんちゃん?』

 あの日消えた妹は、生きて、異常の中で育っていて。

 これまで当たり前に下げていた銃は、気付けばいやに重くなっていた。



Re:2.青い亡霊、励起せよ弾丸(Blue Ghost, Bullet Flare)

 動きを止める視線を掻い潜り、薙ぐような暴力を横跳びで避け、他人の墓を盾にして、ようやく戦況を見直す猶予を手にする。いや──戦と呼ぶには、これはあまりにも一方的すぎる。

"荒れろ微風そよかぜ"!」

 詠唱で、羊が手団扇で揺らした空気は暴風に変わる。向かってきていた花弁を散らし、そのまま翠の霊体に叩きつけるように風が吹く。

「──」

「兄弟に随分な挨拶だねえ! 死んでなかったら死んでたかもよ!」

 そんな女の言葉は戯言。翠の霊体は眼前に木を生やし、容易く風を受け止める。タイプブラックの権能ナチュラルは本来、詠唱によるイメージ補強など不要。権能を持たず、指向性を外注している羊との差が、ここで出続けている。
 詠唱の隙を突いて、この場における最速──肉弾戦特化の舞が、羊の腹を蹴り飛ばす。この短時間で何度か繰り返された光景。
 地面を転がる羊の全身は擦り傷だらけだ。何本か骨が折れていてもおかしくない。そんな彼女の姿を、"安息日の欠落"はせせら笑う。

 しかし……とりあえず、死霊術師は俺たちを簡単に殺すつもりはないらしい。こちらに直接危害を加える二人──"鉄錆の一番"翠の花弁も、"鉄錆の四番"舞の打撃も、殺そうと思えば最初に殺せたはずだ。そうしないのが兄妹の愛だと思うほど楽観的ではない。彼ら亡霊に肉体はない。無理矢理土地の縁と未練で繋ぎ止められているだけのエネルギー体。
 "鉄錆の三番"絃の思考誘導能力が、こちらの動きを固める程度にしか使われないのがその証左。本来神格すら操るはずのそれは、本人の思考能力がないために指向性を持てていないのだろう。

 話しかけても応じない、行動は機械的。明らかに自我のない彼らを操る主。彼女の意向で、俺たちは手加減されている。明らかな油断を、しかし俺たちは突くことができないままでいる。

 彼女の優位を支えているものはいくつかある。まず、この夜を齎す結界。夜によって霊体が強化されているのはもちろん、外部と内部を遮断する結界は、単純に檻として機能する。羊が破壊するには、ある程度詠唱を必要としてしまうだろうし、そんな隙はまだやってこない。

 もちろん、自在に転移する魔法使いの弟子に、本来檻など意味がないのだが──。

"Coward"……!」

「逃げられないよ、お馬鹿さん!」

 次に、これ。羊の切り札にして主力である、アポーテーションの無効化。ずっと"安息日の欠落"のそばを離れず俺たちを見ている、"鉄錆の二番"門の能力だ。
 EVEの流れを操作できる彼は、EVEの反動を精密に操作してバックラッシュを踏み倒す、"青の隠者"の魔法式を許さない。

 精密操作の要らない、単純なエネルギー変換である奇跡論は行使可能らしいのが救いだが、逃げの選択肢は結界と相まって完全に奪われている。

 隠れていた俺に飛ぶ花弁を避けながら、羊の元に再び合流する。この戦いで、俺はほとんど足手纏いだ……だからせめて、少しでも支えになるように喋る。

「羊ちゃん、大丈夫だから。みんなもう、この墓の下にいるんだ。これはみんなの力だけ、きっと無理やり使ってる」

「……うん」

 先程から羊はずっと、致命となる魔法を使えていない。風や氷を主体に、拘束や無力化を目的としたようなものばかり。──死んだ兄妹をもう一度殺すようなこと、したくないのは当然か。

 それに──続いて、思い至る。人狼と戦った時も、彼女は命を奪うような魔法は一つも使っていない。「箱入り娘」という、人狼の言葉を思い出す。

 奇跡論の練度の高さと、度胸のせいで勘違いしていた。彼女は──戦場に立つ覚悟を、まだしていない。

「やろう」それでも。立っている以上戦ってもらう。「あの女を倒して、逃げよう。まだ話すこと、いっぱいあるから」

「……そうだね」

 それに、他人事ではない。背中の拳銃をまだ抜けていないのは。撃つタイミングがないこともあるし、あの女に撃ち込む切り札として隠していることもあるが。そんなの、言い訳に近い。
 兄妹に、俺は拳銃を向けられるか? 答えは、まだ出せていない。

「喋る余裕がまだあるか! いいねえ、さすがは青の弟子」

 こちらを狙う花弁にタイミングを合わせて、俺と羊は反対方向に飛び出した。とにかく、現状を打破する何かが必要だ。いつまでも、死霊術師の掌に命を載せているわけにはいかない。

 外からの助けは──次の排撃班が到着するまで、もう15分はかかるだろう。今は俺たちの悲鳴に楽しんでくれているが、このまま15分同じ演目を見てくれるとは思わないし。

「……何が目的なんだ。ここまでされるような心当たりはない!」

「"踊れ紫"──ほんとにそう!」

 叫んだのはほとんど本心で、残る少しは時間稼ぎの気を引く意図。羊はその意図を知ってか知らずか、迎撃の手と口を止めてまで叫ぶ。

 タイプブルーを付け狙うタイプブルー。なし崩し的に戦闘を始めたが──これだけ用意周到に待ち伏せして、わざわざ俺たちを狙う理由はまだ、わからない。

「よくぞ聞いてくれた!」

 両手を広げて、暗闇を抱きしめるような芝居くさい仕草で、彼女は言う。

「呪われよ始原の青オリジンブルー、あの"臆病者"の弟子よ。私の家族は──お前達に殺された!」

 彼女の仕草に呼応して、夜の結界が姿を変える。石畳の足元に幻影の炎が這い回り、墓碑は全て白骨が磔にされた十字架に変化する。

「……ブルーは、こんなことしない! "天の白霜は今日まで溶けず"──」

 広がった光景に刹那気を取られ、けれどすぐさま首を振った羊。しかし、死霊術師はせせら嗤う。

「アイツはしないさ! でもお前は──アイツの弟子は! 貰った武器を無造作に振るう! お前のような過ぎた魔力を持つ小娘を、私はいつも殺してきた──今朝も一人、馬鹿な炎使いを殺した!」

 広がる炎は紫。十字架に磔られた白骨を拘束しているのは氷塊。──羊が使っている奇跡論と同じ。

 足元を舐める炎を振り解くように、羊は駆ける。

「ワタシは全ての弟子を殺し、あの臆病者も殺す! この風景を他人事と宣う武器商人に、必ず罪を問うために!」


 ──同じだ。俺が、捨てた故郷に来た理由、GOCとしての任務と。

「── "地の氷塊を貴方の胎に"!」

"防げGeist"

「!」

 羊の放つ白氷の嵐は、しかし幻影だった筈の紫炎に防がれる。奇跡論の行使は結局のところイメージの現出で、詠唱も、術式も、結局はそれの補助に過ぎない。──ここが、"安息日の欠落"にとっての地獄なら。自身が纏う炎に実体を持たせるなど、容易いことだったろう。

 慌てて回避行動に移ろうとする羊を──絃が見ている。ずっと俺だけに使われていた権能が、この瞬間、羊に向けられる。
 一瞬弛緩させられた思考。防御姿勢など取れないまま、彼女は舞に蹴り飛ばされる。勢い、速度でわかる。先程のような手加減のない一撃──!

 十字架に叩きつけられた羊。間髪入れず、翠が地に手を付く。呼応して生えた蔦が、彼女の手足に巻き付いた。

「楽しい祭りもお仕舞いさ。次の邪魔が来るといけないからね」

(クソ──GOCの増援は警戒してるか)

 時間稼ぎなど通じない。"青の隠者"ほどじゃないにせよ、ホワイト・スーツを返り討ちにするほどの実力者が、その程度の慎重さも持ち合わせない筈がない。死霊術師は縛られた羊に手を向ける。

 わかっている。もう、出し渋っている場合ではない。排撃班を返り討ちにした相手に正面からどこまでやれるかなんて、考える余裕ももうない。何もしないで命を落とすほど馬鹿なことはないのだから。

 俺はそっと、背中に手を回す。死霊術師は先程地に炎を這わせてから、こちらを一度も見ていない。感情に呑まれていることを祈るしかない。

 背中のひやりとした感触を、一息に引き抜く──。

「──さんちゃん!」

 ──直前、羊が叫ぶ。全身傷だらけ血まみれで、身動きも取れそうにない少女が、額の角を血走らせて、俺の手を止めた。

「大丈夫だから」

 大丈夫なわけないだろと、頭では思う。ただ、その言葉に体は一瞬止まってしまった。これではもう──間に合わない。怨念と技術をもって、振り下ろされるは腕と詠唱。

"死ねGeist"!」

 夜が崩壊する。十字架と紫炎と暗闇は一斉にひび割れる。これは結界術の応用。塗りつぶした空間を破壊することで、力の奔流は罅に向かって結界ごと決壊し、後悔すらも崩壊する。両手両足を封じられ、逃げる手段を失った少女に、防ぐ手段などあるはずもない。──おそらくはこれが、"安息日の欠落"の切り札。



「──"死ねないCoward"

 それでも、臆病者は生き延びる。切られた切り札を切り裂いて、青の弟子は空間を飛ぶ。

「な──」

 何故──驚愕に目を見開く死霊術師。俺は、現れた彼女の姿で、何が起こったのかを理解した。

 それはあの日、孤児院で"起動"された彼女の姿。肉の角、肉の翼、骨の鉤爪を持つ、異形の半神。"鉄錆の五番"としての彼女。──封じていた力が、瞬間、解き放たれた。

 門くん──"鉄錆の二番"がしていたEVE操作による転移阻害を、急激なエネルギー量の増加で誤魔化す。二度目からは対応されてしまうだろうが、一度ならそれは切り札足り得る。隠していた手札──腹芸なんか覚えていたのか。

 "安息日の欠落"、その背後にアポーテーションした彼女は、右手の鉤爪を、彼女の背に振るう。突如死角に飛び込む一打を、彼女一人で避けられるわけもない。

「ぐ──」

 ただ、この一打は致命の一打には成り得ない。贄である半神"日立羊"に与えられた爪は、神の象徴であり武器ではない。そのまま振るうのには、爪を持つものとしての力がいる。……ここに来て、少女の体、戦闘経験の浅さが露呈した。

 不味い。霊体は結界が解けても未だ留まっている。絶好のチャンスを逃した──?

 その時、羊と目が合った。

 ……違う。彼女は戦闘経験の浅さを露呈したわけではなく、チャンスを逃したわけでもない。むしろ、これはチャンスを繋げたのだ──彼女は真っ直ぐに、俺の目を見ている。

 「やって」と、そう、雄弁に告げている目。

 自動拳銃を引き抜く。狙うは、数メートル先、態勢を崩したターゲットの心臓。この距離、この猶予──この六年で、慣れ親しんだ奇襲。

 これを撃つことが、外さないことが、世界オカルト連合極東部門、評価班73E所属。コードネーム"ジェリーフィッシュ"としての矜持だった。

 引き金を引く。銃弾は真っ直ぐ、狙い違わず心臓に飛ぶ──それを、"安息日の欠落"は見ていた。

「銃弾の対策を──してないとでも?」

 女の体を、淡い光が覆う。なんらかの魔術的防護だろうなと、冷静な頭で認識する。俺たちの前にGOCを返り討ちにしているのだ。当然、狙撃の対策はしているだろう。結界術だってきっとその一つ。
 けれど、咄嗟に出来る防御は限られているし──避けずに受けてくれるのなら、もう、終わっている。

"銃弾は錆びず"

 詠唱。イメージを通して心臓から銃弾に乗せたEVE量子は、淡い光の正体すらわからないまま破壊して、女の心臓にその弾を真っ直ぐ届けた。

脅威ID:

LTE-5330-Sakura-Black "鉄錆の零番"

 零番は──今や役割を持たないプロトタイプ最初の実験体。心臓のみ原始神格に憑かれた俺は、どの役割も持てず、同時に、どの役割も担う兄としてあそこにいた。

 世界オカルト連合の一員になると同時に、俺の心臓は4割が機械に置換された。これを以てタイプ・ブラックでだった"鉄錆の零番"は粛清され、代わりに奇跡論の適性があるだけの評価班員が生まれた。"ジェリーフィッシュ"──クラゲは、心臓のない生き物。

 もちろんそんなことを、心臓を撃たれ斃れた女が知るはずはない。悲しいことだと思った。この街に、俺と同じ目的で来た女。信念と悪意を全うした女。殺す必要があった女。

 自動拳銃を仕舞わないまま、俺は妹に向き直る。叩き起こされた他の兄妹たちは、やはりこの土地に残留した力でしかなかったのだろう。気の利いた台詞も感動的な別れも、何もなくただ消えていった。

 ……わかっている。別れのやり直しができるのは、生きている人間だけだ。痛む心臓は四割が機械になっても、俺をまだ生かし続けている。

 今、この墓では。俺と羊だけが、土の上に立ち続けている。

「話をしよう、羊ちゃん」

 羊は、俺の拳銃に目を向けることなく、斃れた女を見ている。ペンダント、ヘアゴム、塗り直されたマニキュアがそれぞれ光り、異形の姿は失われていく。

 六年前の単純で明朗な少女とは別人のように暗く、感情の読み取れない顔で、羊は頷いた。

「……そうだね。ちょっと、遠回りし過ぎたけど」



3.六年前の岐路を飛べ(Wings Both Ways)

 12歳の少女も、六年経てば18歳になる。時間と経験は、いつまでも子供のままではいさせてくれない。

 でも。「私はもう子供じゃないんだよ」なんて言うには。まだ私は幼すぎた。

「下がってなさい、羊」

 彼が居なくなる前日の夜。私たちは路地裏で、夜襲に遭っている。

「久しぶり、センセイ──ねえ。私のこと、ちゃんと覚えてる?」

 出会いがしらに放たれた火球を、灰を払うように扇ぎ消して、彼は困ったように笑う。

「もちろん。十年ぶりだね、レア。また会えて嬉しいよ!」

「──嘘吐き!」

 レアと呼ばれた彼女は、首を振って叫び、手元のライターを鳴らす。それだけでまた火球はこちらに迫り──その全てを、私の前にいるブルーが片手だけで払い、霧散させる。

「こんな魔法、どこで覚えてきたんだい? 周りを巻き込んで危ないよ」

「今更センセイぶるな!」

 "火は燃え広がるから、使い方を選びなさい"が、ブルーの教え。そのために、私はいつでも消せる魔法の紫炎だけを教わっていて。
 だからきっと、彼女が放つ純に赫い炎は、彼女だけの怒りだった。

「そうなんだ。いつだって、弟子の成長は嬉しくて、同じくらい寂しいな」

「寂しいなんて──どの口が!」

 燃える。彼女の心が、その赤い瞳が、ライターを中心に、周囲の空気が。その尽くを落とされても、彼女が手を緩めることはない。

 レアと呼ばれた彼女の熱に、私は理由を問うことができない。戦いにしてはめかし込まれた服と、オイルライターに嵌め込まれた青いサファイアで。もう、充分だった。

「手を引いておいて! 生きる理由を教えておいて! 朝も、昼も、夜も全部教えておいて──」

「──そこまでにしよう」

 彼女がまた握ろうとしたライターを取り落とし、地面に崩れ落ちる。手の震え、青い唇。明らかな体温の低下。

 バックラッシュ揺り戻しの指向性が操作できるのなら、他者のバックラッシュ揺り戻しだって当然弄れる。熱源を生むたびに、彼女は自分の体温を奪わされていた。

 ブルーはアスファルトに転がったオイルライターを拾って、倒れ伏した彼女に呟く。

「羊が聞いてるから、さ」

「……そういうところが!」

 ブルーを睨むその目は、涙で濡れている。私は何も言えずにその光景を見つめていて、何か言うべきはずの彼は、ただ微笑んで、関係のない質問をする。

「よくここがわかったね。それとも、たまたま?」

「……」

「誰に教えてもらったの? 友達なら紹介してよ」

「するわけないでしょ!」

「協力者はいるんだね、ありがとう」

「──っ!」

 地面に倒れている彼女に、しゃがんで目線を合わせ、小さく笑っている彼の横っ面を。震える体で、彼女は引っ叩く。

 ブルーは避けもせず、ただ叩いた手にまたオイルライターを握らせた。

「またね、レア」

「……嫌い」

 消える。それは彼の最も得意とする、詠唱不要の転移魔法。後に残されたのは彼と、私と、少しだけ焦げた路地。

「さて、ごめんね羊。帰ろうか」

「……ねえ、ブルー。あの人は?」

「え? うん、もう大丈夫。今頃、アメリカのホテルの物置で寝てるよ」

 とぼけた顔で彼は言って、路地の先を行く。
 聞きたかったことはそんなことではない。けれど、きっと、言葉を重ねるには聞きたいことが増えすぎていた。私はそれ以上質問を作れずに、ただ胸元のペンダントを握りしめる。

 彼がくれたサファイアは、街灯の灯りと魔法の力で、今日も小さく綺麗に光っている。



「……だから、俺と一緒に来て欲しい。羊ちゃん。俺たちみたいな奴を、これ以上増やさないために」

 長い話を、日立燦我は、いや──世界オカルト連合の、コードネーム"ジェリーフィッシュ"は、そう結んだ。

 そう──本当に、長い話だった。兄妹たちがあの日、ここにあった孤児院で死んだ理由とか。孤児院の裏の姿とか。兄妹たちを殺した組織に、何故彼が所属しているかの言い訳とか。私はその全てを知らなかった──誰も教えてくれなかったから。

 この六年で、さんちゃんは本当に色々な経験をしてきたのだろう。今日起きたたくさんの不条理を、その身一つで乗り越えなければいけなかったのだろう。
 地面に倒れ伏している女の人。狙い違わず撃ち抜かれた心臓。

「ねえ、さんちゃん。どうしてこの人を撃ったの?」

「え?」

 ──でも、それは結局あなたの経験で、あなたの培った思考でしかない。

「門ちゃんを撃って、妨害が消えれば私の魔法で逃げられた。この人が死ぬ理由はあったの?」

「──"安息日の休日"は、これまでに30人以上の被害を出している。魔法使いが主だけど、中には民間人や俺の同僚も含まれている」

 私から目を逸らし、微動だにしない死体を見つめて、彼は言った。

「撃たないで逃げるなんて、できない」

 真っ直ぐな台詞。きっと、さんちゃんの信念は本物なのだろう。

 昨日の夜を思い出す。彼は、大規模な魔法を使った痕跡からブルーを追ってここに来たらしい。あの時、レアという女の人に使った長距離転移がソレだろう。──じゃあきっと、ブルーだって気付いていたはず。彼ならすぐに気付いて、私を連れて逃げられたはず。

 ああ、と、悟る。彼が逃げ出したのは、この瞬間のためか。六年前、彼の元に逃げるしかなかった私に選択肢を渡すため。随分と優しくて、随分と彼らしい無責任さだと思った。

 それを理解して、いや、理解したからこそ、私は首を振る。

「ねえ。紅さんって、私が凍らせた後どうなったの?」

「それは……」

「わかってるよ」

 言い淀まなくてもいいのに。彼から「世界オカルト連合」の話を聞いた時点で、こんなこと、とっくに気付いている。

 ──きっとあの赤い部屋で、躊躇いもなく引き金を引いた誰かがいたのだろう。

「必要なことなんだ。異物を野放しにできるほど、この社会は強くない」

「それも、わかってる。──だから、私たちは"こう"なったんだから」

 あの孤児院の惨劇を、私も、さんちゃんも、恨んではいない。異物は取り除かれるか、縛られる。そうしなければいけないという理念は、日立燦我の今の姿は、異物の生き残りとして利口な答えだろう。

 けれど。

「……私が"いやだ"って言ったらどうするの? さんちゃん」

 伏せていた目をこちらに向けて──彼は、同じくずっと伏せていた拳銃を、初めてこちらに向ける。ちゃき、と、その金属は小さい音を立てた。

「そうだね。これはお願いじゃなくて、脅迫だ。もう、選択肢はない。──説明している間に、増援も到着している」

 辺りを見回す。あの日、赤錆色の記憶がフラッシュバックして、私は目を瞑る。──その"スーツ"が目の前で血に濡れる姿を、私は嫌というほど知っていた。

「銃弾の方が詠唱より早い。抵抗はしないでくれ」

 "ジェリーフィッシュ"は、六年前と変わらない姿で、悲しそうに言う。

 私は、ただ小さく笑った。──六年越しにやってきた、死んだはずの兄弟に、ただ再会を喜び警戒しないほど無邪気に育ってはいない。早朝帰って来た時の、ブルーの髪の匂いが違うこととか。昨日の夜だって何食わぬ顔で今日の予定を話していた嘘吐きに、ずっと育てられていたのだから。

 燦我が何か隠していることなんか、とっくに勘付いていた。だからこそ、私たちの部屋を漁ろうとした彼に人形をけしかけたし、アイコンタクトで戦闘中の連携を──想定した先に銃弾は向かわなかったとはいえ──取れたのだから。

 つまり。私だって、隠している切り札はくらいある。その一つは、例えば──異形の姿をしていない、今の姿でも転移はできること、だったり。

「世界オカルト連合へようこそ、羊ちゃん」

 祈るような言葉を携え差し伸べられたその手に、私はまた首を振る。六年前に、彼はあの孤児院から救い出されて。私は雨の中を逃げ延びて。その結果が、今ここにある。

 つくづく思う。こんな選択肢の提示は、本当に無責任な優しさだ。その岐路に、私は今更引き返せない。
 だって、私はもう出会ってしまった。生き方も、歩き方も、逃げ方も知ってしまった。


 だから──私は逃げる。


「──」

 何か言いかけたさんちゃんの呟きが、掻き消される。眼前に現れたのは、血を押し流すような俄雨。彼にとっては突然、私にとっては当然。

 魔法は結局イメージで、詠唱はその補強でしかない。予備動作なんて必要ないくらい──私にとっての地獄、全て掻き消すような雨は、私の魂に刻まれている。

『伏せろ"ジェリーフィッシュ"! 包囲射撃を開始する!』

 視界を塞ぐ豪雨に反応し飛んだ無線。けれど、私を仕留めるだけなら、"ジェリーフィッシュ"は伏せる必要すらない。

 雨を降らすだけの魔法では、至近距離にいる彼の視界は塞げない。銃口をこちらに向ける兄弟は、いつでも私を撃つことができる。

 でも。

「できないんでしょ? 私も、そうだから」

「……羊ちゃん」

「ばいばい、さんちゃん」

 彼に、銃を抜く機会なんていくらでもあった。私を撃てる機会も、チカラだけ蘇った兄妹たちを撃つ隙も。けれど彼は銃弾を抱え続け、結局最後の最後の、この可愛い脅迫の瞬間一度だけしか、兄弟に銃口を向けなかった。

 できないのだろう。うん、私もできない。家族には魔法の一つも当てたくない。そういうのは──六年前、あの地獄で終わりにしたい。その気持ちは、別の道を選んでいてもわかる。

"臆病よ、私を守れCoward"

 だから──銃を握るような信念ある生き方から、私はただ逃げていく。無責任だと誹られるのだろう。この道に、正当性なんてきっとない。それでもごめんだ。

 大丈夫。鬼ごっこは、好きでも嫌いでもないけれど。この六年で随分に慣れたものだから。




 "ジェリーフィッシュ"が、銃弾の代わりに伸ばした腕は空を切る。

 それに安堵を覚えてしまったことも、雨はただ隠していた。



Epilogue.さよならハーミット、またいつか(Sayonara Hermit)

 簡易詠唱による転移魔法は、あまり長い距離は転移できず、また、知っている風景にしか飛べない。加えて、私は箱入り娘で、この街から出たこともあまりない。

 だから私が転移先に選んだのは、店主が夜逃げしたバーの店内。『Dining Bar Coward』という看板は、もう無くなってしまっているけど。

 ここで改めてスマホで写真でも調べて転移する──それが私の逃亡作戦だった。ポケットに入れていた、コンポタの空き缶から剥がしたプルタブで、塗りたてのマニキュアを削って剥がす。右手がまた鉤爪に変わったのにちょっと嫌な顔をして、その鉤爪で床を削り、魔法陣を書く。

 そういえば、今日この店の中に入るのは初めてだった。さんちゃんが言っていた通り、店内はもぬけの空、上の家よりも悲惨な有様。グラスの一つ、椅子の一つも残されていない徹底ぶりは物悲しい。
 だからこそ。ただ一つだけ残されたワインセラーが、いやに目を引いた。

 五芒星を書き終えて、マニキュアを塗りなおす。簡易的な魔法陣はそのままにして、私はカウンターの端、外からの死角に残されていたワインセラーを開く。中には、一本のボトルと一枚の折り畳まれた紙……書き置き。

 引っ掴んで、四つ折りを開く。雑に破かれたメモ帳の1ページに、ただ一言。

『頃合いがいいので、逃げることにしました。』

 ……。

「なにそれ」

 笑ってしまう。『頃合いがいいので』って。もっと気の利いた言い回しなんていくらでもあるでしょ。紙切れを床に放り投げ、ボトルワインを引っ張り出す。六年モノの赤ワイン。

 いつも自分だけお酒を飲んで、私には「二十歳になってから」とボトルすら触らせなかったくせに、こんなものを置いていく理由なんて。夢見がちな私には、一つしか思いつかない。

 ボトルだけポーチに突っ込んで、適当すぎる紙切れは、適当に床に置き去る。急がないと、機関銃が近づいてきてしまう。ああもう、こんな嵩張るものを、向こう二年以上も女の子のカバンに入れて逃げさせるなんて、本当にろくでもない男だ。

 ワインセラーに背を向け、魔法陣を踏み。転移前最後、店内を見回す。この店にはもう二度と戻らないし、この店ももう二度と同じ姿には戻らないだろう。
 でも、別の場所、別の形で。臆病に逃げ続けていれば……あるいは。

 逃避行に果てはなく、確定した行先や未来もない。箱入り娘にはたくさんの新しい景色があって──だからこそ、いつか再会する景色は輝くのだろう。


 この街にある、たくさんの記憶に一礼。別れの言葉は詠唱に変えさせていただきますが、時間がないのでご容赦ください。それでは──


"臆病者よ、またいつか!Good-Bye Coward!"

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