さよなら、私のヘリオトロープ
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「葵について、ですか。」

「昔からの友人です。幼馴染みたいなもの。」

「私なんかより、もっとずっとすごくって。」
「いつだって煌めいて、魔法使いみたいなひとなんです。」




さよなら、私のヘリオトロープ


「あの子は死んでしまった。だから、私が撃ち殺さないといけない。」

微睡から目を醒ませば、時計の針が示していたのは真夜中3時25分。きっともうとっくに夜闇が閉ざした外のことを想起して。独りぼっちの部屋で今更やることなんか見出せず、また眠ろうかとベッドに寝転んだ彼女の脳髄に降って湧いたのがこんな思考。そして掌中にはいつのまにか、存在を煩く主張する一丁の拳銃があった。

指先に染みついてしまいそうな金属の匂いが鼻腔を突いて、ああ、これは現実だろうか。この状況も含めたいままでの全部は一晩の悪い夢か何かで、数瞬後の自分がもう一度目を醒ますのは懐かしい自室のベッドの中ではないだろうか。そんな彼女の空想を押し潰すように、例の病的なまでに確信めいた思考が脳裏をめぐる。つまり、あの子は死んだのだと。死んだのに、まだ夜のただ中を踊っているから、もう一度殺してやらないといけないのだと。

そうして思考を走らせ始めて間もなく。部屋に鳴り響いたのは警報音、向こうから聞こえて来たのは足音が沢山。そして扉が勢いよく開いて、数多の銃口が彼女の方を向いた。

向けられた殺意は自然と恐怖を呼び起こし、彼女の身体を震わせた。けれども感情すべてを押し退けて、彼女の口から零れ出たのは「あの子の元に向かわないと、」なんて、切羽詰まったみたいに。



「冗談みたいになんでもやってのけてしまうんです。」

「私がひどく苦労して、それでもできないようなことも、全部。」
「昔からずっと、私の一歩先を歩いているような。」
「何につけてもそうでした。思えば小学生の頃から、勉強も運動も、それから遊びだとかゲームだとか細々としたことでも、全部。」





意外なことに、彼女の突拍子もない要求はすんなりと容れられた。恐ろしげな黒服も顔馴染みの白衣も、むしろそれを望んでいるかのようにさえ思えたのが不思議なくらいだった。彼らが淡々と応じたものだから、なるほどあの子が死んだというのもきっと嘘ではないんだな、と彼女は推察して、確信があるのに実感がないというこの奇妙な状況を飲み込もうと努めた。

どこに行くべきかについては、彼女ははっきりと理解していた。けれど、ただ真っ直ぐに建物から出て目的地に歩くことは流石に許されないらしかった。

目隠しをされて車めいた乗り物に閉じ込められて、ぐるぐると道を行った感覚があったかと思えば急に視界が開けて。いつの間に着せられたものだろうか、レインコートのフードを雨粒が強く叩く感触。藍色がかった生地が薄く透けて見えた。

相も変わらず黙りこくって銃口を向ける黒服たちは指示を寄越さず、行き先を彼女の歩くに任せるようだった。それでも多分、道を逸れれば何かしてくることだろう。どの道、逃げるという選択肢は彼女の頭にはなかった。進む先もなすべきことも、ただひとつしか存在しなかった。

土砂降りの雨の中をただ歩こう。散歩のように、日常のように、向けられた銃に気づいていないみたいに。軽やかに。いっそのことスキップでもしてみようか。そういえばあの子は、スキップすら上手くできなかったんだっけ。左と右にこうやって、リズムよく脚を交互に出すのが難しいんだって笑って、よく自分の背後を小走りで着いてきていたんだっけ。

そんなふうに取り留めのない思考が彼女の頭に浮かんでは消えて。その裏で。この道を真っ直ぐ行って、あそこの角で左に曲がって、突き当たりまでそのまま歩けばきっとそこにあの子がいるはずだ、なんて例の確信が囁いた。

導かれるように歩き続けた終着点は、波の音が静かに響き渡る海のほとりだった。



「いいえ、そりゃあ悔しいときもありましたけれど、悪感情なんかはありません。」

「葵が私の先を行くのを見ていると、なんだか私も前に進んでいける気がして、だから彼女の隣は好きです。」





「そう、それで、浜辺に着いたんです。どこの地方かも知りません。波の音だけが空を漂っている種類の、どこにでもあるような何もない浜辺。打ち上げられた物ひとつなかったから、昼間は海水浴客なんかで賑わうのかもしれませんが、夜にはひどく閑散として寂しい種類の海辺なんでしょう。

あの子は波打ち際にいました。中学のときの制服を、ブレザーまでしっかり着込んで。リズムに乗ってるみたいに身体を動かしていました。踊り、だったんでしょうか、あれは。メロディもないのに変ですよね。それでもなぜだか楽しそうに、波の音に合わせるみたいに、静かに踊りながら私の方を向いて。そして、あの子、笑ったんです。

SCP-1917-JP: 私がいなくて寂しかった?

私に着いて来ていた職員さんはといえば、『会話をして、それからすべきことをしてください』みたいな曖昧な言い方をして、そのまま黙ってしまいました。そして私のことをじっと見つめているだけでした。

ただ宙ぶらりんに放り出されてしまって、どう振る舞えばいいか分からなくって。だから私、私たち、途切れる言葉たちを無理矢理継いで接いだような、不器用な話し方しかできませんでした。

SCP-1071-JP-14: どうして死んだの。

SCP-1917-JP: それは秘密。

SCP-1071-JP-14: どうして?

SCP-1917-JP: どうだっていいからだよ、もう。

そして、あの子ときたら、死んだ理由すら教えてくれないんです!何も話してはくれないで、ただただ踊り続けるだけで。

ほんとうに出鱈目な踊りでした。ワルツとバレエと創作ダンスを足して3で割ったみたいな、振りもてんでバラバラのめちゃくちゃ。それでも、どうしようもないくらいに綺麗でした。空に向かって真っ直ぐに伸びた手。海に浸けられては上がって行くたびに水飛沫を作り出す細い脚。夜風に靡くのは柔らかな髪、そうして心底幸せそうに笑っていたんです。

そんなあの子に見つめられて、私、心臓をぎゅうっと押し潰されるような心持ちでした。

だって、全部、私のせいでしかなかったんですから。

SCP-1071-JP-14: どうして踊るの。

SCP-1917-JP: 楽しいよ、葵もどう?朝が来るまで、ふたりで。

SCP-1071-JP-14: 遠慮しとく。

あの子の本当の名前、数字の羅列じゃない名前、ご存知ですか?

ひまり、って言うんです。平仮名でひまり。向日葵と陽だまりの共通項。朗らかで、やさしくて、完璧ではなくても人好きのする子。ここみたいな場所に閉じ込められるべきじゃない、何よりも陽の下が似合う子。

それなのに、私のせいでこんなところまで落ちて来てしまったんです。私が落としてしまったんです。

SCP-1071-JP-14: 夜風、ひどくつめたいのね。

SCP-1917-JP: 夏がもう終わるんだよ。

SCP-1071-JP-14: 寒くない?

SCP-1917-JP: あんまりね。

私、頭で考えられることなら、何でも本当のことにできました。魔法みたいなものなんだと思います。ああごめんなさい、もちろんご存知ですよね。だから私を閉じ込めたんですもんね。

とにかく、色々なことができました。頭で考えるだけでテレビのチャンネルは変わりましたし、物を浮かせられましたし、やろうと思えば、きっと、もっと、何だって。

なのに、私、そんな魔法を、あの子に勝つためにしか使いませんでした。

SCP-1071-JP-14: 本当に死んでしまったのね。

SCP-1917-JP: そうだよ、でもまだ踊れるの。夜明けが来るまで踊れるの。

あの子に勝つ。あの子を負かす。そうです、ずっとそうやって生きて来ました。自分を作り変えて、他人や物事を改変して。あの子以外のすべてを変えて、そうしてあの子の一歩先を歩くために。

そうやってしか生きてきませんでした。

私、魔法が使えても、犯罪なんかには興味が持てませんでした。誰かを操って自分の思う通りに、なんて欲求もあんまりなくて。ただ、あの子の上を生きたいだけでした。

テストで、かけっこで、ビデオゲームで、オセロで。先生の質問に答えるスピードで。

いま思えば、負かしたかったというよりも、あの子の輪郭をなぞっていただけだったのかもしれません。

SCP-1071-JP-14: 中学の頃のあなた、随分と幼かったね。

SCP-1917-JP: そういう葵はすっかり大人。

そうです、きっとあの子は錨でした。私が道を外さないための。こんな力を持った私が、それでも人であるための。

あの子を生きる基準にして、決して変わることのない指標のように扱って。魔法を使いすぎて現実から遠く離れてしまわないように、あの子の在り方を上からなぞって、普通の人間みたいに生きようとしてた。

だって、誰かを愛して愛されたいとか、誰よりかわいくなりたいだとか、そんなの、全部、まるっきり、私、どうでもよかった。そんな夢のために自分をすり減らそうとか思えなくって、ただあの子の上を行きたくて。

そうして、無意識に普通の人生の真似をしようとしていたのかもしれません。

そんな莫迦らしいことのために私は陽だまりからあの子を奪って、こんな暗闇まで引き摺り下ろして、それでもあの子が私のことを眩しいみたいに見つめるものですから、どうしようもなくなってしまったのです。

SCP-1071-JP-14: ──ごめんね。

SCP-1917-JP: どうして?

SCP-1071-JP-14: そうだね、わからないよね。それでも、今までのすべてについて。

だから、どうか私を許さないで。そんなに暖かな眼で見つめたりしないでよ。憎んで、恨んで。せめて、この世界で、あなただけは。

そう願っているのにあの子の笑顔は相変わらず柔らかくて、踊りはいつまでも止まなくて。

ほんとうに出鱈目な踊りでした。ワルツとバレエと創作ダンスを足して3で割ったみたいな、振りもてんでバラバラのめちゃくちゃ。私、あの踊りを知っていました。

中学1年のときに出た、創作ダンスの課題。あの子は莫迦みたいな踊りを踊って、先生の失笑を買っていて。だから私、振りを少しだけ変えて、もっと当たり前みたいな踊り方をして、そして先生が絶賛してくれるようにしました。褒め言葉を降らせる先生の前に立って、けれども私、楽しくはなかった。出鱈目なあの子はひどく楽しそうにしていたのに。

ずっと、こうやって生きてきたんです。罪悪でしたよ、きっと。

だから、もし贖罪があるとすれば今だ、と思いました。世界を夜に留め置く罪を私が背負って、あの子がずっと踊っていられるように。夜明けなんて訪れない世界を選べば、あの子から奪った幸福の償いになるんじゃないかって。

それでもあの子は、映画みたいに残酷でした。

SCP-1917-JP: ねえ、撃たないの?

捨て鉢みたいな言い方で、撃ちなよって急かすみたいに、あの子は私を誘って。こっちだよ、っていうみたいに手を開いて。

そうでした、そうなんです。あの子に似合うのは陽だまりで、太陽を見つめる向日葵で、夜闇の中では決してなかった。

だから、私、あの子のことを。

[約2秒後、SCP-1071-JP-14によりSCP-1917-JPが射殺される]

あの子が太陽を向いて咲き誇る向日葵だったというのならば、私は向日性を持たない仮初の装飾たる造花です。本当の花さえもはやいなくなってしまった夜の中で、せめて踊り咲き続けようかとも思うのですが、いかんせんここはひどく暗く。あの子を通して太陽を見ていたからかな、夜明けがどこにもありません。

撃たれて崩れ落ちるとき、あの子の唇が僅かに動くのを見ました。そのまま水みたいに身体が溶けてしまったものですから、あの子だったものは海水と私の涙とにすっかり混じり合ってしまって、輪郭が消えてしまって。

でも、私には解ります。

きっとあれは、さよなら、だったんですよ。」




「さっきの、魔法使いみたい、っていうのはちょっと違いましたね、」
「意思ある魔法の使い手というより、どちらかといえばひかり、そうですね、太陽みたいな。」
「いつだって煌めいて光り輝いて、私を引っ張っていってくれるような。」

「上手く言えませんけれど、そうですね、結局は親友です。」
「彼女が向かう先に大きな輝きがあって、彼女自身も輝いていて、私もそこを目指していけたらなって思えるような、そういう種類の親友です。」





「だから、もう魔法は使えないんです。」

まったく平常な一日の終わりだった。いつも通りの無力化検証。眼前の少女の能力喪失の確認が、私の今日の最後の仕事だった。

SCP-1071-JP-14。幾らかの文書が語るところによれば、ほんとうの名は向田 葵。「向日葵ひまわりにはひとつ余分なんですよね、」と、まったく普通の少女のような柔らかな笑い方をした。

よほど気になるのか、「死因くらい教えてくださいな。ほら、私、もう何もできない小娘なんですから。そのくらい、ね?」だなんて食い下がられる。ありきたりな収容違反で、君の友人は怪物に食い殺されたんだよ、と。私は知っている。けれど、その情報開示は許可されていないのだ。

「やさしくないんですね。」と彼女は寂しげに笑った。だが、君にそうする必要性は、もう失われてしまったんだよ。SCP-1071-JPの特別収容プロトコルは、優遇は、もはや適用されない。

計器の針はすべて、ゼロを指したまま動かない。現実改変能力の喪失。Neutralized。数値がそれを雄弁に物語っていた。

「あの子をなぞって生きてきました。たぶん、きっと、ずっと。」夢みるような歌うような口調で、彼女は独白を再開する。聴いてもらえることは求めておらず、ただ言葉を紡ぎたいだけなのだろう。

現実改変者の能力喪失は、大抵がその死亡によって発生する。オブジェクト・クロスが要因であろう彼女の例は非常に珍しいものだ。

けれど、この子の瞳の紫色の変色が元に戻ることはないだろう。記憶処理はこの子を一般人に戻せないだろう。能力がなくなり一般人になったとて、過去が消えることはないのだ。

「ねえ先生、私、向日葵が育てたいです。」

夜も萎れず咲く花だから、朝を感じることすらできないだろうに。それでもその花を望むのか、と私は独り嘆息した。異常性の終わりを看取るのは、いつだってひどく虚しいものだった。

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