H.E.R.O.の条件、及び出撃準備
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倫理委員会直轄の特設エージェントチーム。Humane Ethical Rapid Operation、略してH. E. R. O.

異常存在との関わりの中で、ともすれば蔑ろにされてしまう尊厳の危機に対抗する部隊。

人類が闇に立ち向かうことを決めたその日から、本当は必要だった存在。

前線で窮地に陥った職員の救出を諦めないという意思の具現。

一度は流れたけれど、あれかしと願われたもの。

「こぐちゃんはさ、ちょっと優しすぎるんだよ。繊細過ぎるって言ってもいい。それがかえって残酷なこともある」

小さな会議室。仕切りなどあってないような場所で、私は一人の人間と非公式の会合を始めようとしていた。

「絶望の地において希望というものが、どれほど人を苦しめることになるか。ヒーローにでもなるつもりかい?」


かつて大惨禍があった。未だに原因や、切っ掛け、タイムラインは機密の霧に覆われているけれど、もしかしたら正確な全体像は誰も掴んでいないのかもしれない。茫洋とした、それでいて確実に起こってしまった悲劇。

財団に与えた影響は大きい。様々な部署で、サイトで、迅速かつ強力に推進された対応策。その一つに、収容中の事故で危機に陥った職員を対象とした救助部隊構想があった。指揮系統から可能な限り独立することで、即応的な対処を実現。危険区域へ突入し、異常存在に対処するのを主任務とする部隊。

でも、それ以上の進展を示す記録はなかった。構想と予備研究の形跡が少しあっただけ。予算が付かなかったのもあるし、遊撃隊的な運用に財団が難色を示したのもある。そして、最大の障壁は倫理委員会だった。当時の議事録から判明したことだ。危険と分かっている任務にわざわざ人員を送り込むことへの忌避感。

だから、私は倫理委員会直轄として、この部隊構想を再始動することにした。

内部から見た分、理論的な補強をするべき個所は見えていた。手続きは見た目上は順調に進み、最終審査を目前と控えたころ。形式上の承認を得るまであと少しというところで、ある人物との非公式な会合がねじ込まれた。倫理委員会に所属するわけでもない、人事部門のある職員からのもの。一体どこから手を回し、どう筋を通したのか。

表向きは人事部職員と倫理委員の実務的擦り合わせの体を取っていたけど、それは一面でしかない。ここで何かが決まることを私は感じていた。

「考えてみなよ。既にピンチになった現場要員の回収って、それもう鉄火場じゃん。火中の栗だよ」

赤縁眼鏡に茶髪、変人フリークの二つ名を恣にする怪人物。亦好久は反対派の急先鋒だった。人事部門所属、人材斡旋の専門家としての見地。長い付き合いの相手だ。この人物は胡乱げでありながら、冷徹な視線を物事に向ける人。

私は無言で、お互いの間にファイルを積み上げた。一冊がちょっとした大辞典のようなそれは、ちょっとした壁を作る。事例集から分析結果、理論計算資料その他。オブジェクトを相手にするのに法則や一般解など存在しない。だから、可能な限りの全てをここに詰め込んできた。無造作に一冊目のファイルを掴み取る相手に向けて、私はゆっくりと返答を開始した。

「承知の上です。救出任務の肝は、それまでに取得された情報と経験豊富な人材の喪失を防ぐことにある」
「二次被害の危険を冒してでも為すべきことかよ。そもそもこの部隊の構成だってさ、相当な猛者で編成するんだよね?」

ファイルから外した書類を恐ろしい速度で捲りながら、亦好久は運用上の問題点を指摘していく。これまでの審査と同様、用意していた答えを都度差し返して、議論が展開していく。

「危険度が最も大きいとしたら、それは初動時です。救助部隊は事態が進行した後に、その分析を経て最適化された装備と共に送りだす。リスクを低下させながら最大の成果を得られる評価計算が添付されています」
「見てるとも。ケース別のリスク評価とリターン評価。出動の可否を決める線引き。よくもまあ、綺麗な青写真だけ描いたもんだ。じゃんけんじゃないんだからさ」
「言い方に悪意は感じますが、突き詰めればその通りです」

医学者としての私は、本当はこんな線引きをしたくなかった筈なのに。それでも、出来る限りの人を救う仕組みを作ること。可能な限り合理的で、反駁しにくいような仕組み。私はそれに憑りつかれていたのかもしれない。

ファイルが一つ脇にやられる。処理済みのボックスへ。話が進んでいく。


いったいどれほどの時間だったのだろうか。二時間か、三時間か。

「気に入らないな、気に入らない」

幾合も言葉を打ち交わした後、亦好久は分厚い資料を机に投げつけた。財団が積み上げてきた膨大な損害の記録。中でも犠牲者が数日掛けて全滅した事例から導き出された、救助部隊の必要性を示す分析。私が持ってきたファイルの内、最後の一冊に納められていたもの。

初期収容で脅威度評価が誤っていたケース

オブジェクトの性質が複合的に作用して収容計画が破綻したケース

要注意団体が介入して想定外の事態が起こったケース、etc.

叩きつけられ、花弁のように重なり広がる書類の一枚一枚、断片的に見える文章や写真から、私の頭の中にその内容が再構成される。資料にまとめる間に目を通した報告書、それを裏から貫くようにして、向こう側、絶望の深い底から助けを呼ぶ声を、私は聞いた気がしていた。

「こぐちゃん、何のために今、この部隊構想を掘り返す。既存の基準で切り捨てられる人々を助けに行くことに、こぐちゃんは何を注ぎ込む。絶望の中に希望をちらつかせるような真似をして、その果てに何を為そうとしている」

真っ赤な縁のレンズの奥で、瞳が揺れていた。初めて見たかもしれない、激情をはらんだ目だった。その眼の奥にある、優秀な調整能力を誇る計算高い頭脳、その更に深いところで煮え滾っているものは何なのだろう。

「なんで申請が通りかけているか、知らないとは言わせないぜ。無理だと、成立しないと思われてるんだ。形だけの組織に体よく権限だけ与えて、不備があったらそのまま潰す気だよ」
「何の根拠があっての発言ですか」

強がって言ってみたものの、実際のところ、それは殆ど公然の秘密だった。例え成立しても運用は不可能。現場との調整、人員や装備の管理。初期の救助部隊構想が立ち消えたのは、なにも倫理的な問題からだけではなかった。

「まあいいさ、そんなのはどうでもいい。聞かせてくれよ、こぐちゃん。この部隊を君は、この部隊に君は、どんな思いを掛けようというんだ。最後の最後に助けが来るかもしれない、そう考えて死地で足搔く職員に対して、君は何をしようとしているんだい」

そうだ、そこに燃えているのは同じ理想だった。ならば今出すべき言葉など、答えなど、最初から決まっていた。

「この部隊は祈りです。これまでの財団が、切り捨てて来たもの、見切りをつけてきたものを拾う存在。誰も見捨てない。決して諦めない。理想を掲げるのはいつだって難しいけれど、私はこの部隊を通して、人間の尊厳を守りたい。人々を闇から守る人々を、私たちで守りたい。その祈りを形にしたい」

何に付けても独特な感性で人を見つめるこの人に、私の言葉はどう届いたのだろうか。


会合がお開きになり、私は部隊創設の申請書を少しだけ書き直した。予算審議が進行し、当初の想定をおおよそ達成する形で倫理委員会直轄の部隊が成立。試験運用段階の人事配置として提唱者の私がトップに据えられた。

最初の仕事を持ってきたのは、やはりというか、どうしてというか。一体どこから手を回し、どう筋を通したのか。捺印を求め、その人は私のデスクに書類を叩きつけると直立不動の姿勢を取った。一々動作が大きい人だ。

「本日付でこちらに配属されました、亦好久と申します!倫理・人道的即時対応動員"Humane Ethical Rapid Operation"の一員として、小熊月子博士と共に人間の尊厳の為、全力を尽くす所存です!という訳で、改めてよろしく、こぐちゃん。しかし、凝った名前つけたね」

それからH.E.R.O.には十名弱の人員が加入した。誰が勧誘してきたのかは語るまでもない。同じ志を持ったあの人は、この難しい部隊を成立させる調整を一身に引き受けてくれた。成立するはずのないとまで言われた部隊は実戦を経て、着々と成果を上げている。

集まった仲間たち。厳しい状況でも進んで突入し、必ず生きて帰ってくる人々。諦めない人々の祈りを救い上げる資質を持った人々。私たちと理念を同じくし、私たちが送り出す人々。

「あれ、こぐちゃん、こっちまでくるのは珍しいね」

亦好、太田、十為。三人が机を囲んでいるのは、待機室という名の遊戯室。私は持ってきた封書をその変な形の机に置いた。脇のテーブルにお札と小銭が散らばっているのは見なかったことにしよう。

例のお祭りの件、うちからも人を出します。具体的に誰を出すかは本決まりじゃないけど、候補をまとめたのでこちらに」
「おっけー。あ、そうだ。真北ちゃん、連れてくといいんじゃないかな」

私は肩をすくめる。

「本人に確認してください。我々と彼を繋いでるのはあなただけなんですから」
「我々、ね。りょーかい」

妙に含みのある言い方には気付かなかった振りをして、私は踵を返す。


H.E.R.O.

私の全てを賭けてでも成立させると、そう決めた力。

前線で窮地に陥った職員の救出を、決して諦めないという意思の具現。

人類が闇に立ち向かうことを決めたその日から、本当は必要だった存在。

異常存在との関わりの中で、ともすれば蔑ろにされてしまう尊厳の危機に対抗する部隊。

私たちH.E.R.O.は、いつでもどこでも、助けを求める人々の声に応える。いままでも、これからも。それが私の祈りだ。

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