H.E.R.オペレーション
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「祈るといいよ」

 と、言われたことを思い出す。
 廃墟型の異常地帯にて、1人の財団エージェントが立ち尽くしていた。
 通信はロスト、任務地の全貌もいまだ不明、残弾は残り少なく──客観的に見て、帰還は困難。 
(ただの遠回しな宣告だとはわかっちゃいたけどさ……)
 そんな危機的な状況をよそに、エージェントは自らをこの窮地に派遣した采配担当者とのやり取りを回想する。

「石岡ちゃん、これから行ってもらうビル、結構ヤバイらしいけど」
「報告見る限り、そんな感じですね……」

 財団の初期収容人員であるエージェント──石岡釗いしおかしょうがSCP分類コードが仮発番された異常地帯へ収容にあたっての初期調査のため派遣されることが決まった時の、諸々の手配を請け負っていた斡旋屋エージェント亦好久またよしひさとの会話。

「優秀な石岡ちゃんに限ってそんなことはないと思いたいんだけど、万が一の話だ。石岡ちゃん、もしどうしようもなくなって詰んだ時にはね」
「……はい」
「祈るといいよ」
「はい?」

 緊急時の指示ならば聞き漏らすまいと身構えていたところに出てきた言葉に面食らい、"そうか、今話している相手はサイト-81██の"変人フリーク"として知られる人間なんだったな"と、そのとき思い知ったという記憶。

「まぁ別に諦めてくれちゃっても全然いいんだけど、少なくとも私はそういう人間の方が好きだな」
「はぁ……」

 落ち着いて考えれば"もし何かあってもお前のことは助けない"という通達なのであろうことはすぐ理解できたが、"変人フリーク"を二つ重ねて呼ばれるエージェントの思考は、未だに一切分からないまま──


「本当に詰むとは……思ってもみなかった……」

 その不吉な忠告が、実現した形になっていた。
 事前に受け取っていた情報から予想していたよりもずっと多くの敵性実体から、這う這うの体で逃げ延び逃げ延び、喘ぐように一息を吐いて、かの"変人フリーク"の寄越した忠告に思いを馳せていた。
 リロード。
 ついでに装備を確認し、携帯端末が機能していないことを再認識。どうも深部──現在地がそうであるとするならだが──に入り込むと外部とは完全に遮断されるらしい。同行した他のエージェントとも分断されている現状を鑑み、合流は難しいだろうと判断。
 残弾、カートリッジ1つ分。同行人、連絡途絶。敵性実体、総数未知。──石岡が判断する限りにおいて詰み、である。
 少なくとも今の自らの状況で、見た限り無制限に入り組み続けるこの廃墟の出入り口のポータルを目指すのは無理だろう。生還の目が完全に潰えたのを自覚する。

(ただ……ここで諦めるのも職務放棄だよな)

 いざとなれば自決手段残弾もあるにはあるが、しかし情報を持ち帰ることを任務として課されている身としては、それを使うわけにもいかない。

(騙されてみるか、あの胡散臭いエージェントに)

 だから、『祈るといいよ』という、実質的な通告を下しながらも愛想のよい笑みを絶やさなかったフリークの言葉を、真に受けることにした。

(『神は耐えることのできない試練を与えない』だっけ? 酷いロジックだけど……採用してみよう)

 生き延びれば、多分なんとかなる。だから、とりあえず生き延びることを考えよう──と、腹を括る。
 そう定めさえすれば、生還できずとも生存し続けることくらいならできる。財団のエージェントなら、それくらいは。


(耐える耐えないじゃなくて、そろそろ肉体的にマズいな……)

 敵性実体を排除し安全圏を確保・拡張しながら脱出の機会を探るという方針を残弾が尽きたことによって転換し、確保した安全圏での籠城戦に持ち込んだのはいいものの、限界が近づいてきていた。

「"念のため"で持ってきた糧食で籠城ができるかって言ったらかなり怪しいんだけどさ……」
 部屋の隅で横になり、気付けの意味も込めて掠れた声で呟く。
 指先どころかそろそろ下腹のあたりまで酸欠のときに味わうのにも似た嫌な感じの寒さが回ってきている。
 もう何度目かになる仮眠の前に口にしたので、持ち込んでいたレーションが切れた。
 石岡自身、鍛えられているのもあって燃費の良さにはそれなりに自信があったが、いくら切りつめていても尽きるものは尽きる。

(兵站無しでの籠城は流石にキツイ……いや、キツイとか言ってられるうちはまだ大丈夫……)
 ここが限界かと脳裏をかすめた弱音に、"ここを耐えればなんとかなる"という祈りをぶつける。

(大丈夫、なんとかなる、ここを耐えれば、なんとか……例えば、仲間たちが見つけてくれるとか。だからそうだな、それまで耐えよう)

 言い聞かせるように思念して、自分の呼吸音に耳を澄まし、余計な思考を止め、最大限エネルギーを節約することに注力する。耐えるために。ここを耐えればなんとかなるという、祈りのために。
 スゥ、フゥ、スゥ、フゥ、スゥ、フゥ。──コツ。

「!?」

 ──弱々しい呼吸に混じり、地につけた耳に雑音が伝わった。
 跳ね起き、動けるように体勢を整え、部屋の扉を注視する。
 そして、祈りが結実する。

「蹴破るよ」

 若い男の声と同時にバリケードごと扉が吹き飛んで、2人分の人影を視認した。

「どうやらビンゴらしいですよ」

 ドアを蹴破ったのと別の方の人物が片手に持った拳銃で石岡を指し、冷静にそう言う。

「良かった──石岡さんですね? えっと、生きてますか?」
「生きてはいます、けど……貴方たちは……?」

 返答と同時に、問いを返す。特にドアを蹴破った方の男──驚くことに、空手である──に関しては新手の敵性実体、あるいはGOCあたりの刺客かという警戒心さえ抱いて。空手でバリケードを破壊できる人間など、少なくとも石岡は知らない。

「財団のエージェントです。助けに来ました、石岡さん」
「救援?」
「はい」
「……嘘だ、財団がわざわざ助けを寄越すわけ」

 てっきり見捨てられるのかと思っていた身として、そんな否定が口をつく。どこか知らないけど油断させて鹵獲でもする気か、と鈍り始めていた石岡の頭に疑念がよぎる。

「これでも信じませんか?」

 拳銃を持っている方の男──よく見ると顔に傷跡がある──がその手に持った拳銃を差し出しながら、言う。

「……財団支給の装備ですね」

 見た限り石岡が横臥するときに外したホルスターに収まっているのと同じ仕様の、職員コード付きの正規のものだった。

「えっと、十為とおいさん? と……」
「太田、エージェント・太田です」
「太田さん。……財団は損得勘定を見誤ったんですか? ただのエージェント1人にこんな危険地帯まで救援寄越す組織じゃないでしょう」

 刻まれていた名前を確認して、拳銃を持ち主に返しながら疑問を口にする。

「普通ならそうでしょうけど、俺たちは損得勘定で動いていません。俺らは善意で動くヒーローです」
「ヒーロー?」

 空手の男──太田は飛び散ったバリケードを片付けながら答える。

「財団には唯一良心を旨として運用される部署があるって、研修で習いますよね?」
「……倫理委員会ですか? あの窓際部署が何か?」
「オレらはその窓際部署の直轄下に置かれてる人事区分の人間です。正式にはHumane Ethical Rapid Operation、縮めてH.E.R.Oヒーロー、と」

 太田を尻目に十為が続け、出口を確保した太田が石岡に近寄って手を差し伸べる。

「まぁ詳しくは後で。……立てますか?」
「無理でしょ、先輩。貴方みたいに丈夫な人ばっかじゃないんすよ」
「えっと……抱えられるのとおぶさるのどっちが楽ですか? 取りあえず、帰りましょう」
「……あ、そうか──」
「おっと」
「石岡さん!?」

 生きて帰れるんだ、と理解して安心したからか、そこで石岡釗は意識を失った。


「ありがとうございました、その、助けていただいて」
「いえ……仕事ですんで」
「あはは、まぁ、元気そうでよかったです」
「あの、私の同行者って……」
「他のメンバーが救出しました。怪我はしているみたいですけど、全員無事ということになってます」
「ああ、良かった……」

 気を失ったまま財団のサイトまで運ばれて来たらしく、気づいたら寝かされていた病室で、石岡は太田と十為と面会していた。
 それはいいのだが、気になる点として。

「で、なんで亦好さんが太田さん達と一緒にいるんですか」
「なんでって、同僚だからねぇ」
「……亦好さんが?」

 ──彼女をあの廃墟に派遣した張本人である亦好が、同席していた。
 石岡含む派遣されたエージェントは彼らのおかげもあって全員生還したらしいものの、亦好のあの、へらへらしたようにさえ見える笑みは今も絶えていない。
 やっぱりよくわからない人だと、思う。

「オーケー……どこまで話したんだい? 太田ちゃん」
「H.E.R.オペレーションの名前までですね、多分」
「……ヒーローでしたっけ? 結局、何なんですか、それ」

 両隣の十為と亦好に目線で促され、太田が口を開く。

「……善意で人を助ける、倫理委員会直轄実働部隊エージェントチーム人事データベースを見ればもう少し詳しく書かれてますが、まぁ、そのままです」
「そんなことって、許されてるんですか? この財団において」
「そんなことさえ許さない組織に明日は無いと思うよ、石岡ちゃん」

 まぁ、これは設立者からの受け売りなんだけどね──と、亦好が答える。

「ああいや、そうじゃなくて、現場のあれこれとか。管理キツイじゃないですか、結構」
「ああ、それこそ私がここにいる理由だよ。私はほら、人事部の人間だから。君のときみたいにあれこれ派遣人材の調整したりするのには職掌が及んでるわけ。で、倫理委員会の工作員エージェントとして、ね?」
「ああ、なるほど……」

 一応は納得したらしい石岡が、しかし不承といった雰囲気で、続ける。

「そこまでする意味、あるんですか? なんでこんな末端職員に、そこまで?」
「……末端職員だろうが、何だろうが。石岡さん──命は選別されるべきじゃないと、思いますよ。なんで助けやがったって思うかもしれないけど、俺は、そう思います」
「……それは、まぁ、はい……なるほど……」
「なんつうか……一応人類の守護者気取ってる組織が人命1つ救えないようでどうするって感じです、確か、公的には」
「まぁそういうわけだよ、石岡ちゃん。命は粗末にするものじゃないってこと。財団にとって、君たちは貴重な人材ざいさんなんだから。無駄にしていいもんじゃないんだよ。だから言ったろ? 『諦めない人間の方が好き』って」

 あれは、そういうことだったのか──と今更ながら腑に落ちる。

「じゃあ、あとはゆっくり養生しなよ。私らはそろそろお暇するから」
「ああ、はい。えっと、重ね重ね、ありがとうございました」

 行くよ、という亦好の声に促されて退出しようとする3人のエージェントの背中に謝辞を述べ──

「ああそうだ。石岡ちゃん。機会があったら宣伝してちょうだいよ。『諦めなければヒーローが駆けつける。だから詰んだら祈れ』って」

 1つの背中が振り返り、最後にそう言って出て行った。

「……やっぱり、よくわからない人だ」

 病室のドアが、閉まる。


「ということがあったんだけど、こぐちゃん」
「はい、報告書は受け取ってますよ」

 翌日のサイト-81██、倫理委員会のロビー。
 変人フリークのエージェント、亦好久と、H.E.R.オペレーションの立役者である医学博士、小熊月子が対面していた。

「いちいち報告書行ってるんだ……発起人は大変だねぇ」
「わたしは流れてた計画を再始動させただけなんですけどね……」
「だったらまぁ知ってるかもしれないけど、『命は選別されるべきじゃない』だってさ」
「……そこまでは聞いてませんでしたけど、誰ですか?」
「太田ちゃん」
「太田くんか……」

 エージェント・太田──太田守は正常性社会からはぐれたものだという事情を、その異常性からくる常人離れした膂力を活かして活動し、素手での戦闘をメインとする不殺派であることも上司として知っているからか、小熊博士の表情は渋い。

「で? 医者としてその辺どう思う? トリアージってやつとかあるじゃない、詳しくないけど」
「わたしは医学者であって医者ではありませんよ……わたしは現場レベルで出来ることの限界みたいなものを見たくなくて学者になったようなものです。だからそこについて言えることはないですね、きっと」
「でもさこぐちゃん。それだって結局、医学は犠牲無くして発展しない学問ということに変わりはないでしょ? 人を救うためには救われない誰かが必要じゃないかっていう疑念に、どう向き合うんだい?」
「似たようなことを学生時代にも聞かれましたね……」

 エージェント・石岡らが初期調査に向かったオブジェクト内部にてエージェントとの連絡が途絶、以降数日帰還せず、対処が協議されている間にH.E.R.オペレーションが動員され、彼女らを救出した──という旨の報告書を、小熊博士は受け取っている。
 だから報告が必要なわけでもなし、目の前のエージェントの意志はいまいち読み取れなかったが、合点がいった。
 学生時代にスカウトされて以来の付き合いで分かっている通り、亦好久はおしゃべりが好きなのだ、単純に。
 亦好が"変人"を2つ重ねて呼ばれ、敬遠される傾向にあるのはそういう由だ。
 意味の分からないことを言うかと思えば、時々、返答に窮する問いを投げかけることがある。そのくせよく人に絡むのでタチが悪い。サイト-81██では概ねそれが共通見解である。

「それで、どう答えたの?」
「『それでもできる限りの人を助けられればいいと思う。犠牲になった人のためにもそうでなければならない』でしたね、確か。だから医者より医学者になったんですけれど」
「今ならどう答えるつもりだい?」
「そうですね……正直、なんとかできるものとできないものを峻別するのは、キツいです。医学者としては医学の限界を認めたくはないですけど、でもやっぱり、限界はありますよ……悔しいですけど。財団こっちに来てからホント、そう思いますね……」
「なるほどねぇ」

 苦い表情で小熊博士が返答し、エージェント・亦好はそれを笑顔で受け止める。
 科学では太刀打ちできないものを沢山見てきた。人類が生き残るための生存戦争の前線に立つものとして。

「だから、そうですね……太田くんに背負わせるのは気が引けるところもあるけれど、でも、財団が見切りをつけるものを、彼らには拾ってほしいと、わたしはそう祈っていますよ。亦好さん。勿論、あなたにも」
 リソースの分配だって、戦争では大事なファクターで。財団は冷徹で合理的だ。無駄な戦いにリソースを割いたりはしない。だから解き明かせないものは解き明かせるようになるまで隔離するだけだし、最低限必要な分だけを救うだろう。
 けれど、財団の中には良心を司る部署がある。取りこぼしたくないという祈りのために奔走するものたちがいる。

「いいねぇ、こぐちゃん。私はそういう祈りが好きだよ。好きなもののためになら、私は努力を惜しまないぜ」

 H.E.R.オペレーションはそのために。祈りを形にするためだけに、明日も戦うことだろう。少なくともそういう人間が、そこには配置されている。

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