収束する矛盾
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初めに“私”の意識に入って来たのは巍然たるさまで聳える二本の大樹と、それを背に立つ男だった。男の名前はなんだっただろうか。
は知っている。“私”は知らない。
戦帰りであろう男は生臭い鉄の匂いを纏ったまま、節くれ立った剣を振るう硬質な掌で私の肩を掴み何かを言う。酷く頭が痛み耳鳴りが止まない。諭す様な問う様な責める様な彼の声とそれが重なり頭の中で獣の死骸に集る蠅の羽音の様に反響し続ける。
五月蝿いと私は言った。
やめろと“私”は思った。

視界が廻る。
かつては偉容を誇っていたであろうにすっかり崩れ果て器を亡くした肉と形を失くした鉄が歪に張り付く城壁とその中で辛うじて人の形を保つ男が見えた。
男の名をは知っている。“私”は知らない。
四肢は砕かれ、頭は割られ、肉と脂と骨が血の中で色彩を持っている。それでも男は死際の猛禽類を思わせる赫奕とした視線を私から背けない。
酷く身体が痛く一歩一歩が遅々として進まない。けれども私は千切れ掛けた腕で剣を握り胎を同じくする男の首を目指す。
私の勝ちだと私は叫んだ。
やめろと“私”は願った。

世界は再び回転する。
照らし出されたのは神代の神々が座す星が煌々と輝く夜空とそれによって照らされた男だった。友であり相棒であり██である私の王。
その名をは知っている。“私”は知らない。
七日七晩の戦いの果てに頬を額を腕を腹を附子色に染めた男は私に請う。行かせてくれ、とかつて██と呼んだ私に請う。
出来ないと私は諭した。
やめろと“私”は祈った。

四度目の目醒め。
全身を内側から刺し貫き蝕み腐らせる痛みにの気は狂いそうだった。
同時に正気を疑い始めた。“私”は全てを記憶し記録する。全ての現実を伴った事象は“私”の中で連綿と続く帯であり鎖であり空でなくてはならない。だと言うのに今まで私を通して“私”が見て来た男は██であり██ではないのだ。
けれども戦に身を窶した戦士たる男も、かつて同胎から産まれた男も、杯を交わし友の契りを結んだ男も全て█████だ。
分からないと言う無知への恐怖と戸惑いが“私”の魂を飢えた蛇の様に舐めた。
それでもこの世界の“私”は私を通して畝る世界を見せ続けられるのだ。気休めの錠剤を噛み砕く。魂を持たない冷たい人型から受け取った端末の画面が光り視線が向かう。映されたのは無機質な檻とも呼べる重厚な空間に鎮座する棺にも似た箱だった。緩慢な動きで扉が開き男が這いずり出てくる。
わたし達は同時に男の名を呻いた。

五度目。
否これは転調する夢ではなく真の目覚めだと“私”は悟った。
血生臭い物品、物体、事象、事案それら全てを洗い流し覆い隠す様に磨き上げられたフロア。その中を忙しなく行き交う人々の雑踏雑音、そして彼等彼女等を憩わせる嗜好品の香りが五感から“私”に今ここが現実であると言う事実を突き付ける。
些か硬すぎる椅子の背もたれから離れ周りを見渡せば汚れが落ち切らない白衣を纏った老年の男と目が合う。体調の不具を案ずる言葉には曖昧に笑って見せた。

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