花束を
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明治33年7月9日 小石川区 伝通院共用墓地

どこまでも続く曇り空の下に、八人ほどの男女が集っていた。

股引と半纏を纏った人力車の人夫、銘仙を羽織った年増の女郎、浴衣姿の禿頭の男はこの界隈で多少名の知れた噺家であり、洋服にハンチングをかぶった老紳士は退職した新聞記者、杖を手にした盲目の按摩、筋骨隆々とした日職工、頬に傷のある黒い法被の男はヤクザものである。

誰もがこの時代に於ける、社会の底辺と言っていい面々であった。
だが、最後の一人のみが、糊の効いた背広を着ており、この面々の中で浮き上がっている。

その全員が、同じ方向を向いていた。

視線の向きは下、地面の穴に向けられている。

八人全員が、穴を緩やかな円状に囲んでいた。

地面に穿たれた穴に、その木桶はすっぽりと収まっていた。
木桶の中に、一人の男が目を閉じたまま、蹲っている。

男が目を開く事が二度とない事を、その場の全員が知っていた。

「立派な桶だね」

ぽつりと年増の女郎が呟いた。

「綺麗な円だろう?俺の腕に間違いはない」

職工が手短に述べる。この桶は、職工の手になる物である。

「そうだね、ありがとう。東屋あずまやさん」

女郎が礼を述べ、他の者も小さく頭を下げた。

「坊主は?まだ来ねえのかい?」

黒法被のヤクザものが口を開く。

「見ろよ、今にも降り出しそうじゃねえか」

ヤクザ者は空を振り仰いだ。

天気は折悪しくも曇天、彼の言う通り、今にも降り出しそうな塩梅である。

「軍曹殿が濡れちまうじゃねえかよ、伝通院の坊主は何してやがるんでえ」

ヤクザ者は忌々しげに言い放った。

「およしよ、葬式の日くらい神妙にするもんさ」

年増の女郎が、口を尖らせてヤクザ者に釘を刺す。
そして、腰をかがめて棺の中の男を見つめた。

あばたの浮かぶ顔に、天女のような笑みが浮かんだ。
彼女が若かりし頃、浅草界隈の男どもを蕩かせた笑みだった。

「ごめんね、軍曹殿。有村の兄さんはいっつもこうなんだよぉ。どうか、堪忍してあげてね」

そう言うと、彼女は目を瞑り、亡骸に両手を合わせた。

「カンカン照りよりは、ましかも知れません。気温も上がる頃だ、それよりはまだ」

ハンチングの老紳士が、素直な感想を述べた。

「腐らねえんなら濡れたほうがまだましだってのかよ」

ヤクザ者が鋭い眼光を老紳士に向ける。

「違いますよ。ですが、ご遺体を前に過ぎた物言いでした」

老紳士は素直に頭を下げる。
有村と呼ばれたやくざ者は、憮然とした表情で舌打ちをした。

「お前元ブン屋だろ、なんか聞いてるか。山手の辺りで金持ちでも死んだか?」
「それは……ええ、そうです。なんでも商家の若旦那が亡くなったとかでね……」

それを聞いた有村はただ一言、畜生め、と呟いた。
坊主が出払っている理由は、それが原因であろう。

あにさん、もういいじゃありませんか」
「そうですよ、それに……俺たちゃ、銭がねえんだから」

噺家と人力車夫が、同時に有村を止めに入った。

そこで再び、有村は舌打ちをした。

「伯道の若旦那、あんたも銭なしかい」

芸名を呼ばれた噺家は、はっとして有村を見た。

彼は、浅草界隈でも有名な講釈師の一門「神林派」の門弟である。
入門してはや5年、ようやく二つ目に上がったばかりであった。

「ええ、うちの門下は嫌われておりますから。なかなか厳しい」

これは事実である。

特に、二つ目ともなれば、前座と違って出演の機会も減ってしまう。
ともなれば収入も乏しくなり、彼にとっても苦しい時期であった。

「ちっ、シノギがあるおめえらがそう言うんじゃ、仕方ねえか」

決まりの悪い表情で、有村は口を噤んだ。

「ようやくうるさい口が閉まったね、何よりさ……銭がないのは、みんな一緒だよ」

年増の女郎が、憎々しげに呟く。
女郎の横の按摩は無言でしゃがみ込み、骸に両手を合わせた。

「あんたたちも感謝しなよ、そこの〝軍医どの〟にね」

女郎は手を合わせつつ言うが、その言葉には棘があった。

有村、人力車夫、噺家の視線が、後ろにいた背広の男に集まった。

「そういやあんたにはまだ礼を言ってなかったな、ありがとうよ」

有村もまた、棘のある口調で礼を言った。

「凍霧さん、私からも礼を言います。葬儀の代金について」
「ええ、銭がねえって中、旦那は一切合切持ってくだすった」

二人は小さく頭を下げた。

凍霧と呼ばれた男は、ただ無言だった。

「なんとか言ったらどうなんだい、軍医さんよ」

今まで黙って聞いていた日雇いの人夫が、凍霧に問いかける。
しかし、凍霧は誰とも目を合わせる事なく、ただ亡骸を見つめていた。

「よしましょう、誰にも、どうにもできゃしなかったんです」

人力車夫が、力なく呟いた。

「あたしが軍曹殿を見つけた時にゃ、もうほとんど息をしていませんでした」

「軍曹殿」を東京衛戍病院に運び込んだのは、この男であった。

「ここ一月見かけねえから、何か日雇いの仕事にでも出てるんじゃねえかと」
「救世軍の炊き出しでも見かけなかった、まさか飲まず食わずだったなんてな」

職工が、人力車夫の言葉を継いだ。

「いつもはよ、朝早くにあの連中の手伝いをしてたんだ」
「なかなかできる事じゃない、あの人だって貧乏だったのに」

職工と人力車夫が、揃って生前の故人のありようを口にした。

「そういえばあの人は、いつでも、誰にでも、礼儀正しかった」
「私がまだ下手だった頃、あの人は私の芸を褒めてくれました」
「ちょっと堅っ苦しかったけどねぇ、何を言っても『デ、アリマス』なんてさぁ」
「軍隊の癖が抜けねえ人だったよな。でもカタギにしとくのが惜しい人だったよ」

元新聞記者、噺家、女郎に有村、それぞれもまた、故人の思い出を語り始めた。

「俺は、あの人に何度も助けられたよ。凌雲閣の下でタコ殴りにされていた時、食い物がねえ時……」
「あたしも、銭をいくらか融通して貰った。あたしが一晩体を貸すと言ってもさ、あの人は断ったよ」

「……いい人でした」

按摩が、ぼそりとただ一言呟いた。

そしてただ一人、凍霧は何も言葉にしなかった。
なぜ凍霧が黙っているのか、それは明白である。

彼の最後を看取ったのが、凍霧だったのだから。

凍霧は、彼の死を見届けた日のことを思い出した。
病院の待合には、彼らがいた。

彼の死を告げた時、誰もが皆、冷たい眼で凍霧を見た。
間に合わなかった事は誰しも承知していたであろう。

だがそれでも、凍霧は医者であった。

その医者より、彼の死を告げられ、皆大いに落胆した。
それは落胆というより、絶望に近かったのかもしれない。

「結核の事だって、黙ったままだったな」
「きっと、誰にも伝染さねえように部屋に篭っていたんでしょう」

ほんと、あの人らしいと女郎が言った。

「なあ、どうしてあの人は断食なんかしてたんだろうな」

有村は怪訝そうに、女郎に尋ねた。

「知るもんか。あたしらは結局、あの人を気遣うゆとりなんてなかったじゃないか」
「そりゃあそうだけどよ。でも、だからってよ……妙じゃねえか。何があったんだ」

女郎の言葉に、有村は鼻じろみつつ、それでも疑問を口にした。

「まあ、確かに兄さんのいう通りかもな。朝鮮の戦に行ったんだろ、あの人は」
「そうですね、恩給をもらえる立場なんだから。あたしらよりましな暮らしも」

職工と人力車夫も、続いて疑問を口にした。

「伯道さん、ブン屋の旦那、何か聞き及びでないかい?」
「そういや、おめえさんらは軍曹殿に良く話を聞きに行っていたよな」
女郎と有村は、ふと二人に尋ねた。
だが、伯道は沈黙するのみである。

「どうしたんだい?あんたら、記事や噺のネタになるって、軍曹殿のとこにさぁ」

老紳士もまた、口を閉ざしてしまった。

「伯道さんも旦那も、一体どうしちまったんだい?」

だが、二人とも顔を見合わせつつ、黙して語る事はない。

女郎はため息をつきつつ、しゃがみこんで骸に両手を合わせた。

「……旅順」

また、按摩が口を開いた。

「軍曹殿は、旅順の事が気にかかると、いつも、おっしゃっておりました」

ぽつり、ぽつりと、按摩は呟く。

「ねえ、それって……ブン屋の旦那が最後に書こうとしてた記事じゃないかい?」
「おう、思い出したぜ。あんときゃお前も随分とお冠だったじゃねえか、なあ?」

女郎と有村の二人は、老紳士が新聞社を退職する前の話を思い出したのだ。
日清の戦の折、米国の新聞記者が、旅順での掃討作戦について書いた記事。

天下の皇軍兵士が、なんと無抵抗の兵士どころか、女子供まで皆殺しにしたと言う。

老紳士は、その内容にいたく憤慨していた。

それは伯道も同じであった。
だからこの二人は、その時の事を軍曹殿に聞くため、足繁く彼の元を訪れていた。

「旅順で、何があったんだい?」
「その事で、軍曹殿は悪く言われていたのか?どうなんだ?」

「それは……」

老紳士は重い口を開こうとした。

その刹那、小走りに土を蹴る音が響いた。

「申し訳ありません、お待たせいたしました」

若い僧侶が一人、こちらへ小走りに駆けて来るのが見えた。
小脇に大きな筵を抱え、背には仏具の箱を背負っている。

僧侶は、どうやら、遠方から戻ったばかりのようであった。

「私は伝通院の、仁州じんしゅうと申します。これより、法要を執り行います」
「喪主の凍霧と申します、本日はお忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いします」

凍霧は頭を下げ、他のものもそれに続いた。

女郎も、有村も、憮然とした顔である。
しかし、これでこの話は取りやめとなった。


願我身浄如香炉がんがしんじょにょこうろ

願我心如智慧火がんがしんにょちえか

念念焚焼戒定香ねんねんぼんじょうかいじょうこう

供養十方三世佛くようじっぽうさんぜぶ

曇天の中、読経の声が高らかに響く。

穴の前面には筵が敷かれ、その上に仁州が座り、経を詠んでいる。
仏前には香炉が置かれ、一人一人が抹香を焚いた。

筵の上に座りつつ、全員が骸に手を合わせていた。
多くのものが、涙を流していた。

その中で一人、凍霧だけはただ合掌し、瞑目していた。
己が心情を如何様にすべきか、皆目わからぬままに。

一心敬礼十方法界常住仏いっしんきょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうぶ

一心敬礼十方法界常住法いっしんきょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうほう

一心敬礼十方法界常住僧いっしんきょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうそう

香掲こうげ」が終わり、「三宝礼さんぽうらい」が行われる。

凍霧は小石川で生まれ育ち、かつ町医者の息子でもあった。
故に、葬儀の所作や経文の種類も知悉している。

子供の頃はよく「門前の小僧なんとやら」などと、友人にからかわれたものだ。
医者という職業は「死」に近いゆえかもしれない。

凍霧は仁州の所作を見て、少なくとも彼がいい加減な葬儀を行うつもりはない事がわかった。
三法礼は、仏界の仏・法・僧に礼を行う儀式である。彼は本式の葬儀を行うつもりであった。

唯一本式と違うのは、仁州が本尊に体を向けていない事だ。
本尊に向けて読経を行う本式とは、また所作が違っている。

だがここは伝通院の墓地であるため、本尊に体を向ける必要は無いと判断したのだろう。

奉請十方如来入道場散華楽ほうぜいじとうじょらいちょうさんからく

奉請釈迦如来入道場散華楽ほうぜいせきゃじょらいじとうちょうさんからく

奉請弥陀如来入道場散華楽ほうぜいびたじょらいじとうちょうさんからく

奉請観音勢至諸大菩薩入道場散華楽ほうぜいかんにんせいししょたいほさじとうちょうさんからく

読経は、諸仏を招き入れる「奉請ぶじょう」に移った。
そして、言いようのない居心地の悪さを覚えた。

諸々の仏をここに招くのであれば、己は一体なんなのだ。
御仏の許に向かう死者の知己でもなく、友でもなく、ただ死を看取った己は。

凍霧の内心をよそに、仁州は唄うが如く、経を詠み進めていった。


請仏膸縁還本国しょうぶつずいえんげんぽんごく

普散香華心送仏ふさんこうけしんそうぶつ

願仏慈心遙護念がんぶつじしんようごねん

同生相勧尽須来どうしょうそうかんじんしゅらい

鉦の音が涼やかに鳴った。

送仏偈そうぶつげ」が終わり、浄土宗の17項目の読経の儀式が終わった。

「送仏偈」は、御仏を本国へと送り返す儀式である。

「軍曹殿」と呼ばれ、親しまれていた彼の名を、凍霧は想起した。
永山教経ながやまのりつね

彼の生国は滋賀県は飛騨山脈、白山近傍の出であるという。
彼は、この読経で故地へと帰る事ができたであろうか。

仁州は立ち上がり、一同に向かって振り向いた。

「棺の蓋を閉じる前に、最後のお別れをいたします」

その言葉を聞き、有村が頷いた。

有村の足元には、水を張った木桶があった。
そこには、7本の菊が生けてあった。

花代を支払ったのは、有村であった。

女郎が一本手に取り、老紳士が続いた、噺家と職工がさらに手に取り、人力車夫が二本手にとって、一本を按摩に手渡し、最後の一本を有村が取った。そして各々が、棺桶の中に菊を投じた。

「すまねえ、軍曹殿。俺も手元不如意でな、これっきりしか用意できなかった」

有村が、すまなそうに呟いた。

凍霧は、既にその場にいない。

誰もが涙ぐみ、言葉を発する者はいなかった。

凍霧が去った事を、仁州は咎めなかった。

最後に全員が亡骸に手を合わせた。

その時間だけが、奇妙に緩やかに流れた。
誰も、棺の蓋を閉じようとはしなかった。

10分か、20分か過ぎた頃、仁州が口を開いた。

「では、棺の蓋を閉じます」

その刹那、土を蹴る音が響いた。
その音に、その場の全員が振り向く。

「待ってください!」

凍霧だった。

彼は両手に一抱えの菊を抱え、小走りに走り寄ってくる。
そして小さくかがみこみ、棺の中へやけに丁寧に、菊を納めた。

そして、短く手を合わせ。何かを呟くと、全員に向けて礼をし、その場を去った。


棺の蓋は閉じられ、土が被せられた。
土の上には石の簡素な墓碑が建てられた。

これも桶と同じく、職工の手によるものである。

菊に囲まれた亡骸は現世から引き離され、泉下のものとなった。

それからしばらくの時が経った。

有村はそれからしばらくの間、ヤクザ稼業を続けた。

彼が敵対するゴロツキを殺し、投獄されるのはこれより半年ほどのちの事である。
有村はのちに軍に徴用される事となるが、獄中の彼はその運命を知らずにいる。

遊女は、この日の3月後に肺炎で没した。
亡骸は、軍曹殿の隣に葬られた。

職工は、日々の仕事を続け、組合仲間と仕事に精を出している。

元新聞記者の老紳士は、それからしばらくののち、行方知れずとなる。

噺家は修行を続けていたが、真打ちへの道は未だ遠かった。
だが彼はのちに、神林派の中でも生粋の噺家となる。

人力車夫は仕事をやめ、再び陸軍の門を叩いた。

そして、按摩は人知れず、結核で死んだ。

大陸では義和団が戦火を引き起こし、多くの血が流れた。

めまぐるしい時の流れと、亡骸は無縁であった。
彼の亡骸は尋常の生物と同じく、腐り、乾燥し、微生物の餌となっていった。

彼の眼窩より、一本の生糸のごとき物が、這い出した。

これは、のちに凍霧によって「縫合線虫」と名付けられる事となる。

線虫は宿主が分解されつつある事に気づき、彼の外に飛び出したのだ。
そして、線虫は彼の周囲にある「何か」に気づいた。

菊花は、奇跡的にその鮮度を保っていた。
線虫は菊花の養分を吸いつつ、少しづつ成長を始めた。

線虫は少しづつ自らの体を大きくし、桶の外へと這い出そうともがく。
それよりどれほどの時が経ったのか、線虫に興味はなかった。

そして、線虫はついに桶より土中へとその頭を出した。
線虫はそのまま、土を下へ、下へと掘り進んでいった。

あたかもそれは、切り花の菊から、新たな根が生え出したかのようだった。

どれほどの長さを掘り進んだのか、皆目わからぬ。

だが線虫は長い長い根となり、下へ、下へと掘り進んでいった。


ただただ広大な空間が、そこに広がっていた。

そのほとんどは闇であったが、それでもうっすらと明るい。
それは、あちこちに光苔が繁茂しているせいであろう。

そしてまた、あちこちに篝火が炊かれている。

その薄明かりの中に、ことさら明るく輝くものがあった。

それは一人の女である。

その肌は白く、神は地上のどの女よりも長く、艶めいていた。
光に照らせば、性別に関係なく、彼女に跪くほどであろう。

だがその体の半分を、多くの蛆虫が覆っていた。

薄い絹を纏い、その女の体から、うっすらと光が発せられている。

彼女を中心に、火のように赤い曼珠沙華が、どこまでもどこまでも遠くまで広がっている。

そして彼女の周囲には、八人の武人が傅いていた。
さらにその周りを、角ある大男や、腕が9本ある大身の女などが幾千幾万犇いている。

彼女は遥か彼方の天を眺めては、口惜しそうな表情を浮かべた。

────我が身が腐り果て、いくとせ経つであろう。

すると、遥か彼方より、何かの光が見えた。

それはこの深い深い地の底に於いて、あり得ぬものだった。

するすると、ほのかな光を発する一条の糸が、彼女の目の前に降りてきたのだ。

それは糸であり、また根でもある。

この地の底、根の国に訪れる物はただ二つ。

死者と、根、のみ。

そして、その根の先には、一輪の菊花が逆さまに生えていた。
それは、真っ黒な菊であった。地上界には存在しない種である。

微光を発するその菊を如何様にせんか、彼女は迷った。

だが、魑魅魍魎、ヨモツイクサの群の中から、彼女を見ている者がいた。

一人の番人に連れられ、二人の男女が進み出た。

一人は軍服姿の男である、もう一人は年増の遊女であった。
軍服姿の男はただ敬礼をし、遊女は頭を下げた。

捧げものだろうか、彼女はそっと、逆さまの菊の根に触れた。

すると、菊は落ち、曼珠沙華に混じって、幾千、幾万もの菊花が生まれた。

白と黄の輪菊、厚物の菊、管物、小菊、野菊、寒菊、竜脳菊、西洋菊まで。

東西を問わぬ様々な菊が咲き乱れた。

彼女はその中から一輪の花を手折り、手の中の光を見つめていた。

死者の群れは目を細めつつも、その光から目を離すことができなかった。

すると再び、一人の女がヨモツイクサの中より進みでた。

そして、彼女は微かな声で、言った。

「御使です、今しばらくのご辛抱を。いずれ、御身をお連れ申し上げます」

彼女は頷くと、はるかかなたの天、その先にある地上を見据えた。

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あなたへ、花束を。

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