サイト管理官殿。
このたび私が起こしてしまいました同僚職員1名の殺害という大変な不祥事について、深く深くお詫び申し上げます。また被害者の上司および同僚の方々におかれましても大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳なく思っております。ことさらに遺族の方々には、取り返しのつかないことをどう詫びればいいのか、この罪を僅かでも取り繕えるような謝罪の言葉も見つかりません。もし、あの日の前に戻れるのなら、今ここで私の全てを差し出しても構わないと私が本気で思っていることを、どうすればお伝えできるでしょうか。そして、この気持ちを最も伝えたい相手である彼女が、もう生きてはいないという絶望が、どうしたら表せましょうか。
私が何故彼女を殺さなければならなかったのか、管理官殿はお知りになりたいでしょう。私自身、なぜこうなったのか、なぜこうならざるを得なかったのか、あの日からそればかりを考えておりました。人様に説明できるような論理めいたものはいまだ考え付きませんが、事実をありのままにご報告したく思います。
おそらくことの始まりは、私が彼女を殺めた日のひと月ほど前のことです。私はフィールドワークを終え、サイトに戻りシャワーを浴びて遅めの夕食を摂りにいくところでした。カフェテリア近くまできたところ、1人の男性職員に、話があると声をかけられました。これについては、特にあまり詳しく記すほどのことでもないのですが、いわゆる交際の申し出でした。詳しい経緯は省きますが、結論として、私と彼は将来における交際の約束をしました。気持ちは嬉しかったのですが、私はまだそういうことに執心できるほど成熟していないと自身を見做していたので、あの時点ではそうするのがベストではないかと判断したのです。男性は納得してくれました。その夜私は、6年来の親友である彼女に、後日私が殺すことになる彼女に、男性について報告しました。彼女は喜んでくれました。私自身は喜ぶべきことなのかどうかよくわからなかったけど、彼女が喜んでくれているのなら、それはきっといいことに違いないのだと思い、私は彼女にありがとうと言いました。それから数日、男性との関係は表面上は特にそれまでと変わらなかったものの、何か気恥ずかしく、職場で顔を合わせるとむずかゆいような奇妙な心持ちになるのが、私自身不思議でなりませんでした。彼女は、そんな私を見て、心底楽しんでいるようでした。
次の転機は、それから1週間ほど経った日でした。私は、彼女が、私に交際を申し込んだ男性と、話し込んでいるのを目撃しました。声をかけようかとも思いましたが、2人が人目を気にするような素振りで非常階段へ向かったため、追いかけるようなことはするべきではないと思いそのまま仕事に戻りました。このとき、何かこれまでとはまた違う奇妙な感覚を覚えたことを記憶しています。私の心の中の薄暗い場所から、空恐ろしい声で何かに語りかけられたような、あれに最も近い感覚は、不安、だったと思います。その夜、彼女といつものように雑談しているとき、私はつい気になって尋ねました。昼間に男性と何を話していたのかと。彼女は、たまたま職務上男性に用事があったので、ついでに私のいいところを紹介してくれていたのだと答えました。見ていたなら声をかけてくれたらよかったのに、とも彼女は言いましたが、非常階段については触れませんでした。それから私は、胸の奥に生まれたゴウゴウと逆巻く渦のような感覚に呑まれ、今日は疲れたのでもう寝ると言って会話を切り上げました。でも実のところ、その後もまったく眠気は訪れませんでした。私のいいところを紹介?彼女の助けを得なければ人付き合いすらできないと、私は彼女に見下されていたのでしょうか。それとも彼女の自己肯定感を満たすために、私を利用しようと思いついたのでしょうか。なんという思い上がり。なんという侮辱。しかしこの時の私は、怒りの原因を冷静に見据えることができず、ただ漠然とした不安におびえて布団をかぶることしかできませんでした。
管理官。彼女は私を大事にしてくれていました。このことはあなたも他の仲間もご存じでしょう。しかし管理官。それは結局、彼女自身のためでした。彼女は自分がいい気分になるために、卑小でカワイソウな私を利用したのです。何より私をいらだたせるのは、彼女自身がそのことに気が付いていなかったことです。誰もが知る通り、彼女は徹頭徹尾、善人でした。彼女自身それを疑いもしなかったし、実際そうだったのでしょう。彼女は誰よりも美しかった。私は彼女のそばにずっといたかった。私は、彼女のためならばすべてを捨ててもよいとさえ思っていた。でもそれは、あの女がいい気分になるために、私を仕込んだ結果です。あの女は、いい気分になるために、私の権利を主張し、私の身分を保証し、私のために私財を投げうちました。あの女は、私が辛く苦しいとき、その胸を貸してくれました。なんて鼻持ちならない、いやな女なのでしょうか。それでも、管理官。私は、彼女が大好きでした。
話を戻します。あの日以来、私は二人に陰で嘲笑われ続けました。それは陰でですから、直接見たり聞いたりしたわけではありません。私が見たのは、二人がこそこそと話し合い、私がいることに気が付くとフイといなくなったり、あたかも今偶然出会ったかのようなぎくしゃくとした会話を始めたり、そういったことでした。私自身、この容貌ですから、そういったことには慣れていましたが、彼女たちがそういった行動をとったことには我慢がなりませんでした。今思い返せば、私はそれが許せなかったのでしょう。彼らを生かしてはおけないと、このとき心のどこかで思ったのでしょう。ただ、そのときは、なにか言い表せないどす黒いモヤのようなものが心を覆ったようにしか感じられませんでした。しかしそのモヤは、確かに私の心を埋め尽くしつつあったのです。
陰でこそこそとされていることに明らかに不快になりながらも、その正体を突き止めるほどには私は勇敢ではありませんでした。そこで、私は友人を頼りました。私と同じ境遇の、これもまた無二の親友は、私の奇妙な頼みを快く引き受けてくれました。彼は私に代わって二人に近づき、それとなく何を話しているか耳を傾けてくれると約束しました。数日後、彼と彼女らが3人で話しているところを、私は見かけました。私は、その様子を隠れてこっそりと見ていました。後ろ暗い者が太陽から逃れるように、岩陰に潜むウツボのように、卑しくこそこそと物陰に潜み、私は3人を観察しました。彼らが話を終え、解散すると、親友の彼はしばらく何かを思案している様子でした。やがて、背負っていたリュックから携帯端末を取り出し、そして私にメールが届きました。
「特に気になる点なし。まだ数日観察してみるので、何かあったら伝えます。でも、あんまり気にしないほうがいいかもよ?」
私は、そのメールを鵜呑みにはしませんでした。むしろ、彼までもが彼女の側に取り込まれてしまったことに驚きました。しかしそれよりも、親友である彼らのことをいまや心から信じていない私に、私自身に驚いていました。彼も、彼女も、私は信頼しきっていたはずなのに、今やそれは遠い思い出のようでした。なぜ私はこんなホコリっぽい通路のすみっこにうずくまっているのか。なぜ私は親友たちを付け狙うハンターのごとく隠れなければならないのか。正面のガラスに映る自分の惨めな姿を見たとき、再び現れたあの渦を巻く感情が私をひどく苦しめました。
管理官。私はひどい女です。唾棄すべき傲慢で浅はかな女です。でも、あのときの私は、私よりもひどい女がこの世にいるのだと、信じ切っていたのです。親友であり、大恩ある師であり、誰よりも私を愛してくれた人であったのに。私は、私の信頼を得た彼女が、私を疎外することが、許せませんでした。彼女は私に多くのものを与えてくれました。でも、私はそれに対してどこか怒りを感じていたのでしょう。傲慢というほかありません。彼女の施しを受けなければ、今こうして生きてはおられなかったであろう事実に悔しさと引け目を感じていながら、それに目を向けることさえできないほどに私は間抜けでした。そのくせ彼女に対しては、自分が世話をしてあげているおかげで私が生きているのだと自惚れる高慢な女だと、確かに思い始めていたのですから、もう救いようがありません。私は、私を愛してくれた彼女を、信じるどころか憎んでさえいたのです。
それから、私は彼女と少し距離を置くことにしました。彼女のほうは私に何かと話しかけようとしていましたが、私はそれをわざと避けるようになっていました。でも、ただの一度として、彼女が件の男性とふたりで私の前に立ったことはありませんでした。陰ではこっそり会っているくせに、私の前では、さもそしらぬ風を装い、私の友人でありつづけているかのように振舞っていたのです。それは真実であったのに、私は自分にとって都合の悪い事実だけを受け入れました。ある日、彼女は言いました。「どうしたん?最近ちょっと元気ないやん。恋愛は初めてだからこわくなったんか?」そう言ってクスクスと笑いました。そうです。彼女は、私を笑ったのです。許せませんでした。私はそのまま自室へ戻り、布団をかぶってワンワンと泣きました。なぜ泣いていたのか、私自身わけがわかりませんでしたが、そうしてよいのだと私は感じていました。そして、小一時間ほど泣いた後、私は心に決めました。彼女を殺そうと。
私はすぐさま彼女の部屋へ赴きました。ベルを鳴らすと、彼女が少し間を置いて出てきました。「ごめんな、ちょっと今来客中やから」と彼女は言いましたが、私は構わず中へ入りました。私を制止する彼女を振り切り、リビングへと進むと、男性が、私に交際を申し込んできたあの人が、キッチンから出てきました。ああ、もう駄目なんだ。私は、そう思い、カバンからナイフを取り出すと、するりと彼女に刺し入れました。
これが今回の不祥事のすべてです。私、咬冴舞波は彼女を憎み、そのために彼女を殺しました。なぜ憎んだのか、論理的な説明はできません。ただし、私に交際を申し込んだ男性を彼女が奪ったからというのは、明らかに下世話な誤りです。まだ私はあの男性に対して特別な感情を抱くほどには至っておりませんでしたし、たとえそうなったとしても、私は彼女を祝福したでしょう。たとえどんなことであれ、どんな仕打ちをされたとて、私は彼女を許したでしょう。でもそれは、私が真実を知らされている場合に限ります。私は彼女を信頼していたのに、彼女は私を信頼しなかった。それが私には許せなかった。彼女なら、私にすべて話してくれると思っていた。たとえ話せないことがあったとして、話せない理由くらいは話してくれると思っていた。でも、彼女は私を裏切った。私は彼女を愛したのに、彼女は、私を裏切ったのです。生かしてはおけませんでした。ええ、瀨良管理官殿。生かしておいてはならないと、私は確信してやったのです。私は彼女を愛していました。それは、最後の瞬間まで、彼女の目から光が消えるまで、確かなことでした。残念なことに、私は、彼女の最後の言葉を聞き取れませんでした。謝罪なのか、疑問なのか、罵倒なのか、ついにわかりませんでした。でも、あの目は、私を責めてはいませんでした。あれは、あの目が表していた感情は、おそらく、憐れみでした。私は、そのとき気が付きました。彼女もまた、まだ私を愛してくれていたと。たとえこの手で理不尽に殺されたとしても、私を許せるほどに、彼女も私を愛していたと。でも、彼女はそれきり、それっきりでした。
報告は以上です。1