貴方だけに捧げる激情
評価: +63+x
blank.png

Anomalousアイテムリストより抜粋


説明: サイト-8174勤務職員であるエージェント・高岸の職員ロッカー内に突如出現したチョコレート菓子。成分解析の結果、異常な成分を含んでいないことが確認されている。
回収日: 2023/02/14
回収場所: サイト-8174、第7ロッカールーム

[…]





 わたしと彼が巡り合ったのは、初めて襲撃の任に就いた時のことです。財団に捕まってしまった同胞を救出すべく実施された作戦に、わたしは支援役として参加していました。しかし、奮闘虚しく作戦は失敗し、同胞を救い出すことは叶いませんでした。そして、わたしたちは指揮者より撤退を命じられました。

 撤退の命を受けて拠点へと戻る最中、彼と邂逅しました。銃を構え、心の奥底までも貫くような眼差しでわたしを見つめていました。その御姿からは「絶対に逃がさない」という強い意志が発せられていました。そして、不思議とわたしは動けなくなったのです。緊張感とは一味違う、見知らぬ感覚がわたしの身体を支配していったのです。

 心臓が早鐘を打ち、額には脂汗が滲んでいました。ですが何故でしょうか。不思議と嫌悪感を抱くことはなかったのです。寧ろ、「彼になら捕まっても」なんて考えだしていました。動かないわたしを見た彼は、数歩ずつ足を動かし始めました。その歩く様子は美しく、一切の無駄がなかったことを鮮明に覚えています。リノリウムの白い床に響く彼の足音が、今でも耳の中に残っているようです。

 そして、いよいよ彼とわたしの距離は三歩ほどのものになりました。「ああ、捕まってしまう」と覚悟した刹那、わたしは同胞によって救助されたのです。同胞からは強いお叱りを受けたようですが、明確には覚えていません。頭の中に靄がかかり、全てが急速にどうでもよくなったかのように感じました。拠点に帰還してからの話し合いのことなど、もはや覚えていません。

 あの邂逅以来、わたしは彼のことを考えるようになりました。彼の立ち姿や銃のフォーム、顔立ちから歩き方まで――彼を創り出す全ての要素が美しくて。片時も考えをやめることが出来なくなってしまっていました。組織の活動を疎かにしてしまうほど、わたしは彼を考えることに熱中していたのです。

 最初こそ、精神攻撃によるものであると考えていました。ですが、それが間違いだと気付くのに然程時間はかかりませんでした。幾夜も眠れぬ夜が続いたある時、急に自覚したのです。「彼のことが好きでたまらない」のだと。わたしは彼に一目惚れしていたんです。それを知った途端、心の奥がきゅうと締め付けられる感覚を覚えました。今となってはわかるのです。初めて彼と邂逅した時、身体を縛り付けていたものが恋情であると。

 恋と自覚してからすぐの頃は、頻繁に妄想に耽っていました。彼と会話するだけの、なんてことない妄想です。だけど、回数を重ねるうちに現実を突きつけられる感覚を覚えるようになったのです。妄想の中で他愛のない話をして笑うわたしの姿が、羨ましく思えて。このままだとおかしくなってしまうと悟ったのです。……そうして、わたしは妄想に耽らなくなっていきました。

 妄想に耽らなくなったわたしは、組織から脱退しようとしました。組織から抜けてしまえば、わたしはただの女の子になれるのですから。そうすれば、彼と会うことが出来るのでは、と考えたのです。ですが、そんな淡い期待は「だめだ」という指揮者の言葉と共に消え去りました。旧き因習や文化、歴史がわたしの行く手を塞ぎだしたのです。

 ですが、恋情は衰えることなく続いていきました。寧ろ、恋慕の炎が燃え滾るようになったのです。滾る恋心を抱えるわたしは「どうやってでも彼に想いを伝えてみせる」と決意しました。想いを伝える為ならば、この命すらも投げ出そうと考えるようになったのです。

 それ以降わたしは、「どうやったら彼に想いを伝えられるか」と連日思案するようになりました。その思案の末たどり着いた答えこそが、バレンタインデーにチョコを渡すことで「好き」という想いを伝える、というものです。組織の教えでは異国文化に触れることは禁止されていましたが、恋の前では些細なことに過ぎません。以前より憧れてた文化ということもあり、わたしはすぐに「これしかない」と確信しました。

 残った問題点はチョコの渡し方のみとなりました。組織が違うため、普通に面と向かって渡すことはできません。この問題に直面したわたしは、毎日のように書庫を訪ねて文献を漁り続けました。寝ずに夜通し調べ続けた末、わたしは手段をつかみ取ることに成功しました。

 その手段というのは、「奇跡論」というものです。生命力を代償に効果を発揮する呪術として文献に掲載されていたそれこそが、わたしの望みを叶えうるものだと確信しました。しかし、普通の人が「奇跡論」を使うためには命を代償にする必要があるそうです。

 その事実を知ったわたしは、死ぬことを選びました。考える暇などなく、気が付けば決意していたのです。

 普通でしたら、死ぬことなど選ぶはずがないでしょう。前のわたしはそうでした。誰かの為に命を使うことなど、絶対にないと考えていました。……でも、恋の苦しさを理解したわたしは気付いたのです。「愛する人の為ならば、命すらも懸けられる」という言葉の意味を。この時わたしは、己が抱く彼への恋情の大きさを再認識しました。

 本音を言うと、死ぬのが怖くて仕方ありません。ですが、それ以上に彼に想いを伝えずに生きていくことがつらいのです。一寸先すら見えぬ暗闇の中で綱渡りをするような感覚に苛まれて、心がじわりじわりとすり減っていってしまうのです。そのようなつらさを背負って生きていくことなど、わたしには到底無理です。

 そう考え続けて早数か月。ようやくバレンタインデーとなりました。ようやく彼に想いを伝えられると考えただけで喜びと興奮が溢れて来てどうにかなってしまいそうです。初めて出会ったころからずっと抱え続けてきたこの激情を、貴方だけに捧げます。

 どうか、受け取ってください。




[…]

現状: Anomalousアイテム保管庫にて保管中。 非異常物品保管マニュアルに則り焼却処分済。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。