昔々或る山に、人間の子供を攫って食べてしまうという鬼がおりました。
人々はこの鬼を恐れ、子を奪われた者たちはとても悲しんでおりました。
鬼は千人の子を抱えておりましたが、鬼は自分の子皆のことを愛しておりました。
或る日、一番末の子の姿が見えないことに鬼は気が付きました。
鬼は血眼になって天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と六道を渡り末子を探し回りましたが、ついにはその姿を見つけることが出来ませんでした。
鬼はとても、とても悲しみました。
鬼が悲しみに暮れているとそこへ、お釈迦様がいらっしゃいました。
鬼は言いました。
「お釈迦様、お釈迦様。わたしの愛しい末の子が居なくなってしもうたのです。悲しゅうて仕方ありません。わたしの子を知りませぬか?」
お釈迦様はおっしゃいました。
「聞くところによると、お前は人の子を捕って食らうというではないか。千もの子がいるお前が一人の子を失くしてこれほどにも悲しんでいるというのに、お前に子を奪われた人々の悲しみはどれほどのものであろうか。悔い改め、三宝に帰依すれば其の子も帰ってくるであろう」
鬼は人の悲しみを理解し心から自らの行いを悔いました。
鬼はお釈迦様の言う通りにしたため末子が鬼の元へ還り、再会を喜びました。
こうして鬼はお釈迦様に人の子と母を、そして法華経を守るとの誓いを立て鬼子母神様へとなられました。
お釈迦様は「人の子を食らいたくなったならばこれを食べるとよい」と鬼子母神様へザクロの実をお渡しになりました。
そのため、鬼子母神様はザクロを手にしている姿が多く描かれてるのです。
さて、これには語られていないもう一つの物語がありました。
鬼子母神様となる鬼が、末子を探す為に餓鬼道へと降り立ったときのことでした。
餓鬼道中を駆け回る鬼の姿を見た一人の餓鬼が、鬼へと問いました。
「そなたは名の高き鬼神とみた。そうも何を探しておられるのか」
鬼は答えました。
「嗚呼餓鬼よ、天道にてわたしの愛しい末子が隠れてしまった。小さな小さなわたしの子を見なかったか」
この餓鬼は、とても頭が回る餓鬼でありました。
餓鬼は鬼の子に覚えなどありませんでしたが、これは悪趣から脱する良い機会であると、そう考えました。
前世の行いにより餓鬼道へと落ちたこの餓鬼は、六道を渡る力を持つ鬼を利用しようと思い立ちました。
餓鬼は言いました。
「人間道にて小さな鬼が現れたと聞いたことがありますな」
それは空言でした。
それでも鬼はそれを信じる他ありませんでした。
鬼は餓鬼を連れて人間道へと降り立ちました。
「あの山の麓に在る村に、小さな鬼は現れたそうだ」
餓鬼の言葉を聞いた鬼は餓鬼を置いて、一目散に村へと向かい去って行きました。
しかし、鬼の子はそこにいるはずもありません。
餓鬼は一人になりました。
残された餓鬼は、我々のいるこの人間道へと残された餓鬼は今もなお、人の姿を偽り今世に留まっているといいます。
常に襲う飢えと渇きを人間の血と肉を食らうことで満たそうとしますが、しかしその飢えと渇きは満たされることはなく、人を食らい続けているそうです。
その餓鬼は今、京の都に潜んでいるとか。
兄上から、蒼真上人から"肉の臭い"がする。
正しく言えば、"肉を食している者と同じ臭い"がする。
雨が降っていた。
湿った草の、青い臭いが鼻につく。
僕はこの町に在る唯一の寺、圓華寺へと向かった。
圓華寺――室町時代に真言宗の寺として起こり、二度の大火事による再建、日蓮宗への改宗を経てこの地へ移転した寺である。
享保9年に移転した際、圓華寺は南北に分割された。
北圓華寺は庫裡及び学問所として、南圓華寺は地域住民の信仰、祈りの場としての役割を担っている。
この町の住民は皆例外無く圓華寺の檀家である。
また圓華寺の僧侶は住職を除き、殆どが在家から転身した者達である。
多くはその家の次男以降、他家へ嫁がなかった者が僧侶となる。
住職に限っては、その役職を家系内で繋ぎ続けている。
しかしそれは住職の子ではない。
住職は代々長男に継承されているが、誰ひとり妻帯をしなかった。
次男または長女の長男が住職を継ぐのだ。
つまりは甥がその役に就くわけである。
ただ特に伝統というわけでもなく、ただその傾向があるだけとのことだ。
時には男児が生まれず、他所から養子を迎えたこともあったらしい。
三十九代目現住職、そして僕の兄上である蒼真上人は六年前にその役に就いた。
前住職の蒼巖上人が突如長逝されたため、三十四歳にして圓華寺を管掌する立場となったのだ。
圓華寺は修行期間でなくとも肉食妻帯を禁ずる卸寺である。
檀家においても、妻帯すれども肉食はせずという家がほとんどだ。
しかし、猪の肉を『牡丹』だなんて言って食している家も少なからずいた。
僕は昔から鼻が利く方である。
棚の奥に隠されたお饅頭の匂いを辿って見つけ出したことがあるくらいだ。
故に、そういった者は臭いでわかった。
脂の様なぬめついた臭いが、何処となく体臭として漂ってくるのである。
圓華寺では蒼巖上人の七回忌が行われた。
年回忌は回数を重ねるごとに参列者の招待を減らし、七回忌では故人の知人は招かず遺族及び主たる親族が参列する。
僕は、蒼巖上人の甥として参列した。
法要を終えた後、兄上に「夜は空いているか」と問われた。
どうやら夕餉の誘いであるらしい。
久方振りの、兄弟二人での会食であった。
一度家へと戻り、十九時に圓華寺の側にある料亭『逍遥遊』にて合流した。
「こうして二人で食を共にするのは何年振りかね」
「七年と四ヶ月振りだ」
兄上は記憶力に長けている。
そして僕は、鼻が利く。
「兄上、肉を食しとるというのは本当か」
兄上の瞼が僅かに閉じた。
「それをどこで」
「誰にも聞いとらんよ。僕が臭いに敏感な事、兄上ならよく分かっているだろう」
小さい頃、兄上が隠した饅頭を何度探し当てたであろうか。
「ザクロでも渡せば肉食も断つことが出来るかね」
冗談を言ったつもりだった。
しかし、兄上は箸を置いた。
「ザクロならもう、既に」
兄上は小さく呟いた。
「昔、私らが幼子であった頃、学問所で蒼巖上人が話した鬼子母神様の話を覚えておるか」
「覚えているよ。二人であんなに怖い怖いと言っていたではないか」
「では、その続きは」
「それももちろん。何度も餓鬼が枕元に現れる夢を見たさ」
兄上は水を口にした。
「締めの言葉は」
「『その餓鬼は今、京の都に潜んでいるとか』か」
間が空く。
「それは事実である」
唐突であった。
兄上は冗談こそ通ずれど、自ら口にするような人ではない。
――本当に妖怪が、存在するというのか。
「餓鬼が京の都へ降り立ったのは江戸の末期だ。遷都を予見した奴は京都へ移り住み、その衰退に紛れ人を食らった」
「何故そんなことが分かる」
「聞いたからだよ、本人から」
理解ができなかった。
「よく聞け。私には、いや、お前もお前の子供も父上も、蒼巖上人もだ。奴の血が、流れている」
「意味が——」
分からない。
「聞いたことあるであろう、子が一人生まれず養子を取ったという話を。それが奴だ」
言葉が出なかった。
いつしか箸は止まっていた。
「圓華寺は今や奴の食糧調達場でしかない。檀家から預かった遺体を、奴に引き渡している。遺族に引き渡す骨などどうとでも誤魔化せる。私も、蒼巖上人も、その前もその前も、奴が現れてからずっとそうしてきた」
「それじゃあこの町は一体」
「ただの養豚場だよ」
力が抜ける。
「私達だけではない、京都には奴の血が流れるものが数百、数千といる。この町にもだ。奴は子種を散らし、そして根を張った。餌場を増やすためにな」
息を飲む。
「そいつは今、どこに」
思い浮かぶ疑問など幾らでもあったが、口に出せたのはそれだけであった。
「言ったであろう、今も京の都に居る」
浮田抄源——それが餓鬼の名であった。
自らを現世に連れた鬼子母神様の逸話より『石榴倶楽部』と称した人肉愛好会を結成し、人肉嗜食者を招待しているそうだ。
定員十名という少数故にその構成員は目紛しく変わるが、幕末の結成以来、浮田の交代を目にした者は誰一人として居ないという。