星空の下、共に純情なる愛を。
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帰宅ラッシュをとうに過ぎた夜22時。少し大都会から外れた真冬の駅に私は佇む。誰もいない住宅街は、寒さを一段と際立たせていた。

天気予報は雨だったのに、すっかり晴れている。朝、わざわざ家まで取りに帰ったビニール傘を持ってきた意味は無さそうだった。

なぜバスも頻繫に来ないような時間帯にこんな所で棒立ちしているのか?答えは簡単、妻が何年ぶりかに駅のロータリーまで迎えに来てくれるというから、私はそのご厚意に甘えようとしている、というわけだ。正直に言って、私はとても嬉しかったと言えよう。

決して私は妻と仲が悪いというわけでもなく、疎遠というわけでもない。かと言っておしどり夫婦、というわけでもない、いたって普通の、強いて言うならお見合いでの婚約にしてはかなりうまくいっている方であると自負していた。まだ3年目ではあるが、私は良いパートナーだと思っている。

ひたすらこんなくだらない事を考えているうちに、彼女がやってきた。LINEで送られてきた到着予定の時間から2分7秒遅れているが、そんなことは気にしない。フロントガラスに映る彼女は、少し曇った窓からでもわかるほど飛び切りの笑顔だった。

2020/01/04 21:42 鉢山 御鈴





私は今日、夫を殺そうと思っている。


家庭内暴力や痴話喧嘩などといった下らないことではない。個人のエゴではなく、もっと大事な任務の為だった。

私は彼と仲良くなっていた。お見合いでした結婚なのにもかかわらず、暗殺対象であるにもかかわらず。

私は父親が自殺していたのが所以で母子家庭で育っていたし、それに加えて母も仕事で私が寝た後に家に帰ってきていた。挙句の果てには友人とひと悶着あったのが原因で、ただでさえ少ない友人が私が属するあるコミュニティに限られるという環境だった。

だから、私はターゲットだった夫を心底愛してしまっていたし、任務なんかどうでもいいと思える瞬間も多々あった。

ただ、私は知ってしまっていた。彼が今日付で退職していることを。それを私に黙っていることを。だから私は、今日、夫を殺すことにした。

車のエンジンをかける。どこにでもある、大衆車で私は夫を向かいに行く。LINEで迎えに行く旨のメッセージを送信する。

アクセルを踏む前に大きく深呼吸をしておく。大丈夫だ。人を殺したことだけなら何度でもある。もちろん財団職員も。

ナビのカレンダーには2020年1月4日と表示されている。私がカオス・インサージェンシーの司令部に連れていかれて丁度8年目だった。

2020/01/04 22:03 鉢山 広壽


車のドアを開ける。

「珍しいな。向かいにきてくれるなんて。何か理由でもあるのか?」

私は助手席に座りつつ、シートベルトを締める。ビニール傘を誰も乗る予定のない後部座席に置く。

「ええ。その、今日はすごい晴れているじゃない?流星群でも見に行くのはどうかなと思って。明日は休日だし、ちょうどしぶんぎ座流星群の極大だしさ。どう?」

妻は天体イベントに詳しかったことを思い出す。日食や月食の日には家の近くの橋で写真を撮っていたこともあったな、と少し懐かしくなる。

「それは面白そうだ。いつもは私を置いて一人で見にいってしまうのに珍しいな。丁度願い事もあるし、お供させてもらおうかな。」

「願い事?どんなことなの?」

「それは内緒だ。ただ、君にとっては少し残念なことになるかもしれないな。」

「残念なこと?まさか、降格とか?」

「そういうのではないんだ。ただ……まあ、また機会があったら言うことにするよ。」

外の景色はいつの間にか山道に差し掛かっており、街灯のない道を走っている。

「ふ~ん。悪い知らせなら早めに言いなさいね。伝えられる側にも心の準備ってのがあるから。」

「ああ。わかった。」

当分、言えそうにはなかった。

2020/01/04 22:12 鉢山 御鈴


私は昔から運転が好きな方ではあったが、こんな暗い山道を走るのは久しぶりだった。周りは木が生い茂っており、この道の先にある空き地は個人的に好きな"天体観測"……いや、死体処理現場ではあったが、まさかここに夫の死体を遺棄する日が来るとは思っていなかった。

トンネルに入って少々運転に余裕が生まれた隙に、夫の様子を窺う。

「暗いところでスマホを見てたら目が悪くなるよ。」

「ああ。済まない。同僚から連絡が入ってね。」

同僚からの退職の件についての慰めのLINEだろうか。それなら、まあほっといてあげようかなと思いつつ、車を走らせる。先程の残念なことというのも退職の件なんだと思うと、まるで自分のことのように辛くなってしまう。カオス・インサージェンシーに退職という手段はなく、基本的には任務中の死亡あるいは自爆であるから、私には味わうことのない辛さだなとも思う。

「助手席として周りを見るくらいのことはしてね。」

「ああ。分かっている。」

いや、あなたは何もわかっていないよ、と口に出そうとして、やめた。

2020/01/04 22:26 鉢山 広壽


外の景色ばかり見ていると車がバックを始めた。駐車場はないが、律儀に隅に停めようとしている。こういうところが私にとっては魅力的なんだろうなと感じつつ、携帯端末を確認する。

同僚からの連絡の通知がまたきている。何が「こっちのことは心配しないでくれ。」だ。強がりやがってと思う。

「運転ありがとう。帰りは私がしようか。」

「じゃあ、よろしく。」

息が合ったように同時に締まる音がする。彼女は目の前の何もないスペースにレジャーシートを広げ、私はトランクから双眼鏡を取り出す。

「あ!流れ星。案外すぐに見つかるもんなんだよね。」

「昔友人から聞いた話によれば、夜空の明るくないところをぼんやりした感じで見ると見つけやすいらしいな。」

「へ~!やってみよ。」

沈みかけの上弦の月が西側に輝いているが、それを除けば絶好の天体観測日和と言えただろう。私もレジャーシートに横になる。

「寒い?」

「いや。大丈夫さ。」

流れ星を見つけた。私はこのままの時間を永遠に過ごさせてあげたいと必死に祈った。私は妻の幸せを想った。

2020/01/04 22:37 鉢山 御鈴


流れ星を見つけた。私はこの時間を永遠に過ごさせて欲しいと必死に祈った。夫もそう祈ってくれていることを想った。任務遂行なんて、今の私には考えたくもなかった。

2020/01/04 23:48 鉢山 広壽


一時間ほど経っただろうか。私はいつの間にかずっと握っていた彼女の右手を離し、起き上がった。彼女の手は手汗で濡れていた。

「着込みすぎか?」

「ううん。で、またそんな冷たそうなコーヒー飲むの?こんな寒いのに。」

コンビニで買った金属製の容器に入った蓋を開ける。

「ああ。いつものことだろう。アイスのブラックコーヒーじゃないと落ち着かないんだ。」

「何年も一緒に暮らしてきたけどさ、そこだけは、相容れないよね。」

私はこのコーヒーを飲み干す。

「そうだな。結構、相性は合う方だしな。」

本当だった。実際のところ、そういうところからお見合いで彼女を選んだまである。几帳面で、繊細で、心配性で、情に厚くて。石橋を叩いて渡るタイプの彼女は、大事なところでいつも失敗する私にはお似合いだった。

「そうだね。お見合いなのに珍しいよね。」

「私の身の周りにこういう夫婦はそんなにいないな。」

本当だった。

「こういう時間がずっと続けばいいのにね。」

「ああ。」

噓だった。

2020/01/04 23:51 鉢山 御鈴


本当に、本心で、只々、この時間が続くことを願っていた。しかしながら、そういう訳にもいかなかった。

「今日はここで一晩過ごす気なのか?」

「いや。そんなことないよ。寝袋も持ってきてないし。もうそろそろ帰ろうと思ってたとこだった。」

緊張と後悔で鼓動が激しくなる。私は今から最愛の夫を殺す。今から。そう強く意識するだけで私はどうにかなってしまいそうだった。

「おい。大丈夫か?眠いなら私がシートを畳んでおこう。先に車に戻っていていいぞ。」

「ありがと。じゃあ、遠慮なく。」

私は少し物悲しい目をしていたかもしれない。夫に見せる最後の顔がこんな悲壮感のある顔であることに心底申し訳なくなる。

私は助手席のドアを開け、座り、銃の入ったキャリーバックを取り出した。しかし、そのバックには一枚の紙が貼り付いていた。こんなの、貼った覚えは  

  「愛している。今までありがとう。」?

私は起こったことに気が付き、シートを片付けているはずの夫の方を向いた。彼は、涙を流しながら笑っていた。

彼は、最初から、何もかも気が付いていたのだ。

2020/01/05 00:00 鉢山 広壽


私の愛車は妻である彼女の火葬場となっている。このようにして、私は彼女の時をこの夜空で止めることに成功した。神経質な彼女は私のダミーの退職届にものの見事に気づいて、私の退職日と設定していた本日に暗殺のタイミングもあわせてきていた。この場所もロマンチストでかつ、リアリストの彼女に見事にあっている暗殺場所だっただろう。

「上手く行ったみたいだな。車を爆発させるとは思わなかったが、すでにカバーストーリーの用意はできているぞ。」

「ありがとう。あと任務中に連絡を寄越すな。邪魔だ。」

「いくら実績があるエージェントとは言え、妻の暗殺は不安だよ。」

「前例はないかもな。」

「車は今向かわせている。2分で到着する。」

「助かる。じゃあな。」

いつ爆発するかわからない車をよそに、私は来た道を戻る。空は曇りかけていた。

異常事件記録


場所: 近畿地方全域

状態: 継続中

時刻: 2020年1月4日 1:00 —

脅威レベル判定:


事象概要: カオス・インサージェンシーの工作員であるPoI-████による奇跡論的儀式により、不自然な天候の回復が発生した。現在儀式の停止を目標に数名のエージェントが派遣されている。

2020/01/04 21:37 鉢山 広壽


「なあ。本当に鉢山1人で行くのか?」

「ああ。妻が他の人に殺される瞬間も、死体も、絶対に見たくない。」

「それは独占欲というやつか?」

「いや。よくも私を騙してくれたな、と思っているよ。」

「噓をつくなよ。……なあ。今回は、ミスしないといいな。」

「私は……」

冷たいコーヒーを飲む。仕事の前のルーティーンだ。

「なんだ?」

「私は、彼女に会ってしまったことがもうミスだと思っているよ。」

私は泣いていたかもしれない。

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