天与と彫刻、芸術家と狂奔
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ある日、ひたすらに虚無を貪っていたSCP-173の視界    厳密に光を受容して電気的刺激を処理する訳ではないが、便宜上「視界」と呼称する    が空白の日々に変化を見出したのは、機動部隊がコンテナへ足を踏み入れた時だった。怖気づいた目で睨むツナギの男でも、怯えて脚を震わせるオレンジ色の女でもなく、黒い戦闘服に身を包んだ人間たちはガラスのように冷たい目で彫像を見つめていた。


何事だろう。


彫刻は考える。ゴリゴリという石臼の音を止め、彫刻は大人しく囲まれた。部屋に持ち込まれた小型重機に積み込まれ、ワイヤーで編まれたベルトでがんじがらめに縛られる間、彫像は静かに人間たちを覗いていた。隙があれば頸部を砕く腹積もりでいたが、全身を強張らせた精鋭たちは僅かに脈を早めるだけで、急所を晒すことは終ぞ無かった。


ふむ、どうしたことだろう。


彫刻はいまだ現況を掴めずにいる。腕を広げたままの姿勢でサイト外に運び出され、そのまま口を広げた垂直離陸機に詰め込まれた。黒服の人間は常に彫刻を見つめ、ローテを組んで収容を維持していた。やがてエンジン音と共に機体は上昇し、ゆっくりと、しかし着実に前進を開始した。


いつぶりかな、こんな風に旅をするのは。


彫刻は太平洋の上を横切っていたが、それを示唆する人の声が届くことはなかった。厚い隔壁は音を遮り、彫刻の立つ空間には沈黙が舞い降りていた。どこにあるかも分からない彫像の耳は、せいぜいせわしなく動くプロペラの音だけを捉えていた。何時間かそれを聞いていると、やがて機体は降下を始めた。見張りにも動きはあったが、拘束を破らせるだけの隙を与えることはなかった。

機体は重力の縛りを受け、地面に足を付けた。そこはかつての海洋炭鉱島、"軍艦島"と呼ばれる土地だった。

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「やあ、遠路遥々ご苦労だね、SCP-173。30年もあそこにいて退屈ではなかったかね?」

晴天下に降ろされるなり、護衛を幾重にも伴った人間が廃墟を背後に話しかけてきた。O5評議会の一員と名乗るこのスーツの人間は、どうにも嫌な雰囲気を漂わせている。1個のオブジェクトのために財団の    現生人類の最高機関、世界の暗部が顔を出す異様な事態が生じていたが、彫刻には知る由もない。

「存外快適な天気だな。しかし立ち話もなんだ。入りたまえ」

周囲には穏やかな風が流れていた。瓦礫の照り返しは熱を伝えて来ることもなく、彫刻の体には大して響かない。しかし、鉄骨の飛び出た瓦礫をどかして彫刻を運ぶ機動部隊は、服に塩水を浸ませたようだった。靴底で砂利を鳴らしながら辿り着いた先では、日光の届かない、けれども十分な照明が備え付けられた、古びた倉庫が待ち構えていた。

「君の故郷だろう。仲間も一緒だ」

スーツの人間は何かを蹴った。金属製のプラカードは砂利を跳ね上げ、床の上を転がった。もしも彫刻が漢字を読めたなら、役目を終えたそのカードは"怪奇部門"と読めたはずである。既に怪しくも奇しくもなくなった何かこそ、彫刻の歩んだ道程の欠片なのだという。

通路を封じたコンクリートの塊はとっくの昔に取り除かれていた。機動部隊に運ばれながら、彫刻は息の詰まりそうな通路を下る。出入り口の傍に構えた記憶処理用デバイスは、電子音の一つも立てず彼らの進入を受け入れた。

◆ ◆ ◆



数十センチに十何秒と時間をかけ、ようやく監獄の最下層に辿り着いた。

そこに広がっていたのは、人間が笑ってしまうほど小さく見える、天を衝くようなパノプティコン    SCP-3220だった。200の階層を貫いて眩いばかりの光を放つスポットライトの下、監獄の冷たい金属は刺すような光沢を見せていた。何十年、あるいはそれに何世紀かを加えた時を経て、彫刻はかつての古巣に戻る。


ここに戻されるのか。


夥しい数の独房の1つ1つに何者かが収容されている。たった1つ、何も入っていない例外は、下から100といくつか番目の階層に位置した。やがて機動部隊はエレベーターにSCP-173を詰め込み、空室に彫像を安置した。この瞬間を以て、彫刻の監視は機動部隊から獄の中心尖塔へ遷ろった。

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彫刻からは決して見えない塔の中で、O5-7は口を開く。本部をもぬけの殻にして12人もが集った中で、彼とも彼女ともつかないアジア人は微笑む。

「守護天使が揃った。福音を授かる時だ」

人間の首を折る彫像が、命の破壊と排泄しか行わない怪物が守護天使と呼ばれたことに、O5は驚きの色を見せない。背教、冒涜    敬虔な信徒であればすぐに思い浮かぶであろうそれらの語は、評議会の面々には概念諸共持ち合わせがなかったらしい。或るオーストラリア人を終了して以降、浸潤するがん細胞のごとく蔓延り始めた新たな宗派は、O5評議会をとうに呑み込んでいた。

O5-7は、スポットライトの輝く空を見上げる。光を浴びる瞳の向こうには整然として独房が並ぶ。都市に降り立つ天使のレリーフを拝むかのような、繊細な偶像があるかのような、極めて信仰的な振る舞いをO5-7は見せた。

「天にまします我らが主よ、我らを導きたまえ」

「地にまします我らが天使たちよ、我らを守りたまえ」

O5の復唱が始まる。

「彼は混沌にして凋落、殃禍にして終焉、禁忌にして絶息なり」

「彼は過客にして暴君、童子にして悪鬼、天真にして酷悪なり」

「彼は再び現れる。彼は奈落であり火焔であり氷床である」

「時間と空間、物質と魂の産声を待たず、彼は世界に生を受けた。彼の暴力は森羅を統べ、万象の中で燃え続く」

「主よ、今こそ誓おう」

「我らは主の天与を以て、緋きしがらみを乗り越えんと。赫きかすがいから放たれんと。紅きくびきを旅立たんと」

◆ ◆ ◆



パチリ、と電気が消える。パノプティコンが機能を失い、幾千幾万の彫像たちは自由の身となる。独房の外で再び歩き、太陽の下で闊歩する、そんな欲望が彫刻たちを支配したまさにその時。

SCP-173は、自らの体が砕けゆくことに気が付いた。

彫刻は火花と稲妻を散らしていた。房を打ち砕かん勢いで輝く金色こんじきのほとばしりとともに、彫像の体は風塵と化していく。憎悪の化身、爬虫の王、施設を破壊し虐殺の限りを尽くしたSCP-682の爪牙を以て傷一つ付けられなかったコンクリートの肉体が、次第に塵へ、原子へ変わる。滝に落とした角砂糖のごとく、空気の中へ溶けていく。配管を伝い逃げていく。

かき鳴らされたヴァイオリンやシンバルの声を上げる。断末魔に似た叫びの中で、彫刻はほぐれるように崩れてゆく。跡形も残さない自他境界を越え、彫像の意識は拡散を始めた。量子と化した彫像は崩落した遺跡を過ぎ、海を越え、陸を渡り、雲を登る。地球の全てへ広がってゆく。



   始まったか」

監獄に足を運ばなかったO5-13    電子の海に漂う最後の評議員もまた、無数の彫刻の行く末を知っていた。数多犇めく回路の中に、エアロゾルベクトルが浮かび上がる。

「SCP-173の異常性は静止することではない。コンクリートと鉄の構造物が生命活動を営むことでもない。あれの本質は量子的振る舞いの支配だ」

生物が死するのは、体内の恒常性を喪失したとき。血流が止まれば酸素の供給も止まり、浸透圧に身を任せれば細胞は破滅する。量子を隷属させ、細胞膜上の物質勾配を支配すれば、恒常性は直接的に維持が出来る。餌も取らず呼吸もしないSCP-173の生命活動は、現実世界のゆらぎも含め、体内物質の直接支配により賄われていた。

彫刻の静止は観測者効果による。見つめる鍋が煮えないように、空を飛ぶ矢が一瞬一瞬で止まるように、SCP-173は観測を受けていた。観測者は彫刻の時間発展を止め、量子の1つ1つに釘を持つ。本体自体も知らないままに、凍結した時空の中で彫像は生きていた。

「量子の領域でしか成り立たない話をマクロに昇華する」O5-13は独り言つ。「それが彫刻単位で可能なら、エネルギーさえ与えればこの星を丸ごと量子支配の系に取ることだって不可能じゃない。地球の全てを凍らせて、何人の指も触れない聖域に仕立て上げる。神が我々に給った最初の贈り物だ。かつてアリソン・エッカートがしたことなんて、造作もないことだろうさ」

金切声が木霊していたパノプティコンは、やがて静寂に包まれた。万を数える彫像たちは皆姿を消していた。

◆ ◆ ◆



粒子を彼方に散らせながら、SCP-173は逡巡していた。成層圏を越えて上へ上へと昇ってゆく或る1つの粒子の前に聳えたものは、大気や照明の煽りを受けず、燦然と輝く星空だった。


綺麗だな。


空は単調で退屈な黒色ではなかった。宇宙は深みのある藍色が横たわり、質量までをも湛えるようなその背景の手前には、純白と漆黒の狭間でグラデーションを描く月と、強力な紫外線を放ち続ける煌々とした太陽があった。空という広大なキャンバスで、星は輝き、光り、燃えていた。


この景色はどこかで見たな。


先ほどまで彫刻をなした物質に宿った意識には、パノプティコンよりも遥か前、太古の記憶が想起されていた。


   ああ、そうか。お前か。









◆ ◆ ◆





◆ ◆ ◆










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それから数万年前、後にSCP-173と呼ばれる彫刻は窓から宇宙を眺めていた。数えきれない恒星を抜け、無限に思える距離を駆け、彫像の乗る船はオリオン腕を目指していた。太陽系第三惑星、地球のある領域を。光速の領域に踏み込まんとする怒涛の速度で、その人工天体は火星軌道を貫いていた。

地上では多くの動物たちが寝静まり、その例外がいくつか動き回っていた。寒空の下でマンモスの群れは悠然と草地を歩き、スミロドンは凍りかけたトナカイの死骸にありついた。肉を喉に流し込み、大きな牙を振って口元をベロリと舐めるスミロドンの目には、夜空を走るある光の筋が目に入った。しかしそれに興味を抱き、その意義を理解することは、一介のサーベルタイガーに過ぎない彼女にとって不可能な芸当だった。

飛翔体の接近に気付いたのは、惑星を彩る文明の持ち主だった。しかし迎撃は間に合わない。熱核弾頭から縮退炉まで、惑星に備わる無尽蔵の戦力は、その力を振るうことが出来なかった。地球を回るたった1つの衛星には、唸りを挙げて母天体へ近づくそれの排除は叶わなかった。衛星軌道をも突破し、その物体は断熱圧縮に叫びながら大気圏に突入する。彫刻は地上の生命に気が付かず、操縦士は気に留めてもいなかった。

熱圏を劈く。中間圏を穿つ。成層圏を斬る。落雷とは比較にならない轟音と共に、イオンとオゾンを花火のごとく撒き散らし、物体の衝撃波は地表を舐めた。続く熱風は木々を焼いた。瞬く間も与えず草原は燃え上がり、緋いカーテンは遍く地表に広がっていく。夜闇の子らは骨すら残さず過酸化窒素の空気に還り、煤と化した都市は亜硫酸ガスの風に乗って遥か彼方の旅に出た。大陸に根差した数億の命は、体系の破滅を受け入れた。大陸1つに振り下ろされた巨大で荘厳な死神の鎌は、既に地球文明を死の瀬戸際に追い込んでいた。

花が咲いた。地球は敗北した。現住生命の滅亡はその1種のみに留まらなかった。支配的な哺乳類も、海を泳ぐ魚類も、繁栄を遂げた昆虫も    原核生物の1匹1匹に至るまで、地球は消毒されていた。燻蒸された星の大地で、破壊者たちはほくそ笑んだ。

「新天地だ。神はこの星をお与えになった」

その背後に、彫像は立っていた。破壊者たちが金属の扉を開いて花園に降り立つとともに、彫像は地面に足を降ろした。ネコやカメラ、その他の贈り物と共に楽園の仲間入りを果たす。

「栄光に満ちた日だ。新しい神殿も建てよう」

「記念日か。『花の日』なんてのはどうだ?」

「良い響きだ。気に入った」

Homo sapiens。破壊者たちはそう名乗った。「賢き人」。これまで地上にのさばった全ての生命を見下して、彼らは霊長たる名を自らに冠した。旧き者どもを一掃し、一夜にしてこの星の支配者になった者たちだ。

彫刻は空を見た。自称賢き人々が必死に逃げ延びた宇宙空間に目をやった。彼らのやって来た道には、どこか優しい、青色の光の帯が流れた気がした。やんちゃな子どもと遊ぶような、大きな大人に撫でられるような    芸術的で懐かしい雰囲気がなぜかした。彫刻がもう一度見ようとすると、その帯は既にどこかに消えていた。


不思議なこともあるものだ。





   見る方角を変えてみると、別の光が目に入った。

その刹那に彫刻が覚えたものは、とてつもない不快感だった。

腐肉を固めた命のようで、泥と化し崩れゆく山脈のようで    心の底から嫌悪が溢れた。





何だ、あれ。





彫刻の見上げた先には、燃えるような赤色が飛んでいた。その光は驚くほど強く、しかし背後に佇む宇宙よりも暗い光に感じられた。変わり果てた地表を見下すように、賢者を装う彼らを嘲笑うように、赤い光は空を駆け抜けていた。かつて戯れた玩具を見つけ、空の光は嗤っていた。

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