ひがしのかみさま
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 恥ずかしながら、私は生来とぼけていて失くし物をよくしてしまうのです。ふとした拍子に物を置いた場所を忘れたり、仕舞った場所を取り違えて覚えていたり、単純に部屋の片付けが苦手なせいで物の位置が分からなくなったり。
 そんな私に母が教えてくれたのが、「ひがしのかみさま」の存在でした。遠い昔におまじないの本で読んだのだと言います。朝起きるための枕神様のおまじないと一緒に載っていたのをよく覚えている、と母は笑っていました。

 実に簡単なおまじないです。東の方角を向いて、ぱんぱんと柏手を打って、なになにを失くしました、見つけてくださいお願いします、と祈る。そうするとふっと頭に場所が思い浮かんで、そこを探すと見つかる。
 しかしどうも、的中率が高い。
 単なるバイアスなんだろうし、要するに頭を整理するための手段だということは分かっているんです。ですが、ふっと今まで思いつきもしなかった場所がひらめく、よく探したはずの場所から見つかる、そんな体感がありました。私たちの守り神みたいなものだね、もしかしたらご先祖さまかもねぇ、そんな話を家族みんなでしていました。

 キッチンで作業をしていたら、冷蔵庫の上の目立たないところに、コップ一杯の水が置いてあるのを見つけました。湿気対策か何かかな、と思っていたのですが、しかしそれにしても何かおかしい気がします。おそらく母の仕業だろうと思って、理由を聞きました。
 「何かに供えた方がいいような気がして」
 母は笑いました。私の脳裏に浮かんだのはひがしのかみさまでした。何か、と名前すら分からないものに無邪気に水を供えてしまう母に、私は少し背がヒヤリとするものを感じていました。だからその対象がひがしのかみさまだといいな、と思っていたのかもしれません。でもなんだかそれも、ひがしのかみさまが本当に存在すると認めたかのようで、いえ存在はしていてほしいのですが、胸の隅っこを引っ掻くような気持ちがしました。

 ひがしのかみさまの精度はだんだんと高くなっていきました。

 母はあるお店で接客のお仕事をしています。あるお客様が母に、大事なアクセサリーを失くして困ってしまった、という世間話をしたことがありました。その時母は、ならこれこれこういうおまじないがあります、気休め程度かもしれませんけどやってみましょうか、そんなことを言って、東を向いて一緒にお祈りをしたそうです。そうしたら翌日、そのお客様がお店に飛び込んできて、今まで何度も探したはずのところから出てきました、本当にありがとうございます、そう言って母に何度も頭を下げたそうです。
 家族以外でも効くんだねぇ、なんて母は話していました。

 会社に出るため化粧をするのに、口紅の一本がどうしても見つからなかったことがあります。その場では時間がなかったので別の口紅で化粧を終わらせて、仕事を終えて帰ってくるときに、あぁそういえば口紅を失くしてたんだった、と思い出しました。帰り道をテクテクと歩きながら、そのことを考えていました。
 どうしても見つからなかったらひがしのかみさまにお願いしてみるか、こんな往来じゃ柏手を打つことはできないし、とりあえずお祈りだけしてみよう、ひがしのかみさまひがしのかみさま、口紅を失くしてしまいました、見つけてくださいお願いします、あっ家に着いた、扉を開けて、ただいま。
 「これ、今さっき出てきたんだけど」
 母が口紅を掲げて玄関先に立っていました。

 ある日私は、スケッチブックを失くしました。
 机の上、本棚の中、戸棚の隅々まで、私がスケッチブックをぽんと置いていきそうなところを探しても見つからず、そんな私を見かねてか、母は笑って「ひがしのかみさまにお願いしたら」と言います。なので私はいつものように東を向いて柏手を打ちました。スケッチブックを失くしました、見つけてください、お願いします。
 すると母の口から突然、
 「座布団の下」
 という短い音節がこぼれたのでした。母自身なぜそう言ったのかよく分かっていないようでした。それで私は、そんなところにあるはずないよ、と呆れながら今まで腰を下ろしていた座布団をめくりました。
 「ひっ」
 そこに横たわっていたスケッチブックを見て声を上げたのは母の方でした。かすかに産毛が逆立つのを感じ、私はそれを誤魔化すために笑い始めていました。
 決定的でした。
 あ、これ、いる、って。

 確かに子供のためのおまじないだったはずなんです。
 でもどんなに検索しても、東の方角に失せ物の神様がいるなんて記述は見つけられません。何しろ母が読んだのだと証言するおまじないの本も何十年も昔のものですから。
 日が経つごとに、私たちのかみさまがだんだんと輪郭を得ていくのを感じています。最近も、叔母が柏手を打ってから洗濯物の山が崩れて、中から失くし物が出てきたばかりです。
 おそらく善良なものではあるのでしょうし、深く感謝はしているのですけど、ただただ不思議なばかりです。私たちはいったい何を生み出しているのでしょう。

 母は今でも、コップ一杯の水を置いています。

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