光源の里のシャドウ
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    西暦2017年 冬

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     谷崎翔一はヴィクトリア朝風の座椅子に深く腰掛け、何やら分厚いハードカバーの本を読んでいる。題して『霊的実体の種類と対策』だ。財団がフィールド・エージェント向けに出版した本であり、1998年にポーランドが更地になってからというものの、陰に潜む魑魅魍魎どもが白日の下を大手を振って歩くようになってしまったので、この類の本の需要は官民ともに需要が高まっているのである。

     エリア-81JHが存在する紀祀山のふもとの一軒家の安穏とした空気は階下からの何かの折れる音で断たれてしまった。谷崎の相棒である応神薙だ。ラグマットが階段に敷かれているにもかかわらず、彼は行進のような足音を響かせて谷崎翔一の目の前に現れた。玄関へと続く廊下の横に、階下へ向かう階段がある。応神薙の部屋はもともと物置として使われていたが、今は箪笥やベッドといった家具に加えサンドバッグや案山子などで混迷を極めている。

    「新しいAR訓練の調子は?JHの開発班がまた暇して作って、自らアルファテストに志願して、朝の四時から案山子相手に大立ち回りを決めていたと。キミはアホか?」

    「すっ飛ばすぞ まあ、すごくいい感じだ。おれのサングラスにうまいこと映像が投射されてな、木刀で敵兵士をバッタバッタと。気持ちよかったぜ。背景の時代も選べてな、ペロポネソス戦争からノルマンディーまで幅広いんだ。アンタもどうよ?」

    「いや……今度にしておこう。ミートパイを焼いといたから、適当に食ってくれたまえ」

     谷崎は本を閉じ、冷蔵庫からモンスター・エナジーを取り出して一息にあおった。その間にミートパイは薙の腹の中へと消えてしまう。塩気のきついパイは運動した後の体によく効くことだろう。

     年が明けてからはや一か月が経とうとしている。冬の雲は山を完全に覆ってしまい、背筋を凍らせるような恐ろしいほど冷たい雨を降らせていた。階下のシャワーの音を谷崎の優秀な耳が拾う。彼は着ていたガウンを壁にかけ、普段着である兎の耳付きパーカーを羽織る。こういう日には、きまって依頼人が戸を叩くのだ。インターホンの音が谷崎の思索を中断させる。

    「あの……インターネットで……」

     若い男の声だ。息も荒い。谷崎は一言どうぞと言い、オートロックの扉を開け、客人を迎え入れた。どこか怯えた様相の彼は20代半ばの青年で、仕立てたブラウンのスーツにカーキ色のコートを羽織っている。傘は持っていないようで、髪の毛やコートが雨に濡れていた。谷崎翔一は、とことん暇を嫌う体質だった。だから、特別に任務のないときは市井の相談を受けるなど、私立探偵のようなことをしていた。

    「さぞかし寒かったことでしょう。その椅子に掛けてくださいな。中国のいい茶を仕入れましてね……落ち着いてから、お話ししましょうか」

    「あー、おれにはカフェ 

     谷崎が電気ケトルから茶器にお湯を入れたのと同時に薙はシャワーを浴び終わり、タオルを腰に一枚巻いた状態で、階段口に現れた。依頼人と谷崎の様子を少し見比べ、顔に少しばつの悪そうな表情を浮かべる。

    「着替えたほうがいい?」

    「急いでくれ」

    「失礼した」

     薙は依頼人に向け少し頭を下げ、階下へと消えていった。


     薙が黒いシャツとズボンに身を包み、谷崎の向かいの黒い革が張られたソファに座ったところで、依頼人は茶を飲み終わり、血の気がわずかに戻った唇を開いた。

    「私は村山太郎と申します。最近、身の回りでどうも奇妙なことが起きるようになったんです」

    「最近、婚約しましたね」
     谷崎が左指に嵌まった指輪を見ながら言う。村山は婚約者の兄に嫌われているのですよと、ばつが悪そうに答えた。

     谷崎が小さく喉を鳴らし、話を促す。ここに来る人間の大半は不思議な悩みを抱えているのだ。村山の口が一文字に結ばれる。彼は、やはりひどく怯えている様子だ。

     谷崎の手は顔の前で合わさり、身体は僅かに前のめりになっている。長いまつげのハシバミ色の目が村山をじっと見つめる。固く閉ざされて、僅かに震えている村山の口がゆっくりと開かれる。

    「つい、ふた月ほど前に私の祖父……血はつながっておりませんが、とにかく彼が昏睡状態になったんです。もう八十を超えてますからお迎えかと思ったんですけど、違いました。まったくもって、違いました。まるで赤ん坊のように丸まって、鬼のような恐ろしい形相で寝てるのですよ。今は、病院で手当てされていますがね。そして先月に私の大叔父が、ついおとといにその兄が同じようになってしまったんです。次は、たぶん私の養父でしょうか」

     立て板に水を流すように話していたが、その声からは恐怖の音が漏れている。谷崎はもう一杯彼に茶をすすめた。

    「それで、あなたは山梨から遠路はるばるやってきたと」

     背もたれに寄りかかっている谷崎が一回ため息をついて自分用の茶を飲みほした。

    「どうして山梨から来たと分かったんですか?」

    「説明させてくれ、おれも分かった。カバンのゆるキャラのストラップと、コートのポケットから見える特急券だな」

    「薙くん、すばらしい。その通りだよ」

    「しかし翔一よ、アンタ今大きいの抱えてたよな、確か高校の友達に依頼されたとかなんとか」

    「そう、だからぼくはこの場所を離れるわけにいきません。代わりに 

     残念そうに頷いた谷崎は音もなく薙の後ろに回り込み、その引き締まった肩に手を置いた。

    「彼が行ってくれるでしょう。ぼくに及ばずとも、優秀な観察眼を持っています。間違いなく答えを出してくれますよ」


     村山はすでに退出し、すでに下に降りてしまっている。谷崎は何かを思い出したように部屋の隅から蒐集院のマークが刻まれた手甲を取り出し、薙に放り投げた。薙の先祖が使用していたものであり、手首の動きに合わせて刃や斧や盾やらが飛び出る代物だ。ここまで機能をつけると重くなると思われるが、財団の技術は伊達ではない。すべてが然るべきバランスに調整され、全身に均等に重さをかける仕組みが組み込まれている。

    「暗器は使わん」

    「それだけじゃなくて院の呪術をJHの開発班に改良してもらった五つの『印』が刻まれている。効果はあとで知らせるから、持っておいてくれ。何か妙な感じがする。あとこれも」

     悪臭のする液体が詰められた小瓶だ。薙はそれが霊体によく効くオイルであると知っていた。

    「ぼくのロードスターを使ってくれ。山梨は晴れてるから村山氏は傘を持ってなかったんだ。天気予報も見ずに、相当慌ててたのだろう。あと、赤ん坊に気を付けてくれ」

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      「98年から、奇妙なことが増えたじゃあないですか」

       高速道路で暫く車を転がしていると雨はいつの間にかに止み、サービスエリアでの休憩のついでにロードスターの屋根を開け、またしばらく転がしていると村山太郎が閉じていた口を開いた。谷崎のロードスターは要所に改造が施されており、乗り心地を損なわずに良りスムーズな人馬一体を体感させてくれる。

      「ポーランドで起きた、あの悪夢のような事件から、霊の類が増え始めたんですよね」

      「ああ、そうだな」

       アクセルを踏み込む。子犬の唸り声のようなエンジン音が響き渡り、がらんどうの高速道路が後ろに流れてゆく。応神薙は左手の手甲の感触にすでに慣れていた。ハンドルさばきにミスはない。

      「ところでその手甲のマーク、もしかして 

      「あー、寝てろ!」

       六芒星めいたマークに気を取られている隙に左人差し指と中指で村山の額を小突き、『幻印』で眠らせる。免許を最近取ったばかりである応神薙にとっては、運転はまだ集中のいる作業だった。谷崎曰くおかしな夢を見るそうだが、何も精神に影響はないとのことだ。気持ち良さそうに眠る村山を横目に、ダウンフォースを効かせたロードスターは前へ前へと進む。数時間の経過とともに一般道、そして山道を通り抜け、山々に囲まれた山梨の閑静な温泉街、早川町へと辿り着いたのであった。山々が雲の侵入を阻み、空は薄気味悪いほどに晴れ渡っている。サングラスに投射された谷崎からのメッセージには宿泊場所の指示が書かれていた。これは任務扱いになるから、かかった代金は経費で落ちるともあった。

      「ヘルシー美里、か。『ヘルシー』な料理は好かんのだがなあ」

      「きっと驚くと思いますよ」

       町を見渡せる高台に廃校舎を再利用した小ぢんまりとした旅館が鎮座している。ひとまず村山を彼の家 地主であるので屋敷であると言ったほうが妥当か に送り届け、その流れで応神薙はチェックインを済ませ、かつて校庭であった場所に火の見櫓を認めると、それに手をかけ足をかけ上り、街を一望してその地形を頭に叩き込んだ。そして聖人のように手を広げ、なぜか積まれている藁山に向かって飛び込む。黒いロングコートがはためく様は、まるで烏であった。


      「三泊、それまでにどうにかしろってことかい」

       コートを部屋のタンスに収納し、谷崎からの二通目のメールを読む。そしてベレッタの要所要所に例のオイルをさし、大叔父より受け継いだ長短二振りの刀である〈風切〉と〈雨覆〉にも錆止めを兼ねてオイルを塗るなどして時間を過ごしていると、あらかじめ告げられていた食事の時間となった。

       シンプルな内装の食堂には彼以外の人はおらず、実質的な貸し切り状態であると伺える。ほどなくして眼前に運ばれた食事は、地産地消を体現したものであった。

      「いただきます」

       まず薄く切られたこんにゃくをからしにつけ、口に運ぶ。まず最初に感じるのは甘み、それに次いで鼻を抜けるようなつんとした辛味。こんにゃくの弾力ある食感がなんとも楽しい。きのこをふんだんに使用したお吸い物を啜ると、ありとあらゆる出汁が舌の上で神秘的菌類の小宇宙を形成する。えのきの一本一本をかみしめ、なめこが食道へと滑り落ち、最後に乾燥シイタケを丸ごと口に入れたとたん、超新星爆発のごとき出汁が神の嵐となって口内を暴れまわる。応神薙は、思わず目を見開いてしまった。

      「すまん、日本酒を頼めるか」

      「承知しました」

       徳利が運ばれるまでの僅かな間に、彼はエビフライと唐揚げ、そして白米一杯を消費し、新たに茶碗に山のように米を盛っていた。箸で焼き魚を切り取り、口に運ぶ。川魚なので潮の香りこそしないものの、その分果物のような香りと得も言われぬうまみは強く、パリパリとした皮とほろほろ崩れる身の対比には枯山水めいた禅すら感じられた。日本酒を呷ると、遠く流れる清流のように清廉な味わいが喉を打つ。ああ、うまい。ほっと彼の口からため息が漏れた。

       飯を食えば次いで風呂に入るのは世の道理である。寒風が吹く木張りの道を通り抜け、引き戸を開けると温い空気がもはや凍り付きそうな鼻を緩やかに溶かせる。脱いだシャツをかごに入れ、いよいよ浴場に入ると、僅かな硫黄の匂いとヒノキの香りが彼の鼻をくすぐった。体を洗い、風呂に入る。

      「これは……霊泉だな」

       応神の血脈には無論呪術師もいた。薙にもその心得はあり、ならば蒐集院の呪術をモダナイズした『印』を瞬く間に習得したのは必然と言えよう。龍脈の影響を強く受けた温泉が応神薙の良く訓練された肉体と呪術回路に共鳴し、彼の左手から放たれる印はより高い効果を持つことになるだろう。ハリのある肌に汗が浮かび始めた時、彼は風呂に一礼をしてから着替え、そのまま部屋に戻り、深い眠りにつくのであった。


       大都会のどんな裏路地よりも田舎のほうが何倍も恐ろしい。人の少なさゆえに繋がりが濃く、村八分された日には恐ろしいことが起こる。信仰も統一されており、その分物の怪の類の力も強大である。だから、恐ろしいのだ。

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         応神薙はその超人的なまでに強靭な肺に早朝の冷たい空気をいっぱい吸い込む。彼の心臓は早鐘の様に鳴り、彼のギリシャ彫刻めいて鍛え上げられた肉体の隅々にわたってまで酸素を送り届ける。時刻はちょうど四時。彼は、いつもこの時間になると自動的に目が覚めるのだ。わずかながらに違和感がある。

         旅館の裏手に上半身裸の彼はいた。長短の真剣二振りを腰に差し、立っていた。カラスのように黒い目は閉じられ、彼のまだ幼さすら残っている唇、後ろにまとめられた黒い髪、きめ細やかな肌、そして美しいまつげを黒い風がなでる。瞬間、彼の両眼はカッと見開かれた!

        「……!」

         神速の抜刀。斜め下からの斬撃は弾きにくい。たいていの人間はこれを食らったら死ぬ。しかし応神の剣術は化け物をも殺せる仕様だ。すぐさま残っている左手で短いほうの雨覆を抜く。裂音。風切のほうのリーチが長けれど、雨覆にかけられている術のほうが何倍もこまやかだ。何もしなくても、霊体を切り裂くことができる。一瞬、応神薙の体と二振りの刀に曼荼羅めいた模様が走る。彼の口元を見よ。自らの筋力と敏捷を高める呪を唱えている。彼の伝説的な先祖の力を借りているのだ。

         その後も彼は何度も何度も見えぬ敵を剣で打ち据え、切り捨て、蹴り、殴り続けた。空が白み始めたころ、彼はもう一度温泉で汗を流し、部屋で歯を磨いてプロテインを飲んだ。


         九時は良い時間である。良い具合に空気が温まりつつも、午後特有の「ぼやけ」がなく、依然として朝の凛冽な雰囲気を残しているからだ。応神薙はひとまず、村山の屋敷に向かう。太郎の父の話を聞かねば何も進まないだろう。

         むろん応神の屋敷からは数段劣るものの、裏に広い広場のある立派な屋敷が町の端に鎮座していた。インターホンを押すと太郎氏が応神をにこやかに迎え入れる。何枚か若い女性の写真が飾ってある廊下を通り抜ける。居間には気の難しそうな初老の男性が、煙草をくわえて座っていた。彼が太郎氏の養父だろう。

        「あんたが太郎の言ってた」

        「そうですな」

         男の声は幽鬼のそれのようにしわがれていた。目の下には黒い隈ができ、ここ数日うまく眠れていない様子である。体もやせ細っており、応神薙は彼の肉体に明らかな病の兆候を見つけた。がんの類だろうか。

        「俺は村山正幸だ」

        「応神薙だ」

         この手合いは面倒だ。ともかく応神薙は座布団に腰掛け、いつの間にかに机に置いてある茶を一口飲んだ。

        「最近は、呪いのかけ方がインターネットとかいうんで見られるんだな」

        「そうですな」

         ここまで来て、腹の探り合いはやりたくない。薙の声にいら立ちが混ざる。しかしながらわずかに香るお香の匂いで落ち着きを取り戻す。

        「それなら、田島の仕業だってみんな言ってる」

        「婚約相手です」

         太郎が説明を付け加える。薙は一瞬だけ納得した。妹を大事にするならば、動機は十分であると。しかし、違う。それにしては呪いが強すぎる。この呪いは、どちらかというと魂吸いに近い。何かが、この家だけに恨みを持つ者がこの家だけを狙って呪いをかけた。

        「考えにくいな、呪いが強すぎるし、魂吸いなんて個人に出来るもんじゃない……何も言うなよ、素人はお静かに」

         『幻印』で昂ろうとしていた正幸氏の精神を鎮める。何かを思い出した応神薙は、コートの内側から短いほうの刀 雨覆を抜き、空気をかき混ぜるような動きをする。ぎょっとした太郎氏が何かを言いかけるが、彼もまた何かを思い出したらしく言葉を引っ込める。

        「龍脈がおかしいが、これが原因とはいえんな。おい、正幸さん。あんたの嫁さんか、この写真たちは」

        「ああ、そうだとも。はっきりモノを言う女だ。かなり前に亡くなってしまってな」

        「ご愁傷様。98年より前?後?」

         多少ぶっきらぼうな物言いをしてしまっても、幻印が効いている限りはうれしいことに感情的な反応が抑制されるのだ。

        「99年だ……死産でね」

         ふむ、と薙は少し考える。気味の悪い龍脈の流れでどうも落ち着かない。致命的な違和感の塊を飲み込まねばならない。決して小さくない違和感だ。彼の勘が告げている。「答」はすでに告げられている気さえしてしまう。薙は頭を数回振り、正幸氏にひとこと礼を述べてから村上の屋敷より退出した。

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           この地の龍脈はかなり強い。温泉の中では比較的に整っていたものが流れていたが、やはりどこかちぐはぐな感じがする。近くに社があることは旅館の人間から聞いていた。応神薙は、ひとまずそこへ足を向けた。

           山の中を歩いていると、どこか漠然とした不安を感じることがある。それは自然への畏怖はさることながら、龍脈がそれをさらに書き立てるのだ。方向失調にも近い感覚だが、応神薙はそれをどうにか押し込め、ひたすら山を登って行った。吐息が漏れる。額に汗が浮かぶ。龍脈の違和感は、いよいよ先ほどに増して強くなっている。

           社は寂れ切ってしまっていた。かつてはきれいな朱色の輝きだったろう鳥居の塗装は完全にはがれ、ヒビすら入っていた。その上に屋根には草がこれでもかというほど生い茂り、ここに力もご神体も存在しないことを告げていた。

          「こりゃ、だめだ」

           本来ならば社の類は龍脈を整える節のような役割を果たしている。しかしながらこの茶けた廃墟からは、何も感じられなかった。アステカで主神級の存在と、そして中国では美髯公関羽との交信が確認された。神秘がだんだん溶け込んでいるのに、此処からはそのような気配すら感じられない。まったくの、無だった。


           龍脈の乱れの原因は意外なものだった。この地には、二つの大陸プレートの衝突線であるフォッサマグナが走っていた。北米プレートとユーラシアプレートの龍脈が、混ざり合っているのだ。だから東京でいつも感じるそれとは違ったのだ。失意の中、応神薙は旅館に戻った。

           美味なる晩御飯と温泉と鍛錬を済ませ、応神薙はベッドにもぐりこむ。実りのない一日だった。ついでに、期限も迫ってきてしまっている。これだけはやりたくなかったが、とぼやき、彼はベッドの中でスマホを叩く。

          to 谷崎翔一
          from 応神薙
          title わからん
          とりあえず太郎さんの養父と龍脈は調べた。どうせあんたの中では結論が出てるだろうから聞く。

          to 応神薙
          from 谷崎翔一
          title ごーとぅ郷土資料館
          結構有用な情報があるかも。

          「あー、もう」

           いつもこうだ。彼は結論を先延ばしにして、ぎりぎりまで告げない癖がある。スマホを部屋の電灯のスイッチに向けて放った応神薙は、そのまま眠りについた。


           朝の九時、大体の者が動き出す時間だ。一晩の熟睡を経て、応神薙の脳内のもやもやは消え去った。手早く支度を済ませ、町の小学校に向かう。資料館は小学校に併設されているのだ。車も滅多に通らないので、信号が赤だろうが青だろうが構わずに大通りを南に十分ほど歩き、決して大きいとは言えない小学校へと辿り着いた。

           併設された資料館も小ぶりだ。白い近代的な建築は、何ら注目すべき点ではない。ガラガラと引き戸を開けると、にこやかに笑う、若い女性の受付さんが椅子に座っていた。

          「なるべく古い資料で、化生退治に関連するものは無いかな?俺は民俗学を調べてる学者だ」

           むろん、嘘である。余計なごたごたや腹の探り合いをなくすためだ。しかしながら応神薙の脳内には民俗学に関する知識もしっかりと収められていた。優秀であると言うほかないだろう。

          「それなら、電子化されております」

           近くの古めかしいパソコンを指さす受付さん。応神薙は慣れた手つきで該当の条件を入力していく。すると数秒の内にヒットしたのは一枚の画像。薙のサングラスに搭載された優秀な人工知能が書かれていることを自動で翻訳する。曰く、「応神何某なる人物がここら一帯を治めていた役人の亡くなった息子の怨霊を鎮めた」。すぐさま応神薙の脳が動く。胎児、死産、霊、怪物。これは死産となった胎児が変容した怪物、通称「泣き児」の仕業だ。放っておくと、夜な夜な這い出して人を襲いかねない、恐ろしい怪物だ。

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             資料館を慌てて出た応神薙は全速力で走って村山の館へと向かう。銃で正幸氏を少し脅しつつも、死産となった息子の場所を何とか聞きだした彼は、その手で太郎氏に電話をかけた。

            「今夜、都合が悪くても館の裏手の広場に来い。じゃなきゃ人が死ぬかもしれん」

            『あ、ええ。何があったんですか?』

            「夜になってから話す」

             ただならぬ気配を感じた太郎氏の声は震えていた。しかし、それを気にする応神薙ではない。そんなことよりも、館の裏手の広場に今すぐ行き、位置を特定することのほうが重要だった。


             禍々しい気配を感じ取った応神薙はすぐさま、埋められた場所は館のちょうど裏手であると特定し。コートに潜めていたカロリーメイトを何個か食べ、夕刻を待つ。西の空が不吉な赤色に染まり、そして太陽がちょうど沈んだ頃に太郎氏は現れた。正幸氏は決して体が強くないので、無理をさせることはできない。

            「何が起こったんですか?」

            「しばらく待てばわかる。今夜は徹夜を覚悟しとけ。出てくるものに気づかれると面倒だから、連絡はこいつで取る」

             奇妙な顔をしたウサギの形の無線イヤホンを太郎氏に渡す。太郎氏はすっかりおびえ切っていた様子だが、幻印で少し落ち着いてもらうことにした。夜だ。星々がきれいに空を照らす。近くに街灯はない。色を認識することはもはや叶わないほどの暗さだ。

             応神薙の姿はいつの間にかに闇に溶けていた。


             草木も眠る丑三つ時。荘厳というには少しおこがましい屋敷の裏手の緊張は、閾値を優に超えていた。村山太郎は不思議なほど落ち着いていた。彼はもともと今夜を婚約者とともに過ごすはずだったが、彼女に申し訳ないと思いつつもこの謎の解明に躍起になってしまっていたのだ。彼は少し、興奮していた。

             土が盛り上がる。奇妙な鳴き声が聞こえる。それは人類の持つ以上への根源的恐怖を引き起こすものだ。村山太郎はなんとか胆力でそれを押さえつけ、そこより出てくるものをしかと目に焼き付ける。

             それの目は腐り落ち、そこにあるのはただただ暗い渦だった。土にまみれたピンク色の肌に生気はなく、それが死体であることを示していた。それの口は丸く空いており、笑顔と思おうとすれば笑顔であると言えなくもない微妙な表情をしていた。それの口内で、肉が渦巻いていた。

            「ひッ!」

            『力は弱い。赤ん坊だからな』

             イヤホンから応神薙の声がはっきりと聞こえる。彼は何処にいるのだろうか。気配すら感じられなくなってしまっていた。何の術でもない、彼自身の技術によってだ。

            『そいつを持ち上げて、玄関のところまで来い。大丈夫だ、何かあってもおれがどうにかする。おれを、信じろ。村山太郎』

            「わ、分かった。信じます。信じるから」

             村山太郎は地獄のように冷たい泣き児の肌の感触に気味の悪さすら覚え、恐る恐るそれを持ち上げる。一歩、二歩と遅いながらも、確かに歩みを進めてゆく。玄関に泣き児を埋め、然るべき処置をすることで家の守り神へと転ずることができるのだ。

             三歩目か、四歩目か。恐ろしいほど長く時間がたったように思える。新たなる一歩を村山太郎が踏み出した瞬間、泣き児がその名の通り、泣いた。村山太郎とどこにいるのかもわからない応神薙の耳がしかとそれをとらえる。そして地面から幽谷の底のような冷たい炎が八つ湧き出た。

            「ゆ、幽霊だ!」

             村山は泣き児を危うく落とすところだった。寸でのところで耐えた彼が空を仰ぎ見ると、屋敷の屋根の上に人影が立っているのが見えた。

            『幽霊だな』

             次の瞬間、人影の左手が紫色に輝く。の文字が、冷たい炎に叩きつけられる。幽霊などをこの世に引きずりおろし、物理的な打撃を可能にする蒐集院の秘儀を近代化したものだ。

             幽霊は落ち武者の姿をとっている。刀、槍。数打ちなれど人を殺すには十分な得物を持って、村山太郎へとにじり寄っていく。しかし、彼はしっかりと目にしていた。美しい藤色に光る二振りの刀を持って誇り高き烏のように宙を舞う男 応神薙の姿が!

             応神薙が音もなく幽霊のうち一体の上に着地する。それは詩的な美しさすら持った空中急襲殺法だ。異変に気付いた残り七体の怨霊が応神薙のほうを一斉に向く。

            : to


             極限まで効率化されたコトダマ術。使うには術への信頼と確かな技量が必要だ。それを何でもないかのようにこなす応神薙の二振りの刀は紫色からもはや黒といってもよいだろう光を放っている。事前に塗った対悪霊のオイルが働いている証拠だ。現に彼に軟着陸の材料にされた怨霊は、すでに消えてしまっている。

             振り下ろされる槍をいつの間にかに左手に持っていた斧で引っ掛けて地面に落として踏む。これで一人、死に体だ。そのまま風切で首をはねる。囲まれてはいけない。常に視界に敵を捕らえ続けなければ。もう一体、直進する怨霊には前蹴りを放つ。ただの蹴りというなかれ。応神薙の家系の重みが乗った十二世紀分の伝説的な前蹴りだ。これは、霊核に直接届く。

             切り、殴り、蹴り、時には斧でぶっ叩き、怨霊の数は見る見るうちに減っていった。応神薙の戦いぶりに、村山太郎は感動すら覚えた。これは芸術である。戦闘も極めてしまえば芸術の一種であると強く納得してしまったのだ。最後の一体をベレッタで撃ち抜いたころ、二人は暗い玄関口にたどり着いた。

            「ごめんよ、君の名前は、凛之助だ」

             名前は、一種の呪いだ。存在をより確かにする呪いだ。この世に生まれるはずだった赤ん坊である凛之助は何を思っているだろうか。それはもう、分からない。彼は玄関の傍に掘られた穴に埋められた。応神薙は、村山太郎が凛之助の頭をやさしくなでたのを見た。赤ん坊の目は閉じられていた。

            「この世に生まれるはずだった凛之助よ、われらの不始末を許したまえ」

             応神薙がその長い足を折って正座する。コートが汚れるのにも構わずに正座する。そして、真言を唱えてゆく。

            「帰りたまえ。偉大なる者が待つ涅槃にて到来を待ちたまえ」

             一筋の光が、天に昇って行った。

              • _


              「すまん、正直、三日は短すぎた」

               谷崎翔一は黄色い椅子に座っている。東京だ。あれから応神薙は少し寝て、車を転がして紀祀山に帰っていたのだ。谷崎は軽く頭を下げ、オーブンを開けて熱々のアップルパイを薙に渡す。

              「いや、結果オーライだ」

              「それで、正幸氏には反省してもらったかね」

              「ああ、ガラスに反射させて幽霊をつくるやつでな」

               結局、正幸氏はハッキリ物をいう女性をあまり好まず、十分に彼の元妻を愛していなかったことが分かった。赤ん坊が怨霊になったのはそれも一因だろうと谷崎は結論付けた。その手の怨霊など、この世に掃いて腐るほどいる。

              「すぐに連絡がきたよ、正幸氏はビビり散らかしてた」

               応神薙はふっと笑い、カフェオレを一口すすった。応神薙にとってもこれは良いガス抜きになったことだろう。まるで、夢のような三日間だった。窓からは祝福するような陽光が差し込んでいた。

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