自作したロールカラ―の喪服を纏い、雨矢服飾技師は辺鄙な田舎を歩いていた。
高校時代の友人の訃報を知らされ、辿り着いた先は想像以上の陸の孤島だった。人口五千人に満たぬ小さな村では、友人は地主の娘として結構な有名人であったらしく、葬儀場は親戚や知人で賑わいを見せていた。
生憎、送迎バスが満席だったため、雨矢は3キロ先の市街までエージェント・内野を伴い農村を歩くことになった。ハイヒールではなくパンプスを選択したのは正解だった。のどかな農作地帯に似合わない、洒落た都会派の女性と一匹は、秋の晴天によく映えて、妙に絵になる構図を作っていた。
風景を眺めながらすたすたと歩いていると、小脇の藪の中、フェンスに囲まれた一角が見えた。
(あら?)
思わず足を止め、目を向ける。フェンスは工事現場を思わせる金属合金で、侵入はもちろん、内部の視認を妨げる効果も持っているように思われた。出入口は一か所だけで、付近には警備担当者用と思われる大型のユニットハウスがあり、周囲の風景と見比べると、全く場違いとしか言いようがない存在感を放っていた。
しかし、厳重そうな扉は僅かに開きかけており、ユニットハウスの内部も含めて、付近に警備員らしき人物は存在しなかった。
(怪しすぎますね)
やめておきなさい、という心の声に逆らって、雨矢は道路脇、扉へと続く唯一の獣道へ足を踏み入れた。内野がトコトコとパートナーの後ろについてくる。いつもは冷静な服飾技師の彼女だが、財団職員らしい好奇心の持ち主でもあった。そこに"異常な何か"を感じたなら、見過ごすことは出来なかったのだ。
扉の前に立つ。手で押すと、やはり閉鎖はされておらず、あっさりと開いた。
扉、つまりフェンスの内部は、僅かな草花の生える野地で、人工的に整地された痕跡があった。何かしらの工事の形跡はなく、一見して何も異常はなかった。
広場の中心に見える、地面から出た犬の尻と思しき物体を除いては。
(……埋まってる?)
一瞬、彼/彼女は死んでいるのではないか? と思い、愛犬家の女性に悪寒が走ったが、不吉な観念はすぐに吹き飛ばされることになった。狐に似た短く太いしっぽが、フリフリと左右に動いていたからである。
雨矢は近づいてじっと目を凝らし、その尻を見つめた。いぬのしり音頭伝承協会会長たる彼女の眼力にかかれば、尻を見ただけで犬の品種や年齢、健康状態、現在の気分などを言い当てるのは容易いことだった。
しばらく尻を見つめた後、彼女は手に汗を滲ませながら、うっと唸った。
(推定年齢250歳!? い、いえ、それよりも驚くべきは……なんという磨き抜かれた尻! 私には理解わかります! ガラス細工のように繊細なバランスで編み合わされた肉と骨……見た目には現れぬ内に秘められた極限をも超えた造形美の結晶!)
ふと、傍らの内野に目を遣る。彼女は謎めいた尻に向けて攻撃的な表情を見せていた。形状に限って言えば、いぬのしり音頭御神体たる彼女に匹敵する美尻である。ライバル心をむき出しにしているのかもしれないと、雨矢は推測した。
(……触もふりたい)
思わず尻に手を伸ばそうとした雨矢は、ふと考える。尻に見とれて忘れそうになっていたが、あまりにも異常なシチュエーションであることに変わりはない。ここが、財団もしくは似たような組織によって封鎖された場所であるとしたなら、あの尻の正体は――
(十中八九、SCiP……ひょっとすると、自身を美しい犬の尻だと思い込ませることにより、人間を引き付けて食らう魔物かもしれません)
内野とともににじり寄りながらも、雨矢は猜疑心を持って慎重に尻の出方を伺う。普通の人間は地面から犬の尻が突き出ていたからといって触ろうとは思わないという発想は、彼女にはない。
(しかし、ここで引き下がっては伝承協会会長の名折れ。私も財団職員です。異常存在と戦って死ぬ覚悟はできています。私の身に何かあれば、身に着けている警報装置が最寄りのサイトに知らせるはずです)
勇気を秘めた眼光が、目の前の犬の尻を見つめる。雨矢は、白く細い指先を、そっとふわふわした毛皮に下ろした。
20██/9/17、SCP-2952の収容違反が発生しました。[中略]悪質な職務怠慢により、警備担当者は直ちに解雇され、該当地区の収容責任者は降格処分を受けました。
20██/9/██、雨矢服飾技師とエージェント・内野はニューデリーにて現地の財団職員に保護されました。直ちにSCP-2952内部から脱出しなかった理由について、雨矢服飾技師は「服飾文化の話題について、日本語を解するSCP-2952-2個体と意気投合し、昼夜を忘れて語り合い続けたため」と証言しています。[中略]SCP-2952-2群に対する調査報告としての価値を鑑み、雨矢服飾技師並びにエージェント・内野には記憶処理と一週間の謹慎処分が言い渡されました。