ふと、暗闇に目を凝らした。
財団での業務を終わらせ、寮へと帰宅する途中のことである。
サイトの通路、その一角に出来た暗がりの中に、なにか動くようなモノが見えたような気がした。
なにかの見間違えかもしれないが、もし収容違反でも起きていればコトだ。
その場に立ち止まり、闇の中を注視する。
……なにもない。
目の錯覚だったのだろう。
そう結論付けて、再び歩き出す。
ふと、耳を澄ませた。
寮へと帰宅する路の途中、なにか物音が聞こえた気がしたのだ。
思わず立ち止まり、それ以上の不審な物音が聞こえないかどうか聞き取ろうと試みる。
……なにも聞こえない。
家鳴りかなにかだったのだろう。
再び歩き出す。
酷く臆病になってしまったな、と感じる。
それも財団に務めるようになってからだろう。
異常なオブジェクトと対峙した記憶は、ちょっとした異常でさえ過敏に自身を反応させる。
異常のことなど知らない一般人ならば、あんな些細な物事になど目もくれず、家路を急いだだろう。
それを自覚して、ひどく寒々しい気分になった。
たとえ財団での日々を生き残り、円満に退職することになったとしても、きっとまともな余生は過ごせないだろう。
一見何の穴もないように見える人類の社会、しかしそこに闇が存在することを知ってしまったのだから。
これからも自分は、暗がりの中のなにかに、ふとした物音に、知らないコーヒーカップに、見覚えのない風景に、びくびくしながら生きていかなければならないのか?
何も知らずに死んでいくDクラスの方が、まだしも幸せかもしれない。
「知っている」ということは、時に「知らない」ことよりも残酷すぎた。
暗闇の中に灯火を明かそうとする試みは、時に闇よりも薄く、しかし広い影を地面に落とし込む。
ましてや……
そこまで考えて、あなたは無駄な思考を取りやめた。
財団は財団そのものを保護しない。
わかっている、それだけの話だ。
たとえ、その灯火が持ち手を焼こうとも。