あの桜はね、よだれを垂らしてるんですよ。桜が咲くと人が集まるでしょう。そうと分かって咲いては花弁を散らすんです。私に言わせりゃありゃ食人植物です。だから私はこの窓から見るだけにとどめて、消えた人間の末期を思って楽しむんです。消えた奴らの行方は知りません。或いは木の下に埋まってなんかいたりしてね。昔の作家が言ったようにね。
あなただけは特別ですよ。何故かあなたには話したくなる。あけっぴろげに吐いてしまう。出所を知りたいと仰る。話しましょう。あれは競売で落としたのを庭に植えたんです。それが一月足らずでこんなに大きくなって。競売の会場ですか、確か桜木町を降りて横浜駅に向かう途中だったような。詳しいことは忘れました。思い出そうとしても頭に薄靄がかかったようで思い出せません。すみません。それにしても眺めがいい。遠目で見る分には良い木です。根元に行ったが最後消えます。他に競り落としたものはないか。ございません。それよりもこの景色を楽しみませんか。
本当に消えてるのかって?またまた今更そんなことを。私はこの目ではっきり見ている。いや本当は見ていないのかもしれません。しかし私には確信があります。私が知るこの世界で現に目の前で生命が奪われていくこの感覚。これだけは確かです。見た見てないはこの際関係ありません。あれは本当に人食い桜なんです。
抜いてしまおう?抜いてどうするんです。閉じ込める?あれだけの大樹を?あの桜も悲しかろう。人を食っただけでなぜそんな処置をする必要があるんです?
いや、一思いに抜いてください。なんとなくこんな時が訪れるのは分かっていました。人智や道徳も超えた存在ですから、世の人間の誹りは免れんでしょう。ただ、私だけはあの桜の味方でありたかった。魅せられた人間の責務と言えば良いでしょうか。人情味のある言い方をすれば惚れた弱みと言えば良いのでしょうか。
あれは一種の芸術です。芸術は世界の有り様を表す道具です。絵画はその構図、図像で。音楽は調子やモードで、世界を抽象化しつつそれを如実に表現するための媒体なのです。しかしあの桜はどうでしょう。あそこまで赤裸々に世の理を表現した芸術が歴史上一体どこにあったでしょうか。私が思うに世界は弱肉強食。弱者はどんな形であれ、強者の養分となる定めなのです。これは否定のできないことであるはずです。
私としたことが少々話しすぎました。
忘れることはできないかもしれないが。薬で忘れてもらう?まあそういうこともできるでしょうな。あんな桜が存在するならそういう薬も存在するでしょう。一々疑ってはかかりませんよ。しかし忘れてしまうのも寂しいですね。人情というものがあるでしょう。じゃあな桜や。この人の手に渡っても元気に咲くんだよ。