湯冷めしそうなほどの
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yuzame

  
 男性事務員はかび臭い資料室に入ると、壁のスイッチを押した。チカチカと音を立てながら天井の蛍光灯が一斉に点灯し、大量の段ボールを照らし出す。天井近くまで積み上がった段ボールにはどれも古いテープの跡がこびり付いていた。

 事務員は迷わず一番近くのものを抱えると入口へ向き直り、電気を消して退室した。資料たちは再び静寂の中で眠りにつく。この資料室はいわば忘れられた物どもが棲む深い森だった。事務員はもう何十年もこの森を訪ね、暮らしてきた。それが彼の仕事だった。忘れられたものを記録し直し、新しい息吹を与えてやること。

 事務所に戻ると彼は段ボールを開き、中から丁寧にカセットテープや紙の束、何かの冊子を取り出した。

 彼はまず、"SCP-211-JP"と書かれたアイテムの報告書のコピーに目を通す。

 ……異形の現れる温泉。
それも、穏やかで話の出来る、しかし人を喰らう危険なアイテム。事務員は頭の中で湯気たつ静かな露天風呂に鬼や天狗が浸かっているを想像した。それは今みたいに寒い季節にはいささか幻想的な風景だろう。

 次に彼はカセットテープを手に取った。

 ケースには"異常な温泉についての温泉宿主人へのインタビュー記録/エージェント██"と書かれたラベルが貼ってある。事務員はウォークマンにカセットテープをセットし、イヤホンを装着する。

 ──どんなものでも背後には何かしらの歴史が眠っている。それがどんなものでも……ただ受け止めるのが俺たちの仕事だ。

 それはかつての彼の上司からの教えだった。

 彼は一度息を深く吸うと、起動したPCに向き直りウォークマンの再生ボタンを押した。
 
 


 
  

(木製の椅子を引く音と金属がぶつかり合いカタカタと鳴る小さな音が聞こえる)

(中年の男の声)
久しぶり!よっちゃん。どうぞどうぞ。ごめんな、こんな汚ねえとこしかねえんじゃけど。まあ茶でも……。

研究の取材じゃっけ?……かっこええな。そんな大層な話知らんけどええ?ああ、電話もろうてからな、思い出してみたんよ。

この辺な、爺ちゃんが産まれる前から湯が沸いとったらしいんじゃけど、「みんなが休めるように」って爺ちゃんが宿建てたら体によう効くって評判になって、ようけえ人が来るようになったんじゃと。それはええけどなんか中に変なもんが混ざるようになったと……変なもん言うたらアレやけど……ああ、そうやな。妖怪やろうか……そういう類。

あ、メモ大丈夫?うん。

具体的なん?それがな……ある時なんとカワウソが入っとったんじゃって。昔はこの辺にもおったんかなあ……。何でも、カワウソは化けれるゆうし、湯が気持ち良くて化けの皮剥がれたんかもしらんな。一人が騒ぎ始めたが、酒も入っとるし見間違いじゃろ言うて。気が付いたらおらんようなってたらしい。よっちゃん、うちの風呂覚えとるかなあ。そうそう、今も結構薄暗いんよ。当時は電気が無かったけん余計になあ。

それからしばらく何もなかったけえ、忘れとったんじゃけど、そしたらなあ、今度は狸と狐が入っとったんじゃって。おお、揃うてどしたんなら、言うておっさんらが騒ぎ立てたら慌てて出ていったらしいんよ。

翌朝、台所んとこの勝手口の外にぎょうさん川魚やら茸やら置いてあったんやと。わしはいつもここでええ話じゃなあ思うんよ。そういえばカワウソ騒ぎんときにもなんか置いてあったで、と、誰かが言うんじゃ。そん時はきっといわゆる「お山の人ら」じゃったんじゃろう、ってことになったんよ。
この辺も住む人はその頃から減ってたからなあ。余所者はこの辺の神様なんか拝まんじゃろうし、神様や妖怪も寂しくなったんじゃねえかな。

 
 どうやらインタビューを行ったエージェントは対象者と親しい仲であるようだった。テープを一時停止しここまでの話をPCに打ち込むと事務員は続きを再生した。
 

ところがある時から人が消えるようなったんじゃって。……ここだけの話、おらんようなる人はみんな年寄とか身体が悪かったとか、そういう訳ありの人だったんよ。で、まあ……良くないことではあるんじゃけど、要らん人が消えるのをわしら宿側が口外せんのと引き換えに、たまにお山の人らが湯に入ってくんのも何も言わんでや、みたいな暗黙の了解がこの頃出来たんじゃな。

そんなある日な、こんな山奥じゃ見たことねえような派手な興行の軍団が来た。えらい綺麗な姉ちゃんとか、めちゃくちゃでっけえお兄ちゃんとか、見たことない珍獣とか……ちょっと異様な雰囲気だったらしい。それにしてもこんな田舎をわざわざ通るなんて、警察の変装かもしれんて、爺ちゃんが夜中にこそっと様子見にいったんじゃって。

そしたら部屋までの間の廊下に、例の興行の姉ちゃんが待ち構えとったらしくて。「ここで人が居なくなってるでしょ」って言われて腰抜かしそうになったんじゃと……

ちょっと便所行ってきてええ? ああ、ごめんな。ちょっと待っとって。

 
 話はきな臭くなってきた。だからこそ「異常」であるのだが、主人がまるで見てきたようにペラペラと話すことに事務員は別の気味の悪さを覚えていた。
 

(しばらくの間)

ただいま。ごめん待たせてしもうて。何見とったん? ああ、休憩室の。懐かしいわ。
昔よう二人で読んどったな。"漫画で読む昔話"な。

ええと、ほんで、爺ちゃんは怖くなって…「知りません」言うてさっさと引き上げたらしい。もちろん、夜は寝られんかったよ。次の日、何事も無く興行が出て行ってホッとしとったら、数日後にその女の人だけフラっとまた来てな。何とその姉ちゃんからここで働きたいって言われたんじゃって。……それから何があったのか、その姉ちゃんがわしの婆ちゃんになりました、チャンチャン、ってな。
な?オチもない話じゃろ?

ん?ストーブが効きすぎて暑い? そうかなあ。汗かいたんなら一緒に風呂入ろうや。うちの風呂はな、アルカリ泉、肌がつるつるんなるんよ。俗に言う美人の湯…

……あ?なんなん?

そんなんわしが知っとることじゃねえが!

小せえ頃ちょっと友達じゃったからって聞いていいことと悪りいことあるんじゃねんか!? ……大学っちゅうんは行ったら人の心無くすんか……? おめえは何しにきたんなら!

そうじゃ、鬼も山姥も、来とったで。今じゃ人食いの人らは肩身がせまいけんな。婆ちゃんが突然おらんようなってから客足もめっきり減ったよ。じゃけえ選り好みしてられんのんよ。懲らしめられるのはわしじゃけんな。

すまんな、よっちゃん。今までの話は時間稼ぎじゃ。どうせここまで聞かせたら帰せんよ。せめて痛くないようにしたるけん…

え? ……よっちゃん……?

何で、動けるん……? お茶、飲んだよな……

まさか、よっちゃんも、あっち側の人なんか?

(否定し、自分は"あちら側"を捜査する立場であることを説明する声)

……そうか。温泉の湯、飲んでも美味しかったじゃろ。

わしらは気づいとったよ。人が消えるんはお山の人らが来た時だけじゃって。

……あのと契約したんはわしじゃ……こんな田舎で嫁さんは見つからん。かといってここを出ていく度胸も無かった。悪りいことをしてしもうた……あん人は人間じゃなかったのにこんなとこに縛り付けてしもうて。

そのばちが当たったんじゃろうな……わしも、あの娘も。

爺ちゃんと親父はわしじゃ。

ずっとわしが続いとる……わしが死んだら、婆ちゃんが無理矢理作った子どもが「わしになる」んよ。婆ちゃんの力でな。婆ちゃんには都合良く使われとったんかな……。

婆ちゃんが居らんようなってしもうて、わしはもうよく分からんのんよ。もはや誰のためにこんなことしおんじゃろ。よっちゃん。

わし、もう止めたい。

婆ちゃんはどこに行ってしもうたんかな。こんなこと、止めるべきじゃった……もう一度会えるなら、謝って許されるなら謝りたい。

ずっと誰かに話したかった。わしはひとりぼっちになってしもうた…もう、あの人らも自分が何者かわからんくなっとるんじゃねえかな。でも続けんと、どつき回されるんよ……ここから逃げようともしたんじゃけど、駄目じゃった。多分、あの人らの力で……。1度、し、死のうとしたんじゃけど、こ、怖くて、ほんで……

(啜り泣きの声)

よっちゃん、わしはどうしたらいい?

どうしたらやめられる?

……待って、行かんでくれ!なあ!待ってくれ、よっちゃんこんなところにわしを置いていかんでくれ!独りにせんでくれ!嫌じゃ!よっちゃんなら大丈夫なんじゃろ!?

(2人が揉み合う音の間に「応援を」「必ず戻る」という言葉が断片的に聞こえる)

よっちゃん!頼むってくれえ

ごあ

 
 テープはここで終わっていた。……どうやら八百万の神は低俗な動物の霊と同じ人食いの妖怪に成り下がったらしかった。いくつかの疑問を抱いたまま、次に簡潔な紙の資料を手にする。
 


  
196█年█月██日 音声記録添付書面

 エージェント[削除済]が接触した男性は一時錯乱状態に陥り、薪割り用に部屋に置いてあった斧を手に取った。温泉宿の主人から隠れ、近くの山中で待機・観察していた機動部隊の内の一人が「揉み合った反動でエージェントを傷つける恐れがある」と判断し、遠距離発砲を行った。銃弾は男性の胸部を貫通し、エージェントが応急手当を試みるが意識の回復は見られなかった。

 程なくして由来不明の局所的な地震が当該地域で発生。最大震度は当時の計測で5強を記録した。土砂崩れが各所で多発し、エージェントが調査を行っていた███温泉の家屋も裏山の土砂に飲み込まれた。発砲した機動部隊員はこの土砂に巻き込まれ、後に死亡が確認された。

 エージェントは建物が崩れる前に無事脱出したが、その後の調査で宿の主人は発見できなかった。エージェントへの聞き取りから、男は被弾して間もなく出血多量で死亡したのではないかと思われる。また、家屋の他に温泉のあった箇所も掘り起こされたが、その際には湯はすでに止まっており、後に別の調査で「温泉が湧き出る地形ではない」との結果が出た。今回の件は異常性の追求、および確保に失敗した例として記録される。
 


 先ほどの音声ファイルが急に終了した理由が分かった。しかし、なぜ再び温泉は姿を表したのか、興行の娘はなぜ突然姿を消したのか。探偵になりかける自分を抑えて事務員は軽く伸びをする。最後に手に取ったのはビニール袋に包まれた、泥に浸かり土と水を大量に吸ったあとに乾かされたのであろう、ひどく汚れた学習漫画の冊子だった。先ほど主人の話に出てきたものだろうか、しかし、どうして…

 事務員は注意深く本を袋から取り出し、表紙を恐る恐る指先で開いた。
  

漫画まんがでよむシリーズ 「日本にほん昔話むかしばなし

羽 衣 伝 説はごろもでんせつ


むかしむかし、そらうえのとあるお屋敷やしき
うつくしい天女てんにょのむすめがひとり、くらしていました。
あるひ天女てんにょ下界げかいをながめていると、
きらきらとかがやく砂浜すなはまをみつけました。
それはとてもきもちがよさそうだったので、
天女てんにょはお屋敷やしきのみんなに内緒ないしょ
そのはまへおりていき、
まつ羽衣はごろもをかけると水浴みずあびをはじめました。

そこへ漁師りょうしのおとこがひとりとおりかかりました。
「なんとうつくしいむすめだろう」
おとこはむすめをどうしてもそばにおいておきたくおも
むすめの羽衣からだをぬすんでしまいました。
むすめはそれにきづくと、おとこに羽衣けいやく
おどすしてくれるようたのみました。
「それがないとわたくしはいえにかえれません。どうか」
おとこはいいました。
「おれのおくさんになるならば、
かえしてやってもよい」
天女むすめはおとこのおくさんになりました。

おとこはなかなか羽衣からだをかえしてくれませんでしたが、
天女むすめはおとこといっしょにくらすうち、
おとこのことがこいしくなり、
屋敷やまのことはわすれてしまいました。

やがてふたりのあいだにそれはかわいらしい
かみのようなおとこのこがうまれました。
ふたりはこのこをだいじにそだて、
おとこのこはおおきくなり、おとこは年をとりました。
天女わたしはにんげんではありませんでしたので
ずっとうつくしいわかいむすめのままでした。

おとこはもうすぐしぬことをかくごしながら、
つまにつたえました。
羽衣ひとはいえののきしたの地面おんせんにうめてある。
それをもってやまへかえりなさい。
あなたにはもうしわけないことをしました
そしておとこはしなせないしにました。

天女わたし羽衣にんげんをみつけてやまかえらないかえると、
父親やまのぬしにこうたのみました。
「わたしは地上ゆるしてでこいにおちてしまいました。
しかしあのちからはもうもっとんでしまった。
どうかかれともっとほしかったくいさせてください」
天女ここのおとうさんはかってにでていったむすめを
ゆるすことができませんでした。

しかしどこにちだして くらすむすめをみているうちに
ついにふびんにおもい、こういいました。
「ねんに一度ほんのだけそのおとことなか?うことをゆるそう。
そのひだけ、だして ちじょうのあいだに
ほしのはしをかけてやる」

こうしてふたりはねんにいちどのよるのあいだけ、
ふたたびであえるようになりました。

馬鹿な娘よ。お前は均衡を崩してしまった、我々は上手くやっていたのに。罰として次の命は人間として暮らしてもらう、あの月の姫に倣って。文明を学べ。奴らは強大だが、穢れた力を持っている。我々には触れられない。それをこちらへ持ち帰るのだ。我々の時代を取り戻すために。

  
 事務員はため息をつくと、まとめたデータを博士宛てのメールに報告書のファイルと共に添付し、内容の概略を書き添えると送信ボタンを押した。資料をまとめ直し段ボールに詰めてしまうと箱の横に「スミ」と書き、再び資料室へ運ぶために立ち上がり去っていった。


  
 
インタビュー記録

対象: SCP-211-JP-2(2-ろ,2-ほ,2-へ,2-と)

インタビュアー: ██博士

付記: 本インタビューは筆記によって、██博士が記述したものである。██博士は前回の記録内容を確認済み。

<記述開始,201█/01/██>

2-ろ: 久々にまみえたな、人の子よ。

██博士: すみません、少々立て込んでおりまして。

2-ろ: 主らには帰るべき場所ですべきことがあるのだな。[酒瓶を差し出す]

██博士: お気持ちだけ受け取っておきます。先日は美味しいお酒をありがとうございました。

2-ろ: なに……我等の頼みが受け入れられるなら瑣末なことだ……。

2-へ: ……[無言のまま2-ろの肌を舐める]

2-ろ: [前回インタビュー時に2-いが居た方向を見る]……そうか、今日は彼奴きゃつは来ておらぬのか。あやつもお主の如く、慌ただしい身じゃて。

2-ほ: 上に立つ身は、何時の時代も堪えるものだ。

██博士: あなた方は前回、妖怪でも神でもあるというお話をしてくださいましたね?

2-ろ: そうだ、彼奴きゃつがそう言ったのだったな。こやつも……かつては頭領じゃった。

██博士: 今の姿や状況とは異なっていたのですか?

2-ほ: ああ、あれがおらぬならこぼしても構わぬだろう?あれがいると口うるさくて構わぬ。

2-へ: おまいさん……滅多なことを言うものでないよ。

2-ほ: すまぬ、人の子が訪れぬと話相手も限られるでな……。[酒を瓶から煽る]……栄華を誇った我ら一族も、今や散り散りになってしまった。浮世の使命を忘れ、酔いの街に逃げた者どもも多い。忘れられたものどもは二度と戻って来れぬというのに。

██博士: 使命というのは?

2-ほ: ああ、今のはわしの驕りじゃった。どうか忘れてくれ……。忘れられぬが、わしの過ちで二度と戻らぬ者もあるでな。[数十秒の沈黙]

██博士: あなたとは親しい間柄だったのですね?

2-ほ: 結局、同じ轍を踏むのであれば、帰る場所を失うのだと分かっておれば……[再び数十秒の沈黙]

██博士: [時計を確認して]……お話の途中で大変申し訳ありませんが、本日はそろそろお暇させていただきます。興味深いお話をありがとうございました。

2-ろ: 人の子よ、そうして記録していれば我々は対話が出来るのであろう? 我々は……我々のやり方は間違っていたのやもしれぬ。だが、どうか、再びここを訪れてもらえないだろうか。

██博士: 我々の目的はここを収容し、保護することです。その範囲内のことであれば……善処します。

<記述終了>

 結局、かの娘の失踪について所在を掴むことは出来なかった。

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