ヘヴィーな内容に関する警告
この記事には自殺・自殺美化・自傷が含まれています。ご自身の責任でお読みください。
「それにも関わらず、私は強くないのです。」
紙上の文にその人は悩み続けた。カシディはすぐ左でベッドに眠る妻 ローザ をかえり見た。その人は頭に手を当てノートを眺め続けた。
その人は子どもの時からずっと何かしらのトラブルに遭ってきた。だからその人を本当に気にかけてくれる人たちの重荷になっているかのように感じざるを得なかった。招待状はテーブルの上や郵便箱に置き去りにしている。たとえ必要であろうと全部読んでそのままにしていた。親友たち、家族、ローザ…… 絆は断たれ、元には戻れないようにしか今は思えなかった。その人には何もかもがまさに崩落したように見えた。二度とは戻れない隙間から滑り落ちたのだった。孤立しようとした訳ではなく、徐々にそうなったのだった。
「ぼくが悪いんだ。ローザ……」
その人がなりうると、なるだろうと、なるべきであると、言われてきたことは全てが嘘だった。優しく、親切で、才能に溢れて、勤勉で、危険を恐れないなど、その人はそれらのどれにも当てはまらなかった。全部皆に対してその人がつき続けてきた嘘だった。そういうものに恥じない生き方は絶対できないと知っていた。このことを前にしてすらこれら「言葉」にその人は常にもがき苦しんできた。再びその人は考え始めた。ローザのためにこのことを意味あるものにしてやりたかった。
涙が顔を流れ落ちだし、そして静かなすすり泣きとなった。本当に妻を起こしたくはなかった。何が起きているのか彼女は絶対に知り得なかった。彼女はずっと、とても思いやってくれていた。カシディのためにずっと居てくれた。不眠症の時はずっと一緒に起きてくれていたし、理由もなく我慢できずに啜り泣いていた時は抱きしめてくれていた。彼女は裏切られたように感じるだろう。その人が彼女をもう愛していないかのように。彼女の失敗であるかのように。
それは真実ではなかった。カシディはローザのためならなんでもしただろうし、彼女がそのことを解ってくれていると心の底から願っていた。だが、この後彼女がそう解ってくれるかについてその人は確信できなかった。
「ローザマリー、君の為ならわたしが火の中にも飛び込むだろうことを解ってくれているね。わたしは地獄の中でも君を運び、7つの海を歩むだろう。全てを経験した後、絶対に、わたしは君なしでは1日足りとも過ごしたくはない。」
違う。カシディはノート1枚を破いて屑籠に放り投げた。その人がやろうとしていることを少しでも心休まるものに変えられるものは何もない。たとえ仕損なったとしても、ローザは決してその人を許さないだろう。カシディは頭を振った。痕跡も遺さず消え失せる方がまだマシだろうか?その人がそうした場合ローザはより早く立ち直れるかもしれない。
このことをローザにとって良いものにできるものなど何もないとカシディは知っていた。世界中の何よりもローザが愛してくれていると知っていた。公平の為に言うならば、ローザはカシディの人生の光だ。この女性と過ごした9年間の全てが人生最高の期間だった。それでもなおその人を止めるには足らなかったし、その人がしでかした後、復讐心を伴ってローザのPTSDが再発するであろうこともわかっていた。今に至るまでにこのことによって思いとどまるべきだった。その考えにその人は恐怖した。
零れた涙がページを濡らして紙束に浸透していった。カシディは時計を見た。4:32 AM。その人は眠っている妻を振り返って見た。彼女の鳶色の毛が月明かりの下つやめいた。彼女はずっと、とても美しかった。睡眠中であっても。それでも、カシディは本当にその妻を愛していた。
違う、違うのだ。カシディは固まった。
「ローザ、愛してる。君は光だ。僕の 」
カシディの書けるようなものは大袈裟だったり馬鹿げていたりするように常に感じられた。そうでなければその人の結婚式での誓約の領域にまで届くほど深刻な響きになった。その人はため息をついて顎先を鉛筆で叩いた。一呼吸する度に身体をピンと伸ばした。胃の不快感と胸に激しい痛みがあったからだ。カシディにとって稀な発作ではなかった。
つまらない気の迷いが脳裡を過った。ローザは愛してなどいなくて、義務感から一緒にいてくれたのだと。愛よりむしろ義務に単に基づいた関係にすぎないと。鋭く苦い痛みが胸を刺した。それは真実ではなかった。自問したそれは何も正しくはなかった。その人は真実ではないと信じ込まねばならなかった。
そうでもなければ……
それで妥協しろ。彼女が頼む先となれる短く、甘い、可能性の光であれ。ちょっと真夜中にジョギングしに行って道に迷ったか、あるいは買い物に行ってまだ帰ってきていないのかもしれないという様に。
その人の人生のこれまでの全ては素晴らしいものだった。結婚関係は完璧であり、仕事は順調で、昇進すら打診されていた。いったいどうしてその人がこんなざまになろうか?カシディは誰も傷付けたくなかった。それにも関わらず、その人は皆を遠ざけ続けた。ただとろけるように全ての感情が失せていった。あたかもその人のしたことが誰にも迷惑を掛けていないかのように。身体がまるで消え失せていくかのようにその人には感じられた。あたかもその人のものですらないかのように、傍観者であるかのように、誰か他の人がその人として何もかもをこなしているのを眺めているように。
その人はため息をつき、また少しばかり啜り泣き出した。その人は服薬をやめていた。もしそれが効いてこないというなら、なぜ苦悩させてくるのだろうか?
キスを以てメモに封をし、その人は寝室から出た。最終的にそれをやり遂げるという選択の精神的ストレスによりその人の身体は震えていた。
ローザにとってその人がいない方が良いだろう。何時間も眠り通したり午睡を取り始めたら朝まで起きなかったり、また夜に眠れなかったりした時、どれほど彼女を心配させたかをその人は知っていた。たとえローザが実際にその人を愛していたとしても、彼女の重荷になるというのは釣り合いが取れていないのだ。それに加えて、過ぎ去る日々の変わらない悪夢に悩まされない眠りがローザには必要だった。だからカシディは彼女を起こせなかった。
カシディはリビングに入り引き出しを開いた。中には以前隠した鋏があった。しばらくそれを見つめた。その人のむき出しの傷の残った腕と鋏に目を向けた。なんにせよ死のうとするには適切な方法ではない。その人は銀色の刃を部屋の向こうに投げ捨てた。何かが引き戻そうとさせるかのような不快感を胃に覚えた。その人はその感覚をただ無視してアパートのドアを開いた。
階段を降りて車を停めているガレージに向かっていると冷たい風が当たった。ガレージは暗かったが、その人の車を見つけるのに支障はない程度だった。素足に触れるコンクリートはまるで針で刺してくるかのようだったが、その痛みをその人は楽しんでいた。深呼吸してからその人は車の鍵を開け座りこんだ。涙は未だその人の顔を流れ落ちていた。苦悩に満ちた叫びを出るがままにしていた。その叫びは喉を痛め、ガレージに響いた。返ってくるものは叫びの残響ばかりだった。
心臓の鼓動が耳と胸にうるさく響いている間、ガレージのドアを見て眼を休めた。このアドレナリンはその人を恐怖させたが、経験済みであり退けられた。その人にとってそれはもう問題ではないのだ。カシディの視野が狭窄した。その視界を涙が曇らせるのも、ローザがその人を想って寂しがるのも、その人が傷付くかどうかも、大事ではなかった。カシディが成功するかどうかのみが大事だった。
転落する前に自身を救えると知っていたし、何もかもが大丈夫だったと明らかになりえたと知っていた。そしてこれは避けられるものだったともその人は知っていた。この全ては、カシディが自己破壊をそのまま進めさせたからなのだ。結局、自己破壊こそがその人の得意とするものだったのだ。