
「…そしてそれがあった。それから俺は、078の収容室に行くようあいつを説得し、こっそり電源を入れた。何週間か経った後で、あいつはメンテナンス中のパイプで首を吊った。」ブライト博士は満足そうにニヤニヤ笑いながら後ろにもたれ、椅子の後ろの足だけで完璧にバランスを取った。
ブライト博士は笑った。
「実を言うとだな、俺はその話のほとんどを忘れている。今思い出せるのは、それこそが事の起こりだということだ。」彼は思案しつつ3日分の無精髭を掻いて、灰色の髪を撫でつけた。「そうだろう、違うか?」
昼の厳しい暑さがカフェテリアに流れ込んでいた。太陽の光線はガラスを溶かしそうなほどで、全ての物の表面を、触れば火傷するほどに熱くした。室内は風通しが悪く、博士はシャツの首元を引いて、涼しい空気を服の中に送ろうとした。
「何を期待した?」コーヒーメーカーの前に静かに立って、注意深く会話を聞いていたブライトはついに話し出した。「俺たちはこの体に長い間いるが、それぞれが自身の運命と、自身の記憶を持っている。俺たちはもっと独立してきていて、物事を混ぜこぜにし始めている。俺は、この俺は、その話を違った風に覚えている。」香り豊かなコーヒーで満たされ、トレイの上で彼を待っていたカップへと、彼は手を伸ばした。振り向いた際に彼は誤って背負っていたウクレレをテーブルの角にぶつけ、楽器は穏やかなメジャーコードを奏でた。
「口を閉じろ。」ブライトは彼の言葉を遮り、目を細めて、右上の方を見た。そこでは、休むことなく警戒する監視カメラの赤い瞳が、天井の下で光を放っていた。「それと、その忌々しい木片をどこへでも引きずって行くのを止めろ、そう言ったはずだが?」
「誰も気にやしない。」ウクレレの男はにやついて言った。「誰がお前のそんなカメラを見る?誰がプロトコルを作る?誰が機密文書を扱う?何がどこに漏洩出来る?すまんが教えてもらえないか?」
ブライトは椅子から降りてブライトの前まで来た。2人目の彼はあざけるように睨み付けながら値踏みしたが、現状の彼は彼の“安定版”より頭半個分小柄だった。
「外の世界には、ここで何が起こっているのかの手掛かりすらない。もしお前がそうやって統制を乱し続けるなら、そんなことさえ忘れてしまうようになるぞ。」
2人の男が互いを刺すような視線で睨んでいる間に、3人目の男は静かにサンドイッチを食べ終えようとしていた。
「そんなことは止めにしたらどうだ。」彼はゆっくりと物憂げに言った。「それともこんな“内部紛争“がどんな終わり方をするのか忘れたのか?3年前の出来事について思い出させる必要があるのか?俺たちの1人がちょうどそれについて求めた時も、俺たちは…」
ブライトは陳腐な音楽家から目を逸らさずに、傲慢なジェスチャーによって男を黙らせた。
「それにはまだ議論の余地がある。もっと…涼しい環境で。」ブライトは最終的に訓練・開発部門責任者を放っておいたまま、自分のテーブルに戻った。彼の表情は再び憂鬱な絵画のようになった。「もしこんなことが続くなら、全ては失敗に終わるだろう。」彼は手が最初に着地した物─ペーパーナプキン─を手に取り、それで自身を扇いだ。
「お前はいくつかの点で間違っている、アルト。」ブライトは彼に語った、サンドイッチの最後の一欠片を噛み下しながら。「俺たちは独立していて…」
その時、カフェテリアのドアが乱暴に開かれ、若いアシスタントが出入口に現れたため、彼は最後まで言いきることができなかった。彼女は息を切らし、黄色と赤色のラベルの付いたプロトコルフォルダを持っていた。
「ブライト博士、会議室で皆様がお待ちです。評議会は5分前に始まっています。」
3人のうち、1人だけが振り返った。
彼らはちょうど封じ込め手続きの改訂が必要な、もう1つのユークリッドについての書類を読んでいた。ブライトは巨大な楕円形のテーブルに着き、他のプロトコルの書類で怠そうに自身を扇いでいた。光で目が痛み、頭痛がしたので、彼は苛ついて目を細め、頭の向きをこちらやあちらへと変えたが、この明るさから逃れることができなかった。光は全ての場所にあった。最終的に彼は紙で顔を隠そうとしたが、他の人が横目で見ているのを感じた。忍耐を切らして、彼は書類の束を机の上に叩きつけて話し手を中断させ、大声で言った、
「ライト博士、光ライトはあんたの専門だろう。何とかしてくれ、今すぐにだ。」
部屋は死んだように静まり返った。手入れの行き届いた金髪を持った、体格の良い女性はトラブルメーカーを睨み付けた。
「ブライト博士、シャッターは全てあなたの物です。」
「シャッターでは不十分だ。カーテンを用意しろ。」
部屋の中の空気にはメタンガスが充満しているように見えた─たった1つの火花でも十分そこが吹き飛ぶほどに。ブライトは再び後ろに傾くと、人間工学に基づいたアームチェアに沈み込み、半ばまで閉じられた瞳で全ての人間を評価した。ブライトは彼らが1人残らず何かをしでかすのが大好きだと知っていたし、また彼らは皆、暴力を全く抑えられなくなったと感じ、これを制御下に置かなければならないようになるまで時間があった。ブライトはまた、彼らには今すぐ彼をズタズタに引き裂く準備が出来ていると知っていた。なぜなら彼らは1人残らずブライトであり、そして彼は中断されることが嫌いだったからだ。
「続けて、博士。」ブライトにライトと呼ばれた女性が沈黙を破った。話し手は咳払いをすると、先ほど彼が中断したところから読み始めた。
「…SCP-213は収容セルで発作を起こしているのが目撃された後、集中治療室に移されました。SCP-213を検査したところ、背中にさらに10個の結節が出現していました。それぞれの結節の間隔は正確に5cmでした。SCP-213は以前と同様、病変の痛みを報告していません…」
ブライトは部屋の暑さにも関わらず身を震わせた。時間が経つにつれてより頻繁に、より長くなってゆく自身の発作を、彼は思い出した。以前彼はそれが過ぎ去るのをじっと耐えて待っていられる類の、ただの副作用であると彼自身を納得させることができていた。それは、彼が天から授かった才能に対する対価のようなものだった。しかし時が経つにつれ、ある時に簡単にそこから元に戻れないことをより恐れるようになった。
「…SCP-213の能力の源は、体内に生息する起源不明の寄生虫にあるようです。この生物は意思疎通を試みてきたことはありませんが、SCP-213の体に存在する病変を通してSCP-213の周りの人々を観察しています。SCP-213はこの新たな事実に対してパニックを示し、この物体を体から取り除くよう何度も要求しました。SCP-213からのこの種の要求は拒否されます。」
博士はそこで眼鏡をはずし、目を擦ってからまた掛けなおした。
「現時点で私たちの取れる寄生虫の活動を抑制する選択肢は、被験者を昏睡状態にすることであると考えられます。」
「被験者のこれまでの脱出の試みを考慮すれば、彼の弱点に基づいて収容プロトコルの条項を見直すことは容易なのではありませんか?私が見る限り、彼の崩壊の能力には限界があります。」ある学者風の刈り込んだあごひげの男は言及した。「この男の研究は財団の利益を超えた戦略的な意味を持っています。私の友人たちならばすぐに彼に興味を持つと断言しましょう。私にはO5がこの昏睡という考えを認めるかは分かりませんが…」
「ああ、認めるだろうさ。」ブライトはそう言って、微笑んだ。
評議会は午後1時に終了し、出席者たちは去り始めた。ブライトは椅子に沈み込んで、ペンを空へ投げていた。彼はどこへも行きたくなかった。金髪のスマートな外見の男も、明確な理由もなくその場にとどまった。彼は明らかに時間稼ぎとしてゆっくりと書類を集めていた。
「ドクター、グラアァァース。」ブライトは怠そうに引き延ばして彼の名を呼んだ。「俺たちが胸を割って話し合ってから長い時間が経った。それは俺に奇妙だと感じさせている。俺がおそらく他のどの患者よりも、心理的な助けを必要としていると、心の中を過ったことはないのか?」
グラス博士は最も変換されそうにない上級職員のうちの1人だった。そこには2つの理由があった。まず1つには、ブライトは彼とは特に大きく異なっている人々への拡張を始めないようにしていた。彼は自分の人格を保っているメンバーから未だ積極的に身を隠さねばならなかったが、それでも困難は生じ得た。精神医学は習得するために人生の半分を無駄にする必要がある科学ではなかったが、その方法と視点は未だ医療のそれとは大きく異なっていた。
2つ目に、ブライトは精神科医が長く彼自身のままであることを望んだ。
「ブライト博士。」グラスと呼ばれた男は答えた。「あなたがここに留まってくれて良かった。私はスタッフの募集についてあなたと話がしたかったのです。」
ブライトはペンをテーブルの上に落とし、それを手のひらで覆った。
「もっと聞かせてくれ。」
‘グラス’は彼の周囲を回り、左側の椅子に座った。彼は頭を横に傾けて、ブライトの顔をじっと見ていた。ジャックは眉を顰めた─一体いつ彼にこれら全ての心理的な悪ふざけをする時間があった?
「あまり具合がよくないようですが。」‘グラス’は指摘した。
「暑さのせいさ。」ブライトは吐き捨てるように返した、「あんたは恐ろしい精神科医だ。さっさと仕事に戻ろうじゃないか。」
「とにかく、どうしたら募集のシステムを向上させられるか私は考えていました。もし、あなたが…首飾りを積極的に使い続けるつもりなら、そのときはいくつかの心理診断学上の問題は意味を失うでしょう。おそらく、その代わりとして、自分にとって重要な他の要素を提供したいとあなたは思うでしょうけどね。どのように新しい人材を確認しましょうか?」
「そいつらの医療ファイルに目を通してくれ。俺は痔疾や前立腺炎の類を望まない。それと女性、全ての男性につき少なくとも1人は女性を入れてほしい。あらゆる種類の動物のうちから2つ。たぶんそいつらは何かの役に立つ。あとはこの部屋よりも厚いシャッターを頼む。それから椅子。すべての会議室にこれと同じような椅子が欲しい。」
‵グラス’が見せる打ち解けた表情はブライトの神経を逆撫でした。─それはまるで鏡を覗きこんでいるようだった。
「これらの質問が私の心配していることと関係ないとわかっているはずです。そして、私はそれらを渡すつもりはありません。そして、私はあなたの考えを読んでいません。そして、そのどちらも今の私はしません。」
ブライトは相手を見つめた。
「なぜお前は俺の頭の中で何が起こっているかわかると思っている?」ブライトはどうやって彼が形式的ではない口調に切り替えたのか気付きすらしなかった。「精神科医の体の中にいれば、銀のプレートの上に彼のたくらみを全て載せて差し出してもらえたと、そう思うのか?お前は誰でも見通せると思っているのか、ああ?」
「私はですね、博士。」‵グラス’は姿勢を正し、肩を張った。「私はあなたの頭の中で何が起こっているのかを、あなたがそれぞれの”監督官”の頭の中で何が起こっているのか知っているのと同じ理由で、完璧に知っているつもりです。あなたが今日明確に暗示したように。」
ジャックは意地悪く歯を剥き出しにした。
「ハハッ、参ったよ。ひどい侮辱だ、グラス博士。俺を怒らせたな。ここから出て行け。後であんたの人材提供を見て、募集のリストを送っておく。」
‘グラス’は立ち上がり、しばらくの間ブライトを荒々しく見つめると、フォルダをテーブルから取り上げて出口へ向かった。
「何故俺はこんなに自分を憎むのか。」ブライトは苦々しく思った。「くそっ、俺はあの精神科医は犠牲にすべきじゃなかった。」
彼が会議室からオフィスまで歩いている間、それは彼を覆っていた。彼は肩を壁に対して押し付けて、頭がくらくらし、周囲はぼやけて渦を巻いていたにも関わらず立っていようと試みた。彼は一度に数多の場所にいて、肌は同時に幾千もの表面に触れていて、それは燃え、それは凍り、それは押し、それは湿っていた。彼の視覚は数百万の様々な光景で満たされていた、明るく、鈍く、暗く、カラフルで、緑色で、灰色で、虹の全ての色で、そして彼の聴覚は組み合わさった音たちの不協和音に溺れていた。彼は見て、走って、考えて、思い出して、バットでボールを打って、泣いて、笑って、ポルノを見て、報告書を読んで、魚に餌を与えて、傷付けて、眠って、ウクレレを弾いて、数百万の矛盾する感情、記憶、思考、そのそれぞれが叫んでいた。「俺だ!俺だ!俺こそが本物だ!俺はお前だ!」それは彼だった。彼は彼自身の中にいて、彼自身と二人きりで、彼自身のところから彼自身のところまで走っていて、彼の頭の中に閉じ込められていて、もはや誰のことも、何のことも分からなかった、彼自身を除いては。毎分ごとに彼自身を創っては貪り食っていた。亡霊に囲まれ、孤独で空虚で、自らの深みに迷い込み、自身を忘却していった。
彼は壁を滑り落ち、彼の手で頭を抱え込んでいた。
訳注:SCP-213のプロトコル読み上げの部分はこちらの文章を使用させて頂きました。