生きる桜、殺す僕
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 桜は何故散るのだろう。満開のエドヒガンを解体しながら、ふと疑問に思う。桜が咲くのは次の桜を産むため、というのは義務教育で習う常識であるけれど、散る理由の方はそうでもない気がする。もしかしたら理由なんかないのかもしれないけど、しかしそうだとしたら、何故桜は咲こうとしたのだろう。


 散りゆく桜が綺麗だと、誰が言い出したのだろう。


 ……時が止まった世界。風も桜も動かない世界では、いつものように桜が散る風景は見ることができない。花見をする性分でもないけど、かと言って花見をそこまで憎んでいたわけでもない。人並みに桜は好きだし、こうして満開の桜を摘み取っていくのは  たとえそれが世界の終わりを招く桜だとしても  本意ではない。しかも人生最後の仕事がこれだというのだから、心に堪えるものだってあるというもの。

 暗闇で、ヘッドライトの灯りだけに照らされた桜。手斧で綺麗に切り崩された、元桜。もう二度と日の光を浴びることのない桜。それでも満開を迎えられただけ良いじゃないか、と思うのは、人間のエゴなのだろう。桜が満ちるのは花を咲かせた時じゃなく、実を結んだ時なのだから。

 ただ、こうして死ぬ間際に触れる植物が、銀杏や杉でなくてよかった。呑気かもしれないが、大多数の人類が憎しみを持つであろうあれらを切り倒すよりは、まだ桜の方が見栄えがいい。コメディチックな復讐劇よりは、わかりやすく安っぽい感動作の方が僕は好きだから。桜の下に潜って死んで後にミステリを残したりも、しない。わかりやすい任務なんだ、わかりやすく綺麗に死のうと決めている。

 報告書によれば100mを超えるという巨大な桜も、気がつけば0秒で完全に木材に変わっている。僕以外にとっては、そうなる。空にはまだ止まったままの花びらが残っている。それが降り注ぐ様は、もしその光景を見る余裕があれば、きっと美しいことだろう。素晴らしいことだろう。結局、本当にあっけなく、桜は散っていくのだ。

 ああ、まるで桜になった気分だ。かつて桜が咲き乱れる楽園だった風景を、端から端まで木材置き場にすり替えて、丸太に腰掛ける。散らした桜たちの後、最後に散るのは僕自身。当事者だから、それを美しい景色として受け取れない。悪くないけど、でも、どうしても……考えてしまうことがある。桜は、門出を祝う花だから。

 桜が散った後には、いつも新たな景色があった。新学期を始める道の脇には桜が生えていて、窓の隙間をすり抜けて入ってきた花びらが、門出を祝うスパンコールだと思っていた。ヘッドライトの光量では雲一つ見えない空を見上げる。僕が立っている暗闇では、花びらは光らない。降ってこない。ただ、僕と同じように新たな門の一歩手前で止まっている。もう、門が開くことはない。

 桜は散るからこそ美しい、そんな言葉を思い出す。なるほど、真実かもしれない。だけど認めたくはなかった。

 散るために咲く花なんて無い。そんな反論も思い出す。信じたかったけど、おそらくそれも真実では無い。

 咲くために咲く花なんて無い。花は実るために咲くんだ。咲けないことも、咲くことも、散らないことも、散ることも、全部。その後のためにある。だから、置き去りで散っていく僕は、そのあと実る誰かのために今ここにいる。それ以外は、全部飾り付けでしかない。

 さあ、早く散って、この止まった世界を動かして、後に引き渡そう。工具箱に手斧をしまい、代わりに拳銃を引っ張り出す  その過程で、何か袖口からこぼれるものがあった。
 こぼれたものに灯りを照らす。気が付かなかったが、袖口に一つ、さくらんぼが紛れ込んでいたらしい。落ちていたものは全て処分したけど、袖は確認しなかった。その偶然に、オブジェクトの生き汚い執念を感じて。共感を、少しだけ。

「けど、だめだよ」聞こえるわけがないのに、僕はその種に語る。「君は、僕とここで実らないまま散っていくんだ」

 工具箱の上に、そっと置いて。銃底で、静かに押し潰す。種と僕の腕が震えて、壊れて、止まる。

 それが僕と桜が見た、古い世界の最後だった。

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