「万が一初期不良が起きた場合ですが──────」
「このプランに入っていただけると──────」
店員さんの長々とした説明はあまり頭に入ってこない。要するに浮き足立っているのだ。
目の前にはリンゴのマークが刻まれた箱。バイト代にしておよそ2ヶ月分。自力でこんなに大きな買い物をしたのは生まれて初めてだ。一応他の安いタブレットも見てはみたが、iPadだろう、やはり。
高校生の頃はゲームなんて自由に出来なかったけど、もう遊んでいても嫌味を言われたりしない。なんとか時間を捻出してアルバイトをした甲斐があるというものだ。これは完全に僕のものだ。誰にも文句は言わせない。
もどかしい思いで家の扉を開く。箱を開ける手が逸る。もちろん授業にも使うつもりだが、ゲームをしたり、映画を見たり、あるいは絵だって描いてみたい。まずはなんのアプリを入れようか、そうだケースも買わないといけないななんて、
「あれぇ〜?お兄さん、なっさけない顔してどうしたのぉ〜?」
本当に驚いた時は悲鳴なんて出ないものだ。iPadを放り投げそうになり、すんでのところで握り直した。
iPadから、女の子の声。いや、本当の子どもの声というよりはどちらかというとアニメっぽい声だ。画面いっぱいに写っているのは……
『娘核種抽出しなきゃ♡おにーさんのミルク絞ってあげよっか♡♡』
声とともに、ウィンドウに文字が表示される。
……つまり、これは、もしかして?
実技試験#4001-JP
ついこの前幕を下ろしたSCP-4000-JPコンテスト。サイトはかつてない盛り上がりを見せていた。最近の記事はあまり追えていなくて、書くこともすっかりなくなってしまった僕も流石にいくつか読みにいった。
その中でも衝撃を受けたのがSCP-4001-JPだ。キリ番かくあるべしという常識を覆し、好きなことを好きなように書き上げる様は爽快感まであり、惚れ惚れする思いだった。毒にも薬にもならないような記事をなんとか残せたくらいの僕とは比べ物にもならない。
『相互作用よわよわ♡パリティ対称性破れちゃう♡♡』
今目の前にいるのが……SCP-4001-JPだということか?流石に冗談みたいな光景だが、まさかiPadのチュートリアルでアニメの女の子……いや、メスガキに喋らせるほどApple社もトチ狂ってはいないだろう。つまり目の前にSCPが現れた、と考えたほうがまだ現実感があると……いや現実感は無いが……
何はともあれ、僕はどう行動するのが正解なのだろう。
SCP-4001-JPは、空気中における放射能を有した物質を誘引させます。
放射線……放射線だ!メスガキ要素なんかよりよっぽどまずいものがあるじゃないか。確か人間を即死させるくらいのとんでもない放射線を発していた気がする。
今度こそiPadをひっくり返し、慌てて携帯を探す。
SCP-4001-JPの前方にヒト(Homo sapiens)が進入した場合、異常性が発現します。
進入したヒトが中年男性以外である場合、この放射線量は非常に僅かであり、平均して等価線量0.1mSv以下です。
なるほど、大丈夫そうだ。流石に20歳は中年男性にはカウントされないだろう。それから、内カメラの範囲に自分が映らない限り彼女が喋り出すことはない。うん、全然対処出来る。
……いやいや。
新品のiPadだぞ?まだ初期設定も何もしていない。このままメスガキに奪われて箱にしまったまま置いておくなんて、メスガキに敗北したも同然じゃないか。大体僕はメスガキは趣味じゃないんだ。どちらかというと包容力のある……いや、そんな話はいい。
『おにーさん顔こわーい♡二重スリットから輝線見えちゃう♡でんし着地しちゃう♡♡』
大人を舐めるなよ……!
あれから一か月は経とうとしている。結局SCP-4001-JPからiPadを取り返す方法は分からないままだ。大学では兄のお下がりのボロいパソコンと百均のルーズリーフを使っている。
たまに箱を開けてiPadの様子を確認しにいくが様子は変わらないままだ。
「ただいまあ」
『あ、ざこざこおにーさん♡帰って真っ先にあたしに会いにくるなんて、寂しすぎ〜♡ぼっちが定常状態なんだ♡♡』
……そう、僕は自ら箱を開け、家に帰ると真っ先に彼女に話しかけにいっている。有り体に言えば、孤独なのだ。
一人暮らしそのものは念願だったし、実際凄く楽しい。でも大学生になって思うことはやっぱり、僕なんて大したことがないっていうことだ。
親の望む医学生にはなれなかった。医学科に落ち保健学科になんとか受かって、友人はすごく褒めてくれたし僕自身もこれ以上ないほど頑張れた実感はあったけど、両親の言葉に出せないような失望感はよく覚えている。LINEを無視して、電話にもなるべく出ないようにして、もちろん実家には寄り付かない。そんな引っ掛かりがずっと大学生活とともにある。
「───── それで結局あのカフェ怖くて入れなくてさ、またマックにしちゃったんだ」
『いい歳してダッサ♡おにーさんは2次元がお似合い♡♡2次元系のポテンシャルで閉じ込められちゃえ♡♡』
これは絶対に親には見せられない光景だ。まあ、別にいいか。
『おにーさーん?』
『ねーねーおにーさん?そんなにずーっとお布団にいたらクッサくなっちゃうかもよ〜?あたしに頑張れー頑張れーって言われないと起き上がれない〜?』
「うるっさいんだよ!黙れよお前!」
『えっ』
「あ……ごめん……」
布団からもそもそと起き上がる。ついピリついてしまった。僕も随分と余裕が無くなっているみたいだ。
大学には3週間行っていない。授業にしておよそ3回分。ピンチに陥るには割と充分なサボりだ。春頃はかろうじて頑張っていたのに、太陽が存在感を増す季節になるとともにこんな感じになっている。突き抜けるような青空が憎たらしい。
良くない。行かなくては。別にもういいんじゃないか。これ以上親を失望させたら。もう親なんてどうでもいい。色々なことを考えて結局布団の中だ。結構まずい方向に進んでいるという自覚はある。
枕元のiPadを引き寄せる。前は一応5分くらいで喋るのをやめたりいちいち箱にしまったりしていたけど、最近はこんな感じだ。こんな近くで毎日過ごしていたら将来ハゲちゃうかもしれないな。
画面はオフになっている。怒らせてしまっただろうか?
「その……ごめん……」
パッと画面がつくと、内カメラに切り替わった。
『おにーさん髭も髪も終わってる♡ダッサ♡♡』
いつもの彼女に、ほっと息を吐く。内カメラの僕は、確かに酷い見た目だった。
「外……出るか……」
.
.
.
『ねーねー、外出してくれないのー』
「おい!今はマジで黙って!」
バスの中、リュックを強めに抱き寄せる。今職質とかされたら終わりかもしれない。
彼女を外に出すのは初めてだ。僕も本格的におかしくなっちゃったのかもな、と思いながら流れる景色をぼんやりと目で追う。
今からならギリギリ3限には出られるけど……今日向かう場所は違う。
平日の昼間だからか、人気は少ない。端の方のベンチに腰を下ろし、iPadを取り出した。
『ただの公園〜?』
「そうだよ。たまに来るんだ。ボーッとしてるだけだけど」
親子連れ。昼寝をしている人。何者なのか分からないような人もいて、大きな公園というのは居心地が良い。何か言われるかと思ったが、彼女は興味深そうにきょろきょろしているだけだ。そもそも外が珍しいのかもしれない。こうして見ると、普通の女の子みたいだ。
「あれっ、やっぱり!野田くんだよね?」
慌ててiPadをリュックに放り込む。
「えっ、……鈴川さん?」
手を振りながら歩いてきたのは、同じ学部の子だ。実験くらいでしか話したことないけれど。
「え、今3限の時間だよね?何してるの?」
「……鈴川さんもじゃん」
彼女が隣に座る。右手にはスタバのカップ。清々しいまでのサボりで、意外な思いだ。
「っていうか、最近あんまり見ないよね。どうしたの?大丈夫?」
「えーと、うん、健康ではあるよ。ごめん心配かけて」
無言の時間が流れる。同級生たちは今もきっと必死に勉強しているというのに、こんなにまったりしていていいのだろうか。
「鈴川さん、よくここに来るの?」
「うーん、たまに。嫌になっちゃったときとか」
「……はは。一緒かも」
あたしの目からは、おにーさんの携帯が少し見える。同じリンゴのマークがあるから。
おにーさんが全然興味なかったはずのインスタを始めても、検索欄におしゃれな服とか、女の子へのプレゼントとかが増えてもあたしには何も出来ない。
あたしの方がずっと近くにいたのに。
でも、大学でのおにーさんのこと、全然知らないや。
もう日本も終わりなんじゃないかと思うレベルの暑さがようやく過ぎ去りあるのを感じる。大学生の夏休みってこんなに長いんだな、と最初は喜んだが、こう暑くては遊ぶのにも一苦労だ。
「『見て、野良猫いた……』うーんいや、こんなことでLINE送るのキモイかな……いや……」
ブツブツ言いながら帰る僕は、どう考えても不審者だ。
学部に親しい異性の友達は居ない。姉も妹もいない。母親は……流石にナシだろう。1人で考え込むよりは、彼女に聞く方がマシだろうか?
『あららー?ざこざこおにーさん、情けない顔してどうしたの〜?』
「あ、ごめん。君にこんなこと聞くのも変かもしれないんだけど。えっと……最近……気になってる子がいてさ。同じ学部の子なんだけど」
『……』
「あれっ、固まっちゃった?大丈夫かな。もしもーし」
『……ダサダサおにーさんに彼女なんて出来るわけないじゃん♡あたしとここで喋ってるのがお似合いだから♡♡』
「いやー、そうかもね。でも、勇気出して2人でご飯に誘ってみたらOKしてもらえちゃって。断られるつもりでいたから逆にどうしようって感じでさ」
『え、……お、おにーさんにしてはやるじゃん!』
「あはは、我ながら勇気出したよ。それで、相談なんだけど。ちょうど1週間後、その子の誕生日だって聞いてさ。せっかくだからプレゼントでも渡そうと思って。何かいいのあるかな?僕的には、香水とかどうかなって思ったんだけど」
『……』
「ご、ごめん。君にこんなこと聞いても困るか。女の子の友達とか居ないから」
『……やばぁ〜!香水とかぁ、付き合ってもないのに無さすぎなんだけど〜!嫌いな匂いだったらどうすんのぉ〜??おにーさんのセンス基底状態♡♡』
「えっ、マジか。そうか。どうしよう……」
『今だけSafari見せたげる♡ちゃんと調べろ♡♡』
「え嘘、そんなこと出来んの!?じゃあ普段も普通に使わせろよ!」
検索画面を、少し小さくなった彼女が走り回る。いつもより声が小さく感じるのは、彼女もあまりプレゼントには詳しくなくて自信がないからだろうか?なんにせよ、妹が出来たようでなんだか楽しい。
ようやく半袖の出番が終わってきたのを感じる。まともな秋服を買わないとそろそろまずいかもしれない。
ベッドに転がり、今日のインスタに載せる写真を選ぶ。思わず顔がニヤけてしまう。勝手に写真を載せたら怒られるだろうか?
ふと、思い出した。引き出しを開ける。少しよれた、リンゴのロゴが入った箱。やっぱりちょっと怖いので、最近は実家から持ってきたクッキー缶の中に入れていた。iPadを取り出し、いつものように正面に僕の顔が来るようにしてみたが、何も起こらない。いつもは割とすぐ現れるのだが……
……うっすら何か聞こえる。……泣き声?
『おにーさん!どうしたの〜?あたしに会いたくなっちゃった〜?』
なんだ、いつも通りだ。
「久しぶり。元気してた?いやー、すっかり言うの忘れてたけど、この前言ってた子と付き合えてさ」
『……え』
「ここ最近ずっと浮かれてて忘れてたんだけど、そういえば君にも言わなきゃなって思って。なんなら君のお陰みたいなところもあるかもだし。あ、写真見る?」
『……そんな』
「ずっと話し相手にさせちゃってごめん。まあ、もうそんなこともないと思うし。あ、でも次のクリスマスプレゼントとかは相談に乗ってもらっちゃおうかな。僕、センス無いみたいだし。はは」
『そう……だよね。そうだよね』
「あ!あとさ。僕、診療放射線技師になろうと思って。進路どうするかなって考えたとき、君のことがパッと浮かんでさ。保健学科なんてって散々言われたけど、こうやって人の役に立てるなら悪くないよね」
……あれっ。
「居なくなってる……聞いてたのかな、僕の話」
次の日、iPadを開いてみると彼女は居なくなっていた。リンゴのロゴマークとともに、初期設定の画面が現れる。普通のiPadだ。理由は分からないが、1時間後に開いても翌日に開いても、彼女は現れなかった。半年以上かけてようやく、SCP-4001-JPからiPadを取り返したということになる。
SCP。そういえば彼女はSCPだった。存在しないものが突然現れ、僕の日常の一部になっている。冷静に考えれば変すぎる数ヶ月だった。
SCPへの熱が1番高かった頃を思い出す。新着記事を追いかけ、Voteの変動に一喜一憂し、他人のとんでもない発想力に打ちのめされる。そのひとつひとつが楽しい時期もあった。
まあ結局僕はSCP-4001-JPのように皆の話題になるような記事も書けなかったし、これからも書ける気はしない。それに今は、SCPより楽しいことがいくらでもある。ずっとやめるか迷っていた大学も、たぶん続けられそうだ。
記事の中のSCP-4001-JPはD-4000という運命の人(?)に出会っていたが、相手が僕みたいな普通の大学生では彼女もあまり楽しくなかっただろう。きっと、もっと気が合う「おにーさん」に会いにいったんじゃないだろうか。
少し寂しいが、もともと実在しないものだったのだ。まずは彼女にLINEを返して、とりあえず、ゲームでも入れるとしよう。



